デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



私にとっては多くの人の例に漏れないような副反応をくらったという二日間になった、というに尽きる。

接種(2回目)の翌日は注射部位反応として肩の痛みは治まらず、昼食後20分ほど出かけ帰ってから身体全体が軽い筋肉痛みたいになり、さらに軽く目立つ程度で腰痛と広背筋の痛みが続いた。動こうとすると息切れっぽくなったので、晴れの日曜なのにどこにも行けないと諦めて臥せった。肉体を動かさねばどこにも痛みを感じないという状態にフラストレーションが溜まった。接種の32時間後で体温が37.8℃になり、夕食後入浴はせず、とにかく眠るようにした。解熱鎮痛剤は使わなかった。
翌々日(昨日)の朝6時起床した。汗はかいていなかった。体温は36.3℃で眠りすぎた所為で起こるような身体の痛みが残ったが、いつもどおり出掛けることができ、昼ごろにはその痛みは感じられなくなった。
これを書いている現在、1回目の時と同様、腕を下におろした状態から肘を斜め後ろや腕を上げる動作をしたときに肩の注射したあたりに軽度の疼痛がある。


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昨日、1回目の接種から4週間空けての2回目の職域接種に参加してきた。
接種までの流れは前回と同じだった。検温の際、体温が低めに出た。測り直しても変わらなかった。気温が低くなった屋外にいたからでしょう、と検温を担当者がにこやかにおっしゃった。
前回の接種では注射針が刺さったかどうかも分からなかったが、今回は少しチクッとし「あぁ刺さってる」と分かったが痛みはほぼ無いようなものだった。
接種後の15分間の待機室では持ち込んだ本を読みながらすごした。
接種を終えて4時間後くらいに注射部位反応としての痛みらしき違和感を感じ始めた。
これを書いている現在、腕をだらんと下げる姿勢でいたり、キーボードを叩いている作業程度では痛みを感じない。腕を下におろした状態から肘を斜め後ろに動かしたときに注射したところが少し痛いなという程度である。


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本丸より先へ


説明板だけ撮って、どれが
御局屋敷(の跡)か見落としたかも


大堀切跡。右側が大きく削られている。





中丸(なかのまる)





人工的な盛り土と石垣の石が残っているのが分かる

刀洗池
画面中央が凹んでいるのが分かる。
かつて水が張られていたのだろうか。


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三島由紀夫『金閣寺』(新潮社、決定版三島由紀夫全集6)読了。

8月と9月、お盆その他でいろいろとあったのもあるが、弊ブログの更新頻度が著しく低下したのは『金閣寺』とС・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』をこの二か月の間に読んで自分なりの沈思黙考状態に陥ってしまったというのも大きい。
両作品とも扱われている時代が第二次大戦の時期であり、内容について考えれば考える程、時代の異なる小谷城跡やその他の古戦場跡にまつわる、いわゆる「戦」について触れることにも億劫になったり二の足を踏むようになってしまった。
さて三島由紀夫の『金閣寺』だが、金閣を燃やすまでの主人公の内面の動きの描写の見事さに目を見張るが、主人公に直接的にも間接的にも影響を与える登場人物の中に軍の関係者がいることにどうしても目が行った。海軍を逃げ出して女と山中にこもり射殺される軍人、南禅寺の傍で女と今生の別れの儀式を行う軍人、戦争が終わり(新しい時代が邪(よこし)まな心の人々で始まると主人公が考えるうえでの象徴的な)工場の物資をトラック一杯に積み込んで闇でさばこうとする士官、この3人の軍関係者を登場させた作者の冷徹なまなざしを意外に思ったのだ。
というのは私はほとんど三島作品を読んだことが無く、三島由紀夫といえば陸上自衛隊市ケ谷駐屯地に乱入しクーデターを呼びかけて自刃して果てた三島事件の映像の印象が余りに強かったのだ。戦中と戦後に見られた闇の部分について短い作品の中できちんと触れていることへの純粋な驚きとともに、三島事件だけで作家のことを断定する形で論じるなどもってのほかだと反省した次第だ。
『金閣寺』で描かれる「短い単純な生涯の中」にはさまざまなことが盛り込まれていることは言うに及ばずだが、なんらかの決意をするまでの物語という点で私はプルーストの『失われた時を求めて』と似ているように思った。人の生涯を勝ち負けやそれこそ断定したレッテルで短く評してしまいがちな世の中にあって、人の内面を見つめるのに最適な作品の一つとして『金閣寺』を読む価値は十分にある。


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スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ(三浦みどり訳)『戦争は女の顔をしていない』(岩波現代文庫)、読了。

傷痍軍人が帰国後に受けた仕打ちを描いた映画で子どもの頃に衝撃を受けた作品としてS・スタローン主演「ランボー」がある。また最近、紛争地域や戦地での凄惨な体験を綴った本で印象深いのは旗手啓介『告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実』、安正孝(アン・ジョンヒョ)『ホワイト・バッジ』があるのだが、アレクシエーヴィチが"小さき人々"から聞き取った第二次大戦の証言文学『戦争は女の顔をしていない』に収録された内容は、上に挙げた映画や本と共通するところも少なくないものの、それでいてまるで異なるような、誤解を恐れずに書けば多くの人にとって新たな衝撃を与えるものだろう。
第二次大戦中の独ソ戦ではソ連から100万人以上の女性兵士が従軍していたこと、看護や食事を供給する後方部隊の役割の兵士だけでなく、最前線で実際に戦闘行為を行った女性兵士たちの証言が収められているのが『戦争は女の顔をしていない』であることにまず驚いた。ソビエト時代、この本の内容が戦勝国の物語としてふさわしくないとしてペレストロイカが進むまで出版はされなかった。それは戦争について男の英雄譚的な視点からしか語られてこなかったことを意味しているといえるが、作品に出てくる女性兵士や女性レジスタンス、女性パルチザンの目を通して見ると、やっぱりこれまで戦争が男視点からしか、つまりは女性視点からのもう半分の戦争は語られてこなかったともいえる。
具体的内容についての感想を書くことは正直厳しい。何を書いても私の書く物は薄っぺらい内容になってしまうように思う。私がいうのもなんだが、証言には戦時中の日本と酷似している内容も多く、16~20歳の年齢で前線に志願して行った女性兵士の心情であり信条として「国と私は一心同体」であったこと「自分は不死身だと思っていた」こと、戦地で負った傷だけでなく、帰郷してから負う傷のあらゆる生々しいエピソード、それらを、およそこの現代に情報が溢れているなか却って戦争のことを軽んじロマンティックにさえ描くような夢想にしか接しない人々にぜひ読んでいただきたいものだ。


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