あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

村中孝次 『 勤皇道樂の慣れの果てか 』

2022年12月22日 01時01分01秒 | 村中孝次

磯部が言う。
「 村中さん、おとなしくしていれば陸大を出て、今頃は參謀ですなあ 」
村中が答える。
「 勤皇道楽の慣れの果てか 」
一同は アッハッハと大笑いする。
(大西郷の言葉を借用していたので)

・・・村中孝次 「 勤皇道楽の慣れの果てか 」 


村中孝次  ムラナカ タカジ
『 勤皇道樂の慣れの果てか 』
目次

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・ 昭和維新 ・村中孝次 (一) 粛軍に關する意見書
・ 昭和維新 ・村中孝次 (二) 赤子の微衷
・ 
昭和維新 ・村中孝次 (三) 丹心錄 

維新の原理―方法論
一君萬民、君民一體、一國一家、共存共栄の原則に立つ日本國家の維新は必然、

此の原則によって發展されねばならぬ。
即ち天皇を至高中心とする君民一體の國家的躍進たるべく、
國家のものの理想と時勢の 進運に伴って實現せんとする
君民一體の國家意思の躍進的發動たるべきである。
維新は天皇を無視除外せる臣民的國民のみの大衆行動に非ず。
臣民的國民を除外せる天皇の独裁に非ず。
國民中の或る階級分子の専制であってはならぬ、一體的君民の國民行動である。
先覺的國民の先駆誘導による擧國的躍進行動で天皇は其中心指令者、
全國國民は是を協翼する本隊員である、
此の行動は國家原理維新原理に深刻正当な理解を把握して國家の格階層全分野より 起り
上下左右強力して進めることが必要である。
維新とは又より高き現実の實現である、
現實を否認すると共に此の否認する現實を基点としてのより高き明日の現實への躍進である
從って形式的復古でなく非現實的改革でないのは固よりである。
維新の具體的原則
1 政治的原則 一君萬民、君民共治、天皇親裁、 國民翼賛議会政党

 (自主的國民の政治的意見の自由は政党を作ることがあり得 )
國民の自由発展 (進化の原則である)
2 経済的原則 國民各自の自由發展の物質的基本の保証、自主的個人の人格的基礎の確立、
 國家の最高意思による私有財産土地企業の限度―経済的封建制の廃止
( 現政党の否認は財閥との結託により大政党を組織して居ることによる弊害大なるが故である )
3 軍事的原則 ( 國家最高意思による統一 )
 消極的國防の観念を排し建國の理想世界的使命の實現の爲めの積極的実力の充實、國家の國際的生存權の主張
二月十八日   村中孝次

・・・
村中孝次 ・ 同期生に宛てた通信

國防の本義と其強化の提唱に就て
陸軍が其総意を以て公式に 經済機構變革を宣明したるは建國未曾有のこと

昭和維新の氣運は劃期的進展を見たりと謂うべし。
( 水戸藩主が天下の副將軍を以て尊皇を唱えたるよりも島津侯が公武合體を捨て
尊皇統幕を宣言したるよりも大なる維新氣勢の確信なり )
陸軍は終に維新のルビコンを渡れるシーザーなり。
内容に抽象的不完全の點なきに非ずと雖も具體的充實化は今後の努力にあり。
我等は徹底的に陸軍當局の信念方針を支持し拡大し強化するを要す。
之が方策の一、二例左の如し。
イ、該冊子を有効に頒布し十分活用すること、將校下士官兵有志、在郷下士官兵有志、
 郷軍有志、民間有志竝農民關係其他所在の改造勢力方面
ロ、國防國策研究 ( 本冊子をテキストとして ) の集會を盛に行うこと
ハ、各種の方法を以て當局に對し本冊子に對する絶賛の意を表すると共に活行突破要請を具申建白すること
ニ、 農民其他一般に民間方面の當局に對する陳情具申等を陸軍に集中せしむること
一般情勢判斷に就て
イ、陸海軍軍事予算竝國民救濟豫算 ( 臨時議會提出及十年度分 ) 手呈的に支援し
要求貫徹を計ること
ロ、在満機関紙海軍軍縮廢棄通告の實現を促進すること
ハ、所在同憂同志諸士を正算結集し非常時におうずる準備を着々整うること
ニ、可能なる限り在京同志と密度なる聯絡をとること
ホ、冷鐡の判斷行動と焦魂の熱意努力とを以て日夜兼行り奔走を敢行すること
 「 一息の間斷なく一刻の急忙なきは即ち是れ天地の気象 」 とは吾曹同志の採って以て日常の軌道とすべきなり。
降魔斬鬼救世済人の菩薩が湧出すべき大地震裂の時は恐らく遠からずと想望され候
日夜不撓為すべきを爲し、盡くすべきを盡くし 以て維新奉公の赤心に活くべく
お互いに精遊驀往可仕候     十月五日  村中孝次
・・・
村中孝次 『 国防の本義と其強化の提唱について 』 

陸軍士官學校予科區隊長 ・ 村中孝次 
「 軍中央部は我々の運動を彈壓するつもりか 」 
「 粛啓壮候 」 と冒頭せるもの
 村中孝次 『 全皇軍青年將校に檄す 』 
改造法案は金科玉条なのか 

・ 村中孝次 「 やるときがくればやるさ 」
・ 村中孝次 「 カイジョウロウカク みたいなものだ 」 
十一月二十日事件 ( 陸軍士官學校事件 ) 
 ・ 所謂 十一月二十日事件
 ・ 十一月二十日事件の經緯
 ・ 法務官 島田朋三郎 「 不起訴處分の命令相成然と思料す 」
 ・ 村中孝次 「 やるときがくればやるさ 」
 ・ 村中孝次 「 カイジョウロウカクみたいなものだ 」
 ・ 士官候補生の十一月二十日事件
 ・ 栗原中尉と十一月二十日事件
 ・ 憲兵 塚本誠の陸軍士官學校事件
 ・ 十一月二十日事件をデッチあげたのは誰か
 ・ 十一月二十日事件 ・ 辻大尉は誣告を犯した
 ・ 辻正信大尉
 ・ 正面衝突 ・ 村中孝次の決意
 ・ 粛軍に關する意見書
 ・ 栗原中尉と齋藤瀏少將 「 愈々 正面衝突になりました 」
 ・ 三角友幾 ・ 辻正信に抗議
 ・ 候補生 ・ 武藤与一 「 自分が佐藤という人間を見抜けていたら 」
 ・ 荒木貞夫が見た十一月二十日事件
 
正面衝突 ・ 村中孝次の決意
 粛軍に關する意見書


教育總監更迭事情要点 ・村中孝次 
村中孝次 發 川島義之 宛 


野中大尉の決意書を
村中が之を骨子として、
蹶起趣意書 を作ったのだ。
原文は野中氏の
人格、個性がハッキリとした所の大文章であった。
・・・磯部浅一 ・ 行動記  第十 「 戒厳令を布いて斬るのだなあ 」 

吾人の蹶起の目的は 『 蹶起趣意書 』 に明記せるが如し。
本趣意書は二月二十四日、
北一輝氏宅の仏間、

明治大帝御尊象の御前に於て神仏照覧の下に、
( 村中孝次 ) の起草せるもの、

或は不文にして意を盡すと雖も、
一貫せる大精神に於ては
天地神冥を欺かざる同志一同の至誠衷情の流路なるを信ず。

・・・村中孝次、丹心録 「 吾人はクーデターを企図するものに非ず 」 


「 只今から我々の要望事項を申上げます 」 
・ 帝國ホテルの會合
・ 西田税、村中孝次 『 村中孝次、 二十七日夜 北一輝邸ニ現ル 』 
・ 村中孝次の四日間 1 

・ 村中孝次の四日間 2 

歯ぎしりする村中

この後の二時間近くを、私はどこでどう過したかを今となっては覚えていない。
二十七日の夜九時ごろ、
鐡道大臣官舎 ( 伊藤公の銅像のある西方約百メートル ) の 前で、バッタリ 村中孝次に会った。
彼は既に免官になっていたのだが、歩兵大尉の軍服を着て小柄な身体をマントに包んでいた。
兵隊を一人連れていたが巡察の途中だという。
あいさつもぬきにして、村中が私を見るなり、
「 おい、牧野 ( 伸顕伯 ) は どうした?生きたか死んだか ? 」
と 問いかけて来た。
牧野が無事脱出したことは、昼間見た社の情景で知ってはいたが
村中のこの決死の形相を見て私は事実を告げるわけにも行かなくなった。
といって、嘘もつけない。
モゴモゴ口籠っている私を見ると、
鋭敏な彼は早くも事の失敗を察知して、歯がみをして口惜しがった。
小さな体を震わして、
「 牧野を逃がしたのかウーム・・・・・失敗か 」
東北弁で歯ぎしりしながら語る村中のことばはよく聞きとれなかったが、
こうしている間も もどかしいという風に、私の手をグッと握ると後はもう何もいわず、
鐡道大臣官舎の門の中へ消えて行った。
後ろ姿は妙に寂しかった。
・・・「 今夜、秩父宮もご帰京になる。弘前、青森の部隊も来ることになっている」 

・ 村中孝次 「 奉勅命令が下されたことは疑いがない。大命に從わねばならん 」 
・ 「 あの温厚な村中が起ったのだ 」 

裁判官は檢察官の陳述せる公訴事實
竝に豫審に於ける取調を基礎として訊問せらるる様なるも、
檢察官の陳述せる公訴事實には
前回迄に申述べたる如く蹶起の目的其の他に相違の點あり。
又、豫審に於ける取調は急がれたる關係上
我々の気持を十分述ぶる餘裕を与へられざりしを以て
我々は公判廷に於て十分なる陳述を爲し度き考なれば、
白紙となりて十分陳述の餘裕を与へられ度、
殊に當軍法會議に於ては弁護人を許されざるを以て
我々は自分で弁護人の役目も果たさねばならず、
而も弁護人と異なり身體の自由を有せざるを以て
弁護の資料を得ること能はざる不利なる立場に在り。
此等の点點を御諒察の上、陳述の機會及餘裕を十分に与へられ度し。
今回の行動は大權簒奪者を斬る爲の獨斷専行なり。
党を結びて徒らに暴力を用ひたるものにあらず。
我々軍隊的行動により終始一貫したるものなるを以て、
此獨斷専行を認めらるるか否かは一に大御心にあるものなり。
若し大御心に副ひ奉る能はざりし時と雖も反亂者にあらず。
陸軍刑法上よりすれば檀權の罪により處斷せらるるものたるを信ず。
・・・ 反駁 ・ 村中孝次 

村中孝次 ・ 丹心錄 
 ・ 丹心錄 「 吾人はクーデターを企圖するものに非ず 」
 ・ 続丹心錄 「 死刑は既定の方針だから 」
 ・ 続丹心錄 「 この十年は昼食、教科書官給の十年なり、貧困家庭の子弟と雖も學び得る十年なり 」
 ・ 続丹心錄 ・第一 「 敢て順逆不二の法門をくぐりしものなり 」
 ・ 続丹心錄 ・第二 「 奉勑命令は未だ下達されず 」
 ・ 続丹心錄 ・第三 「 我々を救けやうとして弱い心を起してはいけません 」
 ・ 続丹心錄 ・第四、五、六  「吾人が戰ひ來りしものは國體本然の眞姿顯現にあり 」
 ・ 村中孝次 ・ 同志に告ぐ 「 前衛は全滅せり 」

 青年 村中孝次 「 自己を知り、自我を養ふ 」 
・ あを雲の涯 (三) 村中孝次
・ 村中孝次 ・妻 静子との最後の面會
・ 昭和12年8月19日 (三) 村中孝次大尉

「 勝つ方法としては上部工作などの面倒を避け、
襲撃直後すかさず血刀を提げて宮中に參内し、
畏れ多いが陛下の御前に平伏拝謁して、
あの蹶起趣意書を天覧に供え目的達成を奉願する。
陛下の御意はもとよりはかり知るべきではないが、
重臣らにおはかりになるかも知れない、
いわゆる御前會議を經ることになれば、
成果はどうなるか分からないが、
そのような手續きを取らずに、おそらく御許しを得て奏功確實を信じていた。
この方法は前から考えていたことだが、いよいよとなると良心が許さない、
気でも狂ったら別だが、至尊鞏要の言葉が怖ろしい。
たとへ 御許しになっても、皇軍相撃つ流血の惨は免れないだろうが、勝利はこちらにあったと思う。
飛電により全國の軍人、民間同志が續々と上京するはずだ。
しかし、今考えて見れば銃殺のケイ よりも、私らは苦しい立場に立つだろう。
北先生からも  『 上を鞏要し奉ることは絶對にいけない 』 と聞かされていた。
この方法で勝っても、その一歩先に、
陛下のために國家のために起ったその忠誠が零になるわけだ、矢張り負けて良かったとも考えている。
勝つ方策はあったが、あえてこれをなさざりしは、
國體信念にもとづくもので、身を殺しても鞏要し奉ることは欲せざりしなり。
・・・ 勝つ方法はあったが、あえてこれをなさざりし

いろいろと娑婆からここに来るまで戰つてきましたが、
今日になって過去一切を靜かに反省して考えて見ますと、
結局、私達は陸軍というよりも軍の一部の人々におどらされてきたことでした。
彼等の道具に、ていよく使われてきたというのが正しいのかも知れません
もちろん、私達個々の意思では、あくまでも維新運動に挺身してきたのでしたが、
この私達の純眞な維新運動が、上手に此等一部の軍人に利用されていました。
今度の事件もまたその例外ではありません。
彼等はわれわれの蹶起に対して死の極刑を以て臨みながら、
しかも他面、事態を自己の野望のために利用しています。
私達はとうとう最後まで完全に彼等からしてやられていました。
私達は粛軍のために闘ってきました。
陸軍を
維新化するためにはどうしても軍における不純分子を一掃して、
擧軍一體の維新態勢にもって來なくてはなりません。
れわれの努力はこれに集中されました。
粛軍に關する意見書 』 のごときも全くこの意圖に出たものでしたが、
ただ、返ってきたものはわれわれへの彈壓だけでした。
そこで私達は立ち上がりました。
維新は先ず陸軍から斷行させるべきであったからです。
幕僚ファッショの覆滅ふくめつこそわれわれ必死の念願でした。
だが、この幕僚ファッショに、今度もまた、してやられてしまいました。
これを思うとこの憤りはわれわれは死んでも消えないでしょう。
われわれは必ず殺されるでしょう。
いや、いさぎよく死んで行きます。
ただ、心残りなのは、
われわれが、彼等幕僚達、いやその首脳部も含めて、

れらの人々に利用され、彼等の政治上の道具に使われていたことです。
彼等こそ陸軍を破壊し國を滅ぼすものであることを信じて疑いません

・・・
「古ヨリ 狡兎死而走狗烹 吾人ハ即走狗歟 」 


磯部淺一 『 俺は革命をやる 』

2022年12月20日 13時57分00秒 | 磯部淺一

「 男子にしかできないのは 戦争と革命だ 」
と、佐々木二郎の言葉に
「 ウーン、俺は革命の方をやる 」
と、磯部浅一は大きく肯いた
・・・
男児の本懐 


磯部淺一  イソベ アサイチ
『 俺は革命をやる 』
目次

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磯部淺一 『 日本改造法案は金科玉条 』 

・ 昭和維新 ・磯部淺一 (一) 赤子の微衷
・ 
昭和維新 ・磯部淺一 (二) 行動記
・ 
昭和維新 ・磯部淺一 (三) 獄中手記
・ 
昭和維新 ・磯部淺一 (四) 獄中手記、獄中からの通信 


やがて西田の心が、
燃えさかるような炎からじっくり志を育て実らせる地熱へ変って参りましたあとへ、
青年時代の西田そのままの磯部さんが登場し、
代って座を占めたという実感を、
すぐ傍に居りましたわたくしはもっております。  ・・西田はつ

・ 磯部淺一 『 國民の苦境を救うものは大御心だけだ 』 
磯部淺一の登場 「東天に向ふ 心甚だ快なり」 
夢見る昭和維新の星々 
・ もう待ちきれん 
・ « 青山三丁目のアジト » 

・ 磯部手記 
行動記 ・ 第一 「 ヨオシ俺が軍閥を倒してやる 」 
『 栗原中尉の決意 』 
河野壽 ・ 父の訓育 「 飛びついて殺せ 」 

二十二日の早朝、
再び安藤を訪ねて決心を促したら、
磯部安心して呉れ、
俺はヤル、
ほんとに安心して呉れ

と 例の如くに簡単に返事をして呉れた。
本日の午後四時には、
野中大尉の宅で村中と余と三人会ふ事になってゐるので、
定刻に四谷の野中宅に行く。
村中は既に来てゐた。
野中大尉は自筆の決意書を示して呉れた。
立派なものだ。
大丈夫の意気、筆端に燃える様だ。
この文章を示しながら 野中大尉曰く、
「今吾々が不義を打たなかったならば、吾々に天誅が下ります」 と。
嗚呼 何たる崇厳な決意ぞ。
村中も余と同感らしかった。
野中大尉の決意書は村中が之を骨子として、所謂 蹶起趣意書 を作ったのだ。
原文は野中氏の人格、個性がハッキリとした所の大文章であった
・・・第十 「 戒厳令を布いて斬るのだなあ 」 

栗原部隊の後尾より溜池を経て首相官邸の坂を上る。
其の時俄然、官邸内に数発の銃声をきく。
いよいよ始まった。
秋季演習の聯隊対抗の第一遭遇戦のトッ始めの感じだ。
勇躍する、歓喜する、感慨たとへんにものなしだ。
同志諸君、余の筆ではこの時の感じはとても表し得ない。
とに角云ふに云へぬ程面白い。一度やって見るといい。
余はもう一度やりたい。あの快感は恐らく人生至上のものであらふ。
・・行動記

・ 磯部淺一 ・ 行動記 

・ 「ブッタ斬るゾ !!」
・ 「 エイッこの野郎、まだグズグズ文句を言うか 」
・ 行動記 ・「 國家人なし、勇將眞崎あり 」 
磯部淺一 「おい、林、參謀本部を襲撃しよう 」
・ 村中孝次 「 勤皇道楽の慣れの果てか 」 
磯部淺一 「 宇多! きさまどうする?」 

・ 磯部淺一の四日間 1
・ 磯部淺一の四日間 2 

根本の問題は國民の魂を更えることである。
魂を改革した人は維新的國民。

この維新的國民が九千万に及ぶ時、魂の革命は成就されると説く。
良くしたいという 一念 三千の折から
超法規的な信念に基ける所謂非合法行動によって維新を進めてゆく。
現行法規が天意神心に副はぬものである時には、
高い道念の世界に生きている人々にとっては、何らの意味もない。
非が理に勝ち、非が法に勝ち、非が權に勝ち、一切の正義が埋れて非が横行している現在、
非を天劔によって切り除いたのである。

この事件は粛軍の企圖をもっていました。
わたしたちの蹶起したことの目的はいろいろありましたが、
眞の狙いは 非維新
派たる現中央部を粛正することにあったのです。
軍を維新に誘導することは、わたし達の第一の目標でした。


 磯部淺一 訊問調書 1 昭和11年4月13日 「 眞崎大將のこと 」 
・ 磯部淺一 憲兵聴取書 2 昭和11年5月8日 「 眞崎大將の事 」 
・ 磯部淺一 憲兵聴取書 3 昭和11年5月17日 「 事前工作と西園寺襲撃中止 」 
・ 反駁 ・ 磯部淺一 村中孝次 香田清貞 丹生誠忠 
暗黒裁判 ・ 幕僚の謀略 3  磯部淺一 「 余は初めからケンカのつもりで出た 」
 1、 奉勅命令について
 2、大臣告示に就いて
 3、戒嚴軍隊に編入されたること
 4、豫審について
 5、公判について
 6、求刑と判決

・ 暗黒裁判 ・幕僚の謀略 3 磯部淺一の闘爭  『北、西田両氏を助けてあげて下さい』

・ 磯部淺一 ・ 獄中手記 
・ 磯部淺一 獄中日記
・ 
磯部淺一 ・ 獄中からの通信 

陛下
なぜもつと民を御らんになりませんか、
日本國民の九割は貧苦にしなびて、おこる元氣もないのでありますぞ
陛下がどうしても菱海の申し條を御ききとどけ下さらねばいたし方御座いません、
菱海は再び、陛下側近の賊を討つまでであります、
今度こそは
宮中にしのび込んででも、
陛下の大御前ででも、
きつと側近の奸を討ちとります
恐らく 陛下は 
陛下の御前を血に染める程の事をせねば、
御氣付き遊ばさぬでありませう、
悲しい事でありますが、 
陛下の爲、
皇祖皇宗の爲、
仕方ありません、
菱海は必ずやりますぞ
悪臣どもの上奏した事をそのまゝうけ入れ遊ばして、
忠義の赤子を銃殺なされました所の 陛下は、不明であられると云ふことはまぬかれません、
此の如き不明を御重ね遊ばすと、神々の御いかりにふれますぞ、
如何に 陛下でも、神の道を御ふみちがへ遊ばすと、御皇運の涯てる事も御座ります
統帥權を干犯した程の大それた國賊どもを御近づけ遊ばすものでありますから、
二月事件が起こったのでありますぞ、
佐郷屋、相澤が決死挺身して國體を守り、統帥權を守ったのでありますのに、
かんじんかなめの 陛下がよくよくその事情を御きわめ遊ばさないで、
何時迄も國賊の云ひなりなつて御座られますから、
日本がよく治まらないで常にガタガタして、
そこここで特權階級をつけねらつてゐるのでありますぞ、
・・・獄中日記 (三) 八月十二日 「 先月十二日は日本の悲劇であつた 」 

天皇陛下
何と云ふ御失政で御座りますか、
何故奸臣を遠ざけて、忠烈無雙 ムソウ の士を御召し下さりませぬか
八百萬の神々、何をボンヤリして御座るのだ、
何故御いたましい陛下を御守り下さらなぬのだ
これが余の最初から最古背迄の言葉だ
日本國中の者どもが、一人のこらず陛下にいつはりの忠をするとも、
余一人は眞の忠道を守る、
眞の忠道とは正義直諫をすることだ
明治元年十月十七日の正義直諫の詔に宣く
「 凡そ事の得失可否は宣しく正義直諫、朕が心を啓沃すべし 」 と
・・・ 獄中日記 (四) 八月十五日「 俺は一人、惡の神になつて仇を討つのだ 」


磯部は事件の經過や、裁判の實情を看守の目をぬすんで書き出した。

世の人々に事件の眞實を知って貰い、日本の維新をやって貰いたいために。
そして在るべき天皇を胸に描き現實の天皇を磯部は激しい諫争の言葉をもって訴えた。
それは絶望必死の叫喚である。
「 日本國中の者どもが、一人のこらず陛下にいつはりの忠をするとも、
余一人は眞の忠道を守る。眞の忠道とは正義直諫することだ 」 と。
嗚呼!・・・佐々木二郎 

「 憲兵は看守長が 手記の持出しを 黙認した様に言って居るが、そうではないことを言ってくれ 」 
・ 
磯部淺一の嘆願書と獄中手記をめぐって 
・ 
磯部淺一 發 西田はつ 宛 ( 昭和十一年八月十六日 ) 
・ 磯部淺一 ・ 妻 登美子との最後の面会
・ 磯部淺一 ・ 家族への遺書
あを雲の涯 (四) 磯部淺一 
磯部淺一、登美子の墓 

昭和十二年三月、二・二六で無罪で帰隊したが停職になったので、
羅南在住十年の名残りに町を散歩し、美代治を思い出して三州桜に訪ねた。
彼女は芸妓をやめて仲居をしていた。
大広間で二人で飲んだ。
話が磯部にふれた。
「 サーさん、あの人はどうなりました 」
「 ウン、今頃は銃殺されとるかも知れん 」
「 私はあのとき、初めて人間らしく扱われました。
 誰が何といってもあの人は正しい立派な人です。一生私は忘れません 」
「 佐々木、芸妓にも料理を出せよ 」
といった磯部の一言が、これほどの感動を与えているとは夢にも思わなかった。

底辺とか苦界とか、 口にいってもただ単なる同情にしか過ぎなかった。
磯部のそれは、苦闘した前半生から滲み出た一言で、彼女の心肝を温かく包んだのであろう。
当時、少し気障なことだとチラリ脳裡を掠めた私の考えは、私自身の足りなさであったと思い知らされた。
・・・
「 佐々木、芸妓にも料理を出せよ 」


磯部淺一 『 日本改造法案は金科玉条 』

2022年12月19日 13時49分43秒 | 磯部淺一

日本改造法案大綱 は絶對の眞理だ。
一点一画の毀劫きごうを許さぬ。
今回死したる同志中でも、
改造方案に對する理解の不徹底なる者が多かった。

又 残ってゐる多数同志も、
殆どすべてがアヤフヤであり、天狗である。

だから余は、
革命日本の爲に同志は方案の心理を唱へることに終始せなければならぬと 云ふことを云ひ残しておくのだ。
方案は我が革党のコーランだ。
剣であつてコーランのないマホメットはあなどるべしだ。
同志諸君、コーランを忘却して何とする、
方案は大体いいが字句がわるいと云ふことなかれ。
民主主義と云ふは然らずと遁辞(トンジ)を設くるなかれ。
堂々と法案の一字一句を主張せよ。
一點一畫の譲歩もするな。
而して、特に日本が明治以後近代的民主國なることを主張して、一切の敵類を滅亡させよ。
・・・獄中日記 (四) ・・八月廿一日


磯部淺一 
「 男子にしかできないのは 戦争と革命だ 」
と、佐々木二郎の言葉に
「 ウーン、俺は革命の方をやる 」
と、磯部淺一は大きく肯いた

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
( 末松太平 ) はそれで菅波中尉と親京で約束したとおり、
北一輝の 『 日本改造法案大綱  』 に対する
われわれの態度はどうあるべきかを一同にただした。
ぴたりと談笑がとだえた。 だれも意見をいわなかった。
西田税も口をつぐんだままだった。 座が白けた。
それにもかまわず、
「 それは金科玉条なのか、それとも参考文献にすぎないのか。」
と 私はたたみかけて誰かの意見の出るのを待った。
しばらくして磯部中尉が、
「 金科玉条ですね 」
とだけいった。
すかさず私は
「 過渡的文献にすぎないというものもある 」
と 応じた。
これに対しては もう誰も口を利こうとはしなかった。
・・
改造方案は金科玉条なのか
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

特に力を入れたるは日本改造法案大綱 の説明であつた。
「 日本改造法案は絶對正しい。
 日本の國體を具体化した場合には政治經済外交軍事は改造法案云へる如くなる可きであつて
國體の眞姿顯現とは実に日本改造法案の實現にあると云って過言でない。
然し余は今は直ちに法案を実施しようと云ふのではない、
法案について世間に誤解され易い点 三、四を説明する。
1、民主主義と云ふことについて
日本は明治以後國民の人權を認められて中世の如き奴隷國民ではなくなつた、
忠誠王侯貴族に切り棄て御免めにされた水呑ミ百姓が
今は一國の總理大臣と法庭で争へる程の國民人權を認められたのだ。
この意味に於て明治以降の日本は天皇を中心とせる民主國になつたのだ。
天皇を中心とせる
と云ふことに注意してもらいたい、
どこ迄も天皇が中心である。
北氏の云ふ所の民主とはデモクラシー民主でもなく共産民主でもない。
國家社会主義でもなく講だん社会主義でもないことは、
北氏自らが國體論の諸言中に所謂民主主義を痛撃してゐるのを以てもわかる。
改造法案を一貫する思想は實に天皇中心主義である。
明治以降の日本は天皇を政治的の中心とせる云云と云ひ、
天皇大權の發動により國家改造にうつる云云、
天皇は全國に戒嚴を宣し云云 等々、
すべて天皇が國民の中心であらせられる可きを強調している。
民主と云ふことは自主と云ふこと、
自覺と云ふこと、
奴隷に非ざる自覺國民と云ふことである。
更に語をかへて云へば立權と云ふことに過ぎぬ。
明治以後の日本は天皇を政治的中心とせる立權國であると云ふ迄の事である。
何故に民主云ふ字を特に北氏が用ひたかと云うと、
大正年間アノ滔々タル社会主義民主主義をタタク爲に、
「 何にッ外國の直譯民主、社會主義か何ダ 日本はすでに明治維新以後立權國となり
天皇を中心とせる民主國になつてゐるではないか 何をアワテテ新シガルのだ 」
と 云ふ意味で
所謂 直譯民主社會主義をたゝく爲に民主と云ふ字をワザと用ひたのだ。
北氏の高い心境に平素少しでもふれるとハッキリする、
北氏は非常な信仰生活をしてゐる。
その信仰から日本は神國であると云ふことを口癖の様に云ふ、
この一言で充分にわかるではないか。

2、天皇は國民の總代表 國家の根性 について
天皇は國民の總代表と云ふことを外國の大統領の如くに考へるのはどうかしている。
法案の註の一に日本天皇は外國の如き投票當選による總代表ではない、
日本はかゝる國體にもあらずと明言している。
且つ國家の總代表が投票當選によるものと或る特異なる一人(日本の如き)のものと比して、
日本天皇は國民の神格的信任の上に立たれる所の絶對の存在であることを云ってゐる。
日本に於ては天皇か國民の總代表で誰も天皇に代ることは出來ないのだ。
中世に於ては 國民の代表か徳川大君であつたり足利義満であつたりした。
此の如きは絶對に日本の國體に入れないと云ふことを斷言したのだ、
改造法案を讀む者がこの点をよく讀んでいないので常に變な誤解をする。

3、國體に三段の進化があると云ふこと
これは云ふ迄もない
國體には三段の進化がある。
軍人勅ユの前文に明かに三段の進化を詔せられている。
國體とは三種神器そのもののみではない、
法的には主權の所在を國體と云ふのだ。
中世に於て主權の所在は武家にあつた、
軍人勅ユに 「 政治の大權も又その手に落ち 」 と 詔せられているではないか。
これは明かに武門が政治大權を握り天皇は皇權を喪失しておられた事を意味するのだ。
・・・獄中手記 (2) 「 軍は自ら墓穴を掘れり 」 


ヒットラー流ドイツ式統制の幕僚等が、
改造法案は民主主義だ、國體に容れない、
等々愚劣極まる評をしておりますが、
思想は斷じて正しく、
歴史の進化哲学に立脚せる社會改造説、
日本精神の近代的表現、
大乗佛教の政治的展開であって、

改造法案の如きは實に日本國體にピッタリと一致しております。
否 我が國體そのものを國家組織として、
政經機構として表現したものが、日本改造法案であるのです。

決して、外來の社會主義思想でなく、又 米國に露國に見る如き民主、共産思想でもないのです。
北氏は著書 「 國體論 」 に 於て
『 本書の力を用ひたる所は所謂講壇社會主義と云ひ、 國家社會主義と稱せられる鵺的(ヌエテキ)思想の軀逐なり 』
と 云ひ、
『 著者の社會主義は固よりマルクスの社會主義と云ふものにあらず、
又 その民主主義は固よりルソーの民主主義と云ふものに非ず 』
と 云ひ、
先覺者的大信念を以て 「 國家、國民主義なり 」 と斷じております。
而して國民主義については、
「 國家の部分をなす個人が、其の權威を認識さるることなく、國民主義なるものなく 」
「 權威なき個人の礎石をもつて築かれたる社會は奴隷の集合である 」
と 云ひて、
自覺せる國民、自主的國民を以て國家がつくらねばならぬと鞏調しています。
又 その國家主義については、
「 世界聯邦論は聯合すべき國家の倫理的獨立を單位としてのことなり 」
と 云ひて、
人類進化の單位をどこ迄も國家として、徒らなる世界鞏調主義をたたきつけてゐるのです。
更に改造法案に於ては、
「 若し此の日本改造法案大綱に示されたる原理が、
國家の權利を神聖化するをみて、
 マルクスの階級闘爭説を奉じて對抗し、
或は個人の財産權を神聖化するを見て、
クロポトキンの相互扶助説を戴きて誹議せんと試むる者あるならば、
それは明らかにマルクスとクロポトキンの方が著者よりも馬鹿だから、てんで問題にならないぞ 」
と 云って、
欧米思想の中軸たり近代改造思想の根拠たる二つのものに対し
烈々たる愛國的情熱を以て國家の權利の神聖を叫んでおります。
又曰く
「 國内に於ける無産階級の闘争を容認しつつ、
 獨り國際的無産者の戰爭を侵略主義なり軍國主義なりと考ふる欧米社會主義者は、根本思想の自己矛盾なり 」
「 國際間に於ける無産者たる日本は、彼等(英露)の獨占より奪取する開戰の權利なきや 」
 等飽く迄 直譯社會主義、民主主義、共産主義等の非日本的なるものと戰ひ、
日本精神の新たなる発揚、日本國體の眞姿を顯現せんとしてゐるのです。
北氏が改造法案の結論に於て、
「 國境を撤去したる世界の平和を考ふる各種の主義は、全世界に与へられたる現實の理想ではない。
 現實の理想は何れの國家が世界の大小國家の上に君臨するかと云ふにある。
日本は直約社會主義、民主主義、共産主義などの愚論にまよってゐてはならぬ 」
と 云ひ、
神の如き權威を以て
「 日本民族は主權の原始的意義、統治權の上の最高の統治權が國際的に復活して、
 各國家を統治する最高國家の出現を覺悟すべし 」
と 云って居る所は、
正に我建國の理想たる八紘一宇の大精神を、
現日本に實現せんとする高い愛國心のあらわれであるのです。

以上述べました通りに、
北氏の思想は決して所謂民主々義思想ではないのです。

北、西田氏を殺す為に、
「 絶對に我が國體に容れざる思想 」
と 云ふ文句を頑として入れてゐるのです。
そして彼等は、改造法案の私有財産限度は、
段々限度を低下すると共産主義になるから國體に容れないと云ひ、
皇室財産を没収すると書いてあるから國體に容れぬと云ひ、
天皇が國體の總代表と書いてあるから國體に容れぬと云ひ、
ことごとく故意に曲解し、

無理に理窟つけ、
甚だしきは嘘八百を云って判決をしてしまつたのです。

私有財産については、北氏は
「 私有財産を認むるは、一切のそれを許さざらんことを終局の目的とする諸種の社會革命説と、
 社會及人生の理解を根本より異にするを以て也 」
と 言ひ、
「 私有財産を尊重せざる社會主義は、如何なる議論を長論大著に構成するにせよ、
 要するに原始的共産時代の回顧のみ 」
と 言ひ、
「 私有財産を確認するが故に、尠しも(スコシモ)平等的共産主義に傾向せず 」
と 云ひ
「 此の日本改造法案を一貫する原理は、國民の財産所有權を否定する者に非ずして、
全國民に其の所有權を保障し享楽せしめんとするにあり 」
等、至る所に、重ね重ねて、私有財産を確認せねばいけないと云ふことを云っております。
又、その限度については、
「 最小限度の生活基準に立脚せる諸多の社會改造説に對して、
 最高限度の活動權域を規定したる根本精神を了解すべし 」
と云って、限度を低下さしてはいけない。
此の限度は國富と共に向上させる可き性質のものであることを明言して居ります。
法務官等の云ふ、限度を低下すると共産主義になる等は、出鱈目も甚だしい惡意の作り事であります。
皇室財産については没収等云ふ字句は斷じてないのです。

「 天皇は國民の總代表たり 」 と 云ふことが國體に容れない、
と云ふ我帝國陸軍の法務官及び幕僚は、

國民の總代表が何人あつたら國体に容れると云ふのでせうか。
徳川家康がいいのか、源頼朝がいいのでせうか、或は米國の如き投票當選者がいいのでせうか。
北氏は、大日本國民の總代表は天壌無窮に絶對に天皇であらせられるのに、
中世に於ては頼朝、尊氏の徒が、近世に於ては徳川一門が國家を代表して居た。
此の如きは我が國體に容れざる許すべからざる事である。
明治維新以後の日本に於ては、中世の如き失態を繰返してはならぬ。
又、近年欧米の社会革命論を鵜呑みにした連中が、無政府主義をとなへ、
天皇制の否認をなしなどして居るが、そんな馬鹿気た事に取り合ってはならぬ、
と いましめてゐます。
「 國民の総代表が投票当選者たる制度の國家が、或特異なる一人たる制度の國(日本の如き)
より優越なりと考ふるデモクラシイは、全く科學的根拠なし。
國家は各々其國民精神と建國歴史を異にす 」
と云って、法案著述當時の滔々たるデモクラシイ思想に痛棒を喰はしています。
又、「 米國の投票神權説は、當時の帝王神權説を反対方面より表現したる低能哲学なり、
日本は斯る建國にも非ず、又斯る低能哲学に支配されたる時代もなし 」
と云って、投票當選による元首制を一笑に附してゐるのです。
恐らく法ム官は、總代表即投票と考へたのでせうが、然りとせば、軽卒無脳(能)のそしりをまぬかれません。
又、國体に進化があるなどと云ふことはけしからんと云ふのが彼等の云ひ分ですが、
これはあまりに馬鹿気たことで、殆んど議論にもなりませんから、説明をやめておきます。
要するに、北氏の思想は、決して所謂社會主義でも民主主義の思想でもありません。
髙い國家主義、國民主義の思想であります。
而して天皇 皇室に対し奉つては熱烈な信仰をもつております。
実に日本改造法案全巻を貫通する思想は、皇室中心尊皇絶對の思想で、これは著者の大信念であるのです。
北氏が法案の諸言に於て、
「 天皇大權の發動を奏請し、天皇を奉じて國家改造の根基を完うせざるべからず 」
と云ひ、又、巻頭第一頁に於て、
「 天皇は・・・・天皇大權の發動により三年間憲法を停止し、両院を解散し全國に戒嚴令を布く 」
と云って居るのは、
日本の改造は外國のそれと根本的にちがひ、
常に天皇の大號令によつてなされるべきであることを明確にし、
諸種の改造論者と雑多な革命論に對して、一大宣告をしてゐるのです。
國家改造議會の條に於て、
「 國家改造議會は天皇の宣布したる國家改造の根本方針を討論することを得ず 」
と云ってゐるのも、巻八の末尾に於て
「 天皇に指揮せられたる全日本國民の運動によつて改造をせねばならぬ 」
と云ってゐるのも、凡て北氏の信念であります。
氏の日常 「 自分は祈りによつて國家を救ふのだ 」 「 日本は神國である 」
「 天皇の御稜威に刃向ふものは亡ぶ 」 等等の言々句々は、
すべて天皇に對する神格的信仰のあらわれであります。
・・・獄中手記 (三) の一 ・ 北、西田両氏の思想 


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北一輝 

社会に対する認識及國内改造に關する方針
一言にして申しますれば、
現在の日本は其の内容は經済的封建制度とも申すべきものであります
三井、三菱、住友等を往年の御三家に例へるならば、 日本は其の經済活動に於て、
黄金大名等の三百諸侯に依って支配されて居るとも見られます
随って政府の局に當る者が、政党にせよ、官僚にせよ、又は軍閥にせよ、
夫等の表面とは別に、内容は經済的大名等、
即ち財閥の支持に依て存立するのでありますから、
總て悉く金權政治になって居るのであります
金權政治は、如何なる國の歴史も示す通りに政界の上層部は勿論、
細末の部分に亘りても、悉く腐敗堕落を曝露する事は改めて申す迄もありません
最近暗殺其他、部隊的の不穏な行動が發生しましたが、
其時は即ち金權政治依る支配階級が、其の腐敗堕落の一端を曝露し始めて、
幾多の大官、巨頭等に關する犯罪事件が続出して、
殆んど両者併行して表はれて居る事を御覧下されば御判りになります
一方日本の對外的立場を見ます時
又 欧州に於ける世界大二大戰の気運が醸成されて居るのを見ます時、
日本は遠からざる内に對外戰争を免かれざるものと覺悟しなければなりません
此時戰爭中又は戰爭末期に於て、
前例、ロシヤ帝國、獨逸帝國の如く國内の内部崩壊を來す様なことがありましては、
三千年の光榮ある獨立も一空に歸する事となります
此点は四、五年來漸く世の先覺者の方々が認識して深く憂慮して居る処であります
其処で私は、最近深く考へまするには、
日本の対外戰爭を決行する以前に於て
先ず合理的に國内の改造を仕遂げて置き度いと云ふ事であります
國内の改造方針としては、金權政治を一掃する事、
即ち御三家初め三百諸侯の所有して居る冨を國家に所有を移して、國家の經營となし、
其の利益を國家に歸属せしむる事を第一と致します
右は極めて簡單な事で、之等諸侯財閥の富は地上何人も見得る処に存在して居りますので、
単に夫れ等の所有を國家の所有に名義変更をなすだけで済みます
又 其従業員即ち重役から勞働者に至る迄、
直ちに國家の役人として任命する事に依りて極めて簡單に片付きます
私は人性自然の自由を要求する根本点に立脚して、
私有財産制度の欠く可からざる必要を主張とて居ります
即ち 共産主義とは全然思想の根本を異にして、
私有財産に限度を設け、
限度内の私有財産は國家の保護助長する処のものとして法律の保護を受くべきものと考へて居ります
私は約二十年前、資産限度は壱百萬圓位で良からうと考へましたが、
之は日本の國冨如何に依る事でありまして、
二百萬圓を可とし、三百萬圓を可とすると云ふ様な實際上の議論は共に成立つ事と存じます
只根本原理として皇室に雁行するが如き冨を有し、
其冨を以て國家の政治を壇に支配するが如きは、
國家生存の目的からしても許す可からざるものであり、
同時に共産國の如く國民に一銭の私有をも許さぬと云ふ如きは、
國民の自由が國家に依って保護さるべきものなりと云ふ、自由の根本原理を無視したものとして、
私の主張とは根本より相違するものであります
故に私の抱懐する改造意見としては日本現在に存する、
一、二百萬圓以上の私有財産を (随って其の生産機關を)國家の所有に移す事だけでありまして、
中産者以下には一点の動揺も与へないのを眼目として居ります
若し此点だけが實現出來たとすれば、
現在の日本の要する歳出に對しては
直ちに是等の収益だけを以て充分以上に足りて餘りあると信じます
即ち 今の租税の如きは其の徴収の必要を認めなくなります
此事は根本精神に於いて國民の自由と平等が(即ち當然國民の生活の安定が)
國家の力に依って保護助長せらるべきものなりと云ふ事を表はして居るのであります
從って維新革命の時に已むを得ざる方便として存在せしめて居る今の華族制度は
封建時代の屍骸として全廢する事の如きは言ふ迄もありません
日本の國體は一天子を中心として万民一律に平等差別であるべきものです
夫れでは如何して此の改造を實現すべきかの手段を申上げます
此の改造意見は日本に於いてのみ行はれ得るものであります
即ち 聖天子が改造を御斷行遊ばすべき大御心の御決定を致しますれば
即時出來る事であります
之に反して 大御心が改造を必要なしと御認めになれば、
百年の年月を持っても理想を實現することが出來ません
此点は革命を以て社會革命をなして來た諸外國とは全然相違するので、
此点は私の最も重大視して居る処であります 私は皇室財産の事を考へました
皇室財産の歴史は帰する処徳川氏時代の思想的遺物に加へて
欧州王室等の中世的遺物を直譯輸入したものであります
日本皇室は言ふ迄もなく 國民の大神であり、國民は大神の氏子であります
大神の神徳に依りて國民が其の生活を享楽出來るものである以上、
當然皇室の御經費は國民の租税の奉納を以てすべきものでありまして、
皇室が別に私有財産を持たれて別途に収入を計らるる事は
國體の原理上甚だ矛盾する処と信じて居ります
一方、 共産黨の或者の如きは皇室に不敬を考へる時、
日本の皇室は日本最大の 「 ブルジョア 」 なり
と 云ふ如き誤れる認識を持つ者を見るに就きましても、
皇室財産と云ふ國體の原理に矛盾するものは是正する必要ありと思ひます
私は皇室費として数千万又は一億圓を毎年國民の租税より、
又は國庫の収入より奉納して御費用に充て、皇室財産は國家に下附すべきものと考へて居ります
此の皇室財産の國家下附と云ふ事が私の改造意見實行の基点を爲すものであります
聖天子が其御財産を國家に下附する模範を示して、
國民悉く 陛下の大御心に從ふべしと仰せらるる時、
如何なる財閥も一疑なく 大御心に從ふべきは、火を賭るより瞭かなりと信じます
即ち 諸外國に於ける如き流血の革命惨事なくして、
極めて平和に滑らかに改造の根本を建設することが出來ると信じます
私は十八年前(大正八年) 「
日本改造法案大綱  」 を 執筆しました
其時は五ケ年間の世界大戰が平和になりまして日本の上下も戰爭景気で、
唯 ロシア風の革命論等を騒ぎ廻り 又 ウィルソンが世界の人気男であったが爲に、
其の所謂以て非なる自由主義等を傳唱し、
殆んど帝國の存在を忘れて居る様な状態でありました
從って何人も称へざる世界第二大戰の來る事を私が其の書物の中に力説しても、
亦私が日本が大戰に直面したる時 獨逸帝國及びロシヤ帝國の如く
國内の内部崩壊を來す憂なきや如何等を力説しても、
多く世の注意を引きませんでした
然るに、四、五年前から漸く世界は
第二次大戰を捲き起こすのではないかと云ふ形勢が 何人の眼にもはっきりと映って參りましたし、
一方國内は支配階級の腐敗堕落と農民の疲弊困窮、中産者以下の生活苦勞等が
又 現實の問題として何時内部崩壊の國難を起すかも知れないと云ふ事が
又、識者の間に認識せられ憂慮せられ參りました
私は私の貧しき著述が 此四、五年來社会の注意を引く問題の時に
其一部分の材料とせらるるのを見て、 是は時勢の進歩なりと考へ、
又 國内が大転換期に迫りつつある事を感ずるのであります
従って國防の任に直接當って居る青年将校、
又は上層の或る少數者が、外戰と内部崩壊との観点から、
私の改造意見を重要な參考とするのだとも考へらるるのであります
又私は 當然其の實現のために輔弼の重責に當る者が大體に於て此の意見、
又は此の意見に近きものを理想として所有して居る人物を希望し、
其 人物への大命降下を以て國家改造の第一歩としたいと考へて居たのであります
勿論世の中の大きな動きでありますから、他の當面の重大な問題 例へば 統帥權問題の如き、
又は大官巨頭等の疑獄事件の如き派生して、
或は血生臭い事件等が捲き起こったりして、
實現の工程はなかなか人間の智見を以ては餘め豫測する事は出来ません
從って餘測すべからざる事から吾々が犠牲になったり、 獨立者側が犠牲になったり、
總て運命の致す処と考へるより外何等具体的に私としては計畫を持っては居りません
只私は 日本は結局改造法案の根本原則を實現するに到るものである事を確信して
如何なる失望落胆の時も、此確信以て今日迄生き來て居りました
即ち 私と同意見の人々が追追増加して參りまして一つの大きな力となり、
之を阻害する勢力を排除して進む事を将來に期待して居りました
両勢力が相對立しまして改造の道程を塞いで如何とも致し難い時は、
改造的新勢力が障害的勢力を打破して、
目的を遂行する事は又、當然私の希望し期待する処であります
但し 今日迄私自身は無力にして未だ斯の場面に直面しなかったのであります
私の社會認識及國内改造方針等は以上の通りであります

・・・
北一輝 3 「 大御心が改造を必要なしと御認めになれば、 百年の年月を持っても理想を実現することが出来ません」 


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八月一日  菱海入道 誌
何にヲッー!、殺されてたまるか、死ぬものか、
千万発射つとも死せじ、断じて死せじ、
死ぬることは負ける事だ、
成佛することは、譲歩する事だ、
死ぬものか、成仏するものか
悪鬼となって所信を貫徹するのだ、
ラセツとなって敵類賊カイを滅盡するのだ、
余は祈りが日々に激しくなりつつある、
余の祈りは成佛しない祈りだ、
悪鬼になれる様に祈っているのだ、
優秀無敵なる悪鬼になる可く祈ってゐるのだ、
必ず志をつらぬいて見せる、
余の所信は一部も一厘もまげないぞ、
完全に無敵に貫徹するのだ、
妥協も譲歩もしないぞ

余の所信とは
日本改造法案大綱 を一点一角も修正する事なく完全に之を實現することだ
方案は絶對の眞理だ、
余は何人と雖も之を評し、之を毀却きごうすることを許さぬ
方案の心理は大乗佛教に眞徹するものにあらざれば信ずる事が出來ぬ
然るに 大乗佛教 所か小乗も ジュ道も知らず、神佛の存在さへ知らぬ三文学者、軽薄軍人、道学先生等が、
わけもわからずに批評せんとし 毀たんするのだ。
余は日蓮にはあらざれども 方案を毀る輩を法謗のオン賊と云ひてハバカラヌ
日本の道は日本改造方案以外にはない、
絶對にない、
日本が若しこれ以外の道を進むときには、それこそ日本の没落の時だ
明かに云っておく、改造方案以外の道は日本を没落せしむるものだ、
如何となれば
官僚、軍幕僚の改造案は國體を破滅する恐る可き内容をもつてゐるし、
一方高天ヶ原への復古革命論者は、ともすれば公武合体的改良を考へている、
共産革命家復古革命かが改造方案以外の道であるからだ
余は多弁を避けて結論だけを云っておく、
日本改造方案は一点一画一角一句 悉く心理だ、
歴史哲学の心理だ、
日本國體の眞表現だ、
大乗仏教の政治的展開だ、
余は方案の爲めには天子呼び來れども舟より下らずだ。
・・・獄中日記 (一) 八月一日 


