あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

二・二六事件 蹶起 二月二十九日 安藤輝三 『 農村もとうとう救えなかった 』

2024年02月29日 02時29分29秒 | 道程 ( みちのり )

・・・安藤は怒号した。
「 オーイ、俺は自決する、自決させてくれ 」
彼はピストルをさぐった。
磯部は背後から抱きついて彼の両腕を羽がいじめにした。
そして言った
「 死ぬのは待て、なあ、安藤! 」
安藤はしきりに振りきろうとしたが、磯部はしっかり抑えて離さなかった。
「 死なしてくれ、オーイ磯部 !  俺は弱い男だ。
いまでないと死ねなくなるから死なしてくれ、俺は負けることは大嫌いだ。
裁かれることはいやだ。
幕僚どもに裁かれる前にみずからをさばくのだ。死なしてくれ磯部 !  」
もがく安藤をとりまいて、号泣があちこちからおこった。
磯部は、
「 悲劇、大悲劇、兵も泣く 下士官も泣く 同志も泣く、涙の洪水の中に身をもだえる群衆の波 」
と、その情景を書きのこしているが、まさしくこの世における人間悲劇の極限というべきか。
伊集院少佐も涙にくれて、
「 オレも死ぬ、安藤のような奴を死なせねばならんのが残念だ 」
鈴木侍従長を拳銃で撃ち倒した堂込曹長が泣きながら安藤に抱きついた。
「 中隊長殿が自決なさるなら、中隊全員お伴いたします 」
「 おい、前島上等兵 ! 」
安藤は当番兵の前島が さっきから堂込曹長と一緒に彼にすがりついているのを知っていた。
「 前島 !  お前がかつて中隊長を叱ってくれたことがある、
 中隊長殿はいつ蹶起するんです。
このままでおいたら、農村は救えませんといってね、
農民は救えないな、
オレが死んだら、お前たちは堂込曹長と永田曹長を助けて、どうしても維新をやりとげてくれ。
二人の曹長は立派な人間だ、イイかイイか 」
「 曹長 !  君たちは僕に最後までついてきてくれた。ありがとう、後を頼むぞ 」
群がる兵隊たちが一斉に泣き叫んだ。
「 中隊長殿、死なないで下さい ! 」
「 中隊長殿、死なないで下さい ! 」
磯部は 羽がいじめの腕を少しゆるめながら、
「 オイ安藤、死ぬのはやめろ ! 
人間はなあ自分で死にたいと思っても神が許さぬときは死ねないのだ。
自分が死にたくなくても時が来たら死なねばならなくなる。
こんなにたくさんの人が皆 とめているのに死ねるものか、
また、これだけ尊び慕う部下の前で貴様が死んだら、一体あとあはどうなるんだ 」
と、いく度もいく度も、自決を思いとどまらせようと、説きさとした。
すると 次第に落ちつきをとりもどした安藤は、
やっと、
「 よし、それでは死ぬことはやめよう 」
と 言った。
磯部は安藤の羽がいじめをといてやった。
・・・「 中隊長殿、死なないで下さい ! 」 
・・・ 『 農村もとうとう救えなかった 』 2 


・・・前項 
二 ・ 二六事件蹶起 二月二十八日 澁川善助『 全国の農民が、可哀想ではないんですか 』 の 続き
二 ・ 二六事件蹶起 
2月29日 ( 土 ) 

午前2時頃   安藤部隊、幸楽~山王ホテルへ移動
 清原少尉、對馬中尉より包囲部隊が攻撃してくると聞き文相官邸の西側地区を警戒
午前2時頃  中橋部隊、1箇分隊を残し帰営す
午前2時30分  鈴木少尉、近衛聯隊から攻撃すると告げられる

