あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

昭和維新・池田俊彦少尉

2021年03月07日 05時17分04秒 | 昭和維新に殉じた人達

林は私に
「 おい、今晩だぞ。明朝未明にやる 」
と 言ったので、
「 よし、俺も行く 」
と 答えて中隊に帰った。
いよいよやるのだということで、
身の回りの整理するものは整理して、
夕食を居住室の食堂ですませてから自分の部屋に入った。
机に向って坐ると、 佐々木信綱の 「 萬葉読本 」、
美濃部達吉博士の 「 法の本質 」 や
先日買ったばかりのショーロホフの 「 開かれた処女地 」 等の本と共に
義兄の海軍中尉小林敏四郎から贈られてきた 「 靖献遺言講話 」 が 置かれてあった。
私はその中の 「 出師の表 」 の 終りの
諸葛孔明が出師の必要を説く最後の文章を読んだ。
凡そ事是の如く、逆(あらかじ)め見る可き難し。
臣鞠躬して力を盡し、死して後已まん。
成敗利鈍に至りては、臣の明の能く
(あらかじ)め観る所あらざるなり。
私はここを見て心の昻まりを覚え、迷いを断ち切った。

七時半過ぎであったと思うが、私は栗原中尉を機関銃隊に訪ねた。
栗原中尉は銃隊の入口に立っていた。
私は敬礼して
「 私も参加致します 」
と 言った。
栗原さんはうなずいて、私の顔をじっと見て、
「 俺は貴公を誘わなかったのだ 」
と 言った。
私が
「 林から聞きました 」
と 言うと、
栗原さんは、 私が一人息子だから誘いたくなかったのだ と いうことと、
私が行かなくてもいいのだと言った。
それでも私は
「 是非、参加します 」
と きっぱり言いきった。
この時、栗原さんは
「 有難う、そうか、そこまで考えていてくれたのか。中に入り給え 」
と 言って
先に立って将校室に私を導き入れた。

・・・池田俊彦少尉 「 私も参加します 」 

 
池田俊彦少尉


« 二十六日 »
午前五時頃、
栗原中尉は第一教練班及機関銃の主力を率ひ、
表門より突入し、次で林少尉の部下の大部分侵入し、
私の教練班並林少尉及林の部下一部は裏門から突入しました。
そして林少尉は中に入り、私は機関銃二銃を持って裏門の警戒に当たりましたが、
栗原部隊が首相を中庭でやっつけたので兵を表門に集結し、万歳を三唱しました。
当時大蔵大臣担任の近歩三中橋基明中尉及中島少尉の指揮する一隊も、
首相官邸に到着して居りました。
又、田中中尉は自動車一台、トラック二台(共に軍用) を持来て居りました。
・・・池田俊彦少尉 「 事態の収拾に付ては真崎閣下に御一任したいと思ひます 」 


栗原中尉は九時半頃、陸相官邸から帰ってきて、今から朝日新聞社を襲撃すると言った。
林少尉を首相官邸の守備に残して、中橋中尉、中島少尉と私が行くことに決まった。
田中中尉の部隊のトラック二台に機関銃一個分隊と兵約三十名を乗せて出発した。
官邸を出ると向うから馬に乗った将校がやってくるのが見えた。
近づくと近衛歩兵第一聯隊の小林少尉である。
小林は栗原中尉に向って、
「 林少尉に会いに来ました 」
と 言って官邸の方へ通ろうとしたが、栗原中尉に制止された。
「 我々と一緒にやるなら通ってもいい。さもなければ駄目だ。帰り給え 」
小林は執拗に頼んで前進の姿勢を示した。
「 一歩でも前進したら撃つぞ 」
栗原中尉は断乎として拒絶し、拳銃を構えたので、 小林少尉も止むなく馬首を廻らせて帰って行った。
小林少尉は、我々陸士四十七期生のトップで、林とは幼年学校以来の親友であり、
私とも府中六中の同期で親しい間であったので、
私は事の成り行きを困ったことになったと思いながら見守っていたが、
小林は栗原中尉との問答に気をとられていて、私の存在には気がつかなかった。
・・・破壊孔から光射す 

二月二十七日夕、
陸相官邸に於て 栗原中尉の除く外の全将校と軍事参議官と会見し、
野中大尉が一同を代表して次の事をお願ひしました。
「 事態の収拾に付ては真崎閣下に御一任したいと思ひます。
宜しくお願ひします。
軍事参議官閣下は真崎閣下を中心としてやられる事をお願ひ致します 」
それに対し阿部閣下は、誰を中心とすると言ふのではなく、
軍事参議官が一体となって努力するといわれました。
真崎閣下は、
「 諸氏の尊い立派なる行動を生かさんとして努力して居る。
軍事参議官は何等の職権もない。
只、陸軍の長老として道義上、顔も広いから色々奔走して居る。
陛下に於かされては 不
眠不休にて、御政務を総攬あらせられ給ひ、真に恐懼の至りである。
お前達が此処迄立派な行動をやって来て、陛下の御命令に従はぬとなると大問題である。
その時は俺も陣頭に立って君等を討伐する。
よく考へて聯隊長の命令に従ってくれ 」
と 言はれました。
そこで私等は退場し、聯隊長とは誰か、元の聯隊長か今の小藤大佐かと色々話合ひましたが、
そこへ山口大尉が来られ、真崎大将に対し、
「 奉勅命令の内容は我々を不利に導き、御維新を瓦解せしむるものなるや 」
と 問ひたる処、「 決して然らず 」 と 答へられました。
山口大尉は更に、「 聯隊長とは誰か 」 と 問ひたるに、
「 小藤大佐なり 」 と 答へられました。
そこで吾等は、一に大御心にまかせ、聯隊長の命令に従ふことを誓ひました。
・・・池田俊彦少尉 「 事態の収拾に付ては真崎閣下に御一任したいと思ひます 」 

