あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

磯部淺一 ・ 獄中からの通信

2017年05月23日 14時59分07秒 | 磯部淺一 ・ 獄中からの通信

銃殺されたる十五同志は等しく閣下に対し非常なる尊信を致しておりました。
私も十五同志と同様でありますのに、
閣下等(川島、荒木、阿部、山下、村上等十五名)を反乱幇助で告発しましたのは、
同志を救ふ爲めの止むを得ざる半間苦肉の策でありました。
二月事件当時の軍首脳者たる前記十五氏が
「大臣告示は説得案などにあらずして、青年将校の行動を認めたものだ。
従って戒嚴軍隊中に行動部隊を入れたのは謀略命令ではない」
と云ふことを一言づつ証人として証言して下されば、同志全部がたすかるし、
一方寺内軍政権はテンプクすると考へましたので、寺内等の統制派不純分子を
失脚せしむるを是第一の目的として、告発と云ふ半間苦肉の戦法をとつたのですから、
決して閣下等に対して悪意のあるものではありません。
所が、川島、山下、村上その他の諸氏が大臣告示の意義を極めて低下してしまはれて、
曰く、
「大臣告示は説得案だ」
と云はれ
「戒嚴命令は謀略命令」
と云はれますので、
青年将校等は全くの反乱軍となつて殺されるハメになりました。
然し今となつては致し方ありませんがら次の戦法を考へねばなりません。
次の戦法の方針は寺内をたほす事です。
・・・獄中からの通信 (8) 眞崎大将宛 


磯部淺一 
獄中からの通信

目次
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獄中からの通信 (1) 歎願 「 絶対ニ直接的ナ関係ハ無イノデアリマス 」 
獄中からの通信 (2) 宇垣一成等 ・ 告発致候間審理相成度候 
・ 
獄中からの通信 (3) 森伝宛 「 真に止むを得ず、先生を引き合ひに出しました 」 
・ 
獄中からの通信 (4) 森伝宛 「 大岸大尉を眞崎将軍の顧問にすること」 
・ 
獄中からの通信 (5) 弁駁書 ( 獄中手記 (三) に依る ) 

・ 
獄中からの通信 (6) 「 一切合切の責任を北、西田になすりつけたのであります」 
・ 
獄中からの通信 (7) 「 北、西田両氏を助けてあげて下さい 」 

荒木も柳川も川島も杉山も敵も味方も好(巧)妙ににげてしまつて、
将軍一人いぢめられているのは情に於て忍び得ません。
然し将軍は日本にたつた一人の勇士として今天の試練を受けているのです。
どうか将軍の事を思ふ外部の有士は絶えざる激励をしてあげて下さい。
そして勇(雄)心ウツ勃たる大丈夫の意気を以て正義を公判庭に争はしてあけで下さい。
しかも将軍の正義を貫徹させる爲めに、
宮中、府中をかため、國民の義心をさます等必死の御活動御願ひします。
何とかして御上から
「眞崎や青年将校の云ひ分が正しい。 寺内がわるい」
との 一言をいたゞけないものでせうか。
朕は青年将校の行動を許す
との 一言でもいゝのです。
維新の勅を賜はる事ならこの上の望みはありません。
去年七月十二日の朝まだき
血涙を呑んで逝った義士等の魂を救ってやつて下さい。
成仏さしてやつて下さい。
・・・ 獄中からの通信 (10) 森伝宛


・ 
獄中からの通信 (8) 眞崎大将宛 「同志を救うための苦肉の策でありました 」 
・ 
獄中からの通信 (9) 森伝宛 「 正理正論の行われる世に非ず 」 
・ 
獄中からの通信 (10) 森伝宛 「 朕は青年将校の行動を許すとの一言でもいい 」 
・ 
獄中からの通信 (11) 眞崎大将宛 「 どうか青年将校の魂を救ってやって下さい 」 
・ 
獄中からの通信 (12) 森伝宛 「 吾人は霊の国家を有し、信念の天地を有す 」 

・ 
獄中からの通信 (13) 森伝宛 「 私は最後迄頑張りました 」

森 殿

うれしくありました。
貴方は立派な方です。
此の一言で全てのこと御わかりですね。
私は決して死にません。
死ぬのではありません。
神になるのです。
天下一人と雖もその堵に安んぜる者がある間死にません。
維新の大詔が下り同志が立つて吾人の思想信念を具体化する迄は死にません。
私共の忠義心を上聞に達していたゞきたいのが唯一ツの念願です。
私は最期迄頑張りました。
決してヒキヨウな事や腰ぬけも妥協はして居りません。
新聞等の発表は殆ど全く私及私共の考へをまげていると考へます。
此の次はエンマの庁で一といくさ。
呵々。

・ 
磯部浅一と妻 登美子 「 憲兵は看守長が 手記の持出しを 黙認した様に言って居るが、そうではないことを言ってくれ 」


獄中からの通信 (1) 歎願 「 絶對ニ直接的ナ関係ハ無イノデアリマス 」

2017年05月22日 14時58分43秒 | 磯部淺一 ・ 獄中からの通信


磯部浅一 

歎願

謹シミテ
百武侍従長閣下ニ嘆願シ奉リマス
北 輝二郎
西田 税      両人ハ
昭和十一年二月二十六日事件ニ関シテハ
絶對ニ直接的ナ関係ハ無イノデアリマス、
然ルニ 陸軍現首腦
兩人ヲ死刑ニセントシテオリマス、
此ノ潜上専断ナ裁判ハ上ハ
天皇陛下ノ御徳ヲ汚シ奉り、
下ハ國民ノ義心ニサカラヒ
君國ノ爲メ忍ビ難キモノデアリマス
速カニ事ノ眞相ガ 上聞ニ逹シ、
兩人ノ無實ノ罪ガトケル様ニナルコトヲ
國家ノ為メ念願スル余リ、
順序ヲ紊ルノ罪ヲ顧ミル暇ナク、
両人助命ノ爲メ閣下ノ御盡力ヲ賜リ度ク、
伏シテ嘆願シ奉ル次第デアリマス
恐懼謹言    磯部浅一    血判


獄中からの通信 (2) 宇垣一成等 ・ 告撥致候間審理相成度候

2017年05月21日 14時55分10秒 | 磯部淺一 ・ 獄中からの通信


磯部浅一 

検事総長殿
左記の者は別紙記載の通り
内乱豫備罪に該当すると認め
告撥致候間審理相成度候

左記
陸軍大将 宇垣一成
陸軍中将 二宮治重
同      小磯国昭
同            建川美次
陸軍少将 重藤千秋
陸軍砲兵大佐 橋本欣五郎
陸軍歩兵少佐 田中 清
法学博士 大川周明
清水行之助
別紙
犯罪事実

