あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

高橋太郎 『 後顧の憂い 』

2021年08月23日 19時39分39秒 | 高橋太郎

「姉ハ・・・・・・」
ポツリ ポツリ家庭ノ事情ニツイテ物語ッテ居タ彼ハ
此処デハタト口ヲツグンダ
ソシテチラリト自分ノ顔ヲ見上ゲタガ
直ニ伏セテシマッタ
見上ゲタトキ彼ノ眼ニハ一パイ涙ガタマッテ居タ
固ク膝ノ上ニ握ラレタ両コブシノ上ニハ、二ツ三ツノ涙ガ光ッテ居ル
モウヨイ、コレ以上聞ク必要ハナイ

國防ノ第一線  日夜  生死ノ境ニアリナカラ
戰友ノ金ヲ盗ツテ故郷ノ母ニ送ツタ兵カアル
之ヲ發見シタ上官ハ  唯彼ヲ抱イテ聲ヲ擧ゲテ泣イタト云フ
神ハ人ヲヤスクスルヲ本誓トス  天下ノ萬民ハミナ神物ナリ
赤子萬民ヲ苦シムル輩ハ  是レ神ノ敵ナリ  許スベカラズ
・・・後顧の憂い 「 姉は・・・」

高橋太郎 ・ 最後の写真 
・ 「 今日も会えたなあ 」 


高橋太郎  タカハシ タロウ
『 後顧の憂い 』
目次

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・ 昭和維新 ・ 高橋太郎少尉

・ 高橋太郎少尉の四日間 1
『 私ハ昭和維新實現ノ爲一身ヲ犠牲ニシ決行シヤウト決心シマシタ 』 
 
・ 高橋太郎少尉の四日間 2 『 生死ハ一如ナリ 』 
・ 最期の陳述 ・ 高橋太郎 「 蹶起の目的は國體護持にあります 」 
・ 高橋太郎 『 斷片 』 

・ 高橋太郎 『 感想錄 』 
・ あを雲の涯 (十五) 高橋太郎 
・ 昭和11年7月12日 (十五) 高橋太郎少尉 

「 愈々決行ノ時ハ迫ツタソ 」
ツカツカト入リ来リテ耳語ささやク坂井中尉ノ異様ニ緊張セル顔
無言ノ握手
「 來ルヘキ時ハ來タ 」 唯一語
悲シミニアラス  喜ヒニアラス  胸ニコミアクル如キ壓迫感
黙々トシテ見合ハス眼ニキラメク決意ノ色
悲壮トイハンカ  壯絶 
二月二十二日昼食後ノ第一中隊將校室ノ一情景 
・・・断片 ・ 二月二十二日の思ヒ出

愕然タリ 悲報至ル
「單は我ヲ攻撃ス 」 ト
耳ヲ疑ウテ問フ  再三再四  確報タルヲ信セサルヲ得ス
嗚呼倐忽しゅっこつ變化  今ノ今マテ我等カ赤忠成リヌト喜ビ合ヒ居タル
同志一瞬ノ後ニコノ悲報を得ントハ
夢カ 否 幻カ、否 事實タル如何セン
同志ノ將兵寂トシテ聲ナシ
積雪ニ注ク熱涙潸々さんさん  「 噫 萬事終リヌ 」 意決セリ
警備線上ニ斃レンノミ
麹町地區警備ハ是レ我カ任務  撃ツモノアラハ線上ニ死セン
部下ノ兵 擧こぞリテ共ニ死ナント乞フ
或ハ血書ヲ以テ曰く  「 一緒ニ死ニマス 」 ト
感極リヌ  答フルニ聲ナク感涙ニムセフノミ
千四百ノ同志 粛トシテ死地に就カントス
維時昭和十一年二月二十八日夜半
皇城ニ向カヒテ整列抜刀一閃 捧銃  君ガ代ノラッパモ稍
モスレバ途絶エントス
指揮スルモノノ眼ニモ涙  指揮セラルヽモノヽ眼ニモ涙  落雪粉々タリ
熱涙ニトク  悲ト言ハンカ壯  壯ト言ハンカ悲
悲絶壯絶  天モ泣ケ 他モ泣ケ  鬼神モ泣カン大忠誠心
皇國ノ隆昌ハ我ラ靑年ノ骸ノ上ニ立ツ
神風吹ク
ク本ノ國ノ人々ヨ  涙ニ光ルハ志士ノ眼ノミカ
噫コノ秋  赤血ノ上ニウチタテヨ昭和ノ維新  皇國體眞姿ノ顯現
・・・感想録 ・六月二十九日


( 二月二十九日朝 陸相官邸ノ一室 )
既ニ遺書モ書キ終リヌ
今ニオイテ書クヘキコトモナシ
「 天皇陛下萬歳 」 ト 記ス
紫煙ニ味フ一プクノチェリー  正ニ値千金
窓越シニ拝ス大内山ノ邊リ  斷雲片々
「 坂井サン  大内山ノ上カ段々明ルクナリマスヨ 」
「 噫  將ニ大内山ノ暗雲一掃端光ミナキラントスカ 」
互ニ見合ハス顔ニ思ハス浮フ微笑 
・・・断片 ・ 四月二十一日


高橋太郎 『 感想錄 』

2021年08月23日 05時24分26秒 | 高橋太郎

収監された将校たちが、正規に執筆を許されたのは、六月二十七日からで、
 その日から太郎は、 「 感想録 」 と 題した手記をのこしている。
この 「 感想録 」 は、「 断片 」 で
人間たるまた難き哉
と嘆じた人間の弱さや、
 本能的な悩みは完全に消え、悲しみ、悔い、迷い、不安、動揺のあとはない。
死を凝視つつ、二十三年の人生を筆一本に託した、まさしく魂の記録である。
人のまさに死なんとするや、その言うこと善し  と 故語にあるが、太郎の思想を総括したものとして、
 熟読吟味するに価しよう。
衣服といっしょに汗の臭いを消すためと思って差し入れたオーデコロンを、
 彼は刑場に臨むさい、死に装束にふりかけるとともに、
 この手記にもかけたのであろうか。
・・・高橋治郎著 『 一青年将校 』 から


