あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

松本一郎 『 二・二六事件裁判の研究、記録 』

2016年10月30日 13時21分43秒 | 暗黒裁判・二・二六事件裁判の研究、記録

たまたま web上でみつけたもの、
此も亦 出逢いかしら・・と、私流に吟讀し、
茲に 『 書写 』 するものである

『 二 ・二六事件裁判の研究、記録 』
著者

獨協大学法学会
松本一郎
目次
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研究ノート
第38号 
二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 一 ) 
第39号  二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 二 ) 
第40号  二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 三 ) 
第41号  二 ・二六事件北・西田裁判記録 ( 四 ・完 ) 
論説
第43号  
二 ・二六事件湯河原班裁判研究 
第45号  二 ・二六事件行動隊裁判研究 ( 一 ) 
第47号  二 ・二六事件行動隊裁判研究 ( 二 ) 

本研究の結果、確信をもっていえることは、
「 法律ニ定メタル裁判官 」 によることなく、非公開、かつ、弁護人抜きで行われた本裁判は、
少なくとも北一輝などの民間人に関する限り、
明治憲法の保障する 「 臣民の権利 」を蹂躙した違法のものであったということ、
本裁判には、通常の裁判では考えられないような、訴訟手続規定を無視した違法が数多く存在したということ、
北一輝 ・西田税を反乱の首魁として極刑に処した判決は、証拠によらないでっち上げであったということ、
の三点である。・・・とある。


38 二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 一 ) 『 北・西田の検挙~北ノ起訴前の供述 』

2016年10月28日 05時08分34秒 | 暗黒裁判・二・二六事件裁判の研究、記録

一  はじめに
一九九三年二月、
それまで東京地方検察庁の倉庫に眠っていた二 ・二六事件 ( 一九三六年 ) の訴訟記録全六七巻の大部分が、
初めて研究者の閲覧に供されることとなった。
二 ・二六事件の裁判記録は、つい数年前まではその存在すら疑問視され、
あるいは東京空襲で焼失したとか、あるいは敗戦直後当局によって焼却されたなどといわれていた。
この幻の記録の所在が確認され、その閲覧が可能になったのは、
現代史研究家北博昭氏や原秀男弁護士等の努力によるところが大きい。
・・・(1)
北博昭 「 二 ・二六事件正式裁判分書は現存していた 」 中央公論 一九九一年三月号184頁、
原秀男 ・澤地久枝 ・匂坂哲郎編 『 検察秘録 二 ・二六事件 』 ( 以下、「 匂坂資料 」 と略記する ) Ⅳ ( 一九九一年、角川書店 ) 614頁
この記録は、公訴提起事件の記録 ( 公判調書 ・証拠書類 ・判決書等 ) のみならず、
不起訴事件の記録も含んだ膨大なものである。
その中には、憲兵作成の聴取書のようにすでに内容が明らかにされた書類も一部存在するが、
その大部分、とくに公判調書 ・予審調書等は今回初めて日の目を見る公文書であり、
その歴史的価値は計り知れないものがある。
もっとも、死刑執行関係書類、検視調書、考課表などは、閲覧許可対象から除外されている。
・・・(2)
記録の構成とその概要については、北博昭 「 ついに閲覧できた二 ・二六事件裁判記録 」 月刊Asahi 九三年五月号102頁
幸い私も許可を得ることができたので、原記録のマイクロフィルム焼き付けされたコピーを、週一回のペースで閲覧中である。
私の主たる関心事は、軍法会議の手続の実際とその事実認定にあるが、
何分にも大部の記録であるばかりか、記録の謄写が許されないため自らメモしなければならず、作業の能率は上がらない。
しかも予審調書 ・公判調書は毛筆による草書体で書かれているので、通読すら容易ではない。
したがって、記録の全体像の把握と公判手続の解明には相当の時間を要するため、
とりあえず訴訟記録から判明した裁判の状況をとりまとめて紹介し、今後の研究の足掛かりにしたいと考えた。
そして、その手始めとして、
私にとってもっとも関心のある北一輝 ( 本名輝次郎 ) と西田税の裁判記録の概要をまとめたのが、本稿である。
なお、記録の引用は、できる限り原文に忠実に行ったが、適宜濁点と句読点を付した。
また、漢字は新字体に改め、判読不能の個所はその字数だけ□で示した。

