あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

行動記 ・ 第二十三 「 もう一度、勇を振るって呉れ 」

2017年06月03日 05時37分21秒 | 磯部淺一 ・ 行動記


磯部淺一 
第二十三
 
廿九日 午前三、四時頃、
鈴木少尉が奉勅命令が下ったらしいと傳へる。
室外に出てラジオを聞く。
明瞭に聽きとる事が出來ぬ。
この頃 斥候らしい者が出没するとの報告を受けたが、
攻撃を受け、戰闘に なりはしないだらふとたかをくくる。
理由は余の正面は、近四、山下大尉だ。
大尉は昨夜來訪し、決して射撃はしない、
皇軍同志が射ち合ひすることは 如何に上官から命令があつても出來ない、
との旨を述べて去った。
余と山下大尉とは近四時代親しくしていたから、
誠実一徹の大尉の人格を熟知し、その言を信じていたのだ。
夜の明け放たれんとする頃、
いよいよ奉勅命令が下って攻撃をするらしいとの報告を下士、兵から受ける。
各所、戰車の轟音猛烈、下士官、兵の間に甚だしく動揺の色がある。


昨日來の、
所謂奉勅命令が未だ下達もされず、
如何なる内容かわからぬので、余は奉勅命令によって、吾吾を攻撃すると云ふのが眞實なら、
その奉勅命令は賊徒討伐の勅命である筈だ。
所が吾々は、
天皇陛下宣告の戒嚴部隊に編入されているのだから、
決して賊徒ではない。
大臣告示では行動を認めると云ってをるし、上聞にも達している。
色々と考へてみたが、どうも腑に落ちないから、
一應同志と聯絡してみようと考へた。

首相官邸に至り、栗原に情況を尋ねる。
彼は余の發言に先だって、
「 奉勅命令が下った様ですね、どうしたらいいでせうかね。
 下士官兵は一緒に死ぬとは云ってゐるのですが、可愛想でしてね、
どうせこんな十重、二十重に包囲されてしまっては、戰をした所で勝ち目はないでせう。
下士官兵以下を歸隊さしてはどうでせう。
そしたら吾々が死んでも、殘された下士官兵によって、第二革命が出來るのではないでせうか。
それに實を云ふと、中橋部隊の兵が逃げて歸ってしまったのです。
この上、他の部隊からも逃走するものが出來たら、それこそ革命党の恥辱ですよ」
と 沈痛に語る。
余は平素、栗原等の實力 ( 歩一、歩三、近三部隊の實力 ) を信じていた。
然るにその實力部隊の中心人物が、情況止むなく戰闘を斷念すると云ふのだから、
今更余の如き部隊を有せざるものが、
無闇矢鱈に鞏硬意見を持してみた所で致し方がないと考へた。
栗原は第一線部隊將校の意見をまとめに行く。
余は一人になって考へたが、どうしても降伏する氣になれぬので、
部隊將校が勇を振るって一戰する決心をとって呉れることを念願した。
その頃、飛行機が宣傳ビラを撒布して飛び去る。
下士官兵にそれが拾い取られて、
手より手に、口より耳に伝へられて、忽ちあたりのフン意氣を惡化してゆく。
「 下士官兵に告ぐ、御前等の父兄は泣いている、今歸れば許される、歸らぬと國賊になるぞ」
と 云った宣傳だ。
「 もうこれで駄目かな 」
と 直感したが、
もう一度部隊の勇を鼓舞してみようと考へ、
文相官邸に引返す。
嗚呼、何たる痛恨事ぞ、
官邸前には既に戰車が進入し、敵の將兵が來てゐる。
しかも我が部隊は戰意なく、唯ボウ然として居るではないか。


余が栗原と連絡中に、歩三の大隊長が、常盤、鈴木少尉及び下士官兵を説得に来た。
この説得使と前後して戦車が進入する、だからまるで戦争にはならぬのだ。
何と云っても自己の聯隊の大隊長だ、
その大隊長が常盤、鈴木少尉、下士官兵に十二分の同情を表しつつ説得するのだ。
斬り合ひ、射ち合ひが始まる道理がない。

陸軍省附近に居た清原(歩三)少尉は
奉勅命令と聞くや、直ちに中隊をヒキアゲて帰隊してしまった。(後にわかった) 
独逸大使館前に到れば、
坂井中尉が憤然として
「何も云って下さるな、私は下士官を帰します」
と 語り、
歩三の大隊長や荒井中尉と感激の握手をしている。


蹶起以来、四日間四晩 頑張りつづけたのに、最後に気が弱くなった事は残念である。
決戦して斃れるか、敵をたほすかと云ふ所迄やるべきであったとも考へられる。
然し大勢は如何ともすることが出来ない。
二月二十七日払暁、
既に撤退しようと云ふ意見が同志の過半数を占めるかの情況に立到ったので、
余は断乎反対して之を止めた。
翌二十八日の午後は前日にもまして自決論が起つたが、
余はからうじて之を阻止し、再び維新戦線に立たしめたのであった。
二十九日に至るや、
全同志将兵以下は宣伝、脅威、説得、あらゆる手段を以てするシツヨウな敵の降伏勧告と、
休養の不充分と、編成の不完全と、その他幾多の不利なる条件の為につかれ果て、
遂に闘志を失ってしまったのだ。
冥々の絶大な力の為に、最後の一戦を制チウされたと云ふことが一番当ってゐる。
死刑になる位なら一その事、全同志が一戦して戦死する所迄、
意地を立て通したらよかったと云ふ意見を屢々同志の間に聞いた。
けれども少なくとも二十九日にはそれは出来なかった。
今考へてみると、
あの情況でよく四日四晩 頑張り通したものだと云ふ感じの奉が強い。
そしてあれ以上にやる事は、却って次の時代の為に悪いのではなかったか。
即ち全国同志をムリヤリに事件の渦中に引ずり込んでしまって、
より多くの死刑者、処刑者を出して、
革命党の全生命を断たれてしまふ結果になるのだと云ふ感じも起ってくる。
親愛なる、而して尊敬すべき同志諸君、吾等のすべての過失を寛恕して下さい。
而して 吾等の一貫の誠意を信じて下さい、順にせよ、逆にせよ
(奉勅命令に抗したにせよ、せざるにせよ) 
吾等は只管に尊皇奸を討つべく義戦を闘ったのです。
維新の為、全同志がよかれよかれと思って力一杯にやったのです。
全智全能をつくして、やっとあれ丈出来ました。

次頁  第二十四 「 安藤部隊の最期 」 に 続く 
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