一、前掲宇垣一成(当時陸軍大臣)、二宮治重(当時參謀次長)、小磯国昭、
 建川美次(当時參謀本部部長)、重藤千秋、橋本欣五郎(当時參謀本部々員)、
田中清(当時陸軍省課員)、大川周明、清水行之助等は、
内乱を構へ、宇垣一成を首班とする軍政府を樹立し、
戒嚴令下に軍中央部の抱懐する國策を遂行せんと欲し、
昭和六年二、三月頃相結んで陰謀畫策し、着々準備を進め、
三月某日当時開会中の議會に於ける重要法案上程の日を期して
大川周明の主催を以て國民大会を開催し、これに集合せる民衆を扇動して議會に殺到せしめ、
一方帝都衛戍の軍隊の一部に命じて 「 行軍中の休憩 」 と 策称して予め議員附近に招致し置き、
右民衆の殺到するやこれに對し議会を掩護すべき任務を与へて議會を包囲せしめ、
武力を以て議會を強要し總辞表を捧呈せしめて、
政変を誘致し、
且、宮中工作の強行によつて次期總理の大命を時の陸相宇垣一成に降下せしめんとせり。
而して戒嚴令下にその政策を強行せんが為め、
清水行之助等民間浪人に擬包音(爆薬) 三百箇を与へ、
帝都各所に於て爆発し騒擾を惹起せしめ、以て戒嚴令宣布の事態を誘起せんとせり。
本事件は國民大会に餘期の成果を擧げ得ざりし等
實行上の齟齬蹉跌のため未然に終了せるものなり。
二、右擬包音に関する事項左の如し。
 橋本欣五郎は爆弾準備の任に膺り、長勇中佐(当時大尉、參謀本部々員)に之を命じたるに、
田中軍吉大尉(当時中尉、近歩三聯隊付)が 「ダイナマイト」を入手して長勇に手渡すべしと約したるを以て大ひに喜び居りしが、
田中軍吉が約を果さゞるため爆弾の準備不可能となりしを以て、
橋本欣五郎は同志に對し面目なしとて三日間欠勤し引籠り居りたるに、
建川美次がそれと知り自ら陸軍歩兵学校長宛照(紹)介状を認め、橋本欣五郎を同校に派遣せり。
橋本欣五郎は田中弥大尉(当時參謀本部々員)を伴ひ、
演習中の歩兵学校長代理筒井正雄中将に習志野に於て会見し、
事情を具陳して爆弾調弁方を依頼せる結果、
橋本、田中両人は歩兵学校副官高浜某大尉と同行、程ケ谷某火薬工場に至り、
歩兵学校発行の伝票にて擬包音三百箇を購入し、三名にて之れを參謀本部に携行せり。
參謀本部に於ては部員を動員して内外の交通を遮断し厳密理に同擬包音を建川部長室に搬入し、
后日前記目的のために清水行之助等に之れを手交せり。
荒木貞夫大将の陸相時代、
民間に散在しありしこの擬包音を苦心の結果回収し、歩兵学校に返還し、
且、技術本部々員山口一太郎大尉に命じてその効力試験を行はしめたる結果、
人馬殺傷の効力を有すること判明し、同大尉はこの儘放置せば爆発の危険ありと認定し、
廃棄処分にすべきことを注意し置きたるにも拘らず、同校に於て其処置を怠りたるため、
后日自然発火して爆発し、一倉庫を紛砕せり。
昭和十年七月教育總監更迭を繞り統帥權上の問題発声し当時、
非公式軍事参議官会議の席上、
荒木大将は右試験に使用せる擬包音の破片を証拠物件として、
永田鉄山 ( 昭和六年頃の陸軍省軍事課長にして本事件に参畫せる一人なり ) 等が
従来各種の陰謀をなし軍の統帥を攪乱しある事実を指摘し、
眞崎總監の更迭より是等皇軍を攪乱しつゝある者を先づ処分すべきことを痛感せり。
三、右世上「三月事件」と称しある事件の内容に関しては、
 昭和十年七月告発人村中孝次、磯部浅一の両名より陸軍当局に具進(申)せる
「 粛軍に関する意見書 」 と 標記せる上申書中の付録 「 田中清少佐手記 」 に 詳細に記載しあり。
田中清少佐は当時同事件に干(関)与し
( 田中清は当時大尉にして、同人が自ら告発人村中孝次に語る所によれば、
橋本欣五郎より
「 本計畫は佐官以上にて実行する予定なりしも、
君はこの方面の研究家なるを以て特別に参加を乞ふ 」
と 勧誘せられて本事件に関与するに至れりと )、
重要謀議に参画せる一人なり。
「 田中少佐の手記 」
は 同人が曾て旧旅団長石丸少将の乞に応じて
自己の干(関)与せる三月事件 及 十月事件の経緯を手記せるものにして、
后日世上に流布せるものにして、
田中清は本手記は同人の作成せるものなることを村中孝次に言明せるものなり。
「備考」 「粛軍に関する意見書」 后日証拠品として呈出す。
四、第二項記載事項前半は高浜某が元陸軍歩兵大尉山口一太郎に對し談話せることを主體とするものにして、
 后半は陸軍少将平野助九郎が告撥人村中孝次、磯部浅一に語りたる所なり。
山口一太郎、平野少将、荒本(木)大将を証人として喚問ありたし。
五、右事実を要約するに、本事件は時の陸相初め軍首腦部が相結托(託)し、
 兵馬大権を簒奪して軍隊を頣使私用し、至尊を鞏要し奉り、議會を占領し、
且、民間右翼団体を利用して動乱を惹起し、
戒嚴令下に軍政を強行せんとせし不軌大逆の簒奪行為にして、
國體を破壊し幕政時代の中世へ逆転せんとせしもの、
その絶対に許すべからざる内乱(反乱)の呼び行動なりしこと極めて明瞭なりとす。


