あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

磯部淺一の四日間 1 『 陸軍大臣官邸玄關ニテ片倉少佐ヲ射チマシタ 』

2020年02月11日 10時50分56秒 | 赤子の微衷 2 蹶起した人達 (訊問調書)


磯部淺一   
第一回訊問調書
被告人  元陸軍一等主計  磯部淺一
右者ニ對スル叛乱被告事件ニ附、昭和十一年三月二日、渋谷憲兵分隊ニ於テ、
本職ハ右被告人ニ對シ訊問ヲ爲スコト左ノ如シ
氏名、年齢、族称、本籍地、出生地、住所及職業ハ如何
氏名ハ磯部淺一
年齢ハ當年三十二才
俗称ハ平民
本籍地ハ山口県大津郡菱海村字河原番地不詳
出生地ハ本籍地ニ同ジ
住所ハ東京市渋谷區千駄ヶ谷町五丁目八百九十七番地
職業ハ無職デアリマス
位記、勲章、記章、年金、恩給ヲ有セザルヤ
有シマセン
刑罰ニ處セラレタル事アリヤ
刑ハアリマセン
罰、私ハ元陸軍一等主計デアリマシタガ、昭和十年四月二日定職、同年八月二日免官トナリマシタ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
二 ・二六事件

本事件ノ
行動ニ關シ述ベヨ
私ハ二十五日ノ午後七時三十分頃、
歩兵第一聯隊ニ勤務シテ居リマス機關銃隊ノ栗原中尉ノ処ヘ山本少尉ト共ニ參リマシタ。
山本ハ當日軍服ノ儘夕方ノ五時頃私ノ宅ニ訪レテ來タノデ、
私カラ決意ヲ述ベタラ即座ニ同意シ、私ト共ニ行動シタノデアリマス。
歩一機關銃隊將校室ニ行ツタ時ニハ、林少尉、栗原中尉ガ同室シテ居タト思フ。
十時頃迄機關銃隊ニ居リ、ソレカラ第十一中隊將校室ニ參リマシタ。
其ノ時ニハ香田大尉、丹生中尉、村中ガ同室シテ居リマシタ。
此間、蹶起趣意書印刷ハ山本少尉ガ担當シ、
村中、磯部、香田ガ要望事項ノ意見開陳案ヲ練リ、香田ガ通信紙ニ認メテ居マシタ。
河野大尉ガ午後十一時歩一機關銃隊ヘ來テ十二時過ギ出發シタノデ一寸機關銃隊ヘ行キマシタ。
ソレカラ歩三ノ狀況ヲ見ルタメ、野中大尉ノ処ヘ聯絡シ、直グ歩一ヘ歸リマシタ。
歩三ヘ行クトキ
對馬、竹嶌中尉ガ自動車デ來タノデ歩三前電車路デ會ヒマシタノデ、
歩一ヘ行ク様ニ示シテ置キマシタ。

二月二十六日ノ午前四時三十分頃、
歩一ノ營門ヲ出發シマシタガ、
栗原中尉ノ指揮スル機關銃隊及ビ第十一中隊ト行動ヲ共ニシ、
赤坂山王下ニ出デテ栗原部隊ノ首相官邸ヘ行クノヲ見ツツ第十一中隊ト共ニ陸相官邸ニ向ヒマシタ。
私ハ丹生中隊ノ後尾ヲ行キマシタガ、中隊人員ハ分リマセン。
中隊ノ指揮ハ丹生中尉ガ致シテ、中隊ノ先頭ニハ村中、香田、丹生ノ三名ガ居ツタト思ヒマス。
私ハ陸相官邸ノ門ガ開イテ居リマシタカラ、直チニ中ニ這入リマシタ処、
香田大尉村中ガ憲兵及官邸家人ト大臣面會ニ就テ折衝中デアリマシタ。
丹生中尉ハ兵ヲ區処シテ陸相官邸ニ配置シマシタ。
私共ガ陸相官邸ニ赴キマシタ理由ハ、陸軍大臣閣下ニ事件ノ内容ヲ申上ゲマシテ、
時局ノ重大ナル事ニ對スル重大決意ヲ得ヨウト思ツタカラデアリマス。

午前五時半頃、
陸相官邸ニ參リマシテ色々ト御願イシヤウト思ヒマシタガ、
面會出來マセンノデ 約十回位各種ノ方法ヲ講ジ、
決シテ危害ヲ加フルノ意志ナキ事、
及ビ 會見ノ理由ヲ小松秘書官ヲ通ジテ大臣ニ話シテ貰ヒ、
到着後約一時間半後ニ御面會イタシマシタ。
大臣トノ會見ニハ香田大尉、村中ト私ガ面會シ、小松秘書官ガ立會シテ居リマシタ。
香田大尉カラ蹶起趣意書 ( 印刷シタ者 ) ヲ 口頭ニテ申上ゲ、
次ニ要望事項ニ關スル意見 及ビ 本朝來ノ行動ノ大要ヲ申上ゲマシタ。
要望事項ノ意見トハ、
一、此際斷固タル大臣ノ決意ノ要請、
二、林大將、橋本中將、小磯、建川、南、宇垣諸將軍ノ逮捕、
三、襲撃部隊ヲ其他一帯ニ位置セシメラレタキ事、
四、同志將校ノ數名ノ青年將校ヲ東京ニ招致セラレタキ事、
   數名ハ、大岸、菅波、大蔵、朝山、小川、若松、末松(青森)、江藤(歩一二)、佐々木(歩七三)、
五、不純幕僚分子ニ對シ処置ヲ乞フ、其人名ハ武藤章中佐、片倉少佐デアリマシタ。
以上ノ要望ヲ通信紙三、四枚ニ書イテアル。
多分香田大尉ガ持ツテ居ルト思ヒマス。 ・・リンク→陸相への要望書
大臣閣下トノ會見時間等ハヨク解リマセン。
私ハ聯絡ヲシタリ、他ノ事ヲシテ居リマシタ。
會見途中、陸軍次官ガ御出デニナリ、
次官カラ電話ニテ眞崎將軍、山下少將、満井中佐ヲ御召キニナリマシタノデ續イテ官邸ニ來ラレマシタ。
私ハ其後、陸相官邸、警視廳參謀本部ヲ行動シテ居リ、
亦 陸相官邸正門ニテ聯絡ニ任ジ、
二十六日ノ第一日ニハ 陸軍首脳部ノ態度ハ殆ンド解ラヌ儘 經過シマシタ。
殺害ヲ加ヘタ者ニ對シ知ツタ其ノ順序、
1、高橋蔵相ヲ完全ニヤツタコト、
2、齋藤内府ヲ完全ニヤツタコト、
3、岡田總理ヲヤツタコト、
4、鈴木貫太郎ヲヤツタコト、
5、渡邊總監ヲヤツタコト、
等デアリマスガ、
二十六日午後ニナツテ牧野内府ヲヤツタト云フ噂を聞キマシタ。

二十六日午前午前十時頃
陸軍大臣官邸玄關ニテ片倉少佐ヲ射チマシタ。
其ノ狀況ハ私ハ正門前ニテ聯絡ノ爲出テ居リマシタラ
將校ガ五、六名ヤツテ來ラレタノデ、
正門前ニ居タ二、三名ノ將校ガ之ヲ入ラナイ様ニススメタガ、片倉少佐ガ不服相デアリマシタ。
私ハ片倉少佐ハ殆ンド面識ガナク、「 片倉 」 ダト云ツタノデ片倉少佐ダト思ツタガ、殺ス氣ニナレヌ。
一旦玄關ノ方ヘ引返シマシタ。
ソシタラ田中中尉ガ片倉少佐ガ來テ居ルト言ツタノデ、
又何トカセネバナラヌト考ヘタガ、殺意ガピント來ナイノデ正門前マデ歩イテ行ツタ。
暫ラクシテ憲兵控所ノ前デ、片倉少佐ガ何カ言ツテ居ルノヲ現認シタガ引返シ、
熟考シタガ殺意ヲ生ゼズ、
ソレカラ玄關ニ來タ時、大勢ノ將校ガ玄關前ニ來リ居リ、
山下少將、石原大佐ガ將校ニ歸レ、軍人會館ノ方ヘ行ケト、命ジテ居ラレタガ、
其時 片倉少佐ガ話タイ事ガアルト、語気荒ク憤懣ノ狀アリシヲ現認シタノデ、
此將校ガ居タノデハ我々ノ威信モ滅茶苦茶ニナルト思ツタノデ、
所持ノ拳銃ヲ以テ片倉少佐ノ頭部左側面ヨリ一發發射シ、
更ニ軍刀ヲ抜イテ構マヘマシタガ、
片倉少佐ハ 話セバ分ル ト云ヒツツ、
玄關外ノ砂利敷ノ所ニ逃ゲタノデ、私モ敢テ追及セントセズ、刀ヲ収メマシタ。
ソノ狀況ハ左ノ要圖ノ通リデアリマス。

リ ンク ↓
国家の一大事でありますぞ!
行動記・第十六 射たんでもわかる


第一日ノ午後ハ、各々現在地ヲ警備セシメラレタイト言フコトヲ
山下少將、鈴木貞一大佐、西村大佐、満井中佐ニ御願ヒヲシタノデ、盡力スルト言ヒ、
西村大佐ガ警備司令部ニ折衝ニ行カレタノデアリマス。
小藤大佐、山口大尉ハ午前中ニ陸相官邸ニ來ラレタ様ニ思フ。
私ハ第一日ハ、大體、陸相官邸ニ居リ 夜ハ官邸ニ泊リマシタ。
第一日夜、満井中佐、馬奈木中佐ガ來ラレ
「 コレニ依リ御維新ニ入ラネバナラヌ 」
コトヲ 御話シシタガ、兩官ハ極力盡力シヤウトノ事ニテ、
今、宮中ニ參謀總長、陸相ガ行ツテ居ラレルカラ一緒ニ聯レテ行カウト云フ事ニナリ、
山下少將、満井中佐、馬奈木中佐、香田、村中、磯部ノモノガ
自動車ニテ宮中ニ行カントシテ御門 ( 夜間ノ爲判明セズ ) ニ 行キマシタ。
目的ハ陸相閣下ガ宮中ニ於テハ種々維新反對ノ人達ニ取囲マレテ、
本情勢ヲ誤認シテハイケナイト言フ譯デ、
満井中佐、馬奈木中佐、山下閣下ノ御發意ヲ青年將校ヲ同道シテ、
青年將校ノ心情ヲ陸相閣下ニ申上ゲテ、
陛下ノ御維新發程ノ議を奏上シテ頂ク様ニ御願スル爲デアツタ。
而シ 此事ハ、山下閣下カラ勧メラレ、
其代リ 軍事參議官を陸相官邸ニ集ツテ貰フカラト言フノデアツタガ、
不安デアツタノデ一緒ニ行キマシタガ、
御門ノ処ニ山下閣下丈ケ入門ヲ許可サレ、吾々ハ入レナカツタノデアリマス。

當夜一時頃、 (二十七日)
官邸デ 村中、香田、磯部、野中、栗原、對馬、竹嶌ガ 參議官ノ集ツテ居ラレル処ヘ出席シテ、
主トシテ香田大尉ガ今朝陸軍大臣ニ申上ゲタト同様ノ事ヲ申上ゲ、各人モ一口宛程申上ゲマシタ。
第二日ノ二十七日ノ夕方、
両面罫紙ニ 二十六日朝來行動セル將校ハ現在ノ位置ニアリテ小藤部隊トシテ、
其地區ノ警備ヲ行フベキ旨ノ警備司令官命令 ( 香椎中將ノ靑ノ鉛筆ヲ以テスル華押アリ )
ヲ見テ、大イニ安心シ、農相官邸ニ宿營シマシタ。
此命令ノ出タ事ニ就テ、村中ガ二十六日夜、香椎中將閣下ニ司令部デ御會ヒシテ
我々ガ此ノ一帯ノ臺上ヲ占領スルコトハ維新發程ノ原動力デアルカラ、
是非此位置ニ頑張リ度イ旨ヲ具申シ、其許可ガアツタモノト考ヘテ居リマス。
同日夜、農相官邸ニ泊リマシタノハ田中勝中尉ト山本少尉ト
私ノ三人デアリマシタ。

二十八日ノ朝、
憲兵隊ノ神谷能弘少佐ガ自分ヲ訪レテ來マシタ。
ソレハ同日朝山本少尉ガ警備司令部ヲ訪問シ、司令官參謀長ニ會ヒ、
此時神谷少佐ガ立會シ、後、神谷少佐ト山本少尉ガ私ヲ訪レテ來タノデ、
私ハ警備司令官ニ御會ヒシタイト云フタノデ、神谷少佐ガ案内しテ呉レマシタ。
軍人會館ニ行ツタガ司令官ニ會フ事ガ出來ズ、石原大佐ト満井中佐ニ會ヒマシタ。 
大佐殿ハ奉勅命令ガ出タラ、ドウスルカト申サレタカラ、
其時ハ 命令ニ從ハネバナラヌト答ヘ、
兎ニ角吾々ハ現在ノ位置ニ置イテ頂ク様ニナラヌモノダラウカト申シアゲマシタラ、
大佐ガ意見具申ニユカレ、
ソノ間ニ満井中佐ガ來ラレタノデ、
私ハ
「 臺上ニ居ル私共ニ解散サスコトハ軍ガ維新翼賛スル事ニナラヌ。
 即チ 私共ガアノ臺上ニ居ル事ニヨツテ國ヲ擧ゲテノ維新斷行ノ機デモアリ、
下ツテモ實ニ宮中不臣ノ徒ノ策謀ニ依ツテ、
陛下ノ大御心ヲ蔽イ奉ツタ奉勅命令ダトシカ考ヘラレマセンデシタカラ、
此際 吾々ハ部隊ヲ解散サレタナラバ、
斷乎各自ノ決意ニ於テ殘シタル不臣ノ徒ニ對シテ、天誅ヲ加ヘネバナラヌ 」
旨ヲ申シマシタ。
他ノ者ノ意見ハ
奉勅命令ガ下レバ命ノ儘ニ動カネバナラヌ
ト言フコトガ大體纏リ掛ケテ居ツタガ、更ニ相談スルコトトナリ、
其結果、全員 奉勅命令ニ從ヒ大命ノ儘ニ行動スル ト云フコトニナツタ。・・・リンク→討伐を断行する
ソコデ第一線部隊ヲ引上ゲ、將校ヲ官邸ニ集合セシムルベク
香田、村中ガ第一線部隊ニ聯絡ニユキマシタ。
第一線部隊ノ一部ノ將校 ( 安藤、外ニ歩三ノ部隊 )  ガ 最後迄ヤルノダト言フコトヲ主張シタノデ、
私共モ之ニ同意シ、最後迄ヤル決心ヲトツタ譯デアリマス。
同日午後第一線ノ安藤カラ電話ニテ、
兎ニ角、相手方ハスツカリ包囲シテ攻撃態勢ヲトツテ居ル。
吾々ニ徹底的ニ賊名ヲ着セテ了セヨウトシテオルトノ邪念ガアリマシタ。
斯クテ私ハ大イニ苦悩シマシタガ、
機關説信者ガ聖明ヲ蔽フテ居ルノデアルカラ、
仮令賊名ヲ着テモ最後迄現位置ニ殘ル、
解散サレレバ私一個トシテモ不信ノ徒ヲ、機關説思想ヲ、洗ヒ清メ
不純勢力ヲ退却セシムル事ガ出來、斯クテ皇國ノ維新ニ前進スルコトガ出來ルト思フ。
然ルニ軍ノ首脳部ニハ、吾々ヲ解散サセル処置ノミ汲々トシテ、
維新ニ入ルト言フ事ヲ考ヘテ居ナイノデハナイカト話シ、
司令官、石原大佐ニ申上ゲテ頂キタイト御願シマシタ。
暫ラクシテカラ石原大佐、満井中佐ガ入座シ、兩人デ私ノ手ヲ取リ、
石原大佐ハ司令官ニ具申シタガ採用サレズ、
奉勅命令ハ一度出シタラ之ハ實行シナイ譯ニハ行カヌ、
御上ヲ欺クコトニナルト言フ司令官ノ斷乎タル決心デアルカラ、トテモ動カセナイ、
男ト男ノ腹デアルカラ維新ニ入ルカラ暫ク引ケ、ト言フ事デアリマシタ。
私共ノ同志ハ、私ガ指揮者デモアリマセンノデ、
私ガ言ツテモ聞カナイモノガアルカモ知レナイ、然シ 私ハ私ノ出來ル丈ケノ事ハ御盡シスル、
ソレカラ解散サレタナラバ、私ハ一人デモ未ダ殘ツテ居ル國體反逆者、不臣ノ徒ニ對シテ突入スル決心デアル、
軍部ニ於テ林大將閣下ノ居ラルゝ事ハ御國ノ爲ニ忍ブ事能ハザル事デアル、
ト 答ヘ、別レマシタ。
ソレカラ陸相官邸ニ歸リマシタ。

