あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

村中孝次 ・ 丹心錄

2017年05月07日 10時12分02秒 | 村中孝次 ・ 丹心錄


村中孝次  
丹心錄
目次
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・ 丹心錄 「 吾人はクーデターを企圖するものに非ず 」 
・ 續丹心錄  「 死刑は既定の方針だから 」 
續丹心錄 「 この十年は昼食、教科書官給の十年なり、 貧困家庭の子弟と雖も學び得る十年なり 」 
・ 
續丹心錄 ・ 第一 「 敢て順逆不二の法門をくぐりしものなり 」 
續丹心錄 ・ 第二 「 奉勅命令は未だに下達されず 」 
續丹心錄 ・ 第三 「 我々を救けやうとして弱い心を起こしてはいけません 」 
續丹心錄 ・ 第四、五、六 「 吾人が戰ひ來りしものは 國體本然の眞姿顯現にあり 」 

村中孝次 ・ 同志に告ぐ 「 前衛は全滅せり 」


丹心錄 「 吾人はクーデターを企圖するものに非ず 」

2017年05月06日 10時08分19秒 | 村中孝次 ・ 丹心錄

 
村中孝次  
丹心錄

贈  妻  靜子
昭和十一年七月六日

吾等は護國救世の念願抑止難く、捨身奉公の忠魂噴騰して今次の擧を敢てせり。
而して一度蹶起するや、
群少の妬心 ねたみ、反感を抱ける者、
吾人の志を成さざらんとして中傷毀貶おとしめる 至らざるなきが如し。
余や憂國概世日夜奔馳すること四周星、歴さに辛苦艱難す。
君盡く是を知る。
即今論難嘲罵集り臻いたるとも些いささかも心頭の動揺なきを信ず。
然りと雖も擧世非とする時、獨り操守して動ぜざるは大丈夫と雖も難しとする所なり。
故に世上に論難非議する所の失當なる所以を事實に即して釋明し、白眼冷視に對して君を守らんとす。
自ら慰め自ら安じ得れば以って足れり、決して蝶々する勿なかれ、人に捜見せしむる勿れ。

第一、今回の決行目的はクーデターを敢行し、
 戒嚴令を宣布し軍政權を樹立して昭和維新を斷行し、
以って 北一輝著 「 日本改造法案大綱 」 を 実現するに在りとなすは 是 悉ことごとく誤れり。
群盲象を評するに非ざれば、自家の曲れる尺度を以って他を忖度量定するの類なり。
一、吾人は 「 クーデター 」 を 企圖するものに非ず、
 武力を以って政權を奪取せんとする野心私慾に基いて此擧を爲せるものに非ず、
吾人の念願する所は一に昭和維新招來の爲に大義を宣明するに在り。
昭和維新の端緒を開かんとせしにあり。
從來企圖せられたる三月事件、十月事件、十月ファッショ事件、神兵隊事件、大本教事件等は
悉く自ら政權を掌握して改新を斷行せんとせしに非ざるはなし。
吾曹盡く是を非とし來れり。
抑々維新とは國民の精神覺醒を基本とする組織機構の改廢ならざるべからず。
然るに多くは制度機構のみの改新を云為する結果、
自ら理想とする建設案を以って是れを世に行はんとして、
遂に武力を擁して權を専らにせんと企圖するに至る。
而して 斯の如くして成立せる國家の改造は、
其輪奐の美瑤瓊なりと雖も遂に是れ砂上の楼閣に過ぎず、國民を頣使し、
國民を抑圧して築きたるものは國民自身の城廓なりと思惟する能はず、
民心の微妙なる意の変を激成し高楼空しく潰へんのみ。
一、之に反し國民の精神飛躍により、擧世的一大覺醒を以て改造の實現に進むとき、
 玆に初めて堅實不退転の建設を見るべく、外形は學者の机上に於ける空想圖には及ばずと雖も、
其の實質的価値の遥かに是れを凌駕すべきは萬々なり、
吾人は維新とは國民の精神革命を第一義とし、
物質的改造は之に次いで來るべきものなるの精神主義を堅持せんと慾す。
而して 今や昭和維新に於ける精神革命の根本基調たるべきは、実に國體に對する覺醒に在り、
明治維新は各藩志士の間に欝勃として興起せる尊皇心によって成り、
建武の中興は當時の武士の國體観なく尊皇の大義に昏く滔々私慾に趨りし爲、
梟雄尊氏の乗じる所となり敗衂せり。
一、而して明治末年以降、人心の荒怠と外國思想の無批判的流入とにより、
 三千年一貫の尊嚴秀絶なるこの皇國體に、社會理想を發見し得ざるの徒、
相率いて自由主義に奔り 「 デモクラシー 」 を謳歌し、再転して社會主義、共産主義に狂奔し、
玆に天皇機關説思想者流の乗じて以て議會中心主義、
憲政常道なる國體背反の主張を公然高唱鞏調して、隠然幕府再現の事態を醸せり。
之れ一に明治大帝によりて確立復古せられたる國體理想に對する國民的認悟得なきによる、
玆に於てか倫敦条約当時に於ける統帥權干犯事實を捉へ來つて、
佐郷屋留雄 先ず慨然奮起し、次で血盟団、
五 ・一五両事件の憂國の士の蹶起を庶幾せりと雖も未だ決河の大勢をなすに至らず、
吾等即ち全國民の魂の奥底より覺醒せしむる爲、
一大衝撃を以て警世の亂鐘とすることを避く可からざる方策なりと信じ、
頃來期する所あり、機縁至って今回の擧を決行せしなり。
藤田東湖の回天史詩に曰く
苟も大義を明かにして民心を正せば皇道奚んぞ興起せざるを患んや 」 と。
國體の大義を正し、國民精神の興起を計るはこれ維新の基調、
而して維新の端は玆に發するものにあらずや。
吾人は昭和維新の達成を熱願す、而して吾人の担當し得る任は、
敍上精神革命の先駆たるにあるのみ、
豈に微々たる吾曹の士が廟堂に立ち改造の衝に當らんと企圖せるものならんや。

第二、吾人は三月事件、十月事件等の如き 「 クーデター 」 は國體破壊なることを鞏調し、
 諤々として今日迄諫論し來れり。
苟も兵力を用ひて大權の發動を鞏要し奉るが如き結果を招來せば、
至尊の尊嚴、國體の權威を奈何せん、 ・・・大谷敬二郎著 『 二 ・ニ六事件 』 で 引用されている 
故に吾人の行動は飽く迄も一死挺身の犠牲を覺悟せる同志の集團ならざるべからず。
一兵に至る迄 不義奸害に天誅を下さんとする決意の同志ならざるべからずと主唱し來れり。
國體護持の爲ニ天劔を揮ひたる相澤中佐の多くが集團せるもの、
即ち相澤大尉より相澤中、少尉、相澤一等兵、二等兵が集團せるものならざるべからずと懇望し來れり。
此数年来、余の深く心を用ひし所は實に玆に在り、
故に吾人同志間には兵力を以て至尊を鞏要し奉らんとするが如き不敵なる意圖は極微と雖もあらず、
純乎として純なる殉國の赤誠至情に駆られて、國體を冒す奸賊を誅戮せんとして蹶起せるものなり。
吾曹の同志、豈に政治的野望を抱き、
乃至は自己の胸中に描く形而下の制度機構の實現を妄想して此擧をなせるものならんや。
吾人は身を以て大義を宣明せしなり。
國體を護持せるものなり。
而してこれやがて維新の振基たり、
維新の第一歩なることは今後に於ける國民精神の変移が如實にこれを實證すべし、
今、百萬言を費すも物質論的頭脳の者に理解せしめ能はざるを悲しむ。
一、吾人の蹶起の目的は 蹶起趣意書 に明記せるが如し。
 本趣意書は二月二十四日、北一輝氏宅の佛間、
明治大帝御尊象の御前に於て神佛照覧の下に、余の起草せるもの、
或は不文にして意を盡さずと雖も、
一貫せる大精神に於ては天地神冥を欺かざる同志一同の至誠衷情の流路なるを信ず。
真に皇國の爲に憂ひて諌死奉公を期したる
一千士の純忠至情の赤誠を否認せんとする各種の言動多きは、
日本人の權威の爲に悲しまざるを得ず。
一、軍政府樹立を企圖せりと謂ひ、或は組閣名簿の準備ありしと言ふ、
皇族殿下を奉じて軍政府を樹立し、改新を斷行せんとするは
陸軍一部幕僚の思想にして、吾人は是に反對するものなり。
軍政府樹立、而して戒嚴宣布、是れ正に武家政治への逆進なり、
國體観上吾人の到底同意し能はざる所なりとす。 ・・・大谷敬二郎著 『 二 ・ニ六事件 』 で 引用されている 
また今日果たして政治的径論を有する軍人存するや否や、
軍政府なる武人政治が國政を燮理して過誤なきを得るや否や。
國民は軍部の傀儺となり其頤使を甘受するものに非ず、
軍權と戒嚴令とが万事を決定すべしとは、中世封建時代の思想なり、
今の國民は往時の町人のみに非ず、一路平等に大政を翼賛せんとする自負と慾求とを有す。
劔を以て満州を解決せしが如く、
國内改造を斷行し得べしとする思想の愚劣にして危険なるを痛感しあり、
從つて吾人は軍政權に反對し、
國民の一大覺醒運動による國家の飛躍を期待し、
これを維新の根本基調と考ふるものなり。
吾人は國民運動の前衛戰を敢行したるに留る、
今後全國的、全國民的維新運動が展開せらるべく、玆に不世出の英傑蔟出、
地涌し大業輔弼の任に当たるべく、 これを眞の維新と言ふべし。
国民のこの覺醒運動なくしては、
区々たる軍政府とか或は眞崎内閣、柳川内閣といふが如き出現によって
現在の國難を打開し得べけんや。

村中孝次 丹心録
二・二六事件 獄中手記・遺書 河野司 編 から

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續丹心錄 「 死刑は既定の方針だから 」

2017年05月05日 09時49分24秒 | 村中孝次 ・ 丹心錄

 
村中孝次  
續丹心錄

一、昭和十一年七月五日
 午前九時より判決の宣告ありて十七士死刑を宣せらる。
一、判決文に於て不肖等の國體を護持せんとせし眞精神を認め、
 而して 建軍の本義を破壊せる罪惡むべしとなして、
臨むに最大限度の極刑を以てせることを示されたり、
果して然らば
國體破壊の事實を眼前に見ながら、軍人は袖手傍観すべしとなすか、
帝政露西亜の崩壊するや
最後迄宮廷を守護し戰って殉じたるは士官學校、幼年學校の生徒なりき。
斯る最後の場面に立到らざる爲に、
帝政露西亜の純情なる 「 カデット 」 が皇室に殉ぜしと異りて、
日本の青年將校、日本の武學生は國體破壊を未然に防止する爲、敢死して戰ふなり、
軍秩序の破壊の如き微微たる些事、
これを恢復するは多少の努力を以てすれば足る、
國體の破壊は神州の崩壊なり、眞日本の滅亡なり、
故に他の一切を犠牲にして國體護持の爲に戰はざるべからず。
我國體は万國冠絶唯一獨在のものなり、
而して 三千年一貫連綿せる所以のものは、
上に神霊の加護冥助あると、歴代聖徳相承けしとによるは勿論と雖も、
又此の皇國體を護持發展せしめんとし國民的努力を無視すべからず、
上下この努力を以て万國冠絶を致せるもの豈一日偶然に生じたるものならんや、
千丈の堤も一蟻穴より崩る、
三千年努力の結晶も天皇機關説、共産思想の如き目に見えざる浸潤によりて崩壊せらる、
萬國冠絶なるが故にこれを保持し、更に理想化する爲、
今後國民の絶對翼賛を要することを全國民と其後昆に宣言せんと欲するものなり、
國體の爲には一切を放擲し、一切を犠牲にせざるべからず。
一、我國體は上に萬世一系連綿不變の天皇を奉戴し、
 この萬世一神の天皇を中心とせる全國民の生命的結合なることに於て、
萬邦無比と謂はざるべからず、我國體の眞髄は實に玆に存す。 ・・・大谷敬二郎著 『 二 ・ニ六事件 』 で 引用されている
一、天子を中心とする全國民の渾一的生命體なるが故に、
 躍々として統一ある生命發展生生育化を遂ぐるなり、
これを人類發展の軌範的體系といふべく、之を措いて他に社會理想はあるべからず。
一、我國體の最大弱点は又絶對長所と、表裏の關、
 天皇絶對神聖なるに乗じ、天皇を擁して天下に號令し、
私利私慾を逞ふせんとするものの現出により、日本國體は又最惡の作用を生ず。
蘇我、藤原氏の専横、武家政治の出現、近くは閥族政治、政黨政治等比々然り。

天皇と國民と直通一體なるとき、日本は隆々發展し、
權臣武門両者を分斷して専横を極むるや、
皇道陵夷して國民は塗炭す、歴史を繙けば瞭然指摘し得べし。
全日本國民は國體に對する大自覺、大覺醒を以て其の官民たると職の貴賤、
社會的國家的階級の高下なるとを問はず、
一路平等に天皇に直通直參し、天皇の赤子として奉公翼賛に當り、
眞に天皇を中心生命とする渾一的生命體の完成に進まざるべからず。
故に不肖は、日本全國民は須らく眼を國家の大局に注ぎ、
國家百年の爲に自主的活動をなす自主的人格國民ならざるべからざることを主張するものなり。
國民は斷じて一部の官僚、軍閥、政黨、財閥、重臣等の頣使に甘んずる無自覺、
卑屈なる奴隷なるべからず、又國體を無視し國家を離れたる利己主義の徒なるべからず、
生命體の生命的發展は自治と統一とにあり、
日本國家の生々躍々たる生命的發展は、自主的自覺國民の自治 ( 修身齊家治國 ) と、
然り而して この自覺國民が一路平等に ( 精神的にこれを言ふなり、形式の問題にあらず )
至尊に直通直參する精神的結合によりて發揮せらるる
眞の統一性によりてのみ期待し得べし、
天皇と國民とを分斷する一切は斷乎排除せざれば日本の不幸なり、國體危し。
一、七月十一日夕刻前、
 我愛弟安田優、新井法務官に呼ばれ煙草を喫するを得て喜ぶこと甚し、
時に新井法務官曰く
「北、西田は今度の事件には關係ないんだね、
 然し殺すんだ、死刑は既定の方針だから已むを得ない 」
 と。

又、一同志が某法務官より聞きたる所によれば
「今度の事件終了後は多くの法務官は自發的に辭めると言ってゐる、
こんな莫迦な無茶苦茶なことはない、皆法務官をしてゐることが嫌になった」 と。
又、一法務官は磯部氏に
「 村中君とか君の話を聞けば聞く程、君等の正しいことが解って來た、
 今の陸軍には一人も人材が居ない、
軍人といふ奴は譯の解らない連中許りだ 」

と 言って慨嘆せりといふ。
澁川氏は一として謀議したる事實なきに謀議せるものとして死刑せられ、
水上氏は湯河原部隊に在りて部隊の指揮をとりしことなく、
河野大尉が受傷後も最後まで指揮を全うせるにも拘らず、
河野大尉受傷後、水上氏が指揮者となりたりとして死刑に処したり。
噫 昭和聖代に於ける暗黒裁判の狀斯くの如し、是れを聖代と云ふべきか

本事件は在京軍隊同志を中心とし、
最小限度の犠牲を以て、國體破壊の國賊を誅戮せんとせしものなり。
故に 北、西田氏にも何等關係なく
( 勿論事前に某程度察知したるべく、且不肖より若干事實を語りしことあり、
又事件中、電話にて連絡し北氏宅に參上せしことあるも相談等のためにあらず )、
東京、豊橋以外は青年將校の同志といえども何等の連絡をなさず
( 菅波大尉、北村大尉宛手紙を托送せるも入手せるや否や不明、
而もその内容は事件發生をほのめかし自重を乞ひしものなり )
然るに是等多くの同志に臨む極刑を以てせんとしつつあり。
暗黒政治、暗黒裁判も言語に絶するものあり、
不肖斷じてこれを黙過する能はず、
即ち 刑死後直ちに、至尊に咫尺し奉りて、
聖徳を汚すなからんことを歎願し奉らんとするものなり。
一、香田氏以下十五の英霊よ、
 暫く大内山の邊りに在りて我等兩者の到るを待て

昭和十一年七月十四日午前誌

村中孝次 丹心録
二・二六事件 獄中手記・遺書 河野司 編 から

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續丹心錄 「 この十年は昼食、教科書官給の十年なり、 貧困家庭の子弟と雖も學び得る十年なり 」

2017年05月05日 01時01分14秒 | 村中孝次 ・ 丹心錄

  
村中孝次  

續丹心錄

一、話によれば、
 陸軍は本事件を利用して昭和十五年度迄の尨大軍事豫算をせいりつせしめたりと、
而して不肖等に好意を有する一參謀將校の言ふに
「 君等は勝つた、君等の精神は生きた 」 と。
不肖等は軍事費の爲に劍を執りしにあらず、
陸軍の立場をよくせんが爲に戰ひしにあらず、
農民の爲なり、庶民の爲なり、救世護國の戰ひなり、
而して其根本問題たる國體の大義を明かにし、
稜威を下萬民に遍照せらるゝ體制を仰ぎ見んとして慾して、特權階級の中樞を討ちしなり。
不肖等は國防の危殆に就て深憂を抱きしものなり、
兵力資材の充實一日も急を要する事を痛感しあるものなり、
然れども 尨大なる軍事予算を火事泥式に鞏奪編成して他を省みざるは、
國家を愈々 危きに導き、國防を益々不安ならしむるものなり、軍幕僚のなす所斯くの如し。
或は 言ふ 昭和十五年度より義務教育年限が八年に延長せらるる、
これ 君等の持論貫徹ならずやと。

謬見も甚し。 ( あやまり ) 
「 
日本改造法案大綱 」 には 義務教育十年制を主張しあり、・・< 註 1 >
この十年と夫の八年と相似たりと雖も、根本精神に於て天地の差あり、
この十年は昼食、教科書官給の十年なり、
貧困家庭の子弟と雖も學び得る十年なり、
夫の八年は獨乙の義務教育年限を直譯受入れての八年なり、
六年生に於てすら地方農民は非常なる經營困難にして、職員に對する俸給不渡りに陥り、
又 弁當に事欠く 欠食児童を多發しあるに非ずや、
八年制の地方農村漁村に与ふる惨害や思ひ半ばに過ぐ、
不肖等は頃來 義務教育費全額國庫負担を主張し來れり、
地方自治體はこれによりて大いに救はるべし、
更に一歩を進めて教科書、昼食等を官給せば、児童と其父兄とは又大いに救はるべし、
然る後に教育年限を八年とすべく十年とすべし。
今の八年制は形骸を學んで大いに國家を謬あやまるもの、官僚の爲す所 斯くの如し。

