あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

前夜

2019年01月25日 09時54分17秒 | 前夜

わたくしはあの事件の起きますことを、二月二十三日に知ったのでございます。
西田の留守に磯部さんが見えまして、
「 奥さん、いよいよ二十六日にやります。
西田さんが反対なさったらお命を頂戴してもやるつもりです。
とめないで下さい 」
と おっしゃったのです。
その夜、西田が帰って参りましてから磯部さんの伝言をつたえました。
「 あなたの立場はどうなのですか 」
「 今まではとめてきたけれど、今度はとめられない。黙認する 」
西田はかつて見ないきびしい表情をしておりました。
言葉が途切れて音の絶えた部屋で夫とふたり、
緊張して、じんじん耳鳴りの聞こえてくるようなひとときでございました。
容易ならない企てでございます。
わたくしどもは、子供もなく、どんな事態が起こりましても、
自分ひとりの責任で生きて参ればよろしいのでございますが、
結婚後年経ぬ若い奥様たちや小さいお子たち、親御さんたち、
事件のあとの家族の境遇をあれこれ想像いたしますと、
ひとりの女として胸苦しさに耐えられないほどでございました。
それから二十六日まで、苦しい辛い迷いに悩み抜きました。
露顕して未遂に終わってくれればいい。
あれだけ思いつめているのだから、成功させてあげたい。
わたくしが然るべき筋へ密告しなくてはいけないのじゃないだろうか。
この三つの考えの堂々めぐりで、死ぬような思いをいたしました。
・・・
西田はつ 回顧 西田税 2 二・二六事件 「 あなたの立場はどうなのですか 」 

・ 西田税 「 今迄はとめてきたけれど、今度はとめられない。 黙認する 」 
・ 西田税 1 「 私は諸君と今迄の関係上自己一身の事は捨てます 」 
・ 西田税、栗原安秀 ・ 二月十八日の会見 『 今度コソハ中止シナイ 』 
・ 西田税、安藤輝三 ・ 二月二十日の会見 『 貴方ヲ殺シテデモ前進スル 』
・ 西田税、澁川善助 ・ 暁拂前 『 君ハ決シテ彼等ノ仲間へ飛込ンデ行ツテハナラヌ 』
西田税、村中孝次 ・ 二月二十ニ日の会見 『 貴方モ一緒ニ蹶起シタラ何ウデスカ 』 
・ 西田税 (一) 「 貴方から意見を聞かうとは思はぬ 」

西田ハ時機ニ
非ズト考ヘ居ルト同時ニ
自分ノ意見ヲ兎ヤ角言フヨリモ同志ノ將校等ニ一切從ツテ行コウト言フ決心ノ様ニ見エマシタ。
初メ五 ・一五事件ノ起キル一ケ月半程前ニ私ハ或ル豫感デ
西田ガ危險ナ渦中ニ
在ルト言フ事ヲ感ジマシテ
西田ヲ呼ビ 「 君ハ何ヲシテ居ルノカ知ラナイガ 今ヤツテイル事カラ身ヲ引イタラヨカロウ 」
ト堅ク戒メタ事ガアリマス。
夫レガ五 ・一五事件トナツテ現ワレタ時 他ノ反對威力ノ西田ヲ邪魔者ニ考ヘテイル
小サキ私心ト相俟ッテ西田ヲ狙撃シ何年間ニ亘ツテ西田ヲ裏切者宣傳ヲシタノデアリマス。
西田トシマシテハ私ノ手當ニヨツテイチ命ヲ助カツタト言フ深イ感謝ガ
有ル、
一面ニ年少気鋭ノ性格カラ此ノ侮辱に堪ヘラレン風デアリマシタ。
今回ノ時モ既ニ私ガ西田ニ前回ノ如ク圏外ニアル様ニト勧告シタ所デ
西田ハ其ノ勧告ニ從フ心持モ見ヘマセン、
今回コソハ同志ト共ニ生死ヲ共ニシヨウト堅イ決心ガ意外ニ認メラレテ居リマシタ。
從テ私ハ西田ニモ關係將校ニモ中止方ヲ勧告シマセンデシタ。
・・・北一輝


・ 「 貴様が止めなくて一体誰が止めるんだ 」 
・ 北一輝 1 「 是はもう大勢である 押へることも何うする事も出来ない 」 

・ 西田税 (二) 「万感交々で私としては思ひ切って止めさせた方が良かったと思ひます  」 


前夜
目次
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山口一太郎大尉 壮丁父兄に訓示 
・ 
山下奉文の慫慂 「 岡田なんか打斬るんだ 」 
・ 
竜土軒の激論 

・ 香田清貞大尉の参加 
・ 池田俊彦少尉 「 私も参加します 」 

二十二日の早朝、
再び安藤を訪ねて決心を促したら、
磯部安心して呉れ、
俺はヤル、
ほんとに安心して呉れ

と 例の如くに簡単に返事をして呉れた。
本日の午後四時には、
野中大尉の宅で村中と余と三人会ふ事になってゐるので、
定刻に四谷の野中宅に行く。
村中は既に来てゐた。
野中大尉は自筆の決意書を示して呉れた。
立派なものだ。
大丈夫の意気、筆端に燃える様だ。
この文章を示しながら 野中大尉曰く、
「今吾々が不義を打たなかたならば、吾々に天誅が下ります」 と。
嗚呼 何たる崇厳な決意ぞ。
村中も余と同感らしかった。
野中大尉の決意書は村中が之を骨子として、所謂 蹶起趣意書 を作ったのだ。
原文は野中氏の人格、個性がハッキリとした所の大文章であった。
・・・第十 「 戒厳令を布いて斬るのだなあ 」 

斯くて 興津の西園寺公望襲撃は中止された 

・ 命令 「 柳下中尉は週番司令の代理となり 営内の指揮に任ずべし 」 


野中大尉 「 同志として参加してもらいたい 」

その夜 ( 2 5 日 ) 九時頃
鈴木少尉 ( 週番士官に服務 ) の指示で、
下士官全員は少尉と共に第七中隊長の部屋に集合した。

部屋の中には七中隊の下士官も集まっていて私たちが入るとすぐ扉をピタリと閉めた。
すでに話が進んでいたらしく机の上には洋菓子と共にガリ版の印刷物があった。
野中大尉は私たちを見ると一寸顔をくずし、
「 十中隊もきてくれたか 」 といってすぐ切り出した。

話の内容は
相澤事件の真意、昭和維新の構想、蹶起の時期、
といったやはり私が予想していたことの具体的解説とその決意であった。
「 今述べたことをこれから実行する。そこで貴君等の賛否を伺いたい 」
大尉の顔がひきしまり、目が光った。
私たちは蹶起が正しいことなのか邪であるのか考えたが判断がつかず、しばし声なく数分間の沈黙が流れた。
やがて私は、
「 賛成します 」 と答えた。
すると他の下士官も追随して賛意を示したので、
それを聞いた野中大尉は、
「 賛成してくれたか、それでは細部について述べるが、まさか裏切ることはあるまいな 」
といいながら全員の顔を机上に集めて地図を拡げた。

以下 大尉の話は核心に触れていった。
出動部隊名、兵力、各部隊の襲撃目標、そして中隊における非常呼集の時刻、
兵の起こし方、装備、携行品等、こと細かく説明が続いた。
第十中隊は第三、第七中隊と共に警視庁を襲撃することを確認したとき何か体が引締まる思いがした。
・・・
下士官の赤誠 1 「私は賛成します 」 

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村中孝次 蹶起ノ趣意書ヲ閲讀ス。
磯部、山本亦是ニ見入ル。
中ニ 「 我等絶體臣道ヲ行ク遺族ヲシテ餓ニ泣カシム勿レ 」 ノ一文アリ。
コレ他ナシ。
首魁タル村中ノ心事ハ佐久間艇長ノ心事ナリ。
艇長海底ニ於テ最后ノ遺書中ニ曰ク
「 謹ミテ陛下ニ申ス。遺族ヲシテ餓ニ泣カシムルコトナカランコトヲ 」。( 取意 )
コノ心事ナリ、深事ナリ。
村中ノ心中、同志千數百ノ遺族ノ將來ニ思ヒ及シ二十二ノ文字トシテ、ニジミ出デタルナリ。
慈ヒハ丈夫ノ心ナリ。骨肉ノ恩愛、古來丈夫ノ涙ナリ。女々シト笑フナカレ。
古來大義滅親ノ行ニ、骨肉恩愛ノ涙ナキ丈夫ヤアル。
コレ天性ナリ。
止ムニ止マレヌ皇臣ノ忠魂ハ、骨肉恩愛ノキヅナヲ斷ツテ、決死絶體ノ臣道ヲ奉行スルナリ。
磯部、村中、山本 小首ヲ傾ケ、沈思深考ス二十二文字ナリ。
三人議シテコレヲ削ル。二人亦同意先後ナレ、
アア、今ニ至リテコノ一文ヲ知ルハ、予一人ナリ。
四人幽明境ヲ異ニシテ既ニナシ。遺族今ヤ如何。

・・・ 
山本又 『 我等絶體臣道ヲ行ク遺族ヲシテ餓ニ泣カシム勿レ 』


山本又 『 我等絶體臣道ヲ行ク遺族ヲシテ餓ニ泣カシム勿レ 』

2019年01月24日 11時04分14秒 | 前夜


山本 又


蹶起趣意書
謹ンデ推ルニ我神洲タル所以ハ、
萬世一神タル天皇陛下御統帥ノ下ニ、擧國一體生成化ヲを遂ゲ、
終ニ 八紘一宇ヲ完フスルノ國體ニ存ス
此ノ國體ノ尊嚴秀絶ハ
天祖肇國神武建國ヨリ明治維新ヲ經テ益々體制を整へ、
今ヤ 方ニ萬萬ニ嚮ツテ開顯進展ヲ遂グベキノ秋ナリ
然ルニ 頃來遂ニ不逞兇惡の徒簇出シテ、
私心我慾ヲ恣ニシ、至尊絶對ノ尊嚴を藐視シ僭上之レ働キ、
萬民ノ生成化育ヲ阻碍シテ塗炭ノ痛苦ニ呻吟セシメ、
從ツテ 外侮外患日ヲ遂フテ激化ス
所謂 元老重臣軍閥財閥官僚政黨等ハ 此ノ國體破壊ノ元兇ナリ、
倫敦海軍條約
竝ニ 教育總監更迭 ニ於ケル 統帥權干犯、
至尊兵馬大權ノ僣窃ヲ圖リタル 三月事件 或ハ 学匪共匪大逆教團等
利害相結デ陰謀至ラザルナキ等ハ最モ著シキ事例ニシテ、
ソノ滔天ノ罪惡ハ流血憤怒眞ニ譬ヘ難キ所ナリ
中岡、佐郷屋、
血盟團 
ノ先駆捨者、
五 ・一五事件 ノ噴騰、相澤中佐ノ閃發トナル 寔ニ故ナキニ非ズ
而モ 幾度カ頸血ヲ濺ギ來ツテ 今尚些カモ懺悔反省ナク、
然モ 依然トシテ 私權自慾ニ居ツテ苟且偸安ヲ事トセリ
露支英米トノ間一触即發シテ
祖宗遺垂ノ此ノ神洲ヲ 一擲破滅ニ堕ラシムルハ 火ヲ睹ルヨリモ明カナリ
内外眞ニ重大危急、
今ニシテ國體破壊ノ不義不臣ヲ誅戮シテ
稜威ヲ遮リ 御維新ヲ阻止シ來レル奸賊ヲ 芟除スルニ非ズンバ皇謨ヲ一空セン
恰モ 第一師團出動ノ大命渙發セラレ、
年來御維新翼賛ヲ誓ヒ殉國捨身ノ奉公ヲ期シ來リシ
帝都衛戍ノ我等同志ハ、
將ニ萬里征途ニ上ラントシテ 而モ顧ミテ内ノ世狀ニ憂心轉々禁ズル能ハズ
君側ノ奸臣軍賊ヲ斬除シテ、彼ノ中樞ヲ粉砕スルハ我等ノ任トシテ能ク爲スベシ
臣子タリ 股肱タルノ絶對道ヲ 今ニシテ盡サザレバ破滅沈淪ヲ翻ヘスニ由ナシ
茲ニ 同憂同志機ヲ一ニシテ蹶起シ、
奸賊ヲ誅滅シテ 大義ヲ正シ、國體ノ擁護開顯ニ肝脳ヲ竭シ、
以テ神洲赤子ノ微衷ヲ献ゼントス
皇祖皇宗ノ神靈 冀クバ照覧冥助ヲ垂レ給ハンコトヲ
昭和十一年二月二十六日
陸軍歩兵大尉野中四郎
外 同志一同

コノ夜同志代表ヲ野中大尉ニ依頼ス。
村中ノ案ナリ。
實ハ村中代表タルヘキナリキ。
現役ニ非サルニヨル

コノ趣意書ハ村中孝次ノ起草スル処ニ二月二十五日夜十時頃、
歩兵第一聯隊第十一中隊將校室ニ於テ、山本又鐡筆ニテ、トー冩版紙ニ書キ、
約三百通トー冩シ、同志ニ分配シ、且將校携行ス
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昭和十一年二月二十日、大雪ニシテ満都白皚々タリ。タメニ交通機関一時ト絶ス。
二月二十五日ニ至ル迄、時々降雪アリテ未タ白皚々トシテ、満都雪ヲ以テ埋ム。
本年初頭ヨリ降雪シキリニシテ近世稀ナリ。
天ノ啓示ナルヘシ。
内外國患愈々迫ル。憂國ノ表情ヤ轉タ切ナリ。
諸計畫準備ニヨリ軍部外ノ同志ハ、二月二十五日午后八時迄ニ、歩兵第一聯隊ニ集合ス。
是ヨリ先、余ハ約ニヨリ午後六時 同志磯部宅ニ至ル。
天照皇大神宮ニ神酒ヲ献シ、今世最后ノ杯ヲ傾ク。
死生ヲチギル盟友トノ 美酒香ヲリ オーシュー。
魂タメニ靈境ニアリ。
國患ヲ除キ、君恩國恩ヲ報シ萬民塗炭ノ疾苦ヲ除去センカタメ、捨身國體擁護ノタメニ立ツ。
今世最后ノ置酒一杯ノ酒、一斤ノ香ノ物、未タ體經セサル美酒香タリ。
傍ニ磯部夫人及義弟アリ。我等カ心魂ヲ讀ミタリト判ス。

午后七時過キ磯部宅ヲ立ツ二名ナリ。
尾行ヲケー戒ス。怪シノ一人我等ヲ尾行スルモノノ如シ。
天ヲ仰ケハ上弦ノ月、西天靈光サシタリ。
我等カ微忠ヲ嘉スルモノノ如ク感ス。
祈レリ願クハ名月天子我等カ微忠ヲ達セシメ給ヘ。オ題目ヲ三邊回向シ奉ル。

自動車ニ乘リ六本木ノ歩一ニ向フ。
歩一ヲ通過シテ離トーノ邑ニ降リ、直ニ別ノ自動車ニ乘リ、ウ回シテ歩一ノ附近ニ降車シ、
先ノ怪シノ尾行ヲマク。大事ニマレ小事ニマレ、一事ヲナス 綿密用意周到ナラサルヘカラス。
歩一ノ衛門ヲ通ル午后七時五十分ナリ。

機關銃隊ニ至ル廊下ニテ、英剛栗原中尉ニ會ス。
ヤア、ヤア 言簡ニシテ心魂ヲ以テ語ル。多言ヲ要セス。
案内ニヨリ將校室ニ至ル。
中島少尉アリ。紅顔ノ青年將校ナリ。決死眉宇ノ間ニ現ル。ヤア、ヤア 言簡ニ盡ス。

磯部、山本 椅子ニヨル。
磯部五尺七寸、十九貫ノ堂々タル偉丈夫ナリ。
信念亦透徹、理論理義亦同志中最タルモノタリ。
磯部洋服ヲ軍服ニ更衣ス。余ハ軍服タリ。
予、中島少尉ニ語リテ曰ク、君、禅ヲ更新センカ
少尉曰ク、旧シ
予曰ク、我等如何ナル処ニカ死ガイヲ晒サレ、死ガイ片附ノ際、褌古クバ武士ノタシナミトシテ恥ナリ。
我モ亦古シ。新シキニ更ヘン。
少尉立チテ市中ニ求ム。三人分ノ肩章及褌ヲ購メ來ル。三人更新ス。スガスガシ。

ヤガテ村中孝次來ル。ヤア ト相互ニ挨拶、ザン時明朝ノ義擧ヲ魂談ス。
嚴肅、透境、凡絶、筆舌例ヘ難シ。壯快ニ非ス。快適ニ非ス。
非想、超凡、嚴快ナルカ、肅然ナルカ文字ヲヨクコレヲ表シ得ス。

中島ココニ止リ、村中、磯部、山本ノ三名十一中隊ニ至ル。
中尉丹生誠忠中隊長タリ、將校室ニ入ル。
ダンロノ傍ニ大尉香田淸貞 腕ヲ組シテ沈思黙然タリ。
予等ヲ見テ莞爾トシテ、ヤア、ヤア 相互ニウナヅク。大尉、カ黙ノ男ナリ。
丹生中尉亦ダンロノ傍ニアリ。青年將校中ノ美丈夫ナリ。
相互ニ莞爾トシテ挨拶ス。
三人ダンロノ傍ノ椅子ニヨル。
磯部地圖ヲ開イテ襲撃目標タル國體破カイノ元兇等ノ居処ヲニラム。
五人ノ將校亦コノ地圖ニ見入ル。
眼光紙背ニ徹シテ國賊ノ身命肝腑ヲ射貫クハ思ナリ。

