あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

香田淸貞 『 撃たれたら直ぐ 陛下の御側に集まろう 』

2021年12月08日 12時30分16秒 | 香田淸貞

ごろ、オレはつくづく思うことがある。
兵の教育をやってみると、果たしてこれでいいかということだ。
あまりにも貧困家庭の子弟が多すぎる。
余裕のある家庭の子弟は大学に進んで、麻雀、ダンスと遊びほうけている。
いまの社会は狂っている。
一旦緩急の場合、後顧の憂いなしといえるだろうか。
何とかしなけりゃいかんなァ。

 ・・
後顧の憂い

大臣閣下! 大臣閣下! 
國家の一大事でありますぞ! 
早く起きて下さい。
早く起きなければ
それだけ人を余計に殺さねばなりませんゾ !!
・・・香田清貞大尉 「 国家の一大事でありますゾ ! 」 

香田、村中は
國家の重大事につき、陸軍大臣に會見がしたい
と云って、憲兵とおし問答してゐる。

余は 香、村は 面白い事を云ふ人達だ、えらいぞと思った。
重大事は自分等が好んで起し、
むしろ自分等の重大事であるかも知れないのに、

國家の重大事と云ふ所が日本人らしくて健氣だ、
と 思って苦笑した。

憲兵は、大臣に危害を加へる様なら私達を殺してからにして下さいと云ふ。
そんな事をするのではない、
國家の重大事だ、
早く會ふ様に云って來いと叱る。
・・・いよいよ始まった

七月十二日、処刑の朝
香田淸貞大尉が聲を掛けた。
六時半をまわったころだった。
香田は彼らのなかで年長者の一人である。
皆、聞いてくれ。
殺されたら、 その血だらけのまま 陛下の元へ集まり、
それから行く先を決めようじゃないか

それを聞いた全員が、 そうしよう、と 声を合わせた。
そこで 香田の發生で皆が、
「天皇陛下萬歳、大日本帝國萬歳」
と 全監房を揺らすらんばかにり叫び、
刑場へ出發していった。

 
香田淸貞 コウダ キヨサダ
『 撃たれたら直ぐ 陛下の御側に集まろう  』

目次
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・ 昭和維新 ・香田淸貞大尉

後顧の憂い 「 何とかしなけりゃいかんなァ 」 
・ 香田淸貞 ・ 眞崎大将を訪問 「 乃公は絶對に同意はしていない 」

・ 香田淸貞大尉の参加 

・ 香田淸貞大尉 「 國家の一大事でありますゾ ! 」 
・ 香田淸貞大尉 「 陸相官邸の部隊にも給与して下さい 」 
・ 川島義之陸軍大臣 二月二十六日 
・ 「 只今から我々の要望事項を申上げます 」

香田淸貞 ( 憲調書 ) 『 神州の危急を知ろしめずんば朕をして君たるの道を失はしむるものなり 』 
・ 香田淸貞大尉の四日間 1 
・ 香田淸貞大尉の四日間 2


午前十時頃と思はれる頃、三階から外を見ると、
電車通りも行動隊の兵士が ( 白襷を掛けて ) 整列して居って、
階下に下りて来て先程の部屋を見ると
安藤、香田の両大尉及下士官、七、八名も居り
緊張して居り安藤か香田に何か大声で話をして居りました。
安藤大尉は
「 自決するなら、今少し早くなすべきであった。
全部包囲されてから、オメ オメと自決する事は昔の武士として恥ずべき事だ。」
「 自分は是だから最初蹶起に反対したのだ。
然し君達が飽迄、昭和維新の聖戦とすると云ふたから、立ったのである。」

「 今になって自分丈ケ自決すれば、それで国民が救はれると思ふか。
吾々が死したら兵士は如何にするか。」
「 叛徒の名を蒙って自決すると云ふ事は絶対反対だ。自分は最後迄殺されても自決しない。」
「 今一度思ひ直して呉れ 」
と テーブルを叩いて、香田大尉を難詰して居りました。
居合せた、下士卒は只黙って両大尉を見詰めて居るばかりでした。
香田大尉は安藤の話をうなだれて聞いて居たが暫らくすると、頭を上げ、
「 俺が悪かった、叛徒の名を受けた儘自決したり、兵士を帰す事は誤りであった。
最後迄一緒にやらう、良く自分の不明を覚まさせて呉れた 」
と 云って手を握り合ひました。
安藤大尉は、
「 僭越な事を云って済まなかった。許して呉れ 」
と 詫び
「 叛徒の名を蒙った儘、兵を帰しては助からないから、遂に大声で云ったのだ。
然し判って呉れてよかった。最後迄、一緒にやって呉 」
と 云ってから
「 至急兵士を呼帰してくれ 」
と 云ったので、
香田大尉は其処に居た下士に命じ、呼戻させ、又戦備をつかしめたり。
・・・ 安藤大尉 「 吾々は重臣閣僚を仆す前に軍閥を仆さなければならなかったのです 」 

十二時頃
「 十一中隊集合 」、
に 四階に居った自分達は何事かと下の広間に集ったら、
丹生中隊長は眼に一杯涙を浮かべて、
「 皆の者 今迄大変御苦労をかけてすまなかった、実は今日皆を帰すから 」 
と 言ふので、
「 何で帰すのか 」 と 皆でなじった。
「 中隊長は何事も言ふまい、自分だけ死ねば後の者は皆助かる 」 
と 言った。
何でだまってゐられやう。
「 中隊長死なせたからには自分達は生きては此のホテルから出ない 」 
と 言ひ合ひ皆泣いた。
中隊長も泣いたたが、時世には押され情なくも帰営するために前の電車路に整列した。
列が半町も行った時、
熱血将校香田大尉が皆を止め、部所に付けと、
一同 亦も 喜び勇み立ち
再度応戦のため各部所についた。

二度と再び出まいと言ひ合った
・・・ 「 声をそろえて 帰りたくない、中隊長達と死にます 」 

又銃
我々は自発的に武装を脱いだ。
小銃を大通りに一列に叉銃し、
LG(軽機関銃)を一端に置き、あとの一切を鎮圧軍に委ねることにした。
この時、

香田大尉が軍服の上衣を脱ぎ
「 殺すなら殺してみろ」 
と 狂乱の如く絶叫しながら
我々の整列した近くから
鎮圧軍の包囲網をめがけて
単身、電車通りを突進していった。
・・・丹生部隊の最期 

・ 反駁 ・ 磯部淺一 村中孝次 香田淸貞 丹生誠忠 
・ 反駁 ・ 香田淸貞 以下 澁川善助 迄、蹶起将校 全員 
・ 最期の陳述 ・ 香田淸貞 「 自分の気持は捨石となることにある 」 


あを雲の涯 (二) 香田淸貞 
・ 昭和11年7月12日 (二) 香田淸貞大尉 


この朝 香田兄の發唱にて
君ケ代 を齊唱し 且 天皇陛下萬歳、大日本皇國萬歳、
を三唱したる後、香田兄が
『 撃たれたら直ぐ 陛下の御側に集まろう。 爾後の行動はそれから決めよう 』
というや、一同意気愈々昂然として不死の覺悟を定め、
從容しょうよう迫らず些かも亂れたることなく、歩武堂々刑場に臨み刑に就きたりと
・・・ 『 撃たれたら直ぐ 血みどろな姿で陛下の許へ参る 』 


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