あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

坂井直 『 秩父宮の連絡将校 』

2021年12月12日 17時33分33秒 | 坂井直

或日 坂井は、いつもよりもいっそうにこにこしながらやって参りました。
笑うと少年のような笑顔になるのです。
そして、
「 近く、お宅と親類になります 」
と 申します。
わたくし達一家は知らなかったことでしたが、三重県に住む彼の父 坂井兵吉(瀏の同期) が、
息子の嫁にと選び気に入っている娘が、同市に住む軍人の娘の平田孝子
・・わたくしの夫 堯夫の姪だというのです。
おどろいているわたくしに、彼はくり返しました。
「 わたくしたち親類です。史姉さん 」
何の疑いも迷いも浮べない無邪気なまでの顔を見ていますと、
わたくしの内部に日頃きざしている不安は、杞憂にすぎないのだ・・と 思えて来るのでした。
何事も起りはしないのだ。
何かが始まるのなら、結婚をいそぐはずは無いのだから・・。
実際に、行動の予定などその時点での彼自身、予想しては居なかったのだと思います。

日を追って何かが煮えつまってゆくような思い予感がわたくしにも濃くなってゆきました。
しかし、どんな形で、いつあらわれるのかは、全くわかりません。
あたりはかえって以前よりもしずかな感じさえあるのです。
今も、思うことですが、男達が、おのれの利害、生命を超えて一つの事を思いつめ、
もちろん幾度も迷い、ためらい考えているうちに、
急に、発火点のような時が近づいてきて彼等自身らも予測できない速さとなって奔りだし、
個々の意見をとび越し、それはもう止めようがなく燃え上る
・・もっとも慎重な人さえも擢さらいこまずに置かないのだ・・ということ。
何処の国の歴史の中にも、人間のこうした火のようなものは、
大小、方向、思想のさまざまの場合の違いこそあれ、出来事としてくり返されて来たのではなかったか、
と 思われるのでございます。
坂井と孝子とは新婚十七日で蹶起の日に出逢ったのでございました。
・・斉藤史の二・二六事件 2 「 二・二六事件 」 


坂井直  サカイ ナオシ
『 秩父宮の連絡将校 』
目次

クリック して頁を読む

昭和維新・坂井直中尉

・ 坂井直中尉の四日間 
・ 斎藤實内大臣私邸 「 襲撃は成功した 」
お前たちは一人一人が昭和維新の志士であるゾ!」 
・ 「 私も連れて行って下さいと願ふ 」 
・ 
安田少尉 「 天誅国賊 」 

やがて階下に降りてきた坂井中尉は
「 状況終わりッ!」 と 叫び
重ねて
「 中隊は赤坂離宮北十字路に集結せよ 」
と 命令した。
全員が正門前に整列すると
坂井中尉は拳銃と共に鮮血滴る右手を薄闇の天高く掲げ
「 奸賊齋藤実を只今打ち取った。昭和維新は日の出に輝く、日本国万歳!」
と 大音声を放った。
兵もこれに呼応し 万歳 を叫ぶ。
・・・ 「 チエックリストにある人物が現れたら即時射殺せよ 」 

「 皆御苦労だつた、御機嫌よう 」 
・ 最期の陳述 ・ 坂井直 「 私が死刑になれば 高橋、安田、麦屋、下士官兵に罪なしと断言します 」 

あを雲の涯 (十三) 坂井直 
・ 昭和11年7月12日 (十三) 坂井直中尉 

二十六日午前八時頃、
真崎大将が大臣と会談したあと参内して伏見宮に拝謁し、
その上 上奏せられました。
その後になって大臣が上奏せられ
蹶起趣意書を陛下の御前にて朗読せられたとのことであります。
このことは、軍が責任を負う決意を表明したものであります。
秩父宮は 常にざっくばらんにお話し申上げていましたが、
同志間には蹶起した場合、
同宮の御同行を仰いで宮中へ参内するような話がありましたから、
国内の悪い奴を斬るために軍が飛び出し御迎に行ったとき、
殿下は護良もりなが親王の立場に立ち 渦中に立たれませんかとお伺しますと・・
( と 言いかけ 裁判長よりその御答は後で聞くと制止せられたり )
・・・最期の陳述 

秩父宮殿下、歩三に居られし当時、
国家改造法案も良く御研究になり、改造に関しては良く理解せられ、
此度蹶起せる坂井中尉に対しては御殿において
「 蹶起の際は一中隊を引率して迎へに来い 」 と仰せられしなり。
・・・中橋基明

  秩父宮邸
坂井はのちに宮との連絡役になりましたが、
彼は、初めてその宮邸に行った時の事を話してくれました。
正式の御門からではなく塀を越えて、お庭を通り お居間まで
・・お怒りを給わったならば自決をするつもりでその用意も整えて、
自分達の意見を聞いていただきたいためでした。

・・彼は、しかし、死ぬ事をせずに帰って来ました。
以後は お前が連絡に来るようにと申しつかって、
その時の手順も御指示いただいて参りました。
そしてその話を直情なこの人が、
からだを わななかせ涙を両眼からあふれさせて語るのを聞いた時、
わたくしは感じたのでございます。
これは決して作り話ではないこと・・
・・・斉藤史の二・二六事件 2 「 二・二六事件 」