デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



井波律子著『史記・三国志 英雄列伝』(潮出版社)、半藤一利・安野光雅『三国志談義』(平凡社)読了。

軍記ものの故事やそれにちなむ名言、小説や漫画、ボードゲームやテレビゲームなどを通して多くの人に親しまれている「三国志」だが、私は三国志およびその時代の名エピソードや活躍した人物達について詳しいわけじゃない。よくあることだが、晋代の歴史家陳寿による正史『三国志』と正史よりかなり後(14世紀の明の時代)に書かれた羅貫中の小説『三国志演義』の内容の区別がつかないという人の例に私も漏れないのである。赤壁の戦いと諸葛亮孔明の死のみで「三国志」を語っておしまいという感じか(笑)。
後漢の時代の黄巾の乱や黄巾の討伐で機に世に出た人々が三国の時代に活躍していくという過程を思う以上に知らないものだ。曹操と劉備の関係は数奇な運命をたどるが黄巾討伐からの彼らのことを知ると、「三国志」のおもしろいところは三国時代が始まる前にもたくさんあるのだと今回の読書ではそのことを教わったように思う。
特に劉備についての(個人的な)「新発見」はおもしろかった。後世の人間は『三国志演義』の影響から逃れることは難しく、京劇の演出などもあいまって、とかく魏と曹操が悪役で蜀と劉備が善玉、呉は切羽詰まるまで態度をはっきりさせない優柔不断な役であるという先入観を抱きがちだ。しかし正史『三国志』の劉備は凄みのある人物とはいえ、流転の身だし曹操の食客になっていた時期もそれなりにあるし関羽みたいにきちんと恩を返すようなこともないし、諸葛亮と出会うまでは基本だらしがなかったりするのだ。
赤壁の戦いの“実際”もおもしろかった。赤壁の戦いで手柄を上げたのは諸葛亮よりも実際は周瑜であること、蜀が赤壁の戦いに乗じてまんまと領土を掠め取って大きくなったことは、後世の勧善懲悪ものでは周瑜はともかく蜀が領土を掠め取るための大義をわざわざ設定せねばならず、まず描けないだろう(笑)。
魏と蜀にスポットライトが偏りがちな「三国志」ではあるが、二冊とも呉に関する記述も少なくないところがありがたい。孫策と孫権の人物像もきわめて興味深かった。曹操は三国志を愛好する人々の中でも玄人ウケする人物だが、孫権のバランス感覚も玄人の愛好家が好みそうな魅力に溢れている。そのことを知ることができただけでも有意義だった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




饕餮文三犠尊(とうてつもんさんぎそん)

世界史の教科書やそれに不随するような資料集に載っていそうなものが東京国立博物館にはたくさんあった。
饕餮文三犠尊は古代中国の殷の時代のものだという。饕餮とは目を見開いた獣の顔のような図像と解説にあった。改めて初めて知る言葉って無数にあるのだと思った。ちなみに尊は儀式に用いる酒や水を入れる容器の意味だそうだ。
秦の時代は殷よりも700年くらいあとだが、殷の時代の青銅器でこれほどまでの装飾が施されているのなら、のちの時代に兵馬俑の精巧さが実現するのも分かる気がする。







まさか古代の弩機まで展示されているとは思わなかった。春秋戦国時代、矢を飛ばす距離や威力の違いは戦力の差を生むものだったといっても過言ではないだろう。弩は狩りにも使われているほど強力な武器だが、これを戦いで有効に使ったのが秦だった。博物館に展示されているのは漢の時代の弩機である。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




定武(ていぶ)蘭亭序(呉炳本)




三国志よりあとの東晋の時代、王羲之(おうぎし)という政治家・書家が活躍した。
現在の中国浙江省紹興市には王羲之ゆかりの蘭亭という観光名所がある。その蘭亭で353年(永和9年)に宴が催され、多くの詩人が詩を創作した。蘭亭で創作された作品をまとめたものに王羲之は序文を付したが、その序文(蘭亭序)は後世とくに唐の時代に大いに評価され、また蘭亭序の王羲之の書体もそののちの書家たちが手本とするものとなり、中国の「書」自体が芸術に昇華される礎ともなっている。
書体や書道については正直なところ、数年前まで旅行ガイドブックを見るまでは関心がなかったが、東洋の歴史の本を繰るうち書家や皇帝が自ら筆をとって書いたものが刻まれたり彫られたりして石碑や扁額の形で残っていること、とどのつまり字が残っていることのすごさが漸く最近になって分かってきた。
東京国立博物館の東洋館には拓本が展示されている部屋があった。そこでまさか唐代の欧陽詢が王羲之の書体を臨書した代表的なものの拓本を見れるとは! これを見れただけでも望外の喜びだった。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




帰りもクアラルンプールでの乗り継ぎなので一旦南へ。

バンコクのスワンナプーム国際空港を発った時点でタイを出国したわけだから、それでタイ王国旅行記を終えてもよかったが、乗り継いだクアラルンプール国際空港での思い出も書いておきたくなったので、この記事がタイ旅行記の最終日の記事になる。








往路でも乗ったエアロトレインだ。






飛行機のパイロットさんたち。















ここも往路で通った。







ラストの画像のロビーで、国際結婚した日本人男性とオーストラリア人の女性と乗り継ぎ便に搭乗するまで長い時間話した。マレーシアに長期滞在していたが、クアラルンプールで乗ったタクシーを降りる際、荷物を後回しにしたところ急発進されて荷物を持って行かれたとのことだった。よりによってパスポートと重要書類を荷物に入れっぱなしにしていたとのことで、日本に帰国するための書類を揃えるために町に戻り日本大使館や航空会社を駆けずり回ることになったという。
私にはお二人のマレーシアでの話を聞いたり、少しでも気がまぎれるようにお二人が知っている日本の話題について話すことしかできなかったが、お二人の間で澱んでいた空気を少しは晴らせたように思う。
クアラルンプールを日付が変わる時間くらいに飛び立った。日本に帰ってきたのは朝の7時ごろだった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




何の映像かと思いきや、



水中の映像の前に立つと自分の姿が水中に映るものだった。





















出発ロビーの店のビールは、街なかの2倍以上の値だった。





















チェックインの時、列が一緒になったイラン人の青年と
このロビーで話した。アユッタヤー遺跡のことを上手く
伝えることができなかったものの辛抱強く聞いてくれた。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )







空港内の郵便局。バンコク市内で絵葉書などを出す
ことができなかった場合でもなんとか間に合わせれる。

市内の観光地や繁華街よりは少し割高になるものの、絵葉書その他は出国ゲートまでのコンビニやお土産店で買える。





















空港では、市内で見た寺院の神々や祠や博物館で展示されていたような王室とゆかりのありそうな山車のレプリカも置いてあり、訪ねた先のダイジェストさながらで楽しめた。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )