デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



ターナー「チャイルド・ハロルドの巡礼-イタリア」(1832)

『チャイルド・ハロルドの巡礼』とは『貴公子ハロルドの巡礼』と標記されることもあるジョージ・G・バイロン作の全4巻からなる叙事詩のことである。
私はターナー展でこの絵の題となっている『チャイルド・ハロルドの巡礼』についての解説に

…青春を浪費したことを悔い、異国の地に魂の救済を求め、ついにイタリアの痛切な美に心を満たされる

とあるのを読み、展示されている作品に前で勝手ながらものすごく共感を覚えたつもりでこの絵に見入ってしまったのであった。
誤解されるのを恐れず書けば、私は外国旅行に行くこと自体、気分転換やリフレッシュといった言葉では物足りないような、魂の救済を求める行為であると思っている。(すべてにおいて、ではないが)
特にイタリアが惹きつける力というのは本当に不思議で、(住んでみるとそれなりに大変なのだろうが)あの楽天的で日常のゆったりした時間の過ごし方、陽気というだけでは足らない明るさと静けさと敬虔さと大らかさが一緒くたになった雰囲気はどう表現しようにも(普段日本にいるときに感じる雰囲気と決定的な)何かが違うのだ。
ターナーがこの絵にわざわざバイロンの『チャイルド・ハロルドの巡礼』の一節をつけたのは正直どうかと思うが、画家が自身でイタリアを訪れたときの印象はバイロンの作品の一節が無くとも絵から十分に伝わってくるように思う。ローマを旅行する人が街なかを外れて郊外に向かったり、皇帝や執政官の別荘跡に行くまでに接する風景や空気はまさにこの絵のような感じだった。
余談だが、ターナーのこの絵を見て、後日バイロンの『チャイルド・ハロルドの巡礼』を読んだ。詳しい感想はまた別の機会に書きたく思うが、叙事詩の第4巻の内容からすると絵に描かれている人物たちは一体どういった人たちなんだろう?と正直思った。ターナーがイタリアで見た光景の印象なのかもしれないが、今になって勝手ながら私はワトーの「シテール島の巡礼」などのいくつかの作品を裏返したようなパロディみたいな感をこの絵の人物たちに覚えるのである。

とりとめがなくなってしまった…。

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