高橋太郎


感想錄に我魂を留む


敬親  原  好様の膝下に
愛弟  高橋治郎殿机下へ
高橋太郎

生前我れに眞実なりし人々に分けられ度し ( 宛名の如し )
書状を潑せし分は除く

我が体につけし香水の香を留む


感想録    一
我今 死ノ宣告ヲ目前ニ感想ヲ錄ス
文固もとヨリ拙  思想固ヨリ幼  記スル所唯我カ肺肝ノミ  心外無別法トカ
文外心ニキカンコトヲ
昭和十一年六月二十七日   高橋太郎

六月二十七日
地位モ富モ衣モ住モ 否 生命ヲモ一切ノ自己ヲ 擲なげうチシ今 眞ノ自己ヲ得タリ
一切ヲ棄テヽ得タル永遠不滅ノ生命尊キ哉
人ハ是神物  而シテ煩悩ノ汚物  自己本来空  何処ニカ自己アラン
アル無キ自己ニトラワレ  必滅ノ生命ニ執シ  神物タルベキ身ヲ徒ニ煩悩ヲ魔界ニ投ス   悲シイ哉
一切ノ欲  一切ノ執念ヲ抛なげうテ犬死一番  大活現成ト永遠不滅ノ神霊ヲ体現スヘシ
自他一如  万物是レ我  生死亦一如タリ  何ソソレ徒ニ生に執シ死ヲ怖ル
獄中端坐百日  稍ソノ意ヲ得  心気闊然  身心トモニ悠然タリ
生死ノ際ヲ知ラス  宇宙ハ是レ一個ノ霊体  天行ノ健ナル
春來レハ花咲キ鳥ウタヒ  秋ニハ百課熟ス  皆神意タリ
嚴トシテ始終一貫ス
けだシ萬物生成化育ハ神ノ本誓ナリ
人ハ萬物ノ霊長タリ
其行亦神ノ本誓ニ違たがハス  天地生成化育ニ參スルヲ以テ心トス
萬物ハ神ニ歸一シ 而モソノ相獨立ス  且ソノ
間相關ノ理嚴タリ
萬物ニ長タル人意識存ス  
しかるニコノ意識アルガ故ニ  ソノ根元神霊ヲ忘レ  其本誓ヲ知ラス
徒ニ自己意識ノ虜トナリテ欲界ニ呻吟ス  遂ニハ等シク霊ノ分派タリ
一体タルベキ他ト相争ウニ至ル  是レ恰あたかモ手足爭フノ愚ニ類ス
カクシテ
浮キ世ノ波風ヲ喞かこツ。
一度悟リテ本來ノ眞姿
ヲ体現センカ  一切ノ苦悩去リテ光風露月  自他一如
専心天職ニ励ミ利他即利己  眞ニソノ生ヲ楽シムヲ得ヘシ  愚ナル哉
アルヘカラサル自己ヲ求メテ悩ミ苦シムノ徒  自己一切ヲ抛ツベシ
カクシテコソ永遠不滅ノ自己ヲ得ン

六月二十八日
降リシキル雨ヲオカシテノ差入レ  コトニ元ノ女中ノ親切ニ感涙ス
今そ知る人の心の温かさ  雨にぬれにしいささかの果實
しきりなる雨を冒して差入れの  果實に偲ぶ厚きなさけよ
雨ハ人ノ心ヲ沈寂ス  我モマタ人タルヲ如何セン
さみだれや囚ひとやの中に唯一人  降りしきる雨に湿るや我が思
正ハ正シキガユエニ正シ  何ゾ人言ニマタンヤ
我アエテ正義ヲ稱とな
俗言ニ拘ハラス  神佛外ニ存サス  我ニ存ス  神ニモ訴エサルナリ
神佛ヲ頼ミテ安シト為爲スハ未ダシ  況ンヤ
世評ヲヤ  大丈夫ハ須すべからク絶對ノ正義ニ安ンセヨ
法華經ニ曰ク
己こそ己のよるべ  己を置きて誰によるべぞ  よくととのへし己にこそ誠得難きよるべをぞ得ん
明鏡止水
曇リナク輝ケル鏡  止マリテ清キ水
ソハ一物モ貯ヘス一點ノ私ノ心ナク
萬象ヲウツシテソノ眞ヲ現ハサストイウコトナシ
一見看破シテ余スナシ
噫  得難キ哉  コノ境
獨房端坐
念亦念  想亦想  不思量ノ境ヲ得ントシテ遂ニ能ワズ  心緒亂レテ麻ノ如シ
一念克服セバ直チニ現ス  百念終日戰イテ更ニ得ス
無念無想  禅ニ曰ク  
「 不思量ヲ思量セヨ非思量 」  獨房ノ終日コレ好個ノ道場
生死
死ヲ諦観シテ遂ニ知ル生ノ深奥
生ヲ知リ  生ニ徹底シテ得ン死ノ深奥  生モ一時  死モ亦一時
是一日ニ昼夜アリ 一年四季巡ルニ異ナラス
生死一如  死生一貫  天地ノ化育ニ参セン哉
徒ラニ生ヲ輕ンシ死ヲ願フモ不可  生ニ執着シ死ヲ怖ルヽモ亦不可
死生唯命  人力ノ如何スヘキニアラス
吾人ハ須ク現在ニ最善タルヘシ

小我ニ執シテ衆苦至リ衆悪生ス
自ラ諸々ノ苦ヲツカミテ放タズ  而シテ喞かこツ  「 嗚呼人生ハ苦界ナリ 」 ト
哀レナル哉  小我ノ徒  壺中ノ菓子ヲツカミテ手ノ抜ケサルヲ歎クト同斷
ツカミタルヲ放テ  然ラハ手ハ易トシテ抜ケン
小我ヲ去レ 然ラハ忽チニシテ衆苦散スヘシ

