タンクが帰って暫らくすると
山王ホテルの前の路地から、十数名の兵士を率ゐた将官 佐官の様な人が来ました。
電車通り迄来た時に、安藤大尉はそれを見ると既に抜力して居た軍刀を閣下の前に出し、
「 閣下、私を殺して下さい 」 と 云って道路に坐してしまひました。
閣下らしい人は、
「 さう昂奮しないで立って刀を納め自分の云ふ事を聞いて呉れ 」
と 数回云ひました。
が 安藤は、立ち上がったが刀を納めず、
「 今タンクから斯う云ふビラを撒いたが、
此中に、下士、兵卒とあるが、将校と兵卒の間に如何なる相違があるか 」
「 将兵一体の教育をして居るのが、日本軍隊の筈である。」
「 其様なビラを以てして我皇軍が動揺すると思って居られるか。
あなたは左様な精神で皇軍を教育して来られたのか。」
「 今や満州の地に於いて隣邦と戦端を開かれ様として居るが、
若し開戦された場合斯様な宣伝に依て動揺する様な事があったら如何なされるや。」
「 あなたは、三聯隊の兵士を左様な兵士だと思って居りますか、
左様な人の云ふ事は私は信ずることが出来ませんから、何事も聞く訳には行きません 」
と 云ふと 閣下らしい人は、
「 左様な事ばかり云って居たのでは話にならない 」
と 云って居りました。
安藤大尉は
絶対に聞く事は出来ません、
話があるなら、斯様な事態になる前になぜ早く話してくれなかったか、
全部包囲し、威嚇されて屈伏する訳には行きません。
話があるなら、包囲を解かれてから来られたい。
私達は間違って居りました、聖明を蔽ふ重臣閣僚を仆す事に依て
昭和維新が断行される事と思って居りました処、
吾々は重臣閣僚を仆す前に軍閥を仆さなければならなかったのです。
吾々は何等の野心なく、只陛下の御為に蹶起して導いた処、
戒厳令は昭和維新の戒厳令とはならず、
却て自分達を攻める為のものとなって居るではありませんか。
昭和維新の春の空 正義に結ぶ益荒男が
胸裡百万兵足りて 散るや万朶の桜花
「 昭和維新の歌 」 を高唱しながら
三宅坂方面に向い行進する安藤隊
安藤部隊
目次
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・ 安藤大尉
・ 中隊長安藤大尉と第六中隊
・ 中村軍曹 「 昭和維新建設成功の日 近きを喜びつゝあり 」
・ 歩哨線 「 止まれ !」
・ 第六中隊 『 志気団結 』
・ 堂込曹長 「 奸賊 覚悟しろ!」
・ 鈴木侍従長 「 マアマア、話せば判るから、話せば判るから 」
・ 奥山軍曹 「 まだ温かい、近くにひそんでいるに違いない 」
・ 安藤大尉「 私どもは昭和維新の勤皇の先駆をやりました 」
・ 命令 「 独断部隊ハ小藤部隊トシテ歩一ノR大隊長ノ指揮下ヘ這入ル 」
・ 破壊孔から光射す
・ 命令 「 我が部隊はコレヨリ麹町地区警備隊長小藤大佐の指揮下に入る 」
・ 「 一体これから先、どうするつもりか 」
・ 地区隊から占拠部隊へ
・ 幸楽での演説 「 できるぞ! やらなきゃダメだ、モットやる 」
・ 下士官の演説 ・ 群集の声 「 諸君の今回の働きは国民は感謝しているよ 」
・ 「 今夜、秩父宮もご帰京になる。弘前、青森の部隊も来ることになっている」
・ 町田専蔵 ・ 皇軍相撃を身を以て防止すること決意す
・ 「 私は千早城にたてこもった楠正成になります 」
・ 小林美文中尉 「 それなら、私の正面に来て下さい。弾丸は一発も射ちません 」
・ 安藤大尉 「 吾々は重臣閣僚を仆す前に軍閥を仆さなければならなかったのです 」
・ 「 世間が何といおうが、皆の行動は正しかったのだ 」
・ 「 中隊長殿、死なないで下さい ! 」
・ 『 農村もとうとう救えなかった 』 1
・ 『 農村もとうとう救えなかった 』 2
・ 「 何をいうか、この野郎、中隊長を殺したのは貴様らだぞ!」
・ 伊藤葉子 ・ 此の女性の名を葬る勿れ 1
・ 伊藤葉子 ・ 此の女性の名を葬る勿れ 2
突然怒号して
「 オーイ、俺は自決する、さして呉れ 」
と、ピストルをさぐる。
余はあわてて制止したが、彼の意はひるがえらない。
「 死なして呉れ、オイ磯部、俺は弱い男だ。
今でないと死ねなくなるから死なしてくれ、俺は負けることは大嫌ひだ、
裁かれることはいやだ、幕僚共に裁かれる前に、自ら裁くのだ、死なしてくれ 」
と 制止の余を振り放たんとする。
悲劇、大悲劇、兵も泣く、下士も泣く、同志も泣く、涙の洪水の仲に身をもだえる群衆の波。
大隊長も亦
「 俺も自決する、安藤の様な立派な奴を死なせねばならんのが残念だ 」
と 云ひつつ号泣する。
「 中隊長殿が自決なされるなら、中隊全員御伴を致しませう 」
と、曹長が安藤に抱きついて泣く。
「 オイ前島上等兵 お前が、曾て中隊長を𠮟ってくれた事がある。
中隊長殿、いつ蹶起するのです、
このままおいたら農村はいつ迄たっても救へませんと云ってねえ。
農村は救へないなあ、
俺が死んだらお前達は堂込曹長と永田曹長をたすけて、どうしても維新をやりとげよ。
二人の曹長は立派な人間だ、イイカ、イイカ 」
「 曹長、君達は僕に最後迄ついて来てくれた、有難う、あとをたのむ 」
と 云へば、
群がる兵士等が
「 中隊長殿、死なないで下さい 」
と 泣き叫ぶ。
余はこの将兵一体、鉄石の如き団結を目のあたりにみて、同志将兵の偉大さに打たれる。
「 オイ安藤ッ、死ぬのはやめろ、
人間はなあ、自分が死にたいと思っても、神が許さぬ時には死ねないのだ、
自分では死にたくても時機が来たら死なねばならなくなる。
こんなにたくさんの人が皆して止めているのに死ねるものか。
又、これだけ尊び慕ふ部下の前で、貴様が死んだら、一体あとはどうなるんだ 」
と、余は羽ガヒジメにしてゐる両腕を少しゆるめてさとす。
幾度も幾度も自決を思ひとどまらせようとしたら、
漸く自決しないと云ふので、余はヤクしてゐた両腕をといてやる。
兵は一堂に集まって中隊長に殉じようと準備してゐるらしい様子、
死出の歌であらう、
中隊を称える 「吾等の六中隊 」 の軍歌が起る。
・・・行動記 ・ 第二十四 「 安藤部隊の最期 」
白襷を掛け 『 尊皇討奸 』 の 幟を持って帰隊途中の蹶起部隊
中隊長を失った第六中隊は、
歩三第五中隊代理の小林美文中尉がトラック三台を率いて迎えに来たが、
堂込曹長はこれを断り、永田曹長と共に中隊を指揮して堂々と行軍で帰隊することにした
それは 中隊長の志を継いだ 堂込曹長 最後の抵抗である
沿道の市民は黒山の人手となって六中隊を歓迎し、
知人の兵の名を呼ぶ者、中隊を激励する者などがあって大変な騒ぎであった
それは さながら討入を終えた赤穂浪士の泉岳寺への引揚を彷彿させるものであった