« 二十八日 »
この日の午後、 栗原さんは出て行き、首相官邸はひっそりしていた。
午後二時頃、
私が一人で官邸にいたとき、小藤聯隊長がやって来られた。
そして私に栗原中尉を呼んでくるように命じられた。
私は栗原中尉が安藤部隊に行ったことを知っていたので、
安藤部隊のいる料亭の幸楽へ出かけた。
この時、 攻撃軍は われわれの周囲をびっしりと取り囲み、
虫の這い出ることも出来ない状態であった。
部隊の中には戦車も見られた。
私は攻撃軍の前をよぎって行かねばならないので、
明らかに蹶起部隊の将校と見られ狙撃されることもあり得ると考え、
はっきりそれと判断しにくいように持参していたマントを着て出かけた。
幸楽の前に来ると、安藤大尉と丹生中尉がいた。
兵達は鉢巻をして前を睨み、攻撃軍と対決し、皆、非常に興奮していた。
私が近づいてゆくと安藤大尉が進み出て、
貴様は誰だ、と 怒鳴った。
丹生中尉が あわてて私を同志だと紹介したので、 安藤大尉の顔色は和らいだ。

丹生中尉でもいなければ、突きとばされかねまじき勢いであった。
私は安藤大尉を知っているけれども、 先方は私を覚えていないから無理もない。
栗原中尉は先程迄いたが、帰ったとのことで、
私は急いで官邸に帰ってきたが、小藤聯隊長の姿はすでになかった。

しばらくして栗原さん達が帰ってきた。
この時いた者は 対馬中尉、中橋中尉、田中中尉、中島少尉と 林と私であった。
栗原中尉の顔には憔悴の色が漂っていた。
栗原さんは我々に向かって言った。
「ここまで来たのだから、兵は原隊に帰し、我々は自決しよう 」 皆、黙然として一言も発しなかった。
誰も自決に反対する者はいなかった。
首相官邸にいた者はこの時、全員自決を決心した。
私は林と向き合って、拳銃の引鉄を引けばそれで終わりだと思った。
不思議にさっぱりした気持ちであった。
それからしばらくして村中さんが来た。
村中さんもやはり兵を引いて自決しようと考えたいた一人である。
この時、突然ざわめきが聞こえてきた。
攻撃軍が攻めて来るというのである。
我々は一斉に立ち上り、 急いで坂の下の方へ駆け下りて行った。
村中さんは抵抗してはいけない、討たれて死のうではないかと言った。
私は第一線をかけ廻って兵達に絶対に撃ってはならぬと厳命した。
私も、やはり村中さんの言った通り撃たれて死のうと覚悟をきめた。
しかし攻撃軍は動かず静かであり、じっとこちらの動きを見守っているようであった。
この頃、何処からともなく群衆が集まってきた。
私に対して話を聞かせてくれとしきりにせがんだ。
私は次のような話をしたことをかすかに覚えている。
「 我々は天皇陛下の聖明を掩い奉り、
我が国の前途に障害をきたす奸賊を斬って、昭和維新のために立ち上ったのだ。
大化の改新の際も 中大兄皇子が奸物蘇我入鹿を倒して、
破邪顕正の剣を振るわれて大化の新政を実現したように、 奸賊共を斬ったのだ。
日本の歴史はいつもこのような正義の力によってのみ切り開かれてゆくのだ。」
このようなことを言って、
ちょっと言葉が途切れたとき、
一人の風采いやしからぬ四十位の人が私に近づいて、
「おっしゃることはよく解りました。
しかし、皇軍同志撃ち合うようなことにならぬようにくれぐれもお願いします。
私共はそれが一番心配なのです」
と 言った。
私は、
「 そのようなことは絶対にありません。
私達はこちらから撃ったりするようなことはありません」
と 答えた。
・・・磯部浅一 「おい、林、参謀本部を襲撃しよう 」 

« 二十九日 »
午前十時か十一時頃、

兵は原隊に帰し、将校全員は陸相官邸に集合することになった。
私と林、そしてあとの二人の将校は一緒になって、首相官邸を出て陸相官邸に向った。
したがって、あとで桜井参謀と栗原中尉と兵達との劇的場面には立ち合うことが出来なかった。
このことは 林は後で後悔していた。
一言、兵達に自分の気持を話して別れの挨拶をしたかったと言っていた。

私と林と二人並んで歩いて行った。
歩きながら、 私は林に対し、陸相官邸に行ったら自決しようと言った。
林は黙っていた。
私は自決しなくとも殺されることは決っていると言った。
この時林は私の顔をきっと見詰めて、
「 貴様は殺されるのが嫌なのか、殺されるのが恐いのか。
殺されるなら、撃たれて死んだらいいではないか 」 と 言った。
林の胸の中には軍首脳部の我々に対する態度を見て、
すさまじい反抗心と不屈の闘志が燃えていたに違いない。
・・・丹生中尉 「 手錠までかけなくても良いではないか 」 


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