心境
み光を蔽へる雲を打ち払ひ  真眞


六月二十九日

熱涙 ( 思ヒ出 )
愕然タリ悲報至ル  「單は我ヲ攻撃ス 」 ト
耳ヲ疑ウテ問フ  再三再四、確報タルヲ信セサルヲ得ス
嗚呼倐忽しゅっこつ変化  今ノ今マテ我等カ赤忠成リヌト喜ビ合ヒ居タル
同志一瞬ノ後ニコノ悲報を得ントハ
夢カ 否 幻カ、否 事実タル如何セン
同志ノ將兵寂トシテ声ナシ
積雪ニ注ク熱涙潸々さんさん  「 噫萬事終リヌ 」 意決セリ
警備線上ニ斃レンノミ
麹町地区警備ハ是レ我カ任務  撃ツモノアラハ線上ニ死セン
部下ノ兵 擧こぞリテ共ニ死ナント乞フ
或ハ血書ヲ以テ曰く  「 一緒ニ死ニマス 」 ト
感極リヌ  答フルニ声ナク感涙ニムセフノミ
千四百ノ同志 粛トシテ死地に就カントス
維時昭和十一年二月二十八日夜半
皇城ニ向カヒテ整列抜刀一閃 捧銃  君ガ代ノラッパモ稍
モスレバ途絶エントス
指揮スルモノノ眼ニモ涙  指揮セラルヽモノヽ眼ニモ涙  落雪粉々タリ
熱涙ニトク  悲ト言ハンカ壮  壮ト言ハンカ悲
悲絶壮絶  天モ泣ケ 他モ泣ケ  鬼神モ泣カン大忠誠心
皇國ノ隆昌ハ我ラ青年の骸ノ上ニ立ツ
神風吹ク
く本ノ國ノ人々ヨ  涙ニ光ルハ志士ノ眼ノミカ
噫コノ秋  赤血ノ上ニウチタテヨ昭和ノ維新  皇國体眞姿ノ顯現
友情
契友豊兄ノ差シ入レニ接ス  懐中ノ情ニ堪ヘス
不遇ニ泣くノ時コノ友情切々トシテ感ヤマス。
思ヘハ今日ハ卒業ノ栄日  直チニ来ル彼カ真情
悲シイ哉  未いまダ相会スルヲ得ス
僅カニ
差シ入レノ数品ニソノ情ヲ思フノミ
病身願ハクハ自重自愛  モッテ邦家ノ干城タランコトヲ
逆境ニ際シテ始メテ知ル親ノ恩愛  友ノ至情  有難キカナ
友ノ卒業ニ際シ  二年前ノ我カ姿ヲ偲フ
はれの日やつどいし昔偲びつつ  友のなさけに眼うるみぬ
二歳のむかしにかへりわが友の  はれの盛儀を祝ひまつらん
手には筆  腰には剣ともどもに  学びしむかし偲ぶけふの日
死ノ諦観
死ヲ諦観シ生ノ尊サヲ知リ始メテ思フ  今日マデノ我カ過シ来リシ無益ナル生ノ費
噫  惜シムモ詮ナシ 悔ユルモ及ハス
「 子孝行セント思ヘド親既ニナシ 」 トカ 今更ニ痛感セラルヽコトナリ
時ハ金ナリト  然ラズ  時ハ正ニ命ナリ
一呼吸一呼吸コソ死ヘノ近ヅキト知ラバ、誰カ無駄ニ過スヲ得ンヤ
人多クハコノ理ヲ知ラズシテ酔生夢死ス
死ヘノ転換ニ際シ此ノ世ニ生ヲ受ケシ本誓ニ省ミ 聊カノ悔ナク
奮躍モッテ死ノ境涯ニ突進シ得ルモノ幾人カアラン
死ノ諦観ハ断ジテ悲観  消極ニアラズ
是レ
実ニ現在ニ最善ヲ盡サズンバ已マサル積極的躍動ノ根元ナリ
吉田松陰先生  獄中ニ論語ヲ講ジテ刑死ノ直前ニイタルト
噫  眞ニ生死ヲ知ルト云フベシ
石丈禅師  一日作ラザレバ一日喰ハズト  是レマタ然リ

六月三十日
真情
「 少シバカリデスガ  カワイソウナ人ヲ救フ一助トシテ下サイ 」
ト書カレタ無名ノ封書ニ入レラレタ一円ノ金  人々ハ唯コノ眞情ノ前ニ頭ヲ下ゲルノダ。
現代ハ新聞ニ名を出ス為ノ救済寄付ガ多イノデハナカラウカ
必然ノ死ヲ顧ミズ 唯君國ノ為  友軍ノ攻撃進捗ノ為  鉄条網ニ突進シタ肉弾三勇士
人ハ唯コノ大犠牲心ニ涙ヲソヽグノダ
君國ヲ思フノ以外總テヲ超脱シタ境涯 此ニ
百世  人ヲシテ立タシムル源ガアルノダ
カウシタナラバ人ガホメテクレルダロウト思ウ心ニハ
既ニ人ガ認メテクレナケレバ善ト雖モナサヌトイフ心ヲ裏書キシテヰル
總テヲ誠心ニ問ヘ  他人ヲ対象トスル勿レ

七月一日
聖人ノ聖人タルヤ善ヲナス  渇者ノ水ニ赳クカ如ク  饑者ノ食ニ赳クカ如ク  
然ルヲ期セズシテ然ルニ至ルノミ
君子ハ善ヲ為サント志シテ善ニ至ル  凡人ハ名ヲ求メテ善ヲ為ス
現代人ノ人多ク利ヲ見テ動ク  正義ヲ叫ヒ善ヲ称ス
求ムル所利己  ソレ唯己ヲ利スル一手段ノミ  悲シムベシ
正義ガ常ニ正義トシテ通用スル時  之ヲ眞の聖代と云フ
乱世ニハ強者ハ常ニ正義  弱者ハ常ニ不義
現代ハ小才子ノ天下カ
大楠公二百年逆賊ノ名ニウヅモル  然レドモ正義タルヲ如何セン
一世ニ栄華ヲ誇リシ尊氏豈忠臣タランヤ
諸行無常  万物易ス  唯君臣ト父子ノ義ノミカハラズ
皇統ハ一貫無窮  一君万民ノ皇國体ハ厳トシテ万世不易 
絶対ノ大義タラザルベカラズ  是レ日本ノ日本タル所以
大日本ハ神國ナリ
今ヤ大義地ニ陥チントスルモ  神霊昭鑑  上ニ存ス
遠カラズシテ大義再ヒ興リ  皇國体ノ眞姿  厳トシテ輝クト時来ラン
其國旗カ象徴スル如ク  尊キ赤血ノ上ニ建設セラレタル日本ノ國
ソハ國民  殊ニ青年ニ眞赤ナ血潮カ流レテアラン限リ  日本ノ稜威ハ厳乎  海内ヲ照スベシ
尊キ哉神國日本
生死厳頭ニ立チテ頭ヲ回ラスノ輩ハ  共ニ語ルベカラズ
事ニ処シテ熟慮断行セヨト
然リ  サレド未だ盡つくサズ  死生ノ大事ハ熟慮  唯平生ノ覚悟ニ在リ
事ニ当タル  断行アルノミ
平生ノ覚悟ナクシテ如何テ死生ノ大事ヲ決シ得ベキ
生死厳頭ニ立チテ従容自若  敢テ顧ミサルノ人  コレ眞に熟慮断行セリト云フヘシ

