あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

行動記 ・ 第十一 「 僕は五 ・ 一五の時既に死んだのだから諦めもある 」

2017年06月15日 07時44分13秒 | 磯部淺一 ・ 行動記


磯部淺一 
第十一

栗原は二十三日に豊橋に行き、
對馬部隊と細部の打合せをなす事になる。
この時當然に、
栗原は平素準備しておいた小銃弾 (二千發) を携行した。
村中は、演習出張の爲不在であって、
未だ決定事項の聯絡或は意見の聽取をしていなかった香田と聯絡し、
余、中橋等と各々聯絡を担任する。
二十三日夜は
歩三週番指令室に於て
安藤、村中、香田、野中、余、坂井の會合をなし、
いよいよ計畫の細部打合せをする。
二十四日は
歩一司令室にて 野中、山口、香田、村、余、會合す。
當日も行動計畫の研究が主であった。
夜、田中勝が夫人同伴で聯絡旁々來る。
二十五日は
湯河原へ偵察に行った澁川の聯絡を待った。
午前十一時、澁川の夫人が西田宅に歸って來たので手紙を見ると、
牧野はたしかに伊藤屋の別館に滞在してゐるとの通知、
伊藤屋本館に滞在中の徳大寺の所へ時々囲碁をやりに來る。
その時も警戒付で、平素四、五人の警官がつしてゐるとの報だ。
此の報を余は河野に傳へる約束で、
自宅で河野を待ったが、定刻の十一時になっても來ず、
午後二時迄待って來ぬので、
余が自ら牧野を討ちに行く事を栗原に相談して出發しようとしていたら、
河野が急いでヤッテ來た。
そして遅刻の弁解が面白い。
「 今朝登校したら、急に金丸原へ飛行せよと命ぜられて、
 斷る譯にもゆかず、仕方なく飛行機を出しましたよ。
午前十一時におくれては大變と思ひ、ママヨ墜落したら其れ迄だと思って、
無茶に速力を出してとびましてね。
一番乗りをやりました。
神様が助けて呉れたか、無茶苦茶をやって飛んだのに落ちなかったですよ 」

と 云ふのだ。
余は少々あきれた、
大胆不敵な男だと思ってあきれたのだ。

河野が出發した後、西田氏を訪ねた。
西田氏は、今回の決行に何等かの不安を有してゐる事を余は知ってゐるので、
安心をさせるために、豫定通りに着々と進んでゐる旨を知らすためであった。
西田氏の不安といふのは、
察するに失敗したら大變になるぞ、
取りかえしがつかぬ、有爲な同志が惜しいと云ふ心配であった様だ。
余は所期には西田氏にも村中にも何事も語らないで、
自力で所信に邁進しようとしてゐたので、
昨年末以來、西田氏に對してヤルとかヤラヌとか云ふ話は少しもしなかったのだ。
所が 二月中旬になって、
在京同志全部で決行する様な風になったので、
一應 西田氏に打ち明けるの必要を考へ、
村中と相談の上、
十八、九日頃になって打ち明けた。
氏は沈思してゐた。
その表情は沈痛でさへあった。
そして余に語った。
僕としては未だ色々としておかねばならぬ事があるけれども、
君等がやると云へば、今度は無理にとめる事も出來ぬ。
海軍の藤井が、革命のために國内で死にたい、
是非一度國奸討伐がしてみたいと云っていたのに上海にやられた。
彼の死は悶死であったかもしれぬ。
第一師團が渡満するのだから、
渡満前に決行すると云って思ひつめてゐた靑年將校をとめる事は出來ぬのでなあ

と 云って、
何か良好な方法はないかと苦心している風だった。
余は若し失敗した場合、
西田氏に迷惑のかかる事は、氏の十年間の苦闘を水泡に歸してしまふので相すまぬし、
又、革命日本の非常なる損失と考へたので、
一寸その意をもらしたら、
氏は、
僕自身は五 ・一五の時、既に死んだのだからアキラメもある、
僕に對する君等の同情はまあいいとしても、おしいなあ

と 云った。
余はこの言をきいて、
何とも云へぬ気になった。
どこのどいつが何と惡口を云っても、
氏は偉大な存在だ、革命日本の柱石だ。
我等在京同志の死はおしくないが、氏のそれはおしみても余りある事だ、
どうしても氏に迷惑をかけてはならぬと考えた。

次頁 第十二 「 計画ズサンなりと云ふな 」  に 続く
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