魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

3人乗り

2008年05月02日 | 日記・エッセイ・コラム

自転車の3人乗り禁止でもめている。
役人の考えそうなことだ。問題が起こると「禁止」しか考えつかない。

あらゆる役人は、権力行使する時、目が、いきいきと輝く。

権力行使と、創意工夫は全く相容れない。
権力行使はルールを守るのが大義名分であり、初めから保守だ。
創意工夫とは、無かったものを創り出すための、破壊を伴う。

従って役人は、役人になろうとする動機からして、創造性は全くない。
収入の安定、立場の安全、そして権力を代行する快感だ。

こんな頭で、問題を処理しろと言われれば、臭い物に蓋をすることしか考えつかない。
役人が一生懸命仕事をすれば、どんどん規制が増える。
逆に、手を抜けば不正が増える。

民間人が、「なんとかしよう」と思えば、創意と工夫をするしかない。あり合わせの材料や資金で前に進まなければ、たちまち食いっぱぐれる。手を抜けば、誰かが金を持ってきてくれたり、ご馳走に誘われたりという、うまい話は転がっていない。

役人に金を握らせて仕事をしろと言えば、社会保険庁のように壮大な無駄遣いをする。苦労してない金の有難みを解るはずがない。
今日食べる米は明日の田植えのエネルギーなのだということが、
お金はお金をつくるための元手なのだということが、解らない。

かかあ天下
役人は何事も、「無一文から始めるにはどうするか」とは考えない。
どこから金を絞り出すかしか頭にない。
これは、専業主婦の発想だ。
主婦の労働量は大変なものであることはよく解る。役人だって、優秀で大変な仕事をしている。
しかし、どこまで行っても、金を生む目的ではなく、
お金をや子供を、管理することしか思いつかない。
予想外の収入があれば、亭主に隠れてへそくりや飲食オシャレに使いたい。
官僚の横暴は、亭主たる国民や政治家が、官僚母ちゃんに甘えているからだ。

専業主婦の発想は、収入が少なくなると亭主の小遣いを減らそうとする。自分が働きに出ようとすればベビーシッターや外食に金を使う。
どうすれば、家計全体が生産的になるかを考えられない。
官僚の無駄遣いは、バブル期の贅沢が忘れられないからだ。
役人は状況が悪くなればなるほど、国民の手足を縛ろうとする。亭主の昼飯代を削る悪妻だ。

医療費がかさむからと、年寄りの命綱を削り、増税をたくらむ。
政治家は官僚母ちゃんの言うなりの亭主だ。

自転車規制は、警察も役人だから仕方がない。
自転車の事故が増えたからと、がんじがらめの規制をドッと出してきた。
3人乗りが危険なら、先ず自転車の形状規制を外したらどうだ。
裏道まで自動車道路は本当に必要なのか。
自転車に小型牽引車を許可するなど、先ず、解決策を考えてから規制すべきだろう。

それともう一つ、どうしても言いたい!
携帯をしながらの自転車の規制はよく解るが、ヘッドホンで音楽を聴いてはいけないと言うのなら、車のカーステも禁止するのか。