あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

兵に後顧の憂いがある

2017年12月27日 10時28分27秒 | 靑年將校運動

靑年將校がみていた
當時の社會

 ・
一、山口一太郎  
靑年將校は戦時において下級指揮官として、貧しい靑年と共に、
敵の鉄砲火の中に飛び込む役である
と 同時に、平時においても軍隊教育者として、
兵隊を仕込む役でもある。
熱心な教育者であればある程、被教育者たる兵隊の困窮に深い同情を持つ。
この困窮をなんとか救ってやりたいと思い、その困窮の原因となっている社会悪に対し、
激しい憤激を覚えてくる。

第一に
この国は国民大衆の幸福のために運営されていない。
天皇様は国民が幸福であるように、お情け深くあられるが、
牧野伸顕とか鈴木貫太郎とか斎藤実とかいう君側の肝が、
特権階級に都合のよいように虚を申し上げるから政治が悪くなるのだ。
高橋是清蔵相は財閥の味方ばかりして貧乏人を苦しめている。
第二に、
戦争で死ぬのは青年将校と兵隊とであり、
参謀本部や陸軍省の連中は、待合で兵器工業社の重役と飲み食いし、
戦争になっても自分たちの生命は安泰で、その上勲章や褒美の金がもらえるのだ。
第三に、
二十歳から二十三歳位の働き盛りの青年を兵隊にとられ、
どん底生活におちいった家庭の数は数えきれない。
それなのに、
それらの家庭に邦から与えられる軍事救護金は、家の涙ぐらいしかない。
ために苦界に身を沈めた兵隊の妹もおびただしい数にのぼる。
国を思い兵隊の家庭を通じて国民大衆の苦悩を、
ひしひしと体得している純真な青年将校は、
純真であればあるほど、
時の政府、時の軍当局、特に財閥が憎くてたまらなかったのである。
国民を兵隊として召集する仕事をかる役所は連隊区司令部である。
兵隊に後顧の憂いがある。
これでは天皇陛下萬才を心から叫んで死んでいけない。
今日の政治はだめだ 
という青年将校の声は、連隊区司令官を通じて陸軍省にとりつがれ、
閣議の席上陸軍大臣からしばしば政府に申し立てられた。
これは国民大衆の声が、
為政者に強く勧告される ひじょうに都合のよいルートであったのである。
しかし、政治はいっこうによくならなかった。
純真な人たちが自己を忘れて国民大衆の幸福になる道をかんがえるとき、
正当な意志通達のルートが閉ざされていると、
その動きはおのずから危険性を帯びてくる
・・・『 青年将校 』 山口一太郎
・・日本週報 「 天皇と反乱軍 」 所載
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


靑年將校は兵の身上から社會をのぞき、
そこから 政治惡を感じとっていた。


二、高橋太郎
「姉は・・・」 
ポツリポツリ家庭の事情について物語っていた彼は、ここではたと口をつぐんだ。
そしてチラッと自分の顔を見上げたが、すぐに伏せてしまった。
見あげたとき彼の眼には一ぱいの涙がたまっていた。
固く膝の上にすえられた両こぶしはの上には、二つ三つの涙が光っている。
もうよい、これ以上聞く必要はない。

暗然拱手歎息、
初年兵身上調査にくりかえされる情景、
世俗と断った台上五年の武窓生活、
この純情そのものの青年に、実社会の荒波は、あまりに深刻だった。
はぐくまれた国体観と社会の実相との大矛盾、疑惑、煩悶はんもん、
初年兵教育にたずさわる青年将校の胸には、こうした煩悶がたえずくりかえされて行く。
しかもこの矛盾はいよいよ深刻化して行く。
こうして彼等の腸は九回し、眼は義憤の涙に光るのだ。

ともに国家の現状に泣いた可憐な兵は今、北満第一線の重圧にいそしんでおることだろう。
雨降る夜半、ただ彼らの幸を祈る。
食うや食わずの家族を後に、国防の第一線に命を致すつわもの、
その心中は如何ばかりか、この心情に泣く人幾人かある。
この人々に注ぐ涙があったならば、国家の現状をこのままにして置けないはずだ。
ことに為政の重職に立つ人は。

国防の第一線、日夜生死の境にありながら
戦友の金を盗って故郷の母に送った兵がある。
これを発見した上官は、ただ彼を抱いて声をあげて泣いたという。
神は人をやすくするを本誓とす。
天下の万民は皆神物なり、
赤子万物を苦しむる輩はこれ神の的なり、許すべからず
・・・『 感想録 』
死刑判決三日前の七月二日に書き残したもの、
若い隊付将校の革新の意向が切々と訴えられている。


三、磯部浅一
青年将校の改造思想はその本源は改造方案や、北、西田氏ではありません。
大正の思想国難時代にこれではいけない、
日本の姿を失ってしまうという憂国の情が、忠君愛国の思想をたたきこまれている、
士官学校、兵学校、幼年学校の生徒の間に、勃然として起ったのです。
そしてこの憂国の武学生が任官して兵の教育にあたってみると、
兵の家庭の情況は全く目もあてられない惨但たるものがあったのです。
何とかせねばと真面目に考え出して、日本の状態を見ると意外にひどい有様です。
政党、財閥のかぎりなき狼藉のために、国家はひどく喰い荒されている。
これは大変だ、国を根本的に立て直さねば駄目だと気がついて、
一心に求めているとき、日本改造方案と北、西田氏があったのです。
・・・『獄中手記』・・磯部浅一
リンク→ 獄中手記 (三) の三 ・ 北、西田両氏と青年将校との関係

これも青年将校の国家革新への志向を描いたものだが、
けっきょく青年将校は、いずれも 「 国家悪 」 を そこにみたわけであるが、
では
彼らは国家の現状を、何に照らして悪とみたのか、
彼らが日本の現状を見る眼は なんだったのか


四、村中孝次
明治末年以降、
人心の荒怠と外国思想の無批判的流入とにより、
三千年一貫の尊厳秀絶なるこの皇国体に、
社会理想を発見し得ざるの徒、
相率いて自由主義に奔りデモクラシーを讃歌し、
再転して社会主義、共産主義に狂奔し、
玆に天皇機関説思想者流の乗じて以て議会中心主義、
憲法常道なる国体背反の主張を公然高唱強調して、
隠然幕府再現の事態を醸せり。
之れ
一に明治大帝によりて確立復古せられたる
国体理想に対する国民的信認悟得なきによる
・・・『続丹心録』
リンク→ 昭和維新・村中孝次 (三) 丹心録


国家の現状、
それは村中によれば、国体理想に背反せるものであった。
彼らのもの見る眼はそのすべてが 国体観念、国体の理想にあった。
この理想にてらされる邦の姿は 「 国体破壊 」の 現状であったのである。


大谷啓二郎著 
軍閥   


後顧の憂いのなき社会にするぞ

2017年12月26日 10時40分18秒 | 靑年將校運動

青年将校は戦時において
下級指揮官として、
貧しい青年と共に、敵の銃砲火の中に跳び込む役であると同時に、

平時においても軍隊教育者として、兵隊を仕込む役でもある。
熱心な教育者であればある程、被教育者たる兵隊の困窮に深い同情を持つ。
この困窮をなんとか救ってやりたいと思い、
その困窮の原因となっている社会悪に対し、激しい憤激を覚えてくる。
青年将校は当時の社会悪を次のように見ていた。

 
山口一太郎 
第一に、

この国は国民大衆の幸福のために運営されていない。
天子様は国民が幸福であるようにお情け深くあられるが、
牧野伸顕とか鈴木貫太郎とか斎藤実とかいう君側の奸が、
特権階級の都合のよいように、嘘を申上げるから政治が悪くなるのだ。
第二に、
戦争で死ぬのは青年将校と兵隊であり、
参謀本部や陸軍省の連中は、戦争になっても自分達の生命は安泰で、
その上勲章や褒賞の金がもらえるのだ。
第三に、
二〇歳から二三歳位の働き盛りの青年を兵隊にとられ、
ドン底生活に陥った家庭の数はかぞえきれない。
それなのに、家庭に国から与えられる軍事救護金は蚊の涙ぐらいしかない。
ために苦界に身を沈めた兵隊の妹も、おびただしい数に上る。
国を思い兵隊の家庭を通じ、
国民大衆の苦悩をひしひしと体得している純粋な青年将校は、
純真であればある程、時の軍当局、時の財閥が憎くてたまらなかったのである。
・・・山口一太郎 談

満洲事変がおこると彼等は第一線小隊長として、その部下と共に彼我の火線につく。
ここでは多くの愛する部下を失う。
つい、二、三日前の討匪行軍、そこでは兵と共に遠い家郷がしのばれ、
昨夜の露営の篝火かがりびでは、しみじみと家庭のあれこれを語りつづけていた兵隊たちは、
いま、弾雨の中で 「 むくろ 」 となっている。
第一線で部下を失った小隊長の気持ちは、これを体験した将校でなければわからない。
部下を殺したという自責、勇敢に戦ってくれたという愛惜あいせき
兵は誰のために死んだのか。
老いたる父母や多くの弟妹たちの生活苦を思い、後ろ髪をひかれながらも、
よく戦って、そして戦死した兵たち、小隊長はこの兵の志を生かしてやらねばならない。
だが、それにはどうすればよいのか。
彼等は天皇陛下の万歳を叫び、天皇陛下のためにと信じて死んでいくならば、
その天皇国は、せめてそれに価する立派な国、後顧の憂いのない社会にしてやらねばならない。
部下を思う第一線小隊長は、銃火の下、部下達の血潮を浴びて、こう決心をするのであった。
たが、そこにみつめる国のありさまは、彼らのこい願うものとは違っていた。
ここに、また、弾雨の中に得た第一線小隊長の 「 革新 」 の決意があった。

大谷啓二郎 著
・二六事件の謎  から


林八郎 『 一擧の失敗竝に成功の眞因 』

2017年12月26日 05時29分38秒 | 林八郎


林八郎 
遺書
方今の日本一大改革期に直面するは識者等しく之を知る。
目標の如きも概ね明ならんとす。
而して如何にして進むべきやに到っては、粉々紜々の説ありと雖も、
いづれも机上の案、口頭の論、以て準據となすべからず
そもそも維新の大業たる、机上口舌の上に生るべきものにあらず。
何ぞ身を以て大道を打開せんとはせざるや。
時務を知るの明機は事上に磨練せらるるのみ。
爲せば成る、進めば茨の野にも道はつく。
吾人等の一挙は此処にその意義あり
一擧の成敗是非の跡を明め意義を尋ぬるは、苟も天下を憂ふる士の一大責任なるべし。
その成とは何ぞや
一擧發起し得たることなり。
少なくとも重臣ブロックに一大痛撃を与へ得たることなり。

一擧の失敗竝に成功の眞因

方今の日本一大改革期に直面するは識者等しく之を知る。
目標の如きも概ね明ならんとす。
而して如何にして進むべきやに到っては、粉々紜々の説ありと雖も、
いづれも机上の案、口頭の論、以て準據となすべからず
そもそも維新の大業たる、机上口舌の上に生るべきものにあらず。
何ぞ身を以て大道を打開せんとはせざるや。
時務を知るの明機は事上に磨練せらるるのみ。
爲せば成る、進めば茨の野にも道はつく。
吾人等の一擧は此処にその意義あり
一擧の成敗是非の跡を明め意義を尋ぬるは、苟も天下を憂ふる士の一大責任なるべし。
その成とは何ぞや
一擧發起し得たることなり。
少なくとも重臣ブロックに一大痛撃を与へ得たることなり。
その結果は
一、陸軍首脳部の無智、無能、無節操、中央部の幕僚中心權力至上主義、
    現狀維持傾向を暴露し、以て粉々錯雑せる流派を、
     維新、否維新の二大陣営に分ち、遂に維新に統一さるべき一段階を進めたり
一、純眞熱血の靑年に自覺と鼓舞を与へたるを信ず
一、一般國民に非常時の眞底を自覺せしめたるべし

失敗とは何ぞや
天日をさえぎる黒雲を一掃するに到らざりしこと之なり。
然れども今日は一歩行けば一歩の忠、
一里行けば一里の忠なれば、一擧の發起し得たること大成功なり。
況んや前人未踏の實戰の記錄を殘したるに於てをや

成功の眞因
一、首唱者の熱烈なる革新的精神
 此の一擧の首唱者は先づ栗原、磯部兩氏なるべし。
もとより參加者一同の熱意は勿論なれども、
この兩氏の 我一人とも往かん との熱意の人を動かしたること極めて大、
而して寝食を忘れて計畫に結束に勉めしも此人等なり。
一人の精神萬人を動かすを知るべし。
栗原氏嘗て余に曰く
「 事發覺せば我一人自殺せん、すべてを我にかぶせよ、而して喞等再起せよ 」 と

一、秘密保持
 之には全幅の注意を傾けたり
1 同志の決心鞏固なること
   計畫者に於て決定せる事項を必要最小限の事前に知らすこととせり。
    そのため蹶起前日始めて計畫を知りしものもあり、
    之は一面、決意固からざるもの程、直前に近く知らすこととせり。
2 同志の範囲強いて多きを求めず
    豊橋の失敗は此の點の不用意にあり
3 酒と女の席で維新を語らず
    なんでもない様なことで大切なこと。十月事件の例
4 遺書も書かず
5 其他あらゆる點

二、團結の鞏固
同志間及び將校下士官兵間の二者あり。
前者については中心人物の人格と他の者の小異を棄て大同に就く精神。
後者に就ては將校の人格の力と精神敎育の徹底与って有り

一、
時期の選定

時期を逐次早めたること。
渡満前、三月末、三月始等々と世評ありき。
而して當日、目標全部在邸せるは天佑といふべし
一、
靑年の意氣

同志の皆が事の成否がどうの、建設計畫がどうのといふ功利的、打算的氣分を排し、
一途に維新の聲に奮ひ起ち、只管國體蹂躙、統帥權干犯に義憤したるによる

失敗の眞因
一、押の一手を弛めしこと
 維新戰術の要訣は、奇襲に始まり攻撃に次ぎ、無二無三に押し、勝利に終るに在り。
即ち奇襲により元兇を斃し、その一大衝動により總勢力を維新的方向に進ましめ、
次で起り來るべき大逆襲の萠芽を次ぎから次へと看破して、
片つばしより攻撃撃破し、壓倒殲滅、最後の完全勝利迄寸刻も息を弛めざるに在るなり。
もしもその間一息にても抜かんか、元來絶対對優勢なる敵の堅陣は忽ち動揺を靜め、
大逆襲や側防機能はその猛威を逞しくする到るべし。
之を實際に就て見るに、奇襲に次ぐ攻撃により、大臣告示出で戒嚴部隊に入る。
之實に維新の第一歩なり。
( 今日、告示を説得の方便なり、戒嚴部隊に入れしは鎭撫の目的よりする手段なりなど、
  苦しくも巧なる糊塗手段をなしつつあれど、事實は遂に抹殺すべからず )
然るに之に安心して攻撃の手を弛めしは一大不覺なり…リンク→磯部浅一 「おい、林、参謀本部を襲撃しよう 」 
何ぞせはからん、その時一大策謀の行はれつつありしとは。
此くて二十八日一夜にして形勢一變、もはや如何ともなす能はざりしなり。
「生中生なし、死中活あり」 の文字を味識すべし。
高杉晋作、馬關の一擧と比較すべし。

一、恃むべからざるものを恃むこと勿れ
飽迄維新軍の正義と實力とにのみ倚拠すべし。
老人聯は腰抜けなり。
とても自ら進んで難局に立たんとする者などなし。
汲々として自己の地位を守らんとして急なり。
中央部に蟠踞する幕僚は自家中心權力至上主義の權化なり。
あらゆる策謀の根源なり。
斷じて妥協すべからず。
要するに正義を唯一の頼とし、自らの力を以て最後迄貫く氣概なからざるべからず
今次の一擧は飽迄軍をしてその本義に邁進せしむるを主眼とせるものにして、
失敗が當然なり。
之順序としてやむを得ず。( 軍の一員の義務信義として )
次に進むものは、もはやかかる願慮を要せず。
驀直に自らの力を恃め。( 軍の恃むべからざるを暴露せし以上は )
非國體的勢力を打破するに何の遠慮かあらん、一手に引受くるべし

一、一刀兩斷にして始めて摩擦なし
摩擦をすくなくするを要す等と言ってゐると大摩擦を生ず。
今次、犠牲最小限の方針により、
當然斃さざるべからざるものを放置せるこし失敗の大原因となれり。
狀況判斷の誤りありしはもとよりなり。
思ひ切ってやること。
陛下の天佑神風を以て自任し、妖雲一掃天日照々

右条々、思ひ出せるままに管見の一端を記す。
之を得たるものは時務を知るの俊傑と言ふを得べきか。
當り前の事なれども、實戰を經ざればなかなかわからざるものなり。
讀を乞ふ。
終に本事件の概要を言はんか
( 之に就ては各種情報を蒐集し、
三千年の歴史、世界の大勢と照合綜合大観されんことを望む。
而して誰が何と言ふとも、
吾人は之こそ維新史廻轉の樞軸とならざるべからざるを確信す )
要するに日本的維新の原則 ( 大權の私議者、統帥權干犯の元兇等、
天日の光被をさへぎる妖雲を一掃すること、即ち維新 ) を猛進せるのみ

1 準備
氣運の醸成、同志の義憤を結束、所要方面の打診、天誅の計畫立案
2 蹶起
尊皇討奸 ( 元兇天誅 )
一方、陸相に事態収拾要請
( 軍の力を以て吾人等の手の及ばざりし妖雲を一掃せんこと ) 事件の維新的解決
3 軍の態度あいまいのうちも維新的方向に進む
陸軍大臣告示 ( 完全に吾人等の行動を認めしもの、具體策はなし ) 出づ。( 參議官一同同意 )
右告示第一師團各部隊に下達、近衛は師團長 ( 橋本虎之助中將 ) 握りつぶす。
以上二十六日
二十七日 戒嚴令布かれ戒嚴部隊に編入さる。
配宿、休養を命ぜられる。
進捗せず、交渉數度
4 策謀しきりに行はる
林一派、幕僚ファッショ、重臣ブロック殘黨。
攻撃案出しも戒嚴部隊なりとの理由にて中止
5 維新大詔降下運動
石原大佐、満井中佐を中心とすと傳へらる
6 形勢逆轉
二十八日朝より奉勅命令下達の形勢。食ひ止めるため村中氏奔走
第一師團長以下理解あり
近衛師團敵對的行動
山下奉文等、將に下達の時機切迫すと。
一同を集め切腹せしめんとす。
一同下達さるるまでやる覺悟
遂に下達されず、外部々隊包囲急なり
7 睨み合ひ
二十九日
外部々隊に攻撃命令下る。將士奮はず。
同志部隊一兵に到る迄、決死力戰せんとす
8 遂に奉勅命令遵奉
奉勅命令の次第、逐次明瞭となるに及んで大義名分を明にせんことを決す
「 蹶起趣意書 」 と 對照せば意のあるところ明ならん
以上

結末は吾人等を踏台に蹂躙して幕僚ファッショ時代現出するなるべし。
あらゆる權謀術策を、陛下の御名によって弄し、
純忠無私、熱誠殉國の志士を虐殺す、國體を汚辱すること甚し。
御聖徳を傷け奉ること甚しい哉
吾等も死すれば不忠となる。 斷じて死せず
吾等の胸中は明治維新の志士の知る能はざる苦しみあり、憤あり。
如何に師團を増し、飛行機を製るも 正義を亡し、國體を汚して何の大日本ぞ
大日本は神國なり、不義を許さず。
勢の窮まるところ最後の牙城を倒す時に眞の維新來るなり

