ランシモ

ランニングからツチノコカメラや時事まで興味あるすべて

春画展におじゃま

2015-10-21 16:05:38 | 日記・エッセイ・コラム

江戸川橋の椿山荘のお隣で開催している春画展に行ってきました。

マスコミで話題になっているし、ランニングのいつものコース脇に会場の永青文庫はあります。

ランニングウエアーに着替えて走って行きました。新宿から往復で12kmぐらいかな。

場内は撮影禁止です。

昔のお屋敷街なので椿山荘があったり、こんな旧館があったりします。昔はここにはあばら家のような家屋があっただけのような気がしますが、、、きれいにしたのか、建物を移設してきたのか。記憶違いかもしれませんが。

あれだけマスコミに取り上げられているから混雑しているだろうと想像していたが、想像以上の混雑ぶり。

若い娘が多いなどとマスコミは書き立てていたが、、、(昔若い娘) だった人は大勢いらっしゃった。年齢層がえらく高かった。若い男はゼロに近く、若い女性はちらほらです。

館内が狭いので、、、前が進まないの!

どうしてかというと、高齢者ばかりなので足元がおぼつかないのです。だから入口で立ち止まる人がいると、その後ろに人が溜まります。そんな時にはさっさと(ぶつからないように)すり抜けていくと良い。階段の上り下りが同じ理由で渋滞します。朝早くか遅い時間かどちらかがオススメです。

超高齢者が春画(猥褻な浮世絵)を見てニコニコ、すごい社会だなーーー日本は。若者はなのをやっとるのか~~~!

こんな建物があったかなー?

昔からランニングで走り回っていたけど、、、。

内容は春画そのもので20枚も見れば、他のエッチなことはだいたい想像がつきます。

最初の頃よりも中期の版画がエログロくて面白い。

兜をかぶった武者姿でよろしくやっている図があって、これは近代でいえば慰安婦さんなのかなとも思えます。古来から人が大勢いるところには、娼婦さんが集まるのは世の習いなのでしょう。

だから、韓国が日本を糾弾している娼婦問題も、日本だけの問題じゃなく世界中の習わしなのです。それを韓国人じゃなく日本人までが言い出したら、、、お前どこの国の者だといわれても仕方なし。あんなことは現在の韓国でも日常ですから。韓国のみならず世界中でもです。

 

春画の豆本というのが本邦初公開みたい。豆本があったなんて想像がつきませんでした。明治時代の日清、日露戦争の時に兵士に配られたそうです。いわば戦場でも必需品、闇の歴史ですねー、大した闇じゃないけど、わざわざ言うほどじゃなかったということ。当たり前過ぎたのですね。ちょっと前ではプレイボーイにグラビヤやビニ本が必需品だったのと同じことです。今はアダルトビデオになりました、いやいやネットの方が過激という話もあります。

この春画展は世界中でやってほしいです!

インドの神様は男女のむつみごとには寛大だったが、日本も相当寛大だったんです。これは誇って良い日本の文化です。

館内は撮影禁止だったので、映像でお伝えできるものはありませんが、絵はがきでも買ってきたらよかったかも。でも春画ハガキは途中で紛失して相手に届かないかもしれないから、使えないのではないかーーー。

この春画展をやっている永青文庫は細田家の所領だった。

神田川の対岸は丁目でいうと関口ですが、そこは細田家の土地です。

水神神社の脇の階段は長い。

関口という地名は、神田川の堰(セキ)がここに作られたからだ。堰で取水された上水は水道橋を通り神田方面に流したのだろう。家康が江戸に居を構えてから神田上水が作られたと立て看板に書いてあった。井之頭公園を出た神田川は江戸以前は小川だった。それを江戸で上水として使えるように、掘りこんで治水工事をして、なおかつ堰を造り水道整備したのだろう。後年に造られた玉川上水は、多摩川の水を羽村の関から延々と45kmもそれなりの大きさで引いてきた完全な人口の川だった。その当時の江戸は世界に冠たる巨大都市だった。それも江戸市民100万人を潤す上水があったからです。

関口という地名は水門(堰)があったということからのよう。

椿山荘のはなれです。

庭園と離れは椿山荘らしい。この土地は藤田男爵の持ち物だった。藤田観光になり椿山荘となった。実は私が幼少のころに神戸は須磨の藤田家にお邪魔していたことがあった。夏になると慶応ボーイがビヤガーデンで演奏していたなー。

神田川側で裏門になるのかなーーー。

メニューが外に張り出されていて、懐石料理が25000円からだった。

この前の遊歩道が私のランニングコースNo3あたりです。会社からだとNo1は新宿スポ周回(7km~20km)。No2は代々木公園往復(10km)、No3が神田川に沿って江戸川橋往復(12km)。No4が神田川を井之頭公園往復(30km)です。

今日見た春画は現存するもので、江戸時代にはもっとグロテスクな春画があったと言います。まーーーものがものなので想像がつきますが、、、。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする