あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

昭和維新・丹生誠忠中尉

2021年03月14日 08時27分34秒 | 昭和維新に殉じた人達

二月二十六日午後、私が宮内省にいっているとき、
彼は官舎に電話をかけてきて、 妻の万亀を呼びだして、
「 万亀子さん、ずいぶん驚いたでしょう。
しかし、もうこれ以上なにもおこりませんから安心してください。
お父さんには、ほんとうに申訳ないと思っています 」
と いってきた。
妻は 「 あなた いまどこにいるの 」 と きくと
「 陸軍省にいる 」 とのことだった。
そのころはまさか丹生が叛乱軍の一味とは思いもかけないし、
陸軍省が占領されていることも想像さえしなかったので、
妻は彼をこちらの味方と思い、
早く官邸を占領している兵隊たちを追払ってほしい と いったそうである。
丹生は、
「 久常さんや あなたや お伯母さんには なんら危害を加えることはないから大丈夫ですよ 」
といって 電話がきれた。
・・・岡田の伯父さんが生きておられたことをできいて、私はホッとしました 


丹生誠忠 
歩兵第一聯隊
第十一中隊長代理

緊迫した一日が過ぎ、中隊はその夜新築中の国会議事堂に移った。
張廻らされた塀の入口の所にくると、フト人声が聞こえた。
暗いので姿が判然としないが、民間人のようだ。
その男の人は我々に向って、
「 この人たちは生神様です。この人たちは生神様です 」
と お題目でも唱えるかのごとく口ずさんでいた。
我々の行為を感謝でこたえているらしい。
構内で訓示する丹生中尉
構内の庭に集合した我々は、
ここで丹生中尉から我々の蹶起が天聴に達せられたことや現在までの状況を聞かされた。
それによると我々は今後、戒厳司令官の指揮下に入り、
戒厳部隊として引続き 現在地の警備に任ずることになったのであるが、
これは今日一五 ・三〇布告された陸軍大臣告示によるものであった。
丹生中尉の話が済んでから議事堂に入ったが、
未完成でとても宿営などできないので、一時間後山王ホテルに移った。
すると間もなく聯隊から食事と小夜食が届いた。
ここにおいて我々は、 初めて今朝からの行動が正当なものであることを認識したのである。
・・・挿入・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
幸楽を出たわたくしは、帰宅する天野大尉とその門前で別れた。
聯隊本部への道すがら、
山王ホテルの丹生中尉とも、わたくしはこの際連絡をとろうと立ち寄った。