七月二日
「 姉ハ・・・・」
ポツリポツリ 家庭ノ事情ニツイテ物語ツテ居タ彼ハ  ココテハタト口ヲツグンタ
ソシテ
チラツト自分ノ顔ヲ見上ケタカ、直ニ伏セテシマッタ
見上ケタトキ彼ノ眼ニハ一パイ涙タマツテ居タ
固ク膝ノ上ニ握ラレタ両コブシノ上ニハ  二ツ三ツノ涙ガ光ツテ居ル
モフヨイ  コレ以上聞ク必要ハナイ
暗然、拱手歎息、初年兵身上調査ニ繰返サレル情景
世俗ト断ツタ台上五年ノ武窓生活  コノ純情ソノモノヽ青年ニ  実社会ノ荒波ハ余リニ深刻タツタ
育クマレタ國体観ト社会ノ実相トノ大矛盾  疑惑  煩悶  初年兵教育ニタヅサハル青年将校ノ胸ニハ
カウシタ煩悶カ絶エス繰返サレテ行ク  而モコノ矛盾ハ愈々深刻化シテ行ク
カウシテ彼等ノ腸ハ九回シ  眼ハ義憤ノ涙ニ光ルノダ
共ニ國家ノ現状ニ泣イタ可憐ナ兵ハ今  北満第一線ニ重任ニイソシンデ居リコトダラフ
雨降ル夜半  只彼等ノ幸ヲ祈ル
食フヤ食ハズノ家族ヲ後ニ  國防ノ第一線ニ命ヲ致スツワモノ、ソノ心中ハ如何バカリカ
コノ
心情ニ泣ク人幾人カアル  コノ人々ニ注ク涙カアツタナラハ
國家ノ現状ヲコノママニシテハ置ケナイ筈タ  殊ニ為政ノ重職ニ立ツ人ハ
國防ノ第一線  日夜  生死ノ境ニアリナカラ
戦友ノ金ヲ盗ツテ故郷ノ母ニ送ツタ兵カアル

之ヲ発見シタ上官ハ
唯彼ヲ抱イテ声ヲ挙ゲテ泣イタト云フ

神ハ人ヲヤスクスルヲ本誓トス
天下ノ万民ハミナ神物ナリ

赤子万民ヲ苦シムル輩ハ
是レ神ノ敵ナリ
許スベカラズ

七月三日
滔々タル西洋崇拝思想  遂ニ国ヲ誤ルニ至ル
中古ニ於ケル慕華思想  即チ支那ヲ中華ト仰キ  我ヲ東夷ト卑下シテ得々トシテ居タアノ流ト同断
朝鮮役  秀吉ヲ日本國王に封スト云フ  所謂冊封使ノ渡来ヲ以テ
交和ノ唯一ノ条件トセル当時ノ外交者  之ヲ敢テ怪シマサリシ当時ノ風潮
外国ノ意ヲ迎フルニ汲々トシテ自國ノ國防ヲ危クシテ  テントシテ顧ミサル現代ノ外交
今モ昔モ変ラヌ日本人ノ最大欠点タ
外国ノ長ヲ學ヒ  之ヲ取入レルハ大イニ可  盲目的模倣  盲目的崇拝ノ不可ヲ云フノタ
本ヲ失ツタ模倣程危イコトハナイ
清濁併セ呑ムトイフ  大イニ然リ
併シ大海ノ満々タルヲ以テ始メテ然ルヲ得ルノタ
水溜マリノ様ナモノハ  朱ヲ入レヽバ赤クナリ  墨ヲ流セハ黒クナルモノ
根本ノ國体ヲ忘レ  大海ニ比スヘキ日本精神ヲ空ニシテ
徒に西洋思想ニ支配サレテ居ル現代凡百ノ國難来ハ当然テハナカラフカ
自己ヲ無ニシテ外國ノ意ヲ迎ヘルニ汲々タル  之ヲ國際協調ト稱ス
國際協調トハ外國ノ奴隷トナルノ謂いい
根本ノ樹立ナキ模倣  ソハ大海ニ漂フ一小舟ノミ
風ノマニマニ波ノマニマニ  朝ニハ東シ  夕ニハ西ス
カクシテ
奈落ニ沈ム己カ運命ヲ知ラス   哀シイ哉
久シフリニ戸外運動二十分間  惜シムラクハ陽光ニ接スルナシ
遙カニ広告気球一ツ  僅カニ外界ヲ偲フ
売出しの気球にゝほふ娑婆の風
練兵場ノ辺リ輕機ノ音シキリ
脳裡ヲカスムル昨日ノ思ヒ出  兵ノ顔詮ナシ

監房風景
就寝ノ鐘ガ朗カニ響キワタル
各々大神宮ヲ遙拝スルノテアラフ  柏手ノ音ガシキリニキコエル
ソレニ  
題目念仏ヲ唱ヘル声カカスカニ和スル
何トナク敬虔けいけんナ気持チカ胸ニ迫ル
就寝直前ノ一情景
鐘がなる柏手の音お念仏
我亦情ノ人  家ヲ忘ルヽ能ハス
看守ノ靴音ニ思ハス醒ムル夜半  眼ニ映ルハ我カ親以上ノ親タル伯母ノ温容、弟ノ顔
サメテ
果敢ナキ夢中ノ悦楽  アア
あな楽し弟の声夢のうち

七月四日  判決の前日
いまははやあらしの前の花一りん
歎くなよ盛りなかばに散るはなよ  散りし後に実は結ぶなり
幸あれと祈るひとやのあけくれよ  我が家人の上を思ひて
七重八重花は咲けどもやまぶきの  実を結ばねば咲く甲斐もなし
  
