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横川鉄道文化村*碓氷峠

2021-08-29 15:23:43 | 鉄道

横川の碓氷峠を走っていた、アプト式機関車や信越線を走っていた機関車や特急列車を展示しています。

本線じゃなくなり小さくなった横川駅のすぐ隣です。

「峠の釜めし」で有名な荻野屋さんのとなりでもあります。

入場ゲートを入ると古い特急列車がお出迎え。

乗り鉄テッチャンは車両の形式には興味がないけど、書いてあればフムフムと興味深く読みます。

平成9年まで使われていてのかーーー。

特急列車は私には敷居が高かったから、以前は乗りたくても乗れなかった〜〜〜。

横川鉄道文化村は電気機関車の点数が多いのが特徴です。

京都鉄道博物館(梅小路蒸気機関車館)は蒸気機関車の展示が多かった。

鉄道博物館でも特徴を持たせています。

運転席に入れます。

ジャーン

狭いし座り心地が悪そうだし、うるさそうだし、夏は暑そうで冬は凍えそうだなー。

冷房はあるのか?暖房は普通あると思うが。

トイレが近い人は運転手になれない。

年寄りには切実な問題だから、運転手さんは若いんだなー。

意表をついた鉄の塊。

交流を直流に変換する機械だそうです。

巻線が巻いてある鉄心が回って交流を直流に変換するようだ。

えらく電気のことなのに物理的に交流を直流に変換している。

実に単純な発想だが、これが最強だったそうです。

大電流を変換できます。

博物館の外に出ると広々と芝生が広がっている。

そこに懐かしい電気機関車や客車がズラーリ置いてある。

蒸気機関車はこのD51のみです。

この信越線を走っていた車両なのかな?

これまた懐かし形式の電気機関車。

私が子供の頃に図鑑に載っていたのは、こんな形の電気機関車だった。

前後にステップがあるやつで、あそこに乗ってみたいなーと常々思っていた。

憧れのステップです。

走っている機関車の最前部、ここに立って両手を広げたら、タイタニック号の映画のワンシーンになるでしょ。

あれをやりたかったのだ子供心にねー。

右の車両は千葉のいすみ鉄道で使われているものと似ている。

千葉の五井から上総中野を結んでいる小湊鉄道色じゃないか。

小湊鉄道もジーゼル列車で多分同じ時代のものでしょう。

こちらもジーゼル列車ですが近郊国電のような3枚扉で通勤電車仕様にしたもの。

ステンレス製で海岸線をもっぱら走っていたが、最後は首都圏の八高線で使われていたそうです。

昔々の特急列車の組み合わせですが、時代の進歩は実に速い。

屋外展示なので塗装やサビなど痛々しいぐらいだ。

京都鉄道博物館は館内なので、これほど痛みはひどくない。

ボロボロじゃないか!

2020年7月6日 京都鉄道博物館

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/860566f75bb298a1de445d6447ee6121

1890年あたりは、日本が開国してまだ間もないころ。

英国人女性の探検家イザベラバードが日本紀行を書いたころですね。

イザベラバードの日本紀行㊤ 1880年代にイギリス人女流冒険家さんの1人旅 

http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/9c4b8150096cccbbba33fbc2711c3c2e

イザベラバードの日本紀行㊦ 1880年代に1人で北海道に渡る 

http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/119fb8e45d2c7563144f348f6c65d6bb

すごい勢いで文明開化が行われた。

今の中国や韓国の文明開化と同じです。

その文明開化が日本では100年前にあったということじゃないか。

信越線横川駅から軽井沢間を走っていた、アプト式電気機関車。

これがあったから、急な坂道を列車が登れた。

レールの摩擦だけじゃ滑って登れないくらい急坂だった。

それで、レールとレールの真ん中にラックアンドピニオンの歯があり、この電気機関車が歯をかみ合わせながら列車を引っ張ったり、後押ししたりしていた。

今では横川と軽井沢間は列車運行はなくなった。

それで横川駅は群馬県側の終点駅になってしまった。

鉄道の乗客はいなくなったが、「峠の釜飯」を求めてくる観光客は多いのがせめてもの慰めです。

8月25日 荻野屋本店に「峠の釜めし」を食べに行った

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/da18827b681520156b764c52710bd2de

コメント
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