あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

「 只今から我々の要望事項を申上げます 」

2019年03月05日 06時07分52秒 | 首脳部 ・ 陸軍大臣官邸

陸軍大臣との一騎討ち
陸相官邸の大広間、 
正門の幅二間もあろうかと思われる墨絵の富士山の額を背にして、
川島陸相が軍服姿で小松秘書官とならび、
その前に大きな会議机を隔てて香田、村中、磯部が立っている。
大臣の前に蹶起趣意書がひろげられていた。
香田は静かに蹶起趣意書を読み上げた。
その力強い一語一語は、
この冷たい部屋の空気に響いて人々の心をひきしめた。
     
 川島陸軍大臣    香田大尉           村中孝次             磯部浅一 

蹶起趣意書
謹ンデ推ルニ我神洲タル所以ハ、
万世一神タル天皇陛下御統帥ノ下ニ、擧國一體生成化ヲを遂ゲ、
終ニ 八紘一宇ヲ完フスルノ国体ニ存ス
此ノ國體ノ尊嚴秀絶ハ
天祖肇國神武建國ヨリ明治維新ヲ經テ益々體制を整へ、
今ヤ 方ニ万万ニ向ツテ開顯進展ヲ遂グベキノ秋ナリ
然ルニ 頃來遂ニ不逞兇悪の徒簇出シテ、
私心我慾ヲ恣ニシ、至尊絶對ノ尊嚴を藐視シ僭上之レ働キ、
万民ノ生成化育ヲ阻碍シテ塗炭ノ痛苦ニ呻吟セシメ、
従ツテ 外侮外患日ヲ遂フテ激化ス
所謂 元老重臣軍閥財閥官僚政党等ハ 此ノ國體破壊ノ元兇ナリ、
倫敦海軍條約
並ニ 教育總監更迭 ニ於ケル 統帥権干犯、
至尊兵馬大權ノ僣窃ヲ圖リタル 三月事件 或ハ 学匪共匪大逆教團等
利害相結デ陰謀至ラザルナキ等ハ最モ著シキ事例ニシテ、
ソノ滔天ノ罪悪ハ流血憤怒眞ニ譬ヘ難キ所ナリ
中岡、佐郷屋、
血盟団 ノ先駆捨者、
五 ・一五事件 ノ噴騰、相澤中佐ノ閃発トナル 寔ニ故ナキニ非ズ
而モ 幾度カ頸血ヲ濺ギ來ツテ 今尚些カモ懺悔反省ナク、
然モ 依然トシテ 私權自慾ニ居ツテ苟且偸安ヲ事トセリ
露支英米トノ間一触即発シテ
祖宗遺垂ノ此ノ神洲ヲ 一擲破滅ニ堕ラシムルハ 火ヲ睹ルヨリモ明カナリ
内外眞ニ重大危急、
今ニシテ國體破壊ノ不義不臣ヲ誅戮シテ
稜威ヲ遮リ 御維新ヲ阻止シ來レル奸賊ヲ 芟序除スルニ非ズンバ皇謨ヲ一空セン
恰モ 第一師團出動ノ大命渙発セラレ、
年来御維新翼賛ヲ誓ヒ殉國捨身ノ奉公ヲ期シ來リシ
帝都衛戍ノ我等同志ハ、
将ニ万里征途ニ上ラントシテ 而モ願ミテ内ノ世状ニ憂心転々禁ズル能ハズ
君側ノ奸臣軍賊ヲ斬除シテ、彼ノ中樞ヲ粉砕スルハ我等ノ任トシテ能ク為スベシ
臣子タリ 股肱タルノ絶對道ヲ 今ニシテ尽サザレバ破滅沈淪ヲ翻ヘスニ由ナシ
茲ニ 同憂同志機ヲ一ニシテ蹶起シ、
奸賊ヲ誅滅シテ 大義ヲ正シ、國體ノ擁護開顯ニ肝脳ヲ竭シ、
以テ神洲赤子ノ微衷ヲ献ゼントス
皇祖皇宗ノ神霊 冀クバ照覧冥助ヲ垂レ給ハンコトヲ
昭和十一年二月二十六日
陸軍歩兵大尉野中四郎
外 同志一同


香田はこれを読み終わると、
蹶起将校名簿を差し出した。
そして机上に一枚の地図をひろげて、
今朝来の襲撃目標と部署とその成果について地図をさし示しながら説明した。
大臣は一言も発しない。
小松少佐はいそがしくこれをメモしている。
これがおわると
村中が代って
「只今からわらわれの要望事項を申し上げます」
といって、
一、陸軍大臣の斷乎たる決意により事態の収拾を急速に行うとともに、本事態を維新回天の方向に導くこと。
一、蹶起の趣旨を陸軍大臣を通じ天聽に達せしむること。
一、兵馬の大權を干犯したる宇垣大将、小磯中将、建川中将を即時逮捕すること。
一、軍閥的行動をなし来りたる中心人物、根本大佐、武藤中佐、片倉少佐を即時罷免すること。
一、ソ連威圧のため荒木大将を関東軍司令官に任命すること。
一、重要なる地方同志を即時東京に招致して意見をきき事態収拾に善処すること。
一、前各項実行せられ事態の安定を見るまで蹶起部隊を警備隊に編入し、現占拠地より絶対に移動せしめざること

と、一気にまくしたてた。
・・内田メモ 「 只今から我々の要望事項を申上げます 」

此の時、渡邊襲撃隊から伝令がきて目的達成の報告があった。
磯部が早速川島陸相に
「 閣下、ただ今 渡邊襲撃隊から報告がありましたが、完全に目的を達しました 」
と 報告した。

川島は青ざめた顔をふり向けて、
「 皇軍同士が打ち合ってはいかん! 」
と たしなめるように言った。

いつの間に、首相官邸からきていたのか、つと、後ろから歩み出た栗原中尉は、
色をなして
「 渡邊大将は皇軍ではありません 」
と 鋭く応酬した。

大臣は、「 ウウッ 」 と 言葉につまって そのまま うなずいていた。
そして、川島は、最後に、
「 よし、わかった、 君達の要望事項は自分としてやれる事もあればやれん事もある。
  勅許を得なければならんことは自分としては何んとも言えない 」 
と 答えた。

こんな返答ではどうにもならない。
彼らは居丈高になって、
「 そんなまくらを言っていては駄目です。 閣下の御決断によって事はきまります。一大勇斷をして下さい ! 」
と 怒号に近く大臣に迫っていた。
突然、大きなどら声で、
「 そうだ ! そうだ ! 」
と 叫ぶものがある。見れば齋藤瀏少将である。
「 大臣はただちに決斷してこの緊急の重大事態を収拾することが先決だ、
 大臣は若いものの決死の事あげを、はっきり認めてやりなさい。
 そしてすぐ事態収拾にのり出しなさい 」

 と、火を吐く熱弁でまくしたてた。
彼は今朝栗原の電話で蹶起の次第を知り軍服着用の上、雪の中を車を飛ばし首相官邸にかけつけた。
彼はここで蹶起将校らを慰問激励したのち、
陸相官邸について大広間に入ると 青年将校と大臣との一騎討ちの最中だった。
齋藤少将は陸士十二期、その頃は既に予備役であったが、
栗原をわが子のようにかわいがり 青年将校の革新運動に共感していた老骨であった。
彼はここでなおも大臣に喰い下がって香田、村中らに加勢して、
しきりに大臣に決断を強要するが、大臣はなかなかウンといわない。
とうとう、香田、村中は、
「 では、ともかく、眞崎、古莊、山下、今井の各将軍、 それに村上、鈴木の両大佐、満井中佐を至急招集して下さい。
そしてわれわれと一緒に事態収拾を協議するよう取りはからって下さい。
大臣がその処置をとられるまでわれわれは一歩もここをうごきません 」

川島は小松少佐にこれらの人々を官邸に招致することを命じた

大谷啓二郎著

二・二六事件  から


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