ヤガテ、村中孝次 蹶起ノ趣意書ヲ閲讀ス。
磯部、山本亦是ニ見入ル。
中ニ 「 我等絶體臣道ヲ行ク遺族ヲシテ餓ニ泣カシム勿レ 」 ノ一文アリ。
コレ他ナシ。
首魁タル村中ノ心事ハ佐久間艇長ノ心事ナリ。
艇長海底ニ於テ最后ノ遺書中ニ曰ク
「 謹ミテ陛下ニ申ス。遺族ヲシテ餓ニ泣カシムルコトナカランコトヲ 」。( 取意 )
コノ心事ナリ、深事ナリ。
村中ノ心中、同志千數百ノ遺族ノ將來ニ思ヒ及シ二十二ノ文字トシテ、ニジミ出デタルナリ。
慈ヒハ丈夫ノ心ナリ。骨肉ノ恩愛、古來丈夫ノ涙ナリ。女々シト笑フナカレ。
古來大義滅親ノ行ニ、骨肉恩愛ノ涙ナキ丈夫ヤアル。
コレ天性ナリ。
止ムニ止マレヌ皇臣ノ忠魂ハ、骨肉恩愛ノキヅナヲ斷ツテ、決死絶體ノ臣道ヲ奉行スルナリ。
磯部、村中、山本 小首ヲ傾ケ、沈思深考ス二十二文字ナリ。
三人議シテコレヲ削ル。二人亦同意先後ナレ、
アア、今ニ至リテコノ一文ヲ知ルハ、予一人ナリ。
四人幽明境ヲ異ニシテ既ニナシ。遺族今ヤ如何。

ヤガテコノ蹶起趣意書ヲ謄冩版ズリニスヘク、予コレヲ鐡筆ニテ原紙ニ書ク。
一上等兵、謄冩機ニテ トー冩ス 譯三百通ナリ。
村中、磯部、香田、丹生、山本、コレヲ綴ル。
同志ニ分配、將校數部、又ハ十數部携行ス。
予十數部携行ス。
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磯部ノ宅ヲ出ル頃粉雪チラチラタリシカ、
夜更クルト共ニ雪益々繽紛トシテ降リシキリ、
深更白皚々トシテ月明ノ如シ。
外ハ白皚々ノ銀世界、心中スミ透りスミ渡リ、
銀世界中天地人三才一如シテ、心快名狀スヘカラス、
筆舌ノヨク千萬分ノ一ヲモヨク表現シ得ス。士
古來報恩大義ノタメ決死ニハ、天ジユン白ノ雪ヲ降ス。
四十七士、櫻田門、古例最多ナリ。
古武士ノ心懐、我心中ニヨミカヘリテ、ウレシトモ喜うれシ。
コノ夜風ナク繽紛トシテ雪ノミ下リシキル。
深更、軍犬ノ聲シキリニシテカマビスシ。

夜十時頃栗原中尉來リテ告グ。
監禁中ノ一軍曹、逃走シタリ。脱營シテ大隊長ニ報告セルモノノ如シト。
一同意ニ介セス。

深更、對馬、竹嶌ノ兩中尉、突然ドアヲ排シテ入リ來ル。
ヤア、ヤア 意外ナリ。
兩人曰ク、誠ニ申譯ナシ、本日午后二時頃決行準備ノ直前、
中尉板垣徹、兵力使用ヲ反対ス。決行ニ入ル準備ノ直前ナリ。
彼氣オクレテ踵きびすヲ反シ、百八十度ノ轉廻ヲナシタルナリ。
對馬中尉奮然トシテ決闘ヲナサントス。
竹嶌中尉之ヲナダム。
コノ事アリテ大事ノモノレントス故ニ、西園寺襲撃ヲ取リ止メ、
豊橋ヨリ車中東上、ココニ來ルト。一同止ムヲ得ストス。惜シイ哉。
板垣己レ一箇ノ身命ヲ惜ミ、大兇賊ヲ逸シタリ。
コレ倒シナハ、國體ノ顕現如何ニ偉大ナリシカ。彼西園寺大魁ナリ。
西園寺ノ生命ノ延長ハ、國體反逆ノ時代惡ノ生命ノ延長ナリ。
惜みても惜みても盡セジ、西園寺襲撃中止ノ一事。

丹生中尉ヨリ、ケン銃ヲ受ク。
軍刀ハ澁川氏ノ贈ルトコロナリ。竹嶌中尉ハ陸軍大臣官邸ノ我等ト行ヲ共ニスベクココニ居リ、
對馬中尉ハ首相官邸組ノ栗原中尉ノ部隊ニ合スルタメ機關銃隊ニ行ク。
深更、磯部ハ歩三ニ至リ同志ト聯絡ス。
野中中隊ノ志氣ケンコータルヲ見、事成ルト喜ビ傳フ。
午前三時頃、丹生中尉非常呼集ヲ行ヒ、武装舎前ニ整列。
彈薬ヲ分配ス。士卒緊張ス。
下士官ヲ一室ニ集メテ、丹生中尉、予ヲ紹介ス。
予曰ク、諸君キン玉ヲ握ツテ見ヨ。
一下士官曰ク、ドーシテデスカ。
曰ク、カタクテハ、ダメダ、ダラリデナケレバイケナイ。
上ルトカタクナリ落チツケバダラリトスル。
一同成程ト云フ。各人破顔一笑。
顔ホコロブ。午前四時頃營庭ヲ出發ス

山本又 著  二 ・二六事件  蹶起将校最後の手記  から


命令 「 柳下中尉は週番司令の代理となり 営内の指揮に任ずべし 」

2019年01月22日 13時13分34秒 | 前夜


柳下良二 中尉
二月二十二日から一週間
私は週番士官勤務についていた。
週番司令は安藤大尉である。
夕食はいつも将校集会所で週番士官達が同席したが、
二十三日 安藤大尉の妙な挙作に接した。
大尉は普段明朗な人だが
当日の夕食時には全く口を閉ざしたままで別人のように見えた。
おかしいこともあるものと思ったが、
考えてみるとその頃大尉は重大な決意に苦しんでおられたのだ。
即ち 蹶起にあたり、
下士官兵を連れ出すことを最後まで反対していた大尉だったが、
これを合法的なものにするための方法を種々研究していたに違いない。
ようやく結論を得たのか 翌日以降はまた いつもの本人になっていた。

二十四日
日夕点呼後
報告のために司令室に行くと部屋の中に 村中孝次元大尉 が いた。
  ( これより先 「 粛軍に関する意見書 」 により免官となった )
彼は軍服に身をかためて何か 安藤大尉と連絡している様子であり、
私の注目を惹いた。

二十五日
日夕点呼後 巡察をすませ 二二・三〇頃就寝したところ、
 二四・〇〇直前 安藤大尉の当番兵に起されて司令室に行った。
呼ばれたのは私一人だけだった。
安藤大尉はそこで
私に次のような要旨の命令を下した。
1  かねて相沢事件の公判に際し、真崎大将の出廷による証言を契機とし、
    事態は被告に有利に進展することが明かとなれり。
2  しかるに この成行きに反発する一部左翼分子が蠢動し、
    帝都内攪乱行動に出るとの情報に接す。
3  よって 聯隊は平時の警備計画にもとづき
    主力をあげて警備地域に出動し、警備に任ぜんとす。
4  出動部隊は第一、二、三、六、七、一〇の各中隊とし、
    機関銃隊は一六コ分隊を編成し、各中隊に分属せしむべし。
5  柳下中尉は週番司令の代理となり 営内の指揮に任ずべし。

私は思わず ハッとした。
遂に行動を起したのかと 寝耳に水の思いで命令を受領した。
安藤大尉は命令を下達し終ると
私の側にきて 「 柳下、この際 たのむよ 」 と いった。
銃隊に戻った私は忽ち判断に苦しんだ。
それは聯隊長不在間、聯隊の責任を持つ週番司令の命令であるにせよ、
銃隊の主力を出動させるのに銃隊長に無断で命令はくだせない。
当然報告して 決心を仰がねばならぬ ということである。
そこで 〇〇・三〇頃
銃隊長の当番兵を伝令として、
大雪なのでタクシーで銃隊長宅に赴かしめその指示を仰ぐよう指令した 。
銃隊長の自宅は高円寺である。
待つこと約一時間、
当番兵だけが帰ってきた。
銃隊長は出張先の豊橋教導学校から未だ帰宅していないとのこと。
遂に私は決心し下士官集合を命じ 前記命令を伝え、
次いで 非常呼集をかけた。
こうして 〇二・〇〇までに編成を終わり各中隊に差向けた。
しかし 機関銃隊の主力が出動するのに将校が残留することは通常あり得ないことなので、
私自身も出動を決意し
当番兵の藤野に世田谷の自宅から軍刀、拳銃なとせの軍装品を持ってくることを命じた。
ところが藤野は衛兵所の前で安藤大尉に見咎められ追返されてきた。
続いて同大尉が銃隊将校室にやってきて
当番兵派遣の理由を聞いたので、
出動の決意と軍装品の必要について答えたところ、その必要なしといわれ、
あくまで聯隊内の警備にあたるように重ねて命令された。
そこで銃隊としては先任の立石曹長を指揮官として差出すことにした。
部隊は四時頃から逐次出発。
私は営門の所で 全部出動し終わるまで見送りを続けた。
粛々として営門を出て行く下士官兵たちの心境や如何。
路上は残雪が凍てつき 寒気はいよいよ厳しかった。
しかし その時は蹶起計画を打ち明けられていなかった私として、
事件の全貌を予想することはできなかったが、
後にして想えば、
正に 「 昭和維新 」 に向って幕が切って落とされた一瞬だったわけである。

それから約二時間、
〇六・〇〇頃には聯隊長以下各隊の将校が急を聞いて聯隊にやってきた。
私は早速聯隊長に事の一切を報告したところ、
一瞬 驚きの色を浮べたが動揺といったものは見られず、
将校の間にも半ば是認する空気さえ感じられた。
これは、あるいは私の錯覚かも知れないが
一言でいえば 『 よくやった 』 と いうことだ。
六時過ぎから断片的ではあるが 出動部隊の行動が逐次入ってきた。
日本をひっくり返すような大事件となったわけであり、
聯隊内はことの予想以上の発展に驚愕した。
私たちはその中でジッと事態を見守るだけであった。
午後になると
一五・三〇 東京警備司令部から陸軍大臣告示が出され、
同時に出動部隊にも伝えられたという。
私たちはそれを一読した途端 期せずしてドヨメキが立のぼった。
蹶起部隊の真意を陛下がお認め下さったのである。
行動は正しいのだ。
昭和維新の実現は早くも時間の問題であると判断して、
我々は出動した将兵に思いを馳せた。
早速出動部隊に対し 炊出しがはじまった。
厳寒の中を行動しているので、
暖かいものを食べさせてやろうと
経理将校以下炊事班が懸命になって準備に入った。

二十七日 〇八・〇〇、戒厳令が発令され、
 蹶起部隊は地区警備隊として香椎戒厳司令官の隷下に編入された。
一方 その頃 東京周辺に駐屯する各聯隊が続々上京してきて
共に香椎戒厳司令官の指揮下に入った。
その時点では警備兵力の不足を増強するため
と いうことを表面上の理由にしていたと思われる。
ところが
二十八日 〇六・三〇、奉勅命令なるものが出された。
この内容は蹶起部隊は占拠をやめて聯隊に帰れというものだが、
どういうわけか 蹶起部隊には伝わらなかった。
そのため部隊は相変わらず現場で頑張っていたところ、
命令を聞かなければ
鎮圧部隊が攻撃を仕掛けるという高圧的な態度に出たため、
あわや皇軍相撃の事態を迎えるかに至った。
しかし 攻撃開始命令の延伸と二十九日のラジオ放送
並びにビラの撒布によって
蹶起部隊はようやく事態の大要を承知し、
奉勅命令を知らぬまま、原隊復帰に踏切ったのである。
この辺の経緯は聯隊に在る私たちにとっても奇妙な感を抱かせ、
戒厳司令部やその背後の軍上層部内の混乱ぶりが如実に窺がわれた。
命令は作文されただけで伝えることをせず、
その揚句命令違反を唱え、果ては逆賊呼ばわりにする一方的な振舞いには腹が立った。
何故堂々と話合えなかったのか、
これでは殺し文句で相手をねじ伏せたようなものだ。
今も二・二六事件の謎の一つとなっているが、
まことに不可解である。

こうして蹶起部隊は二十九日までに下士官が指揮して原隊に復帰し、
将校は全員 ( 陸軍大臣官邸で自決した野中大尉を除く )
陸軍衛戍刑務所に収容され、
さしもの大事件も表面的には落着した。
その後 聯隊内では幹部の大移動が行われ、一期の検閲も三月末に終了できたが、
この間 私は聯隊長から重謹慎の処分を受けた。
これは聯隊長の判断によって行使する行政処分で、
私のとった処置が不適当であったことを意味するものである。
これより先、
三月四日になると 東京憲兵隊の鎌田憲兵中尉がやってきて事情聴取を、
次いで 十二、三日の両日 憲兵隊に出頭して取調べを受けた。
その時憲兵は 「この程度なら大したことはありません 」
と 安心させるようなことをいった。
私は変な予感を覚えたが以後何事もなく過ぎたものの
四月五日にまたしても第一師団法務部から出頭命令がきた。
出向いてみると大尉相当の法務官が私を迎え 再び取調にあたり、
終了と同時に刑務所に送られ
以後五月上旬まで一日置き位いに十五回ほど取調べられ
遂に起訴となった。
収容された代々木の衛戍刑務所は、
斜面に作られていて高い管理棟 ( 受付、事務室等 ) があり、
その下の建物から下方に向って数棟の獄舎が並列していた。
新入者は管理棟近くの獄舎に入るらしく、
早く入所した者ほど下方になるようだ。

私にとってここに入所中 忘れられない思い出がある。
入所して幾日か過ぎた頃、
丁度下方の獄舎の相向いに、見たような顔つきの者を発見した。
やがてそれが安藤大尉であることが判明したので、
早速足しは空間にカタカナを書いて知らせると、
安藤大尉もすぐに返事をくれた。
以後看守の巡視の合間を見ては、手まめに通信を続けた。
安藤大尉は私の入所を心から詫び 申しわけないといい続けた。
七月十二日は安藤大尉等の処刑の日だった。
その前夜静かな空気の中には御題目を唱える声が聞えてきた。
四号棟か五号棟あたりだ。
すると 別の方から大声で叫ぶ声がおこった。
その声はよく聴きとれないが、
おそらく軍部や裁判への怨みか 将又 妻子肉親への別れの辞だったか、
この世を去って行く者の心境が我がことのように胸をえぐる。
昭和維新の夢破れ、
刑場の露と消えようとする彼等を思えば 洵まことに感慨無量、
真に国の為と蹶起した青年将校諸先輩の冥福を衷心から祈るばかりであった。
明日の我が身もかくなるのであろうと悟りつつも
耐えられぬ思いで彼等の声を聞いていた。
翌十二日、
私は早くから起き上って安藤大尉の姿を求めた。
すると彼も既に起きていてこちらを見つめていた。
まだ朝が明けきらず、白みかかった頃なので四時頃だったのではあるまいか。
フト安藤大尉は両手をあげると首を絞めるゼスチュアを示した。
『 愈々 今日は処刑だよ、お世話になった 』
大尉は私に分れを告げたのである。
その日は日曜日であったが、
隣接する代々木練兵場では早朝から擬装の演習を実施していたようで、
空包の音がしきりに鳴っていた。
鳴り止んだと思うとまた パンパン響き出す。
空包の音は一種の軽快音が特徴だ。
ところがこの空包音の合間を縫って
七時頃から三回にわたり、
ブスッ ! ブスッ ! という実包の発射音が聞えた。
まぎれもなく処刑する小銃音だ。
遂に処刑されたか・・・・
と 私は暗然たる気持ちにうたれ合掌して彼等の冥福を祈った。
今もあの当時の光景が脳裏に焼き付いて消えることはない。
あのような簡単な裁判=『 東京特設軍法会議 』
の 名による非公開、上告なしの一審制、
弁護人抜きの裁判=で 人間を死刑にできるとは到底思えない。
統制派にとっては邪魔者すべからく抹殺するのが鉄則だったのであろう。
あの夜は私にとって悪夢のような一夜だった。
夜空に響くような悲痛な絶叫も 仏心に帰衣するための御題目も
この世の声とは思われなかったからである。

さて 私を裁く軍法会議は六月下旬から始まった。
五回呼び出され 二回尋問に答えたが
この時の被告は 山口一太郎大尉、新井勲中尉との三名で
出廷し尋問を受けた者は起立して答えるゆり方だった。
私の裁判で判士長 ( 裁判長 ) から特に強調してきかれたのは、
当夜 安藤大尉から十六コ分隊の編成と分属を命令された時、
万一命令をきかぬ場合、
何等か生命の危険にさらされるのではないかという
脅迫感があったかどうか ---と いう点であったが、
私は即座に そんなことはなかったと答えた。
これは まことに重大なポイントで 今にして想えば
判士長が私の行為を 脅迫による止むを得ないものと判断するための
心証を作らせようとする温情であったように思われる。
こうして
七月二十九日 判決がくだり、
私は禁錮四年の実刑をいい渡され 同時に免官となった。
そして一週間後
一般刑務所である中野の豊多摩刑務所に移されここで服役することとなった。
禁錮刑というのは出所するまで何の作業もやらず、
ジッと独房内で読書に明け暮れて起居する刑罰で 退屈極まりないものである。
追々判明したことだが、
ここには二・二六関係の短期受刑者の殆どが収容されていたのであった。
・・・
思えば 二・二六事件は遠い過去の語り草となったが、
関係者にとっては 終生忘れることのできない深い傷痕を残した。
私もその一人として投獄の憂目を見た。
何といいようのない獄舎の起居、
もう二度と体験することはないが、罪人のみじめさをつくづく味った。
しかしながら 二・二六事件に連座したことについて
私個人としては決して後悔はしていない。
何故なら
『 小節の信義を重んじて 大綱の順逆を誤った 』
と いわばいえ、
日頃 心服していた安藤大尉の憂国の至情に殉じ、
その今生最後の命令を忠実に実行したことに秘かな喜びを感ずるからである。
ただし 私の命令で出動した部下の下士官兵の中には、
その後 数奇な運命に弄もてあそばれた者も少なくないので、
想いをここに致せば 心中暗然たるものがあり、
「 もしも あの時・・・・」
と いう 悔いが決してないわけではない。

歩兵第三聯隊 機関銃隊付 柳下良二中尉
『 銃隊長分属命令に従う 』 二・二六事件と郷土兵 から  


西田税、栗原安秀 ・ 二月十八日の會見 『 今度コソハ中止シナイ 』

2019年01月19日 05時33分25秒 | 前夜

  
西田税              
 栗原安秀
リンク
・ 
西田税 「 今迄はとめてきたけれど、今度はとめられない。 黙認する 」 
・ 西田税 1 「 私は諸君と今迄の関係上自己一身の事は捨てます 」 
・ 西田税、安藤輝三 ・ 二月二十日の会見 『 貴方ヲ殺シテデモ前進スル 』 
・ 西田税 (一) 「 貴方から意見を聞かうとは思はぬ 」 