要するに軍幕僚と新官僚の結託なる寺内ケレンスキー時代に於ける施政は、
口に國政一新を稱導して其爲す所 形式に捉はれ、民を酷使し 國運民命を愈々非に導くものなり、
庶民は益々負担の過重に塗炭し、窮民野に満つるに至る、
民、壓政に憤り、天、不義に震怒す、
ケレンスキー時代はレーニンの出現の爲に其出現を容易ならしむべき準備をなしつつあるものなり、
全國民は宜しく機に乗じ 一齊に蹶起して軍閥官僚を一切否認し、
而して財閥政黨を打倒して、これ等一切の中間存在特權階級を否認排除して、
至尊に直通直參し奉らざるべからず。

不肖は階級打破を言ふものにあらず、
階級を利用して地位を擁して不義を働く者の一切を排除し、
之に代ふるに地蔵菩薩的眞の國家人を以てせば、
輔弼を謬るなく國政正しく運營せられ、民 至福を得、國家盤石の安きを得ん。
之が爲 政党、財閥に代りて暴威を逞ふしつつある軍閥官僚を一洗清掃して、
眞に尊皇臣民にして民の至幸至福を念願する英傑を草莽 そうもう の間より蹶起せしめるべからず、
今の批政、今の不義に憤激蹶起することなき卑屈精神的堕落ならば破滅衰亡に赴く民族にして、
何等將來に期待すべからず。

然れども日本民族魂は斷じて然らざるべし、
大和民族の生成發展は今後に期待さるべきもの、必ずや窮極まつて通ずること邇 ちか からん。
唯々 天の震怒を全國民の憤激に移し、
一齊蹶起、妖雲を排して至誠九重に通ずる慨あるを要す。
七月十五日午前記

村中孝次 丹心録
二・二六事件 獄中手記遺書 河野司 編 から
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
< 註 1 >
註九。
國民教育ノ児童ニ對シテ無月謝教科書付中食ノ學校支弁トスル所以ハ、
國家ガ國家ノ児童ニ對スル父母トシテノ日常義務ヲ課スモノナリ。
現今ノ中學程度ニ於ケル月謝ト教科書トハ一般國民ニ對スル門戸閉鎖ナリ。
無月謝ヨリ生ズル負担ハ各市町村此レヲ負フベク、
教科書ハ國庫ノ經費ヲ以テ全國ノ學校ニ配布スベシ。
中食ノ學校支弁ノ理由ハ第一ニ登校児童ノタメニ毎朝母ヲ勞苦セシメザルコトナリ。
第二ノ理由ハ其ノ中食ニ一塊の 「 パン 」 薩摩芋麦ノ握飯等ノ簡單ナル粗食ヲナサシメ。
以テ滋養価値等ヲ云々シテ眞ノ生活ヲ悟得セザル科學的迷信ヲ打破スルニアリ。
第三ノ理由ハ幼童ノ純白ナル頭脳ニ口腹ノ慾ニ過ギザル物質的差等ヲ以テ
一切ヲ髙下セントスル現代マデノ惡徳ヲ印象セシメザルニ在リ。
學校トシテハ簡單ナル事務ニシテ、
若シ児童ノ家庭ガ惡感化ニヨリテ食事ヲ肯シゼザル者アラバ
教師ノ權威ヲ以テ其ノ保護者ヲ召喚訓責スベシ

・・・日本改造法案大綱 (10) 巻六 國民ノ生活權利 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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続丹心録 ・ 第一 「 敢て順逆不二の法門をくぐりしものなり 」 に 続く


續丹心錄 ・ 第一 「 敢て順逆不二の法門をくぐりしものなり 」

2017年05月04日 12時11分38秒 | 村中孝次 ・ 丹心錄

 
村中孝次
續丹心錄

第一、
吾人は全國民的進軍の動機を打ち出さんと欲せるものなり、
眞崎内閣説の如きは吾人の擧を豫知せる山口大尉、龜川氏等の自發的奔走にして、
吾人と何等の關係なく行はれたるもの、
吾人は更に根本的なる問題として、軍を擧げて維新的進軍をなさしむる爲、
我等の行動を容認し、且 我等と行を共にして奸賊討滅の事をなすすべきを軍當局に希望せり。
此の種の行動の直後に自ら政權を掌握せんと欲し、
或は 某々内閣出現を目的として不穏行動を目論みし過去幾多の例と吾人とは根本の立脚点を異にす。
況や閣僚を予定し、組閣の準備ありしといふが如きに至りては、全く根拠なき浮説に過ぎず。
一、昭和維新の斷行とは臣下の口にすべき言にあらず、
 吾人は昭和維新の大業聖猷を翼成せんが爲、我等軍人たるものの任とすべき、
且 吾人のみに負担し得ることとして、今回の擧は喫緊不可欠たるを窃に感得し、
敢て順逆不二の法門をくぐりしものなり、
素より一時聖徳に副はざる事あるべきは萬々覺悟、
然して此擧を敢てせざれば何れの日にか此の國難を打開し得んや。
一、日本改造法案大綱 」 は 頃日愛讀して思想的に啓發せられし所大なりと謂はざる得ず、
 然れども 今回の擧に於いては同書に掲げたる國家機構を一の建設案として、
これが現出を企圖せりと言ふが如き事實なし、
吾人が平素一の建設理想を有するといふことを以て、
直ちに今回その実現を企圖せりと爲すは、理論の飛躍なり。
吾人は、理想社會現出の爲には、
その前提として國體破壊の元兇を誅して皇權恢復、國體護持を期せると、
然り而して これによる國民精神の覺醒とを目的として蹶起せるものなり、
これ實に維新の基調たり端緒なること前論の如し、
權恢復と之れに伴ふ國民信仰復活興起に次で、
制度機構の改造は始めて着手せらるべきは理勢自ら明かなり。
吾人は皇權恢復を吾人の任とせるもの、其後に來るべき維新の大業に翼賛し得るや否やは、
一に天命の有ると無きとに關す、吾人の餘期し思考し得る範囲ならんや。
人言ふ 「 建設計畫なき破壊は無暴なり 」 と、
何をか建設と言ひ 何をか破壊といふか、
吾人の擧は一に破邪顯正を以て表現すべし、
破邪は即顯性なり、破邪顯正は常に不二一體にして事物の表裏なく、
國體破壊の元兇を誅戮ちゅうりくして大義自ら明らかに、大義確立して民心漸く正に歸す、
是れを これ維新といふべく、少なくとも維新の第一歩にして且其の根本なり、
討奸と維新と豈二ならんや。
一、蹶起以來二月二十九日迄、維新工作を実施せるに非ずやと人は言ふ、
 然り 維新實現を希望し、其端緒を開かんとして各種の努力を試みたり。
イ、
二月二十六日朝、陸相に對し宇垣一成、南大將等の捕縛或は保護檢束を要望し、
 且時局解決は維新に向ふら非ざれば、収拾の途なきことを進言せり。
ロ、同日午後、次官を通じて宮中に在りし陸相に對し、蹶起部隊を義軍と認むるや否やの決定を求めたること。
ハ、同夜軍事參議官に會見し、種々工作せること。
ニ、二月二十七日午後、眞崎大將に対し時局収拾を一任し、
 軍事參議官一同、同大將を中心として盡力ありたく旨を申出でたること。
ホ、維新實現の爲、小藤部隊を成るべく長く南部麹町地區に在らしむる様献策し、
 且撤退の奉勅命令の下らざる様努力せること。
以上は盡く維新へ誘導せんとする工作ならざるはなし。
其他細説すれば尚各種の努力を傾倒せり。
吾人は維新の前衛戰を戰ひしなり、獨斷前衛戰を敢行せるものなり、
若し本體たる陸軍當局が此獨斷行動を是認するか、
若しくは此戰闘に加入するかにより、
陸軍は明らかに維新に入る。
これに従つて國民がこれに賛同せば、これ國民自身の維新なり、
而して至尊大御心の御發動ありて維新を宣せらるとき、
日本は始めて維新の緒に就きしものなり、