明治天皇御製
目に見えぬ神の心にかようこそ  人の心のまことなりけれ
心誠ナラハ神感応シ  神活現ス
物質ハ心ノ鉄鎖ナリ
拮抗ナリ
心一度此ノ境を超脱セハ神相通ス
幽明敢テ分タズ  実ニ感覚的存在は泡沫ノ如シ
我今如何ニ在リトモ  最愛ノ人々ト神相通シ  離ルヽガ如クニシテ常ニ共ニ在リ
幽明境ヲ異ニスルト雖モ何ソカハラン
逝ク河ノ流レハ元ノ水ニアラズ  而モ流レ注キテツキサル水
流レ去リ流レ来ル  水ノ姿カ即チ河ナリ
水ノ流レ去リテ帰リ来ラサルヲ歎クモ愚  流レツキサル流レニ心ヲ安ンセヨ  人世亦然リ
すべからク現実ヲ達観シ  相対ヲ通シテ絶対ニ帰依セヨ


七月五日

午前十一時前数分  死刑ノ宣告ヲ受ク
流石憂國盡忠ノ志士  一同微笑ヲ相交ハシテ訣別トス
いささカノ動スルナシ
房ニ帰リテ端坐  大安心ヲ得タリ
早速家人ヘ報知ノ手紙ヲ記ス
家人ノ心ヲ推測スレバ
うたた 感無量  文言ニ迷ウヲ如何セン 
瞑目
判決
名断ナリ
我等カ赤忠ヲ認メソノ罪ヲタヽク  余スナシ
喜ヒテ死ス
願ハクハ國法ノ絶對ニ基キ  コノ事件ノ原因動機ヲ明察セラレ  皇國ノ暗雲ヲ一掃セラレンコトヲ
皇國ヲ蔽おおヘル雲トサシチカヘテ死スルコソ所期ノ本懐
既ニ死スヘカリシ命ヲ今日マデツナキシコト 一 ニソノ意、此ニ在リ
コノ暗雲ヲ掃フコソ永久此クノ如キ不祥事ヲ絶滅セシムル唯一ノ道ナリ

辞世
大君の御代をかしこみ千代八千代
万歳  万歳  万々歳
元陸單歩兵少尉 
高橋太郎

歩兵第三聯隊將校團各位ヘ
忠誠心ヲ貫カントシテ遂ニ大事ヲ誤リ
榮アル軍旗ノ歴史ヲケカシ奉リ候段  大罪万死ニ当ルヘク
更ニ上官各位ヲ始トシ奉リ  下士官兵ニ至ル迄多大ノ御迷惑ヲ掛ケ奉リ
只恐懼ニ堪ヘサル次第ニ御座候  此ニ一死以テ御詫ノシルシト致シ候
思ヘハ昭和七年  士官候補生トシテ入隊以來將校團ノ温キ御慈育ト御薫陶ノ下ニ
光榮アル四年ノ歳月ヲ過シ候
當時ノ思ヒ出今更ニ懐シク有難ク感ゼラレ候
セメテモノコノ光榮アル思ヒ出ヲ胸ニ逝クコトヲ御許シ下サレ度候
日々演習ノ銃声ヲ耳ニシツヽ五ケ月ノ監房生活ハ只思、聯隊ノ上ニ御座候
殊ニ五月中旬満洲出征ヲ送る萬歳ノ叫ヒ遥カニ耳ニセシ時ハ萬感無量
涙ノ溢ルヽヲ止ムルニ由ナク、合掌以テ各位ノ御武運長久ヲ祈リ奉リシ次第ニ御座候
現在總テヲ超脱シテ心平カ  生死ヲ超ヘテ君國ノ大御爲ヲ祈リ候
魂ハ永遠ニ青山ノ聖地ニ止リ  日夕聯隊ノ守護タランコトヲ期シ居リ候
各位愈々御精穆、軍務ニ御鞅掌ノ程祈上奉リ候
此ノ世ヲ去ルニノソミ大罪ヲ詫、且ハ生前ノ御厚恩ヲ謝シ奉リ候
敬具
昭和十一年七月
元陸軍歩兵少尉
高橋太郎


遺書
夜来ノ雨ニ洗ハレ木々ノ緑愈々いよいよ色濃シ
十有七ノ鮮血ニヌグハレ皇國体ノ眞姿皎々トシテ輝カン
鮮血ト涙トニ洗ハルヽ皇國ノ前途燦あきらかタリ尊キ哉
うつし世に二十四歳の春過ぎぬ  笑って散らん若ざくら花
み光を蔽へる雲をうち拂ひ  眞如にすめる今ぞのどけし
昭和十一年七月八日
元陸軍歩兵少尉
高橋太郎書

河野司著  ニ ・ ニ六事件 獄中手記遺書 から
高橋治郎 著  一青年将校 終わりなき二・二六事件  から


高橋太郎 『 斷片 』

2021年08月22日 05時20分46秒 | 高橋太郎

 
高橋太郎
『 斷片 』 と 表題したる
高橋太郎少尉の感懐の断片

昭和11年 ( 1936年 ) 4月19日から、
公判が始まる前々日の4月26日までの手記である

斷片

四月十九日
昨是今非否瞬刻ニウツル己カ心ヲ眺メ
一旦警鐘八千萬同胞ノ理想精神化ヲ夢ミシ我カ短慮ヲアハレム
明鏡止水  忽チニ生スル曇リ  忽チニ起ル風波  嗚呼アサマシキ我カ心
二十四年ノ熟慮  一瞬ノ斷行=不滅ヘノ歸依=死

昨日ノ我ヲ夢ミル未練ノ人ヨ
獄則ノ非礼ヲ憤ルマエニ今日ノ己レニカエレ
無位無官一介ノ囚衣ノ人
終日ノ苦勞 終夜の快眠
終日ノ不勞  終夜ノ不眠ノ悩
六日ノ汗ノ結晶、日曜ノ無上ノ樂シミアリ

爲スコトモナキ退屈ノ聯續ハ人間最大ノ苦悩ト知ル
人ハ多忙ニシテ生甲斐アリ

幼時ノ精神的苦悩
靑少年時代ノ精神的肉體的鍛錬
再ヒ來ル精神的肉體的苦悩
己カ修行ノ足並  人間タル亦難キ哉

万里一條鐵  生命ノ大根元  皇國體。

死生一如ノ境地  生命ノ根元ヘノ歸依

爲スコトモナク考フルコトモツキタル其ノ後ニ必ス起ルモノ  熾烈ナル食欲
食フ爲メニ生クルノ意一理アルヲ知ル
轟ク銃聲忽チニオコル突撃ノ聲  花ノ世ヲヨソニ代々木ハ相變ラス猛訓練ノ巷
渡満ヲ目前ニ第二期中隊敎練ノ編成ナルヘシ
噫我カ敎ヘシ兵ハ如何ニセシカ  思ヒハ巡ル去リニシ日ノ夢