二・二六事件 獄中手記・遺書 河野司 編 から


林八郎 『 靑年將校の道  』 

2017年12月25日 19時59分19秒 | 林八郎


靑年將校の道
 歩一 林八郎 

一、人格生活・神
現今の人は余りにも卑俗だ
道に對する畏敬を知らない
「 朝に道を開けば 夕に死するも可なり 」
の 意氣は無論 其日其日を眞實へる武士の覺悟はおろか
自己の言動に對する確信すら持ち得ないのではないか
足盡大地上を踏みしめよ
よろけてはいけない
正念を持して失はざれ
死すべき時に後を見せて後で切腹間に合はない
俯仰天地に恥ちざれ
自ら反みて 縮なほくんば 千万人と雖も我行かん
是が人格生活だ
起きては寝  食しては排泄す
果して人世の意義があらうか
明皎々たる太陽の耀きに何を以て較くらぶべき露の命
悠久の生命大自在の宇宙
ここに憧れて
ここに求めて
然るが故に 古人に学び 先哲を慕ふ
況んや 古神道によれば吾人は神の子である
奉皇殉國の大道に安心立命の神境を打開しようてはないか
物欲紛々の此の身こそ 先づ齋戒沐浴し去らずばなるまい
二、社會
此に亦 吾人の懊悩がある
吾と此身の汚れたるが如く 世も亦濁る
此の世を救はんとせずして自ら正覺を成さんとするも
小乗の羅漢たるを免れず眞の道ではあるまい
食なきが故に無垢の心を傷はれ行く民人
衣食足つて礼節を知らざる禽獣人
私慾の文化を誇るもの
哀れなる被搾取の底に潜み行く民族
此を念ひ彼を眺むるとき
救世濟民の志 勃々禁ずる能はざるものがある
然あらざるべからず
純潔なる若人の血よ
三、反省と視野
然あれども若人よ みだりに躍る勿れ
世の中はもつと辛辣だ
世濟民にも道がある
或人は機構の改革を目指して改造運動の第一線に立つ
或人は精神の確立を目指して忠君愛國を説き 大慈大悲を叫び
或人は一村の繁榮を第一着手として進み
或人は精兵の練成に注ぐ赤心を以て一世を化かさんことを期す
何れも可なり 人自らを知れ
天の時あり 地の利り 自己のぶんり
のぼせあがらぬことは是非必要だ
然れども 時の流あり 天の流行あり 國運をして天日の道を歩ましめざるべからず
此に吾人は分を知り 分によつて奉皇を記すると共に
世界的視野に立つて時勢を大観しなければならぬ
四、明日の時代
亜細亜は眠つてゐる死せるが如くに
欧米は没落せんとして居る
絢爛けんらんの光を殘して個人主義を基調とする文明は行詰つた
人間性の代りに神の道が開かれねばならぬ
資本主義は自殺だ
共産主義はその終生でしかない
より根本の宇宙観の覺醒がなければならぬ
亜細亜の問題は 資本主義よりの防衛であり
欧米の問題は資本主義よりの離脱である
而して 日本の問題は兩者の問題を兼ね有するものであらう
農業國の文明 ( それこそ永遠の發展性を持つ正統の文明である ) を基調に持つ日本は
その眞面目に歸るべきである
而して 此問題は亜細亜の興起に聯なり 世界の革新に聯なる
世界は縮まつた
要約するに次の時代の問題は
欧州文明の超克 ( 生として用ふ )
創造主義 生産 ( 勤勞 ) を 重んずる農業中心
大亜細亜の建設 ( 共通の祈り )
五、皇軍の行手
右 「 明日の時代 」 に 示した 「 イデオロギー 」 は
一つの示唆に過ぎないが 時代は明白に動きつつある
「 戰爭は政治の延長なり 」 と
果して然りとせば 吾人は由つて以て燃えて立つべき皇軍の意識に進一進なかるべからず
そこに機構に 制度に 教育に改新のある筈である
振り返つて亦眼を國軍の現狀に注がう
國軍の中央部に派閥的抗爭があるとかないとか
それは知らぬとしておいて端的に慊あきた らず慊らず
慊らざりし士官學校教育に思を致せ
敎育者に熱誠なかりしか
否らず
敎育者に人情味なかりしか
然らず
鐡石の規則窮屈なりしか
然らず
我熱膓を鍛ふる好鐡鎚に不足を覺えたるがそれもある
然し それでもない
更に突つ込んで敎育綱領に不満ありしか
否否
敎育綱領こそは
吾人の尊奉して置かざりし所
寧ろ之を尊奉するが故にこそ現狀に慊らざりしものありしに非ずや
胸中一點の聖火ある人よ 心を明にして思へ
一刀兩斷に言はん
「 六十年の伝統の蔭に積り積つた殻だ 垢だ 」
之が新しき方向との間に作る 「 ギャップ 」 が 重苦しく吾人の心胸を壓しつつあつたのだ
おお今や知る
とりもなほさず 之が國軍の現狀ではないか
然らば問ふ
行軍の新しき行手は何処
國軍の殻とは何ぞや
それは血に燃ゆる皇國の靑年將校が今より前者を照し求め
後者を剔抉しようとして奮ひ立つて居るではないか

現代史資料23  国家主義運動3 から


此処に頑是ない子供がいる 「 命令、殺して来い 」

2017年12月24日 11時51分48秒 | 大蔵榮一

昭和十年六月三日の土曜日、
学校では授業の終わったころ、
「 本日午後一時、将校全員第一講堂に集合すべし 」
という校長命令が出た。
教官はもちろん軍楽隊、主計、軍医、学生に至るまで、
将校と名のつくものは全員集合という命令は、
近ごろ異例のものであった。
「 なにごとだろう ? 」
「 よほど重大なことだろう ? 」
と、だれも想像し得ない命令だったので、
みんな小首をかしげながら集合した。

全員集合し終わったとき、
深沢友彦校長が長岡幹事を従えて第一講堂にはいってきた。
幹事、長岡大佐は小わきに相当分厚い書類をかかえていた。
よく見ると 『 正規類集 』 らしい。
『 正規類集 』 というのは
陸軍のあらゆる制度、規則を集めたものである。
校長は演壇に進んだ。
「 ただいまから幹事に重大なことを説明してもらうから、
諸君は謹聴してもらいたい 」
校長に代わって、幹事が演壇に立った。
小わきにかかえた 『 正規類集 』
をおもむろに大机の片隅においた。

「 オレは中隊長、諸君は小隊長と仮定する。
問題、ここに一人のがんぜない子供がいる。
命令 『 殺してこい 』、
諸君はどうするか 」
開口一番、長岡幹事は厳然として問題を出した。
全員水を打ったように静かになった。
幹事はしばらく全員を見回していた。
「 栗原中尉、どうするか 」
栗原凱二中尉は
陸士四十一期生で、
金沢歩兵第七聯隊から派遣されていた将校学生である。
第一次上海事変で金鵄勲章を頂いている豪の者だ。
「 ハイ、殺しません 」
と、きっぱり答えた。
「 その隣、江藤中尉 」
「 ハイ、殺しません 」
と、これまたきっぱり答えた。
江藤五郎中尉は、
陸士四十三期生で
丸亀歩兵第十二聯隊から派遣されていた将校学生である。
栗原中尉も江藤中尉も、ともに ブラックリストにのせられている革新青年将校で、
青年将校の会合などには常に出席していた組であった。
私は、問題の内容と、名ざされた二人が栗原と江藤であったので、
幹事のいわんとするところが那辺なへんにあるのか、おおむね察することができた。
明日曜日の偕行社における会合に出席することを阻止しようとする意図に違いない、
と判断した。
「 だからおまえらは間違っているのだ 」
と、幹事は二人をたしなめた。
「 上官の命令はいかなる命令であっても、直ちに従うというのが原理だ。
このことについては、
かつて関東大震災のとき甘粕 ( 正彦 ) 憲兵大尉の命令で、
その部下鴨下上等兵が大杉栄の甥を殺したことがあったが、
その折り陸軍省、参謀本部、教育総監部から代表を出して、
統帥ということに関して徹底的に検討を加えて得られた結論は、
いかなる命令といえども
上官の命令には直ちに服従しなければならぬということであったのだ。
そのために鴨下上等兵の犯した殺人罪は、
上官の命令に従ったのであるから無罪ということになったのだ。
すでにそういう結論が出ている。
たとえ がんぜない子供であっても、上官の命令であれば殺すのがほんとうだ。
栗原中尉にしても江藤中尉にしても、『 殺さぬ 』 という答えは間違っている 」
私はこの幹事のいうことには、真っ向から反対であった。
しかも形而上の問題を多く含んでいる統帥を論じようとするのに、
『 正規類集 』 のような形而下の規則一点張りの書類を目の前において、
統帥を云々しようとする態度は、私には納得できないものがあった。
「 幹事殿、質問があります 」
私は、立ち上がった。
「 幹事殿はただいま
『 いかなる命令といえども上官の命令には従わなければならぬ 』
といわれましたが、
まことそのお言葉には間違いありませんか 」
私は念を押した。
「 間違いはない、その通りだ 」
「 しからばこんどは、私が問題を出します。
私は師団長で、あなたは聯隊長と仮定します。
問題。
『 長岡聯隊長は部下聯隊を率いて、宮城を占領すべし 』
この問題ははなはだおそれ多い問題ですが、
日本の歴史をひもといてみますと、
そういう事実は何回となく繰り返されています。
今後も絶対にないとは保証できないことであります。
幹事殿はこの場合どうなさいますか。
いかなる命令といえども従わなければならぬならば、
当然占領すべきと思われますが、どうなさいますか 」
「 それは別だ 」
幹事は顔のまえで両手を大きく交差して振りながら、例外を認めた。
「 じゃ、一歩をゆずりましょう。
日ソ開戦中だと仮定します。
ここにもしソ連軍に渡ったら、日本を敗戦にみちびくような重要な機密書類があります。
問題。
『 聯隊長、この機密書類をソ連に五十万円で売ってこい、師団長命令だ 』
幹事殿、どうなさいますか 」
「 売りに行く 」
と幹事は、小さな声で答えた。
私は、この幹事の答えをきいて、少なからぬ憤りを覚えた。
「 幹事殿、私は幹事殿と全く違った考えであります。
師団長がかりにそういうばかな命令を出したとしたら、
私はまず師団長き気が狂ったのではないかを確めます。
もし正気でいっているのであれば、軍隊内務書に示されている通り、
その誤りを訂ただすために意見具申をして、その誤りをやめてもらいます。
それでもなおきかなければ、師団長を一刀両断にします。
そして、喜んで上官殺害の罪に服したいと思います 」
私は、私の言葉にだんだん熱を帯びてくるのを、
自分ながら制することはできなかった。
「 幹事殿は、ただいま、
命令とあらばあえて国を売るようなことでも平気でやるといわれましたが、
これは驚くべきことで、許し難い行為といわなければなりません。
それはかたちだけの命令服従であって、決して真の服従ではないと思います。
いいかえればそれは単なる盲従で、かえって統帥を破壊するものであります。
わが国の統帥は、そんなかたちだけのものではありません。
命令を下す上官は、その態度においていささかの私心も許されません。
すべてを天皇に帰一したかたちにおいて命令は下るべきであります。
命令を受ける部下もまた、
天皇に帰一したかたちにおいてその命令に従うべきであります。
幹事殿が問題として出されました 『 ここにがんぜない子供がいる。殺してこい 』
という命令には、私は断じて無批判に服従すべきではないと思います。
したがって
栗原中尉、江藤中尉の答えは、不用意にこれを間違いと断することはできません。
私はむしろ、彼らの答えは正しいと思います 」
このような私の反論に対して、
長岡幹事はあくまで省部の形式的結論をたてにとって、
約一時間にわたって私との間に激論を戦わせた。
「 おまえはオレのいわんとすることが、まるでわかっていない 」
と、幹事は頭ごなしに私の反論を押えようとした。
「 そうです。私は幹事殿のいわれることは全くわかりません 」
と、私も負けてはいなかった。


