あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

磯部淺一 ・ 獄中日記

2017年07月05日 15時48分08秒 | 磯部淺一 ・ 獄中日記


磯部淺一 
獄中日記
目次
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・ 
獄中日記 (一) 八月一日 「 何にヲッー! 殺されてたまるか 、死ぬものか 」 
・ 
獄中日記 (二) 八月六日 「 天皇陛下の側近は國民を壓する漢奸で一杯でありますゾ 」 
・ 獄中日記 (三) 八月十二日 「 先月十二日は日本の悲劇であつた 」 
・ 
獄中日記 (四) 八月十五日「 俺は一人、惡の神になつて仇を討つのだ 」 
・ 
獄中日記 (五) 八月廿八日 「 天皇陛下何と云ふザマです 」 

八月十二日
今日は十五同志の命日
先月十二日は日本歴史の悲劇であつた
同志は起床すると一同君が代を唱へ、
又 例の澁川の讀經に和して眼目の祈りを捧げた様子で
余と村とは離れたる監房から、わづかにその聲をきくのであつた
朝食を了りてしばらくすると、
萬才萬才の聲がしきりに起る、
悲痛なる最後の聲だ、
うらみの声だ、
血と共にしぼり出す聲だ、
笑ひ聲もきこえる、
その聲たるや誠にイン惨である、
惡鬼がゲラゲラと笑ふ聲にも比較出來ぬ声だ、
澄み切つた非常なる怒りとうらみと憤激とから來る涙のはての笑ひ聲だ、
カラカラした、ちつともウルヲイのない澄み切つた笑聲だ、
うれしくてたらなぬ時の涙より、もつともつとひどい、形容の出來ぬ悲しみの極みの笑だ
余は、泣けるならこんな時は泣いた方が楽だと思ったが、
泣ける所か涙一滴出ぬ、
カラカラした気持ちでボヲーとして、何だか氣がとほくなつて、
氣狂ひの様に意味もなく ゲラゲラと笑ってみたくなつた
午前八時半頃からパンパンパンと急速な銃聲をきく、
その度に胸を打たれる様な苦痛をおぼえた
余りに氣が立つてヂットして居れぬので、詩を吟じてみようと思ってやつてみたが、
聲がうまく出ないのでやめて 部屋をグルグルまわつて何かしらブツブツ云ってみた、
御經をとなへる程の心のヨユウも起らぬのであつた
午前中に大體終了した様子だ
午后から夜にかけて、看守諸君がしきりにやつて來て話しもしないで聲を立てて泣いた、
アンマリ軍部のやり方がヒドイと云って泣いた、
皆さんはえらい、たしかに靑年將校は日本中のだれよりもえらいと云って泣いた、
必ず世の中がかわります、キット仇は討ちますと云って泣いた、
コノマヽですむものですか、この次は軍部の上の人が総ナメにやられますと云って泣いた、
中には私の手をにぎつて、
磯部さん、私たちも日本國民です。
貴方達の志を無にはしませんと云って、誓言をする者さへあつた
この狀態が單に一時の興奮だとは考へられぬ、
私は國民の声を看守諸君からきいたのだ、
全日本人の被壓拍階級は、コトゴトク吾々の味方だと云ふことを知って、力強い心持になつた、
その夜から二日二夜は死人の様になつてコンコンと眠った、
死刑判決以後一週間、
連日の祈とう と興フンに身心綿の如くにつかれたのだ
二月二十六日以來の永い戰闘が一先づ終ったので、つかれの出るのもむりからぬ事だ
宛も本日----
・・・先月十二日は日本の悲劇であつた


獄中日記 (一) 八月一日 「 何にヲッー! 殺されてたまるか 、死ぬものか 」

2017年07月04日 15時45分15秒 | 磯部淺一 ・ 獄中日記


磯部浅一 

七月卅一日
 菱海 誌

明日は十五同志の三七日なり、
余は連日祈りに日を暮す、
唯 こまることは、
十五同志に対しては如何に祈る可きかがわからぬ事なり
成仏せよと祈っても彼等は
「 維新大詔の渙発せられ 天下万民 悉く 堵に安ずるの日迄は成仏せじ 」
と 云ひて死したるを以て、
とても成仏しそうにもなく、
「 成仏するな 迷へ 」 と 云ふ祈りをするわけにもゆかず、
ほんとに困る次第なり、
余は玆に於て稀代なる祈りをする事とせり、
「 諸君強盛の魂に鞭打ちて最一度 二月事件をやり直せ、
 新義軍を編成して再挙し、日本国中の悪人輩を討ち盡せ、焼き払へ、
日本国中に一人でも吾人の思想信念を解せざる悪人輩の在する以上、
決して退譲すること勿れ、
日本国中を火の海にしても信念を貫くけ、
焼け焼け、強火の魂となりて焼き盡せ、焼きても焼きても尚あき足らざれば、
地軸を割りて一擲徴塵にして其の志を貫徹せよ 」 と

夜に入り 電鳴電光盛ん、シュウ雨来る、
一七日の夜と同じく 陰気天地を蔽ふ、
余は本記をなし 村は一念一信読経をなす、
今や、天上維新軍は相澤司令官統率の下に第二維新を企図しあり、
地上軍は速かに態勢を回復し戦備を急がざるべからざるを痛感す


八月一日  菱海入道 誌
何にヲッー!、殺されてたまるか、死ぬものか、
千万発射つとも死せじ、断じて死せじ、
死ぬることは負ける事だ、
成佛することは、譲歩する事だ、
死ぬものか、成仏するものか
悪鬼となって所信を貫徹するのだ、
ラセツとなって敵類賊カイを滅盡するのだ、
余は祈りが日々に激しくなりつつある、
余の祈りは成佛しない祈りだ、
悪鬼になれる様に祈っているのだ、
優秀無敵なる悪鬼になる可く祈ってゐるのだ、
必ず志をつらぬいて見せる、
余の所信は一部も一厘もまげないぞ、
完全に無敵に貫徹するのだ、
妥協も譲歩もしないぞ

余の所信とは
日本改造方案大綱を一点一角も修正する事なく完全に之を実現することだ
方案は絶對の眞理だ、
余は何人と雖も之を評し、之を毀却ききゃくすることを許さぬ
方案の心理は大乗仏教に真徹するものにあらざれば信ずる事が出來ぬ
然るに 大乗仏教 所か小乗も ジュ道も知らず、神仏の存在さへ知らぬ三文学者、軽薄軍人、道学先生等が、
わけもわからずに批評せんとし 毀たんするのだ。
余は日蓮にはあらざれども 方案を毀る輩を法謗のオン賊と云ひてハバカラヌ
日本の道は日本改造方案以外にはない、
絶對にない、
日本が若しこれ以外の道を進むときには、それこそ日本の没落の時だ
明かに云っておく、改造方案以外の道は日本を没落せしむるものだ、
如何となれば
官僚、軍幕僚の改造案は國體を破滅する恐る可き内容をもつてゐるし、
一方高天ヶ原への復古革命論者は、ともすれば公武合体的改良を考へている、
共産革命家復古革命かが改造方案以外の道であるからだ
余は多弁を避けて結論だけを云っておく、
日本改造方案は一点一画一角一句 悉く心理だ、
歴史哲学の心理だ、
日本國體の眞表現だ、
大乗仏教の政治的展開だ、
余は方案の爲めには天子呼び來れども舟より下らずだ。

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獄中日記 (二) 八月六日 「 天皇陛下の側近は国民を圧する漢奸で一杯でありますゾ 」

2017年07月04日 05時39分37秒 | 磯部淺一 ・ 獄中日記


磯部浅一 
八月二日
シュウ雨雷鳴盛ン、
明日は相澤中佐の命日だ、
今夜は待夜だ、
中佐は眞個の日本男児であつた

八月三日
中佐の命日、讀經す、
中佐を殺したる日本は今苦しみにたへずして七テン八倒してゐる、
悪人が善人を はかり殺して良心の苛責にたへず、
天地の間にのたうちもだえているのだ、
中佐程の忠臣を殺した奴にそのムクヒが来ないでたまるか、
今にみろ、
今にみろ、

八月四日
北一輝氏、
先生は近代日本の生める唯一最大の偉人だ、
余は歴史上の偉人と云はれる人物に対して大した興味をもたぬ
いやいや興味をもたぬわけではないが、
大してコレハと云ふ人物を見出し得ぬ、
西郷は傑作だが 元治以前の彼は余と容れざる所がある、
大久保、木戸の如きは問題ならぬ、
中世、上古等の人物についてはあまりにかけはなれていのでよくわからぬ、
唯 余が日本歴史中の人物で最も尊敬するは楠公だ、
而して 明治以来の人物中に於ては北先生だ

八月五日
佐幕派の暴政時代、南朝鮮総督、杉山教育總監、西尾次長、寺内大臣
宇佐美侍従武官、鈴貫、牧野、一木、湯浅、西園寺等々、
指を屈するにいとまなし、
今にみろッ
今にみろッ
今にみろッ
今にみろッ
今にみろッ
必ずテンプクしてやるぞ

八月六日
一、天皇陛下 陛下の側近は國民を圧する漢奸で一杯でありますゾ、
 御気付キ遊バサヌデハ日本が大変になりますゾ、
今に今に大変な事になりますゾ、
二、明治陛下も皇大神宮様も何をして居られるのでありますか、
 天皇陛下をなぜ御助けなさらぬのですか、
三、日本の神々はどれもこれも皆ねむつておられるのですか、
 この日本の大事をよそにしてゐる程のなまけものなら日本の神様ではない、
磯部菱海はソンナ下らぬナマケ神とは縁を切る、
そんな下らぬ神ならば、日本の天地から追ひはらつてしまふのだ、
よくよく菱海の言ふことを胸にきざんでおくがいい、
今にみろ、
今にみろッ

八月七日
明日は同志の四十七日だ、今日もシュウ雨雷鳴アリ

八月八日
同志の四十七日、讀經
一、吾人は別に霊の國家を有す、
 日本國その國權國法を以て吾人を銃殺し、尚飽き足らず骨肉を微塵にし、
遠く國家の外に放擲ほうてきすとも、遂に如何ともすべからざるは霊なり、
吾人は別に霊の國家、神大日本を有す
一、吾人は別の信念の天地を有す、
 日本國の朝野 悉く 吾人を國賊反徒として容れずと雖も、
吾人は別に信念の天地、眞大日本を有す
一、吾人に霊の國家あり、信念の天地あり、現状の日本吾にとりて何かあらん、
 此の不義不法堕落の國家を吾人の眞國家神日本は膺懲せざるべからず
一、大義明かならざるとき國土ありとも眞日本はあらず、
國體亡ぶとき國家ありとも神日本は亡ぶ
一、捕縛投獄死刑、
 嗚呼 吾が肉体は極度に従順なりき、
然れども魂は従はじ、永遠に抗し無窮に闘ひ、尺寸と雖も退譲するものに非ず、
國家の權力を以て圧し、軍の威武を以て迫るとも、
独り不屈の魂魄を止めて大義を絶叫し、破邪討奸せずんば止まず

    ○

余は日本一のスネ者だ、世をあげて軍部のライサンの時代に
「 軍部をたほせ、軍部は維新の最後の鞏固な敵だ、
 青年将校は軍部の青年将校たるべからず、
士官候補生は軍の士官候補生たる勿れ、
革命将校たれ、革命武学生たれ、
革命とは軍閥を討幕することなり、上官にそむけ、軍規を乱せ、
たとひ軍旗の前に於てもひるむなかれ 」
と 云ひて戰ひつづけたのだ、
スネ者、乱暴者の言が的中して、今や吾が同志は一網打盡にやられてゐる、
もう少し早く此のスネモノ菱海の言ふことを信じてゐさへしたら、
青年将校は二月蹶起に於てもつともつと偉大な働きをしていたらふに。

    ○

この次に來る敵は今の同志の中にゐるぞ、
油断するな、似て非なる革命同志によつて眞人物がたほされるぞ
革命家を量る尺度は日本改造方案だ、
方案を不可なりとする輩に対しては斷じて油斷するな、
たとひ協同宣戰をなすともたえず警戒せよ、
而して 協同戰闘の終了後、
直ちに獅子身中の敵を処置することを忘れるな

八月九日
死刑判決理由主文中の
「 絶對に我が國体に容れざる 」 云々は、
如何に考へてみても承服出来ぬ
天皇大權を干犯せる國賊を討つことがなぜ國體に容れぬのだ、
剣を以てしたのが國體に容れずと云ふのか、兵力を以てしたのが然りと云ふのか
天皇の玉體に危害を加へんとした者に対しては忠誠なる日本人は直ちに剣をもつて立つ、
この場合剣をもつて賊を斬ることは赤子の道である、
天皇大權は玉體と不二一体のものである、
されば大權の干犯者 ( 統帥權干犯 ) に対して、
純忠無二なる眞日本人が激とし、この賊を討つことは当然のことではないか、
その討奸の手段の如きは剣によらふが、彈丸によらふが、
爆撃しようが、多數兵士と共にしようが何等とふ必要がない、
忠誠心の徹底せる戰士は簡短に剣をもつて斬奸するのだ、
忠義心が自利私慾で曇っている奴は理由をつけて逃げるのだ、唯それだけの差だ、
だから斬ることが國體に容れぬとか何とか云ふことには絶對にないのだ、
否々、天皇を侵す賊を斬ることが國體であるのだ、
國體に徹底すると國體を侵すものを斬らねばおれなくなる、
而してこれを斬ることが國體であるのだ、
公判中に右の論法を以て裁判官にせまつた、
ところが彼等は
ロンドン条約も 又 七、一五 も統帥權干犯にあらず、
と 云って逃げるのだ
余は斷乎として云った、
「 二者とも明かに統帥權の干犯である、
現在の不備なる法律の智識を以てしては解釈が出来ぬ、
法官の低級なる國體観を以てしては理解が出来ぬ、
この統帥權干犯の事實を明確に認識し得るものは、
ひとり國體に対する信念信仰の堅固なるもののみである、
余の云ふことはそれだけだが、一言つけ加へておくことがある、
法官は統帥權干犯に非ずと云ふが、何を以て然りとなすか、余は甚だしく疑ふ、
現在の國法は大權干犯を罰する規定すらない所の不備ズサンなるものではないか、
法律眼を以てロンドン条約と七、一五の大權干犯を明かにすることは出来ない筈ではないか、
ついでに云っておく、
本公判すら全く吾人の言論を圧したるヒミツ裁判で、
立權國日本の天皇の名に於てされる公判とは云へないではないか、
軍司法権の歪曲、司法大權の乱用とも云ふ可き事實が、現に行はれつつあるではないか、
統帥權の干犯が行はれなかつたと斷言出来る道理がないではないか」 と
理に於ては充分に余が勝ったのだ、
然し如何にせん、
徳川幕府の公判廷で松陰が大義をといてゐる様なものだ、
いやそれよりもつとひどいのだ、天皇の名をもつて頭からおさへつけるのだ、
天皇陛下にこの情を御知らせ申上げねばいけない、
國體を知らぬ自恣僭上の輩どもが天皇の御徳をけがすこと、今日より甚だしきはない、
この非國體的賊類どもが吾人を呼んで
「 絶対に我が國體に容れず 」 云々と 放言するのだ、
余は法華經の勧持品を身讀體讀した