獨協法学第38号 ( 1994年 )
研究ノート
二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 一 )
松本一郎
目次
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一  はじめに

二  二・二六事件と北・西田の検挙 
  捜査の概要
 1  捜査経過一覧
 2  身柄拘束状況
 3  憲兵の送致事実
  (一)  北関係

  (二)  西田関係
 4  予審請求事実 ・公訴事実
  (一)  予審請求事実
四  北の起訴前の供述
 1  はじめに
 2  検察官聴取書
  (一)  昭和一一年三月九日付第一回聴取書
  (二)  昭和一一年三月一五日付第二回聴取書
 3  警察官聴取書1 
  (一)  はじめに
  (二)  昭和一一年三月一七日付第一回聴取書
  (三)  昭和一一年三月一八日付第二回聴取書

 3  警察官聴取書2
  (四)  昭和一一年三月一九日付第三回聴取書
  (五)  昭和一一年三月二〇日付第四回聴取書
  (六)  昭和一一年三月二一日付第五回聴取書

 4  予審訊問調書
  (一)  はじめに
  (二)  昭和一一年四月一七日付被告人訊問調書 ( 勾留訊問調書 )
  (三)  昭和一一年六月二〇日付被告人第一回訊問調書
  (四)  昭和一一年七月三日付被告人第二回訊問調書
  (五)  昭和一一年七月九日付被告人第三回訊問調書

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・( 以上第3 8号 )
五  西田の起訴前の供述
1  はじめに
2  警察官聴取書
3  予審訊問書
4  西田の手記
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・( 以上第3 9号 )
六  公判状況
1  はじめに
2  第一回公判
3  第二回公判
4  第三回公判
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・( 以上第4 0号 )


39 二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 二 ) 『 西田の起訴前の供述 』

2016年10月26日 05時23分02秒 | 暗黒裁判・二・二六事件裁判の研究、記録

研究ノート
二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 一 )
松本一郎
一  はじめに
二  二 ・二六事件北 ・西田の検挙
三  捜査の概要
1  捜査経過の一覧
2  身柄拘束状況
3  憲兵の送致事実
4  予審請求事実 ・公訴事実
四  北の起訴前の供述
1  はじめに
2  検察官聴取書
3  警察官聴取書
4  予審官訊問調書
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・( 以上第38号 )

1  はじめに
公訴提起前の西田の供述を録取した書面としては、
まず西田を検挙
した警視庁での三通の聴取書があり、
ついで移送後の東京憲兵隊本部における六通の聴取書がある。
検察官の聴取書はないが、
予審官の訊問調書は詳細を極め、調書の数が多いばかりでなく ( 七通。ただし、うち一通は勾留訊問調書 )、

その分量も北のそれと比較にならぬ程度長大なものになっている。
捜査当局がかねてから蹶起将校との接触があった西田をいかに重要視し、
事件のキイ ・パーースンに擬していたかを窺い知ることができる。

起訴前の記録の最後には、予審訊問終了後に伊藤章信法務官 ( 予審官であり、かつ軍法会議の裁判官を勤めた ) に提出された
西田自筆の 「 手記 」 ( 「陳述補遺 」 という副題がついている ) が編綴されている。
西田の当時の心境を知ることのできる、貴重な資料である。
西田の憲兵聴取書は、警視庁での下調べを経ていることもあってか、北のそれよりも詳しい。
しかしその内容は前述のようにすでに明らかにされているので、ここでは紹介を省略する・・・(1) 「 秘録 」 第一巻345頁以下
なお、憲兵聴取書のうち、第五回分の作成者は陸軍憲兵大尉大谷敬二郎、
その余の作成者はすべて陸軍憲兵少佐福本亀治である。

獨協法学第39号 ( 1994 )
研究ノート
二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 二 )
五  西田の起訴前の供述
目次
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  警察官聴取書
 (一)  はじめに 
 (二)  昭和一一年三月八日付第一回聴取書
 (三)  昭和一一年三月九日付第二回聴取書
 (四)  昭和一一年三月一〇日付第三回聴取書

 
予審訊問調書1 
 (一)  はじめに
 (二)  昭和一一年四月一六日付被告人訊問調書 ( 勾留訊問調書 )
 (三)  昭和一一年五月二八日付第一回被告人訊問調書
 (四)  昭和一一年六月二日付第二回被告人訊問調書
 (五)  昭和一一年六月六日付第三回被告人訊問調書

3  予審訊問調書2 
 (六)  昭和一一年六月一二日付第四回被告人訊問調書
3  予審訊問調書3 
 (七)  昭和一一年六月二六日付第五回被告人訊問調書
4  西田の手記
 (一)  はじめに
 (二)  手記の構成
 (三)  「 第一  改造理論ニ就テノ一考察 」
 (四)  「 第二  『 二 ・二六事件 』 ニ對スル立場ニ就テ 」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
( 以降第40号 )


40 二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 三 ) 『 公判状況 ・ 第1回公判~第3回公判 』

2016年10月24日 05時47分28秒 | 暗黒裁判・二・二六事件裁判の研究、記録

獨協法学第38号 ( 1994年 )
研究ノート
二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 一 )
松本一郎
一  はじめに
二  二 ・二六事件と北 ・西田の検挙
三  捜査の概要
1  捜査経過一覧
2  身柄拘束状況
3  憲兵の送致事実
4  予審請求事実 ・公訴事実
四  北の起訴前の供述
1  はじめに
2  検察官聴取書
3  警察官聴取書
4  予審訊問書
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・( 以上第3 8号 )
獨協法学第39号 ( 1994年 )
研究ノート
松本一郎
二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 二 )

五  西田の起訴前の供述
1  はじめに
2  警察官聴取書
3  予審訊問書
4  西田の手記
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・( 以上第3 9号 )
獨協法学第40号 ( 1995年3月 )
研究ノート
二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 三 )
松本一郎

六  公判状況
1  はじめに
昭和一一年九月二八日、
東京陸軍軍法会議裁判長吉田悳は、
北及び西田に対する各反乱被告事件の第一回公判期日を同年一〇月一日午前九時と指定した。
陸軍刑法二五条    党ヲ結ビ兵器ヲ執リ、反乱ヲ爲シタル者ハ、左ノ区別ニ從テ処断ス
一  首魁ハ死刑ニ處ス
二  謀議ニ参与シ、又ハ群衆ノ指揮ヲ爲シタル者ハ、死刑、無期若ハ五年以上ノ懲役又ハ禁錮に處シ、其ノ他諸般ノ職務ニ従事シタル者ハ、三年以上ノ有期ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス
三  附和随行シタル者ハ、五年以上ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス

記録に編綴されている召喚通知書によると、東京衛戍刑務所に在監中の両名は、
いずれも九月二八日午後四時四〇分ニその旨の通知を受けている。
次いで九月三〇日、反乱者を利する罪によって基礎され、勾留中の亀川哲也に対しても、同様の期日指定がなされた。
・・・陸軍刑法三〇条    反乱者又ハ内乱者ヲ利スル爲、前三条ニ記載シタル行爲ヲ爲シタル物ハ、死刑、無期若ハ三年以上ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス
裁判長は、第一回公判期日の冒頭で右三名の事件を併合審理する旨を告げ、
爾来三名は判決宣告に至るまで、法廷での行動を共にすることになる。
ここで、公判審理の経過を概観する。
陸軍軍法会議法によると、公判は、
① 人定質問 ( 一八六条 )
② 検察官による被告事件の要旨の陳述 ( 三九〇条一項 )
③ 被告人訊問 ( 一八七条、三九〇条二項 )
④ 証拠調べ ( 三九〇条二項 )
⑤ 検察官 ・弁護人の最終陳述 ( 三九二条 )
の順序で進められることになっており、これは旧刑事訴訟法の規定とまったく同様であった。
本件においても、先ず裁判官である伊藤法務官による詳細な被告人訊問が、西田 ・北 ・亀川の順でなされた。
前述のように、同法務官は、捜査段階における被告人らの予審官でもあったから、
事件と被告人らとの関係については、知りすぎるほど知っていたのである。
取調べられた証拠はすべて書証であり、証人は一人もなかった。
証拠調べ手続きを終えるに当たり、伊藤法務官は被告人らに対して、利益となる証拠の提出を促している。
これは、陸軍軍法会議法三九一条二項に基づく告知であるが、本法廷ではいかにも白々しく響いたことであろう。
・・・陸軍軍法会議法三九一条二項    裁判長ハ被告人ニ對シ、其ノ利益ト爲ルベキ証拠ヲ差出スコトヲ得ベキ旨ヲ告グベシ
彼らには官選弁護人すらも与えられていない。
しかも、家族との面会はおろか、文通さえも禁じられ、完全に社会から隔絶されていたのである。
孤立無援の彼らは、揃って呈出すべき証拠はないと答えている。( 第一一回公判 )
わが意を得たりと頷く法務官の顔が、目に浮かぶかのようである。
軍法会議は、一二回の集中審理で一旦結審したが、一〇か月近く経ってから弁論を再開している。
ここまで判決に手間取った理由としては、合議が難航したこと意外には考えられない。
・・・(4) 田中惣五郎 『 北一輝 』 増補版 ( 一九七一年、三一書房 ) 369頁以下が紹介するY判士 ( 裁判長吉田少将のことである )
  の手記によると、反乱を利する罪が成立するにすぎないとする裁判長と反乱罪首魁を主張する藤室判士とが激しく対立し、
合議が紛糾したことを窺うことができる。吉田少将は、判士の入替えという非常手段さえも考えたようである。
しかし裁判長の意見は、ついに合議を制するに至らなかった。
手記の一部に、次のようなくだりがある。
「  一月十四日 陸軍大臣の注文にて各般毎に裁判経過を報告する。
 北、西田責任問題に対する大臣の意見全く譯の解らないのに驚く。
あの分なら公判は無用の手數だ。
我々の公判開始前の心境そのままである。
裁判長の独断、判士交換は絶望状態に陥る。F判士罷免か、北、西田の判決延期かの外に手段なく、
全般の形勢は後者に傾く。」
再会された法廷では、手続き更新の上、若干の書証が取調べられて再度結審が宣告され、
判決言渡期日は追って指定するとの告知があった。
しかし、それにもかかわらず、その日のうちに法廷外で、翌日の午前九時という期日指定がなされている。
これは、おそらく当時としても異例のことではなかったかと思われる。
次回期日を翌日とするのであれば、最初から法廷でひの旨指定し、告知するのが通常だからである。
断罪を急ぐ陸軍省からの干渉が想像されるが、証拠はない。

