あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

栗原安秀 『 維新革命 』

2017年10月31日 14時24分45秒 | 栗原安秀

磯部さん、あんたには判って貰えると思うから云ふのですが、
私は他の同志から栗原があわてるとか、
統制を乱すとか云って、如何にも栗原だけが悪い様に云われている事を知っている。
然し、私はなぜ他の同志がもっともっと急進的になり、
私の様に居ても立っても居られない程の気分に迄、
進んで呉れないかと云ふ事が残念です。
栗原があわてるなぞと云って私の陰口を云ふ前に、
なぜ自分の日和見的な卑懦な性根を反省して呉れないのでせうか。
今度、相沢さんの事だって青年将校がやるべきです。
それに何ですか青年将校は、
私は今迄他を責めていましたが、もう何も云ひません。
唯、自分がよく考えてやります。
自分の力で必ずやります。
然し、希望して止まぬ事は、
来年吾々が渡満する前迄には在京の同志が、
私と同様に急進的になって呉れたら維新は明日でも、今直ちにでも出来ます。
栗原の急進、ヤルヤルは口癖だなどと、
私の心の一分も一厘も知らぬ奴が勝手な評をする事は、私は剣にかけても許しません。
私は必ずやるから磯部さん、その積りで盡力して下さい。

・・・『 栗原中尉の決意 』 


栗原安秀  クリハラ ヤスヒデ
『 維新革命 』
目次

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・ 昭和維新 ・栗原安秀中尉 

栗原中尉 ・ 救國埼玉挺身隊事件 
栗原中尉 ・ 幹部候補生教育の状態 
・ 
栗原中尉 「 教育方針は革命の二字につきる 」 
・ 栗原安秀の為人 
・ 
「 お前は自分の兵器を手入れすればよい 」 
・ ヤルヤル中尉 1 
・ ヤルヤル中尉 2 

・ 栗原中尉と十一月二十日事件
栗原中尉と斎藤瀏少将 「 愈々 正面衝突になりました 」
・ 篠田喬栄上等兵 ・ 相澤中佐事件前夜 「 明日は早いよ、大きな事件が起こるぞ 」