余はこれに翼願し、これを目標とし、蹶起後に於て専念この工作に盡力せり、・・・大谷敬二郎著 『 二 ・ニ六事件
』 で 引用される
然れどもこれが蹶起の眞目的にして、重臣を襲撃せるは手段に過ぎず、
斯くの如く維新を斷行して 「 日本改造法案大綱 」 の如き國家改造を企圖せるものなりと云ふものあらば、
これに戰理を説明するの煩わずらいを爲さざるを得ず。
バルチック艦隊を迎撃する目的の爲に旅順を攻陥し、港内の敵艦を撃滅するを要し、
これが爲の手段として先づ 二〇三高地を奪取する方針は、
大本營 或は第三軍司令官の作戰方針としては妥當なり、
然れども 二〇三高地攻撃部隊の指揮官が同地攻撃を以て自己の目的にあらず、
手段なりと考ふるは顚倒事ならずや、
維新御斷行に依る國家改造の實現は吾人究極の希望として目的とする所なり、
然れども現在吾人の爲すべき任務は二〇三高地の奪取にあり、
之を目的として全力を擧げて奮戰し、而も幾度か占領し、幾度か奪還せられしにあらずや、
實に然り、從來幾度か計畫され企圖されし武力行使は、盡く未發失敗に終りしに非ずや、
我等より遥かに高き地位と、より大なる利便とを有し、
而も實施容易なる時機に於て企圖せられしものにして盡く然りしなり、
今や官憲の耳目は盡く我等の上に注がれあり、
吾人の動向は軍當局の爲に盡く抑壓せられつつあり、
この危険にして困難なる事態に於て、微力我等の如き自ら量らずして蹶起せるものなることを冷靜に考へ見よ。
維新の大號令間髪を満腔より熱願せり、
然れども叡慮如何は吾人の憶測餘斷を容すことならんや、
吾人は不義討滅----其結果として大義宣布、民心一新即維新----を以て目的として主眼となしたり、
而してこれが達成に全努力を傾倒せり、
即ち吾人は、二〇三高地攻撃の一部將校にして、
二〇三高地占領即旅順攻略の端緒を爲すことを目的とすれば足れり、
旅順攻陥は然り而して戰爭全局の勝利とは爾後第三軍司令官乃至大本營の作戰に俟つべきものにして、
吾人は第三軍司令官にあらず大本營幕僚にあらざることを知れば、釋然これを了得すべし。
一、「日本改造法案大綱 」 の建設を行はんとして直接行動を行ひ、
 志を得ずして失敗せるものなりとなすは結果論なり、 皮相の見たるを免れず、
事の結果を論じて、不徹見、無思索なる解釋を下さんとする態度のものあるに吾人は嫌厭 けんえんたらざるを得ず。
我等が蹶起前、所期の目標を誅戮することに全幅的努力を以て準備せるが、
如何に企圖の未然暴露に戰々兢々たりしか、
如何なる經緯を以て同志を糾合し、其決意を固めたるかに想到し、
我等の苦心の存したる所を察せず、所期の目的は略々達成せり、
吾人は大なる成功を克ち得たるものなることを斷言す、
而して此成功を基点とし、出發點として、
維新回
の具体的工作を種々試みたるも完全に戰果を拡大し得ざりしのみなり。
吾人は一武將として二〇三高地を占領し、完全に初期任務を達成せるものなり、
唯これを直ちに旅順攻落まで發展せしむる一人の乃木將軍なかりしのみなり。

村中孝次 丹心録
二・二六事件 獄中手記遺書 河野司 編 から 

前頁  続丹心録 「 この十年は昼食、教科書官給の十年なり、 貧困家庭の子弟と雖も学び得る十年なり 」 の  続き
本頁  
続丹心録 ・ 第一 「 敢て順逆不二の法門をくぐりしものなり 」 
次頁  続丹心録 ・ 第二 「 奉勅命令は未だに下達されず 」 に 続く


續丹心錄 ・ 第二 「 奉勅命令は未だに下達されず 」

2017年05月04日 09時31分27秒 | 村中孝次 ・ 丹心錄

 
村中孝次  
續丹心錄

第二
二月二十七日、
蹶起部隊は小藤部隊として戒嚴軍隊に編成され、南部麹町地區警備に任ぜしめられ、
大なる獨斷行動は至尊の御容認せらるる所となりたるに拘はらず、
逆賊の汚名を冠せられて討伐の厄に遭ひ、且 將校二十氏の免官處分を見たるは、
吾人が奉勅命令を遵奉せず、大命に抗したる徒なりとて宣傳せられたるに由る。
然れども事實は斷じて然らす、
蹶起部隊將校は監禁せらるゝ最後の瞬間まで、一人として奉勅命令の傳達を受けたる者もなく、
又 奉勅命令に基く直属指揮官の命令を受領せるものなし。
其の經緯は左の如く、
從って 吾人は大命に抗するが如き不逞不臣の徒にあらざることを斷言せんと欲す。
一、二月二十六日 戰時警備令下令せらるるや
 蹶起部隊は第一師團長の隷下に於て小藤支隊として編成され、
小藤大佐の指揮に属し、
戒嚴令宣布せらるるや、
引續き小藤部隊として第一師團長の隷下に属し、南部麹町地區警備の任を受く。
而して 二十七日午後、第一次小藤支隊命令下達せられて、
こらに基き各部隊は夫々各大臣官邸、山王ホテル、幸楽等に配宿し、
完全に小藤大佐の指揮下に掌握せらるゝに至れり。
一、然るに翌二十八日朝、
 首相官邸に在りし近衛歩兵三聯隊、中橋中尉に対し、近歩三聯隊長より電話による命令あり、
中橋中尉は通信手の筆記せる該命令を受領してこれを栗原中尉に示し、
栗原中尉は當時支隊本部宿舎と定められたる鐡相官邸に來り、是を余等に示す。
其の内容左の如し。
「 一、奉勅命令により中橋部隊は小藤大佐の指揮に入らしめらる。
 二、奉勅命令により中橋部隊は現在地を撤し歩兵第一聯隊に至るべし 」
右は通信紙に筆記したるものにして、命令の形式を備へず、
「奉勅命令」なる語を反覆使用しあるも、余は何の意なるかを判斷するを得ず、
且 一昨二十六日来、小藤大佐指揮下に在る中橋中尉に對し、
傍系なるべき近歩三聯隊長より 今に至り 斯の如き命令を下達せらるゝは不可解の事に属し、
殊に 「 歩兵第一聯隊に至るべし 」
と あるは麹町地區警備の任にある小藤部隊の任務を知らずして、
「 小藤大佐の指揮に入る 」 べきことを以て直ちに斯く誤解したるにあらずやと考へ、
余は栗原中尉より該命令筆記を受領し、
直ちに陸相官邸なる小藤大佐の許に至り、該筆記を呈し告ぐるに、
「 本命令は何等かの誤解に基くものと判斷せらる、爾後指揮の混亂を來さざる様、近歩三聯隊長に對し御交渉願ひ度し 」
を以てし、同大佐は之を諾せり。
一、小藤大佐の室を出て柴有時大尉に会ふ、
 大尉曰く
「 本朝戒嚴司令部内の空氣惡化して諸子を現位置より撤退せしめんとして、
 これに關する奉勅命令を仰がんとする形勢あるを知り、
山口大尉に之を告げるに同大尉は驚愕措く能はず、
直ちに戒嚴司令官、軍事參議官等に会見して これを抑止すべく努力中なり 」
と。
時偶々 満井中佐來り、
香田大尉他一、二名も來合せたり、
余、満井中佐に對し告ぐるに柴大尉の言を以てし、
且 維新遂行の爲小藤部隊を現位置にあらしむることの切要なる所以を力説し、
同中佐に委嘱するに戒嚴司令官等に極力工作することを以てす。
満井中佐は 「 成否は不明なるも努力せん 」
と答へ、且
「 昨日來、石原大佐等奔走により維新の大詔渙發せんとする運びに至りしも、
 各閣僚は辭表を捧呈しある爲 副書し得ず、
爲に渙發を見ざるなり、形勢斯くの如く、諸君の意志は必ずや貫徹せん、決して大義を誤る勿れ 」
 と。
一、満井中佐及柴大尉去りし後、山口大尉來邸す、
 余の顔を見るや落涙して曰く、
「 本早暁、柴大尉より形勢惡化を聞き、種々奔走せるも我微力及ばず、策盡きたり 」
 と。
余言ふ
「 尚一策あり、統帥系統を經て意見を具申せん 」 と。
山口大尉賛同。
小藤大佐に意見を具申する所あり、
玆に於てか小藤大佐は鈴木貞一大佐、山口大尉と共に第一師團司令部に至り、
堀師團長に是らに關し意見を具申せり。
余は香田、竹嶌、對馬の三氏と共にこれに同行して第一師團司令部に至り、
參謀長室に於て待ちありしが、稍々ありて參謀長舞大佐來り、
「 奉勅命令は未だ第一師團に下達せられず、安心せよ、唯、冀くは余り熱し過ぎて策を失する勿れ 」
と告ぐ。
次で堀師團長は偉軀温顔、余等の前に現はれ、
「 戒嚴司令部に於ては、奉勅命令は今實施の時機にあらずと言へり、
 近衛師團が小藤部隊に對して不當の行動に出づる時は我亦期する所あり、心を勞する勿れ 」