次に、公判の進行状況を一弊しておく。
第一回 ( 昭和11 ・10 ・1 ) 併合決定、人定質問、西田に対する被告人訊問
第二回 ( 昭和11 ・10 ・2 ) 西田に対する被告人訊問 ( つづき )
第三回 ( 昭和11 ・10 ・3 ) 西田に対する被告人訊問 ( つづき )、北 ・亀川の西田供述に対する意見陳述
第四回 ( 昭和11 ・10 ・5 ) 北に対する被告人訊問
第五回 ( 昭和11 ・10 ・6 ) 北に対する被告人訊問 ( つづき )、北供述に対する西田の意見陳述、亀川に対する被告人訊問
第六回 ( 昭和11 ・10 ・7 ) 亀川に対する被告人訊問 ( つづき )
第七回 ( 昭和11 ・10 ・8 ) 亀川に対する被告人訊問 ( つづき )
第八回 ( 昭和11 ・10 ・9 ) 亀川に対する被告人訊問 ( つづき )、亀川供述に対する西田の意見陳述
第九回 ( 昭和11 ・10 ・15 ) 亀川に対する被告人訊問 ( つづき )、書証の証拠調べ、書証に対する各被告人の意見陳述
第一〇回 ( 昭和11 ・10 ・19 ) 書証の証拠調べ ( つづき )、書証に対する各被告人の意見陳述
第一一回 ( 昭和11 ・10 ・20 ) 書証の証拠調べ ( つづき )、書証に対する各被告人の意見陳述
第一二回 ( 昭和11 ・10 ・22 ) 検察官の論告 ・求刑、各被告人の最終陳述、弁論集結
第一三回 ( 昭和12 ・8 ・13 ) 弁論再開、手続き更新、西田 ・亀川につき書証取調べ、書証に対する西田 ・亀川の意見陳述、再び弁論集結
第一四回 ( 昭和12 ・8 ・14 )  判決宣告

目次
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六  公判状況
 2 
第一回公判  ( 昭和11 ・10 ・1 ) 併合決定、人定質問、西田に対する被告人訊問
 3  第二回公判  ( 昭和11 ・10 ・2 ) 西田に対する被告人訊問 ( つづき )
 4 
第三回公判 1  ( 昭和11 ・10 ・3 ) 西田に対する被告人訊問 ( つづき )、北 ・亀川の西田供述に対する意見陳述
 4  
第三回公判 2  ( 昭和11 ・10 ・3 ) 西田に対する被告人訊問 ( つづき )、北 ・亀川の西田供述に対する意見陳述
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・( 以上第4 0号 )
獨協法学第41号 ( 1995年9月 )
研究ノート
二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 四 ・完 )
松本一郎
六  公判状況

