デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




今年読んだ本(2022)という記事をアップするつもりだったが、ペレ氏の訃報に触れないわけにはいかない。W杯の歴史を特集した番組で映っている選手時代のペレのプレーは今でも色あせないし、サッカー界での世界一の男であるのは紛れもない。個人的には、子どもの頃にTVで放送されていた映画『勝利への脱出』でのオーバーヘッドキックのシーンを見て、かっこいいと思ったものだ。
世界中のサッカーファン同様、私も氏の訃報が残念でならない。心からご冥福をお祈りいたします。


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「映画大好きポンポさん」(2021) ★★★★☆
…映画制作の現場をアニメで描いた作品だが、たまにはこういった作品を見るのもいいかなと思った。

「グッドモーニング, ベトナム」(1987) ★★★★★
…若い頃に2回ほど見たが、その頃は戦争映画といえばアクションや映像効果ばかりに目が行って、この作品で何が描かれているのかよく分からなかったが、今になって「こんな話だったのか」としみじみ。クロナウアーとヒロインのトリンが握手して別れる場面に戦地における友情の形態が全て詰まっているように感じた。

「ブリジット・ジョーンズの日記」(2001) ★★★★★
…二度目の鑑賞。ある程度、大人にならないとブリジットの奮闘や悲哀やある種の切実さが分からないし、やっぱり再鑑賞すべき作品だと思う。

「マンマ・ミーア!」(2008) ★★☆☆☆
…ミュージカルの改悪作品、非常に残念だった。とどめの一撃は「I do, I do, I do, I do, I do」をなんでお前が歌うねんとツッコミを入れた場面だった…。

「ピエロがお前を嘲笑う」(2014) ★★★★★
…承認欲求を満たす若者の物語としてもおもしろく見れた。ハッキングやクラッキングはダメではあるが、昨今、ネット上でもラクをして有名になろう、アクセス数を稼ごうとすることへのアンチテーゼな面もあるかもと勝手ながら思った。

「地獄の黙示録 ファイナルカット」(2019) ★★★★★
…現代の戦争を描いた作品では、なんだかんだで私の心に一番刺さる作品だと改めて思った。最も心に残るのは現地の女性の飼い犬が乗船している場面だが、あの場面に戦争の愚かさと悲惨さを見る。また完全無欠の経歴を誇るカーツ大佐の「所業」に至った気持ちを推し量ろうとする、これまた平穏無事な世界に居られなくなったウィラード大尉の「なぜだ?」とつぶやく場面も改めて見るとゾッとするものがある。フランス人入植者たちと会食する場面も『ホワイトバッジ』を髣髴とさせた。

「プラトーン」(1986) ★★★★★
…「地獄の黙示録 ファイナルカット」の直後に再鑑賞したので、テンポ速えな!と正直思った(笑)。昔は新人兵士からの信望が厚く現地人に対して倫理観を失わないポリシーを持つエライアスが良いキャラ、バーンズは悪キャラで、主人公は勧善懲悪を成し遂げるなどとそんな見方をしていた。しかし、今回の再鑑賞だと、超ベテランのバーンズやそのとりまきがエライアスのことを「3年目で調子に乗ってきた青二才」と吐き捨てる気持ちも分かるし、テイラーが1度目に負傷する場面の前の時点でバーンズは部下を何人も失ってこれ以上の犠牲者を出すのはマズいと分かっていても責任は重く、さらに戦況は悪化していて苦戦が予想されるという相当苦しい立場であることが分かると、主人公は現実とキレイごととの間で葛藤するテイラーでもあり、小隊をなんとか率いるバーンズでもあるのがよく分かった。

「トゥルーマン・ショー」(1998) ★★★★★
…主人公の周囲が全て仕組まれたものである、というテーマは「人間に本当に自由意志はあるのか?」という問いにも通じるし、ネット上で収集された膨大なビッグデータがユーザーに何をもたらしているのか、という現代的なテーマにも当てはまるように思った。

「セントラル・ステーション」(1998) ★★★★★
…これほど引き込まれたロードムービーはひさしぶりだった。ブラジルの国内問題だけでなく、日本国内ではなかなか分かりづらいブラジル人のタフネス、タフでないとやっていけない現実も非常にうまく描けていると思った。

「デイズ・オブ・サンダー」(1990) ★★★☆☆
…トム・クルーズが飛ぶ鳥を落とす勢いで売れている時代の作品だった。彼が出る映画のヒロインのキャラのテンプレは相変わらずな時代、ともいえる。

「パリは燃えているか」(1966) ★★★★★
…史実を忠実に反映しているかはともかく、とんでもなく豪華ゲストな贅沢な作品だった。

「ボルサリーノ」(1970) ★★★★★
…ジャン・ポール・ベルモンドとアラン・ドロンの名コンビ、めちゃくちゃギンギンだった。マルセイユの街がそのまま撮影に使われていて、街を作品の聖地の如く思い入れてしまったも不思議じゃない。