と云ふ、
余等喜色満面、一大安心を得て陸相官邸に歸來せり。
一、陸相官邸に歸來後、山下奉文少將來りて余等を引接す、
 之より先、
磯部氏は今朝來の余等の行動とは全く關係なく、單獨戒嚴司令部に至り、
石原大佐及満井中佐と折衝して小藤部隊を現位置にあらしむ必要を力説主張したる後、
陸相官邸に來り、栗原中尉も次いで參集し、
茲に香田、磯部、栗原、野中及余の五名は鈴木大佐、山口大尉等立会ひの下に山下少將に會見す。
山下少將曰く
「 奉勅命令の下令は今や避け得られざる情勢に立至れり、若し奉勅命令一下せば諸子は如何にするや 」 と。
事重大なるを以て協議の猶餘を乞ひしが、十數分にして山下少將再び來りて返答を求む。
一同黙然たりしも、栗原中尉 意見を述べて曰く
「今一度統帥系統を經て、陛下の御命令を仰ぎ、一同、大元帥陛下の御命令に服従致しませう、
若し死を賜るならば、侍従武官の御差遺を願ひ、將校は立派に屠腹して下士官兵の御宥しを御願ひ致しませう 」
と 且泣き、且云ふ、
一同感動せらるること深く余等これに同意す。
暫くありて堀師團長及小藤大佐來り、栗原中尉より同一の意見を述べたり。
一、余、事重大にして將校一同に相談し了解せしむる必要ありと思ひ、香田大尉と圖り將校全員至急に參集を乞へり。
 然るに 安藤大尉外二、三士參集せず、
時に余、一同志の問に答へて
「 自刃でもせねばならぬ形勢になりつつあるを以て一同に相談したしと思ふ 」
と云ふや、清原少尉 憤然席を蹶って去る、
茲に於て余自ら安藤大尉に參集を促さんものと思ひ、幸楽に至りしが、
同所の部隊は、戰闘準備を整へ殺気充満し、下士官兵は余を扼して安藤大尉に近づくを得しめず、
遙かに 「 何事ぞ 」 と問ふに、
「 前面の近衛部隊攻撃を開始せんとする形勢にあり、今より出撃す
と答ふ、
余勧告して之を制止せんとするも、怫然色をなして到底肯んずる色なし、
即ち他の同志と相談し援助を乞はんと思ひ、
「 余、再び來るまでは決して出撃する勿れ 」
と警めて歸る。
陸相官邸に入るや磯部、栗原両氏余を呼んで曰く
「 吾人は自刃するを本旨とするにあらず、陛下の御命令に從はんとするものなり、
栗原中尉より山下少將に答へたる所はこの意味なり 」 
と、
余亦 「 大命に従って吾等の行動を律すべきのみ 」
と答へ、之を他に計らんとす。
然るに此時既に陸相官邸を去りし者多く、
偶々北氏より電話ありて余 數分問答の後、電話室より歸り見れば、
既に全員去りし後にて、
僅かに玄關附近に於て一士の急ぎ離邸せんとするを認め、
事情を訊ねしに、
「 各方面に於て全面より攻撃を受くる形勢にある報を受け、一同警備線に就けるなり 」
と答ふ、
余、嗟嘆して思ふ
「 事成行に委す外なし 」 と。
一、安藤大尉は前夜來、赤坂方面の近衛部隊が頻りに對敵行動をとりつつありて、
 今朝來、特に其行動顯著にして、方に攻撃を受けんとする情勢にあるのみならず、
偶々 清原少尉が馳せ来り、怫然として 「 同志が自刃せんと云ひつつあり 」
と告げしを以て痛憤禁ずる能はず、部下に対し 「 戰闘準備 」 を令せるなり。
余この事情を知悉するに由なく、前述の如く陸相官邸に歸り、
磯部、栗原両氏と對談中、
陸相官邸に參集しありし一同に對し 「 幸楽に集れ 」 と伝へしものありて、
香田大尉を始め続々幸楽に趣きつつ
同所に於ける彼我切迫せる事態に刺激せられて、
夫々担任の警備線に就けるものなり、余 亦、これを知る能はざりき。
一、余は事態の推移するところ、早晩皇軍相撃つの悲惨時を惹起するものと判斷し、
 且 皇國維新の祭壇に千數百士の頸血を濺ぐこと
亦 避くべからざる犠牲なるかと観念して官邸の門を出づ。
行くこと数百歩、新議事堂東南角路上にて堀師團長の自動車に遭ふ。
堀師團長曰く 「 何故最前の決心を變化したるか 」 と。
余答へて曰く
「 大命に從はんとする決心に些かも変化なし、
 只 攻撃を受くるならば潔く討死せんと云ひて夫々警備線に就けり、
今や如何ともする能はず、冀くば吾人の死屍鮮血の上に維新を建設せられんことを 」
 と。
師團長は 「 夫れはいかん、夫れはいかん 」 と 連呼して去れり。
これ午後一、二時頃ならん。
一、其後は施すに策なしと思ひ、事態の推移を待つのみ、夜に入りて攻撃を受くること愈々明瞭となり、
 夜襲を受くとの情報もありて警戒を嚴にす。
二月二十九日未明前、野中部隊に從つて新議事堂に移る、
未明時拡聲器を以て宣傳しつゝあるを聞く。
「奉勅命令」なる語を二回耳にせるも他は聽取する能はず、
我等に賊名を着せて討伐する意圖なるべしと直感して、悲憤禁ずる能はず。
一、午前八、九時頃、飛行機より下士官等に對する宣傳ビラ撒布せらる、
 本ビラは戒嚴司令官の名を以て奉勅命令の下令せられたることを明示し、
下士官兵に歸營を促したるものなり。
茲に於て部隊を集結して歸營することに決す。
栗原、坂井 其他二、三士も來り同様の意見を述べ、
午後多少の經緯をへたるも部隊を歸還せしめ、
將校は陸軍省に參集し拘禁せらるゝに至れり。
一、以上は主として余の關知せることなるも此の間
 「 奉勅命令の發令は避け得られず 」 と云ふことを再三回耳にしたるも、
遂に 「 奉勅命令下令せられたり 」 とは何人よりも聞かざる所、
又 特に小藤大佐より奉勅命令に基く命令を下達せられたることも、
又 其意圖あることも更に耳にせることなし、
余個人のみならず、
余の接触せる範囲に於て同志の何人よりも此事あるを嘗て聞かず、
而も二月二十八日早朝より外囲部隊の行動は明らかに敵意を示し、
我に攻撃を加へんとするものの如く、
且 吾人を攻撃せんとする情報は外部より頻々として伝へられ、
爲めに蹶起将校は前任務に基き 夫々警備線を固守し、
不當攻撃を受くるときは潔く憤死せんと決せるのみ、豈大命に抗するものならんや。
一、右の外、これに關し公判を通じて知り得たる所を以下論述せん。
一、小藤部隊を撤退せしむべき奉勅命令は、二月二十八日早朝、戒嚴司令官に下令せられ、
 小藤大佐は之れに基く命令を第一師團より受領せしが、同朝、余等の激昂しあるを見て、
同命令を下達するの危険なるを慮りて下達するに至らず、
更に山下少將と會見時、栗原中尉が代表して
「 大命に服従し奉る 」 と述べたるに力を得て、
この機を逸せず奉勅命令を下達せんと欲して、全將校の集合を命じてるに、
全員集まらざるに四散して遂に下達する機會を逸したるも、
其の後各部隊に至り實質的に命令を下達せりと陳述したるが如し。
小藤大佐の、實質的に奉勅命令を下達せりとは 如何なる意味なるか極めて不明瞭にして、
これに関しては何等具體的陳述なし、
これを蹶起將校の側より見れば、
二月二十九日早朝、小藤大佐は山王ホテルに來り、
香田大尉に對し兵員の集合を命ぜしを以て、これに應じて下士官兵を集合せしめたるに、
同大佐は一同に對し、「 余に從つて呉れ 」 と論し、
香田大尉も亦 再三、聯隊長に随従すべきを勧告せるも應ずるものなかりきと云ふ。
而して 右は下士官兵に告諭したるに留り、將校以下に対する命令と感ずる言動は、
其他の機會を通じ一切なかりしなり。
又、同大佐は首相官邸に至り、林少尉其他に對し
「 此の兵を率ひて満洲の野に戰へば殊勲を奏せん 」 等と感慨を漏したるのみにして、
何等奉勅命令乃至撤退のことに触れず、
以上の外 何等命令を下したりと認められる可き事實存せず。
小藤大佐の立場に就ては、言辭を盡すに謝する能はざるものあり、
然れども正式に命令を下達せられざるは勿論、
小藤大佐の言ふが如く
「 實質的に命令を下達せり 」 と認められるべきもの更になし。
一、二月二十八日夜、
 小藤大佐は到底指揮の行はれざるを悟り、指揮を放棄して警備地區を去り、
師團長に其旨を復命し、其指揮權は解除せられたり。
然れども之れに關し、蹶起部隊は何等の命令を受くることなく、
最後迄小藤部隊長の指揮下にありと信じありしも、
指揮全く行はれざるのみか、
外周部隊が攻撃し來ること愈々顯著となりし爲、
去就に迷ひつゝ二十九日になり最後の場面に到りしものなり。
一、之れを要するに 奉勅命令に基く支隊命令は、
 小藤大佐より隷下部隊に下達せられたる事實は全くなく、
之れに反し外周にありし近衛部隊は、
二月二十八日朝より 敵對的行動をとり、同日夕以降は第一師團各隊も亦攻撃態勢をとりたり。
茲に於て蹶起部隊は、
當初命ぜられたる南部麹町地區警備の任より解除せらるることなく
其儘討伐を受くること極めて明瞭となり、
一同は其任務遂行の儘 焼死するの決意をなせるものなり。
而して
二月二十九日朝の宣伝により、奉勅命令の發令を確實に知り、
其内容は概ね 現位置を徹し所属部隊に復歸すべきに在り と推斷し得たるを以て、
夫々これに從って行動せんとして集合しつつあるとき、
討伐軍のため武装解除を受くるに至りしものなり。
吾人をして端的に言はしむれば、
軍當局は陸軍大臣告示を以て蹶起の精神を是認賛同し、
且 戒嚴部隊に編入したることにより蹶起行動を是認したるも、
爾後討伐の必要に迫られ、其理由を抗命と叛逆に求めんとして以上の如き策を弄し、
吾人に 賊名を負はしめたるに非ざるなきか。
吾人は 陸軍大臣に對しては、凡ゆる手段を講じ鞏要鞏請して其決心を求め、
至尊を正しく輔弼し奉る可きことを要請し希望したりと雖も、
至尊に對し奉りて鞏要し奉るが如き結果に陥らざることには、細心の注意を拂へり。
至尊強要の維新斷行は、仮令機構美々たるものたると雖も、
我國體を破壊し、大義を蹂躙し、何んの維新あらんや とは吾人の素懐にして、
平素大いにこれを主張し來れる所にあらずや、
吾人は大義を正し、
國體を護持せんが爲に挺身蹶起せるものなり、
豈敢て自ら國體破壊の事を爲さんや。