 5  第四回公判 
 6  第五回公判
 7  第六回公判
 8  第七回公判
 9  第八回公判
10  第九回公判
11  第一〇回公判
12  第一一回公判
13  
第一二回公判
14  第一三回公判
15  第一四回公判
七  むすび
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・( 以上第4 1号 )

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41 二・二六事件北・西田裁判記録 (四・完) 『 公判状況 ・ 第4回公判~第14回公判 』

2016年10月22日 12時44分00秒 | 暗黒裁判・二・二六事件裁判の研究、記録

獨協法学第38号 ( 1994年 )
研究ノート
二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 一 )
松本一郎
一  はじめに
二  二 ・二六事件と北 ・西田の検挙
三  捜査の概要
1  捜査経過一覧
2  身柄拘束状況
3  憲兵の送致事実
4  予審請求事実 ・公訴事実
四  北の起訴前の供述
1  はじめに
2  検察官聴取書
3  警察官聴取書
4  予審訊問書
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・( 以上第3 8号 )
獨協法学第39号 ( 1994年 )
研究ノート
二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 二 )
松本一郎

五  西田の起訴前の供述
1  はじめに
2  警察官聴取書
3  予審訊問書
4  西田の手記
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・( 以上第3 9号 )
獨協法学第40号 ( 1995年3月 )
研究ノート
二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 三 )
松本一郎

六  公判状況
1  はじめに
2  第一回公判
3  第二回公判
4  第三回公判
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・( 以上第4 0号 )
獨協法学第41号 ( 1995年9月 )
研究ノート
二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 四 ・完 )
松本一郎
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5  
第四回公判  ( 昭和11 ・10 ・5 ) 北に対する被告人訊問
6  第五回公判  ( 昭和11 ・10 ・6 ) 北に対する被告人訊問 ( つづき )、北供述に対する西田の意見陳述、亀川に対する被告人訊問
7  第六回公判  ( 昭和11 ・10 ・7 ) 亀川に対する被告人訊問 ( つづき )
8  第七回公判  ( 昭和11 ・10 ・8 ) 亀川に対する被告人訊問 ( つづき )
9  第八回公判  ( 昭和11 ・10 ・9 ) 亀川に対する被告人訊問 ( つづき )、亀川供述に対する西田の意見陳述
10  第九回公判  ( 昭和11 ・10 ・15 ) 亀川に対する被告人訊問 ( つづき )、書証の証拠調べ、書証に対する各被告人の意見陳述
11  第一〇回公判  ( 昭和11 ・10 ・19 ) 書証の証拠調べ ( つづき )、書証に対する各被告人の意見陳述
12  第一一回公判  ( 昭和11 ・10 ・20 ) 書証の証拠調べ ( つづき )、書証に対する各被告人の意見陳述
13  
第一二回公判  ( 昭和11 ・10 ・22 ) 検察官の論告 ・求刑、各被告人の最終陳述、弁論集結
14  第一三回公判  ( 昭和12 ・8 ・13 ) 弁論再開、手続き更新、西田 ・亀川につき書証取調べ、書証に対する西田 ・亀川の意見陳述、再び弁論集結
15  第一四回公判  ( 昭和12 ・8 ・14 )  判決宣告

七  むすび
以上で北 ・西田に対する公判調書の紹介を終わる。
判決の事実認定に対する、検討 ・批判は、いずれも稿を改めておこなうことにする。
昭和一二年八月十九日早朝、一世の風雲児北一輝とその愛弟子西田税は、
連れだって代々木が原の露と消えた。
ときに北は五四歳、西田は三五歳であった。
当日は、磯部淺一と村中孝次の銃殺刑も執行されている。
死刑執行記録の閲覧が許可されていないので、その詳細はわからないが、
田中惣五郎によると、刑場に立たされた西田が天皇陛下万歳を三唱しようと言ったところ、
北は静かに制して、それには及ぶまい、私はやめると言い、そのまま終わったという。
真偽のほどは定かでないが、いかにも北らしい最後である。
北が革命のために青春を捧げた中国大陸は、その頃日本軍の砲火を浴びていた。
八月一五日、日本政府は中国を断固膺懲する旨の声明を発表し、
海軍航空部隊は長崎県大村基地から海を越えて、非武装都市であった中国の首都南京を爆撃している。
日本は、敗戦への地獄坂を転がり始めるのである。
ちなみに、ときの中国政府外交部長は、北がかつて生死を共にし、
事件に連座しなければ昭和一一年三月に際会を期していた張群であった。
北は日本と中国の行く末について、どのような思いを抱きながら死に就いたのであろうか。

web上でみつけたもの、
私流に吟讀し、『 書写 』 したものである


43 二・二六事件湯河原班裁判研究

2016年10月20日 16時05分39秒 | 暗黒裁判・二・二六事件裁判の研究、記録

獨協法学第43号 ( 1996年12月 )
論説
二・二六事件湯河原班裁判研究
松本一郎

一  はじめに
一九三六年 ( 昭和一一年 ) 二月二十六日に発生したいわゆる二 ・二六事件については、
多数の兵士を動員して大蔵大臣、内大臣、教育総監らを殺害し、
首都の枢要部分を制圧して陸軍首脳部に政治改革を迫った、
東京部隊の行動がしばしば取り上げられるのに対して、
同日湯河原の貸別荘滞在中の前内大臣牧野伸顕を襲った別動隊の行動が話題となることは、
比較的少ないように思われる。
牧野襲撃隊の構成を見ると、現役軍人の指揮の下に行われてはいるが、
メンバーの過半数は民間人 ( 予備役の下士官・兵を含む ) であり、
軍隊を出動させた東京の事件とはかなりおもむきを異にしている。
このバラエティに富んだ人たちの事件参加の動機 ・理由を知りたいというのが、
私が牧野襲撃隊裁判記録を調べ始めた第一の動機である。
この事件の裁判では、被告人のうちの四名に求刑を上回る重罰が科せられている。
とくに、懲役十五年を求刑された民間人の水上源一に対しては、極刑が選択された。
検察官さえも意図しなかった厳しい量刑自由を調べてみたいというのが、その第二の動機である。
裁判官の伊藤章信陸軍法務官は、その後第五公判廷において、
北一輝 ・西田税 ・亀川哲也の事件の裁判官を努めている。
北 ・西田に対する判決が、証拠を捏造、悪意に満ちたものであったことは、すでに明らかにした。 
・・・ (1)
拙稿 「 二 ・二六事件北 ・西田裁判研究 」 獨協法学四二号六七頁以下、
その伊藤が担当した裁判であるからには、これまた問題を抱えているに違いないと思われた。
この予断と偏見が、この記録に取り組んだ第三の動機であった。
こうして始めた、東京地検保管の 『 二 ・二六事件記録 』 ( 湯河原班 ) 一、八○○頁
の検討結果をまとめたのが、本稿である
裁判記録の引用に当っては、読みやすくするため、現代仮名遣いとひらがな書きに改め、
濁点を付し、常用漢字を使用し、かつ、適宜句読点を付した。
同様に法文についても、濁点と句読点を付けた。
判決も原本を参照したが、本稿への引用に当っては、
伊藤隆 ・北博昭編 『 新訂二 ・二六事件  判決と証拠 』 ( 一九九五年、朝日新聞社 ) 
一六九頁以下に収録されているものを、ひらがな書きに改めて利用させて頂いた。
なお、煩を避けるため、裁判記録については原則として典拠の注記を省略したことをお断りしておく。

目次
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二 
被告人らの経歴と思想 
三  標的 ・牧野伸顕 
四  牧野邸襲撃 
五  裁判 
六  判決の問題点


七  おわりに

最後に、裁判記録の検討を終えてその感想を二、三記しておきたい。
まず、被告人らが揃いも揃って、自らの行動を少しも悔いていないことには驚かされた。
まさに全員が確信犯であって、彼らは栗原の甘言に乗せられたわけではなかったのである。
その強固たる意思には脱帽のほかはないが、
問題と思われるのは、検察官が論告で指摘しているように、
被告人らの牧野に対する敵意が、
何らの証拠にも基づかない巷説を無批判に軽信した結果によるものであった点である。
前述のように、ロンドン條約に関する加藤軍令部長の上奏を直接阻止した人物は、
牧野内府ではなく鈴木侍従長であった。
国際協調派であった牧野が同条約の批准を希望していたことは疑う余地はなく、
したがって彼がその実現のため最善の努力をしたであろうことも想像に難くない。
その意味では、牧野に対する軍部と右翼の敵意は必ずしも的外れではなかったというべきであろうが、
少なくとも巷説のように、彼が直接加藤の上奏を阻止した事実はなかったのである。
しかし、牧野はロンドン條約以降相次ぐ怪文書によって、「 君側の奸 」 の筆頭に祭り上げられてしまった。
水上は、法廷で、牧野がロンドン会議を成功させるために来日したアメリカのキャッスル大使から買収されて、
わが全権に譲歩をさせたと述べている。
・・・(1)
原田熊雄 『 西園寺公と政局 』 第一巻 ( 一九五〇年、岩波書店 ) 22頁に、キャッスル大使の着任後、
政教社の同人五百木良三の子分が同大使を訪ねて詰問したところ、
大使から軍縮会議の使命 ・日米親善 ・世界平和などの問題について諄々と説かれ、
その真摯な態度と誠意に感激して帰り、大使の人格を賞揚したというエピソードが紹介されている。

アメリカ大使が一流国の高官に対して直接買収工作をするなどということは、
およそ常識的にあり得ないことといわなければならない。
しかも、牧野は、天皇の側近とはいえ単なる廷臣に過ぎず、
外交 ・政治に関して何らの発言権も有していないのである。
また、このような牧野がロンドンにある若槻礼次郎らの全権に対して、
条約締結についての指示を与えるようなことができるはずもない。
しかし水上は、そのような噂を信じて疑わなかった。
このような単純きわまる思考様式は、水上に限ったことではなく、他の被告人にもみられるところであり、
そこにデマゴトギーの恐ろしさを感ぜずにはいられないのである。

記録に収録されている証拠を検討した結果、
水上を群衆指揮者と認定した判決の判断には、
合理性があることがわかった。
したがって、同人に対する量刑がその他の被告人よりも重くなることは、むしろ当然というべきであろう。
しかし、それにもかかわらず、水上を極刑に処すべき理由は、ついに見出せなかった。
水上は、河野の亡き後のいけにえにされたのである。
ここに、きわめて政治的な東京軍法会議の実体が浮き彫りにされている。
思うに、陸軍は、水上を血祭りにあげることによって、
軍人に接触のある民間右翼を恫喝しようとしたのではないだろうか。
後に北一輝 ・西田税をなりふり構わず殺してしまったやり方とは若干構図を異にしているが、
なぜか担当法務官がどちらも伊藤章信であったことは、興味をそそられる点である。

web上でみつけたもの、
私流に吟讀し、『 書写 』 したものである


45 47 二・二六事件行動隊裁判研究

2016年10月18日 17時57分09秒 | 暗黒裁判・二・二六事件裁判の研究、記録

獨協法学第45号 ( 1997年12月 )
論説
二・二六事件行動隊裁判研究 (一)
松本一郎
目次
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第一章 序説 
 一  問題の存在
 二  旧陸軍の組織と規律
第二章 反乱の謀議 
 一  反乱の誘因
 二  謀議の成立
第三章 出動命令 
 一  歩兵第三聯隊
 二  歩兵第一聯隊
 三  近衛歩兵第三聯隊
第四章 反乱行為の概要
 一  反乱罪の成立
 二  二月二六日午前
 三  二月二六日午後
 四  二月二七日
 五  二月二八日
 六  二月二九日 ( 以上本号 )

獨協法学第47号 ( 1998年12月 )
論説
二 ・二六事件行動隊裁判研究 (二)
松本一郎
目次
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第五章 訴追 
 一  幹部に対する訴追
 二  准士官 ・下士官の訴追
 三  兵に対する訴追
第六章 将校班の審判 1 
 一  軍法会議の構成
 二  将校班の審理経過

第六章 将校班の審判 2 
 三  論告 ・求刑
 四  被告人らの主張

第六章 将校班の審判 3 
五  判決
第七章 下士官班の審判
 一  審理の経過
 二  被告人らの弁明と心情
 三  論告 ・求刑
 四  判決

第八章兵班の審判
 一  審理の経過
 二  判決

第九章 終章

web上でみつけたもの、
私流に吟讀し、『 書写 』 したものである