あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

江藤五郎中尉の死

2021年02月22日 14時19分57秒 | 大蔵榮一

江藤五郎中尉 無罪、
江藤は私の監房のまえにきて立ちすくんだまま、しばらく立ち去りかねていたが、
看守にうながされて、私の目の前から消えて行ってしまった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
江藤中尉の自殺的戦死
想像した楽しい再会の日は江藤五郎の場合、ついにおとずれることなく、
このときの別れが永遠の決別になり、江藤は大陸に帰らぬ客となってしまったのだ。

江藤は無罪で釈放されたものの、
彼を待っていたものは、停職という行政処分であった。
代々木原頭で大量に銃殺された同志のことを思うと、
停職中の江藤は怏々 おうおう として楽しまなかったらしい。
やがて日支事変が勃発するやただちに復職を命ぜられ、
原隊である丸亀の第十二聯隊に復帰し、
そのまま呉淞 ウースン の敵前上陸を敢行して、まっ先に悲壮な戦死をとげた。

昭和十六年夏のことであった。
私が刑を終わって出獄したのが昭和十四年四月二十九日であったから、
出獄して二年目ということになる。
そのとき私は、神戸の同成貿易株式会社に関係していた。
これは、ひと口でいうと陸軍省防衛課と隠密裡に連絡を持った。
諜報機関としての性格を兼ねた商社であった。
・・・略・・・
ある日、新入社員がはいってきた。
その社員の姓名を、私はいま忘れているが、その男の郷里は丸亀であった。
「 君、兵役の経験は・・・・?」
私は丸亀ときいてなつかしかったので、早速質問してみた。
「 第十二聯隊の軍曹でした 」
「 戦争の経験は・・・・?」
「 呉淞に敵前上陸をして、中支を転戦して参りました 」
「 十二聯隊には江藤五郎中尉がいたはずだが、君、知らんかね 」
「 私と同じ大隊でしたから、江藤中尉殿のことはよく知っています 」
「 呉淞で戦死したそうだが、そのときの様子を知ってたらきかせてくれんか 」
「 中尉殿は、私の眼の前で戦死されましたのでよく知っています。
あれは、呉淞に上陸した直後でした。
大隊長は聯隊本部に行って留守、われわれは敵陣地を前に遮蔽物を利用して、
伏せたまま攻撃命令の下るのを待っていました。
そのとき、突然 江藤中尉殿が、何を思ったか ただひとり抜刀して、
敵陣地めがけて突進していったんです・・・・」
「 ・・・・」
「 全く アッという間の出来事でした。
正面に陣取っていた敵の機関銃がいっせいに火をふいたと思った瞬間、
中尉殿の全身はたちまち蜂の巣のように機関銃弾を受けて、その場にばったり倒れて即死しました。
死体はすぐ くぼ地に引き込みましたが、その顔は、むしろ笑っているような顔でした。
そこに大隊長が帰ってきて、江藤中尉殿の死体をみるや、
『 このバカ者が、何と早まったことをしてくれたんだッ、おまえはバカだッ、バカだッ 』
と叫びながら、死体にとりすがるようにしてワッと泣き崩れました 」
私はこの話をきいて、
衛戍刑務所で私の前から消え去っていった江藤の、涙ぐんだ悲しそうな顔を思い出していた。
「 江藤中尉殿の死は、まったく自殺としか思えませんでした 」
と、彼は話を結んだ。
「 そうだったのか・・・・」
私は、感慨無量であった。
熱血漢江藤五郎は鹿児島の産で、熊本幼年学校の第二十八期生であるから、
私より六年後輩である。
彼の死は、だれの目にも自殺と思われたほど悲壮であったらしい。
私もまた彼の死は自殺であったと思う。

江藤にまつわる思い出はつきない。
昭和十年六月、戸山学校在学中、長岡幹事の
「 ここにがんぜないひとりの子供がいる、命令、殺してこいッ 」
という問題に対して、
「 ハイッ、殺しません 」 
と、平然とうそぶいたときの人を食った江藤の顔。
・・・
此処に頑是ない子供がいる 「 命令、殺して来い 」 
私が林銑十郎陸軍大臣と一騎打ちをするから誰かついてこい、といったとき、
ノコノコついてきて 大臣官邸でスヤスヤと居眠りをした無邪気な顔、
・・・林銑十郎陸軍大臣 「 皇道派の方が正しいと思っている 」 

