あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

二 ・ 二六事件蹶起 二月二十八日 澁川善助『 全国の農民が、可哀想ではないんですか 』

2024年02月28日 10時47分39秒 | 道程 ( みちのり )



・・・前項 二 ・ 二六事件蹶起 二月二十七日 『 國家人無シ 勇將眞崎アリ、正義軍速ヤカニ一任セヨ 』  の続き
二 ・ 二六事件蹶起 
2月28日 ( 金 ) 
午前3時  小藤大佐、鈴木大佐、山口大尉、柴大尉、戒厳司令部に於て戒厳司令官と会見 、意見具申す
・・・ 山口大尉、午前6時迄戒厳司令部に留まる
 ・・・彼らは朕が股肱の老臣を殺戮したではないか 
・・・
山口一太郎大尉の四日間 4 「 奉勅命令が遂に出た 」 
午前5時8分  奉勅命令 が発令さる

早朝  西田税宅へ原宿署の特高が押掛ける・・澁川追い返す→ 澁川、幸楽へ向かう
うちに 原宿署の特高が来たのです。
そしていきなり玄関に上がり込んだのです。
「 西田さんいますか 」
「 おりません 」 と言いましたら
「 家宅捜索をする 」 と言って、それで私と押し問答しましたときに澁川さんが出てきたのです。
令状を持ってないのに土足で踏み込むとは何ごとか、家宅侵入罪で訴えてやる、
そんなもの出ているはずがないから、いま首相官邸に電話をかけて聞くから待っておれ、
と言ったら、原宿署の特高が逃げて帰っちゃったんです。
半信半疑で来たんですね。原田警部という方でしたが、逃げて帰ったんです。
それから澁川さんが様子が変だというので出られたのです
。 ・・・西田はつ

