あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

昭和・私の記憶 『 二・二六事件 』

2024年02月29日 17時17分09秒 | 昭和 ・ 私の記憶


昭和50年 ( 1975 年 ) 11月 22 日、昭和維新の 面影たずねて一人歩き
・・・・ 昭和十一年 ( 1936年 ) 二月二十六日 午前八時半、
桜田門を潜った中橋中尉の眼前には蹶起部隊の展開する 昭和維新の景色がパルラマの如く拡がった
『 尊皇--討奸 』 の合言葉 と 三銭切手を証し 歩哨線を 通過したる其時、嗚呼 中橋中尉の心懐や如何

始めに
昭和40年(1965年) のこと
テレビで 『 陸海流血史・五・一五から二・二六へ 』 と いう 映画に偶然に出遭った。 ・・・話せば分る・・問答無用  
しかし其は、十一歳の少年が期待した、「 勇ましいもの 」 に反し、「 暗い、重い、哀しい ・・もの 」 であった。
 イメージ
この時、私が感じ取った 「 暗い、重い、哀しい・・もの 」 その正体が、『 私の中に潜在しているもの 』であると いうこと、
たかが 11歳にして 気づくべくもなかったのである。
昭和49年 (1974年) 19
歳の私は、昭和維新に殉じた人達が存したことを知り、
果して、私の中に潜在している 斯の正体 を はっきりと認識するに至った。
昭和の聖代における、『
日本人の正義  』  というものを 体現し、昭和維新に殉じた人達。
私は此を 『 諒 』 とした。
私にとって 斯の人達は、英雄となり、憧れとなり、そして鑑となった。
私は、昭和維新に殉じた人達の 『 人 』 を 主題に 斯の人達を見つめ、
斯の人達の日々の行動言動を観ることで、その為人ひととなりを知り、
茲に 斯の人達の魂おもいを汲取ろうとした。

本書は、私の出遭し 先達の書物を、吾の欲するところ欲する儘に吟読し、
吾琴線に触れたるところを、玆に清書することにより、私の想いを表そうと試たものである。

本書の他に
私の想い、二 ・二六事件 『 昭和維新は大御心に副はず 』 
私の想い、二 ・二六事件 『 頼むべからざるものを頼みとして 』 
昭和維新に殉じた人達  
昭和 ・私の記憶 『 西田税との出逢い 』 
昭和 ・私の記憶 『 謀略、交信ヲ傍受セヨ 』 
昭和の聖代 ( ・・・番外編 / 昭和二十年八月十五日 を 主題としたもの )
も、同様の試みをしたものである。
(  ↑ クリック  して頁を読む  ) 

昭和維新の春の空 正義に結ぶ益荒男が
胸裡百万兵足りて 散るや万朶の桜花
「 昭和維新の歌 」 を高唱しながら 三宅坂方面に向い行進する安藤隊
『 昭和維新の春の空 』 青年将校達の正義は通らなかった 

昭和 ・私の記憶
『 二 ・ 二六事件 』

目次
クリック して頁を
読む 
昭和維新 ・ 道程 ( みちのり ) 
下記頁を内包 (  ↑ クリック  )
・ 道程 ( みちのり ) 1 みちのり ( 大正十五年迄 )
道程 ( みちのり ) 2 みちのり ( 昭和元年~7年 )
道程 ( みちのり ) 3 みちのり ( 昭和8年、9年 )
道程 ( みちのり ) 4 みちのり ( 昭和10年 )
道程 ( みちのり ) 5 前夜 ( 昭和11年1月1日~2月25日 )
道程 ( みちのり ) 6 部隊編成 ( 出撃時 ) ・・・未完中途
道程 ( みちのり ) 7 蹶起部隊 ( 26日、午前 )
道程 ( みちのり ) 8 蹶起部隊 ( 26日、午後 )
道程 ( みちのり ) 9 蹶起部隊 ( 27日 )
道程 ( みちのり ) 10 叛亂部隊 ( 28日 )
道程 ( みちのり ) 11 叛亂部隊 ( 29日 )
道程 ( みちのり ) 12 昭和維新 ( 昭和11年3月1日~12月31日 )
・ 道程 (みちのり )  13 昭和維新 ( 昭和12年1月1日~
8月19日 )