「ウォール街」(1987) ★★★★★
…随分前に見たことあったが、再鑑賞で何が描かれているか、ようやく分かった。「欲は善だ、欲は正しい」のゲッコーの有名なセリフは未だ顕在で、ビッグデータが反映されてPCやスマホ画面上に表示される「あなたにおすすめ」のサービスを見るたびに彼のセリフを痛感してしまう。

来年も良い映画に出会えますように。


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ミイラ展とポンペイ展を鑑賞した時に、久しぶりに外国を感じた気がしたし、展示内容の質及び量はほんとうに素晴らしかった。
とくにポンペイ展は充実していたように思う。4会場とも終了したが、鑑賞した時の展示物について、紹介することもあるかもしれない。
板谷波山展が開催されていた泉屋博古館では特別展よりも常設展の古代青銅器展のほうが強く印象に残った。ボランティアのガイドさんが丁寧に説明してくれて、また私の古代中国や中国全般に関するさまざまな疑問・質問に対してウィットに富んだ返答をしてくださってとても楽しかった。

来年もいろいろな特別展に足を運びたい。


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しかし、土器に描かれていた楼閣を
復元して建てるとはよく考えたものだ














こういう記述を見ると縄文時代も弥生時代も遠くの人々との交流が案外活発であったことを再認識させられる。





まさかの高角砲の台座












古代人の土木技術は
決して侮れないなぁ



漢人(あやひと)や秦人(はたひと)の記述が現れるのは弥生時代よりもかなり後だが、弥生時代の時点ですでに大陸から渡ってきた人々がいることに、正直未だに驚きを隠せない。


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前回、現地で唐古・鍵遺跡史跡公園のことを思い出したことに触れたが、せっかくなので去年、奈良県磯城郡田原本町に行ったときの画像を紹介したくなった。


奈良市からけっこう遠い





唐古・鍵遺跡史跡公園











弥生時代はここまできれいに整備
されてなかったんだろうけど(笑)


















公園のシンボル
多層式の楼閣だ


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扶蘇山の出入口を下るとなにやら舞台スタッフっぽい人たちが音響関係の機材の準備を行なっていた。土日でイベントがあったのかも。
機材の準備が行なわれている横を下ると広いところに出た。


官北里遺跡

百済の王城だったと推定される広大な遺跡だ。ガイドブックに拠れば1980年から30年以上にわたって計画的に調査されて、百済の王城の構造を解明に導いた遺跡と分かったとのことだから、自由に見学できるようになったのは比較的最近のことなのかもしれない。
新羅が百済を滅ぼしたあと、新羅は百済の建物の基礎部を使って自分たちの重要官庁の建物を建てたことも分かったそうだ。


木槨水槽(もっかくすいそう)跡

傾斜面上から流入した水が木槨水槽に落ちると排出される仕組みだった。全長約80mあった導水管路は鬼瓦を2枚合わせてつなげた瓦の管で作られた。








敷瓦施設

地面に瓦を敷いて防湿していたという。




まさかこの瓦片が百済時代の物か!?




しかしこの芝の感じとか奈良の若草山や唐古・鍵遺跡公園みたいに思った(笑)。唐古・鍵遺跡公園は弥生時代の遺跡なので、時代が全く異なるのだが、ただ、外国なんだけど外国に来た気があまりしなくなる一瞬ってあるものだが、こういう遺跡を見るとそんなことがある。



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井波律子 訳『水滸伝(1)~(5)』(講談社学術文庫)、読了。