便箋六枚にペン書


獄中からの通信 (3) 森伝宛 「 真に止むを得ず、先生を引き合ひに出しました 」

2017年05月20日 14時48分28秒 | 磯部淺一 ・ 獄中からの通信


磯部浅一 

出所の由、
大慶至極、欣快云ふ所を知らず。
先生、先生と小生とは相識りて久しくはありません。
然し一見して旧知の如きは先生の鴻志と小生の微志と相通ずるものがあつたからだと信じます。
今年一月以来、会を重ねる毎に先生の邦家に対する純正報効の志を知り、
小生秘かに教を机下に受けておりました。
二月二十五日、尊皇討奸を決して血聖の同志遂に蹶起し、乾坤一擲して皇家の悲運を挽回せんとしました。
所が事志と大いに異り、
千五百の同志将兵は国賊叛徒として一網打盡、刑につかねばならぬ身になりました。
二月二十九日入所以来小生は如何にして千五百将兵の賊名を取り除き
反乱罪たることを
破砕せんかに千慮万考殆ど血滴をしぼりつくし、
骨髄をスリ減らしました。
その結果得たる所は
僅かに天神地神冥々の加護をたのむ事と川島、荒木、眞崎、阿部、
香椎、堀、小藤等諸氏の理解と同情に依って将兵多数同志を助けてもらふ事でした。
神冥加護の事は云ふに及ばざるも、
川島、荒、眞等将軍の事については一応の策を考へ
ざるを得ませんでした。
即ち三将軍及び他の参議官一同が
二月廿六日発表の大臣告示の意義を充分ならしめる事に
よって
小生等の行動を軍首脳部が認めた事になるのです。
又、告示によつて認められた青年将校は更に天皇宣告の戒厳軍隊にも編入されたのですから、
川島を第一とし、荒木、眞、香椎将軍等が小生等に対して少しく腰を入れて呉れたら、
必ず事は有利に進展すると考へたのです。
それですから、川島、荒木、眞、香、山下奉文、村上啓作の諸子及堀丈夫、小藤等の諸子が
小生に対して有利なる証言をして呉れることを一念に祈願しました。
事を解決するの鍵は川島等数氏にある。
これ等の諸氏が青年将校の行動を認めたのだと一言云って呉れさへすれば、
千五百全部助かるのだ、陸軍そのものが助かるのだ。
軍首脳部からも責任者など一人も出さずにすむものだと思ふと、
川、荒、眞、山下、古莊、村上、
香等の諸氏の証言がどれだけ大切で、
又、どれ丈小生には心配であつたかわかりませんでした。
所が、入所して日時の経過するに従つて、
軍首脳部の公判方針等がチヨロリチヨロリとわかり出しました。
小生はその毎に心痛をせねばならなくなりました。
それは前記諸氏が小生等を全く国賊あつかひにし、反徒として無茶苦茶な証言をしているのです。
これでは助かりそうにはない。
全部処刑され死刑も多数出る様になると云ふこと思ふと、
私は同志に対して立つても居ても
おられない程にすまなくなりました。
数日数夜を考へあげた末に、
遂ひに意を決して、眞崎、荒木、川島、阿部、香椎、戒厳参謀長
古莊、山下、堀等十五氏を告発しました。
理由は
「 是等諸子は青年将校の反乱を幇助した者だ。
川島の如きは大臣告示を出し、
香椎は戒厳軍隊として命令を以て青年将校の部隊を指揮したのだ。
だから青年将校が反乱罪なら軍首脳部は幇助だ。
否、陸軍そのものが幇助したのだ。
陸軍が助かりたく、又、軍首脳部が助かりたいなら、青年将校を助けよ 」
と 云ふ意味であつたのです。
小生は此の告発によつて陸軍の弾圧派に挑戦した迄の事ですから、
必ずしも諸将軍等に敵意
を有していたのではありません。
要は陸軍の寺内その他幕僚等弾圧派に対して挑戦し、
敵をして策なからしめた結果、
同志を救助しようと考へたのです。
この小生の対公判策を有利に発展せしむる為には、眞崎将軍をカツギ出すより外に仕方がないのです。
然、唯単に眞崎を出した丈では、眞崎が知らぬと云へばそれ迄になつてしまふので、
勢ひ金銭関係を云はざるを得なくなつたのです。
眞崎と小生等と精神的に又物質的に深い関係がある事になりて、
眞崎が、
「俺は青年将校の行動を認める。
俺ばかりではない、川島も事件当時は大臣告示を出して認めている。
川島のみならず、軍事参議官全部がみとめたのだ。
寺内も認めたではないか。
それのみならず、大臣告示中には、各閣僚も青年将校の真精神を理解して、
今後ヒキヨウの誠
を致すと明記されているのだから、青年将校の行動は罰してはならぬ、
青年将校を罰するなら、軍事参議官全部、特に川島は同罰になり、又、現寺内大臣にも責任がある筈だ。
又、特に天皇宣告の戒厳軍隊に編入され、戒厳命令によつて警備地区をもらつて警備をしているのだから絶対に罰してはならぬ」
と云ふてくれたら、吾々は非常に有利になりますので、
小生としては、先ず眞崎にウンと強いコトヲ云ってもらひ、川島その他お同意させる事にせねばならないと考へました。
川島が眞崎の言に同意し、荒木も同意し、香椎も同意せば、寺内だつて吾々同志を処刑する事は出来なくなると考へました。
それで恐らく反乱幇助罪で告発したら、川島等も多少反省して、吾々に対する証言を有利にして呉れるだらふ、
又、寺内も、川島、眞崎、荒木、阿部等の大物を処刑するわけにもゆかなくなり、
ヒイテ吾々同志も助かることになるだらふと思って告発したのです。
大体以上の様ないきさつから、眞崎将軍の事を比較的くわしく述べ、又、川島将軍の事、
先生の事に及び、清浦子、大隈伯(侯)と佐賀閥の事にも及びまして、
真に止むを得ず、同志の為、真に止むを得ず、先生を引き合ひに出して、
意外の御迷惑をかけ、誠に相すみませんでした。
先生、磯部と云ふ奴は恩を仇でかへす奴だと御叱り下さらずに、小生の同志を救ふ為め
なれば御海容下され度、伏して願上げます。
小生の止むを得ざる失言の為めに先生に永い間の牢獄生活をさせた事を非常にすまなく
思っております。
何卒御海容下さい。
    ----○----○----
獄窓僅かに天の一角を仰げば熱雲厚く、将に那家今日の状を示すものの如し。
小生日夜酷熱とたゝかひつゝ皇国の前途を祈願しあり、
余生甚だ少しと云へども、
精魂続くかぎり 天地神霊に祈りて止まざるこそやウ国の士の道と信ず。
されば百度の 熱気にも千万の蚊蠅にもひるむものにはあらず。
一念一信、断じて止まじ。
断じて止まじ。 断じて死せじ。
    ----○----○----
右所懐いささか申上げます。
御家族様一同に呉々もよろしく御伝へを願ひ上げます。
参上の度毎に、いかい御手数などかけ、感謝の至りで御座居ます。
特に御令息、秘書殿並びに運転手殿には、たびたび御世話様に相成りました。
厚く御礼を申上げます。
先生の御健勝を祈ります。
菱海
森 先生
机下

二伸
日本の道は、一日も速かに維新大詔御渙発と憂国多数同志の大赦によつて、
新進路となる以外にありません。


和紙(二二×五三センチ)八枚に毛筆書  


獄中からの通信 (4) 森伝宛 「 大岸大尉を眞崎将軍の顧問にすること」

2017年05月19日 14時43分52秒 | 磯部淺一 ・ 獄中からの通信


磯部浅一

一、湯浅を失脚させるには左の方法も一案ならん。
去る三月一日宮内大臣(湯浅)の名に依って
同志将校二十数名が
大命に抗したるものとして 免官になりました。
所が同志将校は決して大命にこうしてはおりません。
この事は予審及公判に於て段々と明かになつたのです。
即ち最初の公訴事実には宮内省発表と同様に大命に抗したる国賊反徒としてあつたのですが、
公判廷に於て同志の猛烈なる反バクにより
大命に抗したるものに非ざることが明かになりましたので、
判決主文に於ては大命に抗したりと云ふ文句は敢然に取り除かれたのです。
そもそも大命に抗したり云ふのは何を以て然り云ふかと申せば、
所謂  奉勅命令をきかなかつたから大命に抗したと彼等は云ふのです。
所が吾々は決して奉勅命令に反抗した者ではありません。
命令に反抗すると云ふことは、
反抗する以前に於て命令が完全に下達されておらねばならぬわけであります。
然るに所謂奉勅命令は二月二十九日に至る迄とうとう下達されませんでした
下達されない奉勅命令に反抗すると云ふ筈はないのです。
奉勅命令が下達されなかつた事は
何人が何と云ひのがれをしても動かすべからざる
厳然としたる事実です。
吾々は断じて奉勅命令に抗してはおりません。
然るに、此の青年将校を大命に抗したりとして免官し天下に公表したのです。
上陛下をあざむき奉りたるつみは許しがたきものと云はねばなりません。
此の責は当然に当時に大臣たる湯浅及軍部幕僚が負はねばならぬ筈です。
川島は責をとつて引きましたが、湯浅は平然として今尚ほ陛下をあざむきつゞけておるのです。
速かに天下の正論に問うふて彼を一日も早く引きたほしてしまはねば国家の大患となります。
湯浅をたほすことが出来れば鈴木貫太郎は自然に、当然に、たほれませう。
陛下の側近に侍る臣は、天下の師表国家の柱石的人材でなくてはならぬ筈ですのに
国民から斬撃された不具者が何時迄もぼやぼやとしていることは
事態の悪化するばかりでなく天皇の神聖をけがしますから、鈴貫も湯浅同様早く始末せねばなりません。
鈴貫、湯浅がたほれゝば、牧、西等所謂不臣なる重臣は大体に於てたほれます。
重臣、元老を処置することなく、いくら政変をくりかえしてみても駄目です。絶対にだめです。
ですから維新を希ふものは先ず重臣、元老を第一に処置せねばならぬのです。
重臣中の扇の要を処置すべきです。
要は湯浅です。 かなめを一本ぬき取ると扇がバラバラになります。
恐らく寺内も、児玉も、木戸幸一もその他の寄生虫がバタバタと参ることになるのではないでせうか。
要するに、湯浅を倒す為めには奉勅命令の一件を以て天下に正論を起すこと、
之と同時に陸軍部内の空気を反重臣的に起してゆくこと、
且、正義派諸氏の鉄石の如き結束とすることは勿論です。
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 湯浅倉平     三月一日報道
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二、統制派幕僚を倒すことは、なかなかむづかしいと思ひます。
が、これには手段があります。
眞崎将軍によくよく御相談下さい。
小生の意見を申しますと、表面は或る程度手を握らねばならぬと思ひます。
今は腹が立つけれども、腹の虫をグツトおさえて表に出さぬことです。
彼等の戦鋒を味方に向けさしては不利です。
重臣に向けさせることです。
広田内閣に向けさせることです。
維新派は統制派、或はその他アラユル力を利用して先づ重臣を処置することです。
統制派なんて云ふ奴はその存在はサク雑模楜(糊)していて、わからぬ情態になつているかと思ひます。
敵の見えない霧の中で大砲射つても駄目です。
霧の深い時にしておかねばならぬことは味方の態勢をとゝのへることです。
味方の大勢をとゝのへるとは予備の中将や大将やその他下らぬ政治家や浪人等をよせあつめることではないのですよ。
よく考へて下さい。
激戦に堪える勇将、勇士を呼びあつめて準備をすることです。
今の世に激戦に堪へ、戦勝を獲得し得るものは政治家でも大将でも陸軍大臣でもありません。
青年将校です。
今度コソイヨイヨ青年将校をシツカリと信頼して下さい。
従来荒木も眞崎もその他すべての連中が青年将校をないがしろにしたり、
敬遠したりしていたので、どうも シツクリ としませんでした。
その為めに吾々は失敗したのです。
老人連中が腰ヌケだから、多くの同志をムザムザ死刑にしてしまつたのです。
クドクド敷くなりますから結論を申します。
イ、大岸大尉を自(辞)職させて至急に眞崎将軍の顧問にすること
ロ、全国に散在する青年将校及五・一五関係の士官候補生等と密接なる連絡を保つこと、
ハ、橋本欣五郎大佐その他との密接なる連繋を策すること、
二、神戸海員組合の松田氏より労動(働)組合方面の意見等は充分に聴取すること
     (眞崎将軍直接にスルコト)
右の外幾多の手段により維新軍の結束をかため、大きく全国的に動く準備をしつゝ、
重臣と統制派とを圧迫して進むことが必要と思ひます。
眞崎閣下、青年将校を全部的に信頼し、誰にエンリョ 気兼もせず堂々とヤラナイと又失敗しますよ。
天下何者も青年将校の信念と実力と思想と行動に敵するものはありません。

友軍の大勢が整ふたならば戦斗(闘)開始です。
イ、青年将校蹶起の主旨は大権干犯の国賊を討ち、国体の真姿顕現をせんとしたものなり
 との
明らかなる旗幟を立てヽ重臣元老を攻撃すること
ロ、大臣告示戒厳命令 をたてにとつて青年将校の部隊は反乱軍にあらずと云ふことを主張し、
 反乱軍として裁判をしたる統制派を根底より覆すこと、
大臣告示は陸軍省の奴等の合議によつて説得案と云ふことになつています。
又 戒厳命令は青年将校の行動を認めたるものに非ずして謀略命令だと云ふことになつています。
然し 告示は断じて説得案ではありません。
今後 寺内等を引きたほす為には真崎さんが
大臣告示は説得案に非ずして青年将校の行動を
認めたるものなり、
と云ふことゝ、
戒厳命令は青年将校の行動をみとめたるものであつて
決して謀略命令ではない
と 云ふ二ツの事をアク迄主張したらいゝのです。
寺内等の一味は必ずたほれます。
この二つの事を主張する為には眞崎、川島、山下、香椎の一致結束を要します。
も少し突込んで申上げますと、
次の様なことが告示 及 戒厳命令の真相です。
大臣告示が二月廿六日宮中に於て起案された時は青年将校の行動を認めたのです。
これは何と云ひのがれをしても駄目です。
公判に於て明かになつていますから、先頭第一番に軍の長老が認めたのです、
香椎さんがよろこんで司令部に電ワをかけたのです
( この辺のイキサツは真崎さんがよく知っているのでせう )
後に如何に訂正され様とも、
先頭第一に軍の長老が青年将校の行動を叱らなかった
のみならず
認めたと云ふ事実は厳として動かすことが出来ません。
認めたからこそアンナ大臣告示を堂々と発表したのです。
若し今日彼等が云ふ如く
吾々が二月廿六日に於て国賊反徒なることが
それ程明かであるならば、
大臣告示を出す所ではなく、直ちに討伐の詔勅を載(戴)く可きです。
然るに、アンナいゝ文句の大臣告示を出すと云ふことは、
その事それ自身が青年将校の行動を
認めた事なのです。
したがつて、大臣告示は断じて説得案にあらず。
試みにアの告示の文面を検討してみて下さい。
説得案にあらずして青年将校を認めた事が明々白々になりますから。
たしかに二月二十六日当時は軍部は青年将校の行動を認めたのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
大臣告示               陸軍大臣より                  軍隊に関する告示                奉勅命令
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ところが参謀本部系の幕僚が策動して
 奉勅命令 と云ふ重大なる命令をいたゞいて
青年将校をオドシにかゝつたのです。
然るに、青年将校の方では
維新に進入する曙光の見える迄は断じて引かぬと頑張ったので、
幕僚はアワテ出したのです。
その結果遮二無二青年将校を撤去させようとしました。
ソシテアワテタ為めに 奉勅命令が完全に下達されたか否かもしらべずに、
下達されたものとして
大命に抗したりとの発表をしたのです。
サア大変な事が起ツタ。
二十六、七日に於ては
大臣告示でも青年将校の行動を認め、
又、行動を認めた上で奉勅命令を
下して
吾々の同志部隊に警備を命じているのに、