相澤中佐の公判の事及び私用等もあったので、
先輩の第一聯隊の中隊長である山口一太郎大尉を私宅に訪問しましたが、
此際相澤中佐の公判状況等を話した末に話がたまたま青年将校の事に及びました。
そして山口大尉は
「 何うも栗原さんかが隊内で盛んに飛廻っているらしい。
此分では何かやり兼ねない風があるが夫れでいいか」 
と云ふ意味の話があったので、私は 
「 そう云ふ事は困るし大体今の時機はそう云ふ時機でない、
 もっとも栗原君は平素そう云ふ事が癖の様になってゐるから
真意は判らないけれ共取返しの付かぬ様になっても困るから私が会って一度話して見やう 」 
と言ひ 
「 御会ひになったら一度私の家に来る様に言伝して欲しい 」 
と云ひ、別れて帰ったのでありました。
其の翌日は栗原君が来るだろうと思って待って居りましたが遂に同君は来ず待ち呆けに会った訳でありました。
其翌日でありましたから確か二月十八日、九日頃の午後聯隊内山口大尉から電話があり
「 栗原君に言伝したが行く必要ないと言ってゐるので 依頼は果したが何うにもならんから自分は知らんぞ 」 
と云ふ話でした。
其処で私は、「 夫れなら栗原君に電話口に出て貰ひたい 」 
と頼み、確か暫らくすると待ってゐる栗原君が出たと思ひます。
それで私は同君に 「 話したい事があるから来ないか 」 と言ひますと栗原君は、
「 行く必要ないと思ふ 別に話はありません 」 
と云ふ事でした。
私も同君の返事が意外に強いので内心一寸驚きましたが、 
「 君の方に話がなくてもこちらに話があるのだだから兎に角一度来て呉れ 」 
と話して電話を切ったのでした。
其のために栗原君は私の宅にやって来ましたので私から、
「 最近盛に君達はやって居る様だが何う云ふのだ 」 と聞きますと栗原君は、
「 貴方には関係ない 」 と云ふ意味の事を申し、
「 貴方には貴方の役割と云ふものがあろうし、 自分達には自分達の役割があるのだから話す必要はありません。
 公判の進行と維新運動とは別だと思ふ、貴兄には何も迷惑は掛けない積りである。
私共は満洲に行く前に是非目的を達したいと思って居る。
皆此の決心が非常に強くなってゐる、自分達の都合から云へば今月中が一番良い。
公判公判と云ふがそう期待が掛けられますか 」
と云ふ様な事を云って居りました。
私は此時
「 満洲に行くからやらなければならないと云ふ事は間違ひである。
 公判とは別だと云ふ事は其通りかも知れんが、それかと云って公判を放任したり 別だと云って、
そういう事にのぼせたりして軽挙妄動する事は以ての外である。
今はそう云った君等の考の様な事をする時機ではない。
まして今月中になどと云ふ事はいかん。引込みが付かなくなるではないか。
飛び廻って見ても案外人は動かないいし、動いた様に見えても表面一時的であって、
実は余儀なくそういう風な態度を執る時が多いのであって、結局いざと云ふ時には何もならんものだ。
斯ふ云ふ事は其の中の社会状勢の進展が自ら決定するものである。
殊に大っぴらに色々の事を言動する君の癖があるから却って引込みが付かないと共に、
最初からつまらぬ災を受けるのか落ちだ 良く考へ直して貰ひたい。
又僕等に迷惑を掛けぬと云ふが、僕個人としてはそんな事は問題ではないけれども、
最近の状勢では君等が何かすれば一般は直ちに僕等の関係を想像する、結局は同じ事だ 」
と云ふ様な事を話したのであります。
すると栗原君は
「 私共の事は心配して戴かなくとも良い、
 貴方が色々考へて居られる一般の大勢、指導、連絡ある方面の状態は貴方の希望する様にはなって居らないのですか、
矢張り貴方にも迷惑は掛かりますか 」
と云ふ様な事を云はれました。
其処で私は更に
「 僕の関係は未だ未だ前途遼遠である、僕は先を永く考へてゐるのである、
 兎に角無関係だと云っても夫れは御互丈の事で外からはそうは見ないのだし、
結局今変な事をすれば何もかも駄目になって仕舞ふ 」
と云ふ様な事を話したのでありますが、同君は
「 貴方からそう云ふ様な事を云はれるのは一番困る、まあ考へて見ませう 」
と云ふ様な言葉を残して結局は話も纏らず別れたのでありました
・・・西田税 警視庁第壱回聴取書・・・西田税 1 「 私は諸君と今迄の関係上自己一身の事は捨てます 」 
・・・西田税、栗原安秀 ・ 二月十八日の会見 『 今度コソハ中止シナイ 』 

電話のベルがけたたましく鳴った。
時計は六時半を回ったところだった。
「 私ども青年将校はいよいよ蹶起し、今払暁、岡田啓介、齋藤寛、高橋是清、鈴木貫太郎、渡辺錠太郎を襲撃し、
 岡田、齋藤、高橋、渡辺を斃し、鈴木に重傷を負わせました。」
「 西園寺公望、牧野伸顕は成否不明。」
「 おじさん、速やかに出馬して、軍上層部に折衝し事態収拾に努力して下さい 」
栗原の声ははずんでいたが、興奮しているようには聞こえなかった。
「 とうとうやったぞ 」
父の声に起き上がってきた史とて、眠れはしなかった。
「 クリコたちがやりましたか 」
と 言って一瞬立ちすくんだ。
やがて庇に積もり始めた雪を見やり、
やっと膨らみかけた腹部をさすって安堵の表情を 瀏に向けた。