安藤輝三 『 万斛の恨み 』

2022年12月07日 08時13分28秒 | 安藤輝三

長瀬ら昭和九年一月に入隊した初年兵たちは、
その年の七月、
富士裾野において第二期教育の総仕上げを行った。
そして、七月下旬、
滝ケ原演習場一帯において、聯隊長による第二期検閲が実施されたのである。
聯隊長は、山下奉文大佐の後任の井出宜時大佐であった。
また検閲補助官として、聯隊附中佐以下、各本部付の将校が任命され、
安藤もその中の一人として参加した。
・・・・
長瀬一等兵は、
この時期すでに下士官候補者を命ぜられていたが、演習間は中隊に復帰していた。
中隊命令によって将校斥候の一員に選ばれた長瀬は、三里塚附近の敵小部隊を駆逐し、
その背後の敵主陣地一帯を偵察するために、
約一個分隊の兵員に混じって中隊地の終結を出発した。
敵に発見されないように、地形地物を利用し、隠密に三里塚高地の側背に迫った長瀬ら一隊は、
着剣して一挙に突撃を敢行した。
長瀬は、錆止のため銃剣の着脱溝に、日頃から油布の小片を入れておいたのである。
それが思わぬ禍となって、
突撃後五〇メートルぐらい走った時に、銃剣が落失したことに気が付いたのであった。
失敗った! と 思った彼は、慌てて引き返し、必死で銃剣の捜索にかかった。
すでに長瀬らの隊は、敵陣地偵察のため遙か前方にすすんでおり、協力を頼むことも出来ない。
銃剣を落したと思われる一帯は、灌木と雑草が茂っていて、長瀬一人での捜索はなかなか大変だ。
しかも日没まであと一時間もない。
長瀬は、眼の前が真暗になった。
銃剣紛失は重大問題である。みつからなければ重営倉は間違いない。
もち論、下士官候補者もやめさせられるだろう。
それは自分だけでなく、班長や教官や中隊長までにも大変な迷惑をかけることになる。
話によると過去銃剣を紛失いたために、自殺した兵隊も出たという。
長瀬は、半分泣きべそをかきながら、遮二無二草原の中を匐はらばいまわった。
時折、富士特有の霧が視界をさえぎり、時間もどんどん経過して行くが、全く手がかりがない。
気丈な長瀬も、すっかり気落ちし、広い原野の中で茫然自失していた。
その時、長瀬の耳に、
「 おい !  そこの兵隊・・・・・・・どうしたんだ!  」
と 怒鳴るような声が聞こえた。
長瀬が振り返ってみると、審判官の白い腕章をつけた乗馬の将校が、自分の方を見ている。
「 第二中隊、長瀬一等兵 !  突撃の最中に銃剣を落失し、ただ今捜索中であります ! 」
と 長瀬は大声で報告した。
「 そうか、それはいかんなあ。よし・・・・俺も一緒に探そう・・・・」
と、その将校は馬から飛び降り、馬を近くの灌木の根っこに繋いだ。
そして長瀬の行動半径を聞くと、指揮刀を抜いて、逐次草を薙ぎ払いながら捜索を始めた。
長瀬は勇気百倍、突撃を開始した地点から、捜索をやり直した。
しかし広い草原の中で、一本の銃剣を探し当てるのは、まさに至難の業と言えた。
辺りはだんだんと薄暗くなってくる。長瀬の気持は焦るばかりだ。
それから、どのくらい時間が経っただろう。
突然とんでもない方向から、
「 あった !  あったぞ ! 」
と 叫び声が聞こえた。
その将校が、白く輝く剣身を高く挙げて、ニッコリ笑っているではないか。
途端に、長瀬の顔は涙でクチャクチャになった。
そして夢中で、将校の方に駈け寄った。
長瀬は、渡された銃剣を抱き締めて、大声で泣いた。
それは言いようのない感動であった。
「 よかったなあ・・・・では俺は急ぐから、これで失敬する 」
とひとこと言った将校は、再び馬に乗って東の方に走り去った。
長瀬は名前を聞く暇がなかったのだ。
ただ、丸ぶちの眼鏡をかけた、長身の優しそうな中尉だったという印象だけが残った。
長瀬は、中尉の後姿に両手を合わせて拝んだ。
そして茫然とした意識の中で、仏の姿を見いだしたように感じた。
・・・長瀬一伍長 「 身を殺し以て仁を為す 」 

二十二日の朝、
再び安藤を訪ねて決心を促したら、

磯部安心して呉れ、
俺はヤル、
ほんとに安心して呉れ
と 例の如くに簡単に返事をして呉れた。
・・・第十 「 戒厳令を布いて斬るのだなあ 」


安藤輝三 
アンドウ テルゾウ
『 万斛の恨み 』
目次

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貧困のどん底 
・ 
打てば響く鐘の音のように 
・ 「 おい、早くあの兵を連れ戻せ 」 
長瀬一伍長 「 身を殺し以て仁を為す 」 
・ 「 曹長になったら、俺の中隊に来ないか 」 
・ 「 中隊長のために死のうと思っただけです 」 

第九 「 安藤がヤレナイという 」

・ 竜土軒の激論
 
西田税 1 「 私は諸君と今迄の關係上自己一身の事は捨てます 」
・ 西田税、安藤輝三 ・ 二月二十日の会見 『 貴方ヲ殺シテデモ前進スル 』 

・ 昭和維新 ・安藤輝三大尉  
・ 安藤輝三大尉の四日間 
・ 命令 「 柳下中尉は週番司令の代理となり 営内の指揮に任ずべし 」 

 
安藤部隊 ←クリック  ↓目次 )

 ・中隊長安藤大尉と第六中隊
 ・中村軍曹 「 昭和維新建設成功の日 近きを喜びつゝあり 」
 ・歩哨戦 「 止まれ!」
 ・第六中隊 『 志気団結 』

 ・堂込曹長 「 奸賊 覚悟しろ!」
 ・鈴木侍従長 「 マアマア、話せば判るから、話せば判るから 」
 ・奥山軍曹 「 まだ温かい、近くにひそんでいるに違いない 」
 ・安藤大尉 「 私どもは昭和維新の勤皇の先駆をやりました 」
 ・命令 「 独断部隊ハ小藤部隊トシテ歩一ノR大隊長ノ指揮下ニ這入ル 」
 ・破壊孔かに光指す
 ・命令 「 我が部隊はコレヨリ麹町地区警備隊長小藤大佐の指揮下に入る 」
 ・「 一体これから先、どうするつもりか 」
 ・地区隊から占拠部隊へ
 ・幸楽での演説 「 できるぞ!やらなきゃダメだ、モットやる 」
 ・下士官の演説 ・ 群衆の声 「 諸君の今回の働きは国民は感謝しているよ 」
 ・「 今夜、秩父宮もご帰京になる。弘前、青森の部隊も来ることになっている 」
 ・町田専蔵 ・ 皇軍相撃を身を以て防止することを決意す
 ・「 私は千早城にたてこもった楠正成になります 」
 ・小林美文中尉 「 それなら、私の正面に来て下さい。弾丸は一発も射ちません 」
 ・安藤大尉 「 吾々は重臣閣僚を仆す前に軍閥を仆さなければならなかったのです 」
 ・「世間が何といおうが、皆の行動は正しかったのだ 」
 ・「中隊長殿、死なないで下さい!」
 ・「 農村もとうとう救えなかった 」
 ・「 何をいうか、この野郎、中隊長を殺したのは貴様らだぞ!」
 ・伊藤葉子 ・ 此の女性の名を葬る勿れ 1  
 ・伊藤葉子 ・ 此の女性の名を葬る勿れ 2

・ 万斛の想い 「 先ずは、幕僚を斃すべきだった 」

あを雲の涯 (五) 安藤輝三

・ 「 前嶋君 君達にあひ度かつた 」 
・ 
「 君達にあいたかった、さらばさらば、さようなら 」

・ 昭和11年7月12日 (五) 安藤輝三大尉 

『 安王会 』 第六中隊下士官兵の安藤中隊長

二月二十六日の朝、運命の日を迎えたのであります。
私は、なんの迷いも ためらいもなく、黙って中隊長のあとに随いて行きました。
ただ、私は中隊長のために死のうと思っただけで、他には何も考えませんでした。
それは私だけではありません。
出動した全中隊員が同じ気持ちだったと思います。
安藤中隊長は、私にとって神様でありました。
いや、今でも私の神様なのです 

・・・「 中隊長のために死のうと思っただけです 」 ・・渡辺鉄五郎一等兵