1  導火線
・ 國家改造・昭和維新運動 
 靑年將校運動
後顧の憂い 
・ ロンドン條約問題 『 統帥權干犯 』 
・ 十月事件
・ 
五 ・一五事件 
・ 十一月二十日事件 ( 陸軍士官學校事件 ) 
國體明徴と天皇機關説問題 
・ 眞崎敎育總監更迭 
・ 相澤中佐事件 ( 永田軍務局長刺殺事件 )

2  二 ・二六事件
前夜 (  ← クリック  )
今の諸君の立場に対しても私自身の立場からは理屈以外の色々な点を考へさせられます。
結局皆が夫れ程迄決心して居られると云ふなら私としては何共言ひ様がありません。
之以上は今一度諸君によく考へて貰ってどちらでも宜しいから、
御国の為になる様な最善の道を撰んで貰いたいと思ふ。
私は諸君との今までの関係上己一身の事は捨てます。
人間は或運命があると思ふので、
或程度以上の事は運賦天賦で時の流れに流れて行くより外に途はないと思ひます。
どちらでも良いから良く考へて頂き度い。
と云ふ意味の事を話し、安藤君は 「良く判りましたから考へて見る 」
と云って別れて帰ったのでありました。・・・西田税 ・・私は諸君と今迄の関係上自己一身の事は捨てます 

何事モ勢デアリ、
勢ノ前ニハ小サイ運命ノ如キ何ノ力モアリマセヌ。・・・西田税

蹶起
栗原部隊の後尾より溜池を経て首相官邸の坂を上る。
其の時俄然、官邸内に数発の銃声をきく。
いよいよ始まった。
秋季演習の聯隊対抗の第一遭遇戦のトッ始めの感じだ。
勇躍する、歓喜する、感慨たとへんにものなしだ。
同志諸君、余の筆ではこの時の感じはとても表し得ない。
とに角云ふに云へぬ程面白い。一度やって見るといい。
余はもう一度やりたい。あの快感は恐らく人生至上のものであらふ。
・・・磯部浅一 ・ 行動記 ・・いよいよ始まった

本日午前五時頃 一部靑年將校等は左記箇所を襲撃せり。
首相官邸、( 岡田首相即死 )。齋藤内大臣私邸、( 齋藤内府即死 )。
渡邊敎育總監私邸、( 敎育總監即死 )。
牧野前内大臣宿舎 ( 湯河原伊藤屋別館 ) 牧野伯爵不明。
鈴木侍從長邸、( 鈴木侍從長重傷 )。
高橋大蔵大臣私邸、( 大蔵大臣負傷 )。東京朝日新聞社。
これら將校等の蹶起せる目的はその趣意書によれば、
内外重大危急の際、元老、財閥、官僚、政黨等の國體破壊の元兇を芟除せんじょ
以て大義を正し 國體を擁護顯現せんとするにあり。
右に關し在京部隊に非常警戒の處置を講ぜしめたり。
つづいて東京警備司令部から第一師團官下に戰時警備が下令されたる旨、
およびこれに伴う司令官香椎中將の告諭が放送された。・・・ 二月二十六日 ・大雪の朝 

・ 昭和維新 ・ 蹶起の目的 
・ 蹶起趣意書
昭和維新情報 
蹶起部隊本部から行動部隊下士官兵に配布した檄文 
首脳部 ・ 陸軍大臣官邸 
・ 
丹生部隊 
・ 中橋部隊 
・ 野中部隊 
・ 安藤部隊 
・ 坂井部隊 
・ 栗原部隊 
・ 田中隊
牧野伸顕襲撃 河野隊 

・ 赤子の微衷 1 西田税と北一輝
赤子の微衷 2 蹶起した人達
赤子の微衷 3 渦中の人達 ・・・山口一太郎  満井佐吉  小藤恵
・ 赤子の微衷 4 後事を托された人達 ・・・大蔵栄一、末松太平

説得と鎭壓 (  ← クリック  )
二月二十六日午後三時三十分
東京警備司令部
一、蹶起ノ趣旨ニ就テハ天聽ニ達セラレアリ
二、諸子ノ行動ハ國體顯現ノ至情ニ基クモノト認ム
三、國體ノ眞姿顯現(弊風ヲ含ム)ニ就テハ恐懼ニ堪ヘズ
四、各軍事參議官モ一致シテ右ノ趣旨ニ依リ邁進スルコトヲ申合セタリ
五、之レ以上ハ一ニ大御心ニ待ツ

・・・ 大臣告示 「 諸子ノ行動ハ國體顯現の至情ニ基クモノト認ム 」

戰警第一號 「 第一師團命令 」 竝びに戒作命第一號 「 命令 」 は、
蹶起部隊を第一師團戰時警備隊としてその指揮下に入れ
更に戒嚴令施行後は、
歩兵第一聯隊長小藤大佐を長とした麹町地區警備隊とし、
さらに敵と見ず友軍として共に警備し、相撃を禁じ
二十七日は 配宿、給養を命じているのである。
靑年將校たちがこれらの軍の処置を、蹶起部隊を皇軍と認めたことと解釋し、
これに力を得て事後の行動を積極的に行った事は首肯できる。
しかし彼らは、
翌二十八日には叛亂部隊として討伐されている。

・・・ 命令 「 本朝出動シアル部隊ハ戦時警備部隊トシテ警備に任ず 」 

朕ガ股肱ノ老臣ヲ殺戮ス、此ノ如キ暴ノ将校等、其精神ニ於テモ何ノ恕スベキモノアリヤ
3  大御心
・ 大御心 『 天皇親政とは、大御心とは 』 
・ 大御心 「 朕が憾みとするところなり 」 

我人を犠牲となし、我人を虐殺して、
しかも 我人の行へる結果を利用して、
軍部独裁 ファッショ 的改革を試みんとなしあり、
一石二鳥の名案なり、
逆賊の汚名の下に虐殺され 「 精神は生きる 」 とか
何とかごまかされては断じて死するに能はず、
昭和維新は我人の手による以外
断じて他の手に委して歪曲せしむる能はず
・・・安藤輝三
4  暗黒裁判
反駁 1 西田税と北一輝、蹶起した人達 
反駁 2 東京陸軍軍法會議公判状況 『 憲兵報告 』 
反駁 3 後事を托された人達
・ 
暗黒裁判 ・幕僚の謀略 1 西田税と北一輝 『はじめから死刑に決めていた』
暗黒裁判 ・幕僚の謀略 2 『純眞な靑年將校は、北一輝と西田税に躍らされた』  
・ 暗黒裁判 ・幕僚の謀略 3 磯部淺一の闘爭 『余は初めからケンカのつもりで出た』 
・ 暗黒裁判 ・幕僚の謀略 3 磯部淺一の闘爭 『北、西田両氏を助けてあげて下さい』
・ 暗黒裁判 ・幕僚の謀略 4 皇道派の追放 
5  処刑
・ 
天皇陛下萬歳 
・ あを雲の涯 
あを雲の涯 ・ 二十二烈士 

6  後

・ 
純眞なる天皇観なるがゆえに 
・ 後に残りし者 

しかし叛逆の徒とは!
叛亂とは!
國體を明かにせんための義軍をば、叛亂軍と呼ばせて死なしむる、
その大御心に御仁慈はつゆほどもなかりしか。
こは神としてのみ心ならず、
人として暴を憎みたまいしなり。
鳳輦に侍するはことごとく賢者にして  
道のべにひれ伏す愚かしき者の
血の叫びにこもる神への呼びかけは
ついに天聽に達することなく、
陛下は人として見捨ててたまえり、
かの暗澹たる広大なる貧困と
青年士官らの愚かなる赤心を。
わが古き神話のむかしより
大地の精の血の叫び声を凝り成したる
素戔鳴尊は容れられず、
聖域に馬の生皮を投げ込みしとき
神のみ怒りに触れて國を逐われき。
このいと醇乎たる荒魂より
人として陛下は面をそむけ玉いぬ。
などてすめろぎは人間となりたまいし
・・・などてすめろぎはひととなりたまいし


この記事についてブログを書く
« 『 昭和維新の春の空 』 青年... | トップ | 『 やられてますよ 』 »