二月十八日の会見


同日 ( 二月一八日 )
午後五時頃カ六時頃カニ、
栗原中尉が來宅シマシタ。
私ハ
『 君等ハ、最近ヤルヤルト言ツテ隊内デ露骨ニ不穏ノ行動ヲシテ居ルサウデアルガ、
 引込ガツカナクナツテ困ル様ナ事ニナルノデハナイカ 』
ト云フ趣旨デ山口大尉カラ聞イタ事ヲ注意スルト、
栗原ハ例ノ開放的ナ、輕妙ナ調子デ、
「 今度コソハアナタガ何ト言ツテ止メ様トモ、又誰ガ何トシヤウト、部隊ヲ率イテ蹶起スル。
  如何様ニナルトモ、アナタ達ニハ無關係ダカラ構ハヌデハナイカ 」
ト云フ意味ノコト、
「 我々ガ在京シテ居ツテハ邪魔ニナルノデ、第一師團ヲ満洲ニ派遣スルノダト思フガ、
  我々ガ二年間満洲ニ行ツテ居ル間ニ、重臣ブロックト其ノ周囲ノ者等ハ、
必ズ勢力ヲ盛リ返シテ愈々跳梁スルデアラウカラ、之ヲ黙シテ出發スル事ハ出來ヌ。
相澤公判トカ大本敎檢擧トカ云フガ、我々ハ其ノ様ナ事デハ到底期待スル事ハ出來ヌ 」
ト云フ意味ノコトヲ申シ、襲撃目標及實行計畫ノ概要ヲ話シマシタガ、
私ハ夫レニ對シ約一時間計リヲ要シ、種々ナ角度カラ其ノ不可ナル所以ヲ縷々説明シ、
中止セヨト迫リマシタガ聞流サレルノデ、
更ニ方法ヲ變ヘテ、
私自身終局一味トシテ即時ニ捕マル事ハ確實デアリ、
又世上ノ風評デ片付ケラレテ了フ事モ確實デアル事、
其ノ他民間側ノ啓蒙運動ハ順調ニ進ンデ居ルガ、一擧ニシテ打壊シニナル事
等ヲ話シテ中止シテクレト頼ミ、
最後ニハ攻メテ渡満直前頃迄延期スル譯ニ行カナイカト申シマシタガ、
栗原ハ、
『 アナタニ何トカ彼トカ云ハレルノガ一番嫌ダ 』
ト申シ、更ニ、
『 考ヘテ見マセウ、モウ之デ歸ツテモ宜イデセウ 』
ト言ヒ殘シテ歸ツテ了ヒマシタ。
私ハ、從來此種ノ事例モナカツタ譯デハナシ、比較的楽観シテ居ツタノデアリマスガ、
栗原君ト會見ノ結果、事ノ意外ニ内心一驚シタノデアリマス。
然シ、栗原ハ常習犯的ナ定評ノアル人デモアルノデ、絶望ハシマセンデシタ。
下士官 ・兵ナトガ滅多ニ動クトモ考ヘラレナイシ、
他ノ將校達ガ栗原ノ言動ニ對シテハ却テ反發的デアツタ風モ、多少承知シテ居ツタカラデアリマス。
・・・西田税、予審訊問調書
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本年二月十四、五日頃村中ガ來テ色々話シタ後デ、
村中ハ
「 相澤公判ノ事ニ専念シテ居ルノガ聯隊ノ將校聯中ノ間デ快ク思ハヌ風ガアリ、評判ガ惡イ 」
ト云フ様ナ、苛メラレテ居ル様ナ事ヲ云ヒ、
立場ガ辛イト云フ様ニ申シマシタカラ、
私ハ青年將校等ガ何カ不穏ナ事ヲ企ムデ居ルノカモ知レヌトモ思ヒ、
又例ニ依リ栗原ナドガ過激ノ事ヲ言ツテ居ルノダラウ位ニモ考ヘマシタカラ、
村中ニ對シ、
「 皆ガ手分シテ相澤公判ノ事ヲヤツテ居ルノダカラ、強ガリノ人ガ何ト言ハウトモ氣ニ懸ケル必要ハナイ。
 公判ヲ順調ニ進行サセル事ガ我々ノ大切ナ仕事デアル 」
ト申シテ、鼓舞激励シテ置キマシタ。
私ガ不穏ノ計劃アル事ノ匂ヒヲ嗅イダノハ、此時ガ最初デアリマス。

村中ハ 温和シイ性質デアリ、強硬派ノ栗原等ヨリ
「 ソムナ手緩イ事デハ駄目ダ。
 相澤公判ナドニ一所懸命ニナラズ、急進実行的ニナレ 」
ト云フ様ニ言ツテ苛メラレ、立場ガ苦シイノデ私ニ告ゲタモノト思ヒマシタ。

 同月十六日頃ノ夜亀川宅ニ參リマスト山口モ居リ、
三人デ相澤公判ノ事ニ附テ打合セヲ致シマシタガ、
其ノ席上山口大尉ハ、
「 公判ハ公判トシテ、栗原ハ聯隊ノ中デ盛ニ露骨ニ飛廻ツテ煽動シテ居リ、何カ不穏ナ事ヲヤリサウダ 。
 自分ハ大分言聞カセテ居ルガ少シモ肯カヌ。何トカ方法ハ無イダラウカ 」
ト言ヒマスノデ、
私ハ村中ガ苛メラレタト云フノモ、
其ノ様ナ關係カラカモ知レヌト思ヒマシタノデ、

「 夫レハイカヌ。蹶起スル様ナ事ガアツテハ困ル。之ハ何ウシテモ抑ヘネバナラヌカラ、栗原ニ會ハウ。
 貴方ハ最近ノ中ニ私方ニ來ル様ニ、栗原ニ言傳シテ貰ヒタイ 」
ト頼ミマシタ。
尚、其ノ場合ニ万一彼等ガ蹶起シタラ何ウスルカト云フ話ガ出タカモ知レマセヌガ、
私ハ其ノ事ハ考ヘタクナカツタノデアリマス。

其ノ翌一日待呆ケヲ喰ヒ、
翌々十八日ノ頃ノ午後 山口ヨリデンワデ、
「 栗原ニ言傳ヲシタガ、栗原ハ西田ニ會フ必要ハナイト言ツテ居ル。
 凄イ権幕ダ。
 兎ニ角貴様ノ頼ミダケハ果シタカラ、 後ハ自分ハ知ラヌゾ 」
ト言ヒマシタノデ、
栗原ニ電話ニ出ル様ニ頼ミ、
栗原ガ代リマシタカラ
私ハ栗原ニ、
「 鳥渡來ナイカ 」
ト言ヒマスト、
栗原ハ
「 貴方ニ會フ必要ハナイ 」
ト喧嘩腰ノ様ニ言ヒマシタガ、
私ガ
「 君トシテ會フ必要ガナクトモ、僕トシテ用事ガアルノダカラ來レバ宜イデハナイカ 」
ト言ヒ、二言三言喧嘩ノ様ニ言會ヒマシタガ、結局栗原ノ方デ折レテ、
「 夫レデハ直グ行キマス 」
ト言ヒマシタカラ、
私ハ
「 今客ガアルカラ夕方ニデモ來テクレ 」
ト申シマスト、
栗原ハ、
「 聯隊カラノ歸リニ立寄リマス 」
ト言フ事デ電話ヲ切リマシタ。
其ノ際、多分亀川ガ私方ニ來テ居タト思ヒマス。
栗原ハ、聯隊ヨリノ歸リダト言ツテ、同日午後五時カ六時頃私方ニ來マシタ。
私ハ栗原ニ山口ヨリ聞イタ趣旨ヲ述ベタ上、
「 自分デヤルヤルト言ツテ言質ヲ与ヘタニ爲ニ、引込ミガ附カナクナツテ居ルノデハナイカ。
 今迄モサウダガ、今度何故其ノ様ナ事ヲ言フノカ 」
ト申シマシタ処、
栗原ハ
「 貴方ガナニト言ツテモ止メ様トモ、今度コソハ中止シナイ。
 何ムナコトヲシヤウトモ、又何ムナ事ニナラウトモ、貴方ニハ無關係ダカラ構ハヌデハナイカ。
我々ガ東京ニ居テハ、重臣ブロック、政党、財閥 其ノ他ノ特権階級ハ自分ノ思フ儘ノ事ガヤレズ、
我々ガ邪魔ニナルノデ第一師団ヲ渡満サセ、我々ヲ放逐スルノダト思フ。
今我々ガ此儘満洲ニ行ケバ、監視スル者ガ無クナリ、彼等ハ必ズ勝手ナ事ヲ仕出スモノト判断サレル。
貴方ハ
相澤公判トカ大本教検挙トカ云ハレルガ、我々ハ夫等ニ大ナル期待ヲ持ツ事ハ出來ナイ。
此状態ヲ放ツテ置イテ渡満スルニ忍ビナイカラ、愈々部隊ヲ率イテ蹶起スル 」
ト言ヒマスカラ、
私ハ今迄通リ理屈詰ニシテ、
「 君達ガ居ナクナツタラ重臣ブロックガ復タ頭ヲ抬ゲルト思ツテ居ル様ダガ、豈然其ノ様ナ事モアルマイ。
 仮ニソムナ事ガアツタトシテモ、社会ト云フモノガアルノダカラ、君等ガソムナ事ニ引掛ル必要ハ無イデハナイカ。
其ノ様ナ事デ躍起ニナルノハイカヌ。
満洲ニ行ツテ彼方ノ空気ヲ吸ヒ、状況ヲ視テ來ルノモ必要デハナイカ 」
ト申シテ制止シマシタトコロ、
栗原ハ未ダ嘗テナイ劍モホロロノ挨拶デ、
「 貴方ニ其ノ様ニ色々ト言ハレルノガ不愉快ダカラ、何モ言ハナカツタノダ。唯聞クダケハ聞キマセウ 」
ト言ツテ聞流サレルダケデアリマシタカラ、
私ハ手ヲ替ヘテ、

「 君達ガヤレバ、僕ハイクラ無関係ダト言ツテモ常カラ西田派トシテ睨マレテ居ルノダカラ、
 否応ナシニ西田ガヤラシタト認メラレ、一味トシテ直ニ捕ヘラレルノハ確実ダ。
サウナルト、今順調ニ進ミツツアル民間側ノ啓蒙運動モ、一朝ニシテ駄目ニナツテ領収書デハナイカ。
モ一度考直シテクレヌカ 」
ト申シマシタ処、
栗原ハ、
「 其ノ様ナ事ヲ言置ヒテ、其ノ間ニ崩シテ了ウノデセウ。兎ニ角考ヘテ見マセウカ。
話ハモウ之位デ宜イデセウカラ、私ハ歸リマス 」
ト言フナリ、直グ歸ツテ了ヒマシタ。
私ハ之迄モ彼等ヲ抑ヘテ、中止シテクレタ例ハイクラデモアリマスノデ、
比較的楽観シテ居タノデアリマスガ、

右栗原ト会見シタ結果、事ノ意外ニ驚キマシタ。

其ノ時栗原ハ輕妙ナ調子デ話シマシタガ、
斷片的ニ出タ話ヲ綜合シマスト、

  目的及計劃ハ、
一、蹶起ノ目的ハ君側ノ奸ヲ除クニ在リ。
二、襲撃目標トシテ、
  元老  西園寺公望    総理大臣  岡田啓介    大蔵大臣  高橋是清    内大臣  齋藤實
  教育総監  渡邊錠太郎    侍従長  鈴木貫太郎    前内大臣  牧野伸顕
  ヲ決定シ、尚
  伊澤多喜男/一木喜徳郎/後藤文夫/池田成彬/三井ノ主人公/三菱ノ主人公
  ヲモ考慮中。
三、永田町一帯ノ要地ヲ占拠シ、陸軍省ト参謀本部等ハ斷ジテ撤退セズ。
四、蹶起ニハ民間側同志ハ参加セシメズ。下士官、兵ヲ帯同シ、兵器ハ機関銃ヲモ持出ス。
五、蹶起ノ時期ハ、遅クナルト事前ニ暴露スル虞ガアルカラ、ナルベク早ク、出來得レバ二月末頃迄ニ蹶起スル予定。
六、右西園寺公ノ襲撃ニハ豊橋部隊ガ担任シテ當ル。
  其ノ爲、栗原ハ既ニ豊橋ノ對馬中尉等三、四名ト打合セヲ済マシタ。
事ナドデアリマシタ。
・・・西田税、第二階公判


西田税 「 今迄はとめてきたけれど、今度はとめられない。 黙認する 」

2019年01月18日 13時43分03秒 | 前夜

西田税 
本年二月中旬前後頃忽然トシテ、
今回ノ事件計画ノ決定的ナ動キガ眼前ニ展開シタト云フ有様デアリマシタ。

二月一八日、
西田は不穏な動きをしていると聞いた栗原を自宅に呼びつけて、軽挙妄動を愼むように注意したところ、
初めて事件の計画を知らされて驚いたが、なお抑止に一縷の望みをつなぐ。
しかし、二〇日には、
西田が全幅の信頼を置いていた安藤さえも参加を決意していることを知って絶望する。
説得を断念した西田は、山口大尉らと善後策について協議する。・・・松本一郎

