デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



哲学の道

昨日は未明から雨が強くなり、午前中はかなり降っていた。


木や地域にもよるが、三分咲きぐらいだろう



先端のほう






観光客も多かった



大きい水溜りになっていた



登ってみた






嵐の後ということもあり空気が澄んで
あべのハルカスや大阪市街まで見える









京都タワーは一際目立つ












なんとか道が見えている間に下山
早めの夜桜もなかなかのものだ(笑)


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月待山からつづき。左のほうに行く






いろいろ道がある



リボンを目印に登っていく(右上の道)



野地蔵様



左に曲がり登る









新しいなと思ったら鎮魂・復興祈願のために立てられたとは…。


つづく

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あとはなだらかな尾根伝い












来た道を振り返ってみる









うっかり見過ごしそうになるが



このような札がある。いつの間にやら月待山の山頂(笑)。

月待山については、「月待山」「大文字山」「足利義政」の三つのキーワードを検索エンジンにかけたらすぐに詳細が載っているサイトが見つかる。
誰が言い出したかつくったのかは知らないが、京都の山で東山三十六峰というのがあるらしい。月待山はそのうちの第10峰目だという。
山のことを歌に詠んでいる歴史上の人物に足利義政がいるそうだ。

わが庵は月待山のふもとにて かたむく月の影をしぞ思う

足利義政のことはともかく、月待山という名はこの山に登って月を待ってた人がいたことが由来になっているのか、それともこの山を麓から見上げて月が出るのを待っていたことが由来になっているのか、そこのところはまだ分からない。いつか調べたく思う。

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左奥が一般的なルートだが、あえてそちらには行かない

運動のため大文字山に登りつづけているうちに知り合いになった山に詳しい方や京都東山トレイルのベテランの方に、私にとっては初めて通る別ルートを教えていただいた。以下その順路である。
上の画像のあたりまで来て右を見ると、


このような順路がある。右側の段の順路を行く。






この木のそばにロープがあるので



ロープ伝いの道を少し険しいが登っていく



険しい道はしばらくも続かない



ロープ伝いが終わると、なだらかな道になる



森林はしっかり管理されているようだ

つづく

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鑑賞している間に二年と少し前に読んだ余華の『兄弟』や、映画『ラスト・エンペラー』の時代背景などが頭をよぎった。
作品は叙事詩かつ愛憎劇である。京劇の「覇王別姫」が劇中劇となっていて、演目の登場人物の運命がそれを演じる役者や身近な人たちの運命とシンクロしたり、京劇で女形を演じる俳優が時代に翻弄され執拗についてまわる因果応報に苦しむ場面などが見どころである。3時間近くある長編だがおもしろい作品であった。
ただ、作品の中盤以降、なんだか『ドクトル・ジバゴ』や『愛と哀しみのボレロ』、『静かなドン』などを観たり読んだりしているような気になってきて、終盤に至ると『さらば、わが愛/覇王別姫』自体が、ギリシア悲劇やシェイクスピア劇、フランス映画、1960年代からしばらく流行った叙事詩大河ものの映画などのいいとこ取り作品のように思えてきたことは、正直に言わざるを得ない。叙事詩や大河ものはどの国の作品だってどうしても似たような話や筋になるのは仕方がないが、『さらば、わが愛/覇王別姫』は西洋人が見たい東洋を舞台にした西洋古典劇・叙事詩作品で、古典のエッセンスをここまでバランスよく詰め込んであると、なんだか職人技を観ているような気になってきた。
この映画のファンの方にはなんだが、鑑終わった直後にDVDのパッケージにパルムドール受賞とあるのを見て、なんか受賞にいたりそうな作品だというのは分かる気がしたのである。賞をとった理由は、西洋古典のエッセンスのバランス配合の絶妙さにあり、また古典を称えたいわずもがなのメッセージにあると思った。

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開放的な雰囲気のユースホステルであった

夜間のセキュリティーもしっかりしたものだった。朝の7時前に1Fに降りてきた。


コーヒーはセルフサービスで



祈りをささげる小さい祠もある



西洋風の朝食だった(笑)



鳥の鳴き声が聞こえるなかでの静かな朝食だった



しばらくするとマスコットネコが上の窓の縁へ飛び乗っていった(笑)


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ニーアル・ファーガソン著『文明』(勁草書房)を先月読み終えた。著者が即反論があるであろうことを前もって断った上で西洋文明が世界の覇権を握り、東洋の文明を凌駕した理由を著者なりに述べた本である。
なっとくできる内容も少なくなかった。たとえば戦争が勃発する前には必ず経済の低迷があるとか。
しかし、本の中で触れられているもののなかは定説というには厳しいものもあり、諸説ある内の一つをやたら強調し断定した書き方には少々辟易した。それは物事のある側面を言い当ててるに過ぎないのではと思った。
章のタイトルと内容が乖離・脱線していることも少なくないし、脱線している内容は別の章でもって詳細に書いた方がいいように思ったこともしばしばである。
どうせなら脱線の内容で「基本的人権」や「権利意識」という章を設け深めて著述したほうがいいような、というかその二つの章を追加してほしかった。でもそれを追加してしまうと西洋文明が世界の覇権を獲れた理由を説明する本にはならないし、「基本的人権」や「権利意識」は覇権を獲ったのちの問題をより複雑にしている二大要素かもしれないから、やっぱり別の本で論じられることなのかもしれない。

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前もって述べておくが決して茶化したいわけじゃない。

浦和、無観客試合前に差別撲滅宣言(デイリースポーツ)

