デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



鑑賞している間に二年と少し前に読んだ余華の『兄弟』や、映画『ラスト・エンペラー』の時代背景などが頭をよぎった。
作品は叙事詩かつ愛憎劇である。京劇の「覇王別姫」が劇中劇となっていて、演目の登場人物の運命がそれを演じる役者や身近な人たちの運命とシンクロしたり、京劇で女形を演じる俳優が時代に翻弄され執拗についてまわる因果応報に苦しむ場面などが見どころである。3時間近くある長編だがおもしろい作品であった。
ただ、作品の中盤以降、なんだか『ドクトル・ジバゴ』や『愛と哀しみのボレロ』、『静かなドン』などを観たり読んだりしているような気になってきて、終盤に至ると『さらば、わが愛/覇王別姫』自体が、ギリシア悲劇やシェイクスピア劇、フランス映画、1960年代からしばらく流行った叙事詩大河ものの映画などのいいとこ取り作品のように思えてきたことは、正直に言わざるを得ない。叙事詩や大河ものはどの国の作品だってどうしても似たような話や筋になるのは仕方がないが、『さらば、わが愛/覇王別姫』は西洋人が見たい東洋を舞台にした西洋古典劇・叙事詩作品で、古典のエッセンスをここまでバランスよく詰め込んであると、なんだか職人技を観ているような気になってきた。
この映画のファンの方にはなんだが、鑑終わった直後にDVDのパッケージにパルムドール受賞とあるのを見て、なんか受賞にいたりそうな作品だというのは分かる気がしたのである。賞をとった理由は、西洋古典のエッセンスのバランス配合の絶妙さにあり、また古典を称えたいわずもがなのメッセージにあると思った。

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