デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



McSORLEY'S OLD ALE HOUSE

ESTABLISHED 1854(創業1854年)とあるマックソーリーズ・オールド・エール・ハウスは旅行ガイド書にもあるようにニューヨークで一番古いバーとして知られていて、私もぜひ行ってみたくなった。

19世紀にタイムスリップ
したかのようだった。








オールドを注文した

アイルランドを思わせるような濃い味であったことを覚えている。メニューはオールドのほかにもある。








観光客も訪れるが
地元の人が多く
来店していた。


奥の部屋でもビールを
楽しめる。奥の部屋に
ケネディの写真があっ
たように思う。

おが屑が撒かれていた。
伝統的な掃除の手法で、水分を
湿らせたおが屑を撒いて油汚れや
埃を丸ごと吸着してくれるのだ。


夜にあと少しで閉店を知ら
せるゴングも写っていた。

2か月前の旅番組ではこの店を夜の時間帯に訪れていて、昼の静かな雰囲気と異なりワイワイガヤガヤとナイトライフを楽しむ客たちの様子が映っていた。
旅行時のことを思い出し目頭が熱くなったが、またいつの日か行けたならぜひ再訪したいものだ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ブロードウェイにて

二か月前と先月のクリスマス前に、TVでニューヨーク(マンハッタン)のダウンタウンやアスタープレイスを歩く番組と、マンハッタンのプラザホテルのスタッフの奮闘のドキュメンタリーが放送された。両番組ともじっくり見て、思わずジワっときてしまった。
そんなわけで、コロナ前の画像を引っ張り出してみた。


タクシーが疾走して行った

ワシントン・スクエア・パークからニューヨーク大学へと歩を向け東へ。ブロードウェイからアスタープレイスへ歩いた。


アスタープレイスとブロードウェイの交差点にて


アスタープレイスと3rd Aveの交差点あたり


クーパー・ユニオン・ガーデン・プロジェクト

右のクラシックな建物は
Cornerstone FUAG
 (First Ukrainian Assembly Of God)

セント・ジョージ・ウクレイニアン・カソリック・チャーチ

目的の店の前にて

アスタープレイスに来たのはニューヨークで一番古いバーを訪ねるのが目的だった。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




トリミングし拡大したもの

先日の公衆電話撤去のニュースを見て、過去の画像で公衆電話やそのブースが写っているものを探してしまった。ざっと見ると数えるほどしかなかったが、泊ったユースホステルのすぐ近くを何気なく写した画像に写っているものがあった。
左に写るDELIには夜に42STから帰ってきて、ヨーグルトが欲しくなり買いに入った。夜間担当と思わしき韓国系の男性店員がにこやかにスプーンを付けてくれて、一日中歩き回ったことで疲労があったこともありその小さな親切がとても心に染み入った思い出がある。

全体はこんな感じ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




スタテン島フェリー乗船前に。
公衆電話のブースがある(再掲)


確かに、ニューヨーク市の公衆電話が出てくる映像として最も印象深いものの一つに、映画「スーパーマン」の場面もあるのは納得だ。
それにしても、なんというか時代が変わっていくことを痛感させられるニュースだ。公衆電話やそのブースを見に行ったり写真に撮るためだけにニューヨークに行く人はほとんどいないだろうが、街を写した写真の中には少ないながらも公衆電話およびそのブースが写ってたりするものもあるので、どこかしら馴染み深いものがあることもあり、正直感傷的な気持ちになった。
とはいっても現地で私は受話器に触ったことはあっても、通話で使った覚えはない。ただ、公衆電話にちなんだ思い出として強く印象に残っているものが一つある。
ユースホステル宿泊中に「あなた英語話せる?」と訊いてきた日本人の婦人との思い出だ。婦人は滞在中にユースホステル以外に他のホテルを予約をしていたが、ユースホステルで泊まりたい日数泊まることができるようなので、節約のために他のホテルをキャンセルしたいのだが、公衆電話から対象のホテルにキャンセルの旨をきちんと伝えられないので代わりに話してくれ、と私に言って受話器を押し付けてきたのだ。
その時、私は英会話集どころか旅行ガイド書すら手元に置いていなかったので、正直無理ですと言って断った。ただ、婦人が手にしている受話器の向こうからレセプション担当であろう女性の声で「あなたきちんと英語しゃべれるの!?」みたいなことをイライラした感じで言っているのはよく聞こえた。婦人も「Can you speak English ?」と応じて、それから受話器を叩きつけるように置いたのだ。アメリカ人相手に、あんた何て八つ当たりだよと心の中でツッコんだ。
婦人は悩んだ末にユースホステルをチェックアウトし、キャンセルし損ねたホテルに向かうことにした。ただホテルのチェックインの時間までには6時間以上あるので、その間どこかの荷物預かりに荷物を預けに行きたい、そこまで付いてきてくれない?と押しの強いお願いをされて、断り切れず付き添って行くはめになったのだ。
荷物預かりの辺りに私も行きたい場所があったのでついでといえばそうだったのだが、婦人は本当によく喋る人で、地下鉄での移動中のみならず荷物を預け終えてからもカフェに寄ったりちょっと公園をぶらついたりしながら引っ切り無しに喋り倒された。
たぶん一緒にいた時間は2時間にも満たなかったろうが、一日の三分の一ぐらい時が経ったように感じたものだ。が、別れ際は付き添ってくれてありがとうという感謝の言葉と、手を振って私を見送る婦人の姿は印象に残るものだった。
婦人は何日か滞在したのち、無事日本に帰国された。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )











教会については入った日の記事で詳しく書こうと思います。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





ニューヨークのセント・パトリック教会の向かい側に何かを肩に担ぐがっしりした像が立っていた。
現地では作品名を確認しなかったが、私はこのたくましい像はギリシア神話のアトラスを表現しているのではと思う。
ティタン神族の一人、イアペトスとオケアノスの娘クリュメネの子であったアトラスは、ティタン神族がオリュンポスの神々に反乱を起こして戦った際、めざましい強さを見せた。ティタン神族は敗れるのだが、ゼウスはアトラスに世界の西の果てに立って蒼穹(天空)を肩に担う罰を科す。
古代のギリシア人はジブラルタル海峡を西の果てと考えたので、そこにアトラスが立っていたとされた。そのため、海峡より先の海が「アトラスの海」(アトランティック・オーシャン、大西洋)と呼ばれたのだ。
ジブラルタル海峡が西の果てだとすれば、その「極東」といえるニューヨークに蒼穹を支えるアトラスを髣髴とさせるような現代的な彫刻が立っているというのも、なかなかおもしろい。それもセント・パトリック教会の前に。互いの立場からすれば「異教」同士であるが、多様な宗教・多様な人種が日々行き交うこの大都市では、そんなことを考えるだけ野暮というものかもしれない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




五番街にて(2)

前回の横断歩道の逆方向。逆光だったが、泊まったユースホステルの売店に同じような感じの絵葉書があったのには驚いた。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




五番街にて

ロックフェラー・センターの東側にある南北の通りが 5th Ave.こと五番街である。ここは一流ブランド店やデパートが並ぶ通りであるが、ニューヨーカーの信仰の拠り所でありまた観光名所でもあるセント・パトリック教会がある。


セント・パトリック教会についてはまた改めて触れたい。



横断歩道を渡りながら(1)



横断歩道を渡りながら(2)

「ニューヨークらしい」写真を撮ろうと、しばらく同じ横断歩道を何度も渡った(笑)。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






















ニューヨークの観光名所の一つであるロックフェラー・センターは、私個人にはそこまで興味を覚えるところではなかった。クリスマスに現れるツリーも見当たらなかったし(笑)。
センターは複合施設。ビジネスの中心地の一つであり、地下には大ショッピング街もあるわけだが、ショッピングには関心がないのでしばらくすると立ち去った覚えがある。
ロックフェラーと言えば、「On the sunny side of the street」という歌と、スタンダード・オイルの創立者であるジョン・ロックフェラーのことを思いつく。ちなみにロックフェラー・センタービルの建設資金を出したのは息子のジョン・ロックフェラー2世である。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




トリニティー教会の中央祭壇とステンドグラス

3月中旬以来、約三ヶ月ぶりの更新である(笑)

ウォール街の傍にある、1697年に当時の英国国王ウィリアム3世に許可状をもらって建てられた、ニューヨークで最古の歴史を誇る教会のトリニティ教会。この日は昼にクラシックのコンサートがあるということで、再度やってきたわけだが、なんと入り口にコンサートは時間をズラすとか表示が出ていた…。なんてこった。その時間は、友人との約束とかぶってしまうではないか!とちょっと憤りを覚えつつ中へ。コンサートは諦めることにした。


聖人たち






信者のための祭壇はとても静かだった。



まさかルネサンス期のロッビア工房の作品?



聖人たち

観光客が押し寄せることもあるだろうから、それなりにざわついているかなと思ったら、意外と静かだった。私以外にも旅行者はいたが、声を落としての静かな会話で聞える程度だった。





大人の男性がいても、この大きさである。






扉にあるレリーフ。なんかドルのお札に出てる人が彫られてる?

ウォール街の喧騒から離れ、ちょっと気持ちが落ち着いたように思う。改めて外に出ると、17・18世紀に教会が持っていたとされる膨大な土地は何に変わってしまったんだろうと思ってしまった。もちろん、当時の教会も持っている土地を活用して教会の収益を上げていたのだろうが、ただ未だ世界を動かしている金融街のなかにポツリと建っている教会の姿に、歴史の容赦の無い流れを感ぜざるを得なかった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