あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

行動記 ・ 第二十一 「 統帥系統を通じてもう一度御上に御伺い申上げよう 」

2017年06月05日 05時45分27秒 | 磯部淺一 ・ 行動記


磯部淺一 
第二十一

満井中佐は、
司令官にも、一度自己の意見を具申すると云ひて去る。
再び 石原大佐が入り來り、
「 司令官に鞏硬なる意見具申をしたるも、
 きかれず、司令官は奉勅命令は實施せぬわけにはゆかぬ。
御上をあざむく事は出來ぬと云ひ、斷乎たる決心だ。
どうだ、君等は引いてくれぬか、この上は男と男の腹ではないか 」
と 云ふ。
満井中佐再び來り、
落涙しつつ余の手を取り、引いてくれといふ。
石原大佐亦握手をして、引いてくれと落涙する。
余は少しく感動したるも、
引く事は全維新派の敗北になると信じていたから、
兩氏の切願に對して快諾を与える事が出來なかった。
「 同志の軍隊は、私が總指揮官であるわけではないから、
 私が引けといふわけにもゆかぬし、云ってもとても引きはしますまい、
然し私は、私の力だけで出來る丈善處しませう。
唯磯部個人としては絶對に引きません、
林大將等の如きが現存して策動してゐる以上、
これをたほさずに引きさがる様な事があっては蹶起の主旨にもとるのです、
一人になってもやります、絶對に引きません 」
と 明答する。
石原、満井 交々
「 林大將の問題はおそからず解決されるのだから引いてくれ 」
と 云ひて、聲涙共に下る。
余は力なく ハイ と 答へて訣別をする。
すべての希望を斷離されたる無念さ、云はんかたなし。
自動車にて陸軍省への歸途、
車中、柴大尉は戰車、軍隊、ロクサイ等による包囲陣を指しながら、
「 磯部、これではとても頑張ってみた所で駄目だ、引かないか 」
と 勧める。
余は無言。
この時烈々の叛意が全身に沸き立つ。

陸軍大臣官邸に同志をさがして
一室に突入するや、
「 オイッ、一體どうすると云ふのだ。今引いたら大變になるぞ、絶對に引かないぞ 」
と 大聲一番する。
この席に 山下、鈴木、山口の諸子と 村、香、栗等が居て、
既に退去することに決定している模様である。
余は一應理由を云ひて、決戰的態度で飽く迄頑張るべきことを主張した。
この爲に もう一度よくよく相談しようと云ふ事になり、
山下、鈴木の兩氏去り、山口氏を交へ五人にて相談す。
栗原が
「 統帥系統を通じてもう一度御上に御伺ひ申上げようではないか。
奉勅命令が出るとか出ないとか云ふが、一向にわけがわからん、
御伺ひ申上げたうえで我々の進退を決しよう。
若し 死を賜ると云ふことにでもなれば、將校だけは自決しよう。
自決する時には勅使の御差遺位ひをあおぐ様にでもなれば幸せではないか 」
と の意見を出す。
余が一寸理解し兼ねて質問を發しようとした時、
山口氏かせ突然大聲をあげて泣きつつ、
「 栗原、貴様はえらい 」 と 云ひて
栗原のかたわらに至り、相擁す。
栗原も泣く、香田も泣く。
統帥系統を通じて ( 小藤--堀--香椎 ) 御上に吾人の眞精神を奏上し、
御伺ひをすると云ふ方針は、此の際極めて當を得たるものなることを感じたので、
余は 「 ヨカロウ、それで進まう 」 と 云ふ。
ここにおいて山下、鈴木兩氏に栗原の意見を開陳せる所、
兩氏も亦落涙して、有難う有難うと云ひつつ吾等に握手する。
この時、堀、小藤來り、
奉勅命令は近く下る狀況にあるのだから引いて呉れ、と涙にて勧告する。
時に余が、ヒョイト考へたことは、
どうも 山口、山下、鈴木は、吾々の自決する覺悟に對して感泣 したらしいので、
山口氏に對し
「上奏文に何と書くのです、死を賜りたい等と書いたりしたら大變ですよ 」
と 云ふ。
山口氏は一寸考へてゐたが吾々は陛下の御命令に服從しますと書いた。
どうも余の考へと少し相違する。
その頃 同志はボツボツ官邸に集合して來る。
村中は同志集合の席で、
「 自決せねばならなくなるかもしれん、自決しよう 」
と 云ふ。
余は 「 俺はイヤダ 」 と吐き捨てる様に答へる。
そして香田、村中、栗原を各個に小室に伴ひて、
「 一體、ほんとうに自決するのか、そんな馬鹿な話はないではないか、
 俺が栗原の意見にサンセイしたのは、自決すると云ふ所ではない、
統帥系統を通じて御上に吾人の眞精神を申上ぐべく御伺ひすると云ふ所だ。
山下、鈴木、山口 共に感ちがひをしてゐるのではないか 」
と 云ひて、自決の理由なきを説く。


① 二十八日午前、
   余が戒嚴司令部に行きたる間に
   村中、香田、對馬等は第一師團司令部に堀丈夫中將を訪ひ、
   奉勅命令は出たか、否かをただした所、
   奉勅命令は下達されていないと云ふ事を明言した事實がある。
   村、香は、此の後 陸軍省にて余と行き合ひ、前記の始末になった。
   二十八日午前八時勅命實施といふのが延期されたので、
   堀は下達されてゐないと答へた所が、
   午前十時から實施すると云ふことが確定したので、
   山下、鈴木、満井等が、退去を勧告したのだ。
   吾々は其の裏の事情を少しも知らぬ、
   唯何だか奉勅命令でオドカサレテゐる様にばかり考へた。
   堀は十時よ り勅命實施の事を知って驚いて陸軍省に來り、
   退去を勧告したわけだ。
② 鈴木、山下、堀、小藤各官が交々退去を勧告するので、
   止むなく退去、或ひは自決を覺悟する。
   余は吾々をこの羽目におし落した不純幕僚に對し、沖天の怒りをおぼえた。
   悲憤の余り、別室に入りて天地も裂けよと號泣する。

次頁 第二十二 「 断乎 決戦の覚悟をする 」 に 続く
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