齋藤の車が首相官邸に近づくと、
街路に機銃を据え、銃手が雪の上に伏せたまま哨戒線を張っている情景が見える。
車は歩哨に止められ、
銃剣を持ったままの兵が寄ってきて窓から覗き込みながら誰何した。
「 誰だ 」
銃を構えて、刺突の姿勢をとった歩哨に向かって、言った。
「 予備役陸軍少将、齋藤瀏だ 」
そう言ってから、ポケットの蓋を帰すと貼付してある郵便切手を見せた。
「 お通りください 」 歩哨の敬礼に、
「 ご苦労 」 と 返した齋藤は首相官邸の門柱を通過した。
 車おりてその押しつけし銃尖に
 わが名のりつつ雪の上に立つ
・・・ 斎藤瀏少将 「 とうとうやったぞ 」

白きうさぎ
雪の山より出でて来て
殺されたれば眼を開き居り
斉藤史
・ 斉藤史の二・二六事件 1 「 ねこまた 」 
・ 斉藤史の二・二六事件 2 「 二・二六事件 」
斎藤史の二・二六事件 3 「 天皇陛下万歳 」
・ ある日より 現神は人間となりたまひ
・ 野の中に すがたゆたけき 一樹あり  風も月日も 枝に抱きて
 

・ 「 芋のつると麦こがすで飢えをすのいでおったです 」

 栗原安秀中尉の四日間 1
栗原安秀中尉の四日間 2
 
栗原安秀中尉の四日間 3 

栗原部隊
 ・「 若い男前の将校 」
 ・林八郎少尉 「中は俺がやる 」
 ・「 今 首相官邸が襲われている。軍隊が襲っている!」
 ・林八郎少尉 『 尊皇維新軍と大書した幟 』
 ・朝日新聞社襲撃
 ・朝日新聞社襲撃 『 国賊 朝日新聞を叩き壊すのだ 』
 ・朝日新聞襲撃 ・緒方竹虎
 ・栗原中尉の専属運転手
 ・貧乏徳利 「 兵隊さんの心は解って居ます 」
 ・村中孝次 「 勤皇道楽の慣れの果てか 」
 ・磯部浅一 「 おい、林、参謀本部を襲撃しよう 」
 ・池田俊彦少尉 「 事態の収拾に付ては真崎閣下に御一人とたいと思ひます 」
 ・栗原部隊の最期
 ・尾島健次郎曹長 「 たしかに岡田は、あの下にいたんですよ 」
 ・栗原中尉の仇討計画

・ 徳川義親侯爵 『 身分一際ヲ捨テ強行參内をシヨウト思フ 』

最期の陳述 ・ 栗原安秀 「 呑舟の魚は網にかからず 」 
・ 栗原中尉 『 維新革命家として余の所感 』
あを雲の涯 (九) 栗原安秀 
・ 「 栗原死すとも、維新は死せず 」 
・ 昭和11年7月12日 (九) 栗原安秀中尉 
・ 栗原安秀 潑 和田日出吉 宛

策的ノ判決タル真ニ瞭然タルモノアリ。
既ニ獄内ニ禁錮シ、外界ト遮断ス、何故に然ルヤ
余輩ノ一挙タル明に時勢進展ノ枢軸トナリ、
現状打破ノ勢滔々タル時コレガ先駆タル士ヲ遇するに極刑ヲ以テシ、
而シテ粛軍ノ意ヲ得タリトナス
嗚呼、何ゾソノ横暴ナル、吾人徒ニ血笑スルノミ、
古ヨリ 狡兎死而走狗烹 吾人ハ即走狗歟
余ハ 悲憤、血涙、呼号セント欲ス。
余輩ハカクノ如キ不当ナル刑ヲ受クル能ハズ。
而モ戮セラル、余ハ血笑セリ。
同志ヲ他日コレガ報ヲナセ、余輩を虐殺セシ幕僚を惨殺セヨ。
彼等ノ流血ヲシテ余ノ頸血ニ代ラシメヨ。
彼等の糞頭ヲ余ノ霊前ニ供エヨ
余ハ冥セザルナリ、余ハ成仏セザル也。

・・・維新革命家として余の所感


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