三月一日には大命に抗したと云ふ発表をした。
軍は完全に窮地に立つたのです。
即ち大命に抗したる程の者に 大体 戒厳命令を下したと云ふことは軍全部の責任になるわけです。
大臣告示は行動を認めたるものと云へば、
軍そのものが ( 軍首脳部 ) が
青年将校と一諸(緒)に
国賊にならねばならぬ羽目になつたのです。
コレハ大変だと思って、
至急に大臣告示は説得案なり、戒厳命令は謀略命令なりと云って、
逃げをはり出したのです。
( いゝですか。 わかりますか。 面白いところです。
 大将とか中将とか軍中央部とか云ふ連中はは腰抜けですよ。
逃げをはらなかつたならば、而して青年将校をアク迄支持したならば、
次の時代の花型役者
たり英雄たり得たのですが、一人もそんな腹のシツカリしたのが居ませんでした。
逃げをはるものですから、磯部菱海など云ふ浪人から告発されたりするわけです。呵々 )。

話は本すぢにもどつて、
寺内等をたほすには、
先づ第一に大命に抗しと云ふ宮内省発表の不当を迫り、重臣をたほす。
而して 青年将校は大命に抗したるものに非ずと云ふことを明かにすると、
あとはカンタン至極です。
青年将校は国賊に非ずと云ふことになります。
然らば青年将校は反乱罪なりやと云ふ次の問題が起ります。
これは又かんたんにかたづきます。
青年将校は反乱にアラズ、
何となれば反乱軍に大臣がアノ如き立派なる告示を出すハズナシ、
アの大臣告示は青年将校の行動を認めたものだ(と)主張すればいゝのです。
更に、青年将校は反乱にアラズと断呼(乎)として続けるのです。
何となれば
天皇宣告の戒厳軍隊の中に編入されたことは
反乱に非らざる理由の最大なるものです。
尚、戒厳軍隊になつた青年将校は戒厳の警備命令を受けて警備をしているのです。
反軍に警備を命ずると云ふことは日本に於てアるべからざることです。
警備をめいじたと云ふこしは、反乱軍にアラズと云ふことです。
此くの如く青年将校は明かに反乱罪ではありません。
然るにですよ、
寺内等南等重臣等は一連の結束をして同志を反乱罪として死刑にしたのです。
ですから、
告示と戒厳命令の正当と正義をあく迄も主張すれば、青年将校は正しい、
青年将校は反乱に非ず、
死刑にスルトハ何事だ、
一体誰が死刑にしたのだ、
死刑に下のは寺内、南、片倉等だと云ふことになつて、
統制派はたほれます。
私は個人の生死を云云しません。
然し 私の正義、同志の正義をとほす為には、
死の易きよりも生の苦痛の中に生きてたゝかひます。
私は今はむしろ死の方が楽です。
然し正義の為めに生の苦痛をしのんでゆきたいのです。
正義の為めに生きたいのです。
正義を守らんが為めに死にたくないのです。
私と村中が死刑から救はれると云ふことは、単に二人の問題ではありません。
維新派の正義が重臣等の不義に勝つことになるのです。
ですから、私はキタンなく申しますと、
天下の人ことごとくが村中、磯部、
否 十八の勇士、
否 全維新青年将校のシヤク放運動の火の手をあげていたゞきたいのです。
重ねて申します。
私の自身の生死の問題ではありません。
私の死刑問題を中心として非維新派とたゝかつて、彼等をたほして下さいと云ふのです。
全日本の愛国者にたのむのです。
私の生死を云ふのではありません。
以上のことは参考として申上げるのですが、
青年将校 及 青年愛国者が日本の死活問題を
握っているのです。
いはんや 老将軍、幕僚、軍部、政府、政治家、重臣等々の死活のいぎは
青年が握っていることは申す迄もありません。
青年を知らぬ奴はほろび、ほろぼされ、斬られ、射たれるのです。
よくよくこの道理を御考への上、
眞崎さん 末次さんとか山本英輔さんとかに
青年をほんとうに
大事にしてシツカリと手を握る様に申して下さい。
荒木も眞崎も某も某も、今度こそシツカリしないと、
この次には必ず青年将校に殺される
様なはめになりますよ。
クドクドと理クツを云はないで青年将校を大事にしないと、必ずヤラレマスよ。
㊀  大岸大尉を至急上京せしめて真崎の顧問にしなさい。
 絶対に必要です。
これをやらないと何が起るかわかりませんよ。
私の云ふことはウソではない。
オドカシでもないのです。
㊁  満井中佐、菅波、大蔵、小川、佐々木、末松等十数名が起訴されているのですが、
 これをシツコウユウヨにする様にして、一日も早く出所させて東京に置くこと。
㊂  山口大尉等 無期の連中を維新大詔渙発大赦により出所させること。
㊃  陛下に直通することが第一番です。
 宮様に直通することが第二番です。
この二要件をしないで倒閣をいくらしても眞崎内閣は出来ませんよ。
㊄  若し内閣がたほれて軍内閣でも出来たら、
 軍部幕僚にクーデーターをやらせて、大詔渙発
をやることも一法と思ひます。
日本の一切の所謂忠臣どもに、
命がけでやらねば汝等の命がこの次にあぶないぞと云ふて下さい


ノートに鉛筆書
森伝宛か


獄中からの通信 (5) 弁駁書 ( 獄中手記 (三) に依る )

2017年05月18日 14時04分44秒 | 磯部淺一 ・ 獄中からの通信


磯部浅一 

弁駁書(ベンバクショ)

陸軍衛戍刑務所にて
磯部浅一
一、北、西田両氏の思想
二、北、西田両氏の功績
三、北、西田両氏と青年将校との関係
四、尊王討奸事件(二・二六)北、西田両氏の関係
(1)青年将校蹶起の動因
(2)二月蹶起直前北、西田両氏と青年将校
(3)奉勅命令と北、西田氏の関係
五、大臣告示、戒厳命令と北、西田氏
六、結言
附記

獄中手記(三)に依る
リンク
獄中手記 (三) の一 ・ 北、西田両氏の思想
・ 獄中手記 (三) の二 ・ 北、西田両氏の功績
・ 獄中手記 (三) の三 ・ 北、西田両氏と青年将校との関係
・ 獄中手記 (三) の四 ・ 尊皇討奸事件 (二・二六) と 北、西田両氏との関係
・ 獄中手記 (三) の五 ・ 大臣告示、戒厳命令と北、西田氏
・ 獄中手記 (三) の六 ・ 結語 「 軍は既定の方針によつて殺す 」


森家所蔵の文章


獄中からの通信 (6) 「 一切合切の責任を北、西田になすりつけたのであります」

2017年05月17日 14時00分48秒 | 磯部淺一 ・ 獄中からの通信


磯部浅一 
獄中手記(一)に依る
リンク
・ 
獄中手記 (一) 「 一切合財の責任を北、西田になすりつけたのであります 」 


陸軍用和罫紙九枚にカーボン写し
昭和十一年一一月下旬より同十二月一〇日頃まで間のものか


獄中からの通信 (7) 「 北、西田両氏を助けてあげて下さい 」

2017年05月16日 13時53分54秒 | 磯部淺一 ・ 獄中からの通信


磯部浅一 
獄中手記(二)に依る
リンク
・ 獄中手記 (二) ・ 北、西田両氏を助けてあげて下さい 


陸軍用和罫紙八枚にカーボン写し
昭和十一年十月下旬より同十二年一月二〇日頃までのものか


獄中からの通信 (8) 眞崎大将宛 「同志を救うための苦肉の策でありました 」

2017年05月15日 13時50分21秒 | 磯部淺一 ・ 獄中からの通信


磯部浅一 

銃殺されたる十五同志は等しく閣下に対し非常なる尊信を致しておりました。

私も十五同志と同様でありますのに、
閣下等(川島、荒木、阿部、山下、村上等十五名)を反乱幇助で告発しましたのは、
同志を救ふ為めの止むを得ざる半間苦肉の策でありました。
二月事件当時の軍首脳者たる前記十五氏が
「大臣告示は説得案などにあらずして、青年将校の行動を認めたものだ。
従って戒厳軍隊中に行動部隊を入れたのは謀略命令ではない」
と云ふことを一言づつ証人として証言して下されば、同志全部がたすかるし、
一方寺内軍政権はテンプクすると考へましたので、寺内等の統制派不純分子を
失脚せしむるを是第一の目的として、告発と云ふ半間苦肉の戦法をとつたのですから、
決して閣下等に対して悪意のあるものではありません。
所が、川島、山下、村上その他の諸氏が大臣告示の意義を極めて低下してしまはれて、
曰く、
「大臣告示は説得案だ」
と云はれ
「戒厳命令は謀略命令」
と云はれますので、
青年将校等は全くの反乱軍となつて殺されるハメになりました。
然し今となつては致し方ありませんがら次の戦法を考へねばなりません。
次の戦法の方針は寺内をたほす事です。


半紙一枚に鉛筆書
①の記号あるが、②以下なく、中断か
恐らく真崎宛であろう


獄中からの通信 (9) 森伝宛 「 正理正論の行われる世に非ず 」

2017年05月14日 13時46分25秒 | 磯部淺一 ・ 獄中からの通信


磯部浅一 

左記事項を参照して○○○○○に御相談を願ふ。

一、
寺内の独裁政治を顚覆する為め三月事件告発により
肉迫するは現下に於ける重要なる
方策と信ず。
故に不肖は五月二十九日附を以て高等軍法会議に対し、
宇垣、小磯、建川、重藤、橋本
の五氏を告発せり。
一、
建川、橋本が予備役に編入らせれし時に、
検事総長に対し同事件を告発するは事態挽回
の為め万望に堪へざることなるも、
告発の結果を司法権の公正なる発動に導く為めには
政治的妨害を排除し、
且、検事総長をして決意をなさしむる有力なる佐用あるを要す。
其一は、陸海軍の正義派(現役、在郷の)を結束し、
これを中心とする一団の正論、
其二は、高論の沸騰なり。
これなくんば百の告発も当然に抹殺の運命を避くる能はず。
一、
告発は不肖の名義を以てすること困難なり。
寧ろ荊妻の名義を以てするか、為し得べくんば有力者の名義を以てするを可とす
(大化会岩田富美夫氏等は可ならずや、民間団体の輿論(ヨロン)の支持を受くる為めにも)。
告発に必要なる事実は、
荊妻保管の「告訴追加」(村中、磯部両名より第一師団軍法会議
に宛てたる未呈出のもの)
と 題する印刷物中の「三月擬包音事件」といふ項にて十分なり
(山口一太郎氏を証人とすること----前記事項は同志の直話なり)。
又、被告としては、宇垣、建川、橋本、大川周明、清水行之助を選定せば可ならん。
一、
荊妻をして告発せしむるを可とする場合、
同人を引見の上、其方策、要領を詳密に教示ありたし。
一、
輿論喚起のためには新聞を利用するを第一とするは明白にして、
新聞社探訪記者に対し荊妻
の近状として、宇垣、建川等を告発せること、
告発の動機等を語らしめて新聞に掲載し得れば
極めて効果的ならん。
之が為め 東京日々社会部記者石橋某は利用価値あらん
( 同人は相澤中佐公判中 山口大尉と連絡し特ダネ記事を掲載せり )。  /…リンク→
山口一太郎大尉 ・ 壮丁父兄に訓示  
一、
陸軍不純幕僚を壊滅する為めには十月ファツシヨ事件を摘発するを可とす。
同事件は六月上旬菅波三郎大尉より告発し、
軍法会議に於ては或程度捜査を行ひたる如く、
又、同事件を熟知する大岸大尉(和歌山歩六一)は予審官に対し詳細陳述せり
( 林大将が中心的黒幕なりといふ----大岸大尉の言 )。
本事件は海軍幕僚、会員組合委員長(浜田国太郎)等の関係あるものなるを以て、
海軍司法権
の発動により陸軍を牽制し得れば事態転換のため効あらん。
一、
何れにせよ、正理正論の行はるゝ世にあらず。
断(弾)圧の中心なる陸軍中央部は陰謀数犯の前科者の寄り合ひなり。
今次暗黒裁判の一例、
七月十一日午後新井法務官が安田優に対し
「 北、西田は今度の事件には関係がないんだネ。併し既定方針で殺すんだ 」
と云ひ、
果して去る十月二十二日死刑を求刑されたり。
正法行はれず非理法なる現時を打開して光明世界を求むる為め、
不肖等は天を擁して剱の力を用ひたり。
必ずしも暴力と云ふにあらず。
強き正しき力の結束と其発動により事態を救はざるべからず。
即ち海陸正義派の結束とただしき民論の指導とに期待す。


