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両親の遺品整理*親父が10代の頃の賞状

2021-12-28 16:44:47 | 日記・エッセイ・コラム

広島の向原出身の父は貧しい農家の長男だった。

祖父は放蕩男でその長男の父は金銭的に貧困そのものだった。

貧困家庭にあって働きながら学んでいて、、、優秀な成績を収めたので、金一封いただいていた。

今でいう奨学金のはしりなんでしょう。

苦学のことは昔から笑い話でよく聞いていました。

昭和10年、三陽中学校5年、、、いくつだったんだ?

こんなことを知っているから私は贅沢とは縁の遠い生活しかできません。

父は広島向原で生まれ育ち、10代の中頃に岡山に出て、洋裁屋さんの2階に居候して仕事を手伝いながら夜学に通っていた。

その2階に、実家は農家だが船乗りになり、世界を股にかけて遊びまわっていた放蕩祖父が転がり込んで、10代の頃の父にお金をせびっていたそうです。

とんでもない祖父だった。

父は両親を含めて兄弟の面倒を10代でみていた。

遺品整理で古い変色した書類が出てきた。

その中に私がが生まれた時の母子手帳が出てきてびっくり。

どうも当時はミルクやお菓子が配給だったらしい。

子供が生まれたからお菓子を配給というスタンプが押されていた。

今の日本のように物資が溢れていることが想像できない時代だったんでしょう。

そりゃ戦争で負けて数年後なんで、どうやって生きるか、どうやって食うかって時代だったから。

産婆さんのお名前が書いてありました。

渋谷区隠田という地名に住んでいた人だ。

原宿のあたりですね。

これらは処分します。

私の親からのおわかれです。

親は私の記憶の中に大事にとっておきます。

2018年7月 納戸から軍刀が出てきた

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/874b0d6517dd93fba5821ac013ade63a

2021年12月20日 母の49が無事おわった

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/bc43b358a5c40c2c9ebb05206f0e210d

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