磯部淺一
第十七
片倉射撃の狀況が新聞に報道されたのによると、
「 犯人が射撃した時、馬鹿と大聲で叱ったら腰をぬかしてピストルを落した 」
と 片倉の家族が談話してゐるとの事だが、
腰をぬかしたのは斷じて余に非ず。
余の腰はピンと張ってゐて、軍刀を右手にヒッサゲ、
左足を一歩前に踏出して次の斬撃を準備し、
一分のスキも見せなかったことはたしかだ。
ピストルを落したのは事實だ。
それは余が右手で射撃したら片倉がパット四、五歩避けたので、
間髪を入れず軍刀を抜いた。
その時ピストルをサックに入れる餘裕をもたなかった。
ピストルを棄てるのと抜刀するのと同時だったのだ。
この間の動作は無意識だから、
今になってなぜピストルを棄てたかと、なぜ軍刀を抜いたかと問はれても、
理由は全くわからん。
豫審中 理由をきかれてこまった。
唯ハッキリしてゐる事は、
一發射撃すれば充分死ぬと信じ切ってゐたので、
射撃後は單に軍刀で殘心を示した程度で、殺意が猛烈でなかったことだけは明言出來る。
( 同志諸兄、殺人が惡にしろ、善にしろ 一刀兩斷、
唯一刀にして人を殺して、またたきもせぬ程の人間は餘程の人物だ。
死屍を自ら點檢し、トドメを刺す程の落着いた動作は、
修養をつんでおかぬと、とても出來さうにもないことを實感した。
林、安田、安藤等多くの同志が、皆斬殺時、
殺した直後ホッとした氣のゆるみを感じたと云ってゐる。
余もはずかしながら一刀兩斷してまたたき一つせぬ程の徹底悟入した境地には、
餘程遠いことを自白する。)
片倉は射撃された時、
「 馬鹿ッ 」 と 云って大聲で叱りはしなかった。
「 射たんでもわかる 」 と 云った。
その語氣は弱々しいもので、
極端に云ふと、泣き聲の様であった事を附け加へておく。
片倉ばかりではない。
そこにいた軍人が等しく泣きたい様な感じをもった事は、誰も云ひのがれは出來まい。
丹生、竹嶌、兩人は余の手をとって涙を出していた。
・
午前十時頃か、陸軍大臣參内、
續いて眞崎將軍も出て行ってしまった。
官邸には次官が殘る。
満井中佐、鈴木大佐 來邸する。
午後二時頃か、
山下少將が宮中より退下し來り、集合を求める。
香、村、對馬、余、野中の五人が
次官、鈴木大佐、西村大佐、満井中佐、山口大尉等立會ひの下に、
山下少將より大臣告示の朗讀呈示を受ける。
「 諸子の至情は國體の眞姿顯現に基くものと認む。
この事は上聞に達しあり。
國體の眞姿顯現については、各軍事參議官も恐懼に堪へざるものがある。
各閣僚も一層ヒキョウの誠を至す。
これ以上は一つに大御心に待つべきである 」
大体に於て以上の主旨である。
對馬 は、吾々の行動を認めるのですか、否やと突込む。
余は吾々の行動が義軍の義擧であると云ふことを認めるのですか、否やと詰問する。
山下少將は口答の確答をさけて、
質問に對し、三度告示を朗讀して答へに代へる。
次官立會の諸官は大いにシュウビを聞きたる様子がみえる。
次官は欣然とした態度になって參内し、陸軍大臣と聯絡し、
吾等行動部隊を現地に止める様 盡力する旨を示す。
西村大佐は香椎中將に聯絡し、同様の處置をなすべく官邸を出る。
將に日は暮れんとする。
雪は頻り。
兵士の休養を考へたのだが、
軍首脳部の態度の不明なる限り警戒をとくわけにもゆかぬ。
・
參謀本部の土井騎兵少佐が來て、
「 君等がやったからには吾々もやるんだ、
皇族内閣位ひっくって政治も經濟も改革して、軍備充實をせねばならん、
どうだ吾々と一緒にやらふ、
君等は荒木とか眞崎とか年よりとばかりやっても駄目だ、
あんなのは皆ヤメサシてしまはねばいかん 」
等と、とんでもない駄ボラの様な話をし出した。
余は此のキザな短才軍人に怒りをおぼえたので、
維新は軍の肅正から始まるべきだ (幕僚の肅正)、
これを如何に考へておられるのか、と 突込む。
返答に窮したる情態。
時に村中が、
「 オイ磯部、そんな軍人がファッショだ、
そ奴から先にやっつけねばならぬぞ、放っておけ、こっちへ來い」
と 叫ぶ。
次頁 第十八 「 軍事参議官と会見 」 に 続く
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