あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

安田 優 『 軍は自ら墓穴を掘れり 』

2021年11月30日 06時07分07秒 | 安田優

・・・・この将校の中に 安田優という少尉がいますが、
彼は天草郡の出身で、私と中学済々黌で机を並べて四年間勉強した仲です。
彼も私も家が貧しかったので、彼は中学四年から、陸軍士官学校に学び、私は師範学校に入ったのです。
安田は中学時代から純粋で一本気な男でしたし、
貧しい農家の出だったからこそ 今の世の中のことが黙って見ていられなかったのでしょう。
・・・・彼は二月二十六日の朝、斎藤内大臣の家を襲って機関銃を撃ちこみ、
その後は渡辺教育総監の家を襲って渡辺大将を軍刀で刺し殺したといわれます。
・・・・事件が起こってすぐは安田君たちは、尊皇討奸の愛国者だといわれていたのに、
日も経ったら天皇の命によって反乱軍、逆賊の汚名を着ることになりました。
早ク原隊ニ帰レ!と命令が出され、命令ニ背ク者ハ、断乎武力ヲ以ッテ討伐スル、
と放送されました。
天皇のために一命を賭して騒ぎを起こしたのに、
天皇から反乱軍だといわれ、討伐されることになったのです
坂本先生はそこで涙を拭かれました。
そして言葉を詰まらせながら話をつづけられました。
あの純粋な安田君は忠義のつもりが不忠になり、 なぜこんなことになるのかわからなかったでしょう。
将校たちは天皇の御命令が出た以上、それに背いたら本当に逆賊にされてしまうので、
何人かはその場で自決し、多くの人たちは抗戦をやめたのです。
・・・・きっとこの青年将校たちは、真崎大将や荒木大将が天皇にとりついでくれると期待していたのでしょうが、
事件が予想以上に大きくなったら、そんなえらい人たちは自分の身がかわいいし、
青年将校たちを見殺しにしたのですね・・・・安田君たちはさぞかし無念だったことと思います・・・・」
・・・そのとき私は小学校五年生でした

同志は實に偉大だ  特に若い同志に偉大な人物が多い
安田の如きは熱叫 軍の態度を攻撃した。
彼の最後の一言
「 軍は自ら墓穴を掘れり 」 
は 昭和維新を語る後世の徒の銘記すべき名言と云はねばならぬ。
安田はサイトに第一彈をアビセ 渡邊をオソヒ 一人二敵をタホシタル勇豪の同志、
劍に於ける彼の勇は言論にも勇であつた。
余は 彼の言をきゝ 余の云ひたきことを全部云ひツクシテ呉れたるを深謝した。
・・・磯部浅一 ・ 獄中手記 (2) 「 軍は自ら墓穴を掘れり 」 


安田優  ヤスダ ユタカ
「 軍は自ら墓穴を掘れり 」 
目次
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・ 安田少尉 「 天誅國賊 」 
昭和維新 ・安田優少尉
・ 安田優少尉の四日間 
・ 安田優少尉 ・ 行動録 ( 1月18日~2月29日 ) 
・ 安田優少尉と片倉衷 
・ 
安田優 ・ 憲兵訊問 「何故に此の様な行動をする様な理由になったのか」 
 安田優 『 軍は自らの手によって、その墓穴を掘ったのであります 』 
・ 最期の陳述 ・ 安田優 「 村中の背後には なにか大なる背景があると信じます 」 
・ 
安田優 『 序言 』 
・ あを雲の涯 (十六) 安田優
・ 昭和11年7月12日 (十六) 安田優少尉 

私は斯く申せばとて
我々の今回の擧を以て罪なしとなすものにあらず。

又、國法無私するものにもあらず。
唯 現在の國法は強者の前には其の威力を發揮せずして
弱者の前には必要以上の威力を發揮す。
我々今回の擧は
此の國法をして絶對的の威力を保たしめんとしたるものなり。

私は今回の事件を起こすに方り既に死を決して着手したり。
即ち、決死にあらずして必死を期したり。
今更罪になるとかならぬとかを云為するものにあらず。
靜かに處刑の日を待つものなり。


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