午前3時過ぎ  陸軍省新聞班の大久保弘一少佐が偕行社を訪れ、
 軍事参議官らに下士官兵らへ向けた帰順勧告文の作成と配付を提案、攻撃開始の延期を要請す

午前3時頃  農相官邸で仮眠の磯部、鈴木少尉に起される・・「 奉勅命令が下ったらしいです 」
・・・村中孝次 「 奉勅命令が下されたことは疑いがない。大命に従わねばならん 」 
・・・
「 あの温厚な村中が起ったのだ 」 
・・・
兵に告ぐ 「 今からでも決して遅くない 」 


午前3時30分~4時頃  野中部隊、新国会議事堂へ
 清原3中隊は参謀本部、陸軍省
 常盤隊は平河町附近を警備

午前5時頃  鈴木少尉、 ラジオで奉勅命令を聞く
午後5時30分  戒厳司令部、戒厳区域の一切の交通を停止す
午前6時頃  小藤大佐、山王ホテルへ来る ・・・
「 声をそろえて 帰りたくない、中隊長達と死にます 」 

午前6時20分  武力鎮圧の旨ラヂオ発表さる ・・・兵に告ぐ 「 今からでも決して遅くない 」 
磯部、夜明  ラジオで奉勅命令を聞く
午前6時25分  戒厳司令部、武力鎮圧の告諭を発す
『 反乱部隊は奉勅命令に抗する叛乱部隊 』 ・・・「 断乎、反徒の鎮圧を期す 」 

午前7時10分  戒厳司令部、麹町区、千代田区の一部住民に対して避難命令を出す
午前7時30分頃  田中隊、一酸化炭素中毒に・・・10時頃蘇生す

午前8時  「 下士官兵ニ告グ 」 のビラを三宅坂上空で撒く

午前8時頃  栗原中尉、陸相官邸へ

・・・払暁を破るかのように鎮圧軍の陣地から気ヲツケラッパが亮々として鳴り響いた。
我々も戦闘態勢に入る。
いよいよ楠軍と足利軍との戦いが始まるのだ。
そのような緊迫した所に大隊長伊集院少佐がやってきて血を流さんうちに帰隊せよと盛んに説得したが
安藤大尉は頑として拒否し
「 そのお心があったら軍幕を説いてくれ 」
と 絶対に動こうとしなかった。正に大尉の気魄は鉄の如く固まっていたのである。
鎮圧軍の包囲網が刻々迫ってきた。
これを見た大尉は軍刀を引抜き  「 斬るなら斬れ、撃つなら撃て、腰抜け共!」
と 叫びながら突進しはじめた。
私たち五人の兵隊も銃を構えてあとに続く。
もし中隊長に一発でも発射すれば容赦せずと追従したが鎮圧軍は一人として手向かう者はいなかった。
程なく電車通りで歩兵学校教導隊の佐藤少佐と顔が合った。
すると安藤大尉は
「 佐藤少佐殿、歩兵学校当時は種々お世話になりました。
このたび貴方がたは何故我々を攻撃するのですか、
我々は国家の現状を憂いて、ただ大君の為に起ったまでです。
一寸の私心もありません。
そのような我々に刃を向けるよりもその気持ちで幕臣を説いて下さい。

私は今初めて悟りました。重臣を斬るのは最後でよかったと・・・・。
そして先ずもって処置するのが幕臣であった。自分の認識が不足であった点を後悔しています 」

「 歩兵学校では種々有益な戦術を承りましたが、それを満州で役立てることがて゛きず残念です 」
安藤大尉の意見に佐藤少佐は耳をかたむけていたが、果たしてどのように受けとめたことであろうか。
少佐は教導隊の生徒を率いて鎮圧軍に加わっていたのである。
次いで歩三、第十一中隊長浅尾大尉がやってきた。
「 安藤大尉、お願いだから帰ってくれ 」
「 浅尾大尉殿安藤は帰りませんぞ。
陛下に我々の正しいことがお判り頂くまでは帰るわけには参りません。
十一中隊は思い出の中隊でした。帰りましたら十一中隊の皆さんによろしく伝えて下さい。
木下特務曹長をよろしくお願いいたします 」
二人が話している所へ戦車が接近してきた。
上空には飛行機が飛来し共にビラを撒きはじめた。
これを見た中隊長は憤然として 「 こんなことをするようでは斬るぞ 」 と叫んだ
・・・ 『 農村もとうとう救えなかった 』 2 

午前8時頃  安藤大尉、山王ホテル前の都電軌道上で伊集院少佐と対決す ・・・丹生部隊の最期
午前8時頃  山王ホテル前に戦車来て投降勧告、上空よりビラ撒き ・・・
丹生誠忠中尉 「 昭和維新は失敗におわった。 まことに残念である 」 
午前8時30分  坂井部隊、帰順・・・坂井、高橋、麦屋、陸相官邸に

午前8時55分  「 兵に告ぐ 」 を繰返しラジオで放送す ・・・・兵に告ぐ 「 今からでも決して遅くない 」 

午前9時頃  坂井、高橋、麦屋、 野中、常盤、鈴木、清原他、陸相官邸へ 
午前9時  小藤大佐、首相官邸へ来る

午前9時30分頃  警視庁方面の反乱部隊の一部が帰順、以後、各方面での帰順が相次ぐ
午前9時30分  丹生部隊帰順決定

午前10時頃   香田大尉、安藤大尉と協議、帰順する丹生部隊を呼び戻す ・・・「 声をそろえて 帰りたくない、中隊長達と死にます 」 
 磯部浅一、鉄道大臣官邸~首相官邸へ  栗原中尉と会う
 磯部浅一、首相官邸~陸相官邸へ戻る  途中農相官邸附近で坂井中尉と会う

午前10時  中橋部隊の残余1箇分隊、帰営 ・・中橋中尉は陸相官邸へ
午前11頃  歩三第7中隊 常盤少尉、中隊全員に別離の訓示 ・・・常盤稔少尉、兵との別れ 「 自分たちは教官殿と一心同体であります 」
午前11時頃  栗原、村中、磯部 丹生、竹嶌、對馬、田中、山本、山王ホテルへ集まる
 栗原、磯部、安藤に会し協議、  協議の結果部隊は原隊復帰とす 香田は陸相官邸へ
 林少尉、池田少尉、陸相官邸へ・・・丹生中尉 「 手錠までかけなくても良いではないか 」 

正午近い頃  清原少尉、第三中隊を引率し歩兵第三聯隊に帰営 ・・・帰順 ・ 沿道の群集 「万歳! 蹶起部隊万歳!」 
正午頃  栗原中尉、兵に解散命令下す・・・一人陸相官邸へ
正午  安藤大尉以外の全将校、陸相官邸に集合 ・・・
「 お前たちの精神は、この山下が必ず実現して見せる 」 
 山本又、腹痛甚だしく鉄相官邸にて休養後安藤大尉を山王ホテルに訪ふ、爾後山王神社に到り其の裏林に明す、
 磯部、村中、田中 陸相官邸へ戻ったところ拘束さる

午後0時30分  安藤大尉、自決せんとす ・・・行動記 ・ 第二十四 「 安藤部隊の最期 」 

午後0時50分  叛乱部隊将校、免官


一三・〇〇頃、

歩一香田部隊が武装解除して帰ろうとしていた。
それを見た安藤大尉が憤り香田大尉に詰め寄った。
「 帰りたいなら帰れ、止めはせん、六中隊は最後まで踏止まって闘うぞ。
陛下の大御心に我々は尊皇軍であることが解るまで頑張るのだ
昭和聖代の陛下を後世の物笑いにしない歴史を作るために断乎闘わねばならない
この言葉に香田大尉は感激したらしく、意を翻して最後まで闘うことを誓い再び陣地についた。
我々はここで志気を鼓舞するために軍歌を高唱した。
その声は朗々として山王ホテルを揺るがした
最期まで中隊長の命を奉じて闘い そして死んでゆく気概がありありと感じられた。
・・・ 『 農村もとうとう救えなかった 』 2 

午後1時頃  丹生部隊 ( 歩一第十一中隊 ) 神谷曹長引率で帰営 ・・・丹生部隊の最期 

丹生中尉は陸相官邸に到る・・・丹生中尉 「 手錠までかけなくても良いではないか 」 

午後1時30分  野中部隊 ( 歩三第七中隊 )  帰営の途に就く ・・・野中部隊の最期 「 中隊長殿に敬礼、頭ーッ右ーッ 」 

午後2時過  陸相官邸で野中大尉自決 ・・・野中四郎大尉の最期 『 天壌無窮 』 
午後2時30分頃  安藤大尉のもとに野中大尉自決の報が入る ・・・リンク→叛徒の名を蒙った儘、兵を帰せない

午後3時頃  安藤大尉自決
・・・「 何をいうか、この野郎、中隊長を殺したのは貴様らだぞ!」 

午後3時  戒厳司令官事件の集結を宣言す
午後3時頃  田中中尉、安田少尉、陸相官邸に


白襷を掛け 『 尊皇討奸 』 の 幟を持って帰隊途中の蹶起部隊
中隊長を失った第六中隊は、
歩三第五中隊代理の小林美文中尉がトラック三台を率いて迎えに来たが、
堂込曹長はこれを断り、永田曹長と共に中隊を指揮して堂々と行軍で帰隊することにした
それは 中隊長の志を継いだ 堂込曹長 最後の抵抗である
沿道の市民は黒山の人手となって六中隊を歓迎し、
知人の兵の名を呼ぶ者、中隊を激励する者などがあって大変な騒ぎであった
それは さながら討入を終えた赤穂浪士の泉岳寺への引揚を彷彿させるものであった

午後5時  安藤部隊、帰営

午後5時  陸相官邸、石原大佐 「 君等は自首したのか 」
午後6時  将校以下全員 衛戍刑務所に収容さる

同志将校は
各々下士官兵と劇的な訣別を終わり、
陸相官邸に集合する。
余が村中、田中 と 共に官邸に向ひたる時は、
永田町台上一体は既に包囲軍隊が進入し、勝ち誇ったかの如く、喧騒極めている。
陸相官邸は憲兵、歩哨、参謀将校等が飛ぶ如くに往来している。
余等は広間に入り、
此処でピストルその他の装具を取り上げられ、軍刀だけの携帯を許される。
山下少将、岡村寧次少将が立会って居た。
彼我共に黙して語らず。
余等三人は林立せる警戒憲兵の間を僅かに通過して小室にカン禁さる。
同志との打合せ、連絡等すべて不可能、余はまさかこんな事にされるとは予想しなかった。
少なくも軍首脳部の士が、
吾等一同を集めて最後の意見なり、希望を陳べさして呉れると考へてゐた。
然るに血も涙も一滴だになく、自決せよと言はぬばかりの態度だ。
山下少将が入り来て 「覚悟は」 と 問ふ。
村中 「天裁を受けます」 と 簡単に答へる。
連日連夜の疲労がどっと押し寄せて性気を失ひて眠る。
夕景迫る頃、
憲兵大尉 岡村通弘(同期生)の指揮にて、数名の下士官が捕縄をかける。
刑務所に送られる途中、
青山のあたりで 昭和十一年二月二十九日の日はトップリと暮れてしまふ。

・・・
行動記 ・ 第二十五 「 二十九日の日はトップリと暮れてしまふ 」


「 これからが御奉公ですぞ。しっかり頑張ろう 」 

・・・目次頁  『 昭和維新の春の空 』 青年将校達の正義は通らなかった に 戻る


この記事についてブログを書く
« 二 ・ 二六事件蹶起 二月二... | トップ | 『 昭和維新の春の空 』 青年... »