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獄中からの通信 (2) 宇垣一成等 ・ 告撥致候間審理相成度候

2017年05月21日 14時55分10秒 | 磯部淺一 ・ 獄中からの通信


磯部浅一 

検事総長殿
左記の者は別紙記載の通り
内乱豫備罪に該当すると認め
告撥致候間審理相成度候

左記
陸軍大将 宇垣一成
陸軍中将 二宮治重
同      小磯国昭
同            建川美次
陸軍少将 重藤千秋
陸軍砲兵大佐 橋本欣五郎
陸軍歩兵少佐 田中 清
法学博士 大川周明
清水行之助
別紙
犯罪事実

一、前掲宇垣一成(当時陸軍大臣)、二宮治重(当時參謀次長)、小磯国昭、
 建川美次(当時參謀本部部長)、重藤千秋、橋本欣五郎(当時參謀本部々員)、
田中清(当時陸軍省課員)、大川周明、清水行之助等は、
内乱を構へ、宇垣一成を首班とする軍政府を樹立し、
戒嚴令下に軍中央部の抱懐する國策を遂行せんと欲し、
昭和六年二、三月頃相結んで陰謀畫策し、着々準備を進め、
三月某日当時開会中の議會に於ける重要法案上程の日を期して
大川周明の主催を以て國民大会を開催し、これに集合せる民衆を扇動して議會に殺到せしめ、
一方帝都衛戍の軍隊の一部に命じて 「 行軍中の休憩 」 と 策称して予め議員附近に招致し置き、
右民衆の殺到するやこれに對し議会を掩護すべき任務を与へて議會を包囲せしめ、
武力を以て議會を強要し總辞表を捧呈せしめて、
政変を誘致し、
且、宮中工作の強行によつて次期總理の大命を時の陸相宇垣一成に降下せしめんとせり。
而して戒嚴令下にその政策を強行せんが為め、
清水行之助等民間浪人に擬包音(爆薬) 三百箇を与へ、
帝都各所に於て爆発し騒擾を惹起せしめ、以て戒嚴令宣布の事態を誘起せんとせり。
本事件は國民大会に餘期の成果を擧げ得ざりし等
實行上の齟齬蹉跌のため未然に終了せるものなり。
二、右擬包音に関する事項左の如し。
 橋本欣五郎は爆弾準備の任に膺り、長勇中佐(当時大尉、參謀本部々員)に之を命じたるに、
田中軍吉大尉(当時中尉、近歩三聯隊付)が 「ダイナマイト」を入手して長勇に手渡すべしと約したるを以て大ひに喜び居りしが、
田中軍吉が約を果さゞるため爆弾の準備不可能となりしを以て、
橋本欣五郎は同志に對し面目なしとて三日間欠勤し引籠り居りたるに、
建川美次がそれと知り自ら陸軍歩兵学校長宛照(紹)介状を認め、橋本欣五郎を同校に派遣せり。
橋本欣五郎は田中弥大尉(当時參謀本部々員)を伴ひ、
演習中の歩兵学校長代理筒井正雄中将に習志野に於て会見し、
事情を具陳して爆弾調弁方を依頼せる結果、
橋本、田中両人は歩兵学校副官高浜某大尉と同行、程ケ谷某火薬工場に至り、
歩兵学校発行の伝票にて擬包音三百箇を購入し、三名にて之れを參謀本部に携行せり。
參謀本部に於ては部員を動員して内外の交通を遮断し厳密理に同擬包音を建川部長室に搬入し、
后日前記目的のために清水行之助等に之れを手交せり。
荒木貞夫大将の陸相時代、
民間に散在しありしこの擬包音を苦心の結果回収し、歩兵学校に返還し、
且、技術本部々員山口一太郎大尉に命じてその効力試験を行はしめたる結果、
人馬殺傷の効力を有すること判明し、同大尉はこの儘放置せば爆発の危険ありと認定し、
廃棄処分にすべきことを注意し置きたるにも拘らず、同校に於て其処置を怠りたるため、
后日自然発火して爆発し、一倉庫を紛砕せり。
昭和十年七月教育總監更迭を繞り統帥權上の問題発声し当時、
非公式軍事参議官会議の席上、
荒木大将は右試験に使用せる擬包音の破片を証拠物件として、
永田鉄山 ( 昭和六年頃の陸軍省軍事課長にして本事件に参畫せる一人なり ) 等が
従来各種の陰謀をなし軍の統帥を攪乱しある事実を指摘し、
眞崎總監の更迭より是等皇軍を攪乱しつゝある者を先づ処分すべきことを痛感せり。
三、右世上「三月事件」と称しある事件の内容に関しては、
 昭和十年七月告発人村中孝次、磯部浅一の両名より陸軍当局に具進(申)せる
「 粛軍に関する意見書 」 と 標記せる上申書中の付録 「 田中清少佐手記 」 に 詳細に記載しあり。
田中清少佐は当時同事件に干(関)与し
( 田中清は当時大尉にして、同人が自ら告発人村中孝次に語る所によれば、
橋本欣五郎より
「 本計畫は佐官以上にて実行する予定なりしも、
君はこの方面の研究家なるを以て特別に参加を乞ふ 」
と 勧誘せられて本事件に関与するに至れりと )、
重要謀議に参画せる一人なり。
「 田中少佐の手記 」
は 同人が曾て旧旅団長石丸少将の乞に応じて
自己の干(関)与せる三月事件 及 十月事件の経緯を手記せるものにして、
后日世上に流布せるものにして、
田中清は本手記は同人の作成せるものなることを村中孝次に言明せるものなり。
「備考」 「粛軍に関する意見書」 后日証拠品として呈出す。
四、第二項記載事項前半は高浜某が元陸軍歩兵大尉山口一太郎に對し談話せることを主體とするものにして、
 后半は陸軍少将平野助九郎が告撥人村中孝次、磯部浅一に語りたる所なり。
山口一太郎、平野少将、荒本(木)大将を証人として喚問ありたし。
五、右事実を要約するに、本事件は時の陸相初め軍首腦部が相結托(託)し、
 兵馬大権を簒奪して軍隊を頣使私用し、至尊を鞏要し奉り、議會を占領し、
且、民間右翼団体を利用して動乱を惹起し、
戒嚴令下に軍政を強行せんとせし不軌大逆の簒奪行為にして、
國體を破壊し幕政時代の中世へ逆転せんとせしもの、
その絶対に許すべからざる内乱(反乱)の呼び行動なりしこと極めて明瞭なりとす。


便箋六枚にペン書


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