つわものの目指す高根の花ふぶき  ゆめおどろかす突撃の声
「 突撃に進め 」 の 令に過ぎし日の  若き士官の姿浮びぬ
つはものや  花のしたぶきつつの音
よもすがら思ひにふける春の夜  わが敎への子の姿うかべて
さちあれと祈る囚のあけくれよ  わが敎へ子の姿偲びて

四月二十日
一時ノ彼方ニ死ヲ見ツメ ソノ一時ノ尊サ一時ノ全生命
人ハ常ニコノ一時ニ生キタキモノナリ

不勞徒食ノ輩一人ノ増加ハ數百ノ勞苦ヲ増ス  マサニ有怒ノ食ヲ食フノ徒
噫  イツナルカ  全民無欲ノ食ヲ食フノ日=皇國體眞姿ノ顯現

「 何故ニ孝行セサルヘカラサルカ 」 カクノ如キモノニ限リ我利我利ノ徒
「 何故ニ自己ヲ尊フカ 」 トキケ

親ニ發シタル自己  親ニ含マルヽ自己  自己ヲ知レ

「 失礼致シマス 」 鄭重ニ解釋シテ檢査スル看守。
人格無視ト憤リシ監房檢査モソノ不快消ヘ 思ハス 「 御苦勞テシタ 」 ト 謝辭ヲ呈ス
檢査ハ既定ノ如ク嚴重 而モ聊カノ不快ヲ感セシメス  人ハカクアリ度キモノカナ  処生一訓

盛り半ばに散る花に寄す
散る花に思はずよする  なさけかな
あなあはれ盛りもまたで散る花よ  心にくきは春の山風

四月二十一日
死ノ寸刻 ( 二月二十九日朝 陸相官邸ノ一室 )
既ニ遺書モ書キ終リヌ
今ニオイテ書クヘキコトモナシ
「 天皇陛萬萬歳 」 ト 記ス
紫煙ニ味フ一プクノチェリー  正ニ値千金
窓越シニ拝ス大内山ノ邊リ  斷雲片々
「 坂井サン  大内山ノ上カ段々明ルクナリマスヨ 」
「 噫  將ニ大内山ノ暗雲一掃端光ミナキラントスカ 」
互ニ見合ハス顔ニ思ハス浮フ微笑
悔ヒモナク悲シミモナシ
眞ニ死生ヲ超越セル神ノ境地トイワンカ
將ニ死ノ瞬前  死ノ寸刻
誰カ知ル死ノ寸刻ノ境地  今思ヒ出シテソノ心境ニ入ラントスルモ遂ニ能ハス
噫  得難キ體驗  死ノ寸刻

今日  微笑ヲ以テ死ノ宣告ニ処シ得ルノ自信只此処ニ存ス
人ノ死ナントスルヤ ソノ言ハ善シトカ 將ニ此ノ境地ヲ云フヘシ
利害打算 否 總テノ人間臭ヲ脱シ自己意識ヲモ失ヒタルノ境地  宜ナリソノ言ノ善ナル
噫  求メントシテ得ル能ハサル死ノ寸刻ノ境地

うつし世に二十四とせの春なかば  程なく散らんわかざくら花
ふりしきる花のふぶきや  春はゆく

四月二十二日

逝く春を眺めて
今ははや散らんばかりの  さくらかな
ゆく春につきぬ名殘や  みのさだめ

春雨ニ洗ハレテ庭ノ木々ニ生キ生キト緑ニ色ツキ行クヲ見ル
ヤカテ深緑ニ燃ユル初夏ノ候トナルヘシ
ツキヌ
名残ヲ落花ニ止メ 春ハ將ニ逝カントス
囚屋ニ送ル春ノ短カサ  自然ハメクリテヤマス
刻々辿ル死ヘノ道  ヤカテ来ラン身ノサタメ

逝く春に名殘りとどめて思ふかな  程なく散らん殘花一りん

二月二十二日ノ思ヒ出
「 愈々決行ノ時ハ迫ツタソ 」
ツカツカト
入リ來リテ耳語ささやク坂井中尉ノ異様ニ緊張セル顔
無言ノ握手
「 來ルヘキ時ハ來タ 」
唯一語
悲シミニアラス  喜ヒニアラス  胸ニコミアクル如キ壓迫感
黙々トシテ見合ハス眼ニキラメク決意ノ色
悲壮トイハンカ  壯絶  二月二十二日昼食後ノ第一中隊將校室ノ一情景
月更リテ此ニ四月  日ハ同シ二十二日
囚ニマトロム夢ノ思ヒ出
噫  悔ユルモ詮ナキ一瞬ノ運命。

心境
生くるとも死すともなどかかわるまじ  わが大君につくす心は
七八度生き変りてもわれゆかん  わが大君のみいづかしこみ

四月二十三日
噫  二月前ノ今日ソ  降リ積ム雪ヲ冒シテ病院ニ我カ敎ヘ子ヲ見舞ヒ無言ノ訣別ニ涙セシハ
麻布ナル親戚ニ親族相寄リ  我渡満ノ送別ノ宴ヲ張リクレシモ
今宵ハ無量ノ感慨ヲ胸ニ 「 弟ヲ頼ミマス 」 ノ一語。
噫  最後の別宴
氣弱キ弟  母ノ愛を知ラサル可愛相ナ弟  遂ニ天ニモ地ニモ唯一ノ頼リタル兄ヲ失ヒシアワレナ弟
今如何ニセシソ  許セヨ大義親ヲ滅ス
知ラスヤ維新ノ志士梅田先生ノ詩
妻ハ病床ニ臥シ 児ハ飢ニ泣ク・・・今朝死別ト生別ト  唯皇天皇土ノ知ルアルノミト
死生一如  唯大義ヲ知レ
永遠ノ生  大生命ノ帰依
喜ンテ送レ我カ死出ノ首途  勉メヨヤ君國ノ大御爲

幸あれと祈るひとやのあけくれよ
  わが弟のうへを思ひて
うみ山の厚き御恩を身に負ひて
  旅立たん身の心苦しさ
ひたすらにわれを頼りにしはらからと
  この世をへだつ今ぞ悲しき