午前6時頃  村中、香田大尉、陸相官邸に小藤大佐に会う
磯部浅一、憲兵隊神谷少佐と戒厳司令部へ行く ( 農相官邸 → 軍人会館 )
磯部浅一、香椎司令官に面談叶わず、石原大佐、満井中佐と会談 ・・・
行動記 ・ 第二十 「 君等は 奉勅命令が下ったらどうするか 」 
香田大尉、村中、對馬中尉、外1名、第一師団司令部で佐藤正三郎少将と会う
午前6時頃  第5中隊小林美文中尉、 幸楽の安藤大尉に面会 ・・・
小林美文中尉 「 それなら、私の正面に来て下さい。弾丸は一発も射ちません 」 
午前6時45分  山本又少尉、単身戒厳司令部を訪れる
午前7時頃  山口大尉、偕行社に真崎、荒木に会う
午前7時10分頃  山本又少尉、新国会議事堂へ至り蹶起将校を集める
午前7時30分頃  満井中佐、香椎司令官の斡旋で川島陸相、杉山参謀次長に会見を申入れる ・・・
満井佐吉中佐の四日間 
午前8時頃 
戒厳司令部で満井中佐と川島陸相、古荘陸軍次官、今井清軍務局長、
杉山参謀次長、香椎戒厳司令官、安井戒厳参謀長、林銑十郎大将、荒木大将ら軍首脳が協議
昭和維新断行か否かの上奏案が読上げられるが、杉山参謀次長の強硬な反対で却下さる ・・・
撤回せる上奏案 
午前8時頃  小藤大佐、奉勅命令の原本と第一師団命令 ( 一師戒令第三号 二月廿八日午前六時三十分発令 ) 受領す
午前8時45分  磯部、神谷憲兵少佐と同行し戒厳司令部へ・・大臣に面会希望・・許されず
午前9時頃  陸相官邸に蹶起将校集合  野中、香田、山口、對馬、清原、鈴木、他多数
午前9時20分頃  神谷憲兵少佐に案内され磯部、戒厳司令部に赴く
午前9時20分頃  幸楽へ集合の呼びかけ  
鈴木少尉、村中と共に自動車で幸楽へ
 「 部隊を離れてはいかん 」 と、安藤大尉に叱られ村中の自動車で文相官邸に戻る
午前  村中、香田、對馬、第一師団司令部へ赴く ・・・リンク→行動記・第二十一 統帥系統を通じてもう一度御上に御伺い申上げよう
午前10時頃  澁川善助、幸楽に到着・・坂井部隊と行動を共にする
午前10時頃  村中孝次、安藤大尉に吉報を持ってくる。
 「 闘いは勝った。われらに詔勅が下るぞ、全員一層の闘志をもって頑張れ 」
午前10時10分頃  戒厳司令官 ・ 香椎浩平
「 私の決心は 変更いたします。討伐を断行します 」
午前10時40分頃  第一師団長堀丈夫中将、戒厳司令部に招致せらる
 其の後、香椎司令官の承諾を得て皇軍相撃を避ける為に陸相官邸に向かう
午前11時頃  杉山参謀次長参内、本庄侍従武官長に反乱部隊の武力討伐方針が決定した旨を報告
午前11時頃  田中中尉、車輌隊を指揮して首相官邸へ
正午 清原少尉、陸相官邸に集合・・・幸楽の安藤大尉の許へ・・・蔵相官邸へ戻る、夜三宅坂の警備
正午過  戒厳司令部に反乱将校は自決し、下士官兵は原隊復帰するとの報告が入る
正午頃  村上大佐、幸楽の安藤大尉を訪ね 「 維新大詔 」 の原稿を見せ撤退を諭す
午後1時~2時頃
陸相官邸で 栗原、野中、磯部、山下少将、鈴木大佐、山口大尉、柴大尉、現状打開に付懇談す
「 勅使の誤差遣を願ふ 」 ・・・行動記 ・ 第二十一 「 統帥系統を通じてもう一度御上に御伺い申上げよう 」 
村中孝次、安藤大尉に 「 今までの形勢はすっかり逆転した。もう自決する以外道はなくなった 」 と告げる
島陸相、山下少将、本庄侍従武官長を訪問し、蹶起将校が自刃するための勅使派遣を要請する
・・・強い天皇の拒否意志によって、先に正式に下達された 「 陸軍大臣告示 」 の運命は、
その時点において実質的に消滅したのであるが、
下達された蹶起将校、部隊側においては依然確固として生存していたのである。
得々と胸をはって 「 陸軍大臣告示 」 を三度、読みあげた山下少将の五カ条の告示文の内容は、
蹶起趣旨精神を是認し、天聴に達し、軍、政府共一致してその目的達成に邁進するとある。
これが何の理由によって撤回されたかを、いかにして蹶起将校、部隊に納得説示するためには、
天皇の反対意志を表面に持出さない限り絶対的に不可能のことであったろう。
天皇のために、国家国民のために蹶起した彼らに、
朕自ら近衛師団を率いて鎮圧するとまで激怒された天皇の意志を秘しては
いかにして彼らを説得させることができるであろうか。
至難のことであった。
そのため軍当局としては、ただ、何も言わずに、原隊復帰を説得、懇請することに奔命した。
一命を賭して蹶起して今に至った彼らである。
理由をいわず、原隊復帰、部隊撤収の要請に応諾することなどあり得ないことであった。
ことに最初の時点から蹶起将校との折衝に当っていた山下少将は、
この百八十度の大変転の事態に直面して、いかに対処すべきかの苦衷は察するに余りあるものがあった。
蹶起前に訪れた栗原中尉に、やるのなら早いほうが良い、と 語ったその栗原がいま眼前に対峙している。
帰順を哀願する山下の前に栗原の手が伸びた。
しかと握られた掌を通じて栗原の決意が伝えられた。
すでに事態推移の実状を知る栗原は、まはや蹶起完敗を知悉し、
この上は自決をもって責任を果したい、
最後の願いは、自決に当ってせめて勅使の御差遺を仰ぎたい
との懇願であった。
帝国軍人として死に臨む最後の願望であったろう。
これを聞いて山下少将は、差出す栗原の手を固く握りしめて感激の涙を浮かべた。
口では 「 ありがとう 」 と いったかは確かめるに由ないが、
山下の心中の安堵は充分に察せられる。
「 承知した、私が責任をもって申出でに善処する。ただちに宮中に参内する 」
と、山下は官邸を出た。複雑な心境であったろう。
山下は宮中に本庄侍従武官長を訪ねた。この山下、本庄会見の結果が栗原らに伝えられた記録はない。
しかし、栗原らの決意が、磯部や安藤らの反対意見によってくつがえされるのである。
すでに、自決の決意表明によって、当局による逸早い措置によった白木の棺、二十数個も宙に浮いてしまった。
磯部らは、今、全将校が自決したら、蹶起の目的、精神は何によって、誰によって国民に訴えることができるか。
蹶起の挫折を死によって償うことは武人として立派な最期であろう、
しかし我々の蹶起の目的は、完敗によって滅却するような安易なねのではない、
敗北による死を乗越えて、生のあらん限り闘い抜くことが当初からの信念である。
來るべき軍法会議の法廷闘争において、死を賭して 国民の前に、蹶起の真精神、尊皇護国昭和維新達成の真意を
開陳披瀝することに
最後の全力を傾けるべきである、と 説いた。 
・・・ 二・二六事件の収拾処置は自分が命令した 
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昨夜 安藤と会ったあの応接室には、十数名の将校が集っていた。
安藤も坂井も鈴木もいた。勿論 見馴れぬ将校もいた。
わたくしがそこに這入って行くや、坂井に話す隙もあらばこそ、忽ち数名の者から、
「何うだ、何うだ」 と、質問の矢を浴びてしまった。
これは余り様子が違う。
野中や坂井が誰と交渉したのか、それさえも知らぬわたくしである。
ただ知っているのは奉勅命令のことである。
「 奉勅命令が出たんです。お帰りになるんでしょう 」
わたくしは慰撫的にそう云った。
これはかれらには意外だったらしい。
「 何が残念だ、奉勅命令が何うしたと云うのだ、余りくだらんことを云うな 」
歩兵第一旅団の副官で、事件に参加した香田大尉がこう叫んだ。
かれらはまだ自分の都合のよい大詔の渙発を期待しているのだ。
奉勅命令については全然知らない。
わたくしは茫然立っているだけであった。
この時 紺の背広の澁川が 熱狂的に叫んだ
 
