「抜本維新」でも書いたが、日本社会は腐っている。デジタル化が遅れているのは象徴的だ。デジタルを扱えないチョンマゲ頭の高齢層に支配されているから、社会が高齢仕様になっている。10年ほど前に、退職した同年の教員がスマホもPCも使えないと言うから、「学校の仕事に差し支えなかったんですか」と聞くと、「何とか使わずに通せた」と照れ笑いをした。
ようやく印鑑が不要になったものの、未だに、ファクシミリで注文を受けたり、DMが送られてくる。これはアナログ層が社会を支配し、タテ型社会の中堅層もそれに従ってきたことで、社会構造自体がアナログのままだからだ。
高齢化は日本だけではないが、アメリカや中国を始め、世界的にデジタル化が進んでいる。では何故、日本だけアナログなのか。
これには、日本語の長所が禍している。
アメリカで始まったIT技術は、それを取り入れる層が、新しい概念や知識を英語のまま学び、英語のまま取り入れた。そしてそれをカタカナという便利な表音文字でそのまま日本で偽外国語として使用した。
外国語と特定できる表音文字を持たない国では、外国の専門語は原語ののままか、中国のように同音の同意文字を使う国もある。もちろん、英語圏は何も問題なく日常語として理解する。ヨーロッパの多くの国は自国原語に類似しているか、借用になれている。日本語でも、初めて聞く方言にそれほど抵抗なく、一度意味が分かればそのまま憶えてしまうようなものだ。
ところが、外国語であり意味が全く通じないカタカナ語は慣れるしかない。ボトムアップやシェアぐらいは慣れても、カタカナ語をカタカナ語で説明されたのでは、拒否反応で聞く気が起こらない。
「カレントフォルダのファイルをポイントしクリックして下さい」
・・・何のこっちゃ!?
日本の中高年は一斉に拒否反応を起こした。セクハラという新しい日本語には馴染んでもセクシャル・ハラスメントは門前払いだ。
若者なら、日本語だろうがカタカナ語だろうが、新しい言葉を覚えることが大好きだ。しかし、単語で事柄を憶えることを卒業した、「あれ、それ」人間には飛んでもない異界だ。
法律用語をわかりやすい現代表記にしたそうだが、IT用語こそ日本語化が急がれる。物理的なバットやブレーキを日本語化する必要はないが、抽象概念のITは、せめて漢字表記でなければ通じない。
かくして日本の中高年は、目で解り触って解るアナログの穴蔵に閉じこもり、タテ型に飼い慣らされた中堅層もそれを踏襲し、日本はデジタル鎖国の泰平をむさぼり続けている。