あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

大岸頼好 『 ボロン火 』

2021年12月04日 05時19分47秒 | 大岸頼好

昭和五年に入ると、
一世を聳動した浜口内閣のロンドン軍縮にからんで、政府の統帥権干犯、
これにつづく宮中での加藤軍令部長帷幄上奏阻止の問題がおこった。
新聞もかきたてたが、革新右翼はいかった。
このとき陸軍に 「 兵火事件 」 なるものがおこった。
昭和 五年四月のことである。
仙台陸軍教導学校の区隊長だった大岸頼好中尉は、
浜口内閣の統帥権干犯、
ことに、浜口政府が宮中の側近と結んで、加藤軍令部長の帷幄上奏
を阻止したことに痛憤し、
同志達に蹶起を促そうと、
「 兵火第一号 」 を 四月二十九日 ( 天長節 ) 附を以て秘密出版し、同志に配布し、
さらに、引きつづき 「 兵火第二号 」 を印刷配布して、同志を激発しようとした。
その第二号、戦闘方針を定むべしという項の中で、
一、東京を鎮圧し宮城を守護し天皇を奉戴することを根本方針とす。
     この故に、陸海国民軍の三位一体的武力を必要とす
一、現在、日本に跳梁跋扈せる不正罪悪--宮内省、華族、政党、財閥、学閥、赤賊等々を明らかに摘出し、
     国民の義憤心を興起せしめ、正義戦闘を開始せよ
一、陸海軍を覚醒せしむると共に、軍部以外に戦闘団体を組織し、この三軍は鉄のごとき団結をなすべし。
    これ結局はクーデターにあるが故なり。
    最初の点火は民間団体にして最後の鎮圧は軍隊たるべきことを識るべし
と 書いている。
この革命の思想は、国家改造法案に通じ、西田の天剣党の戦闘指導綱領に通じていることが注目される。
この檄文配布は憲兵の探知するところとなり、大岸中尉はもちろん、配布をうけた将校も、
ことごとく取調べられ その数三十数名に及んだ。
しかし、それは大岸中尉の激発的行動で、そこには、いささかの計画準備と認められるものはなかったので、
憲兵は単なる説論に止め、その処置は所属長に一任した。
・・・西田税と青年将校運動 2 「 青年将校運動 」

「 百姓の起す火を ボロン火 と云ひ、兵隊の起す火を 兵火 と云ふ。
 同じ火にはかはりは無い。
ボロン火 が燃え出す 兵火 が燃え出す。
兵火 が燃えればこそ ボロン火 も無駄にならん。
ボロン火 は地についている局所的だ、信念的だ。
兵火 は慆々天に冲する全局的だ、科学的だ、かくて 兵火 が出る 」



大岸頼好  オオギシ ヨリヨシ
『 ボロン火 』
目次
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・ 「 騒動を起したる小作農民に、何で銃口を向けられよう 」
・ 大蔵栄一 ・ 大岸頼好との出逢い 「 反吐を吐くことは、いいことですね 」
大岸頼好の士官学校綱領批判
・ 大岸頼好の統帥論
末松太平 ・十月事件の体験 (1) 郷詩会の会合
「 永田鉄山のことですか 」 

・ 改造方案は金科玉条なのか
私は大岸大尉からまだ、ききたいことを何一つきいていなかった。
昨夜は酒間の雑談に終始しただけだった。
退屈でも帰るわけにはいかなかった。
この日の夜は二人だけだったので、問題の 『 改造方案 』 についてきり出した。
新京で菅波中尉と話し合ったこと、西田税のうちでのこと、直心道場で澁川と話し合ったことなどを。
大岸大尉は私の話をきき終ると、
「 そりゃ澁川君のいうとおりひどかったよ。めくら蛇におじずだったね。
磯部君はおれを殺すとまでいっていたそうだ。
気の毒なのは澁川君で、間に立って随分苦労したらしい。」
といって、いざこざのあらましを話すのだった。
澁川からきいた話とつき合わすと、
『 改造方案 』 をめぐっての東京と和歌山の葛藤は大体検討がついた。
私が凱旋の帰途たまたま新京で、菅波中尉の意見を徴した同じ問題に、
ちょうどその頃内地でもつき当っていたわけである。
では一体、『 改造方案 』 のどういった点が意見の衝突となっているのだろうか。
これに就いて大岸大尉は、あまり語ることを好まぬふうだった。
ただ この点は骨が粉になってもゆずれないといって、二三それをあげるにはあげた。
それがどういうことであったかは、いま記憶にない。
私はしかし 『 改造方案 』 批判よりも、それに代わる案があればそれを知りたかった。
それで、「 では 『 改造方案 』 に代わるものがありますか 」 と きいた。
大岸大尉は 「 あるにはあるがね 」 と いったきりで口をつぐんだ。
いやに勿体ぶるなと思った。
いわなければいわなくてもいいや、おれにいえなくて誰にいえるのだろう、
ともおもった。
韜晦もいい加減にするがいいや、とも思った。
私は無理にきこうとはしなかった。
私は西田税のうちでも不満だった。
ここでも不満だった。
この夜はここに泊まるほかないが、翌日はすぐ辞去しようと思った。

「 これはまだ検討を要するもので、人には見せられないものだが・・・」
と いって私の前に置いた。
私はひらいてみた。
冒頭に 『 皇国維新法案 』 と 銘打ってあって、革新案が筆で書きつらねてあった。
これが 『 改造方案 』 に代わる大岸大尉の革新案の草稿だった。
が、それはまだ前篇だけで、完結していなかった。
私がそれを読み進んでいるとき大岸大尉は
「 将軍たちがえらく 『 改造方案 』 を きらうんでね 」 と つぶやきもした。
それを考えにいれてのものかどうか、ともかく、ざっと目を通していく私には、
どこがどう 『 改造方案 』 と、きわだってちがっているのかわからなかった。
日本が皇国となっていたり、改造が維新となっていたりするように
将軍好みに用語、表現に工夫が払われているとは、
大岸大尉のつぶやきに影響されて思いはしたが、
これが殺すのどうのと葛藤を生むほどのものの御本尊であるかどうかは、
『 改造方案 』 を 後生大事に、箱入娘のように庇物にすまいとする金科玉条組の偏執とともに、
了解しがたかった。

・ 大岸頼好起案  『 皇政維新法案大綱 』 
 大岸頼好皇国維新法案


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