「 幕僚が悪いんです。幕僚を殺るんです 」
一同は怒号の嵐に包まれた。
何時の間にか野中が帰って来た。
かれは蹶起将校の中の一番先輩で、一同を代表し軍首脳部と会見して来たのである。
「 野中さん、何うです 」
誰かが駆け寄った。それは緊張の一瞬であった。
「 任せて帰ることにした 」
野中は落着いて話した。
「 何うしてです 」
澁川が鋭く質問した。
「 兵隊が可哀想だから 」
野中の声は低かった
「 兵隊が可哀想ですって・・・・。全国の農民が、可哀想ではないんですか 」
澁川の声は噛みつくようであった
「 そうか、俺が悪かった 」
野中は沈痛な顔をして呟くように云った。
・・・全国の農民が可哀想ではないんですか

午後1時頃 安藤部隊、白襷をして戦闘準備す
村中、新国会議事堂南角路上で堀第一師団長の自動車と遭遇す
午後2時頃 文相官邸の鈴木少尉の処へ清原少尉来る →  清原少尉に促されて鈴木少尉、円タクで警戒区域を巡回す
午後2時頃  磯部、田中隊と栗原部隊の一部を率いて閑院宮邸附近を警戒 ・・・
行動記 ・ 第二十二 「 断乎 決戦の覚悟をする 」 
午後2時40分頃  秩父宮邸で森田大尉が現状報告す
秩父宮殿下ノ歩兵第三聯隊ニ賜リシ御言葉
一、今度ノ事件ノ首謀者ハ自決セネバナラヌ。
二、遷延スレバスル程、皇軍、国家ノ威信ヲ失墜シ、遺憾ナリ。
三、部下ナキ指揮官 ( 村中、磯部 ) アルハ遺憾千万ナリ。
四、縦令軍旗ガ動カズトスルモ、聯隊ノ責任故、今後如何ナルコトアルモミツトモナイコトヲスルナ。
      聯隊ノ建直シニ将校団一同尽瘁セヨ。