大蔵栄一 
二・二六事件への挽歌  か


統制派と靑年将校 「革新が組織で動くと思うなら認識不足だ」

2017年12月23日 20時50分22秒 | 靑年將校運動

靑年将校は
統制派をもって中央部に蟠踞ばんきょする不純幕僚とし、
極力これと争っていたが、
この場合彼らはまた、
十月事件関係幕僚およびその流れをくむいわゆる清軍派とも、
鋭く対立して、たがいにざんぶ中傷をこととしていたが、
これは、すべて、靑年将校を弾圧するものとしての対抗意識であった。

しかし統制派は、
すでに見たように陸軍を正しい姿にかえし、軍の総意をもって革新を行おうとし、
これがため部内統制の確立と越軌下剋上の悪風を一掃しようとした。
そして靑年将校の革新運動は、軍紀上厳にこれを封殺すべきこと、
しかしこれにかわって軍首脳部が国家革新に熱意をもち、
軍全体の組織を通じてその革新にあたるべきだとした。

そこで、
靑年将校運動を弾圧する前に、まず彼らを説得する必要を認め、
昭和八年十一月頃、数字にわたって、九段偕行社などで、
中央部幕僚との懇談会がもたれたのであった。 リンク→ 
「 軍中央部は我々の運動を弾圧するつもりか 」 
だが、この懇談会は成功しなかった。
両者がその主張をくりかえすだけで、
ついに一致点を見出すことができなかったのである。
すなわち、統制派は、
「 軍内の横断的結成による革新運動は、軍を破壊する危険があり、
靑年将校が、荒木、真崎をかついで革新の頭首とすることは、
軍内に派閥をつくるもので、このような青年将校運動は廃絶して、
軍みずからが、その組織を通じ合法的に確信へと進むべきである 」
靑年将校は、
「 軍の組織をもって革新に向おうとするのは理論的であって
実際的ではない。
われわれ靑年将校は挺身して革新の烽火をあげるから、
軍中央部は、その屍を越えて革新に進んでもらいたい 」
といい、
両者平行線をたどって、けっきょくものわかれにおわったが、
しかしこの対立は、
この二つのものが根本的な違いをもっているように思われる。

靑年将校は、すべて人に中心をおいているから、
志を同じくする人材を求め、
この人によって、維新大業の輔翼にあたらせようとするが、
統制派幕僚は、人よりも組織を重んずる。
それは、彼らが軍の組織を動かし、
軍の一糸乱れない統制のもとで、国内改革に進もうとするからだ

こんな話がある。
さきの幕僚と青年将校の懇談会が、ものわかれになったあと、
靑年将校を裏で指導していた西田税が、
池田少佐宅に現われ、次の問答をかわしている。
  
西田税                 池田純久
軍の中央部が靑年将校の維新運動を抑圧するのはけしからん。
彼らが荒木大将のもとに集まり、荒木を信頼しているが、なぜ悪い。
年将校が国体信念に透徹した荒木将軍をかつぐのは、やむをえないことだ。
それはどうしてだ。
高級将校のなかで、国家革新に熱意のある将軍は、荒木大将と真崎大将だけだからだ。
そうでもあるまい。
われわれは、けっして荒木大将個人を忌避しているのではない。
軍の組織で行くべきだとしているのだ。
軍は個人によって、しかも横断的に動かされてはならないのだ。
それはわかる。
しかし、軍が革新に熱意があるなら、
革新の理解のある荒木大将を、かついだ方が有利ではないか。
荒木大将が陸軍大臣ならば、荒木、荒木といってかついでも弊害は少ない。
もし、荒木大将が陸軍大臣をひいて、そのあとに新たな大臣を迎えたとき、
君たちが、いぜん、荒木をかついでは、軍を私兵化する危険性がある。
私はこれを怖れるのだ。
それでは革新はできない。
革新に理解の乏しい人が陸軍大臣になったのでは、万事休すである。
われわれは、軍内の特定の将軍をかついで、革新をやる考えは適当でないと思う。
軍の組織を動かし、一糸乱れぬ統制のもとで、革新に進みたいのだ。
革新が組織で動くと思うなら認識の不足である。
ヒットラーは伍長ではなかったか。
彼は下士官の身をもって、ドイツを動かしたのだ。
それは見解の相違だ。
・・・池田純久の 『 統制派と皇道派 』

ここでは、革新における、
人と組織の問題は 「見解の相違 」 でおわっている。
しかし、私は、これこそ両者の方法論における対立を示すものだと思う。
それは、
統制派が陸軍省という機構の中にいたのに対して、
靑年将校が荒木、真崎のもとに個人的に集まっていたという事情からきただけではない。
両者の改造理念の根本にふれるものなのである。
つまり、
靑年将校は精神主義を信条とするから、具体的な政策というものは、二のつぎにする。
政治でも、経済でも、これを運営する人のいかんにある、との見解に立つている。
人によって世の中はよくもなり、悪くもなるとい考えているから、組織よりも人なのである。
ところが、
統制派は人よりは組織なり機構なりが改められなければ、社会はよくならない、という見解に立っている。
ことに、その名のごとく統制を旗じるしにしている。
だから、軍全体の組織統制のもとに、合法的に革新を行おうとする。
これがために、政治や経済についての政策が検討され、建設計画といったものが準備されることになる。
だが、
靑年将校は、信頼に値する人によって、革新の行われることを期待するから、
そこには、具体的な政策がうまれることがむずかしい。
靑年将校は統制派を目して、清軍派に対すると同様、「 幕僚ファッショ 」 と攻撃し、
統制派の、この軍の組織をもってする国家改造の志向と画策を、中央部万能主義、権力による独裁と、けなしていたが、
それはたしかに、第一線の隊付将校と中央部幕僚との業務的な関係を反映したものである。

すでにみたように、国防国策担当者としての統制派幕僚の国家改造は、
必然に 「 国防体勢の完成 」 から割理だされる。
それは現実的であり実際的であるが、
それが、精神主義を第一とする観念的抽象的な理想に生きる若い将校にとっては、
すべて、幕僚の述策としてうつり、幕僚は機関説だということになった。
幕僚の改造計画といっても、部外有識者の強力を得なくてはならない。
そこに幕僚と新官僚の結びつきがあったし、いわゆる進歩的分子とのつながりも生まれた。
靑年将校は、ここをとらえて、統制派を 「 赤 」 だとけなし、国体をわきまえない逆賊だとも誹謗したのである。
しかし、それは青年将校だけのものではなかった。
十月事件に関係した幕僚から統制派幕僚に至るまで、部外ことに政財界からは、「 赤い幕僚 」 との疑惑をうけていた。


身を挺した一挙は必ずや天皇様に御嘉納いただける

2017年12月23日 11時51分48秒 | 大蔵榮一

そのころのいわゆる青年将校は
『 革新 』 ということに関心を持つ者と、無関心の者とに大別することができた。
関心を持つ者がまた、
非合法もあえて辞せずとする者と、あくまで合法的にと主張する者とに分かれていた。
当局が一部将校だとか急進派将校といって、目のかたきにし、
弾圧の対象としていたのがこの非合法組であったことはいうまでもない。
非合法組の中にも単独直接行動は是認するけれども、
部隊を使用することは絶対反対する態度を持するものもいた。
状況やむを得ぬ場合は部隊使用もあえて辞さないグループが、
『 二 ・二六事件 』 を決行した連中であった。
その場合、統帥権を干犯することは百も承知の上であった。
だが、この行為はいわゆる西欧流のレボリューションではない。・・・政治革命
権力強奪的私心が微塵もあってはいけないことを、お互いの心に誓い合っていたのだ。
国家の悪に対して身を挺することによって、
その悪を排除し、日本本来の真姿顕現に向かって直往すれば、
その真心は必ず天地神明にはもちろん、
天皇さまにもご嘉納していただけることを念願しての一挙であったはずだ。
ご一新への念願成就の暁は、闕下にひれ伏して罪を乞い、
国法を破った責任において、死はもとより覚悟のまえであった。
破壊のあとの建設案など考えないのは当然である。
部隊の大小にかかわらず、斬奸の兵を率いて独断専行するとき、
それが明らかに統帥権を踏みにじった行為であることは、間違いのない事実ではないか。
・・・
松本清張は 「 統帥権とは天皇の 『 意志 』 である 」 と定義しているが、
これには私も全く同感である。
だが、ここで考えなければならぬことは、天皇の 『 意志 』 の内容についてである。
敗戦前の日本においては、
高御座たかみくらにつかせられた天皇の 『 意志 』 は
単なる喜怒哀楽に左右される自然人としての 『 意志 』 ではなく、
皇祖皇宗の遺訓、すなわち天地を貫く大本たいほんに則った 『 意志 』 でなければならぬということだ。
だが、天皇は万能の神ではない。
人間本能にもとづいて喜怒もあれば哀楽もある、自然人としての誤りをおかすことも、
当然あってしかるべきものであろう。
その過誤を最小限にとどめようと日夜聖賢の道を学び、
帝王の学を見につけるため努力を積み重ねられる天皇のために、
欠くことのできないのは輔弼の責めに任ずる側近の人達である。
明治の時代は若き天子を擁して西郷隆盛の実直があり、山岡鉄太郎の剛毅があって、
あるときは面をおかして直諫の苦言を奉り、過ちの改められない限り一歩も退かなかった、
という見事な諍臣ぶりに、われわれ明治に生を受けたものは、深い感銘を覚えたのであった。
昭和の時代は、果してどうだったであろうか。
大正から昭和にかけて、天皇の側近にはいつの間にか古今を大観する達人、
天地を貫く剛直の士が、影をひそめてしまった。
しも万民の苦しみをよそに、
側近はひたすら天皇を大内山の奥深くあがめ奉ることにのみ専念これつとめていた。
『 諫臣なき国は亡ぶ 』 と昔よりいわれたように、
忠諫の士が遠ざけられて、佞臣ねいしんの跋扈するところ、
大内山には暗雲がただよい、ために天日はおのずから仰ぎ難くなる。
『 二 ・二六事件 』 は、私によれば、
この暗雲を払い天日を仰がんとする、忠諫の一挙であったのだ。

 