村中孝次 丹心録
二・二六事件 獄中手記遺書 河野司 編 から 

前頁  
続丹心録 ・ 第一 「 敢て順逆不二の法門をくぐりしものなり 」 の 続き
本頁  続丹心録 ・ 第二 「 奉勅命令は未だに下達されず 」 
次頁  続丹心録 ・ 第三 「 我々を救けやうとして弱い心を起こしてはいけません 」 に続く


續丹心錄 ・ 第三 「 我々を救けやうとして弱い心を起こしてはいけません 」

2017年05月03日 09時26分34秒 | 村中孝次 ・ 丹心錄

  
村中孝次  

續丹心錄

第三 
今回の擧は兵馬大權干犯者を討つことを目的としつつ、
自ら兵馬大權を干犯せるに非ずやとの非難あり、
外形のみを論じ形而下的観察に終始するならば或は然らん、
然れども吾人の信念に於ては斷じて然らざるなり。
一、昭和六年九月十八日に於ける關東軍の獨斷行動は、
 當時之れを許容すべきや否やに就いて、
廟議容易に決せざりしが、幸ひ此 獨斷行動は大元帥陛下の御嘉納を仰ぐことを得、
我武威を大いに満蒙の野に伸べ、以て満洲國獨立の基礎を定めたり。
若し此際 本獨斷的行動の御容認を仰ぐ能はざりせば如何、
本庄司令官は其壇權を罪に問はれ、
統帥權を紊り、私に兵を動かしたる避難と責任とを一身に負はざるべし、
然れども本庄司令官の衷情に至っては、
之れを兵馬干犯者の語を以て非議するを得ざるや明らかにして、
平日盡忠至誠、身を以て君國に報ぜんとする大覺悟ありしを以て、
始めて機に投じ間髪を容れざる底の決心をなし得たるものにして、
吾人の深く敬仰感嘆を禁ぜざる所なり。
余輩は年來、吾人の決行は同志の集團を以てすべく、兵力使用の過失に陥らざる爲、
平素下士官兵を同志化し、其の自發的決意に基いて蹶起することを方針として來れり。
而して今次の決行は精神的には同志の集團的行動にして、
形式的には各部隊を指揮せる將校の獨斷的軍事行動なりしなり。
前述 關東軍の獨斷行動と其精神を一にし、後者は張學良軍を作戰目標とし、
余輩は内敵を攻撃目標とせるの差異あるのみ、
不幸、右獨斷行動が、大元帥陛下の御許容を仰ぐ能はざる場合に於ては、
明らかに私に兵力を使用したるものとして、各部隊指揮官たりし將校と、
其獨斷行動の籌畫に与りし二、三子とは擅權の罪の嚴罰を甘受すべきは當然とす。
然れども其根本精神に至っては、稜威を冒せる者を誅戮する爲に、
自身自ら稜威を冒せるにはあらず、
兵馬大權干犯者を討って稜威の尊嚴を宣揚する爲、
大稜威の力に籍らざるを得ざりしものにして、
三月事件、十月事件等の如き兵力を僣用して野心を逞ふせんとするものと
類を異にすることは萬々なりとす。
一、關東軍が事變當初、憲兵を以て十數倍の張學良軍を各地に轉戰破摧したるは、
 統帥指揮の宜しきを得たること勿論なるべきも、
關東軍將兵が上下を擧げて張政權の横暴専恣に憤激禁ぜず、
敢死國威を宣揚せんことを期しありし爲、
随所に活潑々地の獨斷行動を取り、而もよく統一ある戰果を獲得せしるなるべし。
而して今回の決行たるや、若し少數將校の野望に基く行動ならば、
所期の目的たる襲撃に成功すること至難なるのみならず、仮に當初の成功を得たりとするも、
爾後四日間に亘って下士官兵の動揺を來さざることは到底不可能なるべし、
吾人は蹶起部隊の全員が悉く同志なりとは主張せず、初年兵は入營後日尚浅く、
從って是れを啓蒙する餘地なかりしは固より其の所にして、
且蹶起將校中二、三士は平素同志的教育啓蒙を部下に施しあらざりしことも否定するものにあらず、
然れども、
參加せる下士官及び二年兵の多くに於て、吾人と同一精神を有し、其決意の鞏固なる點に於て、
將校同志に比し遜色なきもの亦多數ありしことを信じて疑わざるなり。

二月二十九日、
拡聲器竝にビラによる宣傳の結果、將校の手裡を脱して所属部隊に復歸せるものありしが如きも、
これは多くは歩哨其他獨立任務に服しあるものに就て、所属部隊の將校が來りて或は懇論し、
或は鞏制的に連れ歸りしものにして、
「 逆賊 」 の汚名より一意逃れんとして、是等上官に服せること蓋し股肱の臣として當然なるべし。
又、豫審訊問等に於て、下士官兵の大部は 「 將校に欺かれたり 」 と稱しあるが如し。
事の結果欺くの如くなるに至り、且示すに 「 逆賊 」 「 國賊 」 を以てすれば、
日本國民たるもの何人かこの汚名を避けざらんとするものにあらんや。
右の如き二、三事を以て、吾人の行動は將校下士官兵を一貫して、
奸賊を討滅して君國に報ぜんとする決意の同志を中心とする一つの集團が、
將校の獨斷による軍事行動の形式を以て行はれたるものなることを否定すべからざるなり。
一、下士官兵の決意を証す可き二、三の事例を擧げ、以て上下一體観に結ばれありしを例證せん。
イ、二月二十五日夜、歩一、歩三の各部隊は安藤中隊以外の殆ど全部に於て、
 發起前蹶起趣意書を下士官兵に告示したるに、
一同勇躍して活潑に積極的に着々決行の準備をなせり。
余と行動を共にせる第一、丹生部隊・第十一中隊の如きは、
丹生中尉が最近に於て決意せしを以て、事前に充分の教育啓蒙を爲す能はざりしも、
下士官に決行の事を告ぐるや、欣々然として同行を決意し、
元気極めて旺盛にして一見習医官及歩四九より派遣の一軍曹が之を傳へ聞き、
同行の許可を仰ぐべく丹生中尉に懇願せるを見たり。
ロ、第一日の行動間、第一線の警備に就きし哨兵の士気極めて盛んに、且殺氣充満しありて、
歩哨線を通過するは同志將校と雖も容易ならざりき。
ハ、二月二十八日、歩三將校間に於て、安藤大尉を刺殺すべしと決議し、
 この報安藤中隊に伝るや、部下の下士官兵は安藤大尉を擁して、
他の者のを一切近づかしめず、爲に余も安藤大尉に接近し得ざりしこと前述の如くなりき。
翌二十九日安藤大尉が自刃せんとするや、當番兵は其腕にすがりつき泣いてこれを抑止し、
又一下士官來って
「 中隊長殿、兵の所へ來て下さい、皆一緒に御供しやうと言って集合してゐます 」 と告ぐ。
上下一人格に融合一體化せる状、見るべきなり。
ニ、二月二十九日朝、丹生部隊の兵は、聯隊長小藤大佐より懇論せられたるも、
 敢て中隊長の許を離るゝねのなかりしは前述の如し。
ホ、同朝首相官邸に在りし栗原部隊に於て、將校一名も在らざりし時、
 討伐部隊と相對するに至りしが、下士官兵一同少しも屈せず、
門内には一歩も入れざらんとして危く衝突を惹起せんとする狀態なりしが、
栗原中尉來りて、事なきを得たり。
ヘ、同朝新議事堂に於て、野中大尉が集會を命ずるや、
 いち下士官來り其理由を問ふ、
余傍らより 「 奉勅命令の下達せられたること今や疑ひなし、大命に從ひ奉らん 」
と言ふや、床を踏み涙を流し、
「 残念だ 」 と連呼して容易に承服する色なかりき。
ト、栗原部隊の一下士官が二月二十九日朝形勢の非なるを見て栗原中尉に對し、
 「 我々を救けやうとして弱い心を起こしてはいけません 」 と忠告せりと言ふ。
一、單に少数の重臣を打倒することを目的とするならば、同志將校のみを以てすれば可なり、
 豈下士官兵を利用するの必要あらんやと言ふものあり、苟も王事に盡瘁し、
國家に報効せんとするに、將校と下士官兵と差別するの要何処にか在る、
階級に上下の差あり、統制に別ありと雖も、陛下の股肱赤子として、
至尊に直参して翼成に任ぜんとする志向に於て、差異あるべからず。
吾人をして極言せしむれば無私赤誠、君國に報ぜんとする念慮は、
寧ろ現時の將校より下士官兵に於て熾烈なるを認めざるを得ず、
從って吾人は同志の多くを將校、特に上級者間に發見すること能はずしい、
之を下士官兵の中に得、相共に王事に盡鞠したるのみ。
然らば、同志的信念決意なき初年兵の如きをも多く引き連れたるは如何、
今や數次の直接行動を經て、警視廳の武力は相當有力なるものとなりて、
重臣高官の身邊を警戒すること至嚴を極め、
少數寡兵を以てしては容易に目的を達成し得ざるのみならず、
警官隊との衝突は彼我共に無用の犠牲を多發する惧大なり。
之れに臨むに、牛刀を以てするは萬全の策にして、且中隊より少數者を抽出して行を起すは、
出發後残留者により企圖を曝露せられるる懼れありて、
中隊全員を引率せざるを得ざりしは、副次的理由ながら亦避け得ざりし所なりとす。

