あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

水上源一 『 求刑は懲役十五年 』

2021年12月17日 05時36分30秒 | 水上源一

日本大学在学中、学生間に共産主義運動を主張せるもの多かりしが、
共産主義者は我が国体に相反する思想なりと反駁し、
当時より日本精神の研究に入りたり ロンドン条約は我が重臣が米国より買収せられ、
遂に六割と云ふ屈辱的条約を締結したる事実を知り、
重臣等は全く私利私慾のみに狂奔し国家を顧ず、
之等奸賊の一掃を痛感し居たる折柄、
五・一五事件、神兵隊事件、埼玉挺身隊事件等相次いで惹起し、
一層維新達成の必要を痛感したるものなり。
・・・反駁 ・ 牧野伸顕襲撃隊 1 水上源一 


水上源一  ミズカミ ゲンイチ
『 求刑は懲役十五年 』
目次

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昭和維新・水上源一 
救國埼玉挺身隊事件 
・ 
水上源一 『 昭和維新運動ノ捨石トナロウト決心シマシタ 』

河野大尉らが 家の中にとびこむと、皆川巡査がとび出して来た。
すぐとりおさえて、牧野のいる所へ案内させる。
しかし、巡査は当然のことながら、牧野のいないところばかり案内した。
「 いないじゃないか 」
と、怒ると、
皆川は部屋の隅に置いてあった自分のベッドに、スルスルと近寄り、
ピストルをとって、いきなり射った。
それで、河野大尉が倒れた。
宮田軍曹が、先刻わたしから取り上げたピストルを発射すると、自分も首を射ち抜かれた。
巡査は膝を射たれて倒れたが、皆川は横たわったまま応戦した。
その時、水上源一が高台のわたしへ、
「 威嚇しろ! 」
と 叫んだ
わたしは、軽機を腰にあて、別館の屋根にむかって、盲射ちに乱射した。
すると瓦が一メートル程うえにすっ飛ぶ。
すさまじい音だ。
これで湯河原中が目を覚ましたかと思われた。

・・・牧野伸顕襲撃 1 「 デンポウ ! デンポウ ! 」 

河野は胸部の盲貫銃創で、すでに行動の自由を失っていた。
「 俺に代って誰か邸内に突っ込め 」
軍刀を杖に、辛うじて身を支える河野の声が暁闇に響いた。
しかし、この命令にこたえて、再び邸内に躍り込む人はいなかった。
失望の色が河野の面上に深く、身もだえして切歯した。
「 万事休す!」
一刻の猶予も許さない場合である。
最後の手段は、不本意だった。やりたくなかった。
しかしいまとなってはそれよりほかに方法がなかった。
河野は牧野伯の寝室に向って、屋外から機銃の掃射を命じるとともに、
放火もまたやむをえないと決意しなければならなかった。
偶然にも、炭の空俵が勝手口に立てかけてあった。
塵紙に点火してこれに火を移したのは水上であった。

・・・ 牧野伸顕襲撃 2 「 俺に代って誰か邸内に突っ込め 」

「 やられた、と いつて河野大尉が軍刀を杖にして出て来ました。
胸から血が流れていました。
つづいて出て来た宮田は、首をやられていました。
河野大尉は道に腰を下して指揮をとりました。
しかし事実上の指揮者は、そのころから水上源一となったのです。
水上は、別荘の屋根の瓦を狙って機関銃で威嚇射撃をするように云いました。
私は中島と二人で屋根を狙ったところ、屋根瓦が躍って飛散しました。
機関銃のすさまじさにいまさらのようにおどろきました。
火をつけなけりゃダメだ、という水上の叫び声がしました 」 ・・・黒沢鶴一

源一氏が馳せて来、
私に、正ちゃん、牧野を追出すために火をつけよう、と いった。

よし、と 紙を源一氏に与えた。
源一氏は火をかけた。
・・・牧野伸顕襲撃 3 「 女がいるらしい、君、 女を助けてやってくれ 」 

あを雲の涯 (十九) 水上源一 
・ 昭和11年7月12日 (十九) 水上源一 

求刑は懲役十五年
判決は死刑
死刑の判決文には、
「 右ノ者等ニ對スル叛亂被告事件ニ付 當軍法會議ハ
検察官陸軍法務官井上一男 干與審理ヲ遂ゲ
判決スルコト左ノ如シ
主文 被告人水上源一ヲ死刑ニ処ス ・・・」

 判決報道
水上源一は
求刑では禁錮十五年、

そして死刑の判決を下された。

軍法会議の判事も俗人なる以上 裁判に間違ひないとは言へない。
源一の死は単なる犬死ではなく あの偉大なる衝動に依り国家は将に二十年の前進を為した。
源一等の真精神をも軈やがて国民全般に認められ
国家が革新された時は維新の先駆者として日本の歴史の一頁を飾るものである。
其が せめてもの一家の嘱望して居る処だ。
秘密に執行せられた死刑も葬場に来る途中を見ると多数の老若男女が遺族に向って
涙を流し 手を合わせて拝んで呉れていた。
此の光景を見て、源一等の為した精神が一応国民に透徹して居る様な気がする。
而し此の死刑を執行する以前に 鈴木侍従長の更迭がなかったことは、
各死刑者共 残念がっていたことと思ふ。
嘗ての軍部は斯ふ云ふことに積極的であったが 此頃の軍部は一向無頓着で
斯る傾向は国民の興亡が軍部に反映しない結果で軍民離間の因を為すものにして
国家の為 慨嘆に堪へず。
・・・叔父・佐藤義蔵
弟は、生前常に国家の改革を主張して居たが、
私は常に弟の主張に対し国家の改造は急激に為し得るものでない事を説明して居たが
而し 壮年の血気は止むに止まれず 遂に斯如き大事を起すに至り、
世間をお騒がせしたことは兄として充分責任を感じ社会に対し申訳ないと申して居ります。
弟の 十五年の求刑が死刑になったことは、
軍服を着て指揮をした為に当局の心証を害した結果と思ひますが、
少し重過ぎる様な気がいたします。
此の上は妻と子供を育てて行く事が、兄として弟に対する務めであり、
国士としての精神を生かすものだと思ひます・・
・・・兄・利四郎