ランシモ

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実家の納戸から軍刀がでてきた

2018-07-20 15:46:02 | 日記・エッセイ・コラム

雨漏り工事の為、居間や寝室を移そうと納戸を整理していたら、親父の軍刀が出てきた。

一応、将校さんだったらしい。

子供の私たちが大きくなって力を持ってきたときに、、、母の話では、父が軍刀を時々庭で振り回していたらしい。

弁護士と言う法律の番人なのに、なんて物騒なオヤジだったんだ。

警察署に電話して軍刀を引き取ってもらった。

一応、銘があったが覚えていない。

警察におずおずと話していたら、銃刀所持許可証なるものを見つけてくれた。

許可証には、、、昭和34年の記載があった。

刀の刀身は昭和18年製のようだった。

そのころの日本は軍国主義に染まっていた。

警察官は許可証があるのだから、売ることができますよー、と言っていたが、母と相談して破棄してもらうことにした。

許可証は名義変更できるそうで、私がもらってヤフオクで売ることができたのだ。

50年以上納戸に眠っていたにしては、、、錆もなくキレイな刀身だった。

刃はよく切れそうだった。

物騒なものを処分して済々の巻きでした。

PS

恐ろしく切れそうな刀ですが、親父はひとを切ったことがないと言っていた。当時の日本の軍隊では、、、刀を人に預けて試切りを頼んだと聞きました。その立場にある人は,何人もから刀を預かり捕虜を切った。

刀をとっかえひっかえで捕虜を切るわけだ。刀の試切りをそこでやったそうです。

今のイスラム国やアルカイダの行動は非難されるけど、100年前の日本や世界では良くあることだった。それで試切りをした軍人は、戦後の国際裁判で処罰された。

オヤジは軍人としては意気地なし(人としてはまっとう)だったので、無事だったが親父の知り合いは何人も処罰(処刑)された。時代の風潮に流されない、己の確信は必要です。

この刀は、親父が出征するときに、兄弟従弟たちが広島で調達してきたそうです。親父が将校になれたのは戦時中の手柄があったわけじゃなく、すでに法律家になっていたからです。

母は広島で軍所属タイピストだった。広島原爆は離れたところから目撃して、広島市内に救助に向かったと聞きました。当時は放射能の知識など無いから、白い服を着ていればダイジョーブと思っていたそうです。

伯父は戦地で人を殺していたので、戦後になって極東国際軍事裁判でいつ犯罪者として呼び出されるか戦々恐々だった。しかし伯父は一兵卒だったので責任は問われなかった。ほっとしたものです。

2021年12月 遺品整理で親父の若い頃の賞状が出てきた

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/91926bddf788c797dc4473d3f30959df

2021年12月 母の49日が無事終わった

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/bc43b358a5c40c2c9ebb05206f0e210d

2019年12月 形見のWatexをオーバーホールした

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/5ef947f54b7364f2cd2cd965dc48bb90

2019年9月 父の形見の懐中時計Watexをいただいた

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/a91bd4c5d1431843766ec596ca887117

コメント
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