半紙二枚に墨書
森伝宛か


獄中からの通信 (10) 森伝宛 「 朕は青年将校の行動を許すとの一言でもいい 」

2017年05月13日 13時42分01秒 | 磯部淺一 ・ 獄中からの通信


磯部浅一 

賀 正
お元気ですか。
小生は無やみに元気です。
菅野教官によろしく御伝言下さい。
色々の事を真に感謝しております。

真崎将軍の為めに最も善い事は不起訴になる事だと考へてはなりません。
不起訴になれば真崎の個人は救はれます、
が 在獄中の数十名の同志はすべて実刑を
受けねばなりません。
将軍は今将軍を尊敬する多くの青年と共に虎穴に入っているのです。
虎児を得ることなく独り不起訴になつて出所したならば、
神も人も真崎を笑ひ、
維新は
真崎を見棄てるのではありますまいか。
将軍が若し非常なる決心をして青年将校の為に戦ひ抜いたなら、
真崎は日本の英雄になるのです。
今や将軍は一大決心を以て自ら進んで公判庭に立つ可きではありますまいか。
而して将軍と将軍の周囲は一致協力して、
水も漏らさぬ対公判方針を速かに確立すべき
ではないでせうか。
確呼(乎)不抜の作戦方針を立て、
之に基き内外呼応して司法的、政治的従(縦)横の戦斗
を以てすれば、
僭上専断な寺内等の方針を打破する位ひな事は唯(易)々たる事です。
必勝歴々です

勤皇公喞(キンノウコウショク)百武、松平、小笠原、加藤寛治等々。
憐みを敵の膝下に乞ふて不起訴運動をしたり、
不安の中にまん然として日を過ごしたりする事は、
あまりに陸軍大将真崎甚三郎氏の為めになさけない事です。
何故攻撃をしないのです。
杉山大将を告発し、閑院宮様の御責任に及ぼし、
且つ真崎の裁判官たる可き杉山等を事前に
打倒しておく。
川島、香椎、前軍事参ギ官を告発して、二月事件を全軍部に負はす。
右の告発が司法問題として発展しないなら、
公開告発の方法により国民の正義心に
訴へる如くする。
同時に告発文を御上に密奏する。
勤皇公喞のブロック結成により上奏すること出来る筈です。
方法はいくらでもあります。
決心さえ強固なら如何なる方法でもあり、又之を貫徹する事もわけなく出来るのです。
少なくも真崎将軍の公判を
勅命による査問会?位ひの所迄もつてゆく事は出来そうなものです。
此の査問会に於て
正義派が青年将校の行動の正義を主張して勝てば、
それが直ちに維新になり、
真崎将軍が大勝する所以ではないでせうか。
察するに青年将校の精神はいゝが行動がわるい、
青年将校は北、西田に煽動されたのだ、
我輩(真崎)は青年将校と関係なしとか、
磯部が真崎将軍を告発したのが悪いのだとか、
死刑になつたものは仕方がないとか、
数十名の獄中の青年も まあ止むを得ん
と 言った様な弱腰の為めに方針も立たぬ、
攻撃をする気力もなく、
仕方なく指をくわえて泣き面をしておるのではないでせうか。
それでは駄目です。
真崎将軍自身も青年将校の行動を全部的に認め、
将軍の周囲の有士(志)も全力を以て将軍を激励し
補佐し、
敵の要点に肉迫せねばならぬのです。
問題はコチラの決心です。
寺内が強いから、負けるのではありませんぞ。
コチラの決心が弱いから、敵にスキな様にあやつられるのです。
ひそかに聞くと、将軍は獄中で意気消沈しておられるとの事、
誠に気の毒です。
荒木も柳川も川島も杉山も敵も味方も好(巧)妙ににげてしまつて、
将軍一人いぢめられているのは情に於て忍び得ません。
然し将軍は日本にたつた一人の勇士として今天の試練を受けているのです。
どうか将軍の事を思ふ外部の有士は絶えざる激励をしてあげて下さい。
そして勇(雄)心ウツ勃たる大丈夫の意気を以て正義を公判庭に争はしてあけで下さい。
しかも将軍の正義を貫徹させる為めに、
宮中、府中をかため、国民の義心をさます等
必死の御活動御願ひします。
何とかして御上から
「 真崎や青年将校の云ひ分が正しい。 寺内がわるい 」
との 一言をいたゞけないものでせうか。
朕は青年将校の行動を許す
との 一言でもいゝのです。
維新の勅を賜はる事ならこの上の望みはありません。
去年七月十二日の朝まだき
血涙を呑んで逝った義士等の魂を救ってやつて下さい。
成仏さしてやつて下さい。
今獄中にいる数十名の同志は苛酷な求刑に怒り、切歯しています。
何とかして彼等を救ふ道はないでせうか。
寺内が勝手にやつている出鱈目の裁判を真に陛下の大御心の及んだ明るい
裁判にする事は出来ぬのでせうか。
一言御言(コト)わり申しておきますが、
「 磯部の奴、自分が助かりたいものだから、色々んな策を用ひるのだ。放(ホ)つて置け置け 」
では一寸こまります。
私は何と思はれてもいゝのですが、
放つておかれては多数青年将校が皆
寺内の独断苛酷な判決に服せねばなりません。
小生の真意を御汲みとり下さい。
実は十月頃 勝治(次)将軍に、
川島、香椎、杉山等を告発せねばいけないと云ふ意見を
申込みました所、
将軍は
「 磯部が妻君を使って検事総長の所へ訴へたらよからふ 」
と 云ふ様な御話しだつたのです。
私はこの時実にガツクリしました。
私は妻でも弟でも如何様にでも使ひます。
然し、女子供を使って告発しても何の効果もあるものですか。
此の告発問題は司法問題としてよりも
政治問題として多くの発展性をもつているのですから、
有力な外部の人によつてなされねば効果がない事位ひは
勝治(次)将軍は知っておられる筈です。
それにですね、
あんなことを云はれたので、一寸変な気になりました。
然し、今は何とも思ひません。
只管に同志を救ひたいだけです。
勝治(次)将軍が真に大局高所から見て兄将軍の事を考へられるならば、
小生の意見を
サイ用なさる筈と信じますから。
先生から小生の真意をよくよく御伝え下さい。
獄中の将軍も小生に対しては未だ意がとけないと思ひます。
先生に対しても何等かをふくんでいるのではないでせうか。
そんなケチな考へは棄ててもらいたいですね。
先生が真崎将軍をかばつて男児的態度をとつてゆづらなかつた事は、
私と沢田さんがよく知つていますのですからね。


チリ紙五枚に墨書
森伝宛か
 


獄中からの通信 (11) 眞崎大将宛 「 どうか青年将校の魂を救ってやって下さい 」

2017年05月12日 13時33分33秒 | 磯部淺一 ・ 獄中からの通信


磯部浅一 

失礼をかへりみず 君国の為め 閣下の御奮起を御願ひしたく、

いささか私見を申述べます。
どうか御叱りにならないで、
小生の真意を御くみとり下さる様伏して御願ひ申上ます。
閣下の為めに最も善きことは不起訴になる事でありませう。
併し、若しそれが望めない事とすれば、公判を経て無罪になることであります。
そして今は無罪になる為めに 閣下の周囲を全動員して
水も漏らさぬ対公判作戦方針を
速かに確立すべき時機ではないでせうか。
閣下を思ふの士が不起訴釈放運動に熱中したり、
閣下自らが不安の中にまん然として
居られたりして、
徒に日子を費すことは、今の場合閣下をみすみす危地に導くものです。
一日もはやく作戦方針を立て、之に基き内外呼応して、
司法的、政治的縦横の戦略を以て
公判に対すれば、
僭上専断な寺内等の方針を打破する位ひな事は唯(易)々たる事です。
必勝歴々です。
左に現下の情勢と参考となる可き方針をのべます。
どうか青年将校等の魂を救ってやつて下さい。
成仏さしてやつて下さい。