刑務所で別れるときの悲しそうな顔。
江藤のいろいろの顔が走馬灯の如く、私の目の底に浮かんだ。
私は隊長と同じように
「 江藤の馬鹿野郎ッ・・・・」
と 大声を出してさけびたかった。


大蔵栄一 著 
二・二六事件への挽歌  から


万民に 一視同仁であらせられるべき英邁な大御心が 我々を暴徒と退けられた

2021年02月20日 11時35分50秒 | 中橋基明

 
大元帥天皇陛下 


中橋基明中尉の死

近歩三聯隊長、
園山大佐は 中橋基明の叛乱参加の責任を負って退任したが、
その後任聯隊長、
井上政吉大佐は 七月一一日同隊の中橋を刑務所に訪ねた

中橋には家族以外は ほとんど面会人がいなかった。
近衛師団の事なかれ主義者のお利口さんたちから見れば、
中橋基明の名はすでに抹殺されたに等しい忌避すべき存在であったろう。
聯隊で中橋を慰問することが知れれば白眼視されかねない。
その点、名古屋六聯隊から転入した井上は大柄でどこかヌーボーとしていた。
中橋は明日 処刑されることを知っていた。
この日、すでに昼食に菓子と果物が特別に出る。
全員が入浴させられ、新しい獄衣が支給された。
これが刑務所側からのサインだった。
そして面会所には立看板が用意される。

明日一二日は、日曜日で面会できません 

「 園山聯隊長殿は、いかがされたのですか ? 」
「 辞職退任した。貴様のせいだぞ 」
「 貴様の中隊は宮城を一時たりといえども反逆占拠した、近衛聯隊史で最大の汚点だ 」
「 反逆などそんな・・・。
蹶起目的の帷幄上奏にあたっては大御心のご判断を仰ぎ、
いかようにも身を処す所存でした。
その場でハラを切れと申されるなら覚悟は出来ておりました。
しかし上奏は叶いませんでした。
奉勅命令で本来の大御心が曇りました 」

「 貴様、陛下がどれだけご軫念あそばれたか、考えたことがあるのか 」

「 決して天皇陛下に弓を引くことを企図した訳ではありません。
ただ君側の奸を取り除き天皇を戴き維新を達成する。
君主親政のお立場から帝国の窮状を御一新願う。
それが主眼でありました。
しかしこのことは詳しくは軍事法廷で申し上げることが叶いませんでした。
残念なことです 」

「 陛下は蹶起の朝から暴徒と貴様らをお呼びだったと洩れ伺う 」

「 暴徒 ?  暴徒とは、あんまりです ! 」
中橋の表情がこわばる。声が大きくなった。
「 しかし、大佐、おかしいではないですか ? 
当日深夜に出された戒厳令では、
蹶起部隊が戒厳部隊に編入を命ぜられたではないですか ? 
戒厳令は大元帥陛下のご命令ではなかったのですか ? 
それがなぜ暴徒と・・・・」

「 それはあくまで一時の方便にすぎない。
興奮している蹶起軍を鎮静化するための謀略とも云える。
陛下のご意志は戒厳令による蹶起軍の鎮圧にあった 」

中橋基明の表情が蒼白になる。
右手の拳が強く握りしめられた。
「 では我々はいったいなんのために ! 
乏しい国内資源だけでは成り立って行かない皇国。
それが満蒙に活路を見出し対外進出を果たすためには、
兵士の供給源たる農村に後顧の憂いがあってはならない。
そのために国内改革をめざしたのです。
直接行動が非合法であることは論をまちません。
もとより自刃は覚悟の上です。
しかしそれ以外に農村の疲弊を解決する方途がありましょうか ? 
腐敗した議会政治にいったいなにができるのですか ? 
それを暴徒とは・・・・」

「 貴様、政治のことは軍人が関わるべき領域ではない。
ともかく蹶起は陛下の大御心に添わなかった。
五・一五事件とは違って、恩赦をお赦しにならなかったのも陛下だ 」

「 大佐、それでは我々は犬死ではありませんか? 
蹶起の本義はまったく天聴に達していないではありませんか ! 
いったいなんのための蹶起・・・・」
中橋の整った切れ長の目元から涙が流れる。
とどめなく頬を伝った。
和服の獄衣に滴り落ち、喉元はびしょびしょに濡れる。

井上が慌てた。
少しいいすぎたかと反省する。
ハンカチを軍服の懐から取り出して渡そうとした。
だが中橋はそれを手で遮り、うな垂れて面会室を後にする。
「 中橋、明日は静かに行け ! 」
井上大佐の声が背中に飛ぶ。
・・・・

万民に
一視同仁であらせられるべき英邁な大御心が
我々を暴徒と退けられた。
君側の奸を討つことで大御心に副う国内改革を断行する。
これらを大義とした蹶起が、なんと陛下ご自身から拒絶を受ける。
一命を賭した直接行動は、単に大元帥陛下に弓を引くだけに終わったのか。
オレの蹶起行動になんの意味があったのか。

まるで浅草の小屋の安っぽい喜劇にすぎないではないか。
中橋は心のなかで繰り返し反問する。
必死にもがく。
だが出口がない。
大御心
と 蹶起精神との絶対的乖離
を 事もあろうに
中橋は処刑の直前に知らされたのだった。

 

昭和一一年七月一二日(日)早朝 死刑が執行される

中橋基明中尉のみは
一発、二発で落命せず、三発目にして落命した、
全身血達磨であったと謂う

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・・・挿入・・・
笑ひ声もきこえる。
その声たるや誠にいん惨である。
悪鬼がゲラゲラと笑う声にも比較できぬ声だ。
澄み切った非常なる怒りと恨みと憤激とから来る涙のはての笑声だ。
カラカラしたちっともウルオイのない澄み切った笑声だ。
うれしくてたまらぬ時の涙よりもっともっとひどい、形容の出来ぬ悲しみの極の笑だ
・・・・磯部浅一 「 獄中日記・昭和一一年八月一二日 」
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眼と耳を塞がれた奇妙な架空の空間にいるカラッポさ。
その隙間を打ち破るように突然、中橋基明の口から大声でけたたましく笑いはじめた。
「いっひっひ、いひひ・・・・おっほっほ、おほほほほ・・・ワッハッハ、ハハハ・・・・」
同時に身体が力任せに激しく前後に揺さぶられる。
顔のない白い亡霊の鬼気迫る笑いだった。
射撃指揮官はまったく虚を衝かれる。狼狽した。
歩五七聯隊中隊長、山之口甫大尉(32)が慌てて白手袋の手を下す。
まごついた正射手がターゲットに銃弾を浴びせるが呼吸を乱され手元が狂う。
白い亡霊が一瞬にして真赤な鮮血で包まれるが致命傷には至らない。
さらに二発目が副射手から飛ぶ。
これも平常心を乱され心臓急所を外す。
白いターゲットは真っ赤に染まり、悲痛な声を挙げ、のたうつ。
そして正射手が必死の思いで三発目を放つと、巨大な赤いヒルに膨れ上がった。
断末魔に絶叫する。
この世のものとは思えない白日夢と云うべきか。
白ずくめの儀式は中橋の血ダルマで穢された。

鬼頭春樹 著 禁断 二・二六事件 から

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処刑後間もなく中隊内に幽霊騒ぎが起こった。
不寝番に立った誰かが見たとのことで、しかも毎晩出るというのである。
目撃者の話によると
夜中寝しずまった頃銃架のあたりを上半身の姿でさまよっているとのことであった。
そのため全員は恐怖に包まれ不寝番につく者がいなくなった。
週番士官も軍刀を抱いて寝る有様である。
これを聞いた田中中隊長は、
「 中橋中尉の亡霊かもしれぬ、中隊全員で成仏を祈ってやるのが一番だ 」
と いって
早速中隊長当番兵だった私が使約となって一ツ木町に出て線香と線香立てを買ってきた。
その日の夕方
全員が一堂に集合し線香をたてて中尉の冥福を祈ったところその日から幽霊は出なくなった。
おそらく中橋中尉にとっては中隊が何よりも恋しかったのであろう。
これは事件終了後のショッキングな事実としい忘れることができない思い出である。

高橋蔵相邸襲撃
近衛歩兵第三聯隊第七中隊 二等兵 松本芳雄 著
二・二六事件と郷土兵 から  


処刑前夜・・・時ならぬうたげ

2021年02月12日 11時48分34秒 | 大蔵榮一

処刑前夜・・・時ならぬうたげ

栗原中尉が
鞭声粛々・・・・
と 声を張り上げて 「 川中島 」 を吟じた。
みな謹聴するかのように静かになった。

終わると
拍手が起こった。

栗ッ、貴様は何をやってもへたくそだが、
いまの詩吟だけはうまかったぞ

と 中橋中尉がどなった。

一人が軍歌を歌いはじめると、
それがいつか合唱に変わっていた。
私は彼等が楽しく宴会でもやっているのではないかと、
錯覚するのがしばしばであった。
錯覚しながらも私の両眼には涙がにじんでいた。
澁川善助
遠くの方から
「 観音経 」
を誦ずる声が、腹わたにしみいるようにきこえてくる。
騒音を縫ってくる朗々たる誦経は、耳をすませば澁川善助のなつかしい声だ。

昭和九年九月、( 二十八日 )
いまから数えて一年十か月まえ、千駄ヶ谷の寓居において私の母が急逝したとき、
真っ先に駆けつけてくれた澁川があげてくれたのも 「 観音経 」 で あった。

あのときと いまでは立場を異にして、
澁川が自分自身をふくめて
十七名の死をまえにしての誦経には、悲壮な響きがあった。

夜の白みはじめるころ、
香田大尉の音頭で君が代が斉唱された。
つづいて天皇陛下万歳が三唱された。
・・・・

二・二六事件の挽歌  大蔵栄一 「長恨のわかれ」


長恨のわかれ 貴様らのまいた種は実るぞ!

2021年02月08日 11時59分39秒 | 天皇陛下萬歳 (處刑)


長恨のわかれ
貴様らのまいた種は実るぞ!

中橋基明 
中橋中尉の監房と直通になった。
まず手を振ってあいさつをした。
中橋が右隣の竹島中尉に知らせたらしく、
竹島中尉が格子と格子との間から両手を出して合掌しているその手が、
 約一分間ぐらいかすかに見えた。
坂井直
左隣の坂井中尉から、大きな声がとんできた。
「 大蔵さーん、坂井は永久に陸軍歩兵中尉だぞ、
 死んでからも東京の上空を回りつづけるぞ 」
 
香田清貞
つづいて香田大尉の声が聞こえた。
「 大蔵ッ、わかるか ッ・・・・・・」
「 わかるぞッ、貴様らの蒔いた種は決して枯れることはない、必ず芽をふくから安心しろッ 」
私もたまりかねて大きな声を上げた。
「 後をたのむぞッ 」
「 ヨーシ引き受けた。安心してあとをふり返らず、まっすぐ前を向いて笑って死んでゆけッ 」
わたしの両頬には、涙がポロポロ流れた。
安田 優 
「大蔵さーん、安田だッ、いろいろ書いておいたから、あとで受け取って下さい」
安田少尉の声が、右端の方からきこえた。
そのころ方々のガラス窓が開けられたとみえて、各人各様の話し声が飛び交わされていた。
間もなく「万歳」 「万歳」の叫び声がどよめいた。
私は、出征兵士を送っているような錯覚におちいった。
気がつくと代々木練兵場の方から小銃、軽機関銃などの空砲の音がひっきりなしに聞こえてくる。
この日は風のないどんよりした日であった。
万歳の声がひとしきり続いて、やがて静かになると、空砲の音は いよいよ激しくなった。
私はたまりかねて、「北先生、お経を上げて下さい」 と、お願いした。
五つ六つ離れた監房にきこえるくらい大きな声であった。
北一輝 
「 これで維新は成ったなァ―。君、お経はいらないよ、
 すべての神仏がお迎えにきておられるから、ボクのお経は必要ないよ 」
北一輝のドスの聞いた返事が返ってきた。
だが、
「 お経は必要ない 」
 と いった口の下から、その踊経がはじまった。
最初は小さな声がすすり泣くようであったが、その声もだんだん大きくなっていった。
その声は、はんぶん泣きながらの踊経であった。

