「あなたの前世は・・・あなたの来世は・・・」
こんな「占い?」を結構多くの人が信じている。
前世や来世やあの世が、あるか無いかは知らない。お楽しみ、娯楽ならばあっても良いと思うが、何かの判断の根拠にするなら無責任だ。
こんなことを言えば、占いをよく知らない人から、「目くそ鼻くそではないか」と言われるだろうが、少なくとも、占学と前世占いとは別ものだ。これは優劣ではなく、次元の問題だ。
是非はともあれ、「占学」は古代の星や事象の観測から導き出した法則に則ったもので、直観やひらめきによる、霊やあの世や透視術とは異質のものだが、「占学」を知らない一般の人にとっては区別がつかない。何かわけの解らないものを根拠に、今ここに存在しないものを語るのは同じだからだ。つまり、どうでもいい。
もちろん、どちらも、現代の正統な知見から外れているが、「何かわけの解らない根拠」という点では、一般人にとってのAIと何ら替わらない。解らないから信じる世界だ。
占いと宗教
「前世や来世」は宗教観の上に存在し、占学は素朴な探究心の上に存在する。
前世や来世は、現世を生きる為に想定されたもので、生の安心を得る「心の世界」だ。
一方、占学は行動を決定する為の手段であり、原始の学問だ。
宗教は心の世界だから、仮説を立てたり実証することはなく、信じるか信じないか、いかに心安らかに暮らすかが目的であり、教えの為には死ぬことさえもいとわない。ちなみに、「名も無く貧しく美しく」など日本の美学も、一つの宗教と言えるかも知れない。
占いは元来、あくまで物理的解決が目的で、飢饉や戦争をいかに克服するかを探る手段であり、その目的においては「呪術」も同類のものとなる。
ただ、「呪術」は徹底して目的思考だから、役に立つなら神も仏も天然摂理も全て利用するので、宗教にも占いにも関わっている。
解決策としての東洋の占いは、呪術で効果を求める一方で、精神面にも着目し、それが陰陽五行や易のような哲学にもなった。
宗教と占い哲学との境界は難しいが、仏教にも中華思想にも一神教の神が存在せず、自然の摂理を前提とする人間観は、占い哲学にも生きている。
一神教は神と人間との関係、つまり人間自身の自問自答だが、仏教や占い哲学は環境に向き合う人間の、相対的なあり方を考える。
ここで面白いのは、西洋が神との関係を考えるのに対し、東洋は関係そのものを実体と考えることだ。西洋は自己の内面から他の存在に気づき、神を他の存在としている。東洋は先に外界の自然環境を認め、自然の一部である自分自身の存在に気づく。日本神話の神も先ず無の中に現れるが、聖書は始めから神が存在し神が自然を創る。
西洋は内面から発想し、東洋には先ず外界がある。これは、血液型で言われるA型気質とB型気質に通じる。そして実際、血液型分布は西欧はA型、アジアはB型に偏りがある。
A型とB型が交わるのがインドと日本で、何故日本にA型が多いのかは解らないが、同じアジアでも大陸との文化に違いがある。
占学においても、西洋の占星術と東洋の干支術では、真逆と言っていいほど考え方が違う。
西洋は惑星そのものが影響し、東洋は干支の関係が作用する。このことを西洋占星術の専門家に解説したが、なかなか理解してもらえなかったことがある。干支術の初心者もよく誤解する。
医学などでも西洋医学は個別に治療し、東洋は全体的なバランスを創ろうとする。
東西の違いはあるものの、「天国地獄」や「前世来世」を語るのは、少なくとも占学とは全く関係が無い宗教世界だ。そして、占いが必ず当たると信じるなら、それもやはり信仰になる。
占学は今も試行錯誤があり、100%の答はない。
「必ず当たる」「恐ろしいほど当たる」と言う看板は、「出血大サービス」同様のビジネスフレーズに過ぎない。
誰も、血を流している商店主を見たことはないだろう。