状況
イ、百武侍従長、松平宮内大臣等がおられますので、
 宮中は非常に維新派に有利になつて
まいりました。
小生が極秘裏に出した手記も確実に上聞に達した程であります。
一条公、小笠原中将等が中心となり、
専ら御上の御理解を深める様努力しておられます。
ロ、愛国団体は頭山満翁が中心になつて大きな動きをしようとしています。
 神戸新日本海員組合の幹部 ( 閣下御存知の松田氏等 ) も 上京中で、
此の人達を中心とし、
橋欣氏等も加り、
愛国団体と労働団体が一大結束を完成した様です。
緩まんではありますが、戦況は逐次に吾に有利に動いています。
決して失望してはなりません。
最後の一瞬に於ける勝利を信じてどこ迄も正義の主張をつゞけて下さい。
「至誠天に通ず」
右の情況を更に有利に進転(展)させるは一つに閣下の御決心如何にあります。
作戦方針(為参考)
一、
杉山大将を告発しておかないと、閣下が起訴される場合には彼は裁判官になりますぞ。
告発は閣下自らなさること。
尚、外部に於ても有力なる政治家或は軍人(平野閣下か、御令弟閣下)によつてなすこと。
杉山を告発することは 閣下が不起訴になる事の為にも決して不利な事ではではありません。
一、
閣下が起訴された場合には、
二・二六事件を統帥権干犯問題として
( 反軍を戒厳軍隊に
したのは 参謀総長の責任(杉山)で、
反軍であることを承知の上で陛下をだまして戒厳軍隊
に入れ、
しかも之れに警備命令を与へた事は明瞭な統帥権干犯です )
大臣、次長の責任を追及し、全軍事参議官の責任に及ぼし、
遂ひに陛下直属の査問会を
開かせる所迄押して、
外部の宮中工作と相まつて、陛下に二月事件を認めてもらふ様に
導くこと。
右の二方法は司法問題としても 政治問題としても 充分なる発展性をもつています。
唯これを敢行する閣下 及び 閣下の周囲の士の攻撃力が弱くては駄目です。
閣下願くば忠義の鬼となられ、
獄中より全愛国者を叱陀(咤)号令して維新の聖戦に
勇戦せられんことを。


チリ紙二枚に墨書
昭和十二年一月(二十五日以内)のものか
真崎宛か
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   
昭和12年9月25日 真崎大将無罪判決 報道


獄中からの通信 (12) 森伝宛 「 吾人は霊の国家を有し、信念の天地を有す 」

2017年05月11日 13時30分34秒 | 磯部淺一 ・ 獄中からの通信


磯部浅一 

一、
此の頃は猛烈な祈りの生活を致しております。
 維新と云ふことは、結局、祈りです。
国家改造の具体案でもなければ、又改造することその事でもありません。
祈りです。
行です。
牢獄で苦しむ事です。
死刑になることです。
机上改造論者が云ふ如きものは維新ではありません。
牢獄につながれず、刑も一度だつて受けない様な者は
維新の聖業に従ふ資格はありません。
今度の繫獄(ケイゴク)で先生は大資格をカク得した様なものです。
呵々。
私は御願ひします。
将来牢獄生活もしない国士、志士、自称愛国者連は
維新戦線の軍司令官ではないと
云ふことを天下の人に教へてやつて下さい。
二、自作文の書中
 「吾人は霊の国家ヲ有シ信念の天地を有す」
云云は、小生の平素の信念です。
先生には小生の意中がよくわかると推察しますが、
小生は現日本などを、小生の理想の日本とは考へていません。
従って日本中に小生の霊の統帥者は一人もありません。
小生の霊、小生の信念、信仰は
或は現日本よりズツト高い所にあるかもしれません。
ですから、小生は日本国中の人と云ふ人、
物と云ふ物一切合切を見下しているのです。
御シヤカ様ではありませんが、
天下天下唯我独尊と云った様な気持ちでおります。
三、冬の寒い日に三階応接間で炭火をかこんで
 国事を痛感した日の事が思ひ出されて仕方がありません。
四、家族及知友にやる遺書をしばらく御あづかり下さい。
 危険ですから充分御気付の程願ひます。
本遺書は小生の処刑後妻か弟に御手交下され度願ひます。
五、軍当局は非常なる注意を先生にむけていると思ひます。
 切に御自重を祈ります。


和紙に墨書
恐らく森伝に宛てたものと思はれる


獄中からの通信 (13) 森伝宛 「 私は最後迄頑張りました 」

2017年05月10日 13時25分51秒 | 磯部淺一 ・ 獄中からの通信


磯部浅一 

森 殿

うれしくありました。
貴方は立派な方です。
此の一言で全てのこと御わかりですね。
私は決して死にません。
死ぬのではありません。
神になるのです。
天下一人と雖もその堵に安んぜる者がある間死にません。
維新の大詔が下り同志が立つて吾人の思想信念を具体化する迄は死にません。
私共の忠義心を上聞に達していたゞきたいのが唯一ツの念願です。
私は最期迄頑張りました。
決してヒキヨウな事や腰ぬけも妥協はして居りません。
新聞等の発表は殆ど全く私及私共の考へをまげていると考へます。
此の次はエンマの庁で一といくさ。
呵々。


墨書
封筒表に「森伝殿、托磯部とみ子」 と墨書
刑死前日のものか

二・二六事件秘録(別巻)から
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 森伝  ・・・ モリ  ツトウ


村中孝次 ・ 丹心錄

2017年05月07日 10時12分02秒 | 村中孝次 ・ 丹心錄


村中孝次  
丹心錄
目次
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・ 丹心錄 「 吾人はクーデターを企圖するものに非ず 」 
・ 續丹心錄  「 死刑は既定の方針だから 」 
續丹心錄 「 この十年は昼食、教科書官給の十年なり、 貧困家庭の子弟と雖も學び得る十年なり 」 
・ 
續丹心錄 ・ 第一 「 敢て順逆不二の法門をくぐりしものなり 」 
續丹心錄 ・ 第二 「 奉勅命令は未だに下達されず 」 
續丹心錄 ・ 第三 「 我々を救けやうとして弱い心を起こしてはいけません 」 
續丹心錄 ・ 第四、五、六 「 吾人が戰ひ來りしものは 國體本然の眞姿顯現にあり 」 

村中孝次 ・ 同志に告ぐ 「 前衛は全滅せり 」