午後3時頃  安藤部隊、下士官兵遺書を書く
午後4時 (2時) 頃  坂井部隊、幸楽を出て参謀本部へ
参謀本部を占領敵わず、陸軍省、参謀本部を配備 ・・坂井中尉、澁川善助は陸相官邸へ
午後
蹶起部隊本部から行動部隊下士官兵に檄文を配布 

午後4時  戒厳司令部に蹶起将校、下士官兵は帰順せずとの報告が入る
午後4時30分頃  西田税、首相官邸の栗原中尉に電話す
午後4時30分頃  安藤大尉、府立一中を視察す

夕方  栗原中尉、西田税宅へ電話する 
首相官邸から電話がかかってきまして
「 いろいろ長い間お世話になりましたけれども、奥さん、これが最後です 」

・・・西田はつ 回顧 西田税 2 二・二六事件

午後5時30分 
第一師団参謀長 舞伝男大佐、歩三聯隊長渋谷大佐、森田大尉、農相 ( 文相 ) 官邸に野中大尉 ( 傍に村中 )、幸楽の安藤大尉を訪ね帰順を説得
・・・
「 私は千早城にたてこもった楠正成になります 」 
午後6時 
香田大尉、陸相官邸に小藤大佐を訪問情況を聞く → 香田大尉、第一師団司令部に於て師団長に面接
陸軍大臣通達
陸密一三三号
事件に関する件 ( 二月二十八日午後六時 )
昭和十一年二月二十八日
陸軍大臣    川島義之
第一師団長殿
今次三宅坂占拠部隊幹部行動ノ動機ハ、
国体ノ真姿顕現ヲ目的トスル昭和維新ノ断行ニアルト思考スルモ
其行動ハ軍紀を紊リ国法ヲ侵犯セルモノタルハ論議ノ余地ナシ、
当局ハ輦轂れんこくノ下、同胞相撃ツノ不祥事ヲ可也避ケ、
為シ得レバ流血ノ惨ヲ見ズシテ事件ヲ解決セントシ、
万般ノ措置ヲ講ジタルモ未ダ其目的ヲ達セズ
痛ク宸襟ヲ悩シ奉リタルハ寔ニ恐悚恐懼ノ至リニ堪エズ、
本職ノ責任極メテ重且大ナルヲ痛感シアリ
陛下ハ遂ニ戒厳司令官ニ対シ最後ノ措置ヲ勅命セラレ
戒厳司令官ハ此勅令ニ反スルモノニ対シテハ仮令流血ノ惨ヲ見ルモ断乎タル処置ヲ執ルニ決心セリ
事此処ニ至ル、順逆ハ自ラ明瞭ナリ、
各師団長ハ此際一刻モ猶予スルコトナク所要ノ者ニ対シ、
要スレバ適時断乎タル処置を講ジ後害を胎サザルニ違算ナキヲ期セラレ度


夜になって  磯部、常盤、鈴木隊と行動を共にす
坂井 ・清原隊が陸軍省、参謀本部附近、磯部が陸相官邸附近、野中部隊は新議事堂に配備す
宵  磯部、同期生宇田に電話す・・・ 「 しかし 今となっては駄目かもしれんな
午後7時20分頃  山本又少尉、戒厳司令部へ

夜  幸楽での演説 ・・・栗原中尉、安藤大尉、中橋中尉、6中隊下士官
« 栗原中尉の演説 »
々同志が蹶起したのは
天皇と臣民の間に居る特権階級たる重臣財閥官僚政党等が
私心を慾しい侭に
人民の意志を 陛下に有りの侭を伝へて居ない
従って日本帝国を危くする
吾々の同志は已む無く 非常手段を以て今日彼等の中枢を打砕いたのである
吾々同志は皆 今夜死ぬ
諸君は吾々同志の屍を乗りこえて 飽迄も吾々の意思を貫徹して貰いたい
諸君は何れに組するや
栗原中尉がこのように問いかけると、
群衆より
討奸軍万歳 
と 云う者がありました
後は諸君と共に天皇陛下万歳を三唱します
と云って栗原中尉は
天皇陛下万歳  
と 発声しました処
其後で群衆中に
尊皇討奸万歳
 と 唱いたるものあり 群衆は之に三唱しました
・・・
幸楽での演説 「 できるぞ! やらなきゃダメだ、モットやる 」 
・・・中橋中尉 ・ 幸楽での演説 「 明朝決戦 やむなし ! 」 
・・・
下士官の演説 ・ 群集の声 「 諸君の今回の働きは国民は感謝しているよ 」 