大蔵栄一  著
二・二六事件への挽歌  か


村中孝次 發 川島義之 宛

2017年12月22日 13時47分55秒 | 靑年將校運動

 ⇒
村中孝次                 川島義之

昭和9年10月5日の新聞報道

粛啓壮候。
大命一下 非常時局に於て國軍統督の重責に任じて立たるゝや、
早くも首相と會見し、
國體問題、國防問題に關し堅確なる所信を闡明せられたる閣下の烈誠決意は、
國家の爲め寔に景仰欣賀に不堪る所に御座候。
御就任後二週目、愈々大英斷の實行期に入るべきを予測し、
當初の第一歩に於て國軍盤石の基礎を堅確に打ち建てらるゝこと千願萬望に不堪候間、
僭越を不願以 下 些か卑見を申上げ、御参考に供し奉り候。
一、國體明徴の維新的徹底解決に向ひ直往邁進するを以て終始の大方針となし、
 之れが爲め先づ陸軍上部の更始一新的人事を斷行し、
内外に向つてする皇道宣布の實力的核體たるの基礎を確立せらるゝを要す。
一、永田事件直後責任者 及 同事件發生の直接原因たる十一月事件、
 教育總監更迭問題等の責任者を、遅くとも相澤中佐の豫審終結時迄に處置せらるゝを要す。
進退出所公明を欠き臣下の節を過るに於ては、
上大元帥陛下を蔑にし奉り、下軍紀を紊亂破壊するの罪 軽からず、
責任の所在を明かにすることなく、荏苒空過して相澤中佐の公判開廷に至らば、
世人囂々ごうごうの非難は陸軍に對し集中し、収拾し得ざる破局に堕ちるべし。
急速を要す。
以下是れを細説す。
 一、左記各官は統帥權干犯問題に於ける陸相 竝 參謀總長の輔佐官として、
 永田事件發生と共に即時引責すべかりしものなり。
速急に辭職せしむるを要す。
橋本陸軍次官
 註、永田事件に關する部下統督上の責任を有するのみならず、左記各項に照し即時退官するを至當と信ず。
イ、十一月二十日事件關係
1、永田中將は生前各方面に對し、十一月事件直接責任者は自己に非ずとして橋本次官なりと公言せり。
2、昨年十一月二十日橋本次官は片倉少佐、辻田大尉、塚本大尉の三名の報告を基礎とし、
 永田軍務局長、田代憲兵司令官を帯同、林陸相に迫り、青年將校を彈壓すべきことを鞏要せり。
3、十一月事件前後より今日に至る迄、片倉少佐等が頻りに次官々邸に出入し策動せる形跡あり。
4、辻大尉の士校中隊長罷免を最後迄反對し、同人を擁護せるは橋本次官なり。
要之十一月事件なる架空事件を惹起し、而も軍司法權の運用を拘束歪曲せしめ、
軍紊亂の重大原因を作りしは永田軍務局長と共に同斷の罪責を有す。
 ロ、教育總監更迭前後に於ける策動
1、統制鞏化の美名の下に青年將校を彈壓せること、
2、教育總監更迭により表面化されたる荒木派排撃といふ皇軍私黨化、
3、教育總監更迭前後の怪宣傳による軍内攪亂、
4、教育總監更迭時の統帥權干犯問題、
5、天皇機關説排撃運動抑壓、維新機運阻止等により、重臣方面に阿附追随せること、
右は橋本次官が永田中將との合作を以て林陸相をロボット的に操縦して行ひたるものにして、
青年將校一般に永田中將に對する同様の増惡心を有しあり、警戒を要す。
 ハ、相澤事件に關して
1、巷説妄信云々の怪宣傳は陸軍次官の意圖にて發表せられたる由なり。
2、其後に於ける惡辣な新聞操縦の怪宣傳は次官側近者の妄動なり。
3、事件發生後、次官々邸を憲兵の外警視廳新選組をして護衛せしめたる事實に基き、
 心ある人士の情激を買ひつゝあり。
4、師團長會議に於ける噴飯に価する訓示内容に對する反感、
等 橋本次官に對する反感は、時日の經過と共に惡化するのみなり。
今井軍務局長
 註、十一月事件關係者に對する處分、教育總監更迭、八月人事異動に關し、
  橋本次官、永田軍務局長と相列んで重大輔佐の責を分たざるべからず。
前掲 橋本次官の 「 註 」 各項目の大部は概ね是れを今井中将に適用し得べし。
而して是等の責に恐懼するの臣節と道義とを全うせずして、軍務局長の要位に就きしのみならず、
橋本次官に代り次期次官に累進せんとする野望を抱けるは、奸惡不忠の譏そしりを免れ難く、軍内外の非難高し。
杉山參謀次長
 註、參謀總長宮殿下に對し奉り輔佐宜しきを得ず、
 殿下の御徳を瀆し奉りたりといふ非難は軍の内外に亘り喧囂けんけんたり。

一、十一月事件の惹起、同事件に關聯して軍司法權の歪曲亂用 及 排他的策動陰謀、
 總監更迭問題を廻る惡宣傳等枚擧に遑なき皇軍攪亂の元兇たる左記各官を即時罷免せらるゝを要す。
新聞班長    根本大佐
軍事課員    武藤中佐    池田少佐    片倉少佐
 註、永田中將が天誅に伏せしは是等統制派と稱せらるゝ數氏の妄動陰謀の代表的一人たりしに依る。
少なくとも上記四名を処分せざれば、十一月事件以來の軍内混亂を恢復する能はざるべし。
一、十一月事件 竝 同誣告事件に於て、永田軍務局長等と結託し、軍法會議長官の威令に服せず、
 軍司法權を私斷歪曲し、皇軍紊亂の重大原因を惹起せる左記二法務官を罷免せらるゝを要す。
大山法務局長
島田第一師團法務部長
一、永田事件に於て非武士的行動を以て國軍の威信を失墜し、士気に惡影響を及ぼしたる
 左記の兩官を即時罷免し、 以て軍紀を確立し、士風を振起せらるゝを要す。
山田砲兵大佐
新見憲兵大佐
一、相澤中佐直属上官は同中佐の新任地着任前なるに鑑み、新旧共夫々引責處分せらるゝを要す。
一、三月事件、十月事件の大逆不逞のものたりしは、既に世間周知の事實となりて、
 今や如何に庇護隠蔽せんとするも不可能にして、來議會に於ける最大政治問題となりて、
皇軍の爲め致命的打撃たるは必至の勢なりとす。
其の憂國の志は哀むべしと雖も、夫の至尊に匕首を擬する底の國體冒瀆は斷じて許すべからず。
速かに斬謖の断を以て兩事件首謀者を處斷し、國體の大義を確立するに非んば、
陸軍を目して皇軍の名に隠れ竜袖を擁して不義を維持するものとする國民の非難憤騰し、
軍民分離の重大結果を招來すべし。
兩事件の速急処置は、美濃部、金森等の處分問題より數段緊切なる國體明徴の具現策なりと信ず。

現下軍内部に於ける多少の動揺は實に興國維新の機運潑刺磅礴し、
國家生命の已むに已む能はざらんとする躍動の一現象に過ぎず、
姑息弥縫は徒らに激發の惨禍を招くのみにして、
維新回天の一路を嚮上することによつてのみ軍の一體的統一を庶幾し得べく、
以て軍民一致 眞の皇國大日本確立の聖戰ものあるを奉信候。
國家の爲め愈々以て不屈不退轉の御勇斷を切々奉悃願候。
頓首再拝
昭和十年九月十九日
東京市渋谷区代々木
村中孝次
陸軍大臣川島義之閣下
虎皮下

〔註〕  便箋一七枚にペン書き。
 封筒表 「 陸軍大臣川島義之閣下御直坡 」
 裏 「 東京市渋谷区代々木
山谷町一二五番  村中孝次 」

二 ・二六事件秘録 ( 別巻 ) から


「 軍中央部は我々の運動を彈壓するつもりか 」

2017年12月21日 04時05分56秒 | 靑年將校運動

中央部幕僚の彈壓強まる
青山三丁目のアジトを借りなければならないほど、中央部幕僚の北、西田に対する排撃、
すなわち、私らに対する圧迫は強化されつつあった。
  村中孝次 
そのころのことを村中は
『 粛軍に関する意見書 』 に、次のように書いている。
昭和八年十一月六日から十六日までに
九段上の富士見荘の会合に始つて偕行社の会合に終りました
軍事予算問題を機会とした
首脳部推進と少壮青年将校の大同団結促進との為めの幕僚、
青年将校の聯合同期生会の状況の如きは、
彼の一群が如何に私共に対して
悪意の排斥、中傷、圧迫を企図して居るかを露骨に示した一例であります。
即ち六日の富士見荘の会合に出席したものは、
影佐(偵昭)中佐、満井(佐吉)中佐、馬奈木(啓信)少佐、今田(新太郎)少佐、
池田(純久)少佐、常岡(滝雄)大尉、権藤(正威)大尉、辻(政信)大尉、塚本(誠)大尉、
林秀澄大尉、目黒(正臣)大尉、柴有時大尉及海軍の末沢少佐等でありまして、
反西田、西田攻撃によって青年将校を圧迫し
其の空気の上に乗って大同団結を企図したるものでありますから、
山口(一太郎)大尉、柴大尉の意見により会合の性質が段々変化して
真の大同団結をなす如く努力されて来ましたが、
十六日偕行社の会合によつて遂に其目的が達せられなかったのであります。
当日は牟田口(廉也)中佐、清水(規矩)中佐、土橋(勇逸)中佐、下山(琢磨)中佐、
池田少佐、田中(清)少佐、片倉(衷)少佐、今田少佐、田副中佐、
満井中佐、常岡大尉、山口大尉、柴大尉、目黒大尉、
大蔵中尉、磯部主計等によって会合されたるものでありますが、
陸軍省の方針なりとして徹底的に弾圧されたのであります 」 

三十数年前の私の記憶の中に、
いまでも、鮮明に思い出されることは、
偕行社での幕僚と青年将校の懇談会の模様である。
陸軍省、参謀本部のお歴々がいならぶ大テーブルのまえに、
私等若いものがちょうど被告のようにすわっていた。

まず、牟田口中佐が発言し、
つづいて清水中佐が発言した。
その内容は
陸軍部内の大同団結を強調し、
青年将校の行動を抑制しようとするものであった。
のっけから
われわれの言い分を聞こうとするの態度ではなかった。
すべてが高圧的であった。
「 これでは話が違う、オイ、大蔵帰ろう 」
と、柴大尉が憤然として起ち上がった。
「・・・・」
私と磯部は黙って柴大尉に続いて起ち上がった。
でこの会合はあっさり終わった。
席についてから起ち上がるまで、
二十分か三十分ぐらいの短時間であった。
このことがあってから、皇道派青年将校
( 私らは皇道派という言葉をきらって、自ら国体原理派といった )
に対する弾圧は、
清軍派と統制派とが共同戦線を張ったかたちで、
いよいよ激しくなってきた。
私たちは弾圧が激しくなればなるほど、
不屈の闘魂を燃やしながら、
団結の強化を目指して、国家革新の一途を驀進した。

