3年ぶりの祇園祭の山鉾巡行で、京の街に華やぎが帰ってきた。
この季節は気候が不順で、祇園祭と言えば雨を思い出す。今年も降ったが、幸い山鉾巡行は晴れていた。気まぐれな雨もこの祭りの彩りなのかも知れない。
京都三大祭りの中でも、真夏の祇園祭は町衆文化の象徴として、京都の顔のような存在だが、その鏡となった葵祭は、王朝文化が醸す気品なのか、やや地味な感がある。
古の息吹を映し出すこの祭りも、今では町衆によって支えられている。
しかし、千年の古都の祭りと言えばやはり、山城国一宮・賀茂神社の葵祭だろう。都を都たらしめた王朝時代の魂の祭りだ。
賀茂祭が葵祭と呼ばれるようになったのは、江戸時代に徳川幕府によって再興されて以来で、人も牛馬も、行事関連の全てを葵の葉で飾るようになった。賀茂神社の双葉葵の神紋や、松平との関わりと言われている。
双葉葵であれ三つ葉葵であれ、植物を頭に飾ることは、自然の力、神の力を身につけることを意味する。古代オリンピックのオリーブの冠は、黄金の冠より意味があった。
野辺の花を手折り髪に挿すのは、初めて草花に触れたこども心と同じであり、原始のピュアな感情とそこから生まれる自然への信仰がある。
江戸時代に葵の葉で飾ったのは古式を再現したまでで、賀茂神社だから葵だが、何よりも、草木を頭に飾り神と一体になることに意味があった。
ヤマトタケルが力尽きて、大和を懐かしみ、最後に詠んだ歌の一つに
「命の 全けむ人は たたみこも 平群の山の 熊白梼が葉を 髻華に挿せ その子」
(わたしはもう帰れないが、生きて帰れた人は、大和の平群の山の樫の葉を髪に挿して命を謳歌してくれ 頼むぞ)
・・・の歌がある。
ヤマトタケルの薄れゆく意識の中に、命輝く祭りの姿が去来していたのではなかろうか。
草木を飾り用いる祭儀は多いが、葵祭の双葉葵には、萬葉の心、日本人の思いがまぶしく輝いている。