ランシモ

ランニングからツチノコカメラや時事まで興味あるすべて

会津西街道の大内宿へ

2015-10-13 20:37:48 | 旅行記

連休中に会津磐梯山へ登りました。

その帰りに、まっすぐ帰っても渋滞にはまるだけなので、会津西街道でのんびり帰宅。

ついでと言っては申し訳ないが、大内宿に寄り道して古い宿場町を堪能した。

会津からは細い県道で大内宿へ向かうが、どうやら日光方向から来られる観光客が、会津方向からの100倍ぐらい多いようだ。それで、東西にある駐車場がどちらも満杯なのは同じ条件ですが、会津からのほうが待たないで駐車できました。日光方面からは絶望的な渋滞だった。その日にたどり着けないのでは~~~。観光バスは大変だ。自家用車はあきらめてUターンという手もある。

宿場のドンつまりに合った碑。この先には墓地があったから、宿場のどん詰まりが先祖代々のお墓の領域なのだろう。

会津側からはここが入り口です。

どん詰まりの神社から見下ろした宿場全体像。

昔の村だから現代の規模を考えちゃいけない。日本全体の人口だって1/10あたりだっただろうから。

東北は京都や名古屋、江戸(東京)からすると地の果てのようなイメージだっただろう。

平泉など栄華を誇った地域が存在したのは東北のせめてもの意地でしょう。

見物といっても、飲み食いするものといえば、お蕎麦かこのような餅団子か、おせんべいぐらい。

醤油を付けて立てかけてあったものを、もう一度焼き直してくれた。そうすることで香ばしさが増すと売り子さんが言っていた。

木曾の馬籠宿、妻籠宿、奈良井宿に比べると土産物やアミューズメントが少ない。実際は本来の宿場を体現しているのは大内宿のほうだろう。

おしゃれな花瓶のお店。

人気店と言っても、お蕎麦屋さんかおせんべい屋さんぐらい、、、。

それほどバラエティーがない。

伊勢のお伊勢参りの町を再現した「おかげ横丁は」迫力があります。

あれは平地の大きな町だったから、いろいろ展開できるのだな。土産物やさん食べ物屋さん芝居小屋、見世物小屋など江戸時代の町民の娯楽のすべてを再現していた。

こちらの大内宿は、東北の当時だったらなおさらですが、超辺鄙な宿だっただろう。それでも、熊や猪、狼が出る野山を抜けて、この宿にたどり着いたら、さぞかしホット人心地がついただろう。

東北は野蛮な蝦夷の国と思われていた、実際にそれにちかかっただろうし。

村の中を流れる清水。

どんつきにある神社です。

小さなみすぼらしい神社です。

東照宮のようなきらびやかなものを山村で期待しちゃいけない。あれは当時の権力の象徴なんだから。

大内宿は庶民と地方勢力のなごみの宿場町です。半農半宿と書いてあった。

神社へ登る階段はえらく急で、足下が危ない人は登らないほうが良い。

昔の階段はどうしてみんな急なのかなー。江戸の愛宕山の階段も急で長くて有名です。神社という神社の階段は大方がすごく急です。

どんつきにある宿場を見下ろす大きな館。

本陣は別にあるから、、、これは何でしょうねー。

蔦さんの紅葉が印象的でした!

もう一度俯瞰から見ました。

大内宿

福島県 南会津郡下郷町 大字大内字山本

イザベラバードの日本紀行(1890年)文明開化後の東北旅行記です

http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/9c4b8150096cccbbba33fbc2711c3c2e

2月の大内宿雪まつり1

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/e39e3a8848672bb377f9b74e1c03f20f

2月の大内宿雪まつり2

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/ea7e04922367452e0ce54900a0190ac1

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする