あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

行動記 ・ 第十三 「 いよいよ始まった 」

2017年06月13日 06時21分22秒 | 磯部淺一 ・ 行動記


磯部浅一 
第十三

又、一部の急進者がアセリすぎて失敗したのだ等云ふな。
決して然らず。
機運の熟しない時は一部や半部の急進同志があせっても、
決して火發火するものではない。
今回の決行は余や河野が強引にかけたものでもなく、
栗原があせったわけでもない。
同志の大部分が期せずして一致し、モウヨシ 決行しようと云ふ氣になったのだ。
日本の二月革命は計畫ズサンの爲に破れたのではない。
又 急進一部同志があせり過ぎた爲に破れたのでもない。
兵力が少數なる爲でもなく、彈丸が不足のためでもない。
機運の熟成漸く蛤御門の變の時機にしか達してゐないのに、
鳥羽、伏見を企圖したが、
収穫は矢張り機の熟した程度にしか得られなかったと云ふ迄の事だ。
同志よ、蛤御門なに長藩の損失になるのみだ。
やらぬがいい等と云ふ様な愚論をするな。
維新の長藩を以て自任する現代の我が革命党が、
蛤御門も長州征伐も經過する事なく直ちに、
鳥羽、伏見の成功をかち得やうとする事が、
余りに虫のよすぎる注文であることを知って呉れよ。

二月二十六日午前四時、
各隊は既に準備を完了した。
出發せんとするもの、
出發前の訓示をするもの、
休憩をしてゐるもの等、
まちまちであるが、
皆一様に落ちついた様に見えるのは
事の成功を豫告するかの如くであった。
豊橋部隊は板垣徹の反對に會って決行不能となったが、
湯河原部隊はすでに小田原附近迄は到着してゐる筈である。
各同志の聯絡共同と、各部隊の統制ある行動に苦心した余は、
午前四時頃の情況を見て、戰ひは勝利だと確信した。
衛門を出る迄に彈壓の手が下らねば、
あとはやれると云ふのが余の判斷であったからだ。

村中、香田、余等の參加する丹生部隊は、
午前四時二十分出發して、
栗原部隊の後尾より溜池を經て首相官邸の坂を上る。
其の時俄然、
官邸内に數發の銃聲をきく。
いよいよ始まった。
秋季演習の聯隊對抗の第一遭遇戰のトッ始めの感じだ。
勇躍する、歓喜する、感慨たとへんにものなしだ。
( 同志諸君、余の筆ではこの時の感じはとても表し得ない。
 とに角云ふに云へぬ程面白い。
一度やって見るといい。

余はもう一度やりたい。
あの快感は恐らく人生至上のものであらふ。)

余が首相官邸の前正門を過ぎるときは早、官邸は完全に同志軍隊によって占領されていた。
五時五、六分頃、陸相官邸に着く。

「 これから後の手記は成るべく詳細にして、
 後世發表の官報、官吏のインチキを叱正したいのだが、
手記が余の行動を中心としたものたるをまぬかれ難いので、
全同志の行動、竝 各方面の情況に對する全般的のものたる事を保し難い。
又、遺憾なのは、余も村中も明日にも銃殺されるかも知れぬ身だから、
記錄が毎日、毎日、序論と本論と結論とをせねばならぬので、
一貫した系統のあるものに成し難いことである。
願くば革命同志諸君の理論と信念と情熱とに依って判讀せられんことを。」

香、村、二人して憲兵と折衝してゐる所へ、余は遅れて到着す。
余と山本は部隊の後尾にゐたのと、
獨逸大使館前の三叉路で交番の巡査が電話をかけてゐるのを見たので、
威カクの爲と、ピストルの試射とを兼ねて射撃をしたりしていたのでおくれたのだ。
官邸内には既に兵が入ってゐる。
香田、村中は
國家の重大事につき、陸軍大臣に會見がしたいと云って、憲兵とおし問答してゐる。
余は香、村は 面白い事を云ふ人達だ、えらいぞと思った。
重大事は自分等が好んで起し、むしろ自分等の重大事であるかも知れないのに、
国家 の重大事と云ふ所が日本人らしくて健氣だ、と 思って苦笑した。
憲兵は、大臣に危害を加へる様なら私達を殺してからにして下さいと云ふ。
そんな事をするのではない、國家の重大事だ、早く會ふ様に云って來いと叱る。
奥さんが出て來る、
主人は風邪氣だからと斷る。
風邪でも是非会ひたい、時間をせん延すると情況は益々惡化すると申し込む。
風邪ならたくさん着物でも着て是非出て來て會って戴きたい、
と 懇願切りであるが、なかなからちがあかぬ。

川島義之陸軍大臣 

次頁 第十四 「 ヤッタカ !! ヤッタ、ヤッタ 」  続く
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