あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

昭和維新・水上源一

2021年04月10日 13時52分31秒 | 昭和維新に殉じた人達

私ガ日本大學に入校シマシタ當時、
校内ニ於テ、學生ガ共産主義ヲ云々シ、演説練習ニ共産党理論ヲ口説シ、
畏クモ皇室ノ尊嚴ヲ冒瀆スルガ如キ言辭ヤ私有財産制度ノ非認ヲ云々スルガ、
學生間ニ非常ナ拍手感動ヲ與ヘテ居ルノデ、
田舎出ノ私ニハ共産党トハ如何ナルモノカ分ラナカッタガ、 
皆ニ嚮ツテ
「 日本ハ他國ト國體ヲ異ニシ 立派ナ國ノ筈ダ 」
トテ 國體観ヲ述ベタガ弥次ラレテシマッタ様ナ狀態デ、當時ハ各大學共左翼化シ來テイタ時代デアリマシタ。
ソレカラ私ハ共産党ノ理論ヲ研究シテ見タガ、私ノ國體観ガ正シイノダト信ジマシタ。 
然シ、コウシタ學生間ノ叫ビノ内ニ我國ノ何処カニ欠陥ガアルヨウニ感ジマシタ。
ソレカラ一度議會ノ傍聽ニ行ツタ際、
神聖ナルベキ國會議場ガ、マルデ政權爭奪ノ修羅場ノ如クデアルノデ、
コレデハ立派ナ政治ガ行ハレナイト感ジマシタ。
ソレハ田中大將ノ張作霖爆死事件等 議場ノ問題トスベキモノニ非ザルニ、
政權爭奪ノ具ニ供シ、 
議會ニ於テ暴露スルガ如キハ 徒ラニ國際關係ヲ惡化スルモノト思ヒ、
政党ニ對スル不満ヲ抱クヨウニナリ、
又、續イテ起ツテ來タ ロンドン軍縮會議ニ於ケル 政府特權階級ノ私利私慾ニ基ク屈辱的條約ニ締結
及ビ政党財閥ニヨル弗買ヒ、満洲事變時ニ於ケル塩賈事件等
私利私欲ノタメニハ國家國民モ眼中ニナキ輩 ( 特權階級 ) ニ對スル不満ヲ
一層感スルニ至リマシタ。
ソレカラ
「 コノ儘テハイケナイ、何ントカセネバナラヌ 」
ト考ヘタガ如何トモ出キマセンデシタ。
其処デ私ハ昭和七年五月十六日、自ラ主唱シテ學生間ニ愛國團體 救國學生同盟 ヲ設立シ、
事務所ヲ千駄ヶ谷ニ置イテ合法的運動デ進ンデイマシタ。
當時ノ會員ハ日大、拓大、中大、早大、慶大等デ、約4百名アリマシタガ、
之ハ、既ニ解散シ、
昭和九年二月十一日 日本靑年党 ヲ設立シ、同十年八月 郷軍同志會 ヲ設立致シマシタ。
コウシタ私ノ氣持ガ今回ノ事件ニ加担シタ主因トナツテ居リマス。

 
二月二十五日夜、麻布霞町ノ家カラ歩一ヘ嚮イ、
コノ日初對面ノ河野大尉ノ指揮下ニ入ツテ牧野前内大臣ノ逗留先湯河原ヘ嚮ウ。
一隊ハ
所澤飛行學校在學中ノ陸軍航空兵河野壽、
歩一第六中隊歩兵軍曹宇治野時參、
歩一歩兵砲隊歩兵一等兵黒澤鶴一、
民間カラ
豫備歩兵曹長宮田晃、同ジク中島清治、
豫備歩兵上等兵黒田昶、
水上源一、綿引正三 ヲ加エタ八名カラ成ツテイタ。
二十六日午前五時ヲ期シ襲撃開始直後、
河野大尉ト宮田晃ハ警官ノ銃彈ニヨリ負傷。
計畫變更ヲ餘儀ナクサレテ伊東屋別館ヘ放火。
女装ニカクレテ牧野伸顕ハ逃ゲノビタ。
宮田晃を湯河原の病院へ入院させ、
七名は前夜東京カラ乗ツテキタ二台ノ乗用車デ 熱海ノ陸軍病院ヘ嚮イ、
ココデ河野大尉ハ胸部盲貫ノ彈丸摘出手術ヲ受ケ、三月六日ニ自決スル。
殘ル六人は二十六日中ハ病院内ニトドマリ、
二十七日ニ三島憲兵隊ヘ収容サレタ。
・・・反駁 ・ 牧野伸顕襲撃隊 1 水上源一 


水上源一
牧野らをなぜ奸賊と認めるのかという裁判官の質問に対して、水上は次のように答える。
私ハ、我ガ國體ヲ考エ、
陛下ノ大御心ハ國民全體ヲシテ均シク恵擇セシムベキモノト信ジテオリマス。
然ルニ現狀ハ、一方ニ大富限者アリ、他方ニ貧者アリ、一様ニナッテオラヌノデアリマス。
是、何故カト申シマスニ、コレハ畢竟スルニ翼賛ノ方法惡シク、
且、大御心ヲ中途ニオイテ横取リスル牧野、齋藤ラノ
元老 ・重臣 ・財閥ソノ他ノ特權階級ガアルタメニ外ナラヌノデ、
此の點ヨリ観察シ、是等ノ者ハ奸賊ナリトイイ得ルト思イマス。
水上は、現在の心境を次のように述べる
今回ノ事件ハ餘りニモ大キク、陛下ノ大御心ヲ悩マシ奉リ、
 國内ヲ一時ニモセヨ不安ノ思イヲサセタコトニツイテハ、誠ニ申譯ナイト思ッテイルモノデアリマス。
シカシナガラ、私ノ從來ヨリノ信念ニハ是ガ爲メ少シモ影響スルトコロナク、微動ダモシマセヌ。

( ワレワレガ ) 今日ノコノヨウナ境遇ニ立チ至ッタノハ、輔弼ノ責メニアル者ガ、
私ラ同志ノ本當ノ氣持チヲ陛下ニ奏上シ奉ラナカッタニヨルモノト思イマス。
元老、重臣ラハ陛下ト國民ノ間ニ介在シ、中斷シテ、
上聖明ヲ覆イ、下國民ヲ苦シマシムルノ一例證デアリマス。
身ハカカル輔弼者ノタメニ現在斯様ナ境地ニアリマスケレド、
コノ度決起シ、牧野ヲ襲撃シタ點ニツイテハ、コレガ殺害ノ目的ヲ遂ゲナカッタニセヨ、
維新運動史上何ラカノ役割ヲ果タシタモノト思ッテオリマス。
將來維新實現ノ實ガ見エナケレバ、如何ニ宏ナル牢獄ヲ次々ニ増築スルモ、
トウテイ私ラ同志ヲ収容シ盡クセナイデアロウ。
必ズヤ牢獄ハ内部ヨリ破壊サルルニ至ルモノナルコトヲ、信ジテ疑イマセヌ。
・・・二・二六事件湯河原班裁判研究  松本一郎   ・・・から 
・・・水上源一 『 昭和維新運動ノ捨石トナロウト決心シマシタ 』

 判決報道
水上源一は求刑では禁錮十五年、
そして死刑の判決を下された。


この記事についてブログを書く
« 昭和維新・相澤三郎 『絶對... | トップ | 昭和維新・澁川善助 »