大蔵栄一著 
二・二六事件への挽歌
高まりゆく鳴動 から

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
大谷啓二郎著

昭和憲兵史
によると
・・・
十一月六日には、
中央部側からは、
影佐禎昭中佐、満井佐吉中佐、馬奈木少佐、今田新太郎少佐、池田純久少佐、
青年将校側からは、
常岡大尉、権藤大尉、辻政信大尉、塚本誠大尉、林秀澄大尉、
目黒茂臣大尉、柴有時大尉、それに海軍の末沢少佐も参加し、懇談は、進められたが、
この会合には、始めからまずい空気がながれていた。
というのは、統制派幕僚は、
「 軍内における横断的団結は、軍を破壊する危険があるからやめなくてはならない。
 これがため、国家革新は軍の責任において、その組織を動員して実行するから、
青年将校は改造運動から手を引いて、軍中央部を信頼してもらいたい 」
と、彼らの運動解消を提案したので、問題がうるさくなった。
その後、山口大尉や柴大尉の肝入りで、真の大同団結のために、
どうしていけばよいかという方向に、討議は進められたが、
両者、平行線を辿って結論が出なかった。
とうとう、最後の日、十六日には、
中央から、牟田口廉也、清水規矩、土橋勇逸、影佐、下村、満井、田副の各中佐、
池田、田中、今田、片倉の各少佐、
青年将校側からは、
常岡、山口、柴、目黒、大蔵、村中、磯部の各大尉らが参加し、
特に、中央部からは、錚々たる中堅幕僚の大部分が席を連ねて会議は進められたが、
席上、村中が
・・・それでは、軍中央部は、われわれの運動を弾圧するつもりか
と、問題をえぐり出してしまった。
影佐中佐はこれに答えて、

・・・そうだ。 
今後、軍の方針は、いま話した方針で進む。

これに從わなければ、断乎として取締るであろう。
もし、どうしても政治運動を望むならば、軍籍から身を引いてやるがよい。
と、いいきった。

この懇談会のあと、
西田税は、池田純久少佐を訪ねて、
この幕僚の態度をなじり、なぜ、われわれが荒木をかつぐのが悪いのかとくってかかり、
激論の末、退去したが、帰り際に、
われわれは決起する前に、先ず幕僚征伐を行わねばなるまい
と捨台詞をのこしていったが、
いうところの幕僚征伐とは、
まさしく彼、及び彼につづく青年将校の、心魂に徹した怒りの叫びであっただろう。
リンク →
統制派と青年将校 「革新が組織で動くと思うなら認識不足だ」 

 


村中孝次 『 國防の本義と其強化の提唱について 』

2017年12月20日 17時09分59秒 | 靑年將校運動

 
村中孝次 

國防の本義と其強化の提唱に就て
陸軍が其總意を以て公式に 經濟機構變革を宣明したるは建國未曾有のこと
昭和維新の氣運は劃期的進展を見たりと謂うべし。
( 水戸藩主が天下の副將軍を以て尊皇を唱えたるよりも島津侯が公武合體を捨て
 尊皇統幕を宣言したるよりも大なる維新氣勢の確信なり )
陸軍は終に維新のルビコンを渡れるシーザーなり。
内容に抽象的不完全の點なきに非ずと雖も具體的充實化は今後の努力にあり。
我等は徹底的に陸軍當局の信念方針を支持し擴大し強化するを要す。
之が方策の一、二例左の如し。
イ、
該冊子を有効に頒布し十分活用すること、將校下士官兵有志、在郷下士官兵有志、
郷軍有志、民間有志竝農民關係其他所在の改造勢力方面
ロ、
國防國策研究 ( 本冊子をテキストとして ) の集會を盛に行うこと
ハ、
各種の方法を以て當局に對し本冊子に對する絶賛の意を表すると共に活行突破要請を具申建白すること
ニ、
農民其他一般に民間方面の當局に對する陳情具申等を陸軍に集中せしむること

一般情勢判斷に就て
イ、
陸海軍軍事豫算竝國民救濟豫算 ( 臨時議會提出及十年度分 ) を手呈的に支援し要求貫徹を計ること
ロ、
在満機關紙海軍軍縮廢棄通告の實現を促進すること
ハ、
所在同憂同志諸士を正算結集し非常時におうずる準備を着々整うること
ニ、
可能なる限り在京同志と密度なる聯絡をとること
ホ、
冷鐵の判斷行動と焦魂の熱意努力とを以て日夜兼行り奔走を敢行すること

「 一息の間斷なく一刻の急忙なきは即ち是れ天地の気象 」
とは吾曹同志の採って以て日常の軌道とすべきなり。
降魔斬鬼救世濟人の菩薩が湧出すべき大地震裂の時は恐らく遠からずと想望され候
日夜不撓爲すべきを爲し、盡くすべきを盡くし以て維新奉公の赤心に活くべく
お互いに精遊驀往可仕候
十月五日  村中孝次

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 国防の本義と其強化の提唱


「 粛啓壮候 」 と冒頭せるもの

2017年12月19日 16時56分22秒 | 靑年將校運動

「 粛啓仕候 」 と冒頭せるもの
村中孝次 署名

十月一日発行

十月九日禁止
  村中孝次 
陸軍大臣ニ對スル上申書トシテ認メタル如キモ、同時ニ軍部有力者ニ發送シタルモノ、

如クシテ其ノ内容ハ陸軍部内ニ於ケル諸問題ノ内面的事情ト認メラル、
事項ヲ暴露的ニ記述シタルモノナルガ、斯ノ如キハ軍ノ厳粛ナル存立ヲ曲説諚妄セルモノニシテ
軍ノ威信ヲ失墜セシムルト共ニ 人心ヲ動揺セシメ、
以テ社會不安ヲ惹起スル虞おそれアリ。

粛啓仕候
大命降下 非常時局ニ於テ 國家統督ノ重責ニ任ジテ立タルルヤ早クモ首相ト會見シ、

國體問題ニ關シ堅確ナル書信を闡明せんめいセラレタル閣下ノ烈誠決意ハ
國家ノ爲 寔ニ景仰欣賀ニ堪ヘザル處ニ御座候
御就任二週間愈御英斷ノ實行期ニ入ルベク豫測シ
當初ノ第一歩ニ於テ國家盤石ノ基礎ヲ堅確ニ打チ建テラルルコト千願萬望ニ不堪候間僭越ヲ不願以下
いささカ卑見ヲ申上ゲ御參考ニ供シ奉リ候
一、
國體明徴維新的徹底解決ニ向ヒ 直往邁進スルヲ以テ終始ノ大方針ト存ジ
之ガ爲先ヅ陸軍上部ノ更始一新的人事ヲ斷行シ
内外ニ向ッテスル皇道宣布ノ實力的核體タル基礎ヲ確立セラルルヲ要ス
二、
永田事件直接責任者及同事件發生ノ直接原因タル十一月事件 教育總監更迭問題ノ責任者を
遅クトモ相澤中佐ノ豫審集結迄ニ処置セラルルヲ要ス
進退出處公明ヲ欠キ臣子ノ節ヲ過ルニ於テハ 上大元帥陛下ヲ蔑ニシ奉リ 下軍紀ヲ破壊スル罪 輕カラズ
責任ノ處在ヲ明ニスルコトナク集中シ 収拾シ得ザル破局ニ墜ルベシ  急速ヲ要ス
以下之ヲ繼説ス
一、左記ハ統帥權干犯問題ニ於ケル 參謀總長ノ補佐官トシテ永田事件發生ト共ニ 即時引責スベカリシモノナリ
  速急 橋本陸軍次官ニ辭職セシムルヲ要ス
  註。永田事件ニ關スル部下統督上ノ責任ヲ有スルノミナラズ
        左記各項ニ照シ 即時退官スルコトヲ至當ト信ズ
イ、 十一月二十日事件關係
 1  永田中將ハ生前各方面ニ對シ 十一月事件直接責任者ハ自己ニ非ズシテ橋本次官ナリト公言セリ
 2  昨年十一月二十日 朝 橋本次官ハ片倉少佐、辻大尉、塚本大尉ノ三名ノ報告ヲ基礎トシ
     永田軍務局長 田代憲兵司令官ヲ帯同 林陸相ニ迫り 靑年將校ヲ彈壓スベキコトヲ鞏要セリ
 3  十一月事件前後ヨリ今月ニ至ル迄 片倉少佐等頻リニ次官邸ニ出入リセル形跡アリ
 4  辻大尉ノ士校中隊長罷免ヲ最後迄反對シ 同人ヲ擁護セルハ橋本次官ナリ
     要 之 十一月事件ナル架空事件ヲ惹起シ 而モ軍司法權ノ運用ヲ拘束歪曲セシメ
     軍紊乱ノ重大原因ヲ作リシハ 永田軍務局長ト共ニ同斷ノ罪責ヲ有ス
 橋本虎之助中将
ロ、教育總監更迭前後ニ於ケル策動
 1  統制鞏化ノ美名ノ下ニ青年將校ヲ彈壓セルコト
 2  教育總監更迭ニ依リ表面化サレタル荒木派排撃ト言フ皇軍私黨化
 3  教育總監更迭前後ノ怪宣伝ニ依ル軍内攪亂
 4  教育總監更迭時ノ統帥權干犯問題
 5  天皇機關説排撃運動抑壓維新機運阻止等ニ依リ 重臣方面ニ追從セルコト
   右ハ橋本次官ガ永田中將トノ合作ヲ以テ林陸相ヲ ロボット的ニ操縦シテ行ヒタルモノニシテ
   靑年將校一般ニ永田中將ニ對スルト同様ニ増惡心ヲ有シ警戒ヲ要ス
ハ、相澤事件ニ關シテ
 1  巷説盲信ノ怪宣伝ハ陸軍次官ノ意圖ニシテ發表セラレタル由ナリ
 2  其後ニ於ケル惡辣ナル新聞操縦ノ怪宣伝ハ次官側近者ノ盲動ナリ
 3  事件發生後 次官官邸ヲ憲兵ノ外 警視廳新撰組ヲシテ護衛セシメタル事實ニ基キ
     心アル人士ノ憤激ヲ買ヒツツアリ
 4  師團長會議ニ於ケル噴飯ニ価スル訓示内容ニ對スル反感等 橋本次官ニ對スル反感ハ
     時日ノ經過ト共ニ惡化スルノミナリ
 今井軍務局長
 註
 十一月事件關係者ニ對スル處分 教育總監更迭 八月事件人事異動ニ關シ
 橋本次官、永田軍務局長ト相列ンデ重大補佐ノ責ヲ分タザルベカラズ
 橋本次官ノ 「 註 」 各項目ノ大部ハ概ネ是ヲ今井中將ニ適用シ得ベシ
 而シテ是等ニ恐懼スルノ臣節ト道義トヲ全ウセズシテ軍務局長ノ要位ニ就キシノミナラズ
 橋本次官ニ代リ 次期次官ニ累進セントスル野望ヲ抱ケルハ
 奸悪不忠ノ譏そしリヲ免レ難ク軍内外ニ避難高シ
 杉山參謀次長
 註
 參謀總長ノ宮殿下ニ對シ奉リ 補佐宜シキヲ得ズ 
 殿下ノ御徳ヲ瀆シ奉リタルト云フ非難ハ軍ノ内外ニ亘リ喧囂タリ
 十一月事件ノ惹起 同事件ニ關連シテ
 軍司法權ノ歪曲亂用及排他的策動陰謀 總監更迭問題ヲ迫ル惡宣伝等
 遑いとまナキ皇軍紊亂ノ元兇タル左記各官ヲ即時免ゼラルルヲ要ス
 新聞班長  根本博 大佐
 軍事課員  武藤章中佐
 同  池田純久中佐
 同  片倉衷少佐
 註
 永田中將ガ天誅ニ伏セシハ是等 統制派ト稱セラルル數氏ノ盲動陰謀ノ代表的一タリシニ依ル
 少ナクトモ上記四名ヲ處分セザレバ 十一月事件以來ノ軍内混亂ヲ回復スル能ハザルベシ
一、
十一月事件竝ニ同誣告事件ニ於テ永田軍務局長等ト結託シテ軍法會議長官ノ威令ニ服セズ
軍司法權ヲ私斷歪曲シ 皇軍紊亂ノ最大原因ヲ惹起セル左記二法務官ヲ罷免セラルルヲ要ス
大山法務局長
島田第一師團法務部長
一、
永田事件ニ就テ非武士的行動ヲ以テ國軍ノ威信ヲ失墜シ 士気ニ悪影響ヲ及ボシタル
左記兩官ヲ即時罷免シ 以テ軍紀ヲ確立シ 士気ヲ振起セラルルヲ要ス
山田長三郎砲兵大佐
新見英夫憲兵大佐
一、
相澤中佐 直属上官ハ同中佐ノ新任地着前ナルニ鑑ミ 新旧共夫々引責處分セラルルヲ要ス
一、
三月事件 十月事件ノ大逆不逞ノモノタリシハ既ニ世間周知ノ事實トナリテ
今ヤ如何ニ庇護隠蔽セントスルモ不可能ニシテ來議會ニ於ケル最大政治問題トナリテ
皇軍ノ爲メ致命的打撃タル必至ノ勢ナリトス
其ノ憂國ノ士ハ哀ムベシ、
夫レ至尊ニ ヒ首ヲ擬スル底ノ國體冒瀆ハ斷ジテ國體ノ大義ヲ確立スルニ非ズ
人ハ陸軍ヲ目シテ皇軍ノ名ニ陰レ 竜袖ヲ擁シテ不義ヲ維持スルモノトス
國民ノ非難ニ騰シ 軍民分離ノ最大結果ヲ招來スベシ兩事件急速処置ハ
美濃部金森ノ處分問題ヨリ數段緊切ナル國體明徴ノ具現ナリト信ズ
現下軍部内ニ於ケル多少ノ動揺ハ實ニ開國維新ノ氣運溌溂砕薄シ
國家生命ノ已ム能ハザラントスル動キノ現レニ過ギズ
姑息弥縫ハ徒ラニ激對ノ惨禍ヲ招クノミニシテ 維新回天ノ一路ヲ向上スルコトニヨッテノミ
軍ノ一體化統一ヲ庶幾シ得ベシ
以テ軍民致真ノ皇國大日本確立ノ聖戰鴻業ニ翼賛シ奉リ得ルモノト奉存候
閣下素ヨリ決意ノ牢固抜クベカラザルモノアルト奉信候
國家ノ爲愈々以テ不退轉ノ御勇斷ヲ切ニ奉悃願候    頓首再拝
村中孝次

