あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

昭和維新・菅波三郎大尉

2021年04月08日 14時16分41秒 | 昭和維新に殉じた人達

« 十月事件 »
定刻をすぎても橋本中佐らは現われなかった。
ほかにも一つ会合があって、それが済んでからこちらにまわるということだった。
それを告げに私たちの小部屋にはいってきた参謀本部の通訳将校、
天野(勇)中尉が、このとき私にとっては奇怪なことをもらした。
「これはまだいわないほうがいいかも知れないが、
橋本中佐はクーデターが成功したら、 天保銭を廃止して、諸君に鉄血章をやるといっている。」
前には二階級昇進のことを後藤少尉の口を通じてきいた。
信頼する野田中尉も、このとき同じ小部屋にいた。
私は野田中尉が何か抗議でもするかと、その顔をみた。
が 野田中尉は別に何もいわなかった。
私は 菅波中尉の現れるのを待った。
菅波中尉はこの夜、まだ来ていなかった。
ぶっつける言葉は準備していた。
随分遅れて橋本中佐らがやってきた。
ようやく広間で宴会が始まろうとして、芸者や女中の動きが活発になった。
控えの小部屋小部屋から将校が広間のほうに移動しはじめた。
私は広間に行く気がせず、小部屋に残って菅波中尉を待っていた。
やっと菅波中尉が現れた。
私はいきなり菅波中尉に欝憤をぶちまけた。
「あんたは在京部隊の将校を利で誘いましたね。 道理で沢山集まっていますよ。
大岸中尉は同志十人あれば天下の事は成る、といったが、 十人どころか大変な人数ですよ。
私なんかもう出る幕じゃないから引込みますよ。」
菅波中尉は眼鏡の底で目をきらりと光らせると、
「なんということをいうんだ。どうしたんだ。」
といった。 私はつづけていった。
「クーデターが成功したら鉄血章をくれるそうじゃないですか。
野田中尉がだまって聞いていたところをみると、あんたも知っているんでしょう。」
「なにッ、鉄血章、誰がいった。」
「天野中尉がいいましたよ。」
「よしッ、おれにまかして置け。」
菅波中尉はぐっと口を真一文字にむすんで広間にはいっていった。
私もそのあとにつづいた。
広間の床の間を背にして参謀懸章を吊った軍服姿の橋本中佐らが坐っていた。
部隊将校や諸学校の将校は、申し合わせたように着物に襟をつけていた。
広間はぎっしりつまっていた。
芸者にまじって酒を注いでまわる将校もいた。
遅れて座についた私は注がれるままに、ただ盃を干した。
参謀本部の将校も起って酒を注いで廻った。
「君かね、抜刀隊長は・・・・・」 と私に酒を注ぐものもいた。
酒が廻るにつれ、にぎやかになり座は乱れかかった。
その時片岡少尉が気色ばんで、それでも声は落としていった。
「ちょっと来てください。 菅波中尉が小原大尉と組み打ちをやっている。」
私が片岡少尉のあとにつづいてはいった部屋は、広間につづく小部屋だった。
組み打ちは終わっていた。
やっと仲裁者によって引き分けられたところだった。
小原大尉も菅波中尉もまだ息をはずませて、にらみ合っていた。
仲裁をしたらしい数人の青年将校が、これもみな顔面を紅潮さして、壁にくっついて坐っていた。
鉄血章が原因で口論になり、その果ての組み打ちだったことはきくまでもなかった。
・・・末松太平 ・ 十月事件の体験 「 なに、鉄血章、 誰が言った !! 」 

菅波三郎

「 直接行動を何故とらなけりゃならんのですか 」
「 医者が腫物を手術する場合に、いかに立派な名医でも、膿だけ出して血は一滴も流さぬということは不可能でしょう。
 国家の場合においてもそれと同じです。勿論直接行動は、無暗矢鱈に為すべきものではありません。
これをしなれば、国家が滅びるという時こそ、われらは起たねばならぬと思うのです 」
「 でも、軍隊を勝手に動かしてよいものですか 」
「 勿論わたくしどもは、命令によって動くのが望ましいのです。
 しかし戦闘要領には、独断専行ということが許されていて、いや鼓吹されておるでしょう。
命令を待たずして行っても、それが上官の意図、天皇陛下の御意図に合すれば、よいのです。
とくにかかる行動は、偉くなるとその責任が重いので、ともすれば上官は事勿れ主義になり易いのです。
自分でよしんばしたいと思っても、命令を下すほど奇骨のある人は、そうありますまい。
口火を切るのは、われわれ青年将校を措いて他にない、と 思うのです 」
・・・
歩兵第三聯隊の将校寄宿舎 

« 五 ・一五事件 »
・・・いろいろ討議の結果、
午後十一時頃西田の手術の結果をみまもるいとまもなく、後ろ髪をひかれる思いで、
菅波、村中、朝山、栗原の各中尉及び私の五人は、自動車を飛ばして陸相官邸に乗りつけた。 
荒木陸相は、閣議に出席して不在。 真崎中将がかわって面接した。
約三十分にわたって開陳した。
私達の意見に対して、 真崎は善処する決心を披瀝しつつ、私達に十分自重するよう要望した。
終わって私達は、奥の一室に導かれた。
そこには、小畑敏四郎少将と黒木親慶とが待っていた。
黒木は、小畑少将とは同期生の間柄で かつてシベリヤ出兵に際して、 少佐参謀として従軍し、
白系ロシアのセミョーノフ将軍を援けて軍職を退き、 今日に至っている。
その縦横の奇略と底知れぬ放胆さは、当時日本の一逸材で、
陸軍大学校幹事の職にある小畑少将と共に、 荒木陸相の懐刀的存在であった。
「 今夜の事件は残念至極だ。
 もっといい方法で、革新の実を挙げるよう、 政友会の森恪らと共に着々準備を進めていたんだ。
すべては水泡に帰した」 と、小畑少将はいかにも残念そうだ。
「 閣下、今時そんなことを言っておる時期ではありません。
この事態に直面して、いかにしたならば、この日本を救うことが出来るか、
と言うことに、軍は全能力を傾注すべきでありますぞ 」
菅波中尉は、 滔々と懸河の熱弁を振るった。
「 今夜の衝撃によって、軍は腰砕けになってはいけない。
 もし軍の腰が砕けて、一歩でも 後退するようなことがあれば、それは日本の屋台骨に救い難い大きなキズが出来るのみだ。
そのキズが出来た時、 ソ満国境をロシアが窺わないと、誰が保証することが出来るか。
自重すると言う美名にかくれて躊躇することはいけない。
この際自重することは停滞することだ。 停滞は後退と同列だ。
軍はただ前進あるのみ、 前進してすでに投げられた捨て石の戦果を拡大する一手あるのみ 」
私達は繰り返し主張した。
いろいろ意見を交わし、 議論を闘わせつつ、まだ結論を出せず到らず、
これからだという時、 各部隊長から呼び戻しの命令が来て、残念ながら私達はそれぞれ部隊長の許に引致された。
時に午前四時を少し過ぎていた。
・・・菅波三郎 ・ 懸河の熱弁