実弾、三たび耳を裂く
私は、部屋のまん中の茣蓙の上に半跏して瞑目合掌をつづけてた。
激しい空砲音が相変 わらずつづいていた。
そのうちバリバリッという実包の音が、かすかながらきき分けられた。
「 殺られた 」
私はおもわず叫んだ。
しばらくすると、再び「万歳」「万歳」の声が湧き上がった。
私は不思議な気がした。
漠然とではあるが、十七名いっぺんに処刑されるものとばかり思っていた。
考えてみると十七名同時に処刑し得る場所はないのだ。
何回かに分けて実施するのだなァと思った。
第一回の処刑のあと、
私自身血の気がなくなったような気分で、
がっくりきていたのに、
わけて処刑するのだと思いなおしてみると、
再び緊張をとり戻した。
代々木の原の空砲音がしばらく小止みになっていたのに、
再びはげしくなってきていた。
第二回も第一回のときと同じように、その銃殺の瞬間が感じられた。
しばらくして三たび「万歳」の声が起こってきた。
「 大蔵さん、さようなら・・・」
安田少尉の声が朗らかにきこえた。
私は返事をすることができ なかった。
午前七時ごろから始められた処刑は、午前九時ごろには終わっていた。
みななつかしい人たちばかりである。
かず限りない思い出にひたりながら、私は終日茫然として過ごした。
翌日、私はさっそく予審官に呼び出された。
「 君、後事を託されたそうだな 」
「 ハイ、託されました・・・」 と、私は昨日のことを詳細に話した。
予審官は両眼に涙を浮かべていた。
この後事を託されたということが、
私の刑期に大きな影響を与えたことがあとでわかった。

そのあと、私は江藤中尉と二人で入浴を許された。
久しぶりの入浴である。
浴場にきて見ると高い壁にくっつけて、
物見やぐらの方向に五つの壕が掘ってあった。

東京陸軍衛戍刑務所 

多くの血を吸ったであろう土が生々しかった。
私は六名、六名、五名と計十七名が
三回にわたって処刑されたとばかり思っていた。
それなのに壕は五つしかない。
おかしいなと不思議に思った。
六つあるべき壕が五つしかないとは、私は自分の眼を疑った。
よく眼をすえて数えてみたが、やはり五つしかない。
一つの壕の中で二人同時に処刑ということは絶対あり得ないことだ。
この奇妙な算術は、入浴しながらも不思議な疑問として、私の脳裡を離れなかった。・・・

イメージ画像 昭和四十九年 ( 1974 年 )
この渋谷宇田川町の陸軍衛戍刑務所は、いまの渋谷区役所となっている。
その西北隅が刑場として使用されたところだ。


昭和四十年二月二十六日
遺族で組織した仏心会の河野司代表 ( 河野壽大尉の実兄 ) の発心で
「 二・二六事件記念慰霊像 」
が刑場跡に建立されたが
実際の刑場はその
慰霊像に向かって左十メートルぐらいのところから、
へいにそって五つの壕が
約二十メートルぐらいのところに掘られていたことになる



大蔵栄一  

二・二六事件の挽歌 から
 


天皇陛下萬歳、萬歳、萬歳

2021年02月02日 12時13分38秒 | 天皇陛下萬歳 (處刑)


天皇陛下萬歳、萬歳、萬歳

昭和十一年七月十二日
香田清貞大尉以下十五名
死刑執行前に於ける情況

« 1・・言渡時に於ける精神状態態度  2・・言渡時に於ける発言  3・・刑架前に於ける発言 »