四月二十四日
浮キ世ヘノ第一信  伯母ヘ被服差入レノ願
萬感胸ニ迫リ書カントシテ書キ得ス
「 只唯御詫申上ルノミ 」 ノ 唯一語
噫  思ヒ浮フ家人ノ顔

四月二十八日午前十時第一回公判出廷ノ通知ニ接ス
死出ノ首途ノ近ツキシヲ思フ
既ニ準備ハ終リヌ  命ヲ待チ奉ルノミ
逝く春に  そぞろにしのぶ  さだめかな
判決ノ一日モ早カレト願フ一方ニ 一日モ遅カレト祈ル心
矛盾セル我カ心ノ動キ  是レ亦本能カ

四月二十五日
春ノ最後カ
總テヲ吹キ払ヒ 洗ヒ 潔メントスルカ如キ烈風猛雨
恰モ春ノ死ノ決戰ノ如シ
春ハカクシテ去リ  深緑ノ初夏ハ徐おもむろニ訪レン
噫  我カ生涯ヲ飾ル昭和十一年ノ春  我カ盛リニシテ
且我カ最後ノ春  逝ク春ヲ獄窓ニ眺メヤルトキ  誰カ一掬ノ涙  一條ノ感慨ナキ能ハサランヤ
噫  春ト共ニ散ル我カ命
うつし世に二十四とせの春すぎて
  笑って散らん  我が桜花

四月二十六日
昨日ノ暴風雨ニ反シテカラリト晴レ渡リタル今日ノ日好  將ニ初夏
昨日マテ僅カニ名殘リヲ止メシ殘花既ニ散ツテ  深緑ノ若葉モユレルカ如シ
二ヶ月前ノ今日  唯只瞑目合掌  幻ノ如キ當時ヲ回想スルノミ
總テハ終リヌ
ヤカテ來ルヘキサタメヲ待タン


< 註 >
以上は高橋少尉が獄中にて認め 平石看守に託したものである。
陸軍の軍用箋に鉛筆で書かれている。
この用箋を用いた遺書は他にない。
正式に手記を許された毛筆と半紙が至急されたのは、六月二十七日であるから、
書かれた日時とともに異例の手記である。

河野司著  ニ ・ ニ六事件 獄中手記遺書 から
高橋治郎 著  一青年将校 終わりなき二・二六事件  から


高橋太郎 ・ 最後の写真

2021年01月10日 10時34分40秒 | 高橋太郎

( 昭和十一年二月 )
二十三日は日曜日だった。
太郎は私をつれて、
新宿区若松町の陸軍衛戍病院に入院中の部下の下士官や陸士同期生を見舞い、
近づく、渡満を口実に、それとなく別れをつげた。
同期生である田口厳寛少尉の病室に入った太郎は、
枕もとにあった写真機に気づき、
「 俺を撮ってくれ 」
といって、椅子を窓際に寄せた。
ひとりだけでレンズにおさまろうとする彼の振舞いに、私は妙な感じをうけたが、
自分の最後の姿をのこそうとする感傷的な気持が、とっさに湧いたのであろう。
これが太郎の生前をしのぶ最後の写真である。
目は鋭いが、微笑をうかべる淡々とした表情から、
大事の決行を前にした興奮、緊張はみじんも感じられない。

その夜、
麻布の叔母の家に二人の伯母や従兄たちが集まり、
太郎の満洲出征の送別会をひらいた。
その日から、はげしく雪が降りはじめ、交通もままならなかった。
出征は五月というので、会を延期とようという意見もでたが、
その日は太郎のたっての希望で決められた。
彼にのこされた機会は、その日しかなかったのだ。

高橋治郎 著  一青年将校 終わりなき二・二六事件  から


「 今日も会えたなあ 」

2021年01月08日 11時53分09秒 | 高橋太郎

 
高橋太郎

淡々微笑

面会を許されたことは、とりもなおさず、
太郎の運命が決まったことを暗に通告されたようなものである。
あれほどまでに切実な思いで、太郎との面接を待ち望んでいたのに、
それが実現して見ればかえって辛く、私の悲しみは倍増した。

太郎との面会は穏かな会話に終始したが、
隣室から絶えず 激しいことばが耳に入り、私の興味をそさった。
「 真崎という奴は・・・・」
そういう調子で、蹶起将校たちが
昭和維新を托した真崎大将を裏切り者よばわりして、
怒りをぶっつける者もいた。
「 おい! お前の仇はきっと討つぞ 」
傍若無人に、はげしいことばを吐く勇敢な面会人もいた。
太郎との面会中に、参謀懸章をつけた陸軍少佐が、
看守の制止をふりきって無断で入ってきたことがあった。
参謀将校は 私の存在を無視して、
机の上に意味のわからない記号だらけの地図をひろげ、
「 満洲の状況はこうだ。安心して死んでくれ 」
そう言って、太郎の手を握った。
「 ありがとうございます 」
太郎は嬉しそうに笑みをうかべていた。
看守は見て見ぬふりをしていた。

異常な状況のなかの二人の対面である。
寡黙の太郎と、涙を抑えるのに精一杯の口ベタの私との会話は、ぎこちなかった。
太郎は意識的にか、けっして事件に触れようとはしなかった。
隣室からきこえる激しいことばのやりとりにも、知らんふりをしていた。
私は事件のくわしい話を聞きたいと喉までかかるが、なぜか口にできなかった。
いま、私が心残りなのは、そのときもっと突っ込んで、
多くのことを語り合える大人でなかったことである。

「 お前は 天皇陛下のために喜んで死ねる人間になれよ 」
天皇の命令で殺されようとしている人間が、なお 天皇のために死ねという。
私はけんめいに涙をこらえながら、
これほどまでに天皇を熱愛する人間を、天皇が殺すはずはないと思った。
そして、私はそれを確信した。
そのころ、巷間には まことしやかな噂が流れていた。
「 死刑は表向きで、満洲へ送られ特別任務につくらしい 」
「 秩父宮と天皇が激論された 」
「 減刑されるそうだ 」
かつて歩三の兵舎で、偶然、謦咳に接した秩父宮の温顔を私は思いうかべ、
ワラをもつかむ思いでその噂にすがりつき、秩父宮はかならず救けてくださる、
太郎は助かる と 自分にいいきかせていた。
「 真実を見きわめることは難しいことだ 」
いたましそうに私を凝視しながら、太郎がいったことがあった。
それは呟きのような弱い調子だったが、
真実を見あやまった自分の愚かさへの反省ともうけとれて、私は辛かった。