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「 粛啓仕候 」 と冒頭せるもの
「 思想月報 」 (昭和十一年五月号、四三号 )
陸軍大臣が、林銑十郎から川島義之にかわったのが、昭和十年九月五日であり、
相澤事件 ( 八月十二日 )  百ケ日目に山田砲兵大佐は自刃しているので、
この手紙は、相澤中佐の豫審中に書かれたものであろう。
( 公判は十一年一月二十八日 )
新任した陸軍大臣川島大将に対する上申書として書いたものであるが、
同時に軍部の有力者にも発送した。
内容の趣旨は、「 粛軍に關する意見書 」 と ほぼ同じであるが、
「 粛軍に關する意見書 」 以後の相澤事件、八月二十六日の師團長會議にふれている轉が新しいことである。
「 噴飯に価する 」 と 書かれている林陸相訓示は高宮太平 『 軍国太平記 』 参照。   
 

現代史資料 4  国家主義運動 1  から


村中孝次 ・ 同期生に宛てた通信

2017年12月18日 18時20分35秒 | 靑年將校運動

 村中孝次 
第三十七期生諸兄

維新の本義は國内正義の擴充確立にあり、我等は派閥を作り黨派を立てようとするものではない。
建國の大精神に擧國一體たること維新への道と心得、
自己竝自己の周囲に對する道義の擴大鞏化を維新實現の基調と信ずるが故に
皇威宣揚億兆安撫を志す同志間に培われつつある同志偕行の一體観を擴充して、
皇國全體に及ぼさんと念願するものである。
國軍の精神的価値の元凶如何、
忌憚なく言えば日露戰爭當時と現在とは精神的価値に於て
日薪正に主客轉倒して居るではないかと私は疑うものである。

國軍上下左右親和團結は果して何処に求め得るか
満洲 上海領事変に於ける 第一線將兵と高等司令部中央部の幕僚との反目嫉視、
天保銭の特權意識と反天運動との相剋、將校團内に於ける出身別の交錯による不和、
將校團の存在を無視せる異動による將校團の破壊、
動員時歩兵隊に於て六コの中銃砲隊が新設編制される事實
( 恐らく第一會戰迄に中隊長を核心とする中隊團結を結束し得ないであろう )
國難と叫び非常時と称せる憂患は國家の内外に迫れる夫れではない、
實に憂患を憂患とせず非常時を非常時としない朝夜人心其者に在りと言うべきである。
非常時とは繼濟の非常時に非ず、政治の非常時に非ず、國防の非常時ではない、
是等國家萬般の事象を危急の深淵に投じ來った國民 「 魂 」 の非常時であり、
更に國民 「 魂 」 が自ら斯の非常を誘致した元兇であることを覺醒せず
晏如として居ることこそ國家の非常時と謂わねばならない。
「 魂 」 の覺醒とは何ぞ國體の確認である、
天祖の神勅神武建國の大詔に基き
二千年の長い混沌辛酸試練を経て漸く明治維新によって確立實現された國體の本義を
錯覺誤解し歪曲逆用した結論が今日眼前に見ゆ内外の憂患危急である。

五 ・一五の巨頭投ぜられ其の公判開かるるに及んで國民は明確に國家を意識した、
國家の現狀に眼を開いた、國體を心解把握し始めた。
今日維新と言い 改造と言う語が 普通化し異様の感を起さなくなったことは
其の生きた證拠と謂い得る。
之を要するに東西両洋文化の精髄を日本自體の夫れの上に盛り是れを融合一體化した
眞の日本は西洋物質文明功利主義的思想の覊絆きはんを脱して
今や正に正々堂々の歩武を以て世界的大踏歩をなすべき秋が來たのだ。
其の第一歩は建國の大精神への覺醒であり國體の國民的把握であり
腐腸腐肉の剔出ちゃくしゅつであり一大理想國家の建設である。

變革に直面しつつある國家の現狀に於て吾人將校たるものは何を爲さんとすべきか、
國體の眞諦に透徹し國家の現狀を正視し將來を洞察し是より得たる結論に基き
各自の信ずる所に於て忠誠の道を励むにありとは何人も到達すべき一般的結論である、
問題は其實行方法と熱意の如何に存する。
十月事件の過大誤謬ごびょう 
は大權の鞏要權力武力の至上視待合酒等である。
其の共に戒しむべきは論なく 特に國體顯現を至高至重の目的とする維新に於て
大權鞏要の國體反逆は斷じて許すべからざるものである。
我等は日本の維新は
天皇大權の御發動に依ってのみ行わるべきものであるとの國體観に立つものである。
從て上は至上を至上と致し奉り 下は國民各階層特に軍内に維新氣運の熟成を圖るに努め
且同志相戒めて國民の艱難かんなんを自身に憂い來ったのである。

昭和七年三月二十七日五 ・一五事件の海軍側から提携蹶起を要望されたが、
維新發程唯一の原動力であると思って居る我等陸軍同志は至誅通天の道未だ成らず
維新發程の聖斷を仰ぎ能わずと判斷せると海軍側が動くとせば策に奔り道を誤らんとする
傾向あるに鑑み時機にあらずとして自重論を説いたのである。

陸軍部内に派閥ありとし軍隊の分裂を憂い大同團結の必要を説くものがある。
確かに其の憂患なしとしない。
然し幕末的幕臣が分裂したとて慨嘆する必要があったか、破邪顯正が維新への道である。
最後迄正邪は抗爭して行くべきものである。
等しく維新を口にするも國體観に於て氷炭相容れず、
正邪の弁別に於て處信を異にするを以て斷じて妥協もなく苟合もない、
同じく軍服を見に纏って居ても國體を忘却し翩々へんへんたる暴力的武力を擁して事を企て
不惜身命無上道の武人的道義を捨てて謀略利用を事とし権謀術算にのみ是れ努むる輩
とは生死を同じくすることは出來ない。
身は軍籍に在らずとも盡忠赤誠の士とは頸頭けいとうの交を結鉄血の盟を爲し來った。
蓋し國家の維新は天皇を大號令者として國民全部が協翼偕行すべきもの、
軍部のみ維新に奉公すべきものでもなく又軍部なるが故に國家維新と別個に存在して
改造を免れ得るものでもないからである。
これをしも稱して部外者と結託して軍隊を破壊するもの爲すは
當らざる事甚しと言うべきではないか。

維新とは國民の魂の覺醒で之を基礎とする國家組織制度の變革を言う、
即ち國民の各人が建國の理想、進化發達した時世とをよく理解し
國家の現實中建國の理想に悖り時代の進運に伴わない部分を匡すにある。
組織制度の改造は全部ではなく國民意識の覺醒が第一であり
これを基礎として新しい組織制度が結果されるのである。
勿論魂の覺醒は國民全部に是を期待することは出來ず制度組織の變革の衝撃により
國民大衆の覺醒を導くことになるのであるが、近來軍人中單なる制度機構の變革のみに
狂奔し其の根本基調たる國民魂の覺醒を全く度外視し甚だしきは武士道精神を蹂躙
し切りに中傷を放ちデマを飛ばし殆んど之が維新的行動その者かの如く考えて居るのか
と疑われるもののあることは痛憤に堪えぬ。

日本國の原理
日本國家の原則は建國の大精神大理想に明かなり
國家統治權の所在萬世一系、天壌無窮、天祖の神勅、帝國憲法第一條
國家の制度組織―時勢の進運に伴い進化、神武天皇即位建國の大詔
國家の對世界的使命―國威宣揚、億兆安撫神武天皇即位建國之大詔、明治天皇御宸翰
之を要するに一君萬民、君臣一體、一国一家、共存共栄の原則を國家の内外に宣布し、
遂に全世界の人類をして此の原則によって神聖的發展進化を遂げしむるにある。
此の原則の根本たる一君萬民一君統治權者なる國家の組織及發展の樞軸
( 所謂國體論の中心的条件 )
は明治維新―詳述すれば憲法發布により萬世不動たるべきことを將來永遠に對して確立された。
上古以來中世に於ける國體に對する幾多の疑惑的史實は
明治時代に至って確立されるべき國體原則の爲の準備時期の所産であると見るべきもの、
換言すれば日本建國の理想たる國體の原則は明治時代を以て法理的にも完成されたと言うべきである。
此の法理的に確立された國體原理と實質的經濟的社會的に完璧を期する事こそ
今次の維新の眼目であらねばならぬ。

維新の原理―方法論
一君萬民、君民一體、一國一家、共存共榮の原則に立つ日本國家の維新は必然、
此の原則によって發展されねばならぬ。
即ち天皇を至高中心とする君民一體の國家的躍進たるべく、國家のものの理想と時勢の
進運に伴って實現せんとする君民一體の國家意思の躍進的發動たるべきである。
維新は天皇を無視除外せる臣民的國民のみの大衆行動に非ず。
臣民的國民を除外せる天皇の獨裁に非ず。
國民中の或る階級分子の専制であってはならぬ、一體的君民の國民行動である。
先覺的國民の先駆誘導による鞏國的躍進行動で天皇は其中心指令者、
全國民は是を協翼する本隊員である、
此の行動は國家原理維新原理に深刻正當な理解を把握して國家の格階層全分野より
起り上下左右強力して進めることが必要である。
維新とは又より高き現實の實現である、
現實を否認すると共に此の否認する現實を基點としてのより高き明日の現實への躍進である
從って形式的復古でなく非現實的改革でないのは固よりである。

維新の具體的原則
1 政治的原則
一君萬民、君民共治、天皇親裁、
國民翼賛議会政黨 ( 自主的國民の政治的意見の自由は政黨を作ることがあり得 )
國民の自由發展 ( 進化の原則である )
2 經濟的原則
國民各自の自由發展の物質的基本の保證、自主的個人の人格的基礎の確立、
國家の最高意思による私有財産土地企業の限度―經濟的封建制の廢止
( 現政黨の否認は財閥との結託により大政黨を組織して居ることによる弊害大なるが故である )
3 軍事的原則 ( 國家最高意思による統一 )
消極的國防の観念を排し建國の理想世界的使命の實現の爲めの積極的實力の充實、
國家の國際的生存權の主張
二月十八日   村中孝次 

昭和九年三月、同期生有志にあてた通信


もう待ちきれん

2017年12月17日 19時22分05秒 | 大蔵榮一

  

昭和八年の盛夏のころであった。

ある日曜日、
村中、香田、安藤、磯部、栗原、私など七、八名が
青山の例のアジトに集まった。
この日はとても暑い日で、
私は着物を脱ぎ捨ててふんどし一つになっていた。
おのおの涼を入れながら 車座にすわったが、
部屋の空気は思いなしか重いものがあった。

もう待ち切れん、われわれはいつまで待つんですか。
躊躇すべきときではないと思います。
思い切って起ち上がれば暗い日本が一ぺんに明るくなるぞ、
どうだろうみんなそう思わんか

と、磯部がまず口火を切った。
そうですよ、磯部さんのいう通りです。
私は ちかごろ幕的に齋藤実、牧野伸顕、西園寺公望、池田成彬など、
奸賊の名前を張りつけて突撃演習を兵たちにやらせているのですが、
兵たちの目のかがやきが違いますよ。
やるなら早いほうがいいと思います
栗原がまっさきに同意した。
この即時決行論に対してだれも反対の意志表示はなく、
急進論に圧倒されたかたちであった。
村中も香田も安藤も、もともとおとなしい人たちで、
真っ向から反対するたちの人ではなかった。

オレは反対だなァ 

私は、きっぱりと反対意見を出した。

反対の理由は何ですか
磯部が、眼鏡ごしに睨んだ。

時期尚早だよ

革新に時期はありませんよ。
してい時期をいえば、こちらの準備のできたときが、時期ですよ。
奸賊どもをやっつける力は、いまの準備で充分です。
なんで躊躇するんですか

いや、どうみても時期じゃない

時期のことを云々する奴には、とかく卑怯者か臆病者が多い・・・・

貴様らが、何といおうが反対だ

私は、この場合反対理由をツベコベ述べたって、
かえって水掛け論となって面倒だから、
ただ、時期尚早の一点ばりで押し通した。
緊張した空気はちょっとした刺激ではち切れそうであった。

もし、どうしてもやるというなら、このオレをまず血祭りにあげてからやれ

私のこのタンカで、
さしもの緊張した空気にゆるみの出たのを感じた。
そして、やるともやらんとも結論の出ないまま 終わった。

私は、その足で西田を訪ねた。
西田は、一部始終をきいて真っ向から反対した。

ボクがさっそく手を打つから、君はしばらく黙っていたまえ

西田がどんな手を打ったか私は知らないが、
決行の話はいつか立ち消えになった。
その頃の決行論は、常に流動的であった。
しかし、このときの決行論は、
いつものと違って相当ボルテージの上がったものであった。
だが、凝固するには至らなかった。


大蔵栄一  著 
二・二六事件への挽歌 から 


村中孝次 『 全皇軍靑年將校に檄す 』

2017年12月17日 10時47分31秒 | 靑年將校運動

 
村中孝次 


斷乎として昭和の入鹿を撃殺せよ
時將に至りつつ 時愈々熟しつつあり、諸官は徒らに眠れる大陸の獅子と終る勿れ。
軍服の聖衣を身に纏まとえる諸官の家庭を見よ  田畑を賣り 姉妹を賈り 木の實を食い 疲労困憊其極達せるを、
かつて除隊營門を出る彼等の希望に満ちたる潑剌たる姿も今は全く疲労し切って居るではないか !
想起せよ、必然不可避的第一維新は既に第一期に入りたるも、
吾等の陸海軍同志及民間同志は今尚獄中に呻吟しつつあり。
「 鐡は熱したる時に之を打て 」 なる古語は現下の吾等に何を与うるや。
起て ! 而して熱したる維新の戰闘を開始せよ。
見よ ! 國會に蟠踞する昭和入鹿の奴輩を某國賊に等しく奸策を、行動を !
自利自慾に飢えたるおおかみの如き野望を !
口に兵農両全を叫び實行に軍民離反を企圖せる自由主義的亡國亡者共の群を !
前哨戰ありて既に三年、勝敗は兵家の常とは言い、三月の失敗、十月の敗戰、
再度十一月の退却は吾等皇軍靑年將校の恥辱なり。
諸官は今尚部内の對立に立脚して尊皇討幕の使命を忘却するに非ざるか ?
満蒙の原野に祖國の危急を案じつつ外敵に死したる先輩同志部下の意志を遂行するはそも何人なるや、
其は吾等靑年將校の七生報國の信念なり。
維新の勝敗を決するは今は只斷行の一路あるのみ、即戰既にして準備を終り天兵既にして突撃せり。
起つ可き秋 遂に至る、一路敵陣目指して破邪顯正の大衆劍を抜く可き秋の、玆に至りしを天神と共に喜ぶ。
諸官亦快あらん。
嗚呼誰か知る皇道の本義に立脚して奮然と死すべき聖戰の門出の目前にあるを !
行け同志よ ! 結束して進撃せよ ! 
御聡明極りなき若き大聖帝を擁立して唯一路、金色の鵄鳥の導く昭和維新斷行の戰線目指して
皇紀二千五百九十五年二月軍民聯合潜兵隊


« 青山三丁目のアジト »

2017年12月16日 03時58分38秒 | 大蔵榮一

« 青山三丁目のアジト »
中橋 (基明) さんのマントの裏は真っ赤でしたね。
元気のいい優しい人でした。
安藤さんは
『 おばさん、いつもお世話になります 』
と いつては、
私の好きなものをよく持ってきてくれました・・・

あの日はちょうど・・・そうです、
昭和八年十二月二十三日でした。
全国民の待ちに待った皇太子さまのご誕生になったときでした。
私は号砲の音をきくと、
すぐ二階に寝ていた磯部さんにそのことを知らせました。
磯部さんはガバッと起き上り
『 そうか 』
と ひとこといってそのまま井戸端に行き、
斎戒沐浴して
二階の床の間に向ってしばらくひれ伏しました。
私は磯部さんの芝居じみた奇矯な態度
――私の目にはそううつりました――
に驚きの目をみはって、
後ろに立ってあきれてじっとみていました。
いまでもはっきり覚えています

こんなこともありました。
西田さんがひょっこりやってきて
『 今度の日曜日、士官候補生が五、六名きますから、うんとご馳走してやって下さい。
私が金を出したことはいっさいいわんこと 』
と いって
お金をおいていったことが、ちょいちょいありました
士官候補生といえば
陸士四十五期生の明石寛二、市川芳男、鶴田靜三、黒田武文、
四十六期生の荒川嘉彰、次木一
らであったろう

村中さんは、小さなお方でした。
よく和服でおみえになっていたことを覚えています。

刑死されたこの人たちのお墓に、
どうしても、死ぬ前に一度お詣りしたいと思っていました
昭和四十三年四月
アジトの留守居役をしてくれていた
土屋敏さんの談である

西田税の家は、梁山泊の感があった。
この 西田梁山泊 ( 有志の巣窟 / 集りし處 )
が かえって革新運動にマイナスとなるおそれがある。
といった考慮から、
昭和八年春ごろ青山三丁目に一軒の家を借りた。
左翼流にいえばアジトである。
この家は翌年の 『十一月二十日事件』 が起るまで大いに利用したのであるが、
約一か年半の間のアジト的存在は、
この事件とともに閉鎖するのやむなきに至った。


大蔵栄一 著 
二・二六事件への挽歌
高まりゆく鳴動 から