デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 










先週の寒さから一気に温かくなったせいか、桜の花も一気に満開となっていた。近年では4月1日ぐらいに満開という感じだったような気がする。

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この前の日曜に気温がぐっと下がり体調を崩した。日曜以降、雨嵐な天気が続いたが、その間、私も必要以上の外出は控える日々を過ごしていた。
なんとか体調も回復したので久しぶりに登ってみたらやっぱりきつかった。しかし晴れたので気持ちよかった。
帰りに読書をさせてもらっているカフェに立ち寄った。先日そこでイヤホンを見失い、どこを探しても出てこなかったのだが、店員さんが見つけてくれていて保管してくれていた。心からありがたいと思った。

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朝来た道を引き返す形で駐車場に向かう。

















新年明けの出動式か何かだったのだろうか。白バイやパトカーが
整然と止められていてスピーカーから号令のような声が響いていた。












朝の鯱のところまで戻ってきた。


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好古園を出た後、さらに晴れてきた。再入城したかったが、訊いてみると「できません」とのことだった。

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昨日と同じピラフで朝食

タイ旅行も最終日、帰りの飛行機は夕方に離陸だったので昼過ぎまでは観光ができる。とはいえ正午までにユースホステルをチェックアウトしなければならないので、YHの近くの歩いて行ける所を訪ねることにした。


ワット・プラケオのチケットには有効期限1週間の半券が付いている。



その半券で入れる施設はいくつかある。私は
アナンタ・サマーコム宮殿に行くことにした。



シー・アユッタヤー通りを東へ。
日本でも見たことのある看板が(笑)。






一瞬、歩いて通れないのかと…
車両規制をしていただけだった。



この時期はタックシン前首相の帰国の恩赦について、
賛成と反対のグループがデモを繰り返した時期だった。
デモは一昨日にはこちらを私に食らわしたものだ。
それにしても朝から警備隊も見るとなんだか物々しい…。




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好古園は姫路藩主の下屋敷があったところの庭だという。造営が始まったのは最近で開園は平成四年ということだから、新しい日本庭園といえる。
姫路城と好古園に行った日からもう二か月経ってしまったが、桜の咲く来月からが行楽シーズンだろう。

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信号待ちのときにふと川を見ていたらカモがエサを獲っていた。春だなぁと感じた。

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呉座勇一 著『応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱』(中公新書)読了。

よく市内の大文字山に登るので室町時代に勃発した応仁の乱についてけっこう耳にしたり話題にすることがある。とはいうものの詳しいことを知っているわけでないし、話題にしたことといえば足利義政の時代に二つの大名連合が東軍と西軍に分かれて小競り合いしているうちに収拾がつかなくなったという程度だ。
この本で畠山氏の後継について幕府がどう茶々を入れたのか知りたいと思って読み始めたら、興福寺のある大和から話が始まって意外だった。しかしこの大和の興福寺と衆徒と幕府との関係の話がないと、応仁の乱へと至ってしまう理由が分からないというのはよく分かったように思う。畠山氏の後継ぎ問題に首を突っ込んで細川勝元と山名宗全が対立してしまったのは確かに応仁の乱の直接的なきっかけになっているが、話はそう単純なものではないのだ。
この本によって私の中で決定的に変わったのは足利義政に対するイメージだ。これまで政治を放棄して茶と歌にうつつを抜かしていた借金まみれの文化人という悲劇の政治家みたいに思っていたが、権力に徹底して粘り強く執着していたとは思いもしなかった。それに一応、足利義政なりに乱を終わらせようといろいろとやっていたことも知らなかった。ただ幕府と大名の横のつながりが強い政治体制にあって求心力のなさがどんどん派閥形成につながっていく時代にあって、必要とされる力を発揮できなかったのは痛ましい。
細川氏も山名氏も将軍も、当初は乱も早々に決着すると思っていたろうが、結局、東軍も西軍も他の諸大名を引きずり込んでしまい、乱が泥沼化した。いわば横のつながりの同盟が悪い意味で負の連鎖を引き起こしてしまったわけだが、この過程を見ていると第一次大戦の過程ともだぶるところがある。所と時代は異なれど人類は同じような過ちを繰り返していることを痛感させられた。

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