案内されて大広間に来ると、 省部の佐官連中が綺羅星のように並んでいる。
「オッ、菅波こっちへ来い」 永田大佐は広い大広間の片隅に、菅波を誘って対座した。
永田鉄山とはこれで二度目の対面である。
昨年の十月、 安藤輝三が是非にと、菅波をさそって陸軍省の軍事課長室に鉄山を訪ねた。
安藤は永田に大変目をかけられていた。
菅波は永田と革新論について語りあったが、菅波は承服しなかった。
永田のくれた印刷物をみて 「 ハハア統制経済をやる考えだな 」 と、とっさに感じたと、語っている。
陸士、陸大とも優等で通して 「 鉄山の前に鉄山なく、鉄山の後に鉄山なし 」 と、もてはやされた秀才である。
「 秀才ではあったであろうが、肝っ玉の小さい人であった 」 と 菅波は評する。
その永田が、この夜は開口一番、
「 今日の事件は、お前がそそのかしてやらしたのだろう 」
と、菅波に鋭くつめよった。
「 自分も全く寝耳に水で驚いています。 上海から帰還以来、復員業務に忙殺されて、士官候補生たちに会う機会がなかったのです。
 常日頃から自重するよう、やかましく訓戒してきましたが、今日起つとは夢にも思っておりませんでした 」
菅波は永田の両眼を見すえたまま静かな口調で答えた。
そこへ向うの席から好奇心をもったらしい東条英機大佐 ( 当時、参謀本部の編制動員課長 ) が、ゆっくりと近づいてきた。
「 君はあっちへ行ってろ 」
永田の一喝で、東条は苦笑しながらひき返した
一期違いだけれど、東条は永田には頭があがらない。一目も二目もおいていたといわれる。
三十分あまり対談したのち、菅波は大広間を出ようとすると、
始終同席していた東京警備司令部の参謀、樋口季一郎中佐が寄ってきて、
「 お前たちの気持はよくわかっているよ 」 と、肩をたたいてくれた。
樋口は菅波に同情的で理解者の一人であった。
大蔵や安藤たちはもう帰っており、菅波はひとりタクシーをひろって北青山の下宿に帰った。
・・・菅波三郎 ・ 「 今日の事件は、お前がそそのかしてやらしたのだろう 」
 
退院して四、五日起ったある日、
会いたいという電話で菅波が西田の家を訪れると、西田はやや緊張ぎみである。
「 何か変わったことでもあったのですか 」 と、問うと、
「 いや、実は君に重要なことをお願いしたいのだが、
ことによると迷惑がかかるかも知れないので、君にはまことにすまないけれど 」
「 それで 」 不審そうな菅波の目の前に、
西田は机上にあった紫の袱紗包みを取り上げ
「 これをね、秩父宮殿下を通じて、天皇陛下にまで差し上げたい。
精魂をこめて認めたものです 」 と いう。
菅波は一瞬迷った。 殿下は快くお受け取りになるであろうか。
お取り上げになっても、殿下に累が及ぶようでは困る。
「 拝見していいですか 」
「 どうぞ 」
菅波は姿勢を正して一読した。
「 特権意識にこり固まった重臣層にとりまかれていらっしゃる天皇陛下に、おそらくこんな大英断はできまい 」
と いうのが、菅波の読後感であった。
しかし、建白しないより、幾分でも効果があれば建白したほうがよい。
「 承知しました 」
「 ありがたい、この通りです 」 西田は深々と頭を下げた。
顔をあげた西田は愉快そうに笑った。
菅波もつられて微笑んだ。
あくる日、菅波は安藤をよんだ。
「 夕方、殿下にお目にかかりたいが 」
「 承知しました。殿下に申し上げておきます 」
昼食の時、殿下が承知されましたと、安藤は小さい声でささやいた。
隊務の一切が終わると、菅波は安藤と二人で地下道から第六中隊長室に行った。
秩父宮は一人でお待になっていた。
「 今日は殿下にお願いがあって参りました 」
「 何だね 」
「 実は西田さんから、 殿下を通じて天皇陛下に建白書を奉りたいというので、預って参りました 」
「 ほう 」
秩父宮は渡された紫の袱紗包みをとかれると、奉書に認められた建白書に目を通された。
「 よろしい、承知した。 明後日参内して、陛下にお目にかかる事になっているから、その時にさし上げよう 」
秩父宮は無造作にカバンの中に入れられた。
菅波はお礼を言って起ち上がろうとすると
「 時に、西田はすっかり全快したかね 」
「 はい、快癒いたしたようであります。近く温泉に療養に行くように申しております 」
「 それはよかった、よろしく言ってくれ給え、身体にはくれぐれも注意するように 」
菅波は再びお礼を言って辞去した。
・・・紫の袱紗包み 「 明後日参内して、陛下にさし上げよう 」


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