八月十日
「 私は決して國賊ではありません、
日本第一の忠義者ですから、村長が何と云っても、
區長が何と云っても、署長が何と云っても、地下の衆が何と云っても、
屁もひり合わないで下さい、
今の日本人は性根がくさりきつてゐますから、眞実の忠義がわからないのです、
私共の様な眞實の忠義は今から二十年も五十年もしないと、世間の人にはわかりません 」
守 が学校でいぢめられてゐる様な事はないでせうか、それも心配です
「 叔父は日本一の忠義者だと云ふことを、よくよく守に教へてやつて下さい 」
私の骨がかへつたら、とみ子と相談の上、都合のいい所へ埋めて下さい
「 若し警察や役場の人などがカンシュウ等して、カレコレ文句を云ふ様な事があつたら、
決して頭をさげたらいけません、
若しそれに頭をさげる様でしたら、私は成佛出来ません、
村長であらふと區長であらふと、
磯部浅一の霊骨に対しては
指一本、文句一言云はしては磯部家の祖先と、磯部家の孫末代に対してすまないのです、
葬式などはコソコソとしないで、堂々と大ぴらにやつて下さい、
負けては駄目ですよ、
決して負けてはいけませんぞ、
私の遺骨をたてにとつて、
村長とでも ケイサツとでも 總理大臣とでも 日本國中を相手にしてでも
ケンカをするつもりで葬式をして下さい 」
「 磯部の一家を引きつれて、どこまでも私の忠義を主張して下さい 」
右は家兄へ宛てた手紙の一節だ、
而して括弧内は刑務所長によつて削除されたる所だ、
吾人は今何人に向っても正義を主張することを許されぬ、家兄へ送る手紙、
しかも遺骨に関する事すら許さぬのだ、
刑務所長の曰く
「 コノ文を許すと所長が認めたことになる 」 と、
認めたことになるから許さぬと云ふのは認めぬと云ふことだ、
吾人の正義を否定すると云ふことだ 

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獄中日記 (三) 八月十二日 「 先月十二日は日本の悲劇であつた 」

2017年07月03日 15時35分39秒 | 磯部淺一 ・ 獄中日記


磯部浅一 
八月十一日

天皇陛下は十五名の無雙むそうの忠義者を殺されたのであらふか、
そして陛下の周囲には國民が最もきらってゐる國奸等を近づけて、
彼等の云ひなり放題に御まかせになつてゐるのだらふか、

陛下、
吾々同志程、
國を思ひ 陛下の事をおもふ者は日本國中どこをそがしても決しておりません、
その忠義者をなぜいぢめるのでありますか、
朕は事情を全く知らぬと仰せられてはなりません、
仮にも十五名の将校を銃殺するのです、
殺すのであります、
陛下の赤子を殺すのでありますぞ、
殺すと云ふことはかんたんな問題ではない筈であります、
陛下の御耳に達しない筈はありません、
御耳に達したならば、
なぜ充分に事情を御究め遊ばしませんので御座いますか、
何と云ふ御失政でありませう
こんなことをたびたびなさりますと、日本國民は、陛下を御うらみ申す様になりますぞ、
菱海はウソやオベンチャラは申しません、
陛下の事、日本の事を思ひつめたあげくに、
以上のことだけは申上げねば臣としての忠道が立ちませんから、
少しもカザらないで陛下に申上げるのであります

陛下
日本は天皇の独裁國であつてはなりません、
重臣元老貴族の独裁國であるも斷じて許せません、
明治以後の日本は、
天皇を政治的中心とした一君と萬民との一体的立憲國であります、
もつと ワカリ易く申上げると、
天皇を政治的中心とせる近代的民主國であります、
左様であらねばならない國體でありますから、何人の独裁をも許しません、
然るに、今の日本は何と云ふざまでありませうか、
天皇を政治的中心とせる元老、重臣、貴族、軍閥、政党、財閥の独裁國ではありませぬか、
いやいや、よくよく観察すると、
この特權階級の独裁政治は、天皇をさへないがしろにしてゐるのでありますぞ、
天皇をローマ法王にしておりますぞ、
ロボツトにし奉つて彼等が自恣専断
じしせんだんを思ふままに続けておりますぞ
日本國の山々津々の民どもは、
この独裁政治の下にあえいでゐるのでありますぞ

陛下
なぜもつと民を御らんになりませんか、
日本國民の九割は貧苦にしなびて、おこる元気もないのでありますぞ
陛下がどうしても菱海の申し条を御ききとどけ下さらねばいたし方御座いません、
菱海は再び、陛下側近の賊を討つまでであります、
今度こそは
宮中にしのび込んででも、
陛下の大御前ででも、
きつと側近の奸を討ちとります
恐らく 陛下は 
陛下の御前を血に染める程の事をせねば、
御気付き遊ばさぬでありませう、
悲しい事でありますが、 
陛下の為、
皇祖皇宗の為、
仕方ありません、
菱海は必ずやりますぞ
悪臣どもの上奏した事をそのまま うけ入れ遊ばして、
忠義の赤子を銃殺なされました所の 陛下は、不明であられると云ふことはまぬかれません、
此の如き不明を御重ね遊ばすと、神々の御いかりにふれますぞ、
如何に 陛下でも、神の道を御ふみちがへ遊ばすと、御皇運の涯てる事も御座ります
統帥權を干犯した程の大それた國賊どもを御近づけ遊ばすものでありますから、
二月事件が起こったのでありますぞ、
佐郷屋、相澤が決死挺身して國體を守り、統帥權を守ったのでありますのに、
かんじんかなめの 陛下がよくよくその事情を御きわめ遊ばさないで、
何時迄も國賊の云ひなりなつて御座られますから、
日本がよく治まらないで常にガタガタして、
そこここで特權階級をつけねらつてゐるのでありますぞ、

陛下
菱海は死にのぞみ 陛下の御聖明に訴へるのであります、
どうぞ菱海の切ない忠義心を御明察下さります様 伏して祈ります、
獄中不斷に思ふ事は、 陛下の事で御座ります、
陛下さへシツカリと遊ばせば、日本は大丈夫で御座居ます、
同志を早く御側へ御よび下さい


八月十二日
今日は十五同志の命日
先月十二日は日本歴史の悲劇であつた
同志は起床すると一同君が代を唱へ、
又 例の澁川の讀經に和して冥の祈りを捧げた様子で
余と村とは離れたる監房から、わづかにその声をきくのであつた
朝食を了りてしばらくすると、
萬才萬才の声がしきりに起る、
悲痛なる最後の声だ、
うらみの声だ、
血と共にしぼり出す声だ、
笑ひ声もきこえる、
その声たるや誠にイン惨である、
悪鬼がゲラゲラと笑ふ声にも比較出来ぬ声だ、
澄み切つた非常なる怒りとうらみと憤激とから來る涙のはての笑ひ声だ、
カラカラした、ちつともウルヲイのない澄み切つた笑声だ、
うれしくてたらなぬ時の涙より、もつともつとひどい、形容の出來ぬ悲しみの極みの笑だ
余は、泣けるならこんな時は泣いた方が樂だと思ったが、
泣ける所か涙一滴出ぬ、
カラカラした気持ちでボヲーとして、何だか気がとほくなつて、
気狂ひの様に意味もなく ゲラゲラと笑ってみたくなつた
御前八時半頃からパンパンパンと急速な銃声をきく、
その度に胸を打たれる様な苦痛をおぼえた
余りに気が立つてヂットして居れぬので、詩を吟じてみようと思ってやつてみたが、
声がうまく出ないのでやめて 部屋をグルグルまわつて何かしらブツブツ云ってみた、
御経をとなへる程の心のヨユウも起らぬのであつた
午前中に大体終了した様子だ
午后から夜にかけて、看守諸君がしきりにやつて來て話しもしないで声を立てて泣いた、
アンマリ軍部のやり方がヒドイと云って泣いた、
皆さんはえらい、たしかに青年将校は日本中のだれよりもえらいと云って泣いた、
必ず世の中がかわります、キット仇は討ちますと云って泣いた、
コノマヽですむものですか、この次は軍部の上の人が総ナメにやられますと云って泣いた、
中には私の手をにぎつて、
磯部さん、私たちも日本國民です。
貴方達の志を無にはしませんと云って、誓言をする者さへあつた
この状態が単に一時の興奮だとは考へられぬ、
私は國民の声を看守諸君からきいたのだ、
全日本人の被圧迫階級は、コトゴトク吾々の味方だと云ふことを知って、力鞏い心持になつた、
その夜から二日二夜は死人の様になつてコンコンと眠った、
死刑判決以後一週間、
連日の祈とう と興フンに身心綿の如くにつかれたのだ
二月二十六日以来の永い戰闘が一先づ終ったので、つかれの出るのもむりからぬ事だ
宛も本日----

弟が面會に来て、寺内が九州の青年にねらはれたとかの事を通じてくれた、
不思議な因縁だ、
たしかに今に何か起ることを予感する、
余は死にたくない、
も一度出てやり直したい、
三宅坂の台上を三十分自由にさしてくれたら、軍幕僚を皆殺しにしてみせる、
死にたくない、
仇がうちたい、
全幕僚を虐殺して復讐したい

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獄中日記 (四) 八月十五日「 俺は一人、惡の神になつて仇を討つのだ 」

2017年07月02日 15時18分56秒 | 磯部淺一 ・ 獄中日記


磯部浅一 

八月十三日

政府の優柔不信に業をにやしたる軍部は、
國勢一新の實を速かにすべき理由として曰く
「 軍部はあれだけの粛軍の犠牲を出したるに、
政府は処政の一新に盡力するの誠意を欠けり、宜しく軍部の犠牲に対して代償を払ふ可し 」
と、何ぞその言の悲痛なるやだ
馬鹿につける薬はない、
軍部と言ふ大馬鹿者は自分の子供を自分で好んで殺しておいて、他人に代償を求めるのだ、
此の如き たわけた軍部だから、
正義の青年将校を殺すことを粛軍だとも考へちがえをする筈だ
正義の青年将校は國奸元老重臣を討つたのだ、
その忠烈の将校を虐殺すると云ふことは、
それが直ちに元老重臣等一切の國奸に拝跪コウ頭することになるのではないか、
一たびコウ頭した軍部が、今更代償を払へと云ったとて何になるか、
軍部の馬鹿野郎、
一體軍部は政府を何と見てゐるのだ、
政府は常に元老重臣の化身ではないか、
だから政府に対して云ふことは、元老重臣に対して云ふのと同様だ
よく考へてみよ、元老重臣に代償を払へとせまつたら、彼等は何と云ふだらう、
オイオイ軍部よ変な事を云ふな、御前の子供は俺のいのちをとらうとした大それた奴だ、
元來俺が手打ちにすべき所を許してやつたら、御前は自分でスキ好んで子供を殺したのだ、
だから俺が代償を払ふ道理はどこにもないではないか、
御前の子供と同様に、國家改造と云ふ代償を俺にせまるだらうが、
俺とは御前の子供の考へはちがつてゐて國賊の考へだと信じてゐる、
御前も御前の子供を國賊だと云って、最先に天下に発表したではないか、
それは今更、御前が子供と同じ様に國家改造など云ふのは、
御前自身が國賊だと云ふことになるぞ、
代償なんか一文もやるものか、
と 元老おやぢか云ひつのつたら、軍部さん、何とする
馬鹿野郎軍部、ざまをみろ
貴様は元老重臣からも見はなされた、
今に國民から見はなされ、孝行者の青年将校、下士官兵から見はなされるぞ、
いやいやもうとつくの昔にみはなされてゐるのだ
軍首脳部と云ふ高慢ちきな をどり娘さん、
御前さんは自分の力を過信して、背景の舞台をムリヤリに自分でとり除いた、
そして妾の上手なをどりをみよとばかりに、國勢一新と云ふやつを をどつている、
背景があればこそ、をどりも人気をよぶのだ、然るに御前さんのうしろには、
もう美しい絵道具も三味ヒキ、タイコたたきの青年将校も一人もゐないので、
見物人はこんなをどりに木戸銭が払へるかと云ってかへつた、
御前さんはさあ大変と思って、代償をはらへと云って追いかけたら、
何に代償? 
何を云ふか、自分で勝手に背景をとりのけてをどつたのではないか、
と けんもホロホロだ
をどり娘さん、
御前は一切の見物人から見はなされたことを知れ

八月十四日
身は死せども霊は決して死せず候間
「 銃殺されたら、優秀なユウレイになつて所信を貫くつもりに御座候へ共、
いささか心配なる事は、
小生近年スツカリ頭髪が抜けてキンキラキンの禿頭に相成り候間
ユウレイが滑稽過ぎて凄味がなく、
ききめがないではあるまいかと思ひ、辛痛致し居り候
貴家へは化けて出ぬつもりに候へども、
ヒョット方向をまちがえて、
貴家へ行ったら禿頭の奴は小生に候間、米の茶一杯下さる様願上候 」
「 正義者必勝  神仏照覧 」
右は山田洋大尉への通信の一部、括弧内は削除されたる所だ
神仏照覧迄削除されるのだから、
当局の彈圧の程度が知れる、これではいよいよこの次が悲惨だ

相澤中佐、對馬は 天皇陛下万歳と云ひて銃殺された
安藤はチチブの宮殿の万歳
を祈って死んだ
余は日夜、 陛下に忠諫を申し上げてゐる、
八百万の神々を叱ってゐるのだ、
この意気のままで死することにする

天皇陛下
何と云ふ御失政で御座りますか、
何故奸臣を遠ざけて、忠烈無雙
むそうの士を御召し下さりませぬか
八百万の神々、何をボンヤリして御座るのだ、
何故御いたましい陛下を御守り下さらなぬのだ
これが余の最初から最古背迄の言葉だ
日本國中の者どもが、一人のこらず陛下にいつはりの忠をするとも、
余一人は眞の忠道を守る、
眞の忠道とは正義直諫をすることだ
明治元年十月十七日の正義直諫の詔に宣く
「 凡そ事の得失可否は宣しく正義直諫、朕が心を啓沃すべし 」 と

八月十五日
村中、安ド、香田、栗原、田中、等々十五同志は一人残らず偉大だ、神だ、善人だ、
然し余だけは例外だ、余は悪人だ、
だからどうも物事を善意に正直に解せられぬ、
例の奉勅命令に対しても、余だけは初めからてんで問題にしなかつた、
インチキ奉勅命令なんか誰が服従するかと云ふのが眞底の腹だつた、
刑ム所に於ても、どうも刑ム所の規そくなんか少しも守れない、
後で笑われるぞ、刑ム所の規そくを守っておとなしくしよう等、同志に忠告されたが、
どうも同志の忠告がぴんと来ぬ、あとで笑はれるも糞もあるか、
刑ム所キソクを目茶々々にこわせばそれでいいのだ
人は善の神になれ、俺は一人、悪の神になつて仇をウツのだ

八月十六日
毎日大悪人になる修行に御經をあげてゐる、
戒厳司令部、陸軍省、參謀本部をやき打ちすることも出来ない様な人好しでは駄目だ、
インチキ奉勅命令にハイハイと云ふて、
とうとうへこたれる様ないくぢなしでは駄目だ、
善人すぎるのだ、
テッテイした善人ならいいのだが、
余の如きは悪人のくせに善人と云はれたがるからいけないのだ
陸軍省をやき、參謀本部を爆破し、中央部軍人を皆殺しにしたら、
賊と云はれても満足して死ねるのだつたに、
奉勅命令に抗して決死決戦したのなら、
大命に抗したと言はれても平気で笑って死ねるのだつたが、
まましなまじッかな事をしたので、
賊でもない官軍でもないヨウカイ変化になつてしまつた
前原一誠が殺される時 「 ウントコサ 」 と 云って首の座に上つたのも、
西郷が新八?ドン 「 このへんでようごわせう 」 と 云って
カイシャクをたのんで死んで行ったのも、
二人がドコ迄も大義の爲の反抗をして、
男児の意地をたてとほしたからの大満足から来る安心立命の一言だ、
大義の爲に奉勅命令に抗して一歩も引かぬ程の大男児になれなかつたのは、
俺が子悪人だからだ、
小利巧だからだ、
小才子、小善人だつたからだ

八月十七日
元老も重臣も國民も軍隊も警察も裁判所も監獄も、天皇機關説ならざるはない、
昭和日本は漸くようやく天皇機關説時代に迄進化した
吾人は進化の聖戦を策戦指導する先覚者だつた筈、
されば元老と重臣と官憲と軍隊と裁判所と刑ム所を討ちつくして、
天皇機關説日本を更に一段高き進化の域に進ましむるを任とした
然るに天皇機關説國家の機關説奉勅命令に抗すること為し得ずに終りたるは、
省みてはづ可き事である
この時代、この國家に於て吾人の如き者のみは、
 奉勅命令に抗するとも忠道をあやまりたるものでない
ことを確信する、
余は、眞忠大義大節の士は、奉勅命令に抗す可きであることを断じて云ふ
二月革命の日、
斷然革命に抗して決戰死闘せざりし吾人は、
後世、大忠大義の士は わらはるることを覚悟せねばならぬ

八月十八日
北先生のことを思ふ
先生は老体でこの暑さは苦しいだらふ
ツクヅク日本と云ふ大馬鹿な國がいやになる、先生の様な人をなぜいぢめるのだ
先生を牢獄に入れて、日本はどれだけいい事があるのだ
先生と西田氏と菅波、大岸両氏等は、
どんな事があつてもしばらく日本に生きてゐてもらいたい
先生、からだに気をつけて下さい
そしてどうかして出所して下さい、
私は先生と西田氏の一日も速かに出所出来る様に祈ります
祈りでききめがないなら、天上で又いくさ致します

    ○

余がこの頃胸にゑがく國家は、穢土エド 日本を征め亡ぼさうとしてゐる
このくさり果てた日本が何だ
一日も早く亡ぼさねば駄目だ、
神様の様にえらい同志を迫害する日本ヨ、
御前は悪魔に堕落してしまつてゐるぞ

八月十九日
西田氏を思ふ、
氏は現代日本の大材である、
士官候補生時代、
早くも國家の前途に憂心を抱き、改革運動の渦中に投じて、
爾来十有五年、
一貫してあらゆる權力、威武、不義、不正とたたかひて たゆむ所がない、
ともすれば權門に阿り威武に屈して、その主義を忘れ、主張を更へ、
恬然てんぜんたる改革運動の陣営内に於て、氏の如く不屈不惑の士は けだし絶無である
氏の偉大なる所以は、単にその運動に於ける經験多き先輩なるが為でもなく、
又 特權階級に向つて膝を屈せざる為のみでもない、
氏はその骨髄から血管、筋肉、外皮迄、全身全体が革命的であるのだ、
眞聖の革命家である、
この点が何人の追ズイモ許さない所だ
氏の言動、一句一行悉く革命的である、
決して妥協しない、だから敵も多いのである、
しかも氏は、この多数の敵の中にキ然として節を持する、
敵が多ければ多い程 敢然たる態度をとつて寸分の譲歩をしない、
この信念だけは氏以外の同志に見出すことが出来ない、
余は数十数百の同志を失ふとも、
革命日本の為 氏一人のみは決して失ってはならぬと心痛している

八月廿日
相澤中佐の四十九日だ。
祈りをなす

八月廿一日
日本改造方案大綱は絶対の眞理だ、一点一画の毀劫きごうを許さぬ
今回死したる同志中でも、改造方案に対する理解の不徹底なる者が多かった、
又 残ってゐる多数同志も、殆どすべてがアヤフヤであり、天狗である、
だから余は、
革命日本の爲に同志は方案の心理を唱へることに終始せなければならぬと 云ふことを云ひ残しておくのだ、
方案は我が革党のコーランだ、
剣であつてコーランのないマホメットはあなどるべしだ、
同志諸君、コーランを忘却して何とする、
方案は大体いいが字句がわるいと云ふことなかれ、
民主主義と云ふは然らずと遁辞(トンジ)を設くるなかれ、
堂々と法案の一字一句を主張せよ、
一点一畫の譲歩もするな、
而して、特に日本が明治以後近代的民主國なることを主張して、
一切の敵類を滅亡させよ

八月廿二日
大神通力

八月廿三日
日本改造方案大綱中、諸言、國家の權利、結言、純正社会主義ト國體論ノ諸言ヲ、
法ケ經ト共に朝夕讀誦す、之レニヨリテ一切の敵類ヲ折伏するのだ

    ○

官吏横暴一等國日本、我が官吏の如く横暴なるはない、
官吏と云へばハシクレの小者迄いばり散らして國民を圧する、
刑ム所看守中にも甚だしく不尊な奴がゐる、
この無礼なるハシクレ官吏が民間同志に対しては、殊更になまいきな振舞をする
余は不義の抑圧の下には一瞬たりとも黙止することが出来ぬ、
三月収容初期、吾等を國賊視し、反徒扱ひにしたので、
怒り心頭に発してブンナグロウとさへした事があつたが、
此の頃又一、二の不所存なハシクレ野郎が無礼な言動と抑圧をするのを見た、
今は少し我まんしておくが、機會があつたらブチ殺してしまひたい、
この不明なるハシクレ野郎共が、特權階級の犬になつて正義の國士を圧し、
銃殺の手伝ひ迄したのだ

八月廿四日
一、山田洋の病状ヨカラザルヲキク、 爲に祈る
 彼の病床煩々(ハン、ワズラウ)の痛苦は恐らく余の銃殺さるることより大ならん、
天は何が爲に彼の如き剛直至誠の眞人物を苦しめるのか
二、日本と云ふ大馬鹿が、自分で自分の手足を切って苦痛にもだえてゐる
三、日本が吾々の如き大正義者を國賊反徒として迫害する間は、絶對に神の怒りはとけぬ、
 なぜならば、吾々の言動は悉く天命を奉じなす所の神のそれであるからだ
四、全日本國民は神威を知れ
五、俺は死ねぬ、死ぬものか、日本をこのままにして死ねるものか、
 俺がしんだら 日本は悪人輩の思ふままにされる、
俺は百千万歳、無窮に生きてゐるぞ