『水滸伝』は、中国五大小説(『三国志演義』『西遊記』『水滸伝』『金瓶梅』『紅楼夢』)の一つである。2月か3月ごろに読み始めて、読了は今月だ(笑)。読書スピードが速い人ならば3週間もあれば全回読みきるだろうが、私は梁山泊の好漢たちが徽宗帝の官軍となってから急に読書スピードが落ちた。だが、南の方臘を征討しに現地に入って以降、再び読書スピードが上がった。
全体として、文庫本の裏表紙に「善悪が渾然一体となる物語」とあるが、まさにそのような物語で非常におもしろかった。梁山泊の好漢たちを生み出すことになった世の中の状態もひどいが、(宋江らがまとめるまでの)好漢たちも好漢たちで、本当にひどい奴らだ(笑)。酒ばかりあおり、人を殺めたり殺されかけたりしても、それに至った事情の詳細が判明すれば即宴会、トラブルがあれば暴力で解決し、とばっちりを受けて殺された民も顧みず問題がとにかく解決したらまた宴会、不運な出来事に見舞われたら他人の財を強奪して山賊に身をかえ、悪業ゆえに刑務所に当るところに入っても袖の下さえ渡せば高待遇でどこにも出かけたい放題、思わぬことで手を汚した主人公の一人も「財を軽んじ義理を重んじて、天下の好漢と交わりを結び、誰もが敬愛するお方」なら幾度と無く訪れるピンチもものの見事に切り抜けてしまい、あげく悪い所業に対してすら(周囲が)理解を示してくれたり、神様の娘娘までその主人公に肩入れしたり、姦通や不倫の場面はほぼ女のキャラが極悪の如く描かれるなど、ろくでもなく且つひどく呆気にとられる話ばかりだが、おもしろい作品というのはこれぐらいじゃないといけない(笑)。
ひどい話も多いのに、梁山泊の好漢たちにはとても感情移入できたし、巧言令色に騙されつづける徽宗帝みたいなのが国のトップでいいのか!?などと思った時は、李逵の言うことのほうがもっともだとも思った。また、宋江も徳のある人物ではあるのだが、正義感の方向が案外少し斜め上っているところがあるし、衝動的で少しおっちょこちょいで義理や筋を通そうとして逆に自ら災いをもたらし仲間たちに迷惑と苦労をかけたり、こんなのが(梁山泊の)トップでいいのか?と何度思ったことか(笑)。
しかし、不思議とこういった人間臭いところがあるのは憎めなかった。特に宋江と、トラブルばかりもたらす李逵は似た者同士で、ラストの場面はある意味そのことを象徴しているかのようにさえ感じたものだ。
作品はまた裁兵の物語でもある。事実、賊臣の察京、童貫、高俅、楊戩の4人は生き残るし、作品の後半は越や漢の時代の「覇業を支えた者たちへの粛清」の故事が生かされていてとてもリアリスティックだ。この点でも、『水滸伝』は単なる荒唐無稽な物語であることを免れているように思う。
あと、いい出したら限がないが、個人的に最も前のめりになったエピソードが二つある。高俅の養子の高衙台が林冲の妻にちょっかいを出し、林冲に妻だと知らされて一旦引き下がるが、高衙台は林冲の妻が忘れられず、高衙台のとりまきが謀って林冲を陥れようとするエピソードと、武松の兄嫁潘金蓮が西門慶と姦通するエピソードの二つだ。とくに後者の潘金蓮と西門慶の姦通のエピソードは抜きん出て面白かった。たしかにこのエピソードは武松が梁山泊に上るまでの逸話として語られるだけではもったいない。この二人の辿る運命のスピンオフ作品(派生作品)が『金瓶梅』だが、派生作品を生み出す力も『水滸伝』は多大に秘めている。もちろん痴情や性的欲望を描いた作品だけでなく、いわゆる何人もの英雄・豪傑・好漢が登場する戦記物で、梁山泊の108人のキャラのテンプレに当てはまらない作品を見つけるのが難しいという意味も含めても、『水滸伝』は今なおさまざまな作品に影響を与え続けているのは間違いない。


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忠霊祠






三忠祠への一つ目の門(義烈門)の前で清掃スタッフが落葉を掃いていた。その傍にネコがいたが、近づくと逃げるタイプだった。


義烈門





忠義門


三忠祠

三忠祠には百済の忠臣である成忠と興首と階伯が祀られている。1957年に建立され、1981年に建て直された。

成忠(ソンチュン)

成忠は、酒に溺れて政を顧みない義慈王(ウイジャワン)を正そうとしたところ、王の怒りを買って投獄され、獄中で断食し命を落とした。死に際して敵からの攻撃を予言した成忠は、遺言として進言書を残し、その中で新羅から攻撃を受けると書いた。その内容は的中し、新羅の攻撃を受けて、義慈王は百済最後の王となった。

興首(フンス)

興首は義慈王を正そうとして幽閉された。新羅から攻撃を受けた時、王は興首を呼び戻そうとするが、新羅と唐の策略によってそれが叶わず、百済は致命的な打撃を受けた。また解説板には百済の要衝である白江(ペッカン)と炭峴(タンヒョン)を守ろうとしたものの貴族たちに反対されて、その地を守り抜くことができなかった、とあった。

階伯(ケベク)将軍

階伯将軍は、5千人の決死隊を率いて黄山伐(ファンサンボル)と今の論山(ノンサン)市連山面(ヨンサンミョン)で、新羅の金庾信(キム・ユシン)将軍の5万の大軍と戦って戦死した。百済の最後に散った名将だ。


忠臣たちについて紹介したが、ここで軽く目を通した内容が歴史や土地の名(地名・通りの名)として私の中で繋がって生き生きとしてくるのは、またしても帰国後のことだった。



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半月楼






半月楼は再建されたものだが、かつてこの場所で百済の王が月を愛でていたとされる。


半月楼からは扶余を一望
できるようだが、靄がきつく
ぼんやりとしか見えなかった












扶蘇山城にはお寺もあったのか。日本の小谷城跡にも宗教施設跡があったことを思い出した。






扶蘇山西腹寺址

せっかくなので忠霊祠と三忠祠(サムチュンサ)にも立ち寄ることにした。



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先日のインコ、どうせならすべて予想を外してほしかったが、準決勝の1試合と決勝だけ当てるとは(笑)。
それにしても、アルゼンチン代表もフランス代表も、ものすごいメンタルだった。決勝という名のゲームにふさわしいだけでなく歴史に残る戦いだった。


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