香田清貞 
1・・厳正にして落付き居れり 
2・・国家安泰を御願ひ致します。刑務所に居る間一同精神的歓待を受け有難う御座いました。 
3・・なし


安藤大尉

1・・稍落付きを欠く
2・・別に御座いませんが松陰神社の御守を身に着けて射たれたいと思ひます。
     家族の者が安心致します。
3・・秩父宮殿下万歳


竹嶌繼夫

1・・厳正にして落付き居れり。
2・・色々有難う御座いました。死んで護国の神になり 最後迄御奉公致します。
3・・なし


對馬勝雄

1・・稍々落付きを欠く。
2・・別に御座いません。刑務所にある雑誌を家族に見せて頂き度いと思ひます。
3・・なし


栗原安秀

1・・落付居れり。
2・・昨夜は有難う御座いました。
3・・霊魂永へに存す。栗原死すとも維新は死せず。


中橋基明

1・・稍落付きを欠く
2・・陛下に対し決して弓を引いたのではありません。
3・・なし


丹生誠忠

1・・腕組を為し顔面蒼白にして昂奮の状著し。
2・・ありません。
3・・死体をよろしく頼みます


坂井直

1・・厳正にして落付き居れり。
2・・天皇陛下の万歳を唱へさせて頂きます。色々御世話になりました。
3・・なし


田中勝

1・・微笑す。落付き居れり。
2・・ありませんた
3・・なし


中島莞爾

1・・稍々落付きを欠く。
2・・別にありません。
3・・なし


安田 優 
1・・顔面紅潮し稍々興奮の状あり。
2・・陛下は絶対であります。
3・・和歌 ( 不明 ) を詠ひたる后特権階級者の反省と自重を願ふ。


高橋太郎
1・・厳正にして落付居れり。
2・・元気で行きます。
3・・なし


林八郎

1・・顔面 ( 口辺 ) 痙攣し興奮の状あり。
2・・大日本帝国の万歳を祈る。
3・・なし


澁川善助

1・・微笑す。落付居れり。
2・・面会の時申してありますから。色々御世話になりました。
3・・皆で天皇陛下万歳を唱へませう。天皇陛下万歳、皇国万歳。


水上源一

1・・微笑す。極めて落付居れり。
2・・遺言は兄さんに書きました。長々御世話になりました。
3・・国民は絶対皇軍を信頼して居るのだ。其信頼を裏切るな。
     露西亜に負けてはいけない。日本は破壊されます。

備考
一、香田清貞以下十五名何れも天皇陛下万歳を奉唱す。
一、発射弾数は中橋三発、
     對馬、栗原 各二発、
     他は一発にして絶命す。


昭和十一年七月十二日早朝、
東京世田谷の松平定暁大尉の自宅と、
青山の日本青年館にそれぞれ陸軍省差廻しの乗用車が迎えに到着した。
松平大尉は秩父宮と同期の陸士第三十四期生、
当時、世田谷の野砲第一聯隊の中隊長であり、前日、師団命令によって、
この日の叛乱軍将校処刑のために用意された射撃班の総指揮官であった。
また、日本青年館の方は、前日、同じように師団命令によって佐倉から上京待機していた
第三十七期生の山之口甫大尉と、少候四期生の山田大尉であった。
二人はともに佐倉の歩兵第五十七聯隊の中隊長であった。
当時、第一師団はこの年の四月末から逐次満洲に移駐して、いわば留守隊であった。
三名の大尉が代々木の陸軍衛戍刑務所に到着したのは、大体午前六時半頃である。
射撃隊総指揮官が松平大尉で第一班の射撃指揮を担当、
第二班が山之口大尉、第三班が山田大尉であった。




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その日はどんよりとした曇り日で、風はなかった。
代々木陸軍衛戍刑務所の西北の隅に設けられた処刑場は、
煉瓦塀を前面にして五つの壕が掘られてあり、
各壕の奥深くには十字架が立てられてあった。
射撃位置は、その十字架から一直線に約十メートル離れて、
ちょうど煉瓦塀と向きあうように銃架がおかれ、
その上には二挺の三八式歩兵銃が固定されてあった。
午前七時、第一回の処刑者である香田、安藤、栗原、對馬、竹嶌の五名が、
香田大尉を先頭に刑場に到着した。
彼らはカーキ色の夏外被を着用、それぞれ目隠しをされ、両腕を看守に支えられていた。
処刑の立会者は刑務所関係者が所長以下数名、射撃関係者は三班にわかれて、
それぞれ各班に指揮官の大尉が一名、射手として中、少尉五名がついた。
他に衛生部員として若干名がおかれた。

『 天皇陛下の万歳を三唱しよう 』
香田大尉が叫ぶように発言した 。
それに答えて  天皇陛下万歳 の 三唱が刑場をゆるがすように響いた
万歳が終わると、彼らは定められた壕に、それぞれ両腕を支えられて進んだ。
十字架の前に南に向けて ( 煉瓦塀を背にして ) 正座させられると、
同時に看守が頭部と両腕を十字架にしっかりとしばりつけた。
『 しっかりしばってくれ 』
と 小声で看守に頼む者もあった。
彼らは笑顔さえみせていたのである。
息づまる一瞬、射撃指揮官 ( 松平大尉 ) は 刑務所長の指示に従い、
手の合図をもって発射を号令した。
射手の引鉄にかけられた指は一斉に引かれた。
照準点は前額部であった。
命中と同時に鮮血が噴き出した。
待機していた衛生部員は各人のところへ走り寄って絶命を確認する。
絶命には各人によって若干の鎖があったが、数分間が必要であった。
屍体は担架で後方の屍体処理場に運ばれ、丁重に処置された。
・・・山之口大尉の手記



その日、昭和十一年七月十二日の朝、
陸軍省さし回しの自動車が、青山の宿舎に私を迎えにきた。
処刑場は代々木原演習場の南、陸軍衛戍刑務所の中。
七時少し前に私はそこに着いた。
空は雲がたれこめていたが、風はなかった。
刑務所の西北の隅に設けられた処刑場には北側の煉瓦塀に沿って、五つの濠が掘られてあった。
そして、それぞれの濠の奥には、真新しい木の十字架が立てられてある。
射撃位置は、十字架から十メートル位前で、そこに煉瓦塀と向きあうような銃架が置かれ、
上に二梃の三八年式歩兵小銃が置かれてあった。
処刑の立会者は刑務所関係者が所長以下十二、三名。
射撃関係は被処刑者同様、三班にわかれ、各班に指揮官の大尉が一名、射手の中、少尉が五名ずつ付いた。
ほかに衛生部員その他の関係者が若干名。
午前七時
第一回の処刑者である香田、安藤、栗原、對馬、竹嶌の五名が、
香田大尉を先頭に、看守に両側から腕を支えられるようにして現れた。
彼らはカーキ色の夏外被を着用、目隠しをされていたが、夏草を踏んで歩む足どりはしっかりしていた。
煉瓦塀の向こうの練兵場の軽機関銃の音だけが、雲にこだまするように響いていた。
香田は陸士三十七期生で 私と同期、安藤は一期下の三十八期。
同じ第一師団の将校である。度々顔を合わせていたし、顔を合わせれば挨拶もした。
他の指揮官や射手も同じ第一師団の各部隊から集められた者ばかり。
みな、個人的に知っている者が一人や二人は、処刑者の中にいたに違いない。
私は、事件前から、香田や安藤、村中などが、どういう考えを持っているのかは知っていた。
しかし、同期生といえば同じカマの飯をくった、いわば仲間同然。
まことに辛い立場であった。
皆、私と同じ気持ちであったのだろう。
顔をこわばらせ、唇を噛みしめている。
突然、香田が、
「 天皇陛下万歳を三唱しよう!」
と 叫ぶようにいった。
五人がいっせいに
「 天皇陛下万歳!」
を 唱えた。
安藤だけがつづけて
「 秩父宮殿下万歳!」
と、しぼり出すような声で叫んだ。
彼らは看守たちにうながされ、定められた濠に進んだ。
十字架の前に ( 煉瓦塀に背を向けて ) 正座させられ、
さらし木綿で、頭部と両腕を、十字架にしばりつけられた。
そのとき、垂かが
「 しっかりしばってくれ 」
と 小声で看守に頼んだのが聞えた。
蒲の軽機関銃の音は、あいかわらず続いていた。
射手の目標は処刑者の額の布につけられた黒点であった。
皆が息をのむ一瞬、
所長の合図を受けた射撃指揮官の手が振り下ろされた。
と、同時に五つの銃口が火を吹き、処刑者の額から、鮮血がほとばしった。
被弾しながらも、栗原は押し出すように何かを言った。
指揮官の合図で、第二弾が栗原に発射された。
待機していた衛生部員が、絶命確認のため走り寄るのが、高速度撮影のフィルムを見るように思えた。
絶命まで数分かかった。
屍体は、担架で、後方の屍体処理場へ運ばれていった。
第二回は、丹生、坂井、中橋、田中、中島の五人、射撃の指揮官は私である。
準備は前と同じに進み、
午前八時少し前、
私は胸の中で 《 許せ!》 と 叫びつつ、合図の腕を振るった。
第三回は、安田、高橋、林、渋川、水上。
処刑時間は 八時半比でった。
処刑が終わり、気抜けした気持ちで控室に戻った時、
青年会館か どこかの牧師が、射撃関係者一人ひとりに、感想を聴いてまわった。
私が尋ねられたとき、
私は、
「 彼らは武人だった。
昔の武士のように、彼らが自決の方法を与えられていたなら、
やはり喜んで 自らの命を断ったであろう 」
と いうような意味のことを言ったように記憶する。
人物往来/S・40・2
当時歩兵五十七聯隊大尉 山之口甫 著
代々木原頭に銃声空しく  から
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万歳三唱が終わると、
栗原中尉だけが、何を思ったか突然