午後8時 
香椎戒厳司令官、29日午前5時以降に攻撃できるように準備せよとの命令
北一輝、憲兵隊に逮捕さる


・・・追い詰められた事件の首謀者の1人、磯部浅一が
天皇を守る近衛師団の幹部と面会して、
「 何故(なぜ)に貴官の軍隊は出動したのか 」 と問い、
天皇の真意を確かめるかのような行動をしていたことも詳しく書き留められていた。
攻撃準備を進める陸軍に、決起部隊から思いがけない連絡が入る。
「 本日午後九時頃 決起部隊の磯部主計より面会したき申込あり 」
「 近衛四連隊山下大尉 以前より面識あり 」
決起部隊の首謀者の一人、磯部浅一が、陸軍・近衛師団の山下誠一大尉との面会を求めてきたのだ。

磯部の2期先輩 ( 36期 ) で、親しい間柄だった山下。
山下が所属する近衛師団は、天皇を警護する陸軍の部隊だった。
追い詰められた決起部隊の磯部は、天皇の本心を知りたいと、山下に手がかりを求めてきたのだ。
磯部  「 何故に貴官の軍隊は出動したのか 」

山下  「 命令により出動した 」
山下  「 貴官に攻撃命令が下りた時はどうするのか 」
磯部  「 空中に向けて射撃するつもりだ 」
山下  「 我々が攻撃した場合は貴官はどうするのか 」
磯部  「 断じて反撃する決心だ 」
天皇を守る近衛師団に銃口を向けることはできないと答えた磯部。
しかし、磯部は、鎮圧するというなら反撃せざるを得ないと考えていた。
山下は説得を続けるものの、二人の溝は次第に深まっていく。
山下  「 我々からの撤退命令に対し、何故このような状態を続けているのか 」

磯部  「 本計画は、十年来熟考してきたもので、なんと言われようとも、昭和維新を確立するまでは断じて撤退せず 」
もはやこれまでと悟った山下。
ともに天皇を重んじていた二人が、再び会うことはなかった。 
昭和維新の断行を約束しながら、
青年将校らに責任を押し付けて生き残った陸軍。
事件の裏側を知り、決起部隊とも繫がりながら、
事件とのかかわりを表にすることはなかった海軍。
極秘文書から浮かび上がったのは二・二六事件の全貌。
そして、不都合な事実を隠し、自らを守ろうとした組織の姿だった
・・・私の想い ・ 二・二六事件 「 昭和維新は大御心に副はず 」 

午後9時頃  近歩四の山下大尉、磯部と会見  
・・・行動記 ・ 第二十三 「 もう一度、勇を振るって呉れ 」 
丹生隊  終日 山王ホテル ・・・村中孝次 「 奉勅命令が下されたことは疑いがない。大命に従わねばならん 」 
夜半  香田大尉、山王ホテルへ →村中、對馬、山口と共に安藤大尉の幸楽に集合
夜  磯部浅一、山本又少尉、村中、鈴木隊と共に鉄相官邸に宿泊、 常盤少尉は文相官邸
午後10時  堀第一師団長、小藤大佐に対して蹶起部隊への指揮を外すと命令
 ・・・「 小藤大佐ハ爾後占拠部隊ノ将校以下を指揮スルニ及バズ 」 
午後10時頃  常盤少尉、酒肴を持って文相官邸の鈴木少尉の室へ
午後11時  戒厳司令部 「 戒作命第14号 」 を発令
 「 29日午前5時までに準備完了し、住民を避難させたあと午前9時を期して叛乱部隊を攻撃と命令す 」

・・・次頁  
二・二六事件 蹶起 二十九日 安藤輝三 『 農村もとうとう救えなかった 』 に 続く


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