村中孝次 丹心録
二・二六事件 獄中手記・遺書 河野司 編 から

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續丹心錄 ・ 第四、五、六 「 吾人が戰ひ來りしものは 國體本然の眞姿顯現にあり 」

2017年05月02日 09時23分11秒 | 村中孝次 ・ 丹心錄

  
村中孝次 

續丹心錄

第四
今回の擧は民主革命を企圖せるものなりとの流説大なるが如し。
その依って起る処を察するに、蹶起將校中の中心人物は「日本改造法案大綱 」を信奉しありて、
その實現を計畫せるものにして、該書の内容は凶悪過激なる社會民主主義にして、
彼等はこれを巧みに國體明徴なる語を以てカムフラージュしつつ、今回の擧を決行し、
以て民主革命に導かんとせるものなりとなすが如し。
一、昨秋 「 皇軍は正に民主革命軍たらんとす 」 と言ふが如き標題の怪文書撒布せられ、
 又今次蹶起の直前、廣島市某なる者の名を以て、北、西田両氏を不敬罪として告撥し、其告撥文を各方面に配布せり。
両文章共、同一人起草せるものの如し、内容と言ひ文作と言ひ両つ乍ら略々、同一にして斉しく、
「日本改造法案大綱 」中の片言隻句を捉へ來って、北、西田両氏を社會民主主義者なりと言ひ、
両氏は民主革命を企圖して青年將校に食ひ入りつつありとなせり。
これと頃來流説せらるる所とは全く符節を合するが如し。
或はこの徒輩----陸軍部内に於て余輩と對蹠的立場にあるもの----の宣伝なるか。

抑々 「日本改造法案大綱 」はデモクラシー及社會主義の高潮期に、
此両者を否認折伏することを主眼として、諫論的文調を以て叙述したるものにして、
簡明確切を旨とする爲、日本國家の現段階に於て採り得べき一つの構圖を示して、
其注解に於て著者の思想を斷片的に披瀝せるものなり。
而して排日毎日の眞只中にある上海に於て執筆せるものなるが故に、
著者の愛国的熱情と國家主義的徹見とが、躍々として紙面に踊るを認め得べし、
吾人が同書を愛讀し、且之によりて啓發せらるる所以し一に著者の愛國心と、
特に國體に対する徹見とによるものなり。
佛徒が 「 衆生本來佛なり 」 と言ひ、或は 「 即身成佛 」「 娑婆即寂光浄土 」 と言ひ、
儒者が 「 道は邇きに在り 」 と説く如く、
社會主義及至デモクラシー万能の徒が我が國體の尊嚴性に目を蔽ひ、
徒に理想社會を欧米の學説に求めんとするに対し、
「 日本國こそ本質的に爾等の求める理想社會の國家なり 」 と説き聞かせたる書なり。
其中の片言隻句に 「 民主國 」 「 社會主義 」 といふ字があるを以て、
民主革命を企圖するものとなすは、宛も天皇機關説排撃運動者の作製せる文中に
「 天皇機關説 」 なる字句あるを見て、彼は天皇機關説思想なりと言ふと同斷なり、
愚昧嗤ふ可く、歯牙にかくる足らざる論なり。
同書を通讀再讀せば、其の否らざるは普通の常識を有する者には直ちに了解し得べし。
一、民主革命とは佛蘭西大革命の如き、或は獨乙の如く、澳太利の如きを現ふ。
 我等同志の全部が幼年學校に於て、或は市ヶ谷臺上に於て、
最も涵養練磨に努めたるものは、國體観念と愛國心とにあらずや。
吾人が此數年來、肝胆を砕き心魂を苦めて爭ひ戰ひ來りしものは、
實に 「 國體の護持擁護 」 「 國體本然の眞姿顯現 」 にあらずや、
五 ・一五事件に憤起して國民に國體覺我等の同志にあらずや、
我等は至尊の大權が数々冒瀆せられしに怒って、頸血を濺ぎ以て皇權を恢復し、
大義を正さんとせるに非ずや、如上一貫せる我等の行動を以て、
巧みにカムフラージュしつつ民主々義革命を企圖せるものなりとは、
如何なる根拠に基いて是を言ふか、白を黒と言ひ、又鷺を烏といふ、
此事に至っては爲にせんが爲の陋策も、言語に絶する卑劣なるものと言はざるを得ず、
吾人の憤激禁ぜんとして禁ずる能はざる所なり。

第五
殺害方法が残忍酷薄にして非武士的なりと言ふ避難あり。
齋藤内府は四十數ヵ創を受け、渡邊大將は十數ヵ創を受けたりと言ひ、
人をして凄惨の感に打たしむ。
残忍と言へば即ち残忍なり。
但し一彈一刀を以て人の死命を制し得る武道の達人に非ざれば、寧ろ巧妙を願はず、
數彈を放ち數刀を揮ふことを厭はず、完全に目的を達するを可とし、宋襄の仁は絶對に避くべきなり、
余は一、二同志に向ひ必ず將校自らが手を下し、下士官兵は自己の護衛
及 全般的警戒に任ぜしむべきこと、
及 五 ・一五事件の山岸中尉の如く、「 問答無用 」 にして射殺するを可とする旨を言ひしことあり、
齋藤内府の四十數ヵ創は殆んど同時に内府の居所を發見したる三將校が、
同時に拳銃を發射し、これに續行せる一下士官亦發射し、同下士官と同行せる輕機關銃手が、
これに引続き輕機關銃を以て連續射撃をなしたるものにして、
勢の赴く所蓋し已むを得ざるものありしならん。

又渡邊大將に對しては、同大將より撃ちし拳銃彈により安田少尉外二名負傷、安田、高橋両少尉は
引續き射撃せらるる中を冒して室内に入り、同大將を狙撃し、
之れ亦續行せる軽機關銃射手が射撃せる爲、重數ヵ創を与ふるに至りしものなり。
高橋蔵相に對しては、
中橋中尉の拳銃射と殆んど同時に中島少尉が軍刀を以て斬り付けしものにして、
後に評判せられたる如く、
「 達磨に手足は不要なり 」 といふが如き観念を以て軍刀を揮ひたるものに非ざることは、
打ち入りし者の眞劍必死の眞理に想到せば自ら明らかなり。

要するに右三者共、死屍に對して無用に射撃し、斬撃したるに非ず、
數名の者が殆んど同時に射撃し斬撃したる結果、勢の赴く所、
意外の創傷を与へたるものにして、 武道に未熟なりと評せらるは已むを得ざるも、
故意に残忍酷薄なる所業をなせしに非ざること明瞭なり。

湯河原に向ひし一隊の者が、牧野伸顕在泊の旅館に放火せるは、
先頭に在りて突入せし河野大尉外一名が牧野を捜査中、
護衛警官より射撃せられて受傷し、河野大尉は次第に聲を發するを得ざるに至り、
爲に寡兵を以ては到底目的を遂行し得ざるを思ひ、外部より包囲して放火したるものにして、
目的達成の爲亦已むを得ざる手段に出でしものなるべし。

以上は、凡て將校が先頭にあって奮闘したるものにして、右の外松尾大佐に對しては、
年少林少尉が首相官邸洗面所に於て、暗中單身二警官を斃し、引き續き首相を捜索中、
一兵が松尾大佐と相對峙しあるを見て射撃を命ぜしなり。
又、鈴木侍従長に對しては、安藤大尉が其居所に彼を發見したる時は、
既に部下曹長の射撃を受けて斃れありしが、侍従長夫人の乞を入れて敢へて、自ら手を下さざりしなり。

右の如く、襲撃の經過を尋ぬるに、同志將校は常に先頭に在りて彈雨を衝いて進み
( 首相官邸、渡邊大將邸、湯河原伊藤屋別館 ) 勇戰せり、
國軍将將の士気決して衰へあらざるを知るべし。

第六
事件中幸楽に於て多數將校が不謹愼にも酒宴せりといふ風評あるが如し、
何者かの爲にする捏造なるべし。

二月二十七日、八日 ( 確實なる時日は不詳 )、幸楽に於て安藤部隊一部の者が、
演芸会の如きことを實施したる事實あるが如きも、これ下士官兵の稚心深く譴むべき程の事にもあらざる如し。
将將が一同に会し酒宴したるが如き事實は全くなきのみならず、
余の如き前後約四日間、殆んど食事もなしあらざる程なりき。
奈何ぞ斯くの如き餘裕あらんや。

村中孝次 丹心録
二・二六事件 獄中手記・遺書 河野司 編 から

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村中孝次 ・ 同志に告ぐ 「 前衛は全滅せり 」

2017年05月01日 08時54分44秒 | 村中孝次 ・ 丹心錄


村中孝次 
 

     

    

     

同志ニ告グ
一、
相澤中佐殿以下 不肖等 二十勇魂ハ斷ジテ滅スルコトナシ
同志一体魂ノ中ニ生キ 維新達成ノタメニ精進セント欲ス
翼クバ幽明相倶ニ維新完成ノタメニ驀進セン
一、
前衛ハ全滅セリ
然レドモ敵全軍ヲ引受ケテ要点奪取ノ任務ハ完全ニ遂行シ得タリ
支配階級ノ頽勢必至ナルヲ信ズ
本隊ノ戰斗加入ニヨリ前衛ノ戰果ヲ擴大シ
最後ノ戰捷ヲ克チ得ラルヽコトヲ万望ス
前衛ハ全滅セリ
而シテ 敵全軍ハ動揺困乱シアリコノ戰況ニ於テ自ラ施スベキ方策アラン
言志録ニ 「一息ノ間断ナク一刻ノ急忙ナキハコレ天地ノ気象」 トアリ
最後ノ大勝利を目標ニ進軍アランコトヲ
一、
全同志ノタメ悲惨ナル苦斗時代ガ一、二年
或ハ数年現前スルヲ予期セザルベカラズ
凡ユル難苦ニ堪ヘテ最後ノ勝利、
終局ノ目的達成ニ向ヒ焦ラズ撓マズ直進サレタシ
     ○
一、
今事件ハ不肖ハ失敗ト思ハズ 
又 時機ノ選定失當トモ思ハズ不肖ハ神佛ノ意ニ従ヒ 神佛ノ導ニヨッテ
而シテ 神佛ノ照鑑加護下ニ今事件ヲ決行シ大ナル成功ヲ克チ得タルヲ確信シアリ
然リドモ 意外ノ結果ニ陥リ
多數同志ノ犠牲ヲ出シタルハ一ニ不肖等中心的二、三士ノ全責任ニシテ
殉國ノ多數同志ト事件ニ坐シテ縲紲ノ苦辱ヲ受ケラレタル
同志諸兄ニ對シ唯々萬謝ノ外ナシ
時機トシテハ二月二十六日以前ハ實行不可能ニシテ同日以降ニ於テハ
恐ラクハ企圖ヲ暴露シ、ヨリ悲惨ナル結果ニ陥リシナルベシ
一、
不肖等ノ最モ痛恨シ且責任ヲ感ジアレコトハ
一木喜徳郎、湯浅倉平、林銑十郎ニ 天誅ヲ加エザリシコト
及 鈴木貫太郎、片倉衷ヲ完全ニ誅戮シ得ザリシコトナリ
 ( 時機切迫シテ準備十分ナルヲ得ザリシ点アリ諒察セラレヨ )
二月二十七日迄ハ極メテ順調ニシテ
爾後些少ノ努力ヲ以テ維新ノ曙光ヲ見ントシテ
一木、湯浅ノ徒ガ君側ヲ擁シ
林、寺内寿一、植田謙吉ガ他ノ軍事參議官ト別行動ヲトッテ策動シ出シ
之レニ省部ノ天保連中ガ反對策動ヲ始メタルタメ
折角ノ戰果ヲ拡大シ得ズ事空シク去リタリ
    ○
一、
現陸軍ハ特設軍法會議ナル妙案ヲ考案シコノ秘密裁判ノ下ニ
凡ユル暗黒政治ヲ敢行シ反對派ノ清算、維新勢力ノ彈壓ヲ續行セリ
維新ハ畢竟新旧力ノ移動ガ最大要件トナリテ遂行セラル
軍閥ノ破壊潰滅ナクシテ維新ノ成就を期シ難シ
而シテ 軍閥ハ今次吾人維新黨彈壓ノタメニ其ノ全貌ヲ暴露セルモノトイフベシ
彈壓ノ中心ハ局課長級ナリトイフ
現局課長全部ニ課員ノ目星シキ者 及 大臣、次官等等ヲ打ッテ一丸トセル
コノ軍閥者流ヲ悉ク顚覆スルニ非ザレバ絶對ニ維新ヲ招來シ得ザルベシ
一、暗黒裁判ノ數例ヲ擧ゲン
イ、公判ニ於テ吾人蹶起ノ眞精神ニ就イテハ口ヲ封ジテ云ハシメズ行動ノミヲ審理セリ
 最後ニ蹶起事情ヲ問ヒシモ十分ニ意ヲ盡サザラシム
ロ、蹶起ノ動機、原因ヲナシタル統帥權干犯問題ノ審理ヲ要求シタルモ採用セズ
ハ、眞崎總監更迭時ノ統帥權干犯ニ關シテ証人、証書ノ申請ヲナセルも一蹴セリ
ニ、検察官ハ最初犯罪事實トシテ論述セルモノハ
 吾人ガ奉勅命令ニ反セリトイフコトヲ主眼トシテ述べ事實審理中、
同志全員ハ然ラザル所以ヲ力説スルニ全力ヲ傾倒セリ
而シテ 論告ニ於テハ一言モコノコトニ触レズ
「 民主主義、民主革命 」 ノ語ヲ以テ吾人ヲ深淵ニ陥入ラシム
吾人ノ主義思想ニ就イテハ論告前ニハ殆ンド触レズ單ニ吾人ガ
「 改造法案 」 ヲ信奉ストイフ一事ヲ以テ同書ノ内容ニ對スル審理、
論及ハ毫末ヲナスコトナクコノ獨斷的斷定ヲナシ
且 検察官ハ 「 資産限度制ノ限度ガ確定的デナイ以上共産主義ナリ 」 ト云ヘリ
最後ノ陳述ニ於テ駁論シ置キタルモ判決文ハ
吾人ニ遂ニ民主革命ノ徒トイフ烙印ヲ与フルコトニヨリ吾人ヲ抹殺セリ
ニ、「 改造法案 」 ヲ中心思想トスル維新勢力彈壓ノタメ 「 民主革命 」 ヲ以テスルハ
彈壓ノ中心方針ナリシガ如ク之ガ爲メコレニ關シテ吾人ニ論述ノ餘地ヲ与フルコトナク
計畫的ニ陥穽ニ陥チ入ラシメシガ如シ
ホ、眞崎大將ハ収監後統帥權干犯ハ事實ナリト主張シアリ
 コノ實否ヲ審理セザル限リ吾人ニ判決ヲ下スこと絶對ニ不可能ノ筈ナリ
處分ヲ急ギ 當然審理スベキヲ審理スルコトナク吾人ヲ葬リ去レリ
ヘ、判決文ニ於テハ吾人ノ眞精神ヲ全ク没却セリ
 兵馬大權干犯者ヲ討チ大義ヲ明カニ國體ヲ護持スルニ在リシ点ハ
一同ノ極力主張セル所ナルモ全然葬リ去ラレタリト、其他某氏 ( 薩摩 ) 宅書類参酌ノコト
一、眞崎大將ハ豫審官ニ對シ 「 統帥權干犯ノアリシコトハ事實ナリ、三長官会議ノ内容ハ勅許アレバ申述ブ」
 ト陳ベシ如シ
若シ勅許アリテ統帥權干犯事實ガ肯定セラレヽナラバ
兵馬大權干犯者ヲ討チシ吾人ハ明カニ國賊ニアラザルベシ
現在ノ頽勢ヲ一転スルハコレヲ樞軸トシテ行ハルベシ、
統帥權干犯問題ハ飽ク迄モ究明スルヲ要シ
皇道派ハコレヲ攻勢軸トシテ態勢ノ挽回ヲ圖ルヲ要ス
一、五月廿九日附ヲ以テ
  三月擬砲音事件ノ宇垣、建川、小磯、重藤、橋本ノ五名ヲ告発セリ
今更橋本一派ヲ問題ニセルニ非ズ
事態ノ拡大ニヨリ軍閥ヲ窮地ニ追ヒ込メント欲セシナリ
三月、十月、十一月ファッショ 其他陸軍ヲ窮地ニ追ヒ込ム材料ハ数多シ
是等ヲ携ゲテヂリヂリ態勢ノ挽回ヲ圖ルヲ要スベシ
一、昭和維新ハ天皇ヲ中心トセル自主的人格國民ノ一大運動ニヨリテノミ達成セラル
 至尊ノ自主的稜威ノ迸出 ( 自主的人格國民ノ一体的國體ヲ実現スル為メ
至尊ノ自主的人格確立ハ最モ急務ナリ 今ノ機關的御状態ハ恐レ多クモ悲シキコトナリ)
ノタメノ宮中工作
上層部ニ於ケル態勢ノ挽回
國民ノ決定的一大運動
武力ノ確實ナル掌握
等々必勝ノ態勢ヲ以テ支配階級ヲ潰滅シ軍閥ヲ崩壊シ特權階級ノ幽閉ヨリ
至尊ヲオ救ヒ申シ國民ノ天皇ト仰ギ奉ルコトニヨリテノミ維新ハ達成セラル
昭和維新ハ 「 法案 」 ヲ中心トスル一團ノ同志ノ外ニ實現シ得ルモノナシ
隠忍自重刻苦不退、必ズヤ目的ヲ達成セラレヨ
一、青年将校ノ運動ニテハ維新ハ來ラズ
 不肖等今回ノ擧ハ青年將校運動ヨリ全國民運動ヘノ転換ヲ成シ得タルヲ信ジアリ
コレニ著意シテ凡ユル迫害ヲ突破シテ自重邁進ヲ願フ
一、
香田氏ハ刑死ノ前日
「 昭和維新ハ精神革命ニ始マル、吾人ハ精神力、霊力ヲ以テ勝タザルベカラズ 」
ト 伝ヘリ
不肖等は霊界ヨリ諸盟友ノ獅子奮迅ニ協力セン
    ○
一、無期刑中 常盤稔ハ信頼スベキ同志、池田ハ純情純眞ノ人、山本又氏ハ信仰ノ人、以上三人ハ同志ナリ
一、前後シ意ヲ盡サズ諒察ヲ乞フ
 尚S氏宅ニアル書類ヲ御參酌サレタシ
八月十七日
菅波三郎 末松太平 明石寛二  --
大蔵栄一 志村陸城 市川芳男   │
朝山小二郎 杉野良人 黒崎貞明  │諸盟兄            村 中 孝 次
北村良一                --

村中孝次 丹心録
二・二六事件 獄中手記・遺書 河野司 編 から

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