あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

磯部淺一 『 俺は革命をやる 』

2022年12月20日 13時57分00秒 | 磯部淺一

「 男子にしかできないのは 戦争と革命だ 」
と、佐々木二郎の言葉に
「 ウーン、俺は革命の方をやる 」
と、磯部浅一は大きく肯いた
・・・
男児の本懐 


磯部淺一  イソベ アサイチ
『 俺は革命をやる 』
目次

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磯部淺一 『 日本改造法案は金科玉条 』 

・ 昭和維新 ・磯部淺一 (一) 赤子の微衷
・ 
昭和維新 ・磯部淺一 (二) 行動記
・ 
昭和維新 ・磯部淺一 (三) 獄中手記
・ 
昭和維新 ・磯部淺一 (四) 獄中手記、獄中からの通信 


やがて西田の心が、
燃えさかるような炎からじっくり志を育て実らせる地熱へ変って参りましたあとへ、
青年時代の西田そのままの磯部さんが登場し、
代って座を占めたという実感を、
すぐ傍に居りましたわたくしはもっております。  ・・西田はつ

・ 磯部淺一 『 國民の苦境を救うものは大御心だけだ 』 
磯部淺一の登場 「東天に向ふ 心甚だ快なり」 
夢見る昭和維新の星々 
・ もう待ちきれん 
・ « 青山三丁目のアジト » 

・ 磯部手記 
行動記 ・ 第一 「 ヨオシ俺が軍閥を倒してやる 」 
『 栗原中尉の決意 』 
河野壽 ・ 父の訓育 「 飛びついて殺せ 」 

二十二日の早朝、
再び安藤を訪ねて決心を促したら、
磯部安心して呉れ、
俺はヤル、
ほんとに安心して呉れ

と 例の如くに簡単に返事をして呉れた。
本日の午後四時には、
野中大尉の宅で村中と余と三人会ふ事になってゐるので、
定刻に四谷の野中宅に行く。
村中は既に来てゐた。
野中大尉は自筆の決意書を示して呉れた。
立派なものだ。
大丈夫の意気、筆端に燃える様だ。
この文章を示しながら 野中大尉曰く、
「今吾々が不義を打たなかったならば、吾々に天誅が下ります」 と。
嗚呼 何たる崇厳な決意ぞ。
村中も余と同感らしかった。
野中大尉の決意書は村中が之を骨子として、所謂 蹶起趣意書 を作ったのだ。
原文は野中氏の人格、個性がハッキリとした所の大文章であった
・・・第十 「 戒厳令を布いて斬るのだなあ 」 

栗原部隊の後尾より溜池を経て首相官邸の坂を上る。
其の時俄然、官邸内に数発の銃声をきく。
いよいよ始まった。
秋季演習の聯隊対抗の第一遭遇戦のトッ始めの感じだ。
勇躍する、歓喜する、感慨たとへんにものなしだ。
同志諸君、余の筆ではこの時の感じはとても表し得ない。
とに角云ふに云へぬ程面白い。一度やって見るといい。
余はもう一度やりたい。あの快感は恐らく人生至上のものであらふ。
・・行動記

・ 磯部淺一 ・ 行動記 

・ 「ブッタ斬るゾ !!」
・ 「 エイッこの野郎、まだグズグズ文句を言うか 」
・ 行動記 ・「 國家人なし、勇將眞崎あり 」 
磯部淺一 「おい、林、參謀本部を襲撃しよう 」
・ 村中孝次 「 勤皇道楽の慣れの果てか 」 
磯部淺一 「 宇多! きさまどうする?」 

・ 磯部淺一の四日間 1
・ 磯部淺一の四日間 2 

根本の問題は國民の魂を更えることである。
魂を改革した人は維新的國民。

この維新的國民が九千万に及ぶ時、魂の革命は成就されると説く。
良くしたいという 一念 三千の折から
超法規的な信念に基ける所謂非合法行動によって維新を進めてゆく。
現行法規が天意神心に副はぬものである時には、
高い道念の世界に生きている人々にとっては、何らの意味もない。
非が理に勝ち、非が法に勝ち、非が權に勝ち、一切の正義が埋れて非が横行している現在、
非を天劔によって切り除いたのである。

この事件は粛軍の企圖をもっていました。
わたしたちの蹶起したことの目的はいろいろありましたが、
眞の狙いは 非維新
派たる現中央部を粛正することにあったのです。
軍を維新に誘導することは、わたし達の第一の目標でした。


 磯部淺一 訊問調書 1 昭和11年4月13日 「 眞崎大將のこと 」 
・ 磯部淺一 憲兵聴取書 2 昭和11年5月8日 「 眞崎大將の事 」 
・ 磯部淺一 憲兵聴取書 3 昭和11年5月17日 「 事前工作と西園寺襲撃中止 」 
・ 反駁 ・ 磯部淺一 村中孝次 香田清貞 丹生誠忠 
暗黒裁判 ・ 幕僚の謀略 3  磯部淺一 「 余は初めからケンカのつもりで出た 」
 1、 奉勅命令について
 2、大臣告示に就いて
 3、戒嚴軍隊に編入されたること
 4、豫審について
 5、公判について
 6、求刑と判決

・ 暗黒裁判 ・幕僚の謀略 3 磯部淺一の闘爭  『北、西田両氏を助けてあげて下さい』

・ 磯部淺一 ・ 獄中手記 
・ 磯部淺一 獄中日記
・ 
磯部淺一 ・ 獄中からの通信 

陛下
なぜもつと民を御らんになりませんか、
日本國民の九割は貧苦にしなびて、おこる元氣もないのでありますぞ
陛下がどうしても菱海の申し條を御ききとどけ下さらねばいたし方御座いません、
菱海は再び、陛下側近の賊を討つまでであります、
今度こそは
宮中にしのび込んででも、
陛下の大御前ででも、
きつと側近の奸を討ちとります
恐らく 陛下は 
陛下の御前を血に染める程の事をせねば、
御氣付き遊ばさぬでありませう、
悲しい事でありますが、 
陛下の爲、
皇祖皇宗の爲、
仕方ありません、
菱海は必ずやりますぞ
悪臣どもの上奏した事をそのまゝうけ入れ遊ばして、
忠義の赤子を銃殺なされました所の 陛下は、不明であられると云ふことはまぬかれません、
此の如き不明を御重ね遊ばすと、神々の御いかりにふれますぞ、
如何に 陛下でも、神の道を御ふみちがへ遊ばすと、御皇運の涯てる事も御座ります
統帥權を干犯した程の大それた國賊どもを御近づけ遊ばすものでありますから、
二月事件が起こったのでありますぞ、
佐郷屋、相澤が決死挺身して國體を守り、統帥權を守ったのでありますのに、
かんじんかなめの 陛下がよくよくその事情を御きわめ遊ばさないで、
何時迄も國賊の云ひなりなつて御座られますから、
日本がよく治まらないで常にガタガタして、
そこここで特權階級をつけねらつてゐるのでありますぞ、
・・・獄中日記 (三) 八月十二日 「 先月十二日は日本の悲劇であつた 」 

天皇陛下
何と云ふ御失政で御座りますか、
何故奸臣を遠ざけて、忠烈無雙 ムソウ の士を御召し下さりませぬか
八百萬の神々、何をボンヤリして御座るのだ、
何故御いたましい陛下を御守り下さらなぬのだ
これが余の最初から最古背迄の言葉だ
日本國中の者どもが、一人のこらず陛下にいつはりの忠をするとも、
余一人は眞の忠道を守る、
眞の忠道とは正義直諫をすることだ
明治元年十月十七日の正義直諫の詔に宣く
「 凡そ事の得失可否は宣しく正義直諫、朕が心を啓沃すべし 」 と
・・・ 獄中日記 (四) 八月十五日「 俺は一人、惡の神になつて仇を討つのだ 」


磯部は事件の經過や、裁判の實情を看守の目をぬすんで書き出した。

世の人々に事件の眞實を知って貰い、日本の維新をやって貰いたいために。
そして在るべき天皇を胸に描き現實の天皇を磯部は激しい諫争の言葉をもって訴えた。
それは絶望必死の叫喚である。
「 日本國中の者どもが、一人のこらず陛下にいつはりの忠をするとも、
余一人は眞の忠道を守る。眞の忠道とは正義直諫することだ 」 と。
嗚呼!・・・佐々木二郎 

「 憲兵は看守長が 手記の持出しを 黙認した様に言って居るが、そうではないことを言ってくれ 」 
・ 
磯部淺一の嘆願書と獄中手記をめぐって 
・ 
磯部淺一 發 西田はつ 宛 ( 昭和十一年八月十六日 ) 
・ 磯部淺一 ・ 妻 登美子との最後の面会
・ 磯部淺一 ・ 家族への遺書
あを雲の涯 (四) 磯部淺一 
磯部淺一、登美子の墓 

昭和十二年三月、二・二六で無罪で帰隊したが停職になったので、
羅南在住十年の名残りに町を散歩し、美代治を思い出して三州桜に訪ねた。
彼女は芸妓をやめて仲居をしていた。
大広間で二人で飲んだ。
話が磯部にふれた。
「 サーさん、あの人はどうなりました 」
「 ウン、今頃は銃殺されとるかも知れん 」
「 私はあのとき、初めて人間らしく扱われました。
 誰が何といってもあの人は正しい立派な人です。一生私は忘れません 」
「 佐々木、芸妓にも料理を出せよ 」
といった磯部の一言が、これほどの感動を与えているとは夢にも思わなかった。

底辺とか苦界とか、 口にいってもただ単なる同情にしか過ぎなかった。
磯部のそれは、苦闘した前半生から滲み出た一言で、彼女の心肝を温かく包んだのであろう。
当時、少し気障なことだとチラリ脳裡を掠めた私の考えは、私自身の足りなさであったと思い知らされた。
・・・
「 佐々木、芸妓にも料理を出せよ 」


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