官邸ニ香田、村中、栗原、野中等、山下閣下、鈴木大佐殿ガ居ラレマシタ。
私ハ奉勅命令斬ラウト考ヘテ居マス。
其夜ハ鐵相官邸ニ泊リマシタ。

私ハ二十九日ノ夜明ニ、ラジオデ奉勅命令ヲ聞キマシタ。
其時ハ鐵道大臣ノ官邸ノ所ヲ歩イテイル時デアリマシタ。
ソコデ首相官邸ニ參リ、栗原中尉ニ對シ、
「 君ハ如何ニ考ヘルカ 」 ト 申シタラ、
栗原ハ兵ヲ殘スコトニヨツテ維新ガ出來ルノデアリ、
中ニハ可愛ソウナ兵モ居るカラ此儘殺ス事モ忍ビナイト云ヒマシタ。
ソレデ 
私モ其決心ヲ採ル、君ハ第一線ニ聯絡シテ呉レ、僕モ聯絡スルカラ トテ別レマシタ。
ソレカラ官邸ノ方ヘ歸ル途中、坂井中尉等ニ會ヒマシタ。
坂井ハ奉勅命令ニハ從ヒ、部隊ヲ解散スル。
私ハ其決心ヲ採ッタノデアルカラ、他ノ所ハドウデアラウト私ハソウスルト申シマシタ。
ソレカラモ安藤ノ処へ行カウトシテ、其途中 ( 農林大臣官邸附近 ) 栗原ニ會ヒマシタラ、
栗原ハ野中、香田、村中、坂井、澁川ハ奉勅命令ニ從ヒ行動スル事ニ決マツタト言ヒマシタノデ、
私ハ栗原ト共ニ山王ホテルノ安藤ノ処ニ説キニ行キマシタ。
安藤ノ処デ、奉勅命令ガアツタ以上撤退スベキデアル旨ヲ説キタルモ、
安藤ハ
「 貴様ハ始メノ決心ガ變ッテイル 」
トテ叱ラレマシタ。
然シ安藤ニ對シ懇々申上ゲテイル内ニ、
安藤モ少シ考ヘサセテ呉レト暫ラク休ンデ居ツタ。
其後暫ラクシテ、
「 俺ハ負ケル事ハ嫌ダ、奉勅命令ニ遵フカラ包囲ヲ解ケ、ソレデナケレバ賊名ヲ着セラレル丈ダ 」
トノ意味ノ事ヲ申シマシタ。  ・・・リンク→ 叛徒の名を蒙った儘、兵を帰せない
ソレデ石原大佐ノ処ニ誰カガ聯絡シタモノト見ユル。
歩兵少佐参謀ガ石原大佐ノ代理ト稱シ來リ、
「 今トナツテハ、脱出スルカ、自決スルカ、二ツニ一ツダ 」
ト言ヒマシタ。 
安藤ハ之ヲ聞キ、愈々賊名ヲ着セラレタト思ツタノデアラウ。
・・・リンク→中隊長殿、死なないで下さい

私、村中、田中トハ陸相官邸ニ行ツテカラ直チニ小室ニ入レラレマシタ。
室ノ外デ機關銃ノ音ガシタ様ニ感ジマシタ。
私ハ安藤ハ最後ノ決戰ヲシテ居ルノデハナイカト思ツタ。
愈々維新ヲ眞ニ願ツテ居ル同志ノ將校ノ氣持チヲ解カズ、
安藤ノ如キ純一無垢ノ人ヲバ、大御心ヲ蔽ヒ奉ル幕僚ノ群衆ガ群リ來テ殺スノカト思ヒ、
皇國維新ノ爲ニ涙ヲ禁ズルコトガ出來マセンデシタ。
又陸相官邸内デピストルノ音ガ聞エタ様ニ感ジマシタ。
誰カ同志ガ自決カ銃殺サレタノデハナイカト思ヒマシタ。
コンナ事デハ皇國ノ維新ハ何時ノ日ニ來ルノカト思ヒ、胸ガ避ケル様デアリマシタ。

夕刻ニナり刑務所ニ送ラレマシタ。
自動車ノ中デ、安田少尉カラ
誰カ自決ヲセマラレテ非常ニ叱ラレテオツタト聞、
更ニ更ニ幕僚ニ對スル義憤ニ燃エマシタ。
・・・リンク→行動記 第二十五 「 二十九日の日はトップリと暮れてしまふ 」 


次頁 磯部淺一の四日間 2 に続く
二 ・二六事件秘録 ( 一 )  から


この記事についてブログを書く
« 磯部淺一の四日間 2 『 不成... | トップ | 村中孝次の四日間 3 『 私共... »