そういった撲滅宣言は観客がいて静まり返った状態ですべきで、これはちょっと滑稽なセレモニーだったように思う。今回の問題からして、このセレモニーで誰と問題意識を共有したいのかピンと来ない人もいるのじゃないだろうか。

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昨日紹介したアネクドートのおかしさを改めて説明する必要はないと思うが、弊ブログをご覧になっている方の中には昔のロシアが帝政を敷いていたこと、帝政ロシアのあとのソ連時代のスターリンがどういった人物であったのか知らないという方もいるかもしれないので、アネクドートの解釈について若干補足する。
ロシアが帝政を敷いていたころ活躍した詩人が、後世に国民的詩人と評されるプーシキンである。プーシキンのあとにドストエフスキーやトルストイ、チェーホフといった作家が活躍する。それが19世紀である。
帝政ロシアはロシア革命で倒れ、次の体制が決まるまで内乱が続いた後、ロシアはソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)となる。そのソ連で戦前・戦後の長年にわたり独裁的な権力を手中にし圧政でもってソ連に君臨したのがスターリンである。
国内ではいろいろな問題が山積していたが第二次大戦でナチスドイツとの戦いに勝ったこともあり、その立役者でもあったスターリンは英雄視された。政権内部の敵を粛清してからというものは、式典で子供たちに「勉強していても遊んでいても僕たちはたのしい、偉大なる同志スターリンが子供たちの味方だからです」と声を揃えさせて言わせたり、学校では「親よりスターリンを愛せ 彼こそが父なのだ」と教えさせたり、自ら「大元帥 偉大なる指導者にして教師 祖国の父」と呼ぶまでになった。
これでよりアネクドートの背景がよりクリアになったと思う。つまり史実とともにスターリン自身の性格が非常に自惚れが強いものだったことを踏まえたら、手で膝を打ちたくなる風刺にもなっているのだ。
またそんなスターリンに「プーシキンの時代には、わたし、同志スターリンはまだ本を書いていなかった」と言わせているところもこの小噺のポイントだろう。歴史を捻じ曲げない理性を失っていないことを建前上でも示しておかないと独裁体制を敷くどころではないという硬い話ではなく単にあえてまともなことを言わせるという、最後に露呈する自惚れを際立たせるための絶妙の挿話だといえる。

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バイロンの叙事詩『チャイルド・ハロルドの巡礼』(全4巻)を読むきっかけは、ターナーのこちらの作品を鑑賞したことが大きい。ただ、何年も前にドストエフスキーに影響を与えた作家として、プーシキンの次にバイロンをいつか読んでみたいと思っていたし、ソチ五輪の前にロシアの歴史を特集した番組を見て、

 スターリンはプーシキン記念碑の複数の計画案を検討していた。
 第一案は、プーシキンがバイロンを読んでいる、というものだった。「これは歴史的には正しいが、しかし政治的には正しくない。党の総路線が示されていないのではないか?」
 第二案は、プーシキンがスターリンを読んでいる、というものだった。「これは政治的には正しい、しかし歴史的には正しくない。プーシキンの時代には、わたし、同志スターリンはまだ本を書いていなかった」
 第三案が政治的にも歴史的にも正しいことが判明した。それはスターリンがプーシキンを読んでいる記念碑である。
 こうして記念碑が建てられ、開幕式で、みなが眺めると、スターリンがスターリンを読んでいた。

というアネクドートを思い出し、そこでプーシキンも影響を受けたバイロンのことがじわりと気になりだしたというのもある。(このアネクドートひとつだけでも十分な記事になるのだが、ここでは書かない(笑))。

読了直後の感想は、もし7・8年前に ドストエフスキー → プーシキン → バイロン という読書順序をコンスタントに踏んでいたならば、おそらく「私が読書を続けてきたのは『チャイルド・ハロルドの巡礼』を読むためだったのだ!」と叫ぶなりしていたことだろう、というものだった。
叙事詩『チャイルド・ハロルドの巡礼』には、たしかにプーシキンが影響を受けていてもおかしくないなと思わせるものがあった。プーシキンの特定の作品に『チャイルド・ハロルドの巡礼』の影響が顕れているというのでなく、プーシキンの詩人としての魂というか、プーシキンが作った詩に『チャイルド・ハロルドの巡礼』のエッセンスを感じるというべきか。またはバイロンの無軌道で放縦で多情多感で浪費癖があることとエネルギッシュで愛に盲目的ですばらしい観察眼と審美眼と美しい詩を生み出すセンスとが作品に昇華されているのを、プーシキンはあこがれと共感をもって眺めていたのかもしれないと感じた。
若いころは世の中の物事すべてが自分の感情で思いどおりにでき、また自分の身勝手な理論の型を世の中に強要させることができて、ものごとは理論どおりに収まると往々に勘違いし痛い目にあうこともしばしばだが、貴公子ハロルドの精神の遍歴のいいところは、自分の業の深さから(他人を傷つけ、また自分を傷つけたことで)傷ついた己の魂を救済しようとしても、やはり自分の信念から現れた理論の型の存在と、それとは正反対の現実の存在があることを臆することなくつまびらかにしているところだ。自分の気持ちの中で矛盾を生じさせる大きな存在に対し、矛盾があるからといってどちらかを解消しようとせず、矛盾は矛盾としてそのまま認め、貴公子ハロルドが自分の分身であることも潔く読者にさらしているのを読んだだけでも、読者は作者の精神の遍歴に共感を覚え、読書を通し精神的に楽になる体験を得るように思うのである。



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