栗原安秀
同日 ( 二月一八日 ) 午後五時頃カ六時頃カニ、
栗原中尉が來宅シマシタ。
私ハ
『 君等ハ、最近ヤルヤルト言ツテ隊内デ露骨ニ不穏ノ行動ヲシテ居ルサウデアルガ、
 引込ガツカナクナツテ困ル様ナ事ニナルノデハナイカ 』
ト云フ趣旨デ山口大尉カラ聞イタ事ヲ注意スルト、
栗原ハ例ノ開放的ナ、輕妙ナ調子デ、
「 今度コソハアナタガ何ト言ツテ止メ様トモ、又誰ガ何トシヤウト、部隊ヲ率イテ蹶起スル。
  如何様ニナルトモ、アナタ達ニハ無關係ダカラ構ハヌデハナイカ 」
ト云フ意味ノコト、
「 我々ガ在京シテ居ツテハ邪魔ニナルノデ、第一師團ヲ満洲ニ派遣スルノダト思フガ、
  我々ガ二年間満洲ニ行ツテ居ル間ニ、重臣ブロックト其ノ周囲ノ者等ハ、
必ズ勢力ヲ盛リ返シテ愈々跳梁スルデアラウカラ、之ヲ黙シテ出發スル事ハ出來ヌ。
相澤公判トカ大本敎檢擧トカ云フガ、我々ハ其ノ様ナ事デハ到底期待スル事ハ出來ヌ 」
ト云フ意味ノコトヲ申シ、襲撃目標及實行計畫ノ概要ヲ話シマシタガ、
私ハ夫レニ對シ約一時間計リヲ要シ、種々ナ角度カラ其ノ不可ナル所以ヲ縷々説明シ、
中止セヨト迫リマシタガ聞流サレルノデ、
更ニ方法ヲ變ヘテ、
私自身終局一味トシテ即時ニ捕マル事ハ確實デアリ、
又世上ノ風評デ片付ケラレテ了フ事モ確實デアル事、
其ノ他民間側ノ啓蒙運動ハ順調ニ進ンデ居ルガ、一擧ニシテ打壊シニナル事
等ヲ話シテ中止シテクレト頼ミ、
最後ニハ攻メテ渡満直前頃迄延期スル譯ニ行カナイカト申シマシタガ、
栗原ハ、
『 アナタニ何トカ彼トカ云ハレルノガ一番嫌ダ 』
ト申シ、更ニ、
『 考ヘテ見マセウ、モウ之デ歸ツテモ宜イデセウ 』
ト言ヒ殘シテ歸ツテ了ヒマシタ。
私ハ、從來此種ノ事例モナカツタ譯デハナシ、比較的楽観シテ居ツタノデアリマスガ、
栗原君ト會見ノ結果、事ノ意外ニ内心一驚シタノデアリマス。
然シ、栗原ハ常習犯的ナ定評ノアル人デモアルノデ、絶望ハシマセンデシタ。
下士官 ・兵ナトガ滅多ニ動クトモ考ヘラレナイシ、
他ノ將校達ガ栗原ノ言動ニ對シテハ却テ反發的デアツタ風モ、多少承知シテ居ツタカラデアリマス。
安藤輝三
同月二十日頃ノ夕方、安藤大尉ガ聯隊カラノ歸途私方ニ立寄リマシタ。
 安藤モ、一度會見シテ私ノ意見ヲ聞キタイト思ツテ居ツタ所デアルト申シタノデ、
私ハ栗原トノ會見シタ顚末ヲ告ゲ、一應簡單ニ反對ノ意見ヲ述ベ、
『 重大ナ問題デアルカラ、忌憚ナク意見ヲ話シテ貰ヒタイ 』
ト告ゲマシタ処、
安藤ハ私ノ從事シテ居ル民間運動 ( 海員、農民、労働、大衆、郷軍各方面及上海方面ノ情勢等 ) ニ附
如何デスカト云フ事ヲ質問シマシタカラ、
私ハ萬事漸ク緒ニ就イタ処デ、何事モ之カラノ努力デアル事ヲ話シタノデアリマス。
スルト安藤ハ、
最近若イ聯中ガ甚ダ激化シテ直接行動ニ訴ヘ様トシ、自分ハ大物ト見テ盛ニ勧誘スルコト、
自分トシテハ之ニ同感シテ決行ニ參加スル事ハ何デモナイ、別ニ能ノ無イ人間ダカラ。
然シ、夫レガ良イカ惡イカニ附テ判斷ガツカナイノデ、數日前皆カラ話サレタ時モ、種々考ヘタ結果一應斷ツタコト、
其ノ後先輩野中大尉ニ斷ツタ事ヲ話シタ処、同大尉カラ
今蹶起セネバ天誅ハ却テ我々ニ下ル、何故斷ツタカ。ト強ク怒ラレ、非常ニ恥カシイ思ヒヲシタコト、
此様ナ形勢デ、若イ聯中、下ノ方ノ空氣 ( 下士官、兵ナドノ強硬ナ事ヲ若干漏ラシ ) ハ、
到底只デハ濟マヌ狀態デアルコト
及實ハ自分モ、最近若イ將校達ヲ聯レテ以前ノ將校團長山下少將ヲ訪問シタガ、
若イ者ヲ刺戟スル様ナ事ヲ山下少將ト話合ヒ、
其ノ晩少尉ノ如キハ、早速非常呼集デ警視庁に出掛ケタ位デアルコト、
此狀態ハ、從來アツタ如ク、
誰カガアナタニ傳ヘルト アナタハ直グニ押ヘテ了ウト云フ調子ニハ行カナイ程度ニ進ンデ居ル様デアリ、
押ヘデモスレバ却テ大變ナ結果ニナルト思ハレルコト、
左様ナ時ニハ、誠ニ失礼ナ申分デアリマスガ
五 ・一五事件ノ時ト同様、アナタヲ撃ツテ前進スル事ニナルカモ知レナイコト、
右ノ如キ情勢デアルカラ、自分ハ種々考ヘタ末 其ノ様ナ事ニナツテハ困ルノデ、
前以テアナタノ御意見聞キタイト思フテ居ツタコト 』
當ヲ朴訥ナ口調デ語リマシタノデ、私ハ以外ノ感ニ打タレマシタ。
實ハ、栗原ノ話デハ幾分疑点モ抱キマシタガ、
安藤ニハ左様ナ疑点ヲ抱ク餘地ノナイ性格、言動ヲ信頼シテ居ツタノデアリ、
且夫レダケ安藤ノ愼重、重厚ナ態度ヲ尊敬シテ居ツタノデアリマス。
他ノ人々ガ如何ニ騒ガウト、安藤ガ自重シテ居レバ大抵ノ事ハ大丈夫ト豫想シテ居ツタノデアリマス。
然ルニ、安藤ヨリ右ノ如キ狀況ヲ聞クニ及ビ、私ハ全ク心中愕然トシテ了ツタノデアリマス。
安藤ハ大體決心ヲシテ居ル様デアリ、
尠クトモ同意ノ決心ヲ爲サネバナラヌ立場ニ置カレテ了ツテ居ル様デアレ事ヲ、其ノ時直観シマシタ。
ソシテ、最早狀勢ハ私等一人、二人ノ力デハ到底押ヘ切レヌ所迄進ンデ居ル事ヲ認メタノデ、
安藤ニ對シ、
『 理論方針トシテハ、總テノ點カラ反對デアルコト、
質問ヲ受ケタ自分ノ努力シテ居ル方ノ事ハ、根底カラ打撃サレ、總テ一空ニ歸シ終ルデアラウコト、
諸君ガ蹶起スレバ、關係ノ有ル無シニ拘ラズ自分ハ一體ト見ラレテ、先ヅ唯デハ濟マヌト思ハレルコト、
止メ様トシテ殺サレル位ハ別ニ惜しい身體デハナイガ、形勢斯ノ如キデハ、結局止メテモ無駄カモ知レヌト思ハレルコト、
自分自身ニ夫レ程ノ力量ガ無キノミナラズ、蹶起將校中ニハ知ラヌ人ガ多イ模様デアリ、
一方自分ニ對スル信用問題モ不明デアルコト、
蹶起ノ主タル理由ガ、渡満ヲ動機トシテノ國體明徴ノ様ニ聞イテ居ルガ、
風雲急ヲ傳ヘラレルル蘇満國境及共産化シツツアル匪賊ノ跳梁等ヲ考ヘルト、前途ハ不明デアリ、
夫レヨリモ心配ナノハ國内ヲ何トカシタイト云フ諸君ノ氣持ニハ、諒解出來ヌ譯デハナイコト、
海軍ノ藤井ノ上海出征ノコト、
主義方針ハ別トスルモ、人情ニ於テハ堪ヘ難キ懐ヒ出トナツタコト 』
等ヲ色々披瀝シマシテ、結局
『 中止シテ貰ヒタイトハ思フケレド、此狀況デハ最早何トモ致シカネルガ、ヤルカヤラヌカ、今一度ヨク考ヘテ、
 何レニシテモ御國ノ爲ニナル最善ノ途ヲ選ンデ貰ヒタイ。
君等ガヤルト云フナラ、自分ハ運ニ任ヨリ外ハナイダラウト思フ 』
ト云フ趣旨ノ事ヲ話シマシタ処、
安藤モ 『 ヨク判リマシタ 』 ト申シテ、會見ヲ終ツテ歸ツテ行キマシタ。
私ハ茲ニ於テ、之ハ飛ンダ事ニナツテ了ツテ居ル事ヲ痛感シ、種々考ヲ廻ラシマシタ。
ソシテマタ、何トカナルカモ知レナイト云フ一部ノ餘裕ハ頭ノ隅ニ在リマシタガ、
安藤ノ言動ニ依リ、殆ド大半ノ希望ヲ失ツテ了ツタノデアリマス。
  村中孝次   香田淸貞
二月二十二日ト思ヒマス。
村中孝次ガ來タ時、私ハ栗原、安藤等ト會見シタ事ヲ話シ、
 『 君等ハ何ウスルカ 』
ト尋ネマシタ処、村中ハ、
自分等ハ一緒ニ行ク決意デ居ルコト、
香田大尉等ト陸相ニ談判ニ行ク考デアルコト、
等ヲ話シマシタ。
私ハ、香田大尉ハ純情ナ眞面目ナ人ダト思ツテ居リマシタノデ、
同大尉ガ此事ニ參加スル事ヲ意外ニ思ヒ、更ニ尋ネ返シマシタ処、
『 香田大尉ハ、現狀ヲ斷乎トシテ打開セネバ日本ハ全ク行詰ツテ居ルトノ意見デ、相當強硬デアル 』
ト云フ事デアリマシタ。
既ニ安藤然リ、村中然リ、香田然ルヲ知リ、私ハ今更ノ如ク驚キマシタ処、
村中ハ却テ私ニ對シ參加ヲ求メマシタガ、私ハ拒絶シマシタ
ソシテ、
『 現役軍人側ノ人ガ此形勢デハ致方ナシトシテモ、君等 ( 村中、磯部 ) ガ加ハルコトハヨクナイ 』
ト忠告シマシタガ、肯キ入レサウニモナク、
一昨年以來の鬱憤モアラウト考ヘラレ、最早致方ナシト諦メマシタ。

村中迄ガ斯ノ如キ始末デハ、私トシテハ最早他ニ処置ナシト思ヒマシタガ、
村中ノ今迄ニ似合ハヌ態度ヲ意外ニ感ジマシタ。

 山口一太郎
二月二十四日頃、聯隊ノ山口大尉カラ閑ガアルカラ來ナイカト云フ電話ガアリ、
同日午後七時半カ八時頃歩兵第一聯隊ニ山口大尉ヲ訪問シマシタ。
週番指令室デ雑談ノ末、『 聯中ガヤルトスレバ、今週中デアルラシイ 』
トノ事デアリマシタノデ、私ハ山口ニ、
『 判ツタラ直グ知ラシテ貰ヒタイ。
 私ノ方ニ電話ヲ掛ケル譯ニモ行カヌダラウガ、出來得レバサウシテ一刻モ早ク知ラシテ貰ヒタイ。
私ノ立場上困難デハアルケレドモ、何トカシテ早ク収拾ノ出來ル様ニ努力スル。
一、二ケ所頼ム所モアルカラ、サウシテ貰ヒタイ。
又アナタハアナタノ立場モアリ、本庄大將ノ方ヘ知ラサネバナルマイ 』
ト申シ、約一時間位デ別レテ歸リ、途中新宿デ酒ヲ飲ンデ其ノ晩十二時頃帰宅シマシタ。
私ガ一、二ケ所頼ム所モアルト申シタノハ、海軍中將小笠原長生/元外交官藤井實 ノコトデ、
藤井ヲ通シテハ、平沼騏一郎方面ニ聯絡シテ貰フ考デアリマシタ。
歸宅シテ見ルト、机ノ上ニ置手紙ガアリマシタ。
夫レニ依ルト、
『 二月二十六日朝ダト都合ガ宜イト言ツテ居リマス 』
ト云フ意味ノ事ガ書イテアリ、
磯部ノ字デアリマシタノデ、愈々二十六日朝蹶起スルコトガ判明シマシタ。
直グ床ニ入リマシタガ、色々ノ事ガ考ヘ出サレテ、其ノ夜ハ一睡モ出來ズニ過シマシタ。
・・・予審訊問調書・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大體私の前申した様に相澤中佐の公判に熱中してゐましたし、
所謂青年將校と云ふ人達も公判の狀況に関し御互話合って居ると云ふ風もあり、
公判を通じて相澤中佐を有利に導く様に奔走して居るらしかったので
私としては、非常に喜んで居ったのでありました。
殊に磯部、村中、澁川三名の如きは
決った職の無い關係もありませうが此事に非常に努力されて居ったし、
青年將校の方達が本年二月上旬から中旬にかけて二、三回集って
( 麻布竜土軒と思ふ ) 公判の内容に就て懇談したと云ふ話も其都度耳にしたのでありました。
其の集った方は大體今回事件を起した人達が中心であったと思ひます
私として今度の事件を起す様な事を知ってからも、
一つは何れ丈其の實行の可能性があるかと云ふ事も多少危んだ點もありますし、
眼前の公判の進行に就ては前申した關係で手を離す事が出來ませんし、
事件勃發の直前迄色々公判關係の仕事に追はれた形でありました。
今回の事件で私が最初少々反った空気を感じたのは
本年二月十日に東京控訴院の呼出しで
所謂五 ・一五事件當日私が川崎長光から撃たれた際着て居た衣類の返附を受けて歸宅し、
確か翌二月十一日正午頃かに磯部浅一君が來ましたので、
私から五 ・一五事件の記念物が返って來たと云ふ様な事を話して返附された衣類を見せました。
すると磯部君は感じ深そうに見て二人で當時の狀況を話し合ひましたが、終りに同君は
「 血が返ると云ふ事は縁起がいい事だ、 今年は運が良いだらう 」
と云ふ意味の言葉を洩らして居ました。
其処で私は一寸 「ハテナ」 とは思ひましたが
元來磯部君は熱情の人でありますからまあ大した事もあるまいと考へました。
そして相澤中佐公判に關する色々な打合せ等をして磯部君は歸ったと思ひます。
夫れから二月十四日頃と思ひますが、( ・・二月十三日 接見 )
相澤中佐から家事上の事で話があると電話が掛かりましたので
午後に澁谷の陸軍刑務所を訪れました。
すると相澤様から家事上の話や公判に關する話がありました末に
「 若い大切な人達が輕擧妄動する様な事の無い様に 殊に御國が最も大事な時に臨んで居るから
 特に呉々も自重する様に貴方からも言って貰ひ度い 」 
との話がありりました。
其処で私も同感でもありますし、
相澤様が何時でも此様な心配をして居られる事が判って居ましたので 

「 間違ひもありますまいし、此上共気を付けますから案じられない様に 」 
と話して歸ったのでありました。
其後二三日過ぎた頃と思ひますので確か二月十六、七頃と思ひます
相澤中佐の公判打合せかで来てゐた村中孝次君が 
「 二月二十日迄に相澤さんが一度來て呉れと云ふ傳言があったが貴方が行って呉れれば非常に都合がいいのだが」 
と云ふ話と、其頃相澤中佐の陳述内容の眞實に近いものを各方面に知らせなければならないと云ふので、
此の原稿の整理には村中、澁川君が主として携わってゐましたので
村中君は 「 自分も忙しいくするので成る丈け貴方に行って貰ひ度い 」 との事であった。
又此時と思ひます村中君は部隊側の青年將校の一部には
「 公判の進行とは別に御維新の運動を進めなければいかん。
 第一師團も近く満洲に行かなければならんが、
そうなれば當分そう云ふ機會がないと云ふ様な意味で相當決意が高まってゐる風で、
自分なと公判に一生懸命にやってゐるのを快く思はない風が見える。
自分は元來御承知の様に気が弱くて温しいので立場に苦しむ事がある 」 
と云ふ様な事を話されてゐた。
此時私は
「 満洲に行くから御奉公が出來ないと云ふ様な事は原則上間違ひである。
 そんな事で焦って間違ひを起しては困るし、
相澤中佐も此の間面會したときそんな事を非常に心配して自分に頼んで居るし、私も何とか考へて見やう 」 
と云って置きました。
又此の前後頃であったと思ひます、
相澤中佐の公判の事及び私用等もあったので
先輩の第一聯隊の中隊長である山口一太郎大尉を私宅に訪問しましたが、
此際相澤中佐の公判狀況等を話した末に話がたまたま青年將校の事に及びました。
そして山口大尉は
「 何うも栗原かが隊内で盛んに飛廻っているらしい。此分では何かやり兼ねない風があるが夫れでいいか 」 
と云ふ意味の話があったので、私は 
「 そう云ふ事は困るし大體今の時機はそう云ふ時機でない、
 もっとも栗原君は平素そう云ふ事が癖の様になってゐるから
眞意は判らないけれ共取返しの付かぬ様になっても困るから私が會って一度話して見やう 」 
と言ひ 
「 御會ひになったら一度私の家に來る様に言傳して欲しい 」 
と云ひ、別れて歸ったのでありました。
其の翌日は栗原君が來るだろうと思って待って居りましたが
遂に同君は來ず待ち呆けに會った譯でありました。
其翌日でありましたから確か
二月十八日、九日頃の午後聯隊内山口大尉から電話があり
「 栗原君に言傳したが行く必要ないと言ってゐるので 依頼は果したが何うにもならんから自分は知らんぞ 」 
と云ふ話でした。其処で私は
「 夫れなら栗原君に電話口に出て貰ひたい 」 
と頼み、確か暫らくすると待ってゐる栗原君が出たと思ひます。
それで私は同君に 「 話したい事があるから來ないか 」 と言ひますと
栗原君は 「 行く必要ないと思ふ 別に話はありません 」 と云ふ事でした。
私も同君の返事が意外に強いので内心一寸驚きましたが 
「 君の方に話がなくてもこちらに話があるのだだから兎に角一度來て呉れ 」
と話して電話を切ったのでした。

其のために栗原は私の宅にやって來ましたので私から
「 最近盛に君達はやって居る様だが何う云ふのだ 」
と聞きますと 
栗原君は
「 貴方には關係ない 」
と云ふ意味の事を申し、
「 貴方には貴方の役割と云ふものがあろうし 自分達には自分達の役割があるのだから話す必要はありません。
 公判の進行と維新運動とは別だと思ふ。貴兄には何も迷惑は掛けない積りである。
私共は満洲に行く前に是非目的を達したいと思って居る。
皆此の決心が非常に強くなってゐる。
自分達の都合から云へば今月中が一番良い。公判公判と云ふがそう期待が掛けられますか 」
と云ふ様な事を云って居りました。
私は此時
「 満洲に行くからやらなければならないと云ふ事は間違ひである。
 公判とは別だと云ふ事は其通りかも知れんが、
それかと云って公判を放任したり 別だと云って そういう事にのぼせたりして輕擧妄動する事は以ての外である。
今はそう云った君等の考の様な事をする時機ではない。
まして今月中になどと云ふ事はいかん。
引込みが付かなくなるではないか。
飛び廻って見ても案外人は動かないいし、
動いた様に見えても表面一時的であって 實は餘儀なくそういう風な態度を執る時が多いのであって、
結局いざと云ふ時には何もならんものだ。
斯ふ云ふ事は其の中の社會狀勢の進展が自ら決定するものである。
殊に大っぴらに色々の事を言動する君の癖があるから却って引込みが付かないと共に
最初からつまらぬ災を受けるのか落ちだ 良く考へ直して貰ひたい。
又僕等に迷惑を掛けぬと云ふが、僕個人としてはそんな事は問題ではないけれども
最近の狀勢では君等が何かすれば一般は直ちに僕等の關係を想像する、結局は同じ事だ 」
と云ふ様な事を話したのであります。すると栗原君は、
「 私共の事は心配して戴かなくとも良い、
 貴方が色々考へて居られる一般の大勢、指導、連絡ある方面の状態は
貴方の希望する様にはなって居らないのですか、矢張り貴方にも迷惑は掛かりますか 」
と云ふ様な事を云はれました。其処で私は更に、
「 僕の関係は未だ未だ前途遼遠である、僕は先を永く考へてゐるのである、
兎に角無關係だと云っても夫れは御互丈の事で外からはそうは見ないのだし、
結局今變な事をすれば何もかも駄目になって仕舞ふ 」
と云ふ様な事を話したのでありますが、同君は、
「 貴方からそう云ふ様な事を云はれるのは一番困る、まあ考へて見ませう 」
と云ふ様な言葉を残して結局は話も纏らず別れたのでありました。
又二月十六、七頃かに栗原君に來て貰ひました際の話で考へ付いた事があります。
夫れは私から
「 やるとすれば君は何う云ふ気持でやるのか 」
と尋ねますと栗原君は
「 改造とか革新とかではなく國體を歪曲する君側の奸臣を除けば良いのである 」
と云ふ事でした。 私は此時
「 御維新と云ふ事は國體を護る事であるから吾々としては夫れは正しい理論である。
 世間雑多にある改造の理論とか方針とかは吾々としては觸れてはならない。
夫れから間違ひが起る 」

と云ふ様な事を申し、更に
「 兎に角君は從來民間人でも何でも御構ひなしに引入れるので
 何時もそれで迷惑を蒙って居るがそう云ふ事の無い様に注意して 」

と云ひますと栗原君は 「 良く判って居ります」 とか云って居りました。

更に此の日か翌日かよく記憶しませんが、
磯部君がやって來まして例によって相澤さんの公判の事など話合ったと思ひますが、
其の末に磯部君から聯隊の連中が大分熱が高い様で、
安藤君あたり最近非常に考へ込んでいる風があると言って居りましたので、
私も栗原君に會った話を多少話したと思ひます。
尚一度安藤君に會ひ度いから序があったら 一度來て呉れと言傳して呉れと頼んだのでありました。
同君との話は之位でありましたと思ひます。
其の翌日頃でありましたから確か 二月の二十日頃の夕方安藤大尉がやって來ました。
そして安藤君が
「 實は貴方に一寸會ひたかったのだ 」
と云ひ、私も
「 會ひたかったから、磯部君に言傳を頼んで置いた譯だ 」
と話し、更に私は
「 最近青年將校間に飛び出すとか何とか話があるそうだが、何う云ふ狀況で、一體君は何う思ってゐるか 」
と聞きました。すると安藤君は
「 實は其事に就て貴方に聞き度いと思ってゐたのだ 」
と前置きして
「 最近若い聯中は其の気持ちが非常に強い
 此間も四、五人寄った際に自分にやって呉れと云はれたが
自分はやる 
やらんは別だがやれないと考へたので斷って仕舞った。
そして其事を週番中の野中大尉に話した処、同大尉は 『 何故斷ったか 』 と自分を叱りました。
『 そして相澤中佐殿の行動、最近一般の狀勢等を考ると
 今自分達が起って國家の爲に犠牲にならなければ却って天誅が吾々に降るだろう。
自分は今週番中であるが今週中にやろうではないか 』
と言はれて私は非常に恥ずかしく思ひました。
併し今日迄の關係から我々が何か始めやうとすれば最後には貴方が押へたりされましたが、
今日の狀態は若し貴方が押へでもすると軍隊の内部は取返しの付かぬ混亂に陥り、
失礼な言分ではありますが、
貴方を撃っても前進すると云ふ様な事が起らんとも計り知れない狀態になって居ります。
それで一度貴方に御意見を聞いて見たいと思って居たのである 」
との事でありました。
私も事の意外なのに驚きました。
殊に平素沈着熟慮の安藤君の言ふ事であり
其の先輩で私は未だ一面識もない野中大尉からそんなに迄強い決心を持ってゐると云ふ事を聞いて、
何と考へても驚くの外なかったのであります。
そこで私は
自分としては色々考へる処もあり、到底當分の間そういふ事は同意は出來ない。
 社會状勢の判斷、自分の希望し努力してゐる事の今日の程度等から見て
實は賛成が出來ないが、併し諸君の立場を考へれば止むを得ない気持ちもあるだろう。
自分は五 ・一五事件の時にも御承知の様な事になり、
幸にして今日生きてゐるので、自分の生命に就ては別に惜しいとも何とも思ってゐないが、
若い將校達は何れも満洲に行かねばならず、
行けば最近に於ける満洲の狀態から見て對露關係が遂次険惡化して居る折柄、
勿論生きて歸ると云ふ様な事は思ひもよらぬであろう。
其点から言っても國内の事を色々憂慮して苦労して來られた人達が
此儘で戰地へ行く氣になれないのも無理もないと思ふ。
元來私共の原則として何処に居っても御維新の御奉公は出來るし、
満洲に出征するからその前に必ず何かしなければならんと云ふ事は正しい考へ方ではないと思ふが、
それは理屈であって人情の上からは一概に否定する事も出來ないと思ふ。
以前海軍の藤井少佐が所謂十月事件の後近く上海に出征するのを控へて
御維新奉公の犠牲を覺悟して蹶起し度いと云ふ手紙を 昭和七年一月中旬自分に寄越したのでありましたが、
私は當時の狀勢等から絶對反對の返事をやった爲
同少佐非常に失望落騰して其儘一月下旬には上海に出征し、二月五日上海附近で名誉の戰死を遂げたのでした。
私から言へば單に勇敢に空中戰を決行して戰死したとのみ考へる事の出來ない節があります。
此の思出は私の一生最も感じ深いもので、
今の諸君の立場に對しても私自身の立場からは理屈以外の色々な點を考へさせられます。
結局皆が夫れ程迄決心して居られると云ふなら私としては何共言ひ様がありません。
之以上は今一度諸君によく考へて貰ってどちらでも宜しいから
御國の爲になる様な最善の道を撰んで貰いたいと思ふ。
私は諸君と今迄の關係上自己一身の事は捨てます。
人間は或運命があると思ふので
或程度以上の事は運賦天賦で時の流れに流れて行くより外に途はないと思ひます。
どちらでも良いから良く考へて頂き度い 」
と云ふ意味の事を話し、安藤君は
「 良く判りましたから考へて見る 」
と云って別れて歸ったのでありました。

・・・警視庁聴取書・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

磯部浅一 
( 25日 ) 河野が出發した後、西田氏を訪ねた。
西田氏は、今回の決行に何等かの不安を有してゐる事を余は知ってゐるので、
安心をさせるために、豫定通りに着々と進んでゐる旨を知らすためであった。
西田氏の不安といふのは、
察するに失敗したら大變になるぞ、
取りかえしがつかぬ、有爲な同志が惜しいと云ふ心配であった様だ。
余は所期には西田氏にも村中にも何事も語らないで、
自力で所信に邁進しようとしてゐたので、
昨年末以來、西田氏に對してヤルとかヤラヌとか云ふ話は少しもしなかったのだ。
所が 二月中旬になって、
在京同志全部で決行する様な風になったので、
一應 西田氏に打ち明けるの必要を考へ、
村中と相談の上、
十八、九日頃になって打ち明けた。
氏は沈思してゐた。
その表情は沈痛でさへあった。
そして余に語った。
僕としては未だ色々としておかねばならぬ事があるけれども、
君等がやると云へば、今度は無理にとめる事も出來ぬ。
海軍の藤井が、革命のために國内で死にたい、
是非一度國奸討伐がしてみたいと云っていたのに上海にやられた。
彼の死は悶死であったかもしれぬ。
第一師團が渡満するのだから、
渡満前に決行すると云って思ひつめてゐた靑年將校をとめる事は出來ぬのでなあ
と 云って、
何か良好な方法はないかと苦心している風だった。
余は若し失敗した場合、
西田氏に迷惑のかかる事は、氏の十年間の苦闘を水泡に歸してしまふので相すまぬし、
又、革命日本の非常なる損失と考へたので、一寸その意をもらしたら、氏は、
僕自身は五 ・一五の時、既に死んだのだからアキラメもある、
僕に對する君等の同情はまあいいとしても、おしいなあ。

と 云った。
余はこの言をきいて、何とも云へぬ気になった。
どこのどいつが何と惡口を云っても、氏は偉大な存在だ、革命日本の柱石だ。
我等在京同志の死はおしくないが、氏のそれはおしみても余りある事だ、
どうしても氏に迷惑をかけてはならぬと考えた。
・・・磯部淺一、行動記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「 愈々決行 」
 と 西田が打明けられたのは二月の十八日か九日、
とめるにとめられず、西田に非常な苦悩の色があったことは磯部さんの 「 行動記 」 に ある通りで、
主人は変革の前途を楽観できず、
もし失敗して有為な同志をむざむざ失うようなことになったら取返しがつかないと考え、
率直な判断として事を起すのは反対でございました。
それでも引止められない運命の流れのようなものが西田を取巻き、
青年将校たちの心をさらって巨きな渦となり、一気に流れ去ったのではないでしょうか。
わたくしはあの事件の起きますことを、二月二十三日に知ったのでございます。
西田の留守に磯部さんが見えまして、
「 奥さん、いよいよ二十六日にやります。
 西田さんが反対なさったらお命を頂戴してもやるつもりです。とめないで下さい 」
と おっしゃったのです。
その夜、西田が帰って参りましてから磯部さんの伝言をつたえました。
「 あなたの立場はどうなのですか 」
「 今まではとめてきたけれど、今度はとめられない。 黙認する 」
西田はかつて見ないきびしい表情をしておりました。
言葉が途切れて音の絶えた部屋で夫とふたり、
緊張して、じんじん耳鳴りの聞こえてくるようなひとときでございました。
・・・西田はつ


西田税、村中孝次 ・ 二月二十ニ日の會見 『 貴方モ一緒ニ蹶起シタラ何ウデスカ 』

2019年01月17日 05時49分33秒 | 前夜

川島が陸相だから駄目だと云うんか。そんな事があるものか。
われわれが飛出したら、あとの陸軍は何うすると云うんだ。
われわれを敵とするのか。味方にするのか。
われわれの迫力で押しさえすれば、軍は結局随いて來る。
われわれの迫力が問題なんだ。
それに川島じゃ駄目だと云うが、そんな事はない。
眞崎や荒木は、表面都合よさそうに見えるけれど、却ってよくない。
あれらは余り俺らのことを知り過ぎている。しっかりしているから駄目なんだ。
川島みたいな中途半端な人間の方がよっぽどいい。 あいつはグニャグニャだから、
引摺って行くには都合がいいんだ。
・・・竜土軒の激論

リンク → 西田税 (警調書3) 『 私の客観情勢に対する認識 及び御維新實現に關する方針 』

   
西田税               
村中孝次 

本年二月十四、五日頃村中ガ來テ色々話シタ後デ、
村中ハ
「 相澤公判ノ事ニ専念シテ居ルノガ聯隊ノ將校聯中ノ間デ快ク思ハヌ風ガアリ、評判ガ惡イ 」
ト云フ様ナ、苛メラレテ居ル様ナ事ヲ云ヒ、
立場ガ辛イト云フ様ニ申シマシタカラ、
私ハ青年將校等ガ何カ不穏ナ事ヲ企ムデ居ルノカモ知レヌトモ思ヒ、
又例ニ依リ栗原ナドガ過激ノ事ヲ言ツテ居ルノダラウ位ニモ考ヘマシタカラ、
村中ニ對シ
「 皆ガ手分シテ相澤公判ノ事ヲヤツテ居ルノダカラ、強ガリノ人ガ何ト言ハウトモ氣ニ懸ケル必要ハナイ。
 公判ヲ順調ニ進行サセル事ガ我々ノ大切ナ仕事デアル 」
ト申シテ、鼓舞激励シテ置キマシタ。
私ガ不穏ノ計劃アル事ノ匂ヒヲ嗅イダノハ、此時ガ最初デアリマス。
村中ハ 温和シイ性質デアリ、強硬派ノ栗原等ヨリ
「 ソムナ手緩イ事デハ駄目ダ。
 相澤公判ナドニ一所懸命ニナラズ、急進実行的ニナレ 」
ト云フ様ニ言ツテ苛メラレ、立場ガ苦シイノデ私ニ告ゲタモノト思ヒマシタ。


本年二月二十日迄ノ事デハナカツタカト思ヒマス。
村中ヨリ、
「 貴方モ一緒ニ蹶起シタラ何ウデスカ 」
ト勧メラレマシタガ、
夫レハ同人ガ私ヲ巻込マウトノ考カラデナク、
蹶起スルトスレバ私方ニ出入シテ居タ多クノ青年将校等ガ参加シ私ダケガ殘ルノデ、
淋シイダラウト思ツテ言ツテクレタモノト思ヒマシタ。
村中ハ、サウ云フ優シイトコロノアル性質ノ男デアリマス。
然シ、私ハ當時到底抑ヘ切レナイ情勢ニ迄進ムデ居ルトハ考ヘズ、
村中自身スラ相澤公判ノ爲ニ一所懸命ニ働イテ居タ程デ、
彼ガ直接行動ヲ目論ンデ居様トハ考ヘラレナカツタノデ、
同人ヨリ左様ニ言ハレテモ輕イ氣持デ受流シテ居リマシタ。

二月二十二日ト思ヒマス。
村中孝次ガ來タ時、私ハ栗原、安藤等ト會見シタ事ヲ話シ、
 『 君等ハ何ウスルカ 』
ト尋ネマシタ処、村中ハ、
自分等ハ一緒ニ行ク決意デ居ルコト、
香田大尉等ト陸相ニ談判ニ行ク考デアルコト、
等ヲ話シマシタ。
私ハ、香田大尉ハ純情ナ真面目ナ人ダト思ツテ居リマシタノデ、
同大尉ガ此事ニ參加スル事ヲ意外ニ思ヒ、更ニ尋ネ返シマシタ処、
『 香田大尉ハ、現狀ヲ斷乎トシテ打開セネバ日本ハ全ク行詰ツテ居ルトノ意見デ、相當強硬デアル 』
ト云フ事デアリマシタ。
既ニ安藤然リ、村中然リ、香田然ルヲ知リ、
私ハ今更ノ如ク驚キマシタ処、

村中ハ却テ私ニ對シ参加ヲ求メマシタガ、私ハ拒絶シマシタ
ソシテ、
『 現役軍人側ノ人ガ此形勢デハ致方ナシトシテモ、君等 ( 村中、磯部 ) ガ加ハルコトハヨクナイ 』
ト忠告シマシタガ、
肯キ入レサウニモナク、
一昨年以來の鬱憤モアラウト考ヘラレ、最早致方ナシト諦メマシタ。

村中迄ガ斯ノ如キ始末デハ、私トシテハ最早他ニ処置ナシト思ヒマシタガ、
村中ノ今迄ニ似合ハヌ態度ヲ意外ニ感ジマシタ。


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私ハ私ノ御維新実現ニ對スル方針ト社会的状勢ニ對スル観察ノ上カラ、
今ノ時ニアノ立場ノ人達ガ今日ノ如キ事件ヲ計劃シ、 
實行スル事ニ就而ハ、實ハ同意シ兼ネルモノデアリマス。
ダカラ私トシテ、前申上ゲタ様ニ全般ヲ通ジテ氣ガ進マナカツタノニ拘ラズ、
只事件関係者との従来ノ關係等ニ依ツテ、
遂ニ消極的ナガラ或ル程度ノ關係ヲ持ツタ譯デアリマス


同君 ( 村中孝次 ) 等ノ話デハ、
私共ニ後ノ事ハオ願ヒシタイト云フ希望デアルト云フ事モ聞キマシタ。
私トシテハ、從來ノ關係上、
及特ニ世間一般ハ私ト此ノ人達トノ關係ヲ一ツデアル様ニ見、
寧ロ私ガ主體デ此ノ人達ガ其ノ指導下ニアル様ニ断定的ニ見テ居リマスカラ、
例ヘ私ガ無関係デアツテモ事ガ起レバ殆ンド同時ニ私ノ自由ハ拘束サレルモノト考ヘネバナリマセン。
夫レデ後ノ事ヲ期待サレテモ、夫レハ先ヅ不可能ノ事ダト思ハネバナラナイノデアリマス。
夫レカト云ツテ、一層ノ事私ガ之ニ参加ヲシテ行動ヲ共ニスル事ハ、
從來色々對世間的ナ關係ニ於テ純情ノ人達ノ立場ニ曇リヲ生ズル様ナ虞レモアリ、
私トシテハ私ノ理論方針ト、
此ノ人達トノ情誼関係トノ相剋ニ色々考ヘタ結果ヤメテ、
出來ル丈ノ事ハ努力シテ上ゲ度イト思ヒマシタ。


西田税、澁川善助 ・ 暁拂前 『 君ハ決シテ彼等ノ仲間へ飛込ンデ行ツテハナラヌ 』

2019年01月16日 05時30分08秒 | 前夜

・・・ここで思い当るのは澁川の手紙をよんだ西田が絹子さんに渡した澁川宛の封書のことである。
これを持って湯河原に引返した絹子さんは、内容を読んでいないから分るべくもないが、
おそらく早く東京に戻ってこいという西田の指令だったろう。
西田としては腹心の澁川にそんな突走り方をされては困るのである。
だが、澁川としては前からの行きがかりで牧野偵察は河野大尉に連絡する必要があったので、
横浜の出会いということになったのではあるまいか。
「 二十四日ごろ、私が西田を訪ねると、
『 決行には最後まで反対するがダメかもしれない。そのときは澁川を軍人としてもらっていきます』
と 彼はいった 」 ・・・大森一声
隊付将校だけの 「 蹶起 」 を目前にして、
民間人と軍人の接点にあった西田は、
自分と同様、もと軍人の澁川を自分の手もとにひき戻すため、
「 軍人として ( こっちに ) もらう 」
といったのだろう。 
松本清張著  ニ ・ニ六事件 第二巻
第十一章  奉勅命令 からの
・ 澁川善助と妻絹子 「温泉へ行く、なるべく派手な着物をきろ」 
・ 澁川善助 ・ 湯河原偵察 「 別館の方には、誰か偉い人が泊っているそうだな 」 

  
西田税               澁川善助   
翌二十五日午前中、私は来客と話シテ居ルト、
磯部淺一ガ來テ、一寸部屋ヲ貸シテ呉レ、此所デ落合フ人ガアルカラト申シ、
暫クスルト澁川善助妻ガ來テ別室デ話シテ居リマシタ。
私モ後カラ挨拶ノ爲其ノ室ニ行クト、
磯部ガ、澁川ニハ湯河原ヘ視察ニ行ツテ貰ツテ居ルト申シタノデ、
其ノ時澁川ガ妻君ニ手紙ヲ託シテ、視察ノ状況ヲ連絡ノ爲ニ來タ事ヲ知リマシタ。
澁川ハ二月二十日頃ヨリ突然私方ヘ顔ヲ見セナイ様ニナツタノデ、不思議ニ思ツテ居リマシタガ、
右ノ事情デ始メテ諒解シタノデアリマス。
然シ、澁川モ参加スルト思ツタノデ、磯部ニ對シ、
『 現役軍人ガヤルノダカラ、澁川迄引張リ出スノハ宜クナイ。 夫レダケハ止メテクレヌカ 』
ト申シタ処、磯部ハ承知シマシタノデ、
私ハ早速澁川宛
『 軍人側ノスル事ニ我々地方人ハ無関係デアリ、没交渉デナケレバナラヌト思フカラ、
 君ハ今日中ニ東京ニ歸ツテ貰ヒタイ。歸ツタラ直ニ電話デ連絡セヨ 』
ト言フ趣旨ノ手紙ヲ書キ、澁川ノ妻ニ宅シマシタ。


北方ニ電話ヲ掛ケ、
「 ソチラニ行ツテモ差支ナイカ 」 ト聞キマシタ処、
來イト云フ返事デアリマシタノデ、
同夜、即 二月二十六日午前一時頃、
家人ニハ 「 今夜は歸ラナイカラ 」 ト言ヒ置イテ、北方ニ行キマシタ。
北方ニ行ツテ間モナク、澁川善助ヨリ電話ガ掛リマシタノデ、
私ノ言ヲ容レテヨク歸ツテクレタト思ヒ、安心致シマシタ。
ソシテ私ハ澁川ニヨク歸ツテクレタト申シマシタ処、
澁川ハ、
「 歸ル汽車中デ、偶然豊橋ノ對馬中尉ヤ竹嶌中尉等ト一緒ニナツタガ、
 汽車中ノ事トテ詳シク話ハ出來ナカツタガ、豊橋ノ状況ガ変化シタ爲ニ上京シタ様デアル 」
ト申シマシタノデ、
豊橋部隊デ西園寺公ヲ襲撃スル計劃ニ齟齬ヲ來シタ爲、對馬等ガ上京シタノデアラウト想像シマシタ。
ソシテ尚澁川ニ對シ、
「 君ハ決シテ彼等ノ仲間へ飛ビ込ンデ行ツテハナラヌ。
 明朝愈々蹶起スル様デアルガ、判ツタラ直グ知ラシテクレ 」
ト申シテ電話ヲ切リ、
北ニ對シ西園寺襲撃ヲ中止シタ様デアル旨ヲ話シマシタ。
処ガ二十六日午前五時頃、澁川ヨリ電話デ、
「 先程ヨリ歩一、歩三カラ軍隊ガ沢山出テ行キマス 」
ト通知シテ來タノデ、愈々始マツタカト思ヒ、感慨無量デアリマシタ。
夫レカラ澁川ニイッスン來テ貰ヒ、二人デ朝食ヲ食ベナガラ、
御互ニ無関係デモ平素ノ關係ヨリ唯デハ済ムマイト思フカラ、身邊ニヨク注意スルコト、
ヲ話シテ置キマシタ。

其ノ電話ガアツタ時、
私ハ澁川ニ 「 何処カラ電話ヲ掛ケテ居ルノカ 」 ト聞キマシタ処、
澁川ハ
「 青山ノ電車線路ノ邊ニ居ル 」
ト言ヒマシタノデ、電話ノ内容ト見合セテ、
私ハ澁川ハ部隊ガ出テ行クノヲ附近デ見テ居ルノダラウト思ヒマシタ。

澁川ノ電話デハ、唯沢山ノ兵ガ出ツツアルト云ツタダケデ、
夫レガ果シテ青年将校ノ率イル蹶起部隊デアルカ何ウカ確實デハアリマセヌデシタガ、
以前カラノ話モアリ、私ハ愈々彼等ガ蹶起シタモノト直観シ、
澁川ニ對シ
「 電話デハ話ガ遠イカラ、鳥渡來テクレナイカ 」
ト申シテ置キマシタ処、
暫クシテ澁川ハ北方ニヤツテ來マシタ。
ソコデ私ハ、
「 君ノ見タノガ本当タ゛ラウカ、彼等ガ蹶起シタトナルト従来ノ關係ガアルノデ、
今度關係ノ有ル無シニ拘ラズ御互ニ身辺ハ危険ダカラ、自分ハ当分引込ンデ居タイト身辺ガ、
君モ当分引込ムデ居テハ何ウカ 」
ト申シ、暫ク話ヲシ、朝食ヲ共ニした上、澁川ハ歸ツテ行キマシタ。

澁川ハ己レノ心ニ副ハヌニ拘ラズ、
人ヨリ頼マレルト身ヲ粉ニシテ其ノ人ノ爲ニ働クト云フ性質デアリマスノデ、
同人ガ牧野伸顕所在偵察ノ爲湯河原ニ行ツテ居ツタ時モ、
事ノ善惡ハ扨さて置キ、一旦偵察ニ出タ以上私ノ手紙位デ夫レニ応ジテ帰京シテクレルカ何ウカ、
万一歸ツテ來テモ、私ニ突掛ツテ來ルカモ知レヌト危ムデ居ツタノデアリマス。
処ガ案ズルヨリ産ムガ易ク、
澁川ハ私ノ意ニ從ツテ帰京シテクレタ計リデナク、極ク柔和ナ電話ヲ掛ケテ寄越シタノデアリマス。
澁川ハ一方ヨリ見ルト何事モ叩潰ス計リノ性格ノ様ニ見ラレ、反面ヨリ見ルト其ノ反對ノ性格ノ様ニ見ヘル男デ、
一徹ニ進ムデ行クカト思フト、途中デイカヌトナレバ直グ引返シ、今度ハ其ノ引返シタ方向ニ一徹ニ進ムト云フ急進直角的デ、
樫木ノ様ナ性格ノ持主デアリマスカラ、私ハ一旦私ノ言ヲ容レテ歸ツテクレタ以上ハ、
其ノ後ノ事ハ私ノ言フ通リニナツテクレルモノト信ジテ、左様ニ申シタノデアリマス。

澁川ハ、事実其ノ後行動隊ニ加ツテ居ルガ、被告人ガ澁川ヲ参加セシメザル如ク努力シタノハ何故カ
今度ノ事件ハ軍人ダケデヤルトノ事デアリマシタノデ、
私ハ最初カラ軍人ハ抑ヘテ抑ヘラレネバ已ムヲ得ヌ、
又村中 磯部ハ現在軍人デハナイガ、自他共ニ軍人ト同様ニ思ツテ居ルノデ、此両名ハ例外トシテ、
其ノ餘ノ民間側同志ニハ一人モ加ツテ貰ヒタクナイト思ツテ居リマシタノデ、
澁川ダカラ參加サセナイ様ニ努力シタト云フ譯デハアリマセヌ。
後、澁川ガ行動隊ニ加ツテ居タノヲ知リ、唖然トシタ次第デアリマス。

澁川ニ参加シテ貰ヒタクナイト考ヘタト言フガ、
同人ハ既ニ湯河原ヘ牧野偵察ノ爲行ツテ居タノデハナイカ

決行ハ現役軍人デヤルガ、
目標人物ノ所在ヲ調査スルノハ現役軍人ダケデハ手不足ダカラ、
澁川ヲ補助ニ使ツタダラウ位ニ思ヒマシタ。
法律的ニ申スト既ニ參加シテ居タト云フ事ニナルノデアリマセウガ、
私ハ素人考デ參加シタト迄ハ思ツテ居ナカツタノデ、引戻シタ譯デアリマス。

現役軍人ハ第一線ニ於テ行動シ、民間側同志ハ其ノ準備工作又ハ爾後工作ニ當ルベキダト考ヘ、
爾後工作ノ爲ニハ同志ヲ殘シテ置ク必要ガアル処カラ、澁川ヲ行動隊ニ参加セシメナカツタノデナイカ
左様デハアリマセヌ。
今回ノ事件ニ關係シタ人ノミヲ或鋳型ニ入レテ考ヘルト、其ノ様ニ思ハレ、
又事實ノ様ニ思ツテ居ル人ガ無イデモナカラウト思ヒマスガ、夫レハ事実ヲ知ラナイ人ノ言フ事デアリマス。
私ノ從來ノ運動ハ、今回ノ事件ニ關係シタ人ダケヲ相手ニシテ居タノデハアリマセヌ。
ダカラコソ十数年來涙ヲ呑ミ、苦心シテ來タノデアリマス。
若シ私ニ爾後工作ヲ民間側で担任スル考ヘガアレバ、
澁川等二、三人ノ者ヲ使ハネバナラヌ迄ニ人間ニ飢ヘテ居リマセヌ。
澁川一人ヲ、斯程迄力ヲ入レテ引止メル譯ハナカツタノデアリマス。
私ノ知ツテ居ルノハ、小笠原中将、山口大尉、亀川哲也ダケデハアリマセヌ。
眞ニ破壊行動ヲ採ル心意ナラバ、他ニ參加セシメ得ル團體モ、爾後工作ヲスル人モ澤山アリマス。

澁川善助モ被告人ノ留守宅ニ來リ、
福井等ト共ニ外部ヨリ蹶起軍ヲ支援スベク、策動シテ居タデハナイカ
二月二十六日夜澁川カラ電話ヲ掛ケテ寄越シタ時ノ話ノ様子デ、
澁川ハ方々飛廻ツテ居ル様ニ思ハレタノデ、
「 君ニハ無用ナ事ヲシテ貰ヒタクナイ。
 夫レヨリモ相澤、村中、磯部三軒ノ留守宅ニ行ツテ、慰メテ上ゲル方ガ宜イデハナイカ 」
ト申シマシタ処、
澁川ハ 「 サウシマス 」 ト言ツタ程デアリマスノデ、
澁川等ガ私方デ彼是策動シテ居ツタ事ハ知リマセヌ。
序ニ申上ゲマスガ、
世間デハ青年将校デモ民間側同志デモ、彼等ガ何カヤルト、
蜘蛛ノ巣デモ張ツタ様ニ悉ク西田、西田ト冠セタガルノガ普通デアリマシテ、
夫レモ賞メテクレルナラ格別、陥レムガ爲ニ彼是言ハレルノハ迷惑ノ至リデ、
私ハ之迄モ其ノ爲ニ何レ程苦シイ立場ニ置カレタカ知レマセヌ。
・・・予審訊問調書 から
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月二十五日ノ朝ハ、平生ヨリモ遅ク起床シマシタ。
ソシテ来客ト話シテ居ルト、午前十一時頃磯部ガ來テ、
「 會ヒタイ人ガアルガ、先方ノ人ハ自分方ヲ知ラヌ。
 此方ヲ知ツテ居ルノデ此家デ落合フ事ニシテ置イタカラ、室ヲ貸シテクレ 」
ト申シマシタカラ、別ノ一室ヲ貸与ヘマシタ。
スルト間モナク澁川ノ妻ガ見ヘ、磯部ト其ノ室デ話シマシタ。
澁川善助ハ二月二十日頃ヨリ私方ヘ見ヘマセヌデシタガ、
今度ノ事ハ軍人ダケデヤル様ナ話デアリマシタノデ、

村中、磯部ノ如キ準軍人トモ見ルベキ者ハ別トシテ、
澁川ノ様ナ民間ノ者ガ参加シテ居ルトハ全然思ヘヌノデ、

或ハ病気ニ罹かかツテ居ルノデハナイカト心配シタリ、
何ウシタカト不思議ニ思ツタリシテ居ツタ所ヘ澁川ノ妻ガ來マシタカラ、
同女ニ會ツテ澁川ノ様子ヲ聞イテ見ヤウト思ツテ、後カラ其ノ室ニ行ツテ挨拶シタ処、
磯部ハ
「 實ハ自分ノ用事デ會ツテ居ル澁川ニハ、湯河原ニ行ツテ貰ヒ、牧野伸顕ノ所在ヲ偵察サセテ居ルノデ、
今其ノ状況ヲ連絡ノ爲、妻君ニ手紙ヲ託シテ寄越シタノダ 」
ト言ヒマシタ。
私ハ澁川ガ私方ニ來ナイ事情ガ判ルト共ニ、磯部ト村中ハ止ムヲ得トシテモ、
澁川迄参加サセラレテハ困ルト思ツタモノデアリマスカラ、
磯部ニ對シ

「 今度ノ事ハ現役軍人デヤルノダカラ、澁川迄引張リ出スノハ宜クナイ故、歸シテクレヌカ 」
 ト申シマシタ処、
磯部ハ

「 宜シイ貴方ノ思フ通リニサセマセウ。
 然シ、澁川ヲ歸スノハ難シイカラ、貴方カラ手紙一本妻君ニ持タセテ歸シテハ何ウデスカ 」
ト言ヒマシタノデ、
「 夫レデハ待ツテ居テクレ 」
ト言ツテ手紙ヲ書始メマシタ処、
磯部ハ
「用事ガアルカラ先ニ失礼スル 」
ト言ツテ出テ行キマシタ。
私ハ澁川宛ニ、
「 軍人側ノスル事ニ我々地方人ハ無關係デアリ、没交渉デナケレバナラヌト思フカラ、
 君ハ今日ノ最終ノ十二時ノ列車迄ニハ是非帰京シテ貰ヒタイ。歸ツタラ直グ電話デ連絡セラレタイ 」
ト云フ趣旨ノ手紙ヲ書イテ澁川ノ妻ニ託シマシタ。

此儘自宅ニ居テハ危険ダト云フ気持ニナリマシタカラ、
北ニ電話ヲ掛ケ、「 其ノ方ニ行ツテモ差支ナイカ 」 ト聞キマシタ処、
「 差支ナイカラ來イ 」 ト言ツテクレマシタノデ、真夜中過ニナツテ北方ニ參リマシタ。
ソシテ北ニ對シテ千坂邸ノ話ナドヲシテ居ル時、澁川ヨリ電話が掛リマシタ。
何デモ私方ニ掛ケテ、私ガ北ノ家ニ來テ居ル事ガ判ツテ、更ニ掛ケテ寄越シタトノ事デアリマシタ。
澁川ハ、
「 今歸ツタ。歸ル列車ノ中デ、偶然豊橋ノ對馬中尉、竹嶌中尉ト一緒ニナツタガ、
 詳シイ話ハ出來ナカツタガ、豊橋ノ状況ガ変化シテ上京シテ來タ様デアツタ 」
ト言ヒマシタ。
私ハ澁川ガ歸ツテ來テクレタ事ヲ大変嬉シク感ジ、
「 ヨク歸ツテ來テクレタ。豊橋ノ方ハ、夫レナラ夫レデ宜イデハナイカ。
 君ハ決シテ彼等軍人ノ仲間ニ飛込イデ行ツテハナラヌ。
彼等ハ今朝愈々蹶起スル様デアルガ、御苦労ダケレド、彼等ガ営門ヲ出ルノガ判ツタラ、直グ知ラシテクレヌカ 」
ト申シ、頼ミマシタ処、
澁川ハ
「 何トカシテ調ベマセウ 」
ト言ツテ電話ヲ切リマシタガ、
私ハ此電話ニ依ツテ興津ノ西園寺襲撃ハ中止ニナツタノデハナイカト想像シ、其ノ旨ヲ北ニ話シテ置キマシタ。

私ハ北方デ卓上ニ電話ノアル室ニ寝台ヲ入レテ寝マシタガ、傷心デ眠レズニ居リマスト、
其ノ翌朝、即チ二月二十六日午前四時半カ五時頃、澁川ヨリ電話デ、
「 先程歩一、歩三ノ兵営カラ、沢山ノ軍隊ガ出テ行キツツアリマス 」
ト報告シテ來マシタノデ、
愈々彼等ガ蹶起シタトノ事ヲ確実ニ知ツタノデアリマス。
・・・第二回公判 から


「 貴様が止めなくて一体誰が止めるんだ 」

2019年01月15日 13時03分24秒 | 前夜

十月事件の余波を受けて、
陸士区隊長から大尉昇進とともに、満洲へ追われた岩崎豊晴は、
高田歩兵第三十聯隊の凱旋で帰国し、
旅団副官をへて、昭和九年三月に戸山学校教官となり、
昭和十年三月には陸軍士官学校付となっていた。
岩崎は東京に来ると、相変わらず連日のように西田の家を訪れていた。
また新宿百人町にあった歩兵第一聯隊の山口一太郎大尉の家も近かったので、
よく立ち寄ったものである。
昭和十一年一月中旬、岩崎は柴有時大尉を誘って山口の家へ行った。
玄関をあけると柴が、
「 ワンタは、いるか ? 」 と 声をかけた。
ワンタとは、一太郎をワン太郎からもじった綽名である。
柴は山口と同期の第三十三期生だ。
夫人が留守のようなので、二人は勝手に二階へ上がって、
いきなり襖を開けると、栗原、磯部、香田、村中の四人が地図を拡げ、
赤鉛筆で印をつけながら何事か相談中であった。
四人は慌てて地図をたたんだが、岩崎は栗原しか顔を知らないので、
柴に聞いて、他の三人の名がわかった。
柴と岩崎も彼らには同調的態度だったので、別に敵意はもたれなかったが、
四人はさぞびっくりしたろうとは、岩崎の回想である。
この夜、その足で西田の家へ行った 柴と岩崎は、
西田を誘って新宿の宝亭で飲むことにした。
宴たけなわの最中、
春子という宝亭の女中がそっと来て、岩崎に憲兵が見張っていることを知らせた。
さらに春子に調べさせると、数名の私服憲兵が三ケ所にいることがわかった。
別に珍しいことではなかったが、
時には二階の屋根越しに、西田だけ逃がしたこともあったという。
西田税 と柴、岩崎のつきあいも、思えば妙な関係である。

二月二十四日、
この夜の寒さは格別だったので、
岩崎は珍しく外出せず、自宅で晩酌を楽しんでいた。
すると十時過ぎになって、西田税がぶらりとやって来た。
早速二人で飲みはじめると、
西田の表情がいつになく憔悴したように見えたので、
岩崎が問い詰めると、西田がようやく重い口を開いた。
「 近く、どうしてもやらなければならなくなった 」
「 やるというのは、実力行動か ? 」
「 う む、これまでのいきさつからいっても、今度ばかりはどうしても止められない。
 無理に止めようとすれば、彼らは俺を殺してでも蹶起するだろう 」
「 だが、そこが先輩の責任だ。貴様が止めなくて一体誰が止めるんだ 」
「 いや、それでは、俺も職業革命家とか、西田は命が惜しいのだと非難される。卑怯者にはされたくない 」 ・・・( 註 )
「 馬鹿をいえ。今やって成功すると思うか。磯部や栗原に引きずられてどうするのだ 」
「 もう、俺も引くに引けないところまできてしまった。 それで今夜は貴様に別れに来たのだ 」
酒が冷えてしまった。
西田の沈痛な表情には、すでに、覚悟の色が歴然と現れていた。
岩崎は西田の表情から、今度は本物に違いないと思った。やがて熱燗がくると、
再び飲みはじめたが、いかにも苦い酒であった。
・・・・・・・西田ほどの奴が、これほどまでに決心したのだから、恐らくもう止められないだろう。
と 岩崎は察した。
しかし西田の言葉の中から、竹嶌という名を聞いて、今度は岩崎が驚く。
「 なに、嶌が仲間になっていると。あいつは確か豊橋のはずだが・・・・」
これには岩崎が愕然となった。
竹嶌継夫中尉は、岩崎が陸士区隊長時代の教え子であったからだ。
竹嶌は幼年学校以来陸士卒業まで、同期生中つねにトップであった第四十期生の逸材で、
岩崎がその将来を最も嘱望していた男だった。
岩崎は膝を乗り出していった。
「 西田、頼む、せめて竹嶌だけでも止めてくれ。今東京に来ているのか ? 」
西田は淋しそうに首を横に振った。
「 俺にも計画の内容はわからないのだ 」
「 そんな馬鹿な。貴様にろくな相談もせず、奴らは一体何をやろうとしているのだ 」
岩崎はどうしても竹嶌中尉だけは助けたかった。
「 西田、それで一体いつやるんだ 」
「 それだけは聞いてくれるな。いずれ近いうちだ 」
西田もさすがにそれだけはいわなかった。
あとは陸士時代の懐かしい話になった。
西田税が帰ったのは深夜一時頃であったという。
岩崎は翌日陸士へ出勤してから、それとなく竹嶌の居所を当ってみたが、ついにわからなかった。
しかも西田がいった蹶起の時機は、一体いつなのか。
岩崎は二十五日の夜を、胸騒ぎを鎮めながら、明日はもう一度西田に会って、
竹嶌継夫中尉のことを確かめてみようと思っていた。


竹嶌継夫
秩父宮と二・二六 芦沢紀之 著から
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
( 註 )  
私ハ 西田カラ右ノ事ヲ聞キ、蹶起後ノ事態収拾ニ附陸軍上層部及中堅將校方面ニ、
事前ニ聯絡提携ガ出來テ居ルノカ不明デアリマシタノデ、
其ノ點ヲ西田ニ尋ネマシタ処、西田ハ
「 ソンナ聯絡ハ出來テ居ラヌ様デアル 」
ト申シマシタノデ、
心ノ中デハ左様ナ事デハ蹶起シタ場合、面白クナイ結果ヲ生ジハシナイカト一抹ノ不安ヲ抱キマシタガ、
秘密保持ノ爲聯絡シテ置カヌノカ、
或ハ蹶起スレバ當然相呼應シテ彼等ノ希望ヲ達成シテクレル目途ガツイテ居ルノデ 敢テ聯絡シナイノカ、
彼等ノ意思ガ判斷出來カネタノデ、私ハ突込ンデ尋ネル事モシマセヌデシタ。
尚 西田ニ對シ、
「 君ハ何ウスルノカ 」
ト尋ネルト、西田ハ悲痛ナ顔色ヲシテ、
「 今度ハ私ヲ止メナイデ下サイ 」
ト申シマシタ。
五 ・一五事件ノ時、
其ノ一ケ月半程度前ニ私ガ西田ニ忠告シテ、彼等ノ仲間カラ手ヲ引ク様ニシタ爲、
西田ハ遂ニ裏切者ト見ラレテ川崎長光カラ狙撃セラレ、重傷ヲ受ケタノデアリマス。
爾來西田ハ、同志カラハ官憲ノ 「 スパイ 」 ノ如ク見ラレ、
此事ヲ非常ニ心苦シク感ジテ居ツタ様デアリマシタ。
其ノ後ハ、西田が起タヌカラ靑年將校ガ蹶起シナイノデアル、
西田サヘ殪セバ靑年將校ハ蹶起スルト云フ風ニ同志カラ一般ニ思ハレテ居ツタ様デアリ、
西田ハ妙ナ立場ニ置カレテ苦シンデ居リマシタ事ハ、私モ承知シテ居リマシタノデ、
西田ハ右ノ如ク 「 今度ハ止メナイデクレ 」 ト悲壯ナ言ヲ發シタ時、
私ハ胸ヲ打タレタ様ニ感慨無量トナリ、非常ニ可愛サウナ氣持ニナリマシタ。
此氣持ハ 西田ト私トノ關係ヲヨク知ツテ居ル者デナケレバ、諒解の出來難イ點デアリマス。
私ハ 只 「 サウカ 」 ト言ツテ彼ノ申出ヲ承認セザルヲ得ナカツタノデアリマス。
ソシテ 西田ハ遂ニ靑年將校ノ大勢ニ動カサレテ、
彼等ト合流シテ行カザルヲ得ナイコトニナツタカト考ヘ、
斯様ニナツタ上ハ、私モ只西田ノ行動ニ從ツテ、
唯々諾々トシテ西田ニ從ツテ行ツテヤルヨリ外ナシト覚悟ヲキメタノデアリマス。

・・・北一輝予審訊問調書から


香田淸貞大尉の參加

2019年01月12日 19時41分07秒 | 前夜


香田淸貞


香田大尉がこの事件蹶起を知らされたのは 二月二十三日であった。
しかしその時は二月十八日以来同志間ですでに計画の大綱ができ上がっており 彼はこれを承認したにすぎない。
当時、香田は旅団副官として忙しい毎日を送っていた。
十二月に旅団副官になってからは、
一月に現地演習の地理実査、それから現地演習の指導などで出張することが多く、
二十二日に帰宅して
二十三日は一日家庭でくつろいでいるところ、
村中の訪問をうけて蹶起を知ったのである。

その日 ( 二十三日 ) 午前十一時頃
村中が吉祥寺の自宅に彼を訪ね その計画の大要を伝え参加を求めた。
彼は、部隊の実力および決意が十分かどうかを確めたところ、
村中は部隊の方は、非常に強固なものがあるというので、彼は即座にこの決行に同意し 参加に決心したのである。
自重派と見られていた彼のこの即断は西田税のいうように 一見不可解のようだが、
実は彼はその頃にはいつでも蹶起する心の準備ができていたのである。

香田は昭和十年六月
天津より部隊とともに帰還したが、
その途中 宇品港外似島検疫所で相澤三郎中佐に会った。
相澤は検疫所に勤務中だった。
ここで国内情勢を聞いた。
七月になると、真崎教育総監更迭問題がおこり 統帥権干犯が云々されたが、
検討の結果 そこには統帥権干犯ありと確信した。
ついで 八月 ( 十二日 )
相澤の永田殺害事件が起こった。
このときには、心から相澤中佐にすまないと思い、
かつ 自分の臆病であったことを恥じ、
それ以来 精神修養に努めるとともに、万一の場合の決心に影響されてはならないと思い、
ひそかに家庭の整理をし終えたという。
それから相澤事件で事態は好転するかと思っていたが、
例の渡辺教育総監の天皇機関説問題がおこり 軍内にも何等の反省はなく、
かえって反対の方向に事が進むように判断せられ、
十二月頃には
これではいかぬ、もはやなんとかせねば収まらぬと思いつめていた。
こうした心境にあった彼は、村中の要請に即座に同意したのであった。
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・・・首脳部 ・ 陸軍大臣官邸

蹶起後、彼はもっばら上部工作に従事したが、
彼がもっとも心配していたことは、この蹶起が大御心に副うや否やにあったという。
「 本件決行ニツキ 自分ノ一番シンパイシタコトハ、
 コノ大キナ獨斷ガ大御心ニ合スルヤ否ヤノ點ニアリマシタ。
モットモ ワタシ自身ハ大御心ニ合スルモノト確信シテイマシタガ、
神ナラヌ身ノ考エデスカラ、コノ不安ヲモツテイタ次第デス。
コレガタメ今回ノ擧ガ天聽ニ達シ 御下問ガアル場合、
ワレワレノ氣持ヲ正シク奉答シ得ル人ニオ願イシテワレワレノ精神ヲ正シク聖斷ニ訴エテ頂クコトガ、
一番大切ダト考エ 陸軍大臣各軍事參議官ニオ願イシタ次第デス 」
・・( 公判陳述要旨 )

みずからは大御心に合するものとの確信をもっていたと告白していることは、
一体どういう判断に基くものであったろうか。

今上天皇即位ノミギリ朝見式ニオイテ賜ツタ勅語ノご要旨ハ、
「 維新 」 ヲ要望セラレアルコトヲ發見シタ。
コノゴ勅語ノ聖旨實現ニ努力シタノダ。・・といい、
そしてまた
ココカラ 「 大權 」 ノ擁護、顯現ノ至誠ヲツクスコトガ軍人ノ責務ト信ジ、
大權干犯者ヲ討ツコトニ心ヲ砕イタ ・・と述べていた。
だが、これはあまりに抽象的で具体性を欠くが、
彼らの同志間にあっては ひそかに 「 天皇の悩み 」 とて いろいろ取り沙汰されていたようで、
こうしたことから、この一擧が 聖旨に副うもの との確信にたどりついていたのかも知れない。

・・・大谷啓二郎著  二 ・二六事件  から


新井勲中尉・無念 「 自分の力、自分の立場を過信していた 」

2019年01月12日 05時57分20秒 | 前夜


新井 勲 中尉

竜土軒の激論の続き

二十六日の夜は開けたが、
昨晩一時過ぎまで読書したわたくしは、まだ床の中でその眠りから醒めなかった。
突然門も割れる程荒々しく叩く音がした。
わたくしは愕然としてとび起きたのである。
蹶起反対を知った栗原が、怒鳴り込みにでも来たのかと、一瞬考えた程であった。
褞袍のまま門を開けると、それは栗原ではなく、非常呼集を知らせる中隊の兵隊であった。
「 中隊長殿、非常呼集です。演習ではない本物の非常呼集です 」
「 どうしたのか 」 と訊ねると、兵隊は
「 鈴木少尉が中隊をつれて、警視庁へ行ってしまいました 」 と云うのである。
「 鈴木少尉だけか 」
と聞き直すと、そこでやっと聯隊の状況が判明した。
「 安藤がやる前には、少なくも もう一回は話がある 」
そう思っていたわたくしは、余りのことに暫くは、茫然と立ったままであった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・挿入・・・

・・・新井はもともと安藤、野中らと同志的立場にあった。
彼は竜土軒などの相澤公判報告の会合にはたびたび出かけたが、
歩一の栗原中尉や、村中らの即時決行論とは対立していた。
この時機の安藤も尚早論だった。 新井は安藤に同調した。
・・・二月十二日夜の竜土軒における両派の模様は 『 竜土軒の激論
しかるに、安藤は二十二日朝になって決行参加の決意を磯部に伝えた。
これで歩三の部隊の大兵力参加が決定したのだが、
安藤はこの決意を新井に相談もせず、打ちあけてもいない。
磯部、野中らもまた新井には沈黙していた。
磯部らはともかくとして、
安藤だけは昨日まで同一歩調できた新井に心境の変化を語ってもよさそうなのに敢て秘匿していた。
新井を勧誘しても応じないと見たのだが、うっかり云えば新井に諫められるとおそれたかもしれない。
安藤は新井への工作を断念したかわり、新井の下にいる新品少尉の鈴木金次郎に対し、
周囲に分からぬように働きかけて第十中隊の下士官兵の半数を連れ出させている。
その準備に新井はまったく気がつかなかった。
・・・松本清張 著  昭和史発掘 9⃣ から
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「 あの竜土軒の対談で、わたくしは早くもかれらの圏外に置かれたのだ。
・・・・かれ ( 安藤 ) は企図秘匿のため、縦横にわたくしを操った。
坂井や若い将校への働きかけを、巧みな理由で塞いでしまった。
安藤の口車に乗らなければ、或は事件を防止し得たかも知れぬ。
少なくとも若い将校の参加だけは、防げたものと思えるのだ。
それにしても、余りにも愚かなのはわたくしだった。
それは思いあがりの所為だった。
自分の力、自分の立場を過信していた。
それで見事に背負い投げを食わされたのである。
あの安藤にこの巧妙な策略ありと、気づかなかったのが、そもそもわたくしの敗因である。
それにしても一度は反対した安藤が、何故決心を翻したか。
わたくしは思う。
結局は情に流されたのだ。
かれは一番強かったが、かれは朋友への友情に、一切を放擲 ほうてき したのである。
一方は義に通じ、一方は情に通じると考えたればこそ、
彼は熟慮の後  あの渦中に投じたのである。
歩三は野中や坂井の如き急進派がいた。
しかしあの大量出動を敢行したのは安藤である 」
・・・新井勲 著  『 日本を震撼させた四日間 』 ・・


竜土軒の激論

2019年01月11日 13時22分29秒 | 前夜


新井 勲 中尉


初年兵が入営したので、軍隊はその教育で忙しかった。
わたくしは第十中隊の中隊長が歩兵学校に派遣されたので、
昨年末から中隊長代理として、その全てを預る身となった。
なお 近く華北から帰って来る第九中隊の初年兵も、隷下に置かれたので、わたくしは人一倍忙しかった。

北平から帰還して間もなく、わたくしは麻布二本松附近に家庭を持ったが、帰宅はともすれば遅れ勝ちであった。
相澤公判は世人の注目を浴びつつ、次第に進められていた。
雪の多いこの年は寒さも特に厳しく、気候そのものも何か変調を来していた。
今日もたそがれ時を急ぎながら帰途につくと、
六本木の四辻の方から、栗原中尉が見るからに殺気立った格好で歩いて来るのと、
道でバッタリぶつかった。
かれはわたくしより二期先輩である。
顔は女のような優さ男だが、織田信長みたいに疳 かん が強かった。
頭もよい 鼻ッ端の強い人間である。
「 おい、いよいよやらなけりゃいかんぞ。精力づけに大和田の鰻を食って来たところさ 」
栗原らしい云い方である。
「 栗原さん、余りガタガタしないことにしましょうや 」
わたくしはその日はサッサと別れたが、
翌日安藤に、
「 歩一がガタガタしているから、われわれは、歩三の態度を一応表明して置く必要がありますぜ 」
と、夕刻行われる竜土軒の会合に、われわれの態度を申入れることにした。
・・リンク → ・・・渋川善助 「 あなたは禅を知らないからです 」 

竜土軒の玄関を這入り、撞球場を左に見て階段を上ると、二階は二十畳ほどの洋間になっている。
この大広間の横にも六畳ほどの部屋があったが、
会合の場合は両方ともわれわれが使うことになっていた。
憲兵隊でもこの会合を臭いと睨み、手が廻っている気配はあったが、流石に傍聴には来なかった。
公判そのものの披露は誰か聞かせても差支えないもので、事実参会者には何の制限もなかった。
この日の参会者は十数名で、左官級の者も一人いたが、他は皆尉官級である。
主として歩一、歩三だが近く近歩三の将校も一名まじっていた。
渋川は羽織袴の和服だが、村中、磯部は背広で、あとは皆カーキ色の軍服である。
例の如く渋川が主となりその日の公判廷の模様を物語り、時々記憶の不確実な点を村中  磯部 に訊していた。
そして 「 それから後は証拠調べに入るようです 」 と最後を結んで散会となった。