秩父宮殿下万歳 と叫び、栗原死すとも維新は死せず、と絶叫しました。
私は射撃隊の最右翼、つまり歩いて来る彼らの最も近い所におりましたので、
今でもはっきりと覚えています。
その瞬間、二番目にいた安藤大尉はギクリとして立止まったようでしたが、
あの時の栗原の絶叫は、実に劇的なシーンでした。
・・・松平大尉の回想


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昭和十二年八月一九日
死刑執行直前に於ける受刑者の言


村中孝次

長い間御世話になりました。
署長殿より看守長、看守の方々に宜しく申して下さい。
大変御世話になりました。


磯部浅一

御蔭様で元気であります。
大変御厄介になりました。
アバズレ者で我儘を申して御迷惑を掛けましたが、
所長殿は一番良く私の気持を知ってるでしよう。
所長殿より職員一同に宜しく申して下さい。
尚、西春、新井、沢田、畑 各法務官殿に宜しく申して下さい。
之は妻の髪の毛ですが、
処刑の際所持することと棺の中へ入れることを許して下さい。


北輝二郎
( 北一輝
大変に御世話になりました。
感謝の外はありません。
所長殿より皆様に宜しく申して下さい。
地方などに比較して全く貴族的の御取扱を受けたことは忘るることは出来ません。
「 刑架前に於て看守に対し 」
座るのですか、之は結構ですね。
耶蘇や佐倉宗吾のやうに立つてやるのはいけませんね。


西田税

大変御世話になりました。
殊に病気の為非常に御迷惑を掛けました。
入院中、所長殿には夜となく昼となく忙しい間を度々御見舞
( 主として勤務監督なるも見舞と見て感謝す ) に 来て下さりまして感謝の外ありません。
現下険悪なる情勢の中の御勤務で御骨折ですが、折角気を付けて御自愛を祈ります。
皆様にも宜敷。
「 刑架前に於て看守に対し 」
死体の処置を宜しく御願ひします。
以上
・・二・二六事件秘録 (一) から
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叛乱将校達を反逆者として処刑したとき、
大元帥陛下の帥い給う皇軍 ( すなわち天皇の軍隊 ) は亡んだのである
彼らの銃殺のために撃つたあの銃声は、
実は皇軍精神の崩壊を知らしめる響きであつたのである
しかも、その銃には菊の御紋章が入っているのである
大元帥陛下の御紋章の入っている銃で、
刑死の瞬間まで尊皇絶対を信念とした人々を、
極度の憎しみで射殺したのである
・・・橋本徹馬