かれらの警戒は非常に厳重であった。
「 歩三の同期生の新井中尉が来たと、丹生中尉に伝えてくれ 」
と 歩哨に申し入れると、
「 暫らく待て 」 と 言残して一名が中に這入って行った。
その態度は軍の兵卒が将校に対する態度ではない。
その上後に残った二名の歩哨までが、着剣した銃をわたくしに擬しているのである。
将校としてわたくしは屈辱を感じた。
「 無礼者 」 と 叫びたい気持ちで、胸の中がワクワクした。
しかし怒ってしまっては連絡の任務も果せぬと思い、暫らく二人の歩哨の間に立たされていた。
五分程経ったろう、 中から下士官が迎えに来て、わたくしは立派な応接間に通された。
ものの一分とも待たぬうちに、何処からともなく丹生中尉が姿を現した。
かれは士官学校の同期生だが、十月事件にも関係せずこうした事をする人間とは、わたくしは殆ど思わなかった。
「 やあ、どうだい 」 同期生の気安さで、二人はこんな挨拶から始まった。
自分は部下中隊を指揮して福吉町に来ているが、それは行動部隊を敵として来ているのではなく、
同じ第一師団長の隷下にある旨を告げ、 なお今後も連絡を密にする必要があると語った。
そして最期に冗談を混えてこう云った。
「 貴様らは随分贅沢だな。ホテルや料理屋に宿営して・・・・・」
「 まあそう云うなよ。地区隊命令でこうやっているのだから・・・・」
「 それは知っている。俺の方は電話局だよ 」
「 うんそうか、気の毒だな。共産党の蜂起に備えているんだが、左翼は何もできまい 」
先刻安藤の所で何気なしに聞いていたが、かれらは共産党の蜂起に備え、 警備を命ぜられていたのである。
これは事件関係の将校以下殆ど全員がそう信じていたのである。
・・・地区隊から占拠部隊へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以降中隊はホテル外周の警備についていたが、
二十八日午後から事態が変化し、いつしか戒厳部隊から反乱軍となり、
鎮圧軍から討伐を受ける運命に追込まれていった。
全員夜になって白ダスキをかけた。
そして志気を鼓舞するため軍歌を歌った。
ラジオが何かを放送しているが、ガーガーとゆう雑音が多くて意味が皆目わからない。
いよいよ二十九日の早朝になった。
鎮圧軍が攻撃してくるとの情報を受けたので玄関前に配属されたMG二銃を配し、
小銃分隊はあかるくなってから各解の窓辺に散開させて戦闘に備えた。
しかし発砲は相手が撃ち出したら応射することになっていた。
この間 丹生中尉の所には部外者が交互にやってきては盛んに説得を行っていた。
時には同期の将校らしい者がきて泣きながら訴えていた。
「 帰ってくれ、とに角 帰隊してくれんか、頼む!」
二人の間には憎しみはなく、真に同期生らしい友情と友をかばう暖さが塧出していた。
側で見守る私にとってそれはあまりにも劇的なシーンとして目に映った。
しかし丹生中尉の決心は固く、あくまで初志貫徹の気持を崩さなかった。
中隊では前夜に引続き志気高揚を持続するため軍歌を高唱していたが、
鎮圧軍の包囲網がジリジリと狭められる中の軍歌は悲壮に満ちた。
相手はまだ発砲しない。
このようなとき若しいずれかで暴発が起きたらどんな事態になるだろうか。
丹生中尉は来訪者との話合いが終わるとすぐ席を立ちどこかへ行き、
又 戻ってくるという忙しさだったが、次第に激怒を高めていった。
「 奉勅命令が出ているそうだが、我々はそんなものみておらん、
伝達せんでおきながら奴等はそれを楯にとり、我々を逆賊と決めつけ討伐するとは以ての外だ。 
やるならやってみろ!」
この憤怒と燃える気持ちは恐らく蹶起将校全員 否!全将兵に共通する口惜しさであった。
これでは如何に説得しても応ずる筈はない。
〇九・三〇頃、
それまで続けられていた説得によって 丹生中尉は遂に情勢を判断し中隊の原隊復帰を決定した。
我々は早速後片付けと整理を済ませてから軍装を整え指定された電車通りに整列した。
するとそこへ戦車がやってきて一名の将校が降り我々に近づき、
「みんな聴いてくれ、俺たちは討伐にきたのではない。俺の姿を見てくれ」
といって丸腰を示した。
「このとおり武装はしていない。 早く原隊に帰ってもらいたいことをいいにきたのだ。どうか判ってくれ」
その将校は泣いていた。
皇軍相撃を回避する配慮が如実に窺える。
鎮圧軍の方もつらい立場に立っているのだ。
我々はジッと様子を見ているとその将校は、
「 これを読んでくれ、そして一刻も早く原隊に帰ってもらいたい 」
といいながら目の前でビラを撒いた。
これが我々が初めて見た
「 下士官兵に告ぐ 」 のビラである。
早速拾って読んでみると、
「下士官兵に告ぐ、 帰る者は許す、
抵抗する者は逆賊であるから射殺するゾ、
皆の父母兄弟姉妹は逆賊となるのを泣いているゾ 」
一字一句きびしい内容だったためか、私は今もこの文章が脳裡に焼付いている。
そこへ丹生中尉が戻ってきて ビラを捨てろと命令したので全員はすぐその場に投げ捨てた。
中尉の表情は何かを決したかのように冷静だった。
早速中尉から訓示が行われたが、
その内容は参加者に対する謝意と簡単な状況説明だったが、言葉のすみずみに無念の感情を彷彿とさせるものがあった。
中尉もやはり血の通った人間であった。
この期に及んで冷静でいられる筈はなかったのである。
我々は自発的に武装を脱いだ。
小銃を大通りに一列に叉銃し、LG(軽機関銃)を一端に置き、あとの一切を鎮圧軍に委ねることにした。
この時、 香田大尉が軍服の上衣を脱ぎ
「 殺すなら殺してみろ」 
と 狂乱の如く絶叫しながら
我々の整列した近くから 鎮圧軍の包囲網をめがけて
単身、電車通りを突進していった。
その後どうなったかは不明だが
緊迫した雰囲気が私の眼前でアリアリと展開し 何か胸迫るものを覚えた。
かくして我々は ここで丹生中尉と別れ
下士官兵は神谷曹長の指揮で原隊に帰った。
・・・丹生部隊の最期 

実行着手時は必ず成功し、 日頃の目的が達せらるると想ひ、心に一点の曇もなく意気衝天の勢でした。
現在の心境は、 非常に複雑して居りますので申し上げ様がありません。
只 静かに反省して居りますが、行為に対して決して後悔して居りません。
神様と同一心境にて為したるものと思って居ります。
現在の心境では、未だ将来の事を考へる余裕はなく、
只、正しき事は何百年経っても正しき行いなりと信じて居ります。
・・・丹生誠忠中尉の四日間 


中隊集合がかかり急いで玄関前に整列すると
間もなく 丹生中尉が姿をあらわし、 状況説明と共に聯隊復帰を命令した。
「 昭和維新は失敗におわった。 まことに残念である。
今は考えている余地はなく、奉勅命令に従うばかりである。
四日間にわたる各位の苦労を感謝する。
満州に行ったら充分働いてもらいたい、武運長久を祈る 」

丹生中尉の訓示は切々として我々の胸を打った。
これで中隊長とは永の別れになるかも知れぬと思うとまことに感無量であった。
中尉がさったあと 我々は電車通りで叉銃を行い、自発的に武装を解き丸腰で帰隊した。
・・・丹生誠忠中尉 「 昭和維新は失敗におわった。 まことに残念である 」


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