今日こそはと待ち構えたわたくしと安藤は、足音の乱れる中を、まだ椅子から立たなかった。
渋川が急いで帰りかけるので、わたくしが呼留めると、
「 いや、わたくしは失礼します。話があったらどうぞ 」
と眼で村中や磯部を指した。
その時は気づかなかったが、直接行動は村中や磯部があたるという、これはかれらの計画であった。
村中もわれわれの意図を察知したのか、
「 一寸話があるんだが、あっちで話そう 」 と 四人は六畳の小部屋に移った。
六尺テーブルを中に置き、北側を安藤とわたくし、南側に村中と磯部が座についた。
白いテーブルクロスの真中には、花のない花瓶があった。
扉を閉めても、隣の大広間では物を片づける音が盛んにする。
「 安藤、どうだ 」
村中がいきなり先手を打って切込んで来た。
問題は云わずとも知れた直接行動についてである。
かれは額の広い、色白で小柄な男であった。
「 時期尚早と思います 」
安藤が答えた。
一期先輩の村中には、かれは依然先輩としての礼をとっている。
「 何いッ。時期尚早、そんなことがあるものか。
一刻も早くやらなけりゃ、国際危機に対処できるか。歩三がそんな始末だから困るんだ。
歩一は士気が揚がっているのに・・・・」
村中はテーブルを叩かんばかりであった。
「 栗原は何時でもガタガタしているんです。今に始まった事ではなんいだから・・・・」
「 栗原ばかりではない。外の者も真剣だ 」
今迄黙っていた磯部が初めて口を開いた。
かれは安藤と同期の仲で、身体のがっしりした、朴訥のなかに精悍の気溢れた男である。
人を人とも思わぬ風があるが、理論家ではない。
「 歩一がどうであろうとも、歩三は歩三の態度があると思うんだ 」
安藤が誰に答えるともなくつぶやいた。
四辺は静まって、時々西風の渡る音がする。
明るい電燈の下では、四人の者が相対している。
遠くに響く夜巡りの拍子木も、部屋の空気を、何かそぐわぬものにした。
暫く沈黙が続いた。
「 では何時やればいいんだ。今を措いて何時いい機会があると云うんだ 」
村中がまた攻勢に出た。
「 相澤公判を利用するなら、それも一つの機会でしょうが・・・・。
しかしわれわれのやらぬは、それに拘ってはいかんと思うんです 」
安藤はともすれば受太刀である。
「 拘らないってどうなればいいんだ 」
磯部が横合から語気鋭く詰寄った。
安藤はチラと磯部を顧たが、村中にむかい 諄々と説き出した。
「 聞く所によると、侍従武官長の本庄さんも歩一の山口さんには、手を焼いているそうです 」
山口とは本庄侍従武官長の女婿で、急進派の一人である。
かれ自身直接行動への参加はしないが、側面的に活潑に活動し、
過日入営式の父兄にやった演説が、問題になった人である。 ・・・山口一太郎大尉 壮丁父兄に訓示 
「 侍従武官長がこの有様なら、陛下が何と思って居られるか、
よく考えなければならぬと思うんです・・・・」
みなまで云わせず、村中が遮った。
「 そりゃそうさ、本庄さんにすれば責任があるから・・・・。
しかしそれで、陛下がそうだと断定はできん 」
安藤は村中の言葉には無関心の如く、さらに話しを続けた。
「 われわれが前衛として、飛出したとしても、現在の軍の情勢では、果たして随いて来るかどうか問題です。
若し不成功に終わったら、われわれは陛下の軍隊を犠牲にするので、竹橋事件以上の大問題です。
わたくしは村中さんや磯部と違い、部下を持った軍隊の指揮官です。責任は非常に重いんです 」
現役将校と浪人との相違はそこにある。
安藤のこの論には、村中も磯部も釘を打たれた体である。
しかし村中はそんな弱味は見せなかった。
「 川島が陸相だから駄目だと云うんか。そんな事があるものか。
われわれが飛出したら、あとの陸軍は何うすると云うんだ。
われわれを敵とするのか。味方にするのか。
われわれの迫力で押しさえすれば、軍は結局随いて来る。
われわれの迫力が問題なんだ。
それに川島じゃ駄目だと云うが、そんな事はない。
真崎や荒木は、表面都合よさそうに見えるけれど、却ってよくない。
あれらは余り俺らのことを知り過ぎている。しっかりしているから駄目なんだ。
川島みたいな中途半端な人間の方がよっぽどいい。 あいつはグニャグニャだから、
引摺って行くには都合がいいんだ 」
村中は一気呵成に逆襲して来た。
時計は既に十一時に近かった。
電灯ばかりバカに明るい火の気のない部屋で、四人の論戦はいよいよ白熱化するのであった。
「 村中さん、非常手段と云うものは、無闇矢鱈に使うものではありません 」
今迄黙っていたわたくしが、原則論で応酬した。
「 直接行動は国家が立つか立たぬか、滅亡するか否かの場合にのみ、はじめて是認さるべきであります。
国際情勢を思うと、われわれは一日も安閑としてはいられませんが、
それは積極的繁栄、少なくも現状維持を考える場合で、
それを対象としての直接行動は、これは全然見地が違います 」
さらに論を進ませようとすののを村中が、
「 現状でいいと云うのか。現状が悪いからやらにゃいかんのだ 」
「 現状でいいとは申しません。だが村中さん、少し黙ってわたしの云うことを聞いて下さい 」
今迄黙っていた手前があるので、村中は不服ながらも首肯いた。
「 わたくしも現状には不満です。 しかし現状が悪いと云っても、ただそれだけで直接行動に訴えては、
何時の世でも国家の秩序は成り立ちません。
国家の現状では、なる程一般国民は日常の生活不安に苦しんでいます。
しかし全般的に観察すれば、満洲の建設は進み、メイド・イン・ジャパンの商品は、
関税障壁を打破って、世界の国々に浸透して居ります。
この国家の現状を目して、滅亡の危機にありとは、わたくしは絶対に思われません 」
ここまで云い終って一息つくと、磯部がムカムカッと立向って来た。
「 新井君、それは特権階級のことだ。今繁盛しているのはかれらばかりで、国民は塗炭の苦しみに居るんだ 」
「 そりゃ受けている利益は、特権階級が多いでしょう。
一般労働者 特にわれわれの一番懸念する農民は、苦しいことは苦しい。
しかし昭和六、七年頃に比べれば、その苦しみは緩和されています 」
「 そんなことはない。却って苦しいんだ 」
磯部とわたくしの論戦は続いた。
「 いいえ、数次がこれを証明しています 」
「 数字なんか当てになるか。 苦しいのは苦しいんだ。 現に俺の田舎では----」
みなまで云わせずわたくしが、
「 一部の実例では議論になりません。 おおきな見地から見て下さい。
日本の農民も苦しいでしょうが、中国の農民はもっと苦しいのです。
非常手段をとる迄には、まだまだ農民も我慢しなければなりません 」
これまで村中は黙っていたが、突然わたくしに反問した。
「 それじゃ新井君は何時やると云うんだ。筵旗を押立てた百姓一揆が出たり、
飢え死に者が出て、餓莩山に満つとなればよいのか。
警察の発達した今日、そんな百姓一揆など起るものか 」
「 いいえ、違います。いくら警察が発達しても、食えなくなれば生か死かの問題です。
あの階級の差のやかましい、斬捨て御免の世の中でも、百姓一揆は起きています。
警察がどうのこうのと云っても、それは問題になりません 」
頬杖をついて考えていた安藤が仲に入った。
「 そりゃ見解の相違だ。いくら議論しても駄目だ 」
安藤は議論の絡れを警戒した。
「 それにしても村中さんや磯部さんには部下がありません。
失礼ですけれども、今では一介の地方人です。
わたくし共が一個人として、血盟団や五・一五の如く動くのでしたら、
わたくしも反対は致しません。 軍服を脱いでやると云うなら、一緒になってやりもしましょう。
それは個人が犠牲になればよいんですから----。
しかし軍隊を使用するのは、事が全然違います。
われわれが飛出すには、戦闘綱要の独断に合するか否かを、慎重に検討する必要があります。
常に上官の意志を明察し、大局を判断するとありますが、
この際の上官は陛下です。
軍隊を使用して直接行動に出ることは、陛下が御自ら元老重臣を斬ろうと考えられて居る場合、
その時だけに許されるべきです。
今の陛下が果してそれを考えて居られるか。わたくしはそうとは絶対に思えません。
わたくしは絶対に軍隊を犠牲には出来ません 」
こう強く云い切った。
「 なに、陛下だって御不満さ 」
村中の反撃はあたらなかった。
「 そりゃ御不満はお持ちでしょう。しかし不満と云うことと、これを斬るということは違います 」
わたくしは更に続けて、最後の留めを刺そうとした。
ところが磯部が向き直って、
「 では新井君は同志を裏切ろうというのか 」
かれは論旨を変えて来た。
「 何を称して裏切りと云うのです。
わたくしは、あなた方の云うことを必ず肯きますと、何等約束したことがありますか。
わたしばかりではない、安藤さんでも坂井でも、そんな事は誰もしていません。
それなら何故、磯部さんは、わたし達のいうことを肯かないんです----。
国を憂えることは同じです。私も現状には不満です。
しかし問題は、現在直接行動をゆるかやらないか、それを論じているのではありませんか 」
わたくしは憤慨した。
磯部の指図など受ける必要はないからだ。
われわれの同志とはそんな意味ではない。
国事を憂える者の集まりだ。
菅波大尉からも、直接行動をするか否かは、自分で考えてくれ、と云われている。
安藤がまた仲に入った。
「 まあ、今晩は遅いから、これで止めにしよう。
----でも、今迄われわれの第一線と思っていた新井がこんなに反対するんだから、
やらないほうがよいと思う 」
磯部に向かって、かれは静かにそう云った。
四人の胸はまだスッキリしなかったが、時刻が時刻なので、云いたいものを残しながら、
一同は竜土軒の外に出た。
電車道路で四人の影は二つに別れ、わたくしと安藤は六本木の方へ道を急いだ。
「 新井、今夜のことは誰にも云うな。
何処迄も歩三は歩三で行こう。 しかし若い者には余りブレーキはかけるなよ。
やるやらぬは別として、何時でも死ぬだけの心構えは必要だから----。
今、坂井がすこしガタガタしているが、あれは俺からよく云って置く、
われわれがやらなけりゃ坂井もやらん 」
安藤はそう云いながら、微かに笑った。
街灯だけが光る暗い道路は、二人の足音だけが高かった。
四辻で安藤と別れたわたくしは、一ロ 坂を下りて麻布十番へ出た。
人通りの絶えたこの道は、円タクの流しも稀で、月のない空を、流れ星が一つ斜めに飛んだ。
・・・新井勲 著  『 日本を震撼させた四日間 』 ・・竜土軒の激論
次頁 
新井勲中尉・無念 「 自分の力、自分の立場を過信していた 」 に 続く


山下奉文の慫慂 「 岡田なんか打斬るんだ 」

2019年01月11日 05時05分35秒 | 前夜

相澤公判の集会が、二、三回行われた時である。
村中や磯部らの情報だけで判断しては事を誤るという安藤の提唱で、
わたくし達歩三の青年将校の大部が、山下奉文の自宅にその見解を聞きに行った。
山下奉文は当時陸軍の調査部長をやっていた。
各種の情勢にも詳しいだろうし、
また現在の対内対外の諸施策にも、軍としての抱負があるだろうと期待したのである。
一行は十五、六名の多数だった。

山下奉文


十一月事件に関しては、

「 永田は小刀細工をやりすぎる 」
と先ず第一に断を下した。
山下は小刀細工が甚だ嫌いであった。
かれはあの偉大な風貌にも似ず、実際は細心周密な人間だが、
表向きは 「 小刀細工はいけない、大鉈で行け 」 と大きく出、またそういう風に万事を処理する人であった。
だから表面しか見えない人間には、かれの神経の細かさはわからない。

山下の語る小刀細工とは、あの士官候補生達の処理が軍務局長と中隊長だけで行われ、
学校長其他に連絡がなかった点を指すのであった。
「 矢張りあれは永田一派の策動で、軍全体としての意図ではない 」
一同は村中、磯部の所論の正しさを再確認したのである。

「 では、永田中将の死亡時刻が、陸軍省発表と軍法会議とで違うのは、どうした事です 」
「 ああ、あれか。あれは何でもない。中将への進級やその他の事務手続き上の都合で、あれは別に何でもないんだ 」
話は次第に現在の時局に触れて来た。
その対策について、調査部長として何か卓抜な抱負があるかと思ったが、
遺憾ながらこれを取上げるものもなかった。
現在のままではいけないのは誰も知っている。
だが 何うしたらよいのか、当時としては具体的政策を持つものとてなかった。
「 国家改造法案大綱 」 も卓見ではあるが、あれは検討すべき幾多の問題があった。
あれがそのまま実現してよいものとは青年将校の誰もが思わなかった。
「 国防の本義とその教化の提唱 」 なるパンフレットを出したからには、
陸軍には何か具体策があるに相違ない。
ところが山下の語る所はまことにつまらぬものばかりであった。
なかでも一寸受取れるのは国民健康保険法ぐらいだった。
ほかの者は知らぬが、実はわたくしとしては非常に失望した。
今迄軍の中央部には政府よりも何よりも期待と信用と尊敬とをもっていたのだが、
その脳味噌のカラッポを見せつけられたからだ。

「 岡田啓介はどうです 」
安藤か誰かが質問した。
「 岡田なんか打斬るんだ 」
山下の声には力が籠っていた。
わたくしは呆気にとられた。
曾て聯隊長時代には、「 日本人は神経質でいけない。ジタバタするな 」 と云っていた山下が、
部下に責任のない調査部長になるとこんなことを云うのか。
わたくしは山下の品性を疑った。
「 岡田啓介を打斬れ 」
とはどういう意味で云ったのか、それは山下自身の本心に聞かねばならない。
かれは軍隊を使用する直接行動は予測しなかったろう。
しかしかれが如何に云訳を云おうと、
「 打斬れ 」 といったあの鋭い言葉は、血の気の多い青年将校にどんな影響を与えるかは、
山下自身がよく知っていた筈だ。
効果を予想せずに、かれはそんな言葉を使う人間ではない。
果せるかな その効果は覿面だった。
山下の一言こそ歩三の青年将校を二・二六事件に駆り立てる大きな動機となったのである。
・・・新井勲 著  『 日本を震撼させた四日間 』 ・・山下奉文の慫慂


西田税、安藤輝三 ・ 二月二十日の會見 『 貴方ヲ殺シテデモ前進スル 』

2018年01月17日 05時34分43秒 | 前夜

二十二日の早朝、
再び安藤を訪ねて決心を促したら、
磯部安心して呉れ、
俺はヤル、
ほんとに安心して呉れ

と 例の如くに簡単に返事をして呉れた。
・・・磯部淺一  行動記 第十 「 戒厳令を布いて斬るのだなあ 」 


西田税               安藤輝三


安藤大尉ハ二月二十日頃ノ夜私方ニ來マシタノデ、
私ハ
「 實ハ君ニ聞キタイ事ガアツテ來テ貰ツタノダ 」
ト申シマシタ処、安藤モ
「 私モ貴方ニ會ツテ、意見ヲ聞イテ見タイト思ツテ居タ処デアツタ 」
ト言ヒマシタ。
私ハ安藤ニ栗原トノ会見顚末ヲ話シタ上、
「 自分ハ反對ダガ、君ハ何ウ思フカ。重大ダカラ、御互ニ腹ノ底ヲ打明ケテ、忌憚ナキ意見ヲ交換シヤウ 」
ト申シテ話ヲ始メマスト、安藤ハ先ヅ
「 貴方ガヤツテ居ル、海員、農民、労働、大衆、郷軍各方面ノ民間運動ハ何ウナツテ居リマスカ 」
ト質問シマスカラ、私ハ
「 僕ノヤツテ來タ運動方針ノ民間運動ハ順調ニ運ビ、漸ク其ノ緒ニツイタ処ダ 」
ト答ヘマスト、安藤ハ
「 最近若イ者ガ甚ダシク激化シ、蹶起スルト騒イデ居リ、
 自分ヲ大物ト見テカ一緒ニ立ツテクレト頻リニ催促シテ來ル。
自分トシテハ参加スルニ出來ナイ事ハナイガ、唯夫レガ善イ事カ惡イ事カニ附キ判断ガ定マラズ、
神経衰弱ニナル程考ヘニ考抜イタ結果、此間一応参加ヲ斷ツタ。・・・竜土軒の激論
夫レヲ、当時週番司令ヲシテ居タ先輩ノ野中大尉ニ其ノ旨ヲ話シタ処、
野中大尉ヨリ
「 今起タナケレバ、天誅ハ却テ我々ノ頭上ニ下ル。何故貴様ハ斷ツタカ。
 今俺ガ週番ダカラ、此機会ニ今週中ニヤラウデハナイカ 」
ト甚イ勢デ怒ラレ、自分ハ恥カシイ思ヒマシタ。
此様ナ空気デ、下士官 兵ナドモ相当強ガリヲ言ツテ居リ、到底此儘デハ済マヌト思フ。
實ハ、自分ハ最近若イ者ヲ聯レテ、
聯隊ノ先輩デアル山下少将ノ処ヘ行ツテ話ヲシテ貰ツタガ、却テ刺激サレテ帰リ、
或少尉ノ如キハ、其ノ晩速非常呼集デ警視庁襲撃ノ豫行演習ヲシタ様ナ始末デアリ、・・・昭和維新・常盤稔少尉
自分トシテハ本心ニ副ハヌケレドモ、
参加セネバナラヌ絶体絶命ノ立場ニ置カレテ居ルノデハナテカト思ツテ居ル。
又、今迄ナラバ
誰カガ貴方ニ告ゲルカ、貴方が嗅付ケルト抑附ケテ來タガ、
今度コソハ、何ウシテモ抑ヘガ利カヌ程度迄進ムデ居ル様デアル。
若シ貴方ガ今迄ノ様ニ考ヘテ抑附ケテ゛モスレバ、却テ大変ナ事ニナリ、
誠ニ申難イ話デハアルガ、貴方ヲ殺シテデモ前進スル様ナ事ニナルカモ知レヌト思フ。
私ハ貴方ニ此事ヲ告ゲタリ、又貴方ノ意見ヲ聞ク爲ニ一度會ヒタイト思ツテ居タ 」
ト云フ趣旨ノ事ヲ、シンミリト落着イテ話シマシタ。
私ハ野中大尉ハ知リマセヌガ、聯隊ニハ飛ムデモナイ急進分子ガ居ルナト思ヒマシタ。
安藤ノ話ヲ聞イテ居ル間ニ、
今迄頼リニシテ居タ安藤が大体決心シテ居ル様デアリ、
少ナクトモ同意セネバナラヌ立場ニ置カレテ居ル様デアル事ヲ知リ、
斯クテハ、我々一人二人ノ力デハ到底抑へ切レナイ所迄情勢ガ進ムデ居ルト思ヒマシタノデ、
安藤ニ對シ
「 君モヨク知ツテ居ル通リ、理論方針トシテハ直接行動ニハ絶對ニ反對ダ。
 若シ諸君ガ蹶起スレバ、常カラ一味ト見ラレテ居ル位ダカラ、事實関係ノ有無ニ拘ラス唯デハ済マヌ。
當局及世間ハ或程度ノ責任ヲ自分ニ冠ラセルガ、之ハ已ムヲ得ナイトシテモ、
サウナルト今迄孜々ししトシテ力ヲ濺イデ來タ自分ノ運動方針ハ、根底カラ打壊サレ、撲滅シテ了フ。
自分ハ抑ヘテ殺サレル事ハ厭ハナイガ、事態ガ其処迄進ムデ居レバ、結局ハ抑ヘテモ駄目ダラウ。
蹶起ノ主タル原因ハ、渡満ヲ動機トシテ国体明徴ノ様ニ聞イテ居ルガ、
満洲ニハ匪賊跳梁シ、ロシアハ共産主義国ニシテ北支亦悪化シ、今や満洲ハ實ニ重大ニシテ危険性ヲ増シ、
日露関係愈々切迫セル此際、渡満シテ彼地ニ骨ヲ埋ムルハ軍人ノ本望ナルベキモ、
海軍ノ藤井少佐ガ上海出征前後ノ心情ヲヨク知ツテ居ル自分トシテハ、
諸君ト主義方針ハ異ナルモ、
事ノ善悪ハ別トシテ、諸君ガ今蹶起セムトスル気持ハ、十分ニ諒解スル事ガ出來ル。
自分ハ、諸君ニ思止ツテ貰ヒタイトハ思フケレドモ、
此情勢デハ抑ヘテ抑ヘラレヌカトモ思フカラ、モウ抑ヘハシナイ。
君ハ国家ノ爲ニナルカ否カ、善イカ惡イカト云フ點ヲヨク考ヘ、最善ノ途ヲ選ムデ貰ヒタイ。
諸君ガヨク考ヘタ末ヤルトナレバ、自分ハ自分個人ヲ犠牲トスルヨリ外ナイノデ、運ヲ天ニ任セル。
兎ニ角、更ニモ一度考直シテクレ 」
ト云フ趣旨ノ事ヲ申シマシタ処、
安藤ハ、
「 ヨク判リマシタ 」
ト言ツテ歸ツテ行キマシタ。

安藤ト会見シタル結果、
抑止不可能ノ情勢ニ在ル事ヲ確信シタカ。

左様デアリマス。
安藤ハ栗原ト余程違フ所ガアリマスノデ、
安藤ニハ大ナル期待ヲ掛ケテ居タダケニ、
其ノ話ヲ聞イタ結果ハ、
モウ抑ヘルニ抑ヘラレヌ情勢ニナツテ居リ、之ハ駄目ダト感ジマシタ。

斯カル情勢ノ下ニ於テ、安藤が被告人ノ意見ヲ聞キタイト思ツテ居タト云フノハ、
参加シテ蹶起スルノガ善イカ惡イカノ判断ニ迷ツテ居タノデ、
其ノ決心ヲ附ケル爲ニ來タノデナイカ。
安藤トシテハ、
周囲ノ空気ガ険悪ニナツタガ、
或ハ同志ヲ裏切ツテ何トカスル方法モアルガ、夫レハ従来ノ關係カラ出來ナイノデ、
愈々絶体絶命ノ立場ニ置カレ迷ツタ爲、
決心ヲ附ケルベク考ヘテ來タカモ知レヌト思ヒマスガ、
又、私ガ力ヲ入レテ居ル民間運動ノ方ガ何ウナツテ居ルカ、
其ノ状況ヲ聞キ度カツタモノト思ヒマシタ。

安藤ニ考直シテクレト言ツタトノ事ダガ、
安藤トシテハ既ニ考直ス餘地ハナカツタノデナイカ
私ハ安藤ニ、更にモ一度考直シテクレト申シマシタガ、
肚ノ中デハ、安藤ハ最早考ヘル餘裕ハナカラウト思ヒ、同人ニ期待ヲ掛ケズ、諦メテ了ヒマシタ。

・・・第二回公判 から
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リンク
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西田税 「 今迄はとめてきたけれど、今度はとめられない。 黙認する 」 
・ 西田税 「 私は諸君と今迄の関係上自己一身の事は捨てます 」