八月廿五日
天皇陛下は何を考へて御座られますか、
何ぜ側近の悪人輩を御シカリ遊ばさぬので御座ります、
陛下の側近に対してする全國民の轟々たる声を御きき下さい

八月廿六日
軍部をたほせ、
軍閥をたほせ、
軍閥幕僚を皆殺しにせよ、
然らずんば日本はとてもよくならん
軍部の提灯もちをする国民と、愛國團体と一切のものを軍閥と共にたほせ、
軍閥をたほさずして維新はない

八月廿七日
処刑さるる迄に寺内、次官、局長、石本、藤井等の奴輩だけなりとも、いのり殺してやる

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獄中日記 (五) 八月廿八日 「 天皇陛下何と云ふザマです 」

2017年07月01日 15時12分14秒 | 磯部淺一 ・ 獄中日記


磯部浅一 
八月廿八日

竜袖にかくれて皎々不義を重ねて止まぬ重臣、元老、軍閥等の為に、
如何に多くの國民が泣いてゐるか

天皇陛下
此の惨タンたる國家の現状を御覧下さい、
陛下が、私共の義擧を國賊反徒の業と御考へ遊ばされてゐるらしい
ウワサを刑ム所の中で耳にして、私共は血涙をしぼりました、
眞に血涙をしぼつたのです
陛下が私共の擧を御きき遊ばして
「 日本もロシヤの様になりましたね 」
と 云ふことを側近に云はれたとのことを耳にして、
私は數日間気が狂ひました
「 日本もロシヤの様になりましたね 」
とは 将して如何なる御聖旨か俄にわかりかねますが、
何でもウワサによると、
青年将校の思想行動がロシヤ革命当時のそれであると云ふ意味らしい
とのことを ソク聞した時には、
神も仏もないものかと思ひ、神仏をうらみました
だが私も他の同志も、何時迄もメソメソと泣いてばかりはゐませんぞ、
泣いて泣き寝入りは致しません、
怒って憤然と立ちます
今の私は 怒髪天をつく の 怒にもえてゐます、
私は今、
陛下を御叱り申上げるところ迄、精神が高まりました、
だから毎日朝から晩迄、 陛下を御叱り申して居ります
天皇陛下
何と云ふ御失政でありますか、
何と云ふザマです、
皇祖皇宗に御あやまりなされませ

八月廿九日
十五同志の四十九日だ、
感無量、
同志が去って世の中が変わった、
石本が軍事課長になり、寺内はそのまま大臣、南が朝鮮総督、
嗚呼、
鈴木貫も牧ノも、西寺も、湯浅も益々威勢を振ってゐる、
たしかに吾が十五同志の死は、世の中を変化させた
悪く変化させた、
残念だ、
少しも國家の爲になれなかつたとは残念千万だ、
今にみろ、
悪人ども、何時迄もさかえさせはせぬぞ、
悪い奴がさかえて、いい人間が苦しむなんて、
そんなベラ棒な事が許しておけるか

八月卅日
一、余は極楽にゆかぬ、断然地ゴクにゆく、
 地ゴクに行って牧ノ、西寺、寺内、南、鈴貫、石本等々、
後から来る悪人ばらを地ゴクでヤッツケるのだ、
ユカイ、ユカイ、
余はたしかに鬼にはなれる自信がある、
地ゴクの鬼にはなれる、
今のうちにしつかりとした性根をつくつてザン忍猛烈な鬼になるのだ、
涙も血も一滴もない悪鬼になるぞ
二、自分に都合が悪いと、正義の士を國賊にしてムリヤリに殺してしまふ、
 そしてその血のかわかぬ内に、今度は自分の都合の為贈位する、
石碑を立て表忠頌徳をはじめる、
何だバカバカしい、下らぬことはやめてくれ。
俺は表忠塔となつて観光客の前にさらされることを最もはらふ、
いわんや俺等に贈位することによつて、
自分の悪業のインペイと 自分の位チを守り 地位を高める奴等の道具にされることは眞平だ
俺の思想信念行動は、銅像を立て石碑を立て贈位されることによつて正義になるのではない、
はじめから正義だ、
幾千年たつても正義だ
國賊だ、
反徒だ、
順逆をあやまつたなど
下らぬことを云ふな、
又 忠臣だ、石碑だ、贈位だなど下ることも云ふな
「 革命とは順逆不二の法門なり 」
と、コレナル哉  コレナル哉、
國賊でも忠臣でもないのだ

八月卅一日
刑ム所看守の仲にもバク府の犬がゐる
馬鹿野郎、今にみろ、目明し文吉だ
トテモワルイ看守もいる、
中にはとても国士もいる、
大臣にでもしたい様な人物もいる


磯部浅一は村中孝次と共に、香田大尉いか十四名が処刑される前日、突然分離されて、
さらに一年余の獄中生活を送り、昭和十二年八月十九日、最期を遂げた。
これは彼が十五同志処刑直後の十一年七月三十一日から八月三十一日までの、
獄中の万感を日記体で綴ったものである。
・・・

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二・二六事件 獄中手記遺書 河野司編 から