あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

私の想い、二・二六事件 『 昭和維新は大御心に副はず 』

2023年02月16日 14時56分58秒 | 昭和 ・ 私の記憶


令和元年 ( 2019年 ) 八月十五日 ( 木 )

NHKは、
全貌二・二六事件  ~最高機密文書で迫る~
と、銘打って  二・二六事件について放送した。
『 私達が知っていたのは、「真相の一断面 に過ぎなかった 」、
「 海軍の極秘文書を発掘した、そこには、数々の新事実が・・・・』
・・と。
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・・・・・・極秘文書には、
事件初日にその後の行方を左右するある密約が交わされていたことが記されていた。
事態の収拾にあたる川島義之陸軍大臣に、
決起部隊がクーデターの趣旨を訴えたときの記録には、
これまで明らかではなかった陸軍大臣の回答が記されていた。
 川島陸相
陸相の態度、軟弱を詰問したるに
陸相は威儀を正し、
決起の主旨に賛同し昭和維新の断行を約す


川島は、決起部隊から 「 軟弱だ 」 と 詰め寄られ、

彼らの目的を支持すると、約束していたのだ。
「これは随分重要な発言だと思います。
決起直後に大臣が、直接決起部隊の幹部に対して、
“昭和維新の断行を約す”
と、約束している。
言葉として。
これを聞いたら、決起部隊は大臣の承認を得たと思うのは当然で、
それ以降の決起部隊の本当の力になってしまった。
 眞崎大将
この直後、
川島は、決起部隊が軍事政権のトップに担ごうとしていた皇道派の幹部 ・眞崎甚三郎大将に接触。
「謀議の結果、決起部隊の要求をいれ、軍政府樹立を決意」

 昭和天皇と鈴木貫太郎
しかし天皇は、勝手に軍隊を動かし、
側近たちを殺害した決起部隊に、厳しい姿勢で臨もうとしていた。
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・・・挿入・・・
川島陸相の上奏要領
一、叛亂軍の希望事項は概略のみを上聞する。
二、午前五時頃 齋藤内府、岡田首相、高橋蔵相、鈴木侍從長、渡邊教育総監、牧野伯を襲撃したこと。
三、蹶起趣意書は御前で朗讀上聞する。
四、不徳のいたすところ、かくのごとき重大事を惹起し まことに恐懼に堪えないことを上聞する。
五、陛下の赤子たる同胞相撃つの惨事を招來せず、出來るだけ銃火をまじえずして事態を収拾いたしたき旨言上。
陛下は この事態収拾の方針に關しては 「 宜 し 」 と 仰せ給う

事件勃發當初は蹶起部隊を叛亂軍とは考えず。

その理由は下士官以下は演習と稱して連出されたのものにして、叛亂の意思に出でたるものにあらずして
ただ將校が下士官以下を騙して連出し人殺しをなしたるものと考えいたり。
したがって蹶起部隊全體をもって叛亂軍とは考えず。
またこれを討伐するは同胞相撃となり、兵役關係は勿論、對地方關係等 今後に非常なる惡影響をもたらすものと考えたり。
また 蹶起部隊は命令に服從せざるに至りたるときは叛徒なるも、
蹶起當時においては いまだ叛亂軍と目すべきものにあらずと 今日においても考えあり
・・川島陸相訊問調書

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2日目、2月27日の午後6時半の記録には、
陸軍の幹部が青年将校らについて
「 彼らの言い分にも理あり 」 と 理解を示し、
「 暴徒としては取り扱い居らず 」 と 発言をしたことが記され、
陸軍の対応に一貫性がなく状況が複雑化していることに対し、海軍が警戒していた様子がうかがえる。
さらに事件が収束する前日の2月28日午後11時5分の記録には、
追い詰められた事件の首謀者の1人、磯部浅一が
天皇を守る近衛師団の幹部と面会して、
「 何故(なぜ)に貴官の軍隊は出動したのか 」 と問い、
天皇の真意を確かめるかのような行動をしていたことも詳しく書き留められていた。

攻撃準備を進める陸軍に、決起部隊から思いがけない連絡が入る。
「 本日午後九時頃 決起部隊の磯部主計より面会したき申込あり 」
「 近衛四連隊山下大尉 以前より面識あり 」
決起部隊の首謀者の一人、磯部浅一が、陸軍・近衛師団の山下誠一大尉との面会を求めてきたのだ。

磯部の2期先輩 ( 36期 ) で、親しい間柄だった山下。
山下が所属する近衛師団は、天皇を警護する陸軍の部隊だった。
追い詰められた決起部隊の磯部は、天皇の本心を知りたいと、山下に手がかりを求めてきたのだ。
磯部  「 何故に貴官の軍隊は出動したのか 」
山下  「 命令により出動した 」
山下  「 貴官に攻撃命令が下りた時はどうするのか 」
磯部  「 空中に向けて射撃するつもりだ 」
山下  「 我々が攻撃した場合は貴官はどうするのか 」
磯部  「 断じて反撃する決心だ 」
天皇を守る近衛師団に銃口を向けることはできないと答えた磯部。
しかし、磯部は、鎮圧するというなら反撃せざるを得ないと考えていた。
山下は説得を続けるものの、二人の溝は次第に深まっていく。
山下  「 我々からの撤退命令に対し、何故このような状態を続けているのか 」
磯部  「 本計画は、十年来熟考してきたもので、なんと言われようとも、昭和維新を確立するまでは断じて撤退せず 」
もはやこれまでと悟った山下。
ともに天皇を重んじていた二人が、再び会うことはなかった。 ・・> 
昭和維新の断行を約束しながら、
青年将校らに責任を押し付けて生き残った陸軍。
事件の裏側を知り、決起部隊とも繫がりながら、
事件とのかかわりを表にすることはなかった海軍。
極秘文書から浮かび上がったのは二・二六事件の全貌。
そして、不都合な事実を隠し、自らを守ろうとした組織の姿だった。
・・・以上 放送内容の中から関心部分を ネットから引用
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> 
磯部浅一、獄中手記
 ・・・
行動記 ・ 第二十三 「 もう一度、勇を振るって呉れ 」 ・・参照 
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私の想いを記す
「 私達が知っていたのは、真相の一断面 に過ぎなかった、

海軍の極秘文書を発掘した、そこには、数々の新事実が記されていた、
そして、これにより 全貌が明らかになった 」・・と 云う。
NHKが 此をどのような意図を持って拵えたかは分からない。
なにも、新しい事実の発見が、必ずや真相の解明に繫がるとは限るまい。
海軍の極秘文書によって発掘された新事実が、
これまで囁かれていたものを裏付ける材料とはなりても、
公式記録だから 正しいもの、真実のもの、と、そのまま丸呑みは出来ない。
あくまで海軍が海軍の立場に基いて記した 記録もの なのである。
それは、海軍の都合で記されたるもので、やっぱり これも亦陸軍のものと同様 拵えたもの、
二・二六事件の一断面に過ぎないのである。
だからと云って、私は之を否定などしない。事実として ちゃんと受容れる。
いつも はがゆく想うは、斯の時代の日本人 ( 何も軍人である蹶起将校だけとは限らない )
の 精神の検証がなされないこと、
これなくして、如何して真実に辿り着けようか。
斯の時代の日本精神を知らぬ私も亦同様である。


「 昭和維新は大御心に副はず 」
大御心は正義を體現する
而して、赤誠の正義は大御心に副う  のである
しかし、己が行動は必ずや大御心に副うものと信じ 蹶起した靑年將校に、
大御心は正義を體現することはなかった
否  正義を體現する大御心は 存在しなかったのだ
靑年將校の正義は、大御心に副う  べくもなかったのである

昔から七生報國というけれど、
わしゃもう人間に生れて來ようとは思わんわい。
こんな苦勞の多い正義の通らん人生はいやだわい ・・・西田税

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「 ニ ・ニ六事件って何でしようか 」
「 正義の味方だ 」
「 なぜ人を殺したのですか 」
「 それは立場だ 」
平成二年 ( 1990年 )
今泉章利氏 ( 今泉義道少尉の御子息 ) の問に、
末松太平はそう答えた ・・・と謂う


大御心
・ 二・二六事件の収拾処置は自分が命令した 
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・ 
天皇は叛乱を絶対に認めてはいけません、 そして 叛乱をすぐ弾圧しなければなりません

伏見宮 「 大詔渙発により事態を収拾するようにしていただきたい・・」

《 眞崎大将は 》
川島陸相に会うと、
テーブルに置かれた 蹶起趣意書 と 要望事項 の紙片 を押さえて云った。

「 こうなったら仕方ないだろう・・・これでいこうじゃないか 」
川島陸相は頷き、天皇に拝謁すると、
事件の経過を報告すると 共に 蹶起趣意書  を 読みあげた。
天皇の表情は、陸相の朗読がすすむにつれて嶮けわしさを増し、
陸相の言葉が終わると、
なにゆえに そのようなものを読みきかせるのか
と 語気鋭く下問した。
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《 川島陸相が 》
「 蹶起部隊の行為は
 明かに天皇の名においてのみ行動すべき統帥の本義にもとり、

亦 大官殺害も不祥事ではあるが、
陛下ならびに国家につくす至情に基いている、

彼らのその心情を理解いただきたいため ・・・」
と 答えると
今回のことは精神の如何を問はず甚だ不本意なり
国体の精華を傷つくるものと認む

天皇はきっぱりと断言され、
思わず陸相が はっと頭を下げると
その首筋をさらに鋭く天皇の言葉が痛打した。
朕ガ股肱ノ老臣ヲ殺戮ス
斯ノ如キ兇暴ノ将校等、其精神ニ於テモ恕ゆるスベキモノアリヤ
天皇は
一刻も早く、事件を鎮定せよ
と 川島陸相に命じ、
陸相が恐懼して さらに拝礼するのをみると、

速やかに暴徒を鎮圧せよ
と、 はっきり蹶起部隊を 暴徒 と断定する意向をしめした。
・・・なにゆえにそのようなものを読みきかせるのか

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川島は、午前九時に参内し、天皇のまえに進みでた。
ここで事件の概容を伝え、あまつさえ 「 蹶起趣意書 」 を 読んだ。
そしてこうなったら強力内閣をつくらなければならないと述べた。
この陸相は、事件を鎮圧するのでなはなく、
この流れに沿って、新たな内閣の性格まで口にしている。

つまり 蹶起将校や眞崎の使者となっていたのである。
「 陸軍大臣はそんなことまで言わなくていい。
 それより 反乱軍を速やかに鎮圧するほうが先決ではないか 」

天皇のことばに、
川島は自らどうしていいかわからないほど 混乱して退出していった。
・・・俺の回りの者に関し、こんなことをしてどうするのか
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26日
午後四時頃から閣議が開かれ
陸相から事件報告がなされた。

川島陸相は ここでも協力内閣の必要を強調したが、
閣僚の誰一人として耳を傾けるまのはなかった。
これは、この日の午後、蹶起将校から
「 われわれを義軍と認めよ 」
「 眞崎内閣をつくれ 」
などの要求がなされ、
大臣も強力内閣をつくることに意が動いたが、
統帥部の反対で立ち消えとなった。

するとさらに蹶起将校側から
「 それでは内閣をして国政の大改革を断行することを声明せしめよ 」

との 代案が持ち出され、これをとり上げて大臣が閣僚に要求したのだということであった。
・・・速やかに暴徒を鎮圧せよ


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