面会三日目ごろであったろうか。
別れる間際になって太郎の口からでたのは、
私が毎日、毎日、怖れていたことばだった。
「 そろそろ別れる日が近づいたようだ。 今日が最後になるかもしれんよ 」
ことばは激することもなく淡々としていたが、
眼ざしは いちだんときびしかった。
すでに 相沢中佐処刑の銃声をきいている彼は、
自分の処刑がそう遠くないことを予感したのであろう。
なんという残酷なことばだ。
返すことばもなかった。
泣きだしたい激情を抑えるりがやっとだった。
夜になるのが怖かった。
軍人の処刑はどうするのか。
どんなかたちで殺されるのか。
切腹、斬首、絞首、銃殺・・・・
想像できるありとあらゆるさまざまな残虐な光景が、
しーんと静まりかえつた闇のなかに、
つぎからつぎへと思われるのだ。
つぎの日の面会は、
「 今日も会えたなあ 」
の 微笑にはじまり、
「 これが最後かもしれんな 」
と、鋭いが慈愛に満ちた うるんだ眼ざしで、
私を哀れむように見つめながら、きつくきつく握手して別れた。
今日も会えたなあ。今日も会えたなあ。
今日も会えたなあ。
いつたい、このことばは いつまでつづくのか。
それはいつまでも続いてほしい。
一生続いてほしい。
生きていてくれ。
どんな形でもいいから生きていてくれ
---私は流れる涙を拭うことも忘れて、
宇田川町の坂道を嗚咽をこらえながら  とぼとぼと歩いた。
「 どうして、あの忠節な人間が、あれほど天皇を敬愛する人間が、
殺されなければならないのか 」
「 神様、お願いです。天皇陛下、お願いです。兄を助けてください 」
私は歩きながら、途中、目に入れば、神様でもお寺でも手を合わせた。
天皇陛下の特赦が行われる・・・・噂は信憑性をもってひろがった。
甘粕大尉事件---関東大震災の混乱に乗じて、
アナーキスト大杉栄夫妻を扼殺やくさつした甘粕憲兵大尉は、軍籍を剥奪されたが、
そのころ満洲で特殊任務について活躍していた---や、
五・一五事件の犯行軍人にたいする、量刑が噂の根元にあつたのだ。
これらの噂は、とうぜん獄中にも流れた。
己の正義を信じ、ひとかけらの邪心もない軍人たちである。
それを知ったら
驚倒し、狂死したであろう、天皇の激怒を知らない彼らである。
それぞれの意識の底に、
心酔する秩父宮の理解と、
神とうやまい信ずる天皇の明哲を期待していたとしても、
彼らを愚と わらえない。
天皇はもちろん、
秩父宮も同情者でなかったことを、彼らは最後まで知らなかった。

太郎が帰ってきた。
笑いながら 部屋に入ってきた彼の姿に、
私は思わず立ちがった。
・・・夢であった。
夢と知った絶望感に、私は嗚咽をこらえながら、
夢は神託だ、夢は現実を予告する、
正夢でないという保証はない、
と 自分にいいきかせた。
そして、夢が見られる夜が待ち遠しくなり、
一時間でも早く夜がくればいいと思った。
太郎は助かる、
他の人たちは殺されても、
彼だけは絶対に殺されない
---そのときの私は、
まさに エゴ の 固まりであった。

高橋治郎 著  一青年将校 終わりなき二・二六事件  から


後顧の憂い 「 姉は・・・」

2017年11月23日 12時50分05秒 | 高橋太郎

七月二日

「姉ハ・・・・・・」

ポツリ ポツリ家庭ノ事情ニツイテ物語ッテ居タ彼ハ、
此処デハタト口ヲツグンダ、
ソシテチラリト自分ノ顔ヲ見上ゲタガ、
直ニ伏セテシマッタ、
見上ゲタトキ彼ノ眼ニハ一パイ涙ガタマッテ居タ、
固ク膝ノ上ニ握ラレタ両コブシノ上ニハ、二ツ三ツノ涙ガ光ッテ居ル
モウヨイ、コレ以上聞ク必要ハナイ、

暗然拱手歎息、初年兵身上調査ニ繰返サレル情景
世俗ト斷ッタ臺上五年ノ武窓生活、コノ純情ソノモノノ靑年ニ、實社會ノ荒波ハ、
餘リニ深刻ダッタ育クマレタ國體観ト社會ノ實相トノ大矛盾、疑惑、煩悶、
初年兵敎育ニタヅサハル靑年將校ノ胸ニハ、
カウシタ煩悶ガ絶エズ繰返サレテ行ク、
而モコノ矛盾ハ愈々深刻化シテ行ク、
カウシテ彼等ノ腸ハ九回シ、眼ハ義憤ノ涙ニ光ルノダ
共ニ國家ノ現狀ニ泣イタ可憐ナ兵ハ今、
北満第一線ニ重任ニイソシンデ居ルコトダラウ、
雨降ル夜半、只彼等ノ幸ヲ祈ル
食フヤ食ハズノ家族ヲ後ニ、
國防ノ第一線ニ命ヲ致スツハモノ、ソノ心中ハ如何バカリカ、
コノ心情ニ泣ク人幾人カアル、
コノ人々ニ注ぐ涙ガアッタナラバ、
國家ノ現狀ヲコノママニシテハ置ケナイ筈ダ、
殊ニ爲政ノ重職ニ立ツ人ハ國防ノ第一線、
日夜生死ノ境ニアリナガラ戰友ノ金ヲ盗ッテ故郷ノ母ニ送ッタ兵ガアル、
之ヲ發見シタ上官ハ唯彼ヲ抱イテ聲ヲ擧ゲテ泣イタト云フ

神ハ人ヲヤスクスルヲ本誓トス、
天下ノ萬民ハ皆神物ナリ、
赤子萬民ヲ苦ムル輩ハ是レ神ノ敵ナリ、
許スベカラズ


高橋太郎 陸軍歩兵少尉 歩兵第三聯隊
二・二六事件 獄中手記